君が見ている僕のこと⑦ 小悪魔に付き合えるのは心に余裕があるときだけ

◆ 伊理戸水斗 ◆


『さあ綱引き・女子の部が開始されます! 仁義なき女の戦いから目を逸らすなー!!』


 やけにハイテンションなアナウンスが流れるのを聞きながら、僕は校庭の真ん中を見やっていた。

 中点にテープを巻いた綱が地面に三本置かれ、いさなはその二本目の綱を両腕で抱えていた。背の順で並んでいるのか、位置は真ん中から少し後ろの辺り。幸いにもあまり目立たないポジションだ。

 僕は、あたかも織田信長の草履のように懐で温めているブラジャーのことを思い返しながら、親友の姿を見守った。


 号砲が鳴り、綱がピンと張り詰める。掛け声に合わせて右に左に行ったり来たり。見たところ実力は互角のようだった。

 いさなも、やるからにはちゃんとやるらしく、顔を赤くして全力で綱を引いている。若干へっぴり腰に見えるが、まあそこはご愛嬌だ。

 大丈夫そうだな。誰もあいつが今ノーブラだなんて気付くまい。事実を知っている僕ですら違いがわからないくらいだ。

 十数秒、押し引きを繰り返した末、綱は相手側に大きく引き寄せられた。いさな側は一気にバランスを崩し、引きずられるようにして前のめりに――


「……あ」


 ずざざーっと、いさなが派手に前に倒れ込む。それはチーム全体に言えたことだったが、事実を知っている僕だけは、その状況のヤバさに気付いていた。


 少し、擦られていた。

 潰れた胸が、地面との間で。


 ……大丈夫か、あれ?

 ブラジャーをしていないということは、支えるものがなくて揺れやすくなる、という以前に、胸を守る鎧が単純に一枚少なくなる、ということでもあって――


 うあー! とチームメイトが悲嘆の声を上げる中、いさなだけは無言で、ジャージの上から両胸を押さえていた。

 ちょっと涙目になっていた。

 さすがに可哀想だったが、準備を怠った自分のせいだからな……。

 まあ、慰めに行ってやるか。さっさとコレを返したいし。そう思って、選手が捌けていく方向に足を向けようとしたとき、


「あれ? 水斗?」


 聞き慣れた声がした。

 一瞬、思考が空白になり、次いで一気に冷や汗が滲み出す。


「こんなところにいたんだ。何してるの?」


 てくてくと、何も知らずにそいつが寄ってくる。

 そいつが――伊理戸結女が。

 僕がジャージの下に、いさなのブラジャーを隠し持っているなんて知りもせず、小走りに駆け寄ってくる。

 ジャージ姿の結女は、左の二の腕に体育祭運営委員の腕章を着けていた。運営側だから、クラスのところに留まらずに動き回っているのだ。油断した……!


「お……おお」


 走って逃げ去るわけにもいかない。僕は意味もない呻き声を発して、返事の代替とする。

 結女は軽く首を傾げて、僕に手を触れられる距離で立ち止まった。二、三歩後ずさりたいのを、僕は勇気を持って我慢する。


「聞いたわよ。クラスのところにいないんですって? どこでサボってるの?」

「さ……さあな。体制側に教えることなどない」

「体制側って」


 ふふっと笑う結女。和やかに談笑してる場合か! 忙しいならどこかに行ってくれ!


「それじゃあレジスタンスさん。体育祭に興味がないなら、こんなところに何の用があるの?」

「べ……べつに、なんとなく歩いていただけで――」

「あ、もしかしてー――」


 くすりと微笑み、結女は上目遣いで、僕の顔を見上げた。


「――私に、会いに来たんだったりして」


 ……っづあああああ!!

 今は君の小悪魔遊びに構っていられる状態じゃないんだよ!


「違う! そうじゃない! まったく会うつもりじゃなかった!」

「えっ」

「と、とにかく、僕は他に用がある! それじゃあな!」

「ちょっ、待っ――」


 強引に会話を打ち切って、僕はその場を逃げ出した。

 くそっ、いさな! この借りは高くつくからな!!

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