未来のカップルの日常スナップショット 夜の通話




「……はー……」


 それは、中学2年の夏休みのこと。

 夜ご飯を食べて自室に戻ってきた私は、ベッドに寝転がって溜め息をついていた。

 思い出すのは、ほんの数日前の、人生で初めてのデートのことだ。


 浴衣を着て、伊理戸くんとお祭りに行った。

 言葉にすればそれだけなのに、全然現実感がなかった。

 だって、だって、ちゃんと話すようになって、まだ10日くらいなのに。

 こんなにすぐお祭りデートなんて、私の人生どうしちゃったの? 確変なの? 確変ってやつなの?

 それに、それに――


「……くふふ……」


 枕に押しつけた口から、我ながら気色悪い笑みが零れる。

 迷子になって、スマホ越しに泣き言を言う私を、伊理戸くんが見つけてくれた。

 こんなんじゃ嫌われるって、ネガティブなことばかり考えていた私に、『いくらでも迷惑をかけてくれ』って、言ってくれた。


 はああ~…………好き!

 好き、好きっ、好きっ! 好きぃ~~~~~っ!!


 ベッドの上で足をばたばたさせる私。

 人って、こんな短期間で、こんな風になっちゃうんだ。

 少し前までは、ちょっとしたライバルとして敵意すら持っていたのに。

 もう、伊理戸くんのことを考えると、ドキドキして、ふわふわして、何にも手につかない。


 早く会いたい……。

 お話ししたい。

 確か、明日までだ。

 明日までは用事があって、図書室に来られないって言ってた。

 だから、明後日になったら、また会える……。


 枕にほっぺたをつけた私の視界に、枕元に置いたスマホが入った。

 ……あ、そっか。

 連絡先は交換したんだから、話そうと思えば、今からだって……。

 だ……大丈夫かな?

 迷惑じゃないかな?

 もう、完全に夜だし……。ウザがられたり、しないかな?

 い、いや、大丈夫だよね……。お祭りデートのときの私は、もっとウザかったもん。あれを許してくれたんだから、夜中に通話かけるくらい……。


 迷いながら、スマホに手を伸ばす。

 まさに、その瞬間だった。

 まだ指一本触れていないスマホが、着信音を鳴らしたのだ。


「わっ!?」


 まだ何の設定もしていない、デフォルトの着信音。

 私は慌ててスマホを掴むと、発信元を確認した。


「い……伊理戸くん……!」


 な……なんでなんでなんで!?

 テレパシー!?

 話したいと思ってるときに、向こうからかけてくるなんて……!

 か、確変……確変だよぉ……。神様が、私の願い事を何でもかんでも叶えるモードに入っちゃったよぉ……。将来、揺り戻しがありそうで怖いよぉ……。


 とにかく、出ないと……!

 もたもたしてたら切られちゃう!


「もっ! ……もしもし~……」


 力が入りすぎて、最初の一音がでかくなりすぎた。

 かと思って調整したら、何だか寝起きドッキリみたいになっちゃった。

 相変わらず、私の喉のボリューム調整機能はぶっ壊れている……。このポンコツ……!


『……もしもし?』


 伊理戸くんの声は、ちょっと音質が悪かった。

 電波が悪いのかな?


『今……大丈夫か?』

「う、うん……! 大丈夫だよっ、全然! すごく暇だったからっ!」


 ちょっとアピールしすぎたような気がする。落ち着け!

 緊張を誤魔化すように、私は話題を繋ぐ。


「ど、どうしたの? な、何か用でも、あったかな……?」

『いや……用は、特にないかな』

「あ、そうなんだ……?」

『うん。……ちょっと、綾井と、話したいなと思って』

「へぅっ」


 心臓が跳ねすぎて、変な声が出た。

 わた、わ、わた、わた、私と?? えっ、どういう意味? どういう意味!?


「あ……あの……私も……」


 ヘタレるな。アクセルを踏め!


「私も……伊理戸くんと、お話ししたいなって、思ってた、よ」


 い、言えたーっ!!

 えらい! 私、えらい!


『そっか。……じゃあ、ちょうどよかったな』

「そ、そうだね! ……えへへ……」


 伊理戸くんの声が、呼吸が、耳元から聞こえる。

 夜なのに。家の中にいるのに。

 こんなに幸せなことって、あっていいのかな……?


 それから私たちは、取り留めのない話をした。

 最近読んだ本のことに、図書室の入荷情報。二人とも交友関係が狭いものだから、小説関係の話題しかないけれど、それでも話すことは尽きなかった。


「やっぱりね、トリックの奇抜さで競う時代は終わったなって思うよね」

『そうだな。今時のミステリはどちらかといえば論理の巧妙さを競ってる雰囲気がある。特殊設定ものが増えたのもその辺の――』


 そのとき、遠くからざざあっと木が揺れる音がした気がした。

 私は思わず窓の外を見る。けど、マンションだから木なんて見えるわけがない。


「外、風強いのかな?」

『ん、ああ――ちょっとな』


 伊理戸くんの答えに、私は少し違和感を覚えたけど、すぐにそれどころじゃなくなった。


「結女ー? 起きてるー? お邪魔しまーす!」

「ひゃあっうわわっ!?」


 ガチャリとドアを開けて、お母さんが部屋に入ってきたのだ。

 私は慌てて布団に潜り、スマホを胸に抱えて隠す。


「なっ、なっ、なっ、なにっ?」

「ゴミ箱の中を回収しに参りましたー」

「の、ノックくらいしてよぉ……!」

「ええー? 今までそんなこと言わなかったのに。まさか反抗期?」


 あ、危ない……!

 こんな夜に男子と通話してるなんてお母さんに知られたら、一生いじり倒される!

 お母さんは引きずってきたゴミ袋に、ゴミ箱の中身をばさーっと入れる。それが終わったらすぐに出ていってくれる……と、思ったんだけど。


「あーもう。ティッシュがこんなところに転がって……」


 机の下に手を伸ばして、丸めたティッシュを拾いながら、お母さんは言う。

 伊理戸くんと通話が繋がった、この状況で。


「ちゃんとゴミ箱に入れなさいって言ってるでしょー? ベッドの上でダラダラしながら、横着して投げ入れてるんでしょー。ノーコンのくせに――」

「わー!! わああああーっ!!」


 なんてっ、なんてこと言うのっ! 伊理戸くんが聞いてるかもしれないのに!!

 私はスマホを布団の中に置いて、ベッドの中から飛び出した。


「ダラダラなんてしてないから!! そのティッシュはたまたま転がってただけで――」

「えー? 結女、結構ズボラなところあるじゃない。この前だってトイレにナプ――」

「うるさいぃぃーっ!! 用が終わったならもう出てってーっ!!」

「あーっ、反抗期! ついに反抗期なのね、結女!」


 本当に本当に有り得ない話をしようとしたお母さんを、部屋の外に叩き出す。

 そして私は布団の中に戻り、恐る恐る、通話が繋がりっぱなしになっているスマホを耳に当てた。


「ご……ごめんね……。お母さんが来て……」

『いや、大丈夫だよ』

「……話、聞こえてた……?」


 聞かれていたら、もう私は本当にダメかもしれない。

 今までお母さんのことは好きだったけど、今日をもって嫌いになるかもしれない。大反抗期の到来を宣言するかもしれない。

 そんな悲壮な覚悟を決めながら答えを持っていたんだけど、


『いや……聞こえなかったよ、何も』

「そ……そっか……」


 よかったぁ……。

 ――と、胸を撫で下ろしたのも束の間、


『……始めのほうは、君の鼓動がずっと聞こえてたけど』

「え」


 私は自分の行動を思い返した。

 確か、そう――


 ――私は慌てて布団に潜り、スマホを胸に抱えて隠す

 ――スマホを胸に抱えて

 ――胸に抱えて


 ずっと……スマホの通話口を、心臓に押しつけてた……?

 私の鼓動を……伊理戸くんに、リアルタイムでお届けしてた……?


「あ、あぅ……ぅぅあ、ご、ごめ、ごめんなさ――」

『い、いやいや! 別に嫌じゃなかったから! むしろ勝手に聞いててごめん!』

「嫌じゃ、なかった……?」

『なんていうか……綾井が、生きてるんだなって……って、そう思って……そしたら、安心してさ……。うわ、ちょっとこれはキモいな。ごめん!』

「ぅ……ぅう~……!!」


 は、恥ずかしいっ……!!

 鼓動を聞かれるのって、こんなに恥ずかしいの……!? 裸とか下着を見られるのとはまた違うっていうか、もっと深いものを覗かれたかのような……!!


「わ、私……変じゃなかった……?」

『別に……。強いて言えば、リズムが速かったような気がするけど』

「ぅああぁ~~」

『あの状況なら普通だって! 普通!』


 ああ~、慰めてくれる~! 優しい~! 好き~!


『……君は頑張ってるよ、綾井。自信を持て』


 うえああっ!?

 急に囁き声で言われたものだから仰天して、私は頭の上まで布団に潜り込む。

 真っ暗な闇の中、スマホ越しに伊理戸くんの吐息だけを聞く。

 そうしていると、自然と言葉が零れた。


「もう一回……言ってくれる?」

『君は頑張ってる』

「うん」

『えらい』

「うん、うん」

『それから――なんか変な音声動画みたいになってきたな』

「ふくくっ」


 私が小さく笑みを零すと、伊理戸くんもスマホの向こうで小さく笑った。

 伊理戸くんは、ここにはいないけど……顔も見えないけど……通じ合ってるって、気がした。


『綾井』


 不意に名前を呼ばれた。


「ん? どうしたの?」

『……いや……』


 何か迷うような声音だった。


『実は、そろそろ、スマホの充電がヤバくてさ』

「あ、そっか……」


 夢のような時間は、もうおしまいらしい。

 名残惜しいけれど、ぐずるような真似はしたくない。


「伊理戸くん。私、頑張るから……また、お話ししてくれるかな?」

『ああ、もちろん。明後日には、また図書室、行けると思うから』

「うん。待ってるね。待ってるね」

『それじゃあ……』

「うん。……それじゃあ……」

『……また』

「また、ね」


 数秒、後ろ髪を引かれる沈黙があってから、通話が切れた。

 布団の中でぼんやりと光るスマホの画面を見る。

 通話時間、43分45秒。

 8月12日、午後7時59分。


 私は布団から顔を出すと、天井を見上げてほうと息をついた。

 明後日、早く来ないかな。

 43分前よりも強く、そう思う。


 ……充電くらい、しながら話してくれればよかったのにな。

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