もう少しだけこのままで⑥ あの再会は必然だった
◆ 伊理戸水斗 ◆
「あーもう。お母さん、飲みすぎ……」
「うへへ~。らいじょうぶらいじょうぶ~」
「ほら。寝るならベッド行こ! ね?」
珍しくべろべろになった由仁さんを、結女が肩に手を回して連れていく。
父さんが静かにグラスを傾けながら、小さく笑っていた。
「嬉しかったんだろうね。こうして四人で誕生日を祝えたのが」
「……僕たちの誕生日がたまたま一緒だったから?」
僕が訊くと、父さんは眉尻を下げて、
「どうかな。たまたまだったのかな、それは。ある意味、必然だったのかもしれない」
「え?」
「因果ってやつだよ。世の中っていうのは、本当に上手くできてる……」
父さんも父さんで酔いが回っているのか、その目はどこか遠いところを見ているかのようだった。
「水斗。そういえば、話してなかったか? 父さんが由仁さんと、いつ、どこで出会ったのか……」
「いや……仕事の関係で会ったって」
再婚の話をされたとき、確かそう説明されたような気がする。
けれど、父さんは緩く首を横に振る。
「再婚する切っ掛けになったのは、そうだが……実はな、もっと前に、一度出会っていたんだ」
「へえ……」
「病院で。お前と結女ちゃんが生まれた病院で、一度だけな……」
適当に相槌を打っていた僕は、その発言に、一気に意識を持っていかれた。
僕と結女が生まれた、病院?
同じ病院だったのか?
「驚いたか? でも、考えてみれば当然だろう。同じ街で、同じ日に生まれたんだから……病院だって、普通に被るさ。お前は覚えていないが……十六年前の今日、お前と結女ちゃんは一緒に生まれて、同じ新生児室で寝ていたんだ」
確かに、考えてみれば当然だった。
僕と結女は、同じ中学に通っていた。つまり同じ学区で、家もそう離れていたわけじゃなかった。それなら、同じ病院で生まれていたとしたって、何も不思議じゃない。
「そのとき、河奈は……お前の母親は、生死の境を彷徨っていて……僕は不安で仕方なくて……たった一〇秒先のことさえ想像できなくて……仕事も手に付かないまま、病院の中で無為に過ごしていた……。そんなとき、通りがかりの女性に、声をかけられたんだ」
「……それが?」
「そう。それが……結女ちゃんを産んだばかりの、由仁さんだった」
父さんは困ったように笑う。
「誓って言っておくが、浮気をしたわけじゃないぞ? そのときの僕たちは、お互いの名前も伝えずに別れたんだ……。ただ、しばらくの間、互いの不安を共有しただけで……。由仁さんは、旦那さんが仕事で忙しく、せっかく生まれた子供の顔も見に来てくれないことを、不安がっていた……。そんなときに、自分よりもものすごい、この世の終わりみたいな顔をしている僕を見て、放っておけなかったんだってさ……」
結女から聞いた。由仁さんの前の夫は仕事人間で、家庭の中で一人暮らしをしているような人だったと。
「由仁さんは言ったよ……。これから家庭がどうなるかわからなくても、子供の顔を見たら、未来が楽しみになるって……。それを聞いて、僕もお前の顔を見に行った。そうしたら少しだけ、明日を生きる勇気が湧いたんだ。それがなかったら……河奈に取り残されたとき、僕はお前のことを、恨んでいたかもしれない……」
……取り残される。
今まで、僕の人生において、当たり前に存在したその歴史が……どうしてか、今はどうしようもなく恐ろしかった。
そんな経験だけはしたくないと、心の底から思った。
「だから由仁さんは……僕の恩人だったんだ」
カランと、グラスの中で氷が鳴る。
「十五年、必死に仕事と子育てをして、河奈のことも少しは整理がついてきて……そんなときに、そんな恩人と再会して。一目で理解したよ。再婚するなら、この人以外はありえないって……」
父さんの口調はぼんやりとしていた。うつらうつらと、瞼が閉じかける。
「だから……僕も、嬉しいよ……。今日を、四人で、家族として迎えられたことが……。嬉しい……嬉しいんだ……」
だんだんと頭が傾いていって、程なく父さんは、机に突っ伏して寝入ってしまった。
こんなに深酒をする父さんは珍しくて……本当に父さんと由仁さんにとって、今日という日は特別だったんだろう。
父さんが静かに寝息を立てる中、リビングに結女が戻ってくる。
「あれ? 峰秋おじさんも寝ちゃったの?」
「ああ……。悪いけど、毛布、取ってきてくれないか?」
「うん」
結女が寝室から持ってきた毛布を、机に突っ伏した父さんの肩にかける。
誕生会は、これで完全にお開きだ。
残された僕たち子供は、粛々と食器を片付け始めて、
「なあ……」
その合間に言いかけて、結局、やめる。
僕たちがきょうだいになったのは、運命でも何でもなかったのかもしれない。
どちらかといえば、父さんたちの運命に巻き込まれただけで。子供を切っ掛けに出会った二人が、必然として一緒になったという、ただそれだけの話で。
神様が仕掛けたトラップは、本当に、中学の図書室で出会ったあのときだけだったのかもしれない……。
「何?」
振り返る結女に、僕は言う。
「……食べ残したケーキ、ちゃんと冷蔵庫に入れとけよ」
「え? うん。わかってるけど……」
言う必要は、たぶんない。
神様とか運命とか、そもそもそんなもの、どうだっていいんだ。
僕たちには、守らなければならないものがある。
その上でどうするかは――僕が自分で、決めなければならないものだ。
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