あなたはこの世にただ一人


◆ 東頭いさな ◆


 みんなにとって、わたしはずっと『変な子』でした。

 幼稚園でお母さんじゃなくて引っ越し屋さんのマークを絵に描いたときも、小学校で将来の夢の作文に『いろいろ考えたけど今は特にありません』って原稿用紙いっぱい使って書いたときも、みんなはわたしのことを『変な子』だって言いました。

 みんなは、他の子の絵や作文を覗き見たり、なんとなく察したりして、それに合わせてしまうそうです。


 本当なんでしょうか?


 幼稚園では『好きなものを描こうね』って言われましたし、小学校では『正直に書いてね』って言われました。みんなが書きそうなものを書こうね、なんて一言も言われてなかったのに、本当にみんな、わかっていたんでしょうか?


 よくわかりません。

 未だに、よくわからないのです。

 お母さんは、そんなわたしに言いました。


 ――変な子だぁ? 上等じゃねーか

 ――いさな。お前はこの世にただ一人なんだ。だったら、人と変わってんのは当たり前のことじゃあねーかよ


 じゃあ、なんで他の子は変な子だって言われないの? と訊くと、


 ――そりゃお前、みんな自分を出すのが怖いのさ


 お母さんはわかってません。

 怖いもの知らずな人だから、わからないんです。

 だって、怖いのはわたしも同じ。

 自分を出して、何も隠さずに表に出して、剥き出しの自分が傷付くのは、わたしだって怖いんです。


 ただ、隠せないだけなんです。

 守れないだけなんです。

 できないだけなんです。


 ――ただ、それだけのことなんです。






◆ 伊理戸結女 ◆


「久しぶりー!」

「ひさし――うわっ、めっちゃ焼けてんじゃん!」

「宿題終わったー?」

「なんとかー……マジ死ぬかと思ったー」


 久しぶりの教室は、かえって新鮮に見えた。

 そこ彼処のクラスメイトの顔に、『変わったなー』と『変わってないなー』を同じくらい感じて、それが教室を見慣れながらも新しいものにしていた。LINEなんかは夏休み中も動いていたけど、やっぱり顔を見ると見ないとでは印象が違うものだ。


「伊理戸さん、ひっさしぶりー!」

「久しぶり、伊理戸ちゃん」

「麻希さん、奈須華さん、久しぶり――って言っても、先週くらいに会わなかったっけ?」


 いつもの面子――ショートカットで背の高い坂水麻希さん(バスケ部所属)と、ボブカットでいつも眠そうな顔の金井奈須華さん(競技かるた部所属)――と話しながら、私は席に鞄を置く。今日は始業式だけだから鞄が軽い。

 麻希さんは私の前の席に遠慮なく座り、奈須華さんは隣の席に浅く座る。

 と、そこに見慣れたポニーテールが飛び込むように合流してきた。


「結女ちゃんっ、ひっさしぶりぃーっ! 寂しかったよーっ!!」

「うわっとと! ……暁月さんに至っては、先週どころか昨日会わなかった?」

「制服の結女ちゃんに会うのは久しぶりだよ?」

「服ごとに別人なの私……」

「ソシャゲのキャラじゃん!」


 朝から景気良く大笑いする麻希さん。

 とりあえず私は抱きついてきた暁月さんを引き剥がす。暑い。九月になったとはいえ、気温はまだ夏みたいなものだ。


「いやー、終わっちったか、夏休みー」


 麻希さんが教室を見回しながら、名残惜しげに言う。


「なーんか、思ったより夏っぽくなかったなー。青春が足りないっていうか? まあ、合宿と部活の大会はあったけどさー。みんなも大して変わってなさそうだよなー」

「あたしもほとんど家でごろごろして過ごしちゃった。たまに運動部の助っ人は行ってたけど。宿題がキツかったなー」

「ホントそれな! 青春する暇なかったわー! かーっ!」


 暁月さんはしれっと、川波くんとプールに行った話を隠した。暁月さんの顔色ひとつ変えずに嘘ついたり隠し事したりできるところ、ちょっと怖い。


「奈須っちはー? 夏休みなんかあった?」


 水を向けられた奈須華さんは、少し東頭さんを思わせるぼんやりとした顔で、


「ウチも部活の大会があったくらいやな」

「なーんだ。同類かー」

「あと彼氏ができたくらい」

「なーんだ。彼――えっ?」

「「えっ?」」


 私たちはぎょっとして、奈須華さんのぼんやりした顔を一斉に見た。


「かれっ……え? なに? なんて言ったの?」

「部活の大会があった」

「そっちじゃないそっちじゃない!」

「ベタなことすんな! 彼氏のほうに決まっとるやろがい!」


 動揺のあまりガラが悪くなった麻希さんに、しかし奈須華さんはきょとんと首を傾げる。


「彼氏ができたって話?」

「そうそうそう!」

「ホントなのそれっ!?」

「うん」


 平然と肯く奈須華さん。

 はえー……と、呆然となってその顔を見つめる私たち。

 だって、奈須華さんは省エネ志向というか、すごいめんどくさがりで、異性になんか興味も示したことがない、女版の折木奉太郎みたいな人だから……まさか、よりによってこの人が、夏休みで一皮剥けてくるとは……。


「だれっ!?」


 麻希さんが一番に自失から脱して、奈須華さんに前のめりになった。


「だれ!? 誰と付き合ってんの!? ウチのクラス!?」

「部活の先輩やけど」

「告白されたの!?」

「いや、ウチから言うた」

「「「ええ!?」」」


 告白!? 愛の!? この年中ダルそうな顔で!?

 奈須華さんは照れもせず、


「『先輩、ウチに気ぃあるんわかってますから、付き合うんならさっさとしましょ』って」

「それって……告白、なのか?」と麻希さん。

「なんか思ってたのと違うなあ……」と暁月さん。

「でも奈須華さんらしいかも……」これは私。

「だってウジウジぐだぐだやっとる時間無駄やん」


 うっ!

 鋭利な言葉の刃が、私の胸に突き刺さった。人にはいろいろ事情があるんです……。


「ってか、奈須っちに恋愛感情あるって初めて知ったわ、わたし」

「ウチをなんやと思とんの」

「確かに『そんなんめんどくさい』って言って告白断ってそうなイメージよね」

「わっかるー!」

「先輩は特別や」


 突然飛び出た殊勝な台詞に、私たちは『おっ!?』と色めき立った。


「部活帰りにアイス奢ってくれはるし」

「やっす」


 色めき座った。

 東頭さんを散々変人扱いしてきたけど、奈須華さんも大概よね……。

 でも、私たちの知らないところで、奈須華さんが部活の先輩と毎日一緒に帰って、アイスを買ってもらって、それは先輩の不器用なアプローチだったりして、その好意をなんとなく察して――ってことがあったんだと思うと、なんだかドキドキしてくる。

 けど、当の本人は事もなげに、全然違う方向に視線を振った。


「恋愛感情云々っていうなら、ウチより伊理戸くんちゃうん?」

「あっ! そーそー! 伊理戸弟の話ね! 聞いた聞いた!」


 ドキリと胸が跳ねた。

 水斗の席は、夏休み前の席替えで私とはだいぶ離れて、廊下側の真ん中辺りにある。今はそこに川波くんが番犬のごとく陣取って、水斗に何か訊きたくてうずうずしているクラスメイトたちを牽制していた。


「めっちゃ噂になってんじゃん? 伊理戸弟と三組の女子の話! 伊理戸さん、あれってホントなん?」

「えーっ……と……」


 目を逸らす。どう言うのが正解なんだろう。私は視線で暁月さんに助けを求めた。

 暁月さんは、


「まあ正直に言えばいいんじゃない?」


 と軽く笑いながら言う。


「お? なになに? あっきーも事情通?」

「まあねっ。その子とは何回か遊んだことがあってさ――ってか、東頭さんのことなら、この四人でも前に話さなかったっけ?」

「東頭――あー、あの子か」


 そういえば、水斗が東頭さんと出会ったばかりの頃、奈須華さんは二人が一緒にいるのを目撃していたっけ。その割にはリアクションが薄いけど。

 一方の麻希さんは興味津々で、


「伊理戸弟こそ、恋愛興味なさそうの代表じゃん。一学期の中間からこっち、そういうとこが逆にウケてたっぽいからさあ、今回のスキャンダルはインパクト大だったよねー」

「前から噂はあったやん。伊理戸くんとずっと一緒におる女子がどうって、聞いたことあんで」

「その頃はまだそんなに話題になってなかったくない? ほら、伊理戸さんとの噂が元からあったっしょ? それに比べたらねー」


 またすいーっと目を逸らす私。その噂に関しては身から出た錆なので、抗弁のしようもない。


「でも、デートしてるのが目撃されたってなると、話は変わるっしょ。相手の女子――東頭さん? も、学校とは全然違う雰囲気で、超可愛かったらしいしさあ」

「あっはっは」


 暁月さんが白々しく笑った。私と並んで、学校とは全然違う雰囲気とやらを作った張本人である。


「で? どーなん? 付き合ってんの?」

「あー、まあ……」


 暁月さんの言う通り、下手に誤魔化すと噂に変な尾鰭が付きそうだ。


「付き合っては……ない、と思う」

「えー? んじゃガセネタ?」

「そんなもんやろ、噂なんて」

「じゃ、あれもガセ? その女子がグラビアアイドルも真っ青の巨乳って――」

「「それは本当」」


 私と暁月さんの声がハモった。


「うへー、マジか。一回見てみてー」

「紹介してもいいよ? 奈須華ちゃんは結構気合いそうだよね、結女ちゃん」

「確かに。雰囲気似てるわよね」

「おい。わたしは?」

「ヤンキーの方はご遠慮いただいて」

「誰がヤンキーじゃい!」


 笑いが起こる裏で、私は密かに心配していた。

 東頭さんの外堀がさらに固まっていることにではなく――彼女を襲っているであろう、劇的な環境の変化に。






◆ 東頭いさな ◆


 教室のドアを開いた瞬間、わたしは驚きました。

 だって、夏休み前までのわたしは、空気のように学校生活を過ごしていたんです。わたしが教室に入っても、挨拶どころか視線すら飛んでこない、それが普通だったんです。

 ところが――どうですか、この全身に突き刺さる視線の数々は。

 わたしと水斗君の噂のことは、結女さんたちから聞いています。

 水斗君、本当に人気あるんですね。びっくりです。まあ、わたしのほうが先に目をつけてましたけどね。


 わたしは視線を潜るように身を縮こまらせつつ、自分の席に座ります。

 ふー。なんだか落ち着きません。視線慣れしていないものですから。入学のときから大人気だったらしい結女さんは、ずっとこの中で過ごしているんですよね。尊敬してしまいます。


「――ねえ、東頭さん……」


 授業が始まるまで寝るか本を読むか迷っていると、おずおずと話しかけてくる声がありました。

 はて、誰に話しかけているんでしょう――あれ? いま東頭って言いました?


「あっ……わ、わたしですか?」

「うん、そう。わたしわたし」


 女子の方が二人、わたしの席の前に立っていました。二人ともクラスメイトの方で……名前は……えーっと……すみません! でも水斗君もたぶん同級生の名前覚えてないと思うのでセーフです!

 お二方は、まさか二学期にもなってクラスメイトの名前を把握していない奴がいるとは思わないのか、自己紹介しないまま話を進めます。


「あのね、ちょっと噂に聞いたんだけど……」

「七組の伊理戸くんとデートしてたって、本当……?」

「でぇと」


 結女さんたちからは、水斗君と一緒にいられるところを見られた、とだけ聞いています。その目撃シーンが、まるでデートしているように見えたってことなんでしょうか。

 とすると……とりあえず事実関係を確認せねば。


「あのぉ……それって、27日の話ですか?」

「あっ、そうそう!」

「やっぱり本当だったんだ!」


 え、いや、あの、日にちを確認しただけで、まだ答えてないんですけど……。

 訂正しようとしましたが、遅きに失しました。

 聞き耳を立てていたのか、まるでタイミングを見計らったかのように、教室中の女子の方たちがわらわらと集まってきたのです。


「いつから付き合ってるの!?」

「合宿のときもよく一緒にいたよね!?」

「なんで黙ってたの!?」

「伊理戸くんって実際どんな感じ!?」

「水臭いじゃん!」


 あわわ、あわわ、あわわわわわ。

 怒涛の質問責めに、思わずヨッシーみたいになるわたしです。一気に話されても聞き取れませんし、なぜかいきなり友達感覚の人がいますし、答えようにも隙がありませんし、なぜかいきなり友達感覚の人がいます。

 何より、完全に付き合ってると思われてます。

 さすがのわたしも、じわじわと焦りを感じてきました。だって、わたし、付き合ってませんもん。フラれてますもん。勘違いとはいえ、このままでは騙しているようで気が引けます。早く……今のうちに否定しておかなければ……!


「あ、あのっ……!」

「ねえ! 夏休みはどのくらい会ってたの!?」

「え。だいたい毎日……」

「毎日!?」「超ラブラブじゃん!」

「あ、いえ、でも、水斗君が帰省してるときは――」

「水斗君って呼んでるんだー!」「ねえねえ、どこでデートするの? 毎日行ってたら行くとこなくなんない?」

「え? いや、いつも水斗君ち行ってたので……」

「家!? 毎日!?」「半同棲じゃんそんなん!」


 きゃーっ! と黄色い歓声を上げる女子生徒の皆さん。

 ど、どうしましょう……。反射的に答えていたら、噂を否定する機会を逸してしまいました。

 けど……ちょっと、嬉しくなっている自分がいます。

 半同棲。半同棲……。そうだったのかぁ……。


「告白は!? どっちからしたの!?」

「え、あ、まあ、一応わたしから……」


 フラれましたけど。


「なんてー? なんて言ったのー?」

「いやー、まあ、それはちょっと……」

「照れてるー! かわいいー♪」

「えへ、えへへ」


 クラスメイトとこんなに会話したのはいつぶりでしょうか。

 もしかすると人生で初めてかもしれません。

 まあ、本当は付き合ってないんですけど、嘘は言ってませんし……もうちょっとだけ、彼女面してみてもバチは当たらない――ですよね?






 始業式を終えて放課後になると、わたしは夏休み前の習慣の通り、図書室に足を向けました。

 気のせいかもしれませんけど、廊下を歩いてるだけでちらちら見られている気がします。優越感と所在なさがないまぜになって、なんともゆらゆらした気分です。


 いやあ、それにしても、びっくりしちゃいますよね。わたし、全部正直に答えてるのに、何にもボロが出ないっていう。結女さんなんかは、いつもわたしと水斗君がやってることを恋人みたいだって言ってましたけど、まさか本当だったとは思いませんでした。

 とはいえ、図書室でまであんな風に騒ぎになったら、他の人の迷惑になっちゃいますよね。見つからないように気を付けなくては。


 ちょっとした有名人気分で、きょろきょろと人目を気にしつつ、図書室に入ります。

 いつもの定位置――窓際の隅を目指して、……あれ?

 今更なんですけど、水斗君、いるんですかね?

 確かに一学期はいつもあの場所で会ってましたけど、夏休み挟んじゃいましたし、水斗君がいるとは限らないんじゃあ……。

 一抹の不安を覚えつつ……ひょいっと、本棚の向こうを覗き込みました。

 そこには――窓際の空調機に浅くお尻を引っかけた、水斗君がいました。


「……うぇへへ」


 一学期は当たり前のことだったのに、何だか嬉しいです。

 二学期も、水斗君は毎日ここにいてくれるみたいです。

 あの約束を……守ってくれてる、ってことなんですかね。


「……ん。よう」


 水斗君はわたしに気付いて、読んでいた本から顔を上げました。

 わたしはそこに近付きながら、


「久しぶりだったのでいないかと思いました」

「習慣ってのはそうそう抜けないもんだよ」

「今日は何読んでるんですかー?」


 いつも通りに話しながら、わたしは鞄を置き、靴と靴下を脱いで窓際空調の上に座ります。

 安心感がありました。

 人の少ない図書室の、誰にも見られない隅っこで裸足になって、隣には水斗君がいる……この環境が、まるで自分の部屋にいるみたいに、わたしをほっとさせてくれました。

 うーん……クラスの人にちやほやされるのも楽しいですけど、やっぱりこっちのほうが性に合ってますね。無人島に何でもひとつだけ持っていけるとしたら、わたしは水斗君を持っていくでしょう。


「――あ、あれ……」

「ホントだったんだ……」


 と。

 こそこそとした女子の話し声が、かすかに耳朶を打ちました。

 見ると、閲覧スペースに座った女子生徒が、何やらちらちらとこっちを見ながら囁き合っています。あら。こんなところにも水斗君のファンが?

 水斗君がそちらを見やると、女子たちはすいっと目を逸らします。

 それを見て、水斗君は軽く眉をひそめました。


「……気になりますか?」


 水斗君は、たぶん、人に注目されるのは好きじゃありません。

 考えてみれば当然のことです。今の状況は、水斗君にとって、好ましいことではないはずです。

 けれど水斗君は、わたしの質問には答えずに、


「君こそ大丈夫か?」

「ええ、まあ、ちょっとちやほやされて、ちょっといい気になってるだけです」

「やめとけバカ」

「あう」


 頭を軽く小突かれます。

 いつも通りの、気安いツッコミです。

 けれど、その瞬間、さっきの女子たちが、きゃあっと小さく声を上げました。


「っと……」


 水斗君は慌てて手を引っ込めます。

 それから、誤魔化すように髪を指先でいじって、小さく息をつきました。


「……君、実際なんて言ってる?」

「え?」

「クラスメイトとかに。訊かれるだろ」

「えっとー……」


 さっきの『ちょっといい気になってる』は冗談じゃなくてマジだったんですけど、もちろん言えません。


「嘘は言ってない、はず、ですけどー……」

「なんか気になる言い方だな……。まあ、だったら大丈夫か。今んとこ僕はノーコメントで貫いてるし」

「大丈夫じゃないことがあるんです?」

「そりゃだって、もし君が周りに合わせて付き合ってるって答えたとして、一方の僕が付き合ってないって言ったらどうなる?」

「どうなるんですか?」

「君が付き合ってるって勝手に言い張ってるヤバい奴になる」

「……、おわ!? ホントじゃないですか!」

「考えてなかったんだな……」


 考えてませんでした。

 危ない危ない。調子に乗ってホラ吹いてたらどうなってたことか。


「じゃあ、あれですね。口裏合わせとかないとダメですね」

「そうだな。ま、ムキになって否定するのも逆効果になりそうだし、このまま曖昧に濁しておくのが無難だろうけど……」

「わかりました……! 全力で濁します!」

「不安だな……。はあ、まったくめんどくさい」


 水斗君はうんざりと溜め息をつきました。


「どいつもこいつも、本当に暇だよな……」


 ……確かに、クラスの人に話しかけられるのはちょっと嬉しいです。

 わたしは水斗君より俗物なので、注目されると若干気持ちいいです。

 ですけど……それで水斗君に迷惑がかかっちゃうのは、絶対に嫌だなあ、と思いました。






◆ 川波小暮 ◆


「で? どーよ、そっちの状況は」


 晩飯の宅配ピザをあーんと口に入れながら、オレは対面の暁月に訊いた。

 暁月もチーズをぐにょーんと伸ばしつつ、もう片方の手でスマホを操作する。


「一年女子の間ではもうだーいぶ広まってるかなー。でも、悪意はなさそうだから放置しても問題ないとは思うけど」

「本当かぁ? ねーのかよ、『あいつチョーシ乗ってない?』みてーなやつ」

「あんまりないね。あったとしても、みんなが褒めてるものをとりあえず貶したい人って感じ。伊理戸くんの人気が本格化する前だったのが幸いしたかも。変人同士で納得感もあるしさ」

「はッ、オレはまったく納得してねーけどな」

「男子のほうは?」

「女子に比べれば大して話題にはなってねーな。ただ、ブラコンってことにして男避けしてた伊理戸さんのほうにちょっかいかけようとする馬鹿がいるかもしれねーけど……」

「絶対潰しといてよね、そんなの」

「言われなくてもやってるって」


 オレもスマホをすいすいと操作しながら、


「……つーことは、やっぱり火消しはしなくていいのかね」

「やっぱりって?」

「伊理戸の奴にさ、鬱陶しいなら何とかしてやろうかって言ったらよ、余計なことすんなってさ」

「余計なことかぁ……。伊理戸くん的には、周りにどう思われようがどうでもいいのかな」

「いや……ってよりは……」


 オレは思い出す。

 火消しを提案するオレに、伊理戸はこう言ったのだ。


 ――東頭を馬鹿にしてるのか


「どう思うよ?」

「ううーん……」


 暁月は眉を寄せ、悩ましげに首を捻った。


「……東頭さんってさあ、あたしや結女ちゃんの前ではすごい乙女なんだよね。伊理戸くんに褒められて照れまくったり、逆に怒られて落ち込んだり……なんか年下の子をお世話してるみたいな気分になんの」

「はあ? それがなんだよ」

「伊理戸くんって、そういうところ、知ってるのかなあ……」


 このサイコ女には珍しく、少し心配そうな声音だった。


「東頭さんも普通の女の子だってこと、わかってるのかなあ……」






◆ 東頭いさな ◆


「――ねえ、東頭さん! お昼、一緒に食べない?」


 翌日も、東頭いさなピックアップ期間は続いていました。

 お昼に誘われるなんて、覚えている限りでは人生初の出来事です。水斗君や結女さん、南さんとは、お昼休みには滅多に会いませんし。


「え、あ、……わ、わたしでよければ……」

「もちろん! 行こ! あ、お弁当持ってる? それか購買?」

「い、いえ、ありますっ、お弁当……!」


 お母さん……今日は作ってくれてありがとうございます。どちらかといえば大あくびしながら小銭を渡されることのほうが多いので、睡魔の神様に感謝です。

 こんなに上手くいくと何か騙されてるんじゃないかという気分になってきますが、誘ってくれた方々はみんな優しい人でした。相変わらず名前は覚えきれてませんが……。


「伊理戸くんとは家族ぐるみの付き合いなんでしょ? じゃあ伊理戸さん――あ、ええと、お義姉さん? のほうとも知り合い?」

「あっ、はい……。結女さんも、たまに遊びに誘ってくれたりしますけど……」

「えー!? そうなんだ!」「羨ましいー!」


 ご飯中の話題は、やっぱり水斗君についてでした。よく質問が尽きないなあと感心するくらい、根掘り葉掘り聞き出されます。もしかして水斗君狙いなんじゃないかと疑いもしましたけれど、どうも単純に好奇心があるだけみたいに思えます。

 わたしもできる限りは答えますけれど、水斗君や結女さんのプライバシーに関わることは話さないようにしています。そこもちゃんとわかってくれている方がいて、わたしが答えを渋る様子を見せると「それは話せないでしょー」と言って、お友達を諫めてくれます。そういうところを見ていると、本当にいい人たちなんだなってことがわかります。

 でも――


「いやあー、でも素敵だよねー。伊理戸くん、あんな大人しい顔してさあ」「そうそう。喧嘩なんか全然できなさそうなのにね!」

「はい?」

「東頭さんが不良に絡まれてるのを助けてくれたんでしょ?」「やば! 少女漫画みたいじゃん! 憧れるわー!」

「……はい?」


 そんなこと……言った覚え、ありませんけど?


「東頭さんの手を引いて逃げたんだって!」

「あれ? 不良を全員ボコったんじゃないっけ?」

「いやいや論破してヘコませたんでしょ?」

「お姫様抱っこで逃げたって聞いたけどー?」


 お……尾鰭が! 噂に尾鰭が付きまくってます!

 し、知らないうちに水斗君がスーパーマンに……! そういうイメージなんですか!? みんな水斗君に白馬の王子様になってほしいんですか!? わかりますけど!


「あ、あの、それは、ちが――」

「伊理戸くんって料理もできるんだよね、東頭さん!」


 皆さんが一斉に、わたしに注目しました。

 あ……。

 期待しています。皆さん、わたしから水斗君カッコいいエピソードが語られるのを。言われるまでもなく、目でわかります。

 でも、皆さんが思うほど水斗君は完璧じゃないんです。お昼から遊びに行っても寝起きでぼーっとしてますし、寝癖が三日くらい直ってないこともありますし、腕立て伏せもほとんどできなくて、喧嘩なんてしたら殴った手のほうがどうにかなっちゃいます。

 だから、否定しないと……否定しないと――


「――料理、は、結構できる……みたいですよ?」

「やっぱりそうなんだ!」「家庭的で頭良くて喧嘩強いとか最強かよ!」「しかも顔かわいいし!」「顔ね!」「顔がホントいい!」

「わかります顔可愛いですよね!」


 嘘じゃないんです! 料理できるのと顔可愛いのはホントなんです! 空気を壊す勇気がなかったわけではないんです!

 本当に……騙してるつもりは、ないんです。






 放課後の図書室は、心なしか昨日よりも人が増えている気がしました。

 毎日人数を数えているわけではないので、本当に気のせいかもしれませんけれど、わたしと水斗君がいつもの窓際で本を読んでいると、こそこそと小さく話す声が、妙に耳につくんです。

 わたしたちの話じゃないかもしれません。悪意があるわけでもないかもしれません。けれど、夏休み前までの静けさを知っている身からすると、それは明確なノイズでした。

 図書委員とか司書さんとかが、私語厳禁って怒ってくれたらいいんですけど――あ、いや、それだと、まずわたしと水斗君が真っ先に怒られちゃいますね。


 水斗君のほうも見られているのを気にしているのか、夏休み前や家にいるときに比べると、わたしに触れるのを自重している気がします。いつもは手慰みに髪撫でたり耳触ったりが当たり前だったのに、今日は全然なしです。密かに楽しみにしてたのに欲求不満です。

 何より、いつもより眉間にしわが寄り、表情も固い気がします。……舞い上がっているわたしより、水斗君のほうがストレスになっているのかもしれません……。


「あの……場所、変えましょうか?」


 控えめにそう提案してみると、水斗君は微笑みました。


「大丈夫だよ。気にするな」


 大丈夫って、水斗君はいつもそう言います。

 でも、本当にそうなんでしょうか。わたし、全然頼りになりませんし、困ったことがあってもわたしには相談できないだけなんじゃないでしょうか。

 告白のときでさえ――水斗君は、元カノがいたことを明かしませんでした。

 わたし、馬鹿で単純ですから、恋人にはなれなくても友達のままでいてくれるって、そうなったことのほうが嬉しくて、長い間、気にしませんでしたけれど――あんなの、絶対、わたしを悲しませないためじゃないですか。少しでもショックを与えないように、気を遣ってくれたんじゃないですか。

 告白が失敗した直後に、いつもみたいに遊びたいって、そんな常識からズレた我が儘さえ、文句一つ言わずに聞いてくれて……。

 本当に、大丈夫なんですか?

 わたし――ちゃんと、できてますか?


「君はいつも通りにしてれば、大丈夫だ」


 大丈夫。大丈夫。大丈夫。

 そうですよね。

 わたしは、そうしておけばいいんですよね?


「……教室でのわたしなんて、見たことないじゃないですか……」

「え?」


 あ。

 ……わたし、何言いました?


「東頭……?」

「どうしました、水斗君?」


 気遣わしげな水斗君に、わたしは調で訊き返します。

 危ない危ない。

 また――空気が、読めなくなるところでした。






 何か特別なイベントがあったわけじゃありません。

 日常的な積み重ねと、愚かな繰り返しがあっただけのこと。

 ただ、わたしが『変な子』であり、それを治すことができなかっただけのことなのです。


 例えば、小学生の頃のことです。クラスの男の子二人が喧嘩をしました。理由はよく覚えていません。たぶん、どっちかが悪口だか何かを言って、もう一人が殴り返したとか、そういう感じだったと思います。

 二人は掴み合いの喧嘩になって、先生に引き剥がされて、それからどっちも泣き出しました。事情を聞いた先生は、二人にこう言いました。


 ――どっちも悪かったから、お互いごめんなさいして、仲直りしようね


 いま思い返しても、ええ? と思います。

 両方謝るにしても、それは先に攻撃したほうが先に謝るべきに決まっています。何よりその二人は、普段から別に仲良くなんてありませんでした。仲良くもない相手と、どうやって仲直りしようっていうんでしょう――

 先生は、本当に話を聞いていたんでしょうか?

 というか、この二人のことをちゃんと覚えていたんでしょうか?


 そのまま言いました。

 その喧嘩に一ミリも関わっていなかったわたしは、感じた疑問をそのまま先生にぶつけました。


 そのときの教室の空気だけは、鮮明に覚えています。先生は気まずそうな顔をして黙り込み、クラスメイトたちは『なんで余計なことを言うの?』という顔で、わたしを見つめていました。そして当の喧嘩していた男子たちは、恥ずかしそうに唇を引き結びながら真っ赤な顔をして、わたしを睨んでいたのです。

 覚えています。その学期の通知簿には、『少し協調性に欠けるところがあります』と書かれました。協調性、という言葉をケータイで調べたわたしは、すっごくショックを受けました。要するに、みんなと仲良くすることができないってことです。先生はいつも、クラスメイト36人全員に向かって、『みんなと仲良くしましょう』って言っているのに。

 泣きながらお母さんにそう言うと、お母さんは大笑いしました。


 ――仲良くしろって!? 36人全員と!? そんなもん、はっははは! できるわけねーだろアホか! ぶあっはははは!!

 ――おい見ろ、いさな! アタシのアカウントにはフレンドが112人もいるが、こいつらはみぃんな、アタシがミスると容赦なく罵倒を浴びせてくるぜ! それでもゲーム中は仲間! シットだのファックだの言いながらも、物資があればくれてやり、敵に襲われたら助けてやる――仲良くなんてならなくて結構! 言いたいことは言え。喧嘩になってもいい! それで困んのはガキの本音も受け止められねえしょーもねえ先公だけさ! はっははははは!!


 お母さんはわたしの憧れでした。お母さんみたいに自由に、堂々と生きたいって、わたしはいつも思っていました。だから通知簿よりお母さんを信じました。言いたいことは言う。喧嘩になってもいい。お母さんの言った通りに、することにしたのです。

 結果、小学校では一人も友達ができず。

 一人ぼっちのまま中学生になって、そして――


 ――ねえ、東頭さん。空気読もうよ

 ――みんなうんざりしてるよ? 余計なことばっか言ってさ

 ――うるさいな! みんなはみんなでしょ!? そういうとこがウザいって言ってんの!


 空気ってなんですか?

 みんなって誰ですか?

 わたし、間違ったこと言ってますか?


 ――東頭、お前にも言い分があるのはわかる。だがな、少しは折れることも知らんと、社会ではやっていけんぞ

 ――そんな態度が通用すると思っとるのか! 常識で考えろ!


 社会ってどこですか?

 常識ってなんですか?

 なんで……みんな、怒るんですか?


 わかりません。わかりません。わかりません。

 何も教えてくれないじゃないですか。なんで知ってるのが当然みたいに言うんですか。みんな違ってみんないいんでしょう? そんな歌、小学校のときに歌いましたよ? なのになんで違うことを言ったら怒られるんですか。みんなと同じ風にしろって言うんですか。


 できませんよ。


 わたしはみんなみたいに、人に積極的に話しかけられません。教科書を貸してもらいに行けません。消しゴムを落としたのを言えません。体育で二人組を作れません。社会見学の感想文が書けません。歌のテストで声が出ません。給食が全部食べられません。

 みんなが当たり前にできることが、わたしにはできません。

 これは、わたしのせいなんですか? わたしが悪いんですか? 努力でなんとかなることなんですか? 頑張ればみんなみたいになれるんですか? じゃあどうして、みんなは頑張って、わたしみたいになってくれないんですか? 自分がやろうとしないことを、どうしてわたしにやらせようとするんですか?


 わたしにばっかり、お前は変だって言って。

 わたしから見たら、みんなのほうが変なのに。


 お母さんはわたしの憧れです。でもわたしは、お母さんみたいになれません。人に嫌われても笑い飛ばせないし、好き放題やりながら友達が作れるほど人望もありません。

 なれるものなら、みんなみたいになりたいです。誰に教えられなくても空気が読めて、常識を勝手に身につけて、大人に褒められて、社会で普通にやっていける人間になりたいです。でも、なれません。だってたぶん、そんなことをしたら、わたしはわたしではなくなってしまいます。


 ライトノベルのキャラみたいに、自分のまま生きられる世界はどこにあるんでしょう。

 異世界に行けばいいんでしょうか。この世界ではどうしようもないわたしでも、異世界に転生すれば生きやすくなりますか?


 しょうもない妄想だなあと思います。

 浅ましい現実逃避だと、我ながら溜め息が出ます。

 けれど、中学生のわたしにとっては、たったひとつの選択肢で。

 だから――同じ中学の誰も行かなそうな、進学校に行くことにしたんです。

 だって、ほら、京大は変人だらけだってよく言いますし。

 頭のいい人がいっぱいいる場所に行けば、わたしみたいな人がいっぱいいるかなあって――わたしが『みんな』になれるかなあって、思っちゃったんですよ。


 結局……大して変わりませんでしたけど。

 みんなは結局みんなのままで。わたしは結局わたしのままで。


 ――このシリーズ、君も好きなのか?


 だけど、水斗君に出会えました。

 水斗君だけが、わたしに怒らないでくれました。

 空気を読めとも、常識で考えろとも言わないでくれました。

 わたしがおかしなことをしたら、何がおかしいのか教えてくれました。

 わたしよりも、変なことを言ってくれました。

 一緒にいてくれるって……言ってくれました。


 だから――

 たとえクラスメイトを、先生を、困らせたとしても。

 ――水斗君を困らせることだけは、しちゃいけないんです。






「東頭さん、昨日、伊理戸くんと図書室で会ってたんだって?」

「ホントにラブラブだねー!」


 翌日の昼休みも、同じ女子の方々が話しかけてくれました。

 その気持ちは嬉しいです。本当に嬉しいです。

 けど……わたしには、優先順位があります。


「ほら、お昼行こ。話聞かせてよ――」

「あ、あの!」


 勇気を出して大きめの声を出すと、皆さん口を止めて、わたしの顔を見てくれました。

 わたしは……思わず、顔を俯けてしまいましたけど、それでも……言うべきことを、口にします。


「わ、わたしっ……水斗君とは、付き合って、ません」


 言いました。

 言ってやりました。

 これが真実です。わたしは水斗君の彼女じゃありません。どころか、告白してきっぱりフラれた負け犬女です。

 だから、もう……水斗君を、わたしたちを、そっとしておいてあげてください。


 少し、間がありました。

 わたしの意図を測りかねるような間でした。

 それから、いつもわたしの事情を気遣ってくれる方が、


「またまた。恥ずかしがらなくてもいいよー?」


 と言って、わたしの肩をポンと叩きました。

 悪気はなかったと思います。

 悪いのは、どちらかといえば、上手く気持ちを伝えられないわたしのほうだと思います。

 でも、仕方ないじゃないですか。

 わたしにはこうすることしかできないんです。


「――本当ですっ!!」


 自分で思った以上の、大声が出ました。

 教室がしんと静まり返り、全身に不審なものを見る視線が突き刺さる感触がありました。

 ど……怒鳴るつもりは、なかったん、ですけど。

 わたしは……でも……いえ……じゃなくて……。


 すみません。


 すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。


「……す、すみません……」


 胸の中に渦巻いた気持ちの、ほんの一部を小さな声で呟きました。

 聞こえたでしょうか。わかりません。わたしには、人がちょうど良く聞こえる声量というのが、全然わからないんです。


「あ、いや……」


 気まずそうに、わたしの肩から手が離れます。


「……なんか……ごめんね?」


 そう言って――女子の方々はわたしから離れて、何か小さな声で話し始めました。

 また……空気読めてないって、言われてるんでしょうね。


「……ふう」


 息をつきました。

 肩の荷が降りた気分です。

 それっきり、周囲の情報を遮断して、わたしは教室を出ました。

 今日はお母さんが、お弁当を作ってくれなかったのです。






◆ 伊理戸水斗 ◆


「……まだ来てないのか」


 いつものように図書室に足を運んだが、東頭の姿はまだなかった。

 荷物を窓際空調の上に下ろして、読みかけの文庫本を取り出す。授業が長引いているのか、掃除でもあるのか。まあ、しばらくすれば来るだろう。


 そして――僕は、本を読み終わった。


 ん?

 僕は首を傾げる。今、何時だ? 読み終えた本を鞄の中に戻して、スマホを出した。

 ……午後5時?

 僕が図書室に来てから、すでに一時間は経っている――授業も掃除も、とっくの昔に終わっているはずだ。

 東頭が来る気配はない。

 LINEをチェックしたが、連絡は来ていなかった。どうしたんだ、あいつ? 風邪でもひいて休んでるのか?


 静かな図書室に、カウンターの図書委員がぺらりと本をめくる音が響く。

 ……静かな?

 今更ながらに気が付いた。

 昨日、こそこそ僕たちを盗み見ていた野次馬が、いない。

 飽きてくれたのか? こんなに早く? だとしたら喜ぶべきことだが――

 僕の脳裏に不意に浮かんできたのは、昨日、東頭が小さく呟いた言葉だった。


 ――……教室でのわたしなんて、見たことないじゃないですか……


 あんな東頭は……見たことがない。

 僕の知っている……東頭じゃない。

 そのとき、ポコン、と、手に握りっぱなしのスマホが、通知音を発した。

 開きっぱなしのトーク画面が、動いている。


〈ごめんなさい。今日は行きません〉


 あまりにも今更な、東頭からのメッセージだった。

 僕はすぐに返事を打つ。


〈どうした? 風邪でもひいたのか?〉


 既読が付く。

 少しだけ、間が空く。


〈ちょっと用があって。すみません〉


 違和感があった。

 それだけの返事を打つのに、なんでそんなに時間がかかった?

 なんでこんなに素っ気ないんだ? いつもなら『看病してくれますか?』とでも返してくるところだろう。

 それに――何より。

 なんで、そんなに謝る?


〈クラスで何かあったか?〉


 また、少し間。


〈何もありません〉

〈しばらく会わないほうがいいと思ったんです〉


 立て続けに二つ来たメッセージに、僕は眉をひそめる。


〈何か言われたか?〉

〈君らしくもない。周りの言うことなんか気にするな〉


 急かされるようにそう送ると、今度はすぐに返事が来た。


〈これがわたしなんです〉

〈ごめんなさい〉


 それからは、メッセージを送っても返事が来なかった。






 リビングのソファーに寝転がって、天井を見つめる。

 本を読む気にならなかった。

『ごめんなさい』という無機質な文字が、ずっと目に付いて離れない。本を読もうとしても、その六文字がページの上に被り、何も頭に入ってこないんだ。

 だからただ、天井を見ていた。

 そこに映る、東頭の『ごめんなさい』だけを見ていた……。


「……ねえ、大丈夫?」


 すると、それを覆い隠すように、結女の顔が現れた。

 結女は背もたれ越しに、長い髪をかき上げながら僕の顔を覗き込む。


「靴下穿かせてる話まで噂になってるわよ? 少しくらい隠れなさいよ。あんな図書室の隅っこ、見ようと思えば誰でも見られるんだから――」

「――なんでだよ」

「うわっ」


 僕が勢いよく起き上がると、結女は声を上げて顔を避けた。

 怒りが込み上げる。

 何もかもが癪に障った。世界の何もかもが疎ましかった。


「僕と東頭は、ずっと前からあの場所で話してたんだ――なのに、なんで僕らが逃げなきゃならない。なんで僕らが隠れなきゃならないんだよ? なあ!」

「ちょ、ちょっと……どうしたの?」


 結女が困惑げに見ているのに気付いて……僕はようやく、自分が熱くなっていたのに気付く。

 息の塊を吐き、ゆっくりとかぶりを振る。頭は少し冷えたが……胸の中にぐつぐつと煮える怒りは、消え去らない。


「……悪い」

「いいけど……」


 結女はじっと、僕の顔を見つめた。

 かと思えば、


「ちょっと、詰めて」

「は?」

「いいから! ちょっと場所空けて!」


 言われるままにソファーの端に動くと、空いたスペースに結女がボスン! と腰を落とした。

 それから、膝に手を置いて、まっすぐに僕を見た。


「喋れ」

「……はあ?」

「洗いざらい喋って! 東頭さんと何かあったの!?」

「君には関係な――」

「はい言うと思ったぁー! それには反論考えてあるから! 家族と友達の話が、関係ないわけないでしょうが!」


 僕は押し黙る。

 不覚にも……論破されてしまった。

 結女は眉を下げて、泣いた子供をあやす母親のような、柔らかな声音で言う。


「……どうしたの? 何か嫌なこと言われた?」

「いや……」

「もし調子乗って嫌がらせとかしてくる人がいたら、どんな手を使ってでもわからせてやる――って、暁月さんが言ってたけど」

「何するつもりなんだ、あの人は……」


 ああ、くそ、もう。

 勘違いでわからせられる人間を、出すわけにはいかないだろ。


「……少なくとも、僕は何もされてない。川波がボディーガードやってるし」

「それは知ってる。ってことは東頭さん?」

「……、それも、わからない」


 僕はこめかみに指を当て、眉間にしわを寄せる。


「川波から聞いた話だけど、東頭のほうもイジメみたいなことは起こってないって聞いてる。ちょっと女子に話しかけられてるだけだって。本人も似たようなこと言ってた。なのに……」


 僕は、東頭がいつもの場所に来なかったことを結女に話し、LINEのやり取りも見せた。こうなったら恥も外聞もない。


「僕に気を遣ったんだとは思う。でも、告白の失敗すら乗り越えた東頭が、今更周りのことなんか気にするはずが――」

「――はあぁあぁぁぁ……」


 長く深い溜め息が、結女の口から溢れた。

 僕は首を傾げる。


「なんだよ」

「……今から私は、人生で初めてこの言葉を口にするわ。はしたないとは思うけど、これ以外にあなたを表現する言葉が見つからないから」

「は?」


 びしり。

 と、結女は僕を指差して――顎を逸らし、高圧的に告げた。




「このっ――――童貞が!!」




 ぴしり。

 と、僕は石のように硬直した。


「告白の失敗すら乗り越えた? 今更周りのことなんか気にするはずがない? なんっっっにもわかってないわね! これだから童貞は! 女子に幻想を持ちすぎなのよ!!」

「いやっ……は? 幻想なんて――」

「持ってるでしょ! 東頭さんに勝手な理想を押し付けてるじゃない! どうせ文学かぶれのあなたのことだから、東頭さんのことをこっそりファム・ファタール呼ばわりしてるんでしょきっしょ!!」

「呼んでない!!」


 読書家が全員、身近な女子をファム・ファタールって呼んでると思ってるのかこの女。どんな偏見だ!


「周りのことなんか、気にするに決まってるでしょ!?」


 恥も外聞もなく唾を飛ばして、結女は言う。


「自分のことだって気になるし――好きな人のことなら、尚更じゃない」

「……………………」

「鬱陶しかったんでしょう? 東頭さんと二人だけの場所が好奇の目に晒されるのが。それを態度に少しも出さなかったって言える? そんなあなたを見て、東頭さんがどう思うかわかる? あの奥手で、臆病で、空気が読めないようでたまに読めるあの子が、少しも怖がらないって本当に言える?」


 東頭は……たまに、不安そうに僕の顔色を窺うことがある。

 僕はそのたびに言った。大丈夫だって――約束通り、僕は変わらないからって。


 ――んー。わたしもそんなに落ち着いてるほうではないと思いますけど

 ――……嫌、ですか?

 ――今日、機嫌悪くないです?


 それだけで、本当に大丈夫だったのだろうか。

 彼女は本当は、何を不安がっていたのだろう。

 僕は――東頭いさなを、本当に知っているのか?


「あの子は本当は、普通の子なのよ。あなたが大好きで、そのあなたが東頭さんを周りに左右されない変人だって思いこむから、それに合わせていただけよ。そうじゃないと、やっぱり、あんなに簡単に友達には戻れない。きっと失恋の傷を押し隠して――」

「――ありがとう。もう、いい」


 僕は結女の言葉を遮る。

 自分の不明は、充分にわかった。

 だが――それでわかった気になれるほど、僕は東頭いさなを過小評価していない。

 僕に合わせていただけ?

 失恋の傷を押し隠して、友達に戻った?

 


「君の意見は、わかった。本当に参考になった。……だけど僕は、それを頭から信じるわけにはいかない」

「……どうして?」

「言うなれば、君は東頭の厄介オタクだからな」


 不審そうにする結女に、僕は告げる


「原作設定こそが正義だ」






「もしもし」

『……水斗君?』

「やっと出てくれたな」

『すみません。ゲームやってて……』

「4時間もか?」

『そんなものですよ』

「まあ、4時間もコールし続けてた僕のほうが変か」

『……本当に、そうです』

「夜も遅い。雑談は控えたほうが良さそうだな」

『別にいいですよ?』

「いや、今日は単刀直入に言うよ。東頭、僕は君を誤解していたのか?」

『……どういうことです?』

「僕は君を強い人間だと思っていた。たとえ傷付いても、すぐにそれを乗り越えられる芯のある人間だって」

『いやいや、わたしほど弱っちい人間はいませんよ』

「結女はそう言ってた。君は実は普通の子で、僕が変な奴だって思いこむから、それに合わせてただけなんだって」

『……んー。そういうとこも、あるかもですね。よくわかりませんけど』

「変な話だ」

『何がですか?』

「君、前に言ったよな。あれは確か……結女の奴に言われて、君の僕への呼び方を変えてもらおうとしたときだ」

『あー、わたしが頭に血を上らせちゃって、結女さんを呼び出したときのことですね。その節はどうもご迷惑を……』

「そうだ。そのとき、君は言っただろう――『一方的な決めつけは許せない』って」

『……言い、ましたかね。頭に血が上ってたので……』

「あんな風に怒った君が、僕の思い込みに――一方的な決めつけに、合わせてたっていうのか?」

『適当ですよ。怒ってるときの発言なんて……』

「怒ってるときこそ本性が出るもんだろ。あのとき、僕は思ったよ。君には芯があるんだなって。不当な理由でそれを曲げられるのが許せないんだなって」

『……うまいですね、水斗君。全部いい風に言ってくれます』

「僕が間違いを認めたら、君は驚いたよな。『謝ってもらったのは初めてだ』って。あのとき、わかってくれたんだと思ってた。僕相手には空気を読む必要なんかない、言いたいことを言ってくれたらいいんだって」

『……………………』

「これも……僕の思い込みだったのか?」

『…………そんなこと、ないです』

「……………………」

『大丈夫なんだって、思いました。この人は、わたしの言うことを受け止めてくれるんだって』

「今も、そう思ってくれてるか?」

『……もちろんです』

「告白のときもか?」

『えっ?』

「告白の後、君が空気を読まずに、いつも通りに一緒に帰ろうと言い出したときも――僕のことを、信頼してくれていたのか?」

『……………………』

「どうなんだ?」

『…………信じて、ましたよ』

「……………………」

『そうじゃなかったら……あんなこと、言えるわけないじゃないですか』

「……そうか」

『あのとき、水斗君は空気の読めないわたしの代わりに、空気を読んでくれました。わたしを気遣ってくれました』

「ああ」

『あのときは、本当に救われて――本当に、みじめになりました』

「……それは……」

『ふふ。びっくりしました。そっか。みじめだったんですね。わたし、あのとき――』

「なんでだ? あのときの君は立派だった。僕は……あのときほど、人を尊敬したことはない」

『過大評価ですよ。そう言う水斗君のほうが立派でした。素敵で、強くて、堂々としていました。わたしは――水斗君みたいになりたかった』

「……………………」

『友達なんて必要としなくても、一人で強く生きていけるようになりたかった。だって、そのほうがカッコいいじゃないですか。比企谷八幡みたいです。綾小路清隆みたいです。司波達也みたいです。最強の主人公みたいです。誰だってできるなら、そういう風に生きてみたいじゃないですか』

「……………………」

『でも、わたしにはできません。できないんですよ。わたしは変な子なんかじゃありません。普通の子でもありません。ただの、空気が読めない奴です。それは希少でも貴重でもないんです。単に、能力が足りていないだけなんです――隠された実力なんて何もない、ただの単なる落ちこぼれなんです』

「……………………」

『今回も、わたし、空気を読み損ねたみたいですね。しばらく会わないようにしようなんて、水斗君は望んでなかった。思えば、曖昧に濁しておこうって決めたはずなのに、わたし、クラスの人に付き合ってないってはっきり言っちゃいました……。本当に、こんなことばかりなんです。頭ではわかっているはずなのに、そのときになったら絶対、間違ってるほうの選択肢を選んじゃうんです』

「……………………」

『今も、今もですよ。なんでわたし、こんなに長々自分語りなんかしちゃってるんですか。絶対に後で後悔します。悶絶します。忘れたくなります。でもやっちゃうんです。空気が読めないんです。全部全部、自分、自分で、周りのことが見えなくて――えへへ。変な子だって言われるときもね……実は、ちょっと嬉しいんですよ。本当に変な子だったら、そんなこと思わないでしょうけど……呆れるくらい、凡百の発想ですよね』

「……………………」

『だから、何をするにつけても中途半端なんです……。絵を描いても、小説を書いても、配信をしてみようと思っても、全部、人に見せる直前でやめるんです。だって、だって、そうじゃないですか。インターネットには、わたしなんかより「変な人」たちがいっぱいいるんです。その人たちに比べたら、わたしなんてそれほどじゃないんですよ』

「……………………」

『だけど、水斗君は本物なんです。本物の「変な人」なんです。だから憧れて……だから一緒にいたくて……だから……』

「……………………」

『…………だから…………』

「好きになったのか」




『違います』




「……………………」

『それは……それは、違う。違います。それは……それだけは、たぶん……』

「……………………」

『……………………』

「……東頭」

『はい……』

「少しだけ、僕の昔の話をする」

『はい』

「中学生の頃、僕の愛読書は『ドグラ・マグラ』だった。お察しの通り、『日本三大奇書のひとつ』って肩書きがカッコよかっただけで、内容はほとんどわかっちゃいなかった」

『……うわぁ……』

「そんなときに、彼女ができた。そいつは本格ミステリが好きで、あからさまなかぶれ方をしていて、『ノックスの十戒』に反する作品を大体ディスっていた」

『……うわぁぁぁ……』

「要するに、僕もそいつも、普通の中学生だった。普通のカップルだった。欠伸が出るくらいに。小説にもならないくらいに」

『……………………』

「たぶん、変な奴なんていないんだよ、東頭。みんな、普通だ」

『……わたしのお母さんは、逆のことを言ってました』

「全員が変な奴なら、変な奴こそが普通だ」

『そうかも……しれませんね』

「普通の高校生を自称する奴が、実は一番変だったりするんだ」

『よくいますね、そういう主人公』

「よくいるんだったら、やっぱりそいつも普通だ」

『人類みんな、普通ですか』

「人類みんな、最強でも何でもない、普通の主人公だ」

『どこかで聞いたような台詞ですね』

「僕も、普通だからな」

『……………………』

「……………………」

『……それでも……やっぱり、水斗君は、変です』

「それを言うなら、君だってそうだよ」

『水斗君ほどじゃありません』

「過大評価だ」

『だったら――証明してみてくださいよ』

「……………………」

『水斗君も普通だって……わたしと大して変わらないんだって……証明してみてくださいよ』

「……わかった」

『すぐにそう言えるところ、普通じゃないですよ』

「普通だよ」

『どこがですか』

「空気を読んで、とりあえずそう言っただけだからな」

『……ふふっ』

「おかしいか?」

『いえ。……そのくらいなら、わたしにもできます』






◆ 東頭いさな ◆


 通話を切って、わたしは自分の部屋の天井を眺めました。

 ……これも、喧嘩なんでしょうか。

 わたし、友達と喧嘩したんでしょうか。

 そんなことすら嬉しくて――嬉しくなっている自分にも嬉しくて。


 自己嫌悪です。


 普通の人は、こんなことで嬉しくなりません。普通の人が嬉しくないことに嬉しくなっているわたしは変な子で、そして、心のどこかで、自分がそうであることに喜んでいるわたしがいます。

 本当に中途半端。

 すっごく、すっごく、ダサいです。

 こんなわたしと、水斗君が同じなわけありません。水斗君は頭が良くて、周りに流されなくて、しっかりとした自分を持っている人です。同じだって証明するって言っていましたけれど、そう言えること自体、やっぱり普通じゃありません。


 いるんですよ、そういう人は。

 そしてわたしは、そういう人じゃあないんです。


 タオルケットで身体を包んで、背中を丸めます。

 もし異世界に転生しても、わたしにはきっと、何もできません。






 翌日。

 お昼は一人で食べました。

 放課後はすぐに帰りました。

 水斗君とは会いませんでした。






 翌日。

 学校はお休みでした。

 ごろごろ寝て過ごしました。

 水斗君とは会いませんでした。






 翌日。

 学校はお休みでした。

 ごろごろ寝て過ごしました。

 この前描いた、水斗君の絵を眺めました。

 水斗君とは会いませんでした。






 翌日。

 お昼は一人で食べました。

 放課後はすぐに帰りました。

 水斗君とは会いませんでした。






 翌日。

 お昼は一人で食べました。

 放課後はすぐに帰りました。

 この前描いた、水斗君の絵を眺めました。

 水斗君とは会いませんでした。






 翌日。

 文化祭の実行委員が決まりました。

 みんなは出し物を何にするか話し合い始めました。

 わたしと水斗君の話は、もう誰もしていませんでした。






 一週間が経ちました。

 お昼は一人で食べる――つもりでした。


『東頭』


 すぐ近くから、声がしました。


『東頭。聞こえてるだろ』


 恐る恐る、顔を上げました。

 わたしの席のすぐそばに、水斗君が立っていたのでした。


『迎えに来たぞ』


 わたしはきょろきょろ周りを見回します。

 久しぶりに認識した教室は、誰もがわたしと水斗君に注目していました。どころか、廊下を歩く人すら立ち止まって、なんだなんだとこちらを見ているのです。


『大丈夫だ』


 と。

 いつものように、水斗は言います。


『確かに僕は、人に注目されるのは嫌いだが――』


 それから、少しだけ照れ臭そうに、水斗君は言いました。


『それよりも、君と話す時間がなくなるほうが、ずっと嫌だ』




 しん……と、教室が静まり返りました。




 あ。

 ん?

 ……ええ!?


 言われたことを、数秒かけて認識して。

 瞬間――心臓が暴れ狂い出しました。


 一気に、一瞬で、顔が熱くなって、燃えたようになって。

 それから、教室の女子の方々が黄色い歓声を上げました。


『はぁうあーっ……!』

『い、言われてぇ! 私も言われたいよぉ!』

『あっ、ちょっ待ってほんとむり。しんどいぃ……!』


 教室は騒然として、女子の中には息絶え絶えになっている人も数名。

 いや、あの、あぇ? ちょっと、今の……わたし? わたし、が……言われたんですよね?

 こんな、衆人環視の中で、堂々と――ああ……。




 やっぱり、普通じゃないじゃないですか。




「……………………」


 目を覚ましました。

 夢でした。

 それも、悪夢の類です。


 もう眠りたくなくて、今の夢をもう見たくなくて、わたしは身を起こします。

 水斗君の、やりそうなことでした。

 わたしが、喜びそうなことでした。

 あるいは、そういう大団円もありえたのかもしれません。

 水斗君が教室で堂々とわたしを迎えに来て、みんながわーって言って、わたしたちはそれを置き去りにして――

 すごく、カッコいいです。

 できるものならやりたいです。

 けど――


 それができるのは、水斗君だからですよ。


「――いさなぁ! そろそろ起きろコラァ!!」

「あわっ! お、起きてますっ! 起きてますーっ!」


 今日も今日とて、学校に行きます。

 ごく普通に、学校に行きます。






 何事もなくお昼休みが終わり、授業も終わりました。

 ……今日も、図書室には行きません。

 実は一度だけ、我慢できずに様子を見に行ったことがあります。いつもの場所に、水斗君はいませんでした。

 ……別に、そんなに頑張らなくてもいいのに。

 もう、わたしたちのことなんか、誰も気にしていません。だからもう距離を取る必要はないのに……どうしてか水斗君は、スマホ越しにしたどうでもいいわたしのお願いを、律儀に叶えようとしています。

 わかるんです。友達ですから。

 あんなのなかったことにして、聞かなかったことにして、前みたいにいつも通り、図書室で会ってお話しして、休みの日は家に遊びに行って……わたしは、それでいいんです。いいんですよ。あんなの、売り言葉に買い言葉で……。


 わたしはこっそり、鞄からタブレットを取り出すと、この前描いた水斗君の絵を眺めました。

 水斗君が家に来たときに描いた、絵。

 服を着てなくて、本物より筋肉質で……何回かエロい部分を描き足そうとしましたけど、そのたびに嫌悪感と罪悪感に襲われてやめた、絵。

 この絵を見るたびに、後悔が湧き起こります。


 ――ごめんなさい。


 勢いで変なこと言ってごめんなさい。水に流してください。笑い飛ばしてください。真面目に受け取らないでください。

 空気が読めないわたしのことなんか、空気のように無視してください。

 わたしはそれで充分ですから。

 見てもらわなくても、想ってもらわなくても、ただ想っているだけで充分ですから――


「…………ふう」


 小さく息をついて、ネガティブに入りかけた頭を切り替えます。

 絵を消し、タブレットを戻し、鞄のチャックを閉めて。

 さて――じゃあ、今日もさっさと帰りますか。

 帰りに本屋さんに寄りましょう。もしかしたら早売りがあるかもしれませんし――


 そのとき、教室がにわかにざわつき始めました。

 どうしたんでしょう? と一瞬思いましたけど、まあわたしには関係のないことです。


「東頭」


 と――すぐ近くから、声がしました。

 あれ?

 今朝見た悪夢が、まだ尾を引いているんでしょうか。水斗君の幻聴が聞こえるなんて、我ながら相当ですね。


「東頭。聞こえてるだろ」


 ――んん?

 もしかして……幻聴じゃ、ない?


 恐る恐る、顔を上げました。

 今度は、幻覚かと思いました。

 ところがどっこい、これは現実です。

 わたしの席のすぐそばに、本物の水斗君が立っていたのでした。


「……………………」


 喉が、干上がります。

 これは……夢じゃ、ありません。

 現実です。

 本当に、現実なんです。


「な……なんで……?」


 なんで、来たんですか。

 こんな、衆人環視の中で、堂々と。

 証明するんじゃなかったんですか?

 わたしと同じだって……証明するんじゃなかったんですか?

 なのになんで――そんな、カッコいいことをしちゃうんですか。

 こんなことをされたら――わたしの薄っぺらさを、思い出しちゃうじゃないですか!


「……………………」


 水斗君は変わりません。

 どうしようもなく格好良く。

 どうしようもなく変で。

 わたしに約束した通りに――そこにいます。


 ……そうなんですね。

 やっぱり、そうなんですね。

 水斗君は嘘つきです。

 でも……わたしは、水斗君のことが大好きなので、許してあげます。

 そうです。

 わたしは、そういう水斗君のことが好きなんですから――


「……これ」

「え?」


 水斗君はそっと、折り畳んだ数枚のルーズリーフを、わたしの机の上に置きました。

 あれ?

『迎えに来たぞ』は?

『大丈夫だ』は?

 格好いいことを言って……クラスの女子たちを、悶絶させるんじゃないんですか?


「それじゃ」


 水斗君は呟くように言って、そそくさと教室を出ていきました。

 それはまるで、突き刺さる視線から逃げるかのようで。

 今朝に見た悪夢とは……似ても似つかない。


 教室にいたクラスの人たちは、一様に怪訝そうにしながらも、すぐに自分たちのお喋りへと戻っていきました。

 何事もなかったかのように。

 ただ、わたしの机の上に、謎のルーズリーフだけが残されていました。


 ……これが……証明、なんでしょうか。

 一週間も、何もしてこなかったのに……この紙切れで、何が証明できるっていうんでしょう。


 わたしは恐る恐る、折り畳まれたそれを開き――

 ――記されていた文章を、読み始めました。


「……………………………………………………ぷふっ」


 読み進めて。


「ふっ、あは」


 読み込んで。


「あはっ――ははは!」


 読み終えて。


「あは! はははははははははははははははははははははは――――っ!!」


 気付けば、わたしは大笑いしていました。

 教室が一瞬静まり返って、無数の怪訝げな視線がこちらに向きます。

 あ、ミスりました。そういえばここ、教室でした。

 でも――まあいいや。


 わたしは呼吸が落ち着くのを待つと、ルーズリーフを胸に抱き、鞄を肩に引っかけて、席を立ちました。

 教室を出ます。

 廊下を早足で駆け抜けます。

 目指すは――水斗君がいるところ。

 一年七組の教室です。


 開きっぱなしのドアを、躊躇なく抜けました。

 教室には、まだ人がたくさんいました。

 どうでもいいことでした。

 その中に、席に座ったままの水斗君がいることだけが、大事なことでした。


「東頭さん――?」


 結女さんの声が聞こえましたけど、ひとまずそちらは後にします。

 人の間を抜けて、水斗君の席の前に立ちます。

 さっき、水斗君がやったように。


「水斗君」


 呼びかけると、水斗君はわたしの顔を見上げました。

 その可愛らしい顔は、何でもないように澄ましていて、……それがまた、おかしく思えました。


 わたしはルーズリーフを、水斗君の机に置きます。

 そして――そのを、口にするのです。




「――超っ! つまんなかったです!!」




 それはわたしの人生において、最も清々しい気分での、酷評でした。

 数枚のルーズリーフに記されていたのは、小説です。

 直筆で書かれた、自己陶酔的な文章の、モノローグがぐだぐだ続くだけで物語の起伏も何もなく、しかも完結していない、愚にもつかない小説でした。

 きっと新人賞に応募しても一次選考で落とされ、小説投稿サイトに投じても10ポイントも付かないそれは、間違いなく、水斗君が書いた小説でした。


 はっきり言いましょう。

 これなら絶対、わたしのほうが面白いの書けます。


 びっくりしました。あんなにいろんな本を読んでる水斗君が、こんな典型的な自己満小説を書くとは思いませんでした。あるいは、わざとそんな風に書いたんでしょうか?

 水斗君は気まずげにすいっと目を逸らしました。


「……そう言われるだろうとは思ってたけど、そこまで清々しく言われると、ちょっと傷付くな……」

「自己評価はちゃんとしてるんですね」

「いや、まあ、というか……ちょっと先約があって、見せた奴がいて」


 先約?

 水斗君が自作小説を見せるような相手というと……。

 見ると、結女さんが呆れたような目で、机の上のルーズリーフを見ていました。なるほど、先んじて選評をもらっていたみたいです。


「言っとくけど、本気で書いたからな。たった二千字程度に一週間もかかったんだ。小説投稿サイトに毎日投稿してる人を、僕は心の底から尊敬する」

「まあ、手加減は実力のある人しかできませんからね」

「……遠慮なく言ってくれるよな……。書き上がったときは、出来が良すぎて見せても逆効果だと思ったんだけどな……」


 ぶつぶつ呟く水斗君は、本気で落ち込んでいました。

 それを見て、わたしは、心の底からほっとしていました。

 お母さんの言ったことは、やっぱり間違いです。

 けれど、正しくもあったのです。


 みんな、大して変わりやしません。

 けれどみんな、誰もが変に見えるのです。

 だから、安心したいのです。

 同じに見えるようにしたいのです。

 自分にわかるものになってほしいのです。


 それに応える能力が『協調性』で。

 それに応える方法論が『常識』で。

 それに応えた関係性が『社会』なのです。


 だとすれば、わたしは胸を張って協調性を捨てましょう。

 胸を張って非常識になりましょう。

 胸を張って社会から逸しましょう。

 わたしは――誰にでもわかる、『変な子』になりましょう。


 空気の読めないわたしには、どうせそれしかできません。

 たぶん大丈夫です。

 それでまた、失敗したとしても――きっと、大丈夫。

 だって――


「水斗君」


 わたしにとって水斗君は、普通でもなければ変でもなく。

 協調性がなくても、常識を使わなくても、社会から逸していても。

 ただそのままで安心できて、同じに見えて、わかるものになっている――


「わたし、水斗君のこと好きです」




 ――この世でただ一人の、『特別』ですから。




「そうだな」


 水斗君は柔らかく笑いました。


「僕も好きだよ」


 わたしよりも普通で、わたしよりも変な親友は、わたしと同じことを言ってくれました。

 そうです。

 特別な友達を、親友と呼ぶのです。






 わたしは水斗君と肩を並べて、図書室を目指します。

 ちらちらと見てくる人がいますが、気になりません。

 でも、ちょっと気持ちがいいのは同じです。

 どうですか。これがわたしの親友ですよ。羨ましいでしょう。

 わたしは結局、俗物なのです。 

 廊下を歩きながら、わたしは軽く腰を曲げて、水斗君の顔を覗き込みました。


「ところで水斗君は、いつまでわたしを苗字で呼ぶんですか?」

「え?」

「そろそろわたしに合わせてくれていい頃だと思うんですけどー?」


 親友なのに、わたしだけ名前呼びで、水斗君だけ苗字呼びなのは不自然です。

 前もそれとなく提案しましたけど、このままだとずるずるいつまでも変わらなそうなので、今日こそは逃がしません。

 水斗君は苦々しい顔になりつつ、


「……変わらないって決めただろ?」

「それはわたしの望む水斗君でいてくれるって約束です。わたしの水斗君は、わたしを『いさな』って呼んでくれますよ?」

「くっ……無駄に頭の回る……」


 水斗君は一度口を開いて、閉じて、目を逸らして、……それから、小さな声で言います。


「い……さな」

「もう一回!」

「いさ……な」

「もうちょっと大きく!」

「いさな! これでいいか、いさな! 文句ないか、いさな!」

「あばっばばば! ちょっ、まっ、いきなり供給過多ですよう……!」


 まさかの逆襲にわたしが慌てると、水斗君は、ふんと鼻を鳴らしつつ、照れくさそうに顔を逸らしました。

 瞬間、脳に飛来したアイデアに、わたしはにんまりと笑いました。

 いつも慌てさせられてるんですから――今度はわたしが、水斗君を大慌てさせてもいいですよね?


「水斗君。今まで空気を読んで黙ってたことがあるんですけど」

「空気を読んで? 君が?」




「水斗君の元カノって、結女さんでしょう」




 水斗君の足が止まり、表情が凍りました。


「は……は?」


 わたしはそれを見て、にやにや笑いました。


「水斗君――あんまりわたしをナメないでください」


 言い捨てると、わたしは足取り軽やかに歩いていきました。

 水斗君の足音が、慌てて追いかけてきます。


「いやっ、君、いつっ――」

「さあ? ご想像にお任せしまーす」


 水斗君も結女さんも、わたしよりアホですよねー。

 本人から打ち明けられるまで気付かないでいるなんて――そんな空気の読めたこと、わたしができるわけないじゃないですか。






◆ 伊理戸結女 ◆


 水斗と東頭さんの噂は、ここに来て過熱の一途を辿っていた。

 けれどそれは噂が噂を呼ぶ――というより、二人の仲が当たり前の事実として扱われ始めたような感じだった。暁月さんによれば、早晩、二人の関係は話題性を失って、公然のものとして日常に埋もれていくだろう、ということらしい。


 騒動にひと段落ついたことは喜ばしいのだけれど、私としては、何も問題は解決していなかった。お母さんの勘違いに端を発した、水斗と東頭さんの急速な外堀の埋まり――その誤解は解かれるどころか、ついには学校にまで広まりきってしまったのだ。要するに、私が割って入る余地が、ほとんどと言っていいくらいなくなってしまった……。

 水斗と東頭さんは、周囲を半ば無視して、置き去りにする道を選んだ。

 けれど、私はそういうわけにはいかないのだ。

 学校という社会からほとんど浮き上がっているあの二人とは違って、私には立場もあるし、イメージもあるし、要するに世間体というやつがある――周りを無視して水斗にアプローチして、東頭さんから略奪しようとしてるなんて噂が立ったら、普通に破滅なのだ。


 ……そもそも、である。

 あの水斗が。エベレストのようにプライドの高い、あの男が。東頭さんを安心させる、ただそれだけのために、慣れない小説を書いて、私にまで見せて、直々に教室まで渡しに行った、という事実。

 何よりも――


 ――僕も好きだよ


 公衆の面前で放った、あの台詞!

 いや、わかる。わかるの! 恋愛的な好きとはちょっとニュアンスが違うっていうのは、わたしにもわかる!


 でも、もしかして……と、過ぎる不安を押さえられない。

 あの男……東頭さんに、本気になっちゃったんじゃあ……?

 告白を断ったのは、もはや過去の話だ。水斗と東頭さんの絆の強さは疑いようがなく、すでにそれは、恋人の領域すら超えつつあるように思う――もはやあの二人は、告白というイニシエーションを必要としないくらい、深く結びついているんじゃないかと感じる。

 それを恋だと、本人たちが思わないにしても、……私が入る余地がないことに、変わりはない。


 ……………………。

 まあ、今回も言うに及ばず、背中を押したのは私なんですけど。


 あっれー……? おかしいなあ……。覚悟を決めてからこっち、自分の首を絞めることしかしてなくない……?


「ううーん……」


 どうしたものか。

 本当にどうしたものか。

 私が家のリビングソファーでごろごろしながら唸っていると、玄関のドアが開く音がした。誰か帰ってきた。

 身を起こすと、制服姿の水斗がリビングに入ってくるところだった。


「おかえり。遅かったわね」

「ただいま。ちょっといさなと寄り道してた」

「ふうーん」


 水斗は冷蔵庫から出した麦茶を飲んで一息つくと、リビングを出て階段を上がっていく。

 まあ、なんだかんだで元通りになって本当に良かったわね。水斗も遠慮なくいさな――


 ――んん??

 


「……………………」


 私は震える手でスマホを取り出し、暁月さんをコールした。


「あ、暁月さん暁月さん! 水斗がっ、水斗がぁ……!」

『えっ!? なになにどうしたの結女ちゃん!? 何かあった!?』

「みっ、水斗がっ、水斗がね? 水斗がぁーっ……!」

『あんま連呼しないでよ見て見ぬふりしてるのに! いい加減突っ込むよ呼び捨てになってるの!』

「そうなの! 呼び捨てになってるの!」

『ええ? 結構前から知ってるけど……?』

「え? 結構前からなの? 水斗が東頭さんを下の名前で呼び捨てしてるの……」

『……ん? え? なんて?』

「だから、水斗が東頭さんを下の名前で……」

『いやいやそれは知らない知らない!』

「さっき、『いさな』って呼んでた……」

『ええー……マジかぁ。あの伊理戸くんが、女子の名前を呼び捨てに……』


 私ですら! 付き合ってた頃の私ですら、下の名前では呼ばなかったのに!


『家族公認に続いて学校公認、さらにここに来て呼び方が変化、ですかー……』

「もう私どうすれば……! 暁月さんなら何か――」

『結女ちゃん』

「うん!」

『相手が悪かったね』

「見捨てないでよーっ!!」






◆ 伊理戸水斗 ◆


 僕は自室に入ると、制服も脱がずにスマホを取り出し、あらかじめ教えられていたグループチャットアプリのボイスチャンネルに入った。


「もしもし、いま帰ってきた」

『――うぐあっ!? なんでそんなに崖狩れんだよ!? オンだぞこれ!』

『こんなに読みやすかったらラグなんて関係ありませんよ~。はいここジャンプ!』

『うごああああ!!』

「……何ゲームやってんだ君ら」


 スマホの向こうで『ざーこざーこ!』と低レベルな煽りを繰り返すのは東頭いさな。悔しそうに唸っているのは川波小暮である。

 学校で軽く打ち合わせた後、まっすぐに帰ってきたつもりだったが、この二人のほうがずいぶん早かったらしい。会話の間が持たなかったか、どちらかが喧嘩を吹っ掛けたかで、ゲームで白黒つけることにした、という辺りか。

 この珍しい三人で通話などすることになったのは他でもない。


『おい伊理戸! この民度最低女を頼ることなんてなかっただろ! 恋愛相談ならオレで充分だっつの!』

「別に相談した覚えはない。いさなが自分から言い出したんだ」

『ぁあ? 一体どういう腹積もりなんだか。フラれた女が恋愛相談とか、裏しかねーだろ普通に考えて』

『わたしにそんな脳味噌あるわけないでしょう! そーゆーのは頭のいい女の人がすることなんですよ!』

「自分で言ってて悲しくならないのか君」

『んじゃ、どういうつもりなんだよ。お前が伊理戸の恋愛に協力して、何かメリットでもあんのか?』

『メリットっていうか……想像してみてくださいよ。一緒に遊んでるときにですね、急に遠い目をして物思いに耽ってる風の顔をされたりしたらですね、気になってしょうがないじゃないですか!』

『あー、そりゃ確かに言えてる』

「……………………」


 そんな顔してたか?


『なので、さっさとヨリ戻すなり吹っ切れるなりしてください! 気ぃ遣います!』

「遣ってたか、今まで……?」

『んなこと言ってよ、恋愛相談にかこつけてワンチャン狙ってんじゃねーの? うーわ大人しい顔してこの女』

『だからあなたも呼んであげたんじゃないですかチャラ男さん。これなら結女さんも勘違いしようがないでしょう!』

『どうだかなぁ。やりようはいくらでもあるぜ? 例えば――』

『水斗君……わたしで恋人の練習、します?』

『おいこらてめえコラ!』

『振りかなと思いまして』


 ヤンキーさながらに騒ぐ川波を、いさなはすーんと無視する。面と向かってだとビビるくせに、通話越しだとやりたい放題だ。

 いさなは『わたしのことはともかく』と話題を本筋に戻した。


『実のところ、結女さんのほうはどうなんですかね。水斗君みたいに未練たらたらなんですかね?』

「たらたらじゃない」

『『またまたご冗談を』』

「なんでそんなときだけ息が合うんだ……」


 はあ、と溜め息をつきつつ、……僕はこの際、正直な意見を口にすることにした。


「……よくわからないよ。気があるようにも見える。からかってるだけにも見える。僕が気にしすぎなだけの可能性もある。今のあいつは、僕の知ってるあいつとは違いすぎて……全然、わからないんだ」

『オレは脈だらけだと思うけどなあ。まあ、これはオレが外野だから言えることだけどよ』

『うーん……自分で言い出しといてなんですけど、どっちでもいいんじゃないですか?』

『「は?」』


 いい加減な発言に僕と川波が口を揃えると、いさなはむんと胸を張っているのが目に浮かぶような声で、堂々と宣言した。


『今現在、脈アリだろうが脈ナシだろうが、口説き落としちゃえば「好き」一択! 迷う余地ゼロです!』


 しばらく間があった。

 あまりにも……僕にとって、あまりにも慮外の意見で……咀嚼することすら、すぐにはできなかったのだ。

 やがて、


『――は! はっははは! ぶあっはははははは!!』


 川波が、弾けるように笑う。


『なるほど! なるほどなあ! 確かに関係ねーわ! こりゃ一本取られたな伊理戸! ぶははははは!!』

「いや……いやいやいや、そんな単純な話じゃあ……」

『ご安心ください! この東頭いさな、水斗君に惚れることにかけてはプロ中のプロ! 結女さんをあっという間にメロメロにする、わたしの考えた最強の水斗君をプロデュースしてみせましょう! そんで後顧の憂いなくわたしといっぱい遊ぶのですっ!』

『ヨリ戻したらてめえと遊ぶわけねーだろ馬鹿』

『水斗君はそんなに器量の狭い人じゃないですーだアホ』

『んだとお!?』

『なにおう!?』


 またスマホ越しにがみがみ言い始めた二人に、僕は溜め息交じりに呟く。


「恋愛なんかよりも、君らが一番めんどくさいよ……」

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