あなたの顔を赤くしたい④ 好きな人じゃないとできないこと

◆ 南暁月 ◆


「おっすー。お風呂入りに来たぞー」


 あたしは着替え片手に靴を脱ぎながら、リビングのほうに向かっていった。

 あたしと川波、お互いの家に親が帰らないとき、どちらかの家でお風呂を沸かして二人で順番に入る、という習慣はまだ続いていた。まあ、このほうが楽だし、安上がりだし、昔もこうしてたから元に戻っただけのことだ。

 決して、結女ちゃんが生徒会で忙しくなって、あんまり構ってもらえなくなったから、寂しくなっているわけではない。ない。

 結局、いつもの四人で単なる帰宅部、あたしだけになっちゃったなー。暇を潰すだけならいくらでもできるけど、何だか取り残されちゃった感。


「……あたしもバイトとかしよっかなあ……」


 今までも、短期で入ったりはちょくちょくしてたんだけど……。でも、お小遣いには大して困ってないんだよなー。あたしの親も川波と一緒で、子供を放置する代わりにお小遣いいっぱいくれるタイプ。

 なんて考えながらリビングを覗くと、誰もいなかった。


「……あれ?」


 首を傾げながらリビングを歩き回っていると、遠く水音が聞こえてくる。

 あ、お風呂。もう入ってるんだ。

 脱衣所を覗くと、磨りガラスの向こうに影が見えた。今日は早いな。運動でもしてきたのかな。


「……………………」


 磨りガラス越しに動く影を眺めていると、むくむくっと膨らんでくる気持ちがあった。

 こういうのを魔が差すというのか。結女ちゃん成分欠乏に伴う退屈が、あたしにとある発想をさせたのだ。

 ちょっと驚かせてやろ。

 あたしは着替えを洗濯機の上に置くと、シャツを脱ぎ、スカートを脱ぎ、ブラを脱ぎ、パンツもするりと脱いで、常備してあるあたし用のバスタオルを裸身に巻きつける。

 そして、特に気負うことなく、浴室のドアを開けた。


「……んあ?」


 頭をシャンプーであわあわにした川波が、片目を瞑ったまま振り返る。

 あたしのセクシーな姿を見て、あんぐりと口を開けて、


「――んあ!?」

「あー、入ってたんだー。気付かなかったー」

「嘘つけぇ!!」


 あたしはピシャンっと後ろ手にドアを閉める。


「また服着るのも面倒だし、一緒に入っちゃおっかなー♪ ついでに背中でも流してあげるっ♪」

「きっしょくわりぃ……」


 川波は心底嫌そうな顔をしながら、タオルを手繰り寄せて股間を覆った。

 あたしはそれを遠慮なく覗き込みつつ、


「今更隠す必要あんの?」

「お前に見せてやる義理はもうねーんだよ。お前こそ隠す必要あんのか?」

「あっ、それもそうか」

「ちょっ、馬鹿!」


 背後でしゅるっとバスタオルの結び目を解いて見せると、川波は慌てて瞼を閉じた。

 あたしはにししと笑いながら、川波の剥き出しの背中にしなだれかかって、耳元で囁く。


「あれー? 何慌ててんのー? 今更でしょ? あたしの裸とかー。……あ。それとも、あたしの裸を見ると困っちゃうことがあるのかなー?」

「……下ネタやめろや」

「えー? 何がー?」

「あーうぜえ!」


 あたしの身体なんかエロい目で見れないって、いつも言ってるくせに。ダッサぁ。

 あんまりやると例のアレルギーが発動して蕁麻疹が出る。いったんこのくらいでやめておいて、あたしはシャンプーがついた川波の髪をわしゃわしゃと洗い始めた。


「痒いところはございませんかー?」

「いろいろ。お前、手ぇ小っちぇえ」

「それは申し訳ございませんー」

「痛ってえ! 引っ掻くな! 禿げる禿げる!」


 全体をざっと洗い終えると、シャワーを出してシャンプーを落とす。白い泡の中から、いつもの髪先を遊ばせたチャラいやつとは違う、べったりとした髪が出てきた。


「あんたさあ、変に髪型いじんないほうが合ってるんじゃない?」

「うるせえ。合ってるとかじゃねーんだよ。気に入ってんの。女子が男ウケ悪りぃマニキュアすんのと同じ」

「ふうーん……」


 まっすぐなのもクールでいいと思うけどなあ……。


「はい。じゃあ次、身体ね」

「もう洗った」

「嘘つけ。あんた頭から洗うタイプじゃん」

「いつまで覚えてんだよ……」


 ……そりゃまあ、一時は頭の先から足の先まで洗ってたわけですし。


「心配しなくても、背中だけだよ」

「……おう」


 ボディタオルにソープをつけて泡を立て、いつかよりも少し大きくなった背中を擦っていく。

 あー、やっぱりやめておくんだったかなあ。こうしてるとどうしても、過去にやらかしてしまったことが頭の中をチラつく。

 かつてのあたしは、こーくんの肌、筋肉、毛穴の一つ一つに至るまでが大好きで、それしか見えてなくて、まるで自分のものであるかのように扱った。こんなに尽くしてるんだからこーくんも喜んでるはずだって、本人の顔を見ようともしなかった。


 未熟で愚かな、子供の傲慢。

 黒歴史と呼ぶには、あまりに傷跡が大きすぎる。


 反省したし、直そうともした。でも、未だに完全には直りきらない。たぶん、あたしは生まれつきそういう人間で、これからも多かれ少なかれ、似たようなことをやらかすんだろう。

 だったら、せめて。あたしの最大の被害者であるこいつのことは、……少しでもいいから、責任を取らせてほしい……。


「……ねえ」


 珍しく殊勝な気分になって、あたしは目の前の背中に話しかけた。


「やっぱり、あんたが洗ってよ」

「は? お前が洗うって言い始めたんだろーが――」

「じゃなくて。……あたしを。あんたが」

「……は?」


 川波が目を丸くして振り返る。あたしはシャワーで泡を落とすと、振り返ったその顔を掴んで正面に戻した。


「ちょっとそっち向いてて」


 浴室にもう一個ある椅子を持ってきて、川波と背中合わせに座る。それから、身体に巻いたバスタオルをするりと取って、前に抱き寄せて背中だけ晒す形にした。


「いいよ」


 振り返る気配があった。続いて、しばらくの無言があって、


「……どういうつもりだ?」

「あたしがあんたを洗うのなんて、散々やったことでしょ。もう飽きたから、今度は逆」

「飽きたって……」


 リハビリだ。うんざりするくらいやられたことを、今度は自分がやり返す。そうしたら、こいつの傷跡も多少は癒える。……かもしれない。

 あたしは解いた髪を肩から前に回して、うなじを見せた。


「ほら。早く」


 川波はまだ躊躇ってたけど、あたしがタオルを押しつけると、深く溜め息をついて言った。


「……わかった」


 ボディソープをつけたタオルが、あたしの背中にそっと添えられる。

 布と、ぬるぬるした泡の感触。それらの中に、少しごつっとした指の感触が混ざる。


「んっ……」


 ゆっくりと背中を擦られて、少しくすぐったかった。別に、背中を触られたことなんていくらでもあるのに、その手つきが妙に優しい気がして。

 タオルは背中から腰のほうまで移動する。なんというか、当たり前だけど、この格好、お尻見えちゃってるな。でも、まあ、そんなことも今更だ。あたしがこいつの全部を知ってるように、こいつもあたしの全部を知っている。幼馴染みってそういうことだ。


「……これでいいか?」


 背中から腰を、一通り洗い終えて、川波は言った。

 もう終わり……? これだけで?

 何だか手応えがなくて。達成感がなくて。あたしは――


「――ダメ。まだ」


 少しだけ、後ろに身体を傾けながら。

 少しだけ、胸の前に掻き寄せたバスタオルを下ろしながら。


「前」


 肩越しに振り返って、言う。


「今度は……前」


 川波の目が大きくなって、それから、耳が赤くなっているように見えた。それはもしかしたら、お風呂で体温が高くなっているからかもしれなかったけど、だったら見開かれた目が泳いで、少しだけ下ろしたバスタオルの隙間を覗いているはずもなかった。

 ぴくりと、川波の手が震える。

 直後。


 ――ぷつ、ぷつ、と。

 川波の腕に、蕁麻疹が浮き上がってきた。


「ぅぐっ……ちょ、悪い。オレ上がる!」


 タオルで股間を隠しながら、川波は慌てて浴室を出ていった。

 取り残されたあたしは、少しの間、唖然として――それから、水滴の付いた天井を見上げる。


「……早速やらかしたー……」


 本当にあたしって、こういう人間なんだよなあ。






 それから、あたしは溜め息をつきながら身体を洗い、湯船であったまり、浴室を出た。

 今にして思うと、あいつ自意識過剰じゃない? 身体洗えって言ったくらいでさ、意識しちゃってさ。昔のあたしはもっとすごいところも洗ってたっつーの。

 今のあたしは、あいつのことなんか別に何とも思ってないし。ただ、自分でやったことのケジメはつけないとっていうか? 加害者としての責任を果たそうとしているだけで、好きとかそういうのはこれっぽっちもないわけよ。わかる?


「……ん? なんか来てる」


 ぶつくさ言いながら身体を拭いていると、スマホに通知が来ているのに気付いた。

 見る。LINEだ。……あっ、結女ちゃん!

 急いで開くと、結女ちゃんからのメッセージは次のようなものだった。


〈つかぬことを訊くんだけど、好きな人じゃないとできないことって、例えば何?〉


 本当につかぬことだなあ。急にどうしたんだろ?

 とはいえ、他ならぬ結女ちゃんの頼みだ。あたしは真摯に、真剣に考えて、こういう風に返信した。


〈そうだなあ……。一緒にお風呂入るのは、好きな人じゃないと無理かも〉

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