9.プロポーズじゃ物足りない
きっとこの道は面白い① 幸せの形
◆ 伊理戸水斗 ◆
「水斗くん――きみは、自分の幸せの形がどういうものか、すでに気付いてしまっているのではないかな?」
僕よりもずっと大人なその人は、すべてを見透かしているかのようにそう言った。
「ハリウッド映画はキスで終わり、RPGは結婚式で終わる。それが多くの人々が想像する、『幸せ』のステレオタイプだ。しかし、現実には幸せの形は一定ではなく、他人に孤独と言われる人間が大いに人生を謳歌していることもあるし、他人に非才と思われる人間が現状に満足していることもある――自分自身がそれに気付かず、隣の青い芝ばかりを見て、本当は必要のないものを追い求めている、といった喜劇でさえ珍しくはない」
滑らかに紡がれる言葉は、まるで清流のようだった。
「きみは人一倍聡いのだろう。だからその歳で、早くも気付いてしまったんだ――自分の幸せが、『家庭』の形をしていない、ということに」
誰もが、なんとなく、思い描く。
家族のいる未来を。
パートナーがいて、子供がいて、同じ家に住んでいて――まるで刷り込みのように、そんな未来を思い描く。
だけど、それって、本当に必要だろうか?
僕の人生に、本当に、必要なんだろうか――
「中学生なら、後先考えずに子供のままでいられる。大学生なら、大人としての振る舞いを求められる。高校生は、その狭間――子供でありながら、大人にもなりつつある、蛹のような状態だ。これは僕の持論だがね――厄介な時分だと同情するよ。きみは、何かを決断するには、あまりにも若すぎるし、あまりにも大人すぎる――」
他人事のようだ、と思う。
彼がじゃない。僕がだ。
この期に及んでも、自分のことだとは思えない――
「きみはどちらになる?」
それでも、選択肢は厳然と存在する。
「子供に戻り、後先考えず感情に任せて無謀な選択をし、まるでRPGのように、結果的にいい結末になることを祈るか――大人に進み、今このときの感情を封じて、まるでRTAのように、自分の幸せの形を効率的に追い求めるか」
慶光院涼成は、ゲームマスターのように微笑んだ。
「より良い選択ができることを祈るよ。きみの義きょうだいの、かつての父としてね」
◆ 伊理戸水斗 ◆
十二月だった。
紅葉シーズンが終わり、いよいよもって冬将軍が本領を発揮し始めた昨今、我が家ではかの将軍に対抗するため、秘密兵器が物置の奥から前線に投入された。
炬燵である。
「……さむっ……」
たまの外出から帰宅した僕は、身震いしながらドアを閉じる。寒風に晒されることは避けられたが、家の中も家の中で凍ったように冷え込んでいた。何なら陽光が射さない分、屋内のほうが寒い可能性すらある――神戸の温泉が恋しくなってきた。
僕はコートを着込んだままリビングに移動する。暖房を入れるにしても、部屋が暖まるのにはしばらくかかる。それよりも手っ取り早いものが、ソファーに囲まれた一角に存在した。
少し前までガラスのローテーブルが置かれていた場所に、天板の下の空間を布団で覆い隠した炬燵が置いてあるのである。
僕は布団の中に脚を突っ込んだ。暖かみがじんわりと冷えた脚に浸透する。ほっとしたのも束の間――
むにっ。
――と、伸ばした足先に、何か柔らかいものが触れた。
「……んん……」
寝言めいた呻きが聞こえて、僕はようやく気が付いた。
僕から見て左辺の布団から、見慣れた女が顔を出しているということに。
僕は半ば反射的に、自分の下半身を覆っていた布団を捲り上げた。すると、ぼんやりとオレンジ色に照らされた空間に、赤ん坊のように膝を曲げた白い脚があった。長いスカートが捲れて、すべすべした太腿まで露わになっている。もう少し視点を下げたら、パンツまで見えてしまいそうだった。
「……ん……」
たっぷりと一〇秒ほども見つめてしまっているうちに、コタツムリと化した女が寒そうに身動ぎ、さらに膝を持ち上げた。いよいよお尻が見えそうになって、僕は慌てて布団を下ろす。
炬燵から頭だけを出し、すやすやと眠る彼女――結女の寝顔を、僕は見るともなしに見下ろした。
……何だか、既視感のある展開だ……。神戸に行く前にも、こんなことがあったような。
あのときはいさながいたから、滅多なことはしなかった――しかし、他に誰の目もない状況で、こうも無防備でいられると、どうしようもなく選択肢が顔を出してしまう。
いや、もちろんありえない。炬燵の中の下半身を覗くような奴が家族にいたら、別に元カップルでなくとも家庭崩壊だ。
ここは自制して、さっさと自室に引っ込むべきなんだろう。……でも、それはそれとして、炬燵の暖かさからは抜け出しがたい……。
つんつん、と。
胡座をかいた僕の膝を、つつくものがあった。
気付くと、布団から顔を出した結女が、薄っすらと目を開けていた。
起きたのか。……布団を捲ってるときじゃなくてよかった。
結女は肩まで炬燵に潜り込んだまま、僕の顔をじいっと見つめて、――つんつん、とまた、布団の中で僕の膝を足先でつついた。
「……………………」
「……………………」
しばし、無言で視線を交わす。
結女はじっと見つめてくるだけで、何も言わなかった。だから僕としても、何も言うことはなかった。
とりあえず、炬燵から追い出されそうな気配はない。
僕は着込んでいたコートを脱ぐと、さっき買ってきた本を袋から出した。炬燵の上で、ページを捲り始める。
その間も結女は、つんつん、つんつん、とたびたび僕の膝をつついてきた。たまにちらりと視線をやると、少し嬉しそうに口元を緩ませる。
構ってほしいのか……?
思った通りにしてやるのは何だか癪な気がして、つついてくる足を無言で押し返していると、玄関のほうから由仁さんがやってきた。
「あ、水斗くん、おかえりー」
言いながら、由仁さんはぱたぱたとこっちにやってくると、布団に潜り込んでいる結女にも気付く。
「あー。結女ー、そんなところで寝てると風邪ひくわよ?」
「んー……」
結女はぼんやりとした声で答え、しかし炬燵から抜け出そうとしない。
「まったくもー……」
そして由仁さんが離れていくと、またつんつんを再開した。
訴えかけてくるような目といい、どうしてほしいのか知らないが、やられっぱなしは性に合わない。
僕はタイミングを見計らうと、素早く布団の中に手を突っ込み、伸ばされてきた結女の素足を掴んだ。
「やっ……」
柔らかく、華奢な足を捕まえた僕は、すかさずもう片方の手でその足裏をくすぐる。
「んっ、ちょっ……んん~っ!」
声をあげないように悶絶する結女を、だが解放することなく、僕はくすぐり続けた。
――何気ない日常の一幕だ。
家族として、当たり前に過ぎ来る、日々の一片。
けれど、そのぬるま湯のような安心の中に、どうしようもなく、心臓を刺激するものが混じっている。
「……ふー……」
僕がようやくくすぐるのをやめると、結女は少し赤くなった顔で、恨みがましげに僕の目を見つめた。
それから、ふっと目だけで笑うと、解放された足の裏を、まるで甘えるように僕の膝に擦り付けてくるのだった。
家族としての安心。
男女としての刺激。
相反する感情が、一瞬ごとに去来する。
頭がどうにかなりそうだ。
僕が僕でなくなってしまいそうなくらいに。
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