あなたの顔を赤くしたい③ 小悪魔入門

◆ 伊理戸結女 ◆


 書き物がひと段落すると、私は亜霜先輩と一緒に作ったばかりの資料を印刷する作業に入った。

 枚数が多いので、生徒会室にあるプリンターではなく、印刷室にある大量印刷用の機材を使う。印刷室はさほど広くない部屋にプリンターやコピー機が並ぶだけの閉鎖的な空間で、他の人が来ることもあまりないので、秘密の話をするにはうってつけの場所だった。

 淡々と資料を吐き出す印刷機を横目に、私はおずおずと切り出す。


「あ、あの……亜霜先輩……」

「ん? なにー?」


 パイプ椅子に座って長い脚を組み、スマホで何かチェックしていた先輩は、私を見てことりと小首を傾げる。

 こういう細かい所作も、女の子女の子してて可愛いんだよなあ……。体型とかはどっちかといえば綺麗系なのに。


「その……ちょっと、相談が、と言いますか……」

「え!? なになに!? 恋バナか!?」


 思った以上に食いつかれた。

 亜霜先輩は頭の左右から飛び出た髪をぴょんと跳ねさせ、ずずいと詰め寄ってくる。


「喋れ喋れ! 洗いざらい喋れ! 推し以外の恋バナは大好物!」

「推しだったらダメなんですか?」

「ダメだよそりゃ! もしランランに近付く男がいたら、あたしは、そいつを……!」


 亜霜先輩は据わった目をして両手をぷるぷる震わせた。明日葉院さんが推しなんだ……。溺愛してるとは思ってたけど。


「あたしの話はいいんだよ! で、相談って?」

「えっと……た、大した話じゃないんですけど!」

「うんうん」

「さっきの……星辺先輩としてた、ああいうのって、どうやってるんですか?」


 亜霜先輩は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「さっきの? センパイと? ……って、どれ?」

「『残念でした♪』っていう……あの小悪魔ムーブのことです!」


 これでまたきょとんとされたらどうしよう。あのムーブが完全に天然で、亜霜先輩に自覚がまったくなかったら……私は意味不明なことを質問した後輩になってしまう!

 そんな不安に、一瞬駆られた。

 けど。

 ……亜霜先輩は、きょとんとはせずに、真剣な顔をして、しばし瞑目した。


「――知りたいか」


 やがて、目を瞑ったまま、重苦しい声で先輩は言う。


「知りたいか、我が秘法」

「えっ? ……し、知りたいです!」


 いきなり謎のノリが始まってびっくりしたけど、とりあえず乗っておく。

 亜霜先輩はゆっくりと瞼を上げると、胸を持ち上げるように腕を組んだ。


「まあ座りたまえ。長い話になる……」


 言われた通り、私は近くのパイプ椅子を引き寄せて、亜霜先輩の正面に腰掛けた。

 亜霜先輩は長い脚を組み、もったいぶるように息をつく。


「……始めに言っておくよ。これからあたしが言うことは、決して他言しないように」

「は、はい」

「特にセンパイには! 絶対に! 言わないように!」

「は……はい……」


 圧がすごい。

 一体何が明かされるというのだ。


「――あたしの小悪魔はね」

「はい」

「人工栽培、なんだ」

「…………知ってますけど」

「ええっ!?」


 心底意外、みたいな顔しないでほしい。

 私も一瞬疑ったけど、あんなこと天然でする女子高生がこの世にいるわけないでしょ。


「ふ、ふふっ。あたしの正体を見抜くとはなかなかやるね、ゆめち」


 亜霜先輩は不敵な笑みを作った。明らかに誤魔化しだった。


「まあ、実のところ言うとさ、あたし、結構昔からオタクなんだけど」

「それもなんとなく知ってましたけど……何のオタクなんですか?」

「んー、普通の? アニメとか漫画とかゲームとか……あと、その、ちょこっとコスプレも……」


 コスプレ!

 会長も含めて、生徒会に二人もコスプレ趣味の人がいようとは……。


「これも言わないでね! 学校にバレると結構めんどくさいし!」

「わ、わかりました」

「それでさあ。だから、ちょっと、……憧れがね? あるんだよね……」

「え? ……何に、ですか?」


 亜霜先輩は少し黙って、目線を外しながら気まずそうに言った。


「…………オタサーの、姫…………」

「……あー」


 言葉だけはふわっと知っている。

 基本的に男性ばかりになりがちなオタク趣味のグループの中に、一人だけいる女の人、みたいな感じだったはず。


「いやだって、チヤホヤされたいじゃん! 女に生まれた以上はさあ! 承認欲求を満たしたいじゃん! アイドルとか目指すほど努力はしたくないけど、近場でインスタントに楽々にお姫様になれるならそれが最高じゃん!」

「欲求に忠実ですね……」

「だけど……だけどさあ……! オタクって、小柄なほうが好きじゃん。おっぱいもデカいほうがトレンドじゃん! あたしもそういうキャラ大好きじゃん! でもあたしはこの通り、背丈がすくすく育っちゃってさあ! ひらひらな服が似合わないの何の!」


 ……あれ? 背丈はともかく、おっぱいは亜霜先輩も大きい部類では……?


「だから……だからせめて、性格くらいはそれっぽくしたかったんだあ……! オタクをもてあそぶ小悪魔になりたかったんだあ……! おーいおいおい……」


 わざとらしく泣き始めた。あれ? 相談してるのは私なのに、私が慰めないといけない流れ?


「ま、まあまあ。先輩は見た目も可愛らしいと思いますよ。その髪型もすごく似合ってます」

「でっしょ~? ゆめちはよくわかってるなあ~!」


 秒で復活した。オタクはオタクでも、東頭さんとはまったく真逆の陽の気質だなあ……。


「なんというか、いろいろ腑に落ちました。だから明日葉院さんを気に入ったんですね」

「最初見たときはブチ切れそうになったけどね。なんじゃこの理想の塊はー! 神はどれだけあたしを試す! ってね」

「それと、好きなタイプの話も。確かに星辺先輩の隣にいるときは、先輩も小柄に見えます」

「……い、いやいや、センパイは1センチ足りないし」


 亜霜先輩は急にしどろもどろになって、目を横に逸らした。髪先をくるくると指でいじり始める。あれ?


「えっと……星辺先輩のことが好きなのでは……?」

「そっ! そんなわけないでしょ~!? 生徒会に男がセンパイしかいなかっただけで! ジョー君をからかったらすずりんが怒るし! 他に選択肢がなかったの! 遊んでるだけに決まってんでしょ!」


 ……さては、ヘタレているな!

 まるで鏡を見るような言い訳ぶりに、私は謎の安心感を得る。いや、私はヘタレてなんかないけど。


「それより! 最初の話! 小悪魔ムーブのコツね!」

「あ、はい!」

「ちなみに……一応訊いておきたいんだけど、誰に使うの?」


 あ、ちょっと警戒の眼差し。

 相手が星辺先輩かもしれないって思ってるのかな。


「少なくとも、生徒会関係の人ではないです。学年は一年生ですね」

「そ……そっか」


 ほのかに頬の緊張を緩める亜霜先輩。安心したらしい。会長といい、生徒会の先輩たちは何だかちょっと微笑ましい。

 亜霜先輩は空気を切り替えるように「えふんっ」と咳払いをすると、


「それでは、教えてしんぜよう! 小悪魔たるにはどうすればいいか!」

「はい!」

「その極意は、煎じ詰めればただひとつ!」


 ピッと指を立てて、亜霜先輩は告げた。


「『好きな人にしかできないようなことを、平然とした顔でやる』――ただこれのみ!」


 その言葉を、私はしばし咀嚼し、頭の中で繰り返し、そして――

 ぽん、と膝を叩いた。

 目から鱗がぼろぼろ落ちる。好きな人にしかできないことを、平然とした顔で――そうか。そうすれば、相手はこっちがどういうつもりなのか気になって仕方がなくなる!


「先輩!」


 私は感極まって椅子から立ち、亜霜先輩の手を取った。


「師匠と……師匠と呼ばせてください!」


 亜霜先輩はふっと不敵に笑い、


「よかろう、我が弟子よ!」


 静かで狭い印刷室に、怪しげな笑いがさざめき続けた。

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