異国情緒のパラレルデート⑤ 本の向こうにしかなかったもの


◆ 伊理戸水斗 ◆


 白い壁に、洋画やファンタジーもののアニメでしか見たことのない、両開きの鎧戸が付いた窓がいくつもある。二階建てで、ミステリの洋館なんかに比べると小さいものの、それは日本の街中にあっては充分に異国情緒を溢れさせていた。


「わっ! これ、自由に着ていいの!?」


 門を潜ると、入口の脇に帽子掛けとハンガーラックが置いてあった。それぞれに、様々な色の鹿撃ち帽とインバネスコート――シャーロック・ホームズの衣装が掛けてあった。


「え~! かわいい~! ねっ、結女ちゃん何色着る!?」

「うーん……王道はベージュだけど、赤とか青も結構可愛いわね……」

「東頭さんは!? 文化祭のときケープ似合ってたよね~!」

「うえっ!? わたしもですか!?」


 南さんにいさなも引っ張られていき、女子たちがきゃいきゃいとハンガーラックの前で衣装選びを始める。取り残された僕と川波は、その様子を後ろから眺めつつ、


「ちょっと色が違うだけなのに、楽しそうで結構なこったぜ」

「君は興味ないのか?」

「空気によって変わるな。あんたが着ないならオレも着ないことにする」

「気遣い感謝するよ」

「まあ、帽子やコートは割とどうでもいいけど、パイプはちょっとかっけーよな~! ほら、ホームズってパイプ吸ってるイメージじゃん!」

「君のチャラい見た目でパイプをくゆらせてもひたすらダサいだけだぞ」

「オブラートに包めよ! 言葉をよ!」


 どうでもいい話をしている間に、結女たちが戻ってくる。

 先陣切って南さんが、跳ねるようにしてケープの裾を翻した。


「へっへ~♪ 二人とも、どう? どう?」


 南さんが選んだのは青いインバネスコートだった。インバネスコートとは、ざっくり言えば肩回りを覆うケープがくっついたコートのことだが、小柄な南さんがそれを着ると、コートというよりポンチョというイメージが付きまとう。

 そういう意味では可愛らしいと言えるが、まあ、僕の出る幕ではないだろう。

 川波はふむーんとわざとらしく南さんを検分した後、


「いいんじゃね? 雨の日の小学生みたいで」

「どこが雨合羽だ!」

「痛てっ!」


 案の定、太腿にけたぐりを受けていた。

 南さんの後ろから、二人の女子がそわそわと落ち着かない様子で僕のほうへやってくる。


「ふっふっふ……お待たせ」


 赤を基調とした鹿撃ち帽とインバネスコートをまとい、何やらドヤ顔めいた表情をしているのは結女のほうだった。

 一方で、いさなのほうは白基調のインバネスのケープを、少し怪訝そうに指で摘まんで見下ろしている。


「どう? いいでしょ!」


 と、結女は自慢するように自分の探偵姿を見せつける。コートも帽子もチェック柄が入っていて、よく言えばカジュアルな雰囲気だが、これは、なんというか――


「……これって、シャーロックというよりミルキィのほうじゃありません……?」


 いさながぼそっと呟いた。

 詳しい元ネタはわからなかったが、言わんとすることはわかった。

 色のせいで(おかげで?)より一層コスプレ感がすごい。

 施設側が用意したものだからいいんだろうが、ミステリの瀟洒な雰囲気とは合わない色彩なのではなかろうか。それでいいのか、ミステリマニア。

 結女はむむーんと鹿爪らしい顔をして僕の足元辺りを見下ろし、


「あなたはアフガンで軍医をしていましたね」

「してないが?」

「えへ。一回着てみたかったのよね、インバネスコート……えへへ……」


 くるっ、くるっ、と身体を捻り、ケープとコートの裾を翻してはご満悦に笑う結女。まるで子供のようなはしゃぎようだ。普段、真面目ぶっているのも相まって、その姿は――


「ね、ね。……カッコいい?」


 期待に満ちた目で、結女は僕に問いかける。

 カッコいい……というよりは。

 だいぶ、可愛い寄りだと……思うけど。


「……心なしか、頭良さそうに見えるな」


 本心を押し殺し、僕は当たり障りのないコメントをした。

 結女は破顔して「ありがとう!」と素直に言うと、スマホを取り出しながら南さんのほうに向かう。写真を撮るらしい。

 ……言えたほうが良かったんだろうな、本心を。

 でも僕はもう、素直に言葉を紡ぐやり方を、すっかり忘れてしまっていた。






◆ 伊理戸水斗 ◆


「ふぇおあっ!? てっ、天井から顔が!?」

「ホームズがどこかを覗き込むシチュエーション――『マスグレーヴ家の儀式』かしら? でもあれは地下室か何かを覗き込むシーンだし、ワトソンともまだ会ってなかったはずだけど……」

「おおーっ! これがホームズの部屋かあ! あれ? マネキンが二つ置いてあるけど、どっちがホームズ? どっちもこのコート着てないじゃん」

「室内でコートを着てるはずないでしょ、暁月さん。そもそもこの格好は挿絵画家の創作で――」

「この壁の……弾痕? なんだ? 『VR』って形になってるように見えっけど。ヴァーチャルリアリティ?」

「ヴィクトリア! 当時のイギリス女王! それはホームズが暇潰しで壁を撃った跡!」


 英国館の二階――ワンフロアが丸々、シャーロック・ホームズ世界の再現空間となったそこでは、結女がオタクぶりを遺憾なく発揮していた。

 基本的に優等生ぶって澄ましているこいつが、こんなにオタクを丸出しにするのは珍しい。それだけ、この館のゴシックな雰囲気と、ホームズの世界を再現した空間に感激しているのだろう。

 ……でも、僕の記憶が正しければ、結女はどっちかといえばホームズよりも、クリスティとかクイーンとかを愛好していたような気がするが――まあ、ホームズはミステリや名探偵を好む者にとっては、単なる好みを超えた存在みたいなところがあるから、関係ないのだろう。


 館内を一通り回ると、今度は庭園に出た。


「おおー……いかにも! って感じの庭だー」


 異種様々な草花や庭木を植えた花壇を、白い石畳の遊歩道がぐるりと囲んでいる。南さんの言う通りいかにもな洋風庭園だったが、奥側の一角にはロンドンの地下鉄駅――ベイカー・ストリート駅――を再現したエリアがあった。

 白い屋根の下に、待合用のベンチがある。左奥には、黒いインバネスコートをまとったシャーロック・ホームズの等身大パネルが立っていた。

 そのエリアを見つけるなり、いさなが奥の壁際のベンチに座り、「ふぃー」と息をつく。


「ちょっと休憩するか。坂も登ってきたし」

「そうね。私もちょっと歩き疲れたかも……」


 はしゃぎ疲れたの間違いだろ。

 僕と結女が、いさなに続いてベンチに腰を下ろす一方で、南さんが「うぇーい! 撮って撮ってー!」と陽キャ丸出しでホームズ等身大パネルの隣に並んでいた。川波がそれをスマホで撮ってやっているのを眺めていると、


「むむん……」


 隣のいさなが、手荷物の中からタブレットを取り出した。

 そしてカメラを起動すると、正面に広がる庭園と英国館を画角に収め、パシャリと一枚。撮ったそれをしばらく眺めてから、何かアプリを起動して、タブレットケースのペンホルダーからペンを抜き取った。

 そして、膝の上にタブレットを置き、画面の上にペンを走らせていく。


「ここで描くのか?」

「ただのラフですよー」


 ほんの十数秒で、タブレットの画面上には洋館の輪郭が浮かび上がっていく。さらにいさなは迷いなく、細かい装飾を書き込み始めた。


「ふむふむ……こういう感じにすると洋風になるんですね……」


 館内を回っている間も、いさなは壁や天井の意匠、調度品などに着目して、片っ端から写真に撮っていた。絵に必要なのはどういう情報なのか、感覚でわかっているように。


「……………………」


 別に僕は、編集者でもないしプロデューサーでもない、ただの一般的な高校生に過ぎないが……なんとなくわかる。

 才能のある人間か、そうでないか。

 彼女は明確な前者だと、理屈でない部分が言っていた。今現在の作品の出来ではなく、思考の方向性、行動の基準、そういうものを総合的に見て、東頭いさながいわゆる天才の部類であると判断している。


 才能の芽生えに早いも遅いもない。小学生の頃からコンクールを総なめするような天才もいれば、成人してから初めてペンを取って時代を代表するようになる天才もいる。

 彼女の場合は、それが高校一年になるんじゃないか。

 普通のオタクとして、既存作品の模倣で満足していた情熱が、自身の技術向上へとフォーカスされたこの時期――あとから考えたとき、あれが画期だったのだろうと、きっと思い返すことになるターニング・ポイント――僕は今、その瞬間に、立ち会っているんじゃないか。

 見る見るうちに解像度を上げていく洋館の絵から、いつしか目を離せなくなっていた。ただの四角に、柱がつき、窓がつき、ベランダが、手すりが、奥行きが――


 ――そのとき、いさなとは反対側に置いた手を、誰かに握られた。

 強くはない。引っ張られたわけでもない。ただ、そっと重ねるようにして、ひんやりした感触に手を覆われた。それだけで僕はハッとして、そちら側に振り返った。


 結女が、自分の膝に視線を落としたまま、僕の手に自分の手を重ねていた。

 まるで、僕をこの場に縫い留めるように。

 何を言うでもなく、僕を見るでもなく。


「……………………」

「……………………」


 結女は何も主張しなかった。自分の考え、訴えを、視線に乗せることすらしなかった。

 だからこれは、僕の勝手な妄想なのだろう。

 その横顔が――どこか寂しそうに見えた、なんて。


 ……僕は今、彼女を置き去りにしようとしたのか?

 わからなかった。咄嗟に判断がつかなかった。これは僕のネガティブな妄想に過ぎないのか? それとも、いさなの才能が本物だと判断したように、僕の本能が何かを総合的に見てそう判断したのか?


 ただ、僕の中には二つの事実がある。

 一つは、伊理戸結女のことを確かに好きだということ。

 もう一つは――それとはまったく別の意味で、東頭いさなに魅入られつつあるということだった。

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