カップルは贈り合う。「……死にたい……」


「……ホワイトクリスマスね」

「ああ……。きっと僕は、この光景を一生忘れないだろう」

「隣に私がいるから?」

「そうだと思うのか?」

「そうじゃなかったら怒る」

「だったら安心だな」

「ばか」


 ――などとほざきながら、テレビの中の俳優と女優がキスをしていた。

 あんまり電源を入れられることはないが、我が家にだってテレビくらいはある。出番を得るのは主に夕食の席でのことで、もっぱらBGM代わりだった。

 家族4人のうち僕と結女は生粋の本の虫なので、テレビに電源を入れるのは基本的に父さんか由仁さんだ。


「あ~あ。こういうの見ると、なんだか寂しくなっちゃうわ」


 俳優同士による、およそ素人にはできそうもないガッツリとしたディープキスを眺めながら、由仁さんが溜め息交じりに言った。


「毎年クリスマス頃は年末進行で死にかけてるんだもの。12月25日って日付を考えるだけでブルーになっちゃう。昔は胸を高鳴らせてたのにな~」

「ははは。気持ちはいつまでも若いつもりじゃああっても、そういうときにはね。……ああ、でも、水斗と結女ちゃんはまだまだこれからかな?」


 ギクリ。

 父さんの一言で、僕も結女も箸の動きが一瞬だけ止まった。


「彼氏や彼女ができたら俺たちには遠慮しなくていいぞ~! ま、水斗にはあんまり期待できなさそうだが、結女ちゃんはモテそうだからな!」

「ふふふ。この子、だいぶイメチェンしたのよー? ほんの少し前まで物凄い地味子ちゃんで――」

「お母さん……」


 控えめに母親をたしなめながら、結女はチラリと僕を見た。

 釘を刺したつもりか。喋らないよ、言われなくたって。

 由仁さんがにたにた笑って、テーブルで頬杖を突く。


「いやあ、でも、楽しみねえ。結女も水斗くんも、いつ頃からクリスマスに家を空けるようになっちゃうのかしら?」

「そのときは由仁さん、俺たちも童心に帰るとしようじゃないか」

「うふふ。そうねえ。それも楽しみね~。ますます二人に頑張ってもらわなくちゃ」


 ……父さんも由仁さんも知らないのだ。

 僕も結女も、実は一度だけ、クリスマスに家を空けたことがある。

 一緒に住んでいる親にすら悟られず、ただ僕たちだけが、あの寒空の下でのことを知っている。

 あれは中学2年生の頃のこと。

 僕と綾井結女が付き合い始めて、初めてやってきたクリスマスだった。




※※※




「――ただいまぁー! 水斗ぉー、ケーキ買ってきたぞー!」


 僕は伊理戸水斗。彼女のいる中学2年生である。いわゆる勝ち組と呼ばれるアレである。今日、クリスマスというこの日に、世の男性諸氏の多くに対して無条件でマウントを取れる立場にいる人間である。

 しかし、なぜだろう。

 僕は今、去年までとまったく同様に、その辺のコンビニで買ってきたのであろうちっさいケーキを父親と囲んでいた。


 クリスマスは恋人と過ごすものだとする価値観が日本でガラパゴス的進化を遂げたものだとするならば、むしろこれは正しいクリスマスの形だと言えるだろう。

 ……だが。だがだ。

 釈然としない。彼女のいるクリスマスって、もっと特別なものなんじゃなかったっけ?


「どうだ、うまいか? チョコケーキ」

「……そこそこ」

「一口くれ。俺のショートも一口やるから」


 このやり取りも彼女である綾井結女とするべきではなかったのか。なぜだ……。

 ……いや、わかる。わかっている。僕らは中学生で、しかも付き合っていることを周りに隠しているのだ。夜中にオシャレでロマンチックな場所に外出できたりするはずがない。

 だから一応、昼間にはちゃんと会ったのだ。ジングルベールジングルベールと1ヶ月くらい前から垂れ流しにしているスポットに出向き、その他大勢のカップルたちに混ざってきたのだ。

 そしてそのまま、普通に解散した。

 ごく普通だった。

 いつも一緒に下校するのとあんまり変わらなかった――その理由もわかっている。

 ああ、笑え。大いに笑うがいい。


 天下無双のチキンたるこの僕は、今日のためにわざわざ用意したプレゼントを、寸前にビビッて渡せなかったのだ!


 勇気を出して店員に頼んだラッピングの箱は、今、僕の部屋の机の上でインテリアと化している。

 死にたい。


「ん、どうした水斗? やけにテンション低いな? ……あ、そうかプレゼント! ほら、ちゃんと用意してきたぞ~! ――図書カード!」


 死にたい。




※※※




「……死にたい……」


 私こと綾井結女は、自分の部屋の机に一人突っ伏して、希死念慮に蝕まれていた。

 死にたいっていうか、死んだ。私はもう死んだ。長年のご愛顧ありがとうございました。

 

「どうしてこうなの……私はいつもいつも……どれだけ入念に準備しても、いざってときに何もできなくて……もうイヤ……」


 机の上にはラッピングされた箱がある。

 今日のために用意した、伊理戸くんへのプレゼントだ。

 昼間のクリスマスデートのときに折を見て渡すつもりだった。でも今もまだ私の手元にある。つまりそういうことだ。

 デート自体はすごく楽しかったのだ。普段は行かない恋人っぽいところに二人で行って、『うわ~! 私たち、ほんとに付き合ってる~!』という、とても今更な気分を目一杯に味わった。

 でも、だからこそ、というか。

 私が下手なことをしたら、このいい雰囲気が台無しになってしまうんじゃないか、この楽しい気分がめちゃくちゃになってしまうんじゃないか……そんなことばかりが頭の中を過ぎって、結局プレゼントを渡さないで終わってしまった。


「ううっ……」


 なんだか泣けてくる。

 いつもこうなのだ、自分という人間は。何かをしようとしてまともにできたことなんてほとんどない。唯一成功したのが伊理戸くんへの告白で……。

 ……こんなことばっかりしてたら、いつか愛想尽かされちゃうんじゃないかな……。


「結女ー? 先にお風呂入っちゃうよ~?」


 本格的に泣きそうになったところで、折り良くお母さんの声が聞こえた。

 ……そっか。お風呂。

 お風呂に入ったあとは、伊理戸くんとスマホで話すのが日課だった。

 そのときに、『実はプレゼントあるから今度渡すね』って言えれば!


「よ……よしっ……!」


 そう来れば善は急げ。

 お母さんに先に入りたいと答えかけたそのとき、机の上のスマホが古い洋楽を鳴り響かせた。


「…………!?」


 それは、まだ付き合い始める前に、伊理戸くんから強く勧められて観た映画の主題歌。

 だからこの曲が流れるのは、彼から着信があったときだけだ。

 私は慌ててスマホを引っ掴んだ。

 それから、間違って切ってしまわないよう、慎重に『応答』をスワイプする。


「――は、はい。もしもし……?」

『……綾井』


 今、一番聞きたかった声がした。

 これだけでもすごく嬉しかったけれど、伊理戸くんは続けて、思いもよらないことを言った。


『ベランダに出てこられるか?』




※※※




 白い息が空気に溶けていくのを見上げていると、綾井の部屋の窓が開いた。

 綾井はベランダから身を乗り出してマンションの前にいる僕に気付くと、スマホの通話口で呻くような声をあげる。


『なっ……な、な……なん、で……?』

「いや、その……一応、クリスマスだから、さ」


 恥ずかしい。誤魔化してしまいたくなる。

 でも我慢しろ。今日くらいはいいじゃないか。格好をつけなくたって。言い訳をしなくたって。


「……もう一回、顔……見たかった」

『……っ! ~~~~っ!!』


 スマホの向こう側で、綾井は声にならない声を発した。

 な、なんだ? どうした? 旧支配者の気配にでも気付いたかのような様子だぞ。

 混乱している間に、プツッ、と通話が切られた。

 伴って、ベランダに姿を見せていた綾井が部屋の中に引っ込む。


「……ああ~……」


 やっぱりキモいと思われた……。

 そりゃそうだよな……。何の連絡もせずに夜にいきなり尋ねたら、いくら彼氏でも引くよな……。

 死にたい。

 このままここでぼうっとしてたら凍死できるかなあ……。


「――い……伊理戸くんっ!!」


 などと太宰治ばりに希死念慮に苛まれていると、マンションの入口からたかたかと駆け出してくる人影があった。

 え?


「あ……綾井?」


 綾井は冷たい歩道の上を走ってくると、白い息を何度も吐いて呼吸を整える。

 膝に手をついて肩を上下させながら、彼女は僕の顔を見上げて、はにかむような笑みを浮かべた。


「あ……あはは。き……来ちゃった?」




※※※




「いや……それ、僕の台詞だから」


 と、伊理戸くんは冷静に突っ込みを返した。

 けど、それっきり、身体は固まったままで、もしかしたらすごく驚いているのかもしれない。


「……あは」


 ちょっと嬉しい。

 さっき驚かされた分の仕返しができた。

 エレベーターを待つのがもどかしくて階段を駆け下りてきたから、呼吸が整うのにはしばらくかかった。膝についた手をようやく離すと、私はもう一度照れ笑いをする。


「え……えへへ。ちょうどお母さんがお風呂入ったとこだったから……その隙に、出てきちゃった」 

「ああ……な、なるほど。そっか……」

「だから、その……うん。一緒にいられるのは……30分くらい、かな」

「30分、か……。そっか」


 元から口数の多くない私たちだけれど、今日は特段にたどたどしい。

 だけど、全然笑いの起こらない、じれったくてテンポの悪い、こういう会話ができることが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 ああ……伊理戸くんも、今日を特別に思ってくれてたんだなあ。

 私と一緒にいるこの時間を、大切に思ってくれてたんだなあ……。


 普段はあんまり心を表に出さない人だから、ふとしたときに垣間見える感情に、ことさらに惹きつけられてしまう。

 自分のことにしか興味がないように見えて、実はけっこう面倒見が良くて優しいところとか。

 いつも冷静沈着なように見せて、実は静かにテンパってたりするとか。

 ちらちらと覗く伊理戸くんの素顔を、私はいつしか、ひとつひとつ集めるようになっていた。丁寧に丁寧に心のアルバムに仕舞って、あとから何度も見返して――楽しみといえば本を読むことだけだった私の世界が、すっかり引っ繰り返ってしまうくらい、そんな時間が楽しかった。

 だから、私は――


「――くちゅんっ!」


 ぶるりと身体が震えて、くしゃみが出た。

 あれ? ……あ、そっか。


「……上着、着てくるの忘れちゃった……」


 気付くと途端に寒くなってきた。

 急ぎすぎたぁ……。うううう、せっかくの時間なのに、どうして私はいつも大事なところで……。


「おいおい、抜けてるな」


 伊理戸くんが呆れたように苦笑したかと思うと、着ていたコートの紐をしゅるりと解いた。


「ほら」


 そう言いながら、伊理戸くんは脱いだコートを私の肩にかける。

 あったかい……。

 でも、なんだか伊理戸くんに抱き締められてるみたいで、ちょっと恥ずかしい。なんなら普通に抱き締めてくれてもいいよ? ――なんて気持ちまで過ぎって、尚更恥ずかしい。何様だ。どこから目線だ。

 いろんな原因で体温が上がってほっと息をつくけれど……。


「……これだと、伊理戸くんが寒いよ?」

「いや、僕は大丈夫だから」


 伊理戸くんは平気そうに言うけれど、身体の反応までは誤魔化せない。肩が少しだけ震えている。

 どうしたら……。

 と、考えた私の脳裏に閃いたのは、極めてハードルの高い案だった。高すぎて潜り抜けるほうが簡単そう。いや、ううん、でも、この際……クリスマスだし。

 ……クリスマスだし!

 その五文字が持つ圧倒的なパワーが、チキンな私の背中を押した。ありがとう、イエス・キリスト。キリスト教に改宗したくなるくらい、それは私にとって奇跡的なことだった。


「そ、それじゃあ……その……」


 顔が真っ赤になっていくのを感じながらも、私はクリスマスパワーに身を委ねて、最後の最後まで突っ切った。


「い……一緒に着る?」




※※※




 意外と着られるものだ。

 僕と綾井は、ひとつのコートを互いの肩に引っ掛ける形で共有し、植え込みの縁に腰掛けた。

 コートの中で肩が触れ合って、綾井が驚いたようにビクッと震えたけど、しばらく時間をかけて、恐る恐る体重を預けてくる。

 ……軽い。

 でも、暖かい。

 そしていい匂い。

 安心しながらも心拍数が上がるという稀有な状態になった。でも、ここで下心を見せると台無しだ。無意味に夜空を見上げて表情が緩むのを我慢した。

 くすっ、と綾井が笑う。


「……なんだ?」

「んーん。……私の彼氏、可愛いなって思って」


 うぐっ。……見抜かれてる。

 さっきまでずっとあたふたしてたくせに、急に余裕を見せやがって……。

 無言になって恥ずかしさを誤魔化していると、綾井は焦ったようにぱたぱたと手を動かす。


「あっ……お、怒った!? ご、ごめんね……?」

「いや、怒ってないよ。ちょっと恥ずかしかっただけだ。……そんなに気を遣わなくても大丈夫だ」

「そ、そう……?」

「君の――」


 一瞬だけ躊躇いつつも、羞恥心を振り切る。

 クリスマスだし。


「――君のやることなら、僕は怒ったりしない……」


 やっぱりちょっとだけ日和って、語尾が弱々しくなってしまった。それが余計に恥ずかしくて、僕は顔を逸らす。

 と。


「……えへ。えへへ。えへへへへへへ……」


 嬉しそうにはにかむ声がして、より大きく肩に体重がかかった。

 お気に召したらしい。よかった。スベったらどうしようかと思った。

 しばらく、肩にかかる心地のいい重みを、黙って感じていた。白く濁る息が二つ、断続的に立ち上っては夜気に消える。


「……あの、ね……伊理戸くん」


 声に視線を下ろすと、綾井が窺うような目で、上目遣いに僕を見つめていた。


「渡したいものが……あるんだけど」


 ドキリとする。

 ……そうか。綾井も、用意してくれてたのか。


「私のやることなら怒らない……ん、だよね? だったら、私の……プレゼントも、受け取ってくれる……よ、ね……?」


 連ねるごとに消え入る、自信なさげな言葉。

 こういう綾井を見るたびに、そんなに遠慮しなくてもいいのに、と僕は思う。綾井は決して頭は悪くないし、運動神経も悪くないし、それに…………顔とかも、可愛いと、思うし。

 普通にしていれば、きっと友達だってたくさんできるはずだ――なのに、どこからか来る自信のなさが周囲を遠ざけてしまう。


「……綾井」

「ふぇ……?」


 僕は無言でポケットに手を突っ込むと、その中からラッピングされた箱を取り出した。

 綾井はそれを見て、ぱちぱちと目を瞬く。


「あぇ……そ、それ……って?」

「クリスマスプレゼント。……昼間、緊張してるうちに結局渡せなかった」

「……え……?」


 綾井は唖然とした顔でしばらく僕を見上げ――それから、


「――ぷっ! あは! あははは! あははははははっ……!!」


 軽く噴き出して、可愛らしい声でころころと笑った。

 僕はちょっと拗ねた気持ちになる。


「そんなに笑わなくてもいいだろ……」

「ご、ごめん……! だって、ほら……まさか、伊理戸くんも同じことしてたなんて、思わなくて」

「ってことは、やっぱり綾井もそうか」

「うん」


 綾井もラッピングされた箱をポケットから取り出して、僕に見せてきた。

 それを見ていると、僕のほうにも笑いが込み上げてきて、僕らはしばらく、二人揃って肩を揺らす。

 頬や耳を刺す寒さは、いつしか気にならなくなっていた。

 ひとしきり笑い終えると、綾井は目尻に滲んだ涙を拭って、自分のプレゼントで口元を隠すようにした。


「それじゃ……交換、しよっか」

「ああ。交換しよう」


 少しばかり綺麗に飾られただけの小さな箱を、互いに受け渡し合う。たったそれだけの、きっと何でもないことのはずなのに、まるで厳かな儀式のようだった。

 僕の箱が綾井に渡り、代わりに綾井の箱が僕の手の中に収まる。

 その表を見て、裏を見て、また表を見て、辛抱できなくなった。


「開けてもいいか?」

「えっ? ……こ、ここで?」

「僕のも開けていいから」

「……ん。それなら……」


 僕らは同時に、赤いリボンをしゅるりとほどく。

 今までプレゼントをしたことがないってわけじゃない。でも、今まで僕らが贈り合ったものは、どれも実用的なものばかりだった。拒絶される心配がまず存在しない安全なプレゼントばかりだったのだ。

 だけど、今日のプレゼントは違った。

 実用的なものなんかじゃなかった。

 ともすれば扱いに困るような、非実用的な、リスクのある……恋人でもなければ渡す勇気の出ない贈り物。


「……あ……」


 箱を開けた綾井が、小さく声をあげた。


「これ……ペンダント?」


 小さな箱の中に収まっているのは、透明なガラス玉の中にピンク色の花が封じられたペンダントだった。

 言っても中学生の小遣いで買ったものだから高いものじゃあない。それも、普段アクセサリーなんて縁のない生活を送る僕が、ないセンスを絞って考え、ネット中を放浪して探したものだから、可愛いとか綺麗とかも実のところよくわからない。だけど――

 綾井はペンダントを目の前に持ち上げた。


「すごい……。ガラスの中に花が入ってる。……これ、なんていう花?」

「……かすみ草。花言葉が気に入ったんだ」

「花言葉……」


 聞くが早いか、綾井はスマホを取り出して調べ始めた。

 僕は慌てる。


「ばっ……! ちょっ! さすがにそれは恥ずかしいって……!」

「えー? いいでしょー?」


 綾井は笑いながら背中を丸めてスマホを守り、「えーっと」と検索結果を読み上げた。


「『夢見心地』『清らかな心』『魅力』『無邪気』……」

「……実は、それ」


 僕は観念して白状する。


「…………結婚式のブーケによく使われてるやつ」

「……え」


 綾井はもう一度ペンダントを見下ろして、夜でもわかるくらい顔を赤くした。

 ……なんだこれ。プロポーズかよ……!

 僕も今更のように顔が熱くなってくる。やっぱりもうちょっと無難なのにすればよかった!


「……ん、と」


 後悔に苛まれていると、綾井がそっとペンダントの留め具を外して、髪をのけながら自分の首に回した。


「んしょっ……できた。…………どう、かな?」


 僕が買って、僕が贈ったペンダントが、綾井の胸に下がっている。

 ……ああ。あー、あー――なんだろ、これ。

 嬉しいというか、むずがゆいというか――達成感めいた気持ちがこんこんと湧いてくる。


「こういうの、あんまり着けたことないから、似合ってるかとかわからないんだけど……」

「いや、似合ってる」


 思わず直球で言ってしまった。


「似合ってる。マジで。ほんとに。…………かわいい」

「えっ? ……う、うん……あり、がと」


 綾井は恥ずかしそうに目を逸らして、ほのかに口元を緩ませる。

 プレゼントを考え、探すのに使った時間のすべてが、報われて余りある表情だった。


「……それじゃ、僕のほうもそろそろ開けないとな」

「あっ……う、うん!」


 緊張の面持ちで見守る綾井の前で、僕もプレゼントの箱を開ける。

 中に入っていたのは――


「――……あ」

「えへ……気が合うね」


 ……ネックレスだ。

 持ち上げてみると、紐に羽根を模したデザインの飾りがぶら下がっている。


「別に、伊理戸くんのみたいな素敵な理由はないんだけどね……羽根っていうか、羽根ペンのイメージなの」

「羽根ペン?」

「えと、その……」


 綾井はしばらく目を泳がせて躊躇ったのち、意を決したように言った。


「…………伊理戸くんが、テスト勉強とかで、ノートにカリカリ書いてるのを見るのが好きだから」

「…………………………」


 僕は何秒か沈黙して、彼女の言葉を解釈した。


「…………そういうフェチもあるのか?」

「あうぅっ……!! え、えーと、フェチっていうか、ただ私がなんとなく好きってだけで……!!」


 それをフェチと言うんじゃないのか。

 綾井は俯いてしゅんとする。


「うう……ごめんね、気持ち悪いこと言って……」

「君はすぐ謝るな」


 と言いながら、僕はもらったネックレスを着けてみせた。


「ほら」


 プレゼントを着けた僕を見て、暗かった綾井の表情がぐんぐん変わっていく。

 くすぐったいのを我慢しているようなその顔を見て、僕はにやりと笑ってみせた。


「なんかすごいだろ。クリスマスプレゼントって」

「うん、うんっ……! なんか……なんかすごい!」


 具体性に欠けまくる感想を共有して、僕たちはまたくすくすと笑い合う。

 それから僕らは、寒空の下で数十分、取り留めのない話をして過ごした。

 イルミネーションがあるわけでもない。

 ロマンチックな雪が降ったわけでもない。

 街灯と民家の光だけにうら寂しく照らされた、マンションの前の植え込みだ。

 それでも、1日に比すれば束の間でしかないその時間は、僕の心の中に強く刻まれた。


「……じゃあ、また、ね」

「……ああ。また」


 別れを告げて、僕たちは小さく手を振り合う。

 どこか密やかなのは、口に出さないだけで、本当は名残惜しいからで。

 ――それがわかったから、僕は綾井の手首を握った。


「えっ? 伊理戸くっ――」


 僕は綾井に詰め寄って、少しだけ身を屈める。

 お互い、強制的に無言になった。

 背筋を戻していくと、綾井は寒さとは別の理由で顔を上気させて、驚いたようにぱちぱちと目を瞬いた。


「……まあ、クリスマスだから」


 と、僕は言い訳するように言う。

 綾井はくすっと笑みをこぼした。


「そう、だね。……クリスマスだから」


 今度は綾井が、少しだけ背伸びをした。

 彼女がかかとを地面に戻すと、僕たちは淡い笑みを向け合って、ようやく身を離す。


 僕たちの関係を、今はまだ誰も知らない。

 きっと、いつかは父さんにも話すときが来るんだろう。まさか彼女を家族に紹介するなんてイベントが僕の人生に発生するとは、半年前には露ほども思わなかったが。


 一人きりでついた家路、胸の中でネックレスが揺れていた。

 一年後のクリスマス、僕らは堂々と会えているだろうか。

 どちらかの家に集まって、同じテーブルを囲んでいたりするんだろうか。

 今度はどんなプレゼントを渡すんだろうか。


「……今のうちから、考えとかないとな」


 今日からちょうど、365日。

 今からその日が楽しみだった。




※※※




 ――まあ、1年後にはもうほぼ別れてる状態だったんだけどな。


「諸行無常だなあ……」


 机の中に仕舞ってあった例のネックレスを久しぶりに取り出して、高校1年生の僕は世界の摂理に感じ入った。

 あれからしばらくは、互いの首に互いのプレゼントを見つけては、ふふっと意味ありげに笑う遊びが僕とあいつの間で流行ったものだ。そのために、あえて襟やマフラーの中に隠して、着けてることを地味に気付きにくくしたりして。

 今は素で気付かれないだろうな。それどころか、僕があげたペンダント、引っ越しのときに捨ててるんじゃないか、あの女。


「……久しぶりにやってみるか?」


 気付かれなければ推測の正しさが証明される。もし気付きやがれば、それはそれで面白い反応が引き出せそうだ。

 興が乗ってきたので、ネックレスを首に通し、羽根デザインの飾りを服の中に隠して、部屋の外に出た。

 風呂に入るときにでも会うだろう――と思っていたが、


「あ」

「あ」


 ドアを開けた直後、2階の廊下でいきなり遭遇した。

 背が伸び、髪も伸びた高校1年生の伊理戸結女。

 その姿を見るなり、僕はすぐに気付いてしまう。

 黒い髪に紛れるようにして輝く、見覚えのあるペンダントの鎖――


「……へえ」

「……ふうーん」


 お互いに、それだけだった。

 そのまま何も言わずに、順番に階段を降りた。

 リビングに入ると、夕飯のときにやっていたドラマは終わっていた。ダイニングのテーブルに父さんが座っていて、台所で由仁さんが食器を乾燥機に入れている。


「おお、水斗。風呂か?」

「そろそろ湧くと思うから、先に入りたいなら水斗くんとジャンケンしてね、結女ー!」


 二人とも、僕たちの微細な変化にはさっぱり気付かない。

 僕たちはそれぞれの親に適当な返事をすると、テレビの前のソファーに一人分の隙間を開けて座り、部屋から持ってきた本を無言で開いた。


「……ふふっ」


 結女が急に笑みをこぼす。


「どうした?」


 と、僕が本に視線を落としたまま訊くと、


「気が合わないなって」


 と、結女もやはり本から視線を離さないまま答えた。


「……そうだな」


 と、僕が答えて、それっきり読書に戻る。

 僕の本は『クリスマス・キャロル』で、結女の本は『ポアロのクリスマス』だった。

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