君が見ている僕のこと⑪ 高度に発達した友情は恋愛関係と区別がつかない

◆ 伊理戸水斗 ◆


 派手な転倒で乳首を負傷したいさなを介護しながらテニスコートに戻ると、川波の他にもう一人、招かれざる客がいた。


「あ、やっと帰ってきたー!」


 学ランの下にスカートを穿いた南暁月は、川波小暮の首根っこを掴んで引きずっていた。

 僕はそれをチラ見しつつ、


「南さん、その格好はどうしたんだ?」

「応援団だよ! そのくらい知っとけ! どんだけクラスメイトに興味ないの!」

「ああ……」


 そういえば、あるんだっけ。応援合戦。午後の部が始まる前だったかな。


「二人を待ってたの! 結女ちゃんが生徒会のほうに行っちゃったみたいで――」


 南さんは不意に言葉を途切れさせ、僕の後ろにいるいさなを覗き込んだ。


「……東頭さん、なんでそんなに前かがみなの?」

「あ! いえ! 元からこうですので! お気になさらず!」

「気になる~……」


 南さんのジト目に怯え、いさなは僕の背中に隠れる。曰く、乳首が服に擦れるから、前かがみになることであまり当たらないようにしているらしい。壊れたブラジャーはとっくに返し、いさなが教室の荷物の中に戻してきたらしいんだが……この調子なら、たとえ壊れてても着けさせてたほうが良かったかもな。


「ま、いいや。二人とも、お昼まだでしょ? 結女ちゃんがいないからさ~、一緒にどうかなって思ってさ!」

「それはいいが、そろそろ訊いてもいいか? 川波はどうなってるんだ、それ」


 首根っこを掴まれたまま、ぐったりとしているが……。


「ああ、こいつ? 大丈夫大丈夫、気にしないで。そのうち起きるから」

「いや、何をしたのかを聞きたいんだが」

「大丈夫大丈夫!」


 怖いよ。頑なに話そうとしない。


「じゃあ早速行こー! あたし、応援合戦出るから昼休み短いんだよね~」


 南さんは当たり前のように、ずるずると川波を引きずっていく。

 ジャージの袖から覗いた川波の手首には、気のせいか蕁麻疹のようなものが出ている気がした。






 結女が生徒会の面子に混ざってしまったので、他にお昼を食べる友達がいなくなってしまった――だから僕たちにお鉢が回ってきたのかと思っていたが、とんだ勘違いだった。


「じゃーん! こちらが東頭いさなちゃんでーす!」

「おおー」

「おお~! ……おおおお~~~?」


 いさなの胸をガン見しながらパチパチと拍手し始めたのは、結女や南さんとよくつるんでいる二人の女子だった。

 片方はボブカットで、ぼーっとした雰囲気。もう片方は背が高く、見るからに体育会系な快活さを放っていた。

 いさなが不安そうな顔をして、僕のジャージの肘をくいくいと引っ張る。


「(し、知らない人が……! 知らない人がいるんですけど!)」


 人見知りかつ内弁慶ないさなは、ライオンを前にしたリスのようにびくびくと怯えていた。まったく……南さんがどういうつもりか知らないが、ここは僕が仲立ちするしかないのか。


「えーっと……」


 僕が二人を見ながら首を傾げると、南さんが「ああ」と手を叩いて、


「やる気なさそうなのが金井奈須華で、うるさそうなのが坂水麻希ね!」

「え!? 名前覚えられてなかったのわたしら! 同じクラスだよねえ!? ってかうるさそうってなんだあっきー!」

「ウチも関わりない人ん名前よう知らんわ。初めまして~、よろしくな~」

「え!? わたし!? わたしのほうが少数派!?」


 確かにうるさそうだ。坂水、坂水、坂水か。やる気なさそうなほうは話がわかるな。金井、金井、金井……よし、覚えた。とりあえず今日のところは。明日はわからない。


「初めましてはいいが、どうして僕たちが呼ばれたんだ? 言っておくが、こいつにとって初対面の人間がいる環境は、川魚にとっての海のようなものだぞ」

「死ぬじゃん。いやさあ、結女ちゃんが抜けて三人になっちゃってさ、ちょっと寂しいねーって話になってさ、そういや前に東頭さん紹介しよっか~って話したの思い出してさ、じゃあ連れてくるかーってことになった」

「許可を取れよ。本人の許可を」

「おお、そりゃそうだ。東頭さん! 一緒にご飯食べよ?」


 顔を覗き込まれたいさなは、坂水と金井のほうをちらちらと見た後、


「まあ……べつに……大丈夫、ですけど……」

「『喜んで』だってー!」

「うぐぅ……」


 拡大解釈が過ぎる南さんの翻訳により、いさなはますます萎縮した。やれやれ。空気を明るくするためかもしれんが、人の言ったことを歪めて伝えるもんじゃないぞ。

 南さんは引きずってきた川波をぺいっとその辺に放り捨てると、椅子を二つ引いてきて、坂水と金井のそばに停めた。その片方に自分が座りつつ、


「東頭さんはこれ使ってー。許可取っておいたから」

「は、はい……」


 答えつつも、いさなが心細そうだったので、僕も自分の椅子を持ってくる。

 その間、坂水と金井が打ち捨てられた川波を見下ろして、「哀れな……」「釣られたマグロみたいやなあ」と話していた。

 自分の椅子をいさなの隣に設置し、腰を下ろすと、いさなもようやく与えられた席にお尻をつける。

 その姿を見ながら、坂水と金井が呟いた。


「デカい」

「デカい」

「揺れてる」

「揺れてる」

「二人ともー。語彙力語彙力」


 ……今はノーブラだからな。もし触りたいとか言い出してきたら、そのときは僕が守ってやらなければ。

 緊張している様子のいさなに、僕は横から話しかける。


「いさな。弁当あるのか?」

「あ、はい。あります。え? 膝の上にあるこの包みをなんだと思ってたんですか?」

「いや、あの人――凪虎さんは弁当とか作らなそうだなと思って……」

「今日はお父さんが作ったみたいです」

「ああ……」


 こき使われてるな、まだ見ぬ東頭父。いや、単に家事を分担してるだけなのかもしれないが、凪虎さんの印象的にな……。


「水斗君のはあの方が作ったんですか?」

「ああ。こういう日は由仁さんが張り切るんだ」

「優しいお母さんですねえ。交換してほしいです」


 僕は嫌だよ。凪虎さんが母親になるのは。


「うーん」

「なるほどぉ……」


 僕らのやりとりを見ていた金井と坂水が鹿爪らしく唸り、南さんがなぜかにやりと笑う。


「いかがですかな? 諸君の見立ては」

「まだ何とも言われへんなあ」

「いやでも、いま家族の話してなかった? 家族ぐるみの付き合いってことじゃねーの?」


 何の話だ。

 南さんたちはごそごそと自分たちの昼飯を開けていく。南さんはコンビニで買ってきたらしいパンで、残りの二人は弁当があるようだ。


「っつーか、奈須っちはここにいていいのかよー」


 僕らより一回りデカい弁当箱を開けながら、坂水麻希が言う。


「年上彼氏と食いに行かなくていいのかー? 巨乳見てる場合じゃなくねー?」

「今日はええやろ。伊理戸ちゃんにフラれた南ちゃんが可哀想やし」

「だーれがフラれたんじゃい! 誰が!」


 ふむ。確かに、結女が生徒会に入ってからは、南さんと過ごす時間も少なくなっているはずだ。今までの印象からすると、もっと荒れていても良さそうなものだが。

 南さんはパンの袋を破ってむしゃあとかぶりつきながら、


「あたしは成長したの! 大好きな友達の門出を素直に祝える大人にね!」

「ほーん」

「ずいぶん早い成長やなあ。ほんの一週間くらい前に、寂しい言うてウチらに泣きついとったのに」

「そっ、それは……成長イベントだよ、成長イベント!」


 できれば高校に入った時点からそうなっていてほしかったもんだが。そうすれば僕が無駄に求婚されたりすることもなかった――このところ彼女が大人しいのは川波のおかげかとも思っていたが、結女とは別に友達がいるのも大きいのかもな。


「あ……水斗君、水斗君」


 などと考えながら弁当をつついていると、隣のいさなが僕の手元を覗いてきた。


「おかず交換しましょー。伊理戸家の唐揚げ、好きなんです」

「ああ、そうだっけか。じゃあ口開けろ」

「んあ~」


 小鳥みたいに開かれたいさなの口に、僕は箸で掴んだ唐揚げを押し込んだ。

 いさなはもっきゅもっきゅとリスみたいに頬張って、


「おいひいでふ~」

「じゃあこの大学芋をもらおう」

「ももふ!?」


 いさなの弁当箱の中から大学芋を一つ、ひょいと摘まみ取り、さっさと口の中に放り込んだ。

 いさなは口の中の唐揚げを飲み込んでから僕の肩を掴んで、


「それわたしの好きなやつなんですけど!」

「知ってる」

「わざとじゃないですか!」

「好きなものと好きなもので等価交換だろ?」

「それは水斗君の好きなものを選ぶんですよ、普通!」

「と言っても、別にないからな、好きも嫌いも」


 食べ物はただ食えればいい。昔からそうやって生きてきた。

 いさなはぶすっと唇を尖らせて、


「水斗君は、手料理の作り甲斐がない人ですよね」

「作る予定でもあるのか」

「攻略法が一個潰れたなあと思っただけです」

「そんなもの、君には今更必要ないだろう」

「そんなことないですよう。どうやったらもっと甘やかしてもらえるか、日夜研究してるんですからね」

「志が高いようで何よりだな」

「エッチな絵でも描いてあげましょうか?」

「なんでだよ」

「食欲がダメなら性欲かなーと」

「……放っておくと厄介になりそうだから、少し甘やかしてやる。ほら唐揚げ」

「わーい! んもきゅもきゅ」


 二個目の唐揚げを親鳥の気持ちで与えていると、一連のやりとりを見ていた女子どもがこそこそと話し始めた。


「(いや、これは付き合ってんでしょ)」

「(あーんするのに何の躊躇もないで。ビビるわ)」

「(ところがどっこい、ただの友達です)」

「(嘘だね! 絶対嘘だね! 休日は爛れた生活を送ってるね!)」

「(伊理戸ちゃんもだいぶ気ぃ遣わなあかんなぁ、それは)」


 そのときだった。

 ずっと地面で沈黙していた川波小暮が、急にガバッ! と起き上がったのだ。


「ひぁうっ!?」


 いさながビクッと驚いて僕の肩にしがみつく。……おい。君、今ノーブラだぞ。

 僕が恐ろしく柔らかい感触からそれとなく肩を逃がしていると、川波は土のついた頭で、ゆらりと南さんたちのほうを見た。


「今……何か、とんでもなく不快な話が聞こえなかったか……?」

「気のせいでしょ。ほらこれ」


 南さんは川波の地獄めいた声をあっさりスルーし、手元に残していたパンを軽く投げ渡した。


「お昼ご飯。ついでに買っといてあげた。感謝に咽び泣けい!」

「あー?」


 川波は後頭部についた土を払いながら、投げ渡されたパンを見つめて渋い顔をする。


「……カレーパンのほうが良かったなぁ」

「って言うと思って、そっちも買っといた。ほい」

「お? サンキュー」


 もう一つ、新しいパンの袋を投げ渡されて、渋い顔を簡単に引っ込めた。

 それを見てまた、坂水と金井がこそこそと話し始める。


「(いや、こっちも付き合ってんじゃん)」

「(というか結婚してへん? 実は)」

「……やっぱり、とんでもなく不快な話が聞こえてんなあ」

「それは気のせいじゃないかも」


 まったく。落ち着いて食事ができないのか、この連中は。


「(ひうっ! ……す、すみません。またちょっと先っぽが……)」


 ……君も含めてな。

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