運命の相手② 無形の創作者


◆ 伊理戸水斗 ◆


 いさなの家庭教師になって一週間が経った頃、僕はいさなと一緒に、とある芸大のキャンパスを訪れていた。


「勉強やだーっ!」


 いさなが爆発したのだ。

 SNSに投稿したあの失恋イラストの評判は上々だった。初投稿であることを鑑みたら良すぎるくらいだと言っていい。気を良くしたいさなは、僕が設定した〆切をしっかり守って二作目を完成させつつも、勉強の遅れを少しずつだが取り返していた。

 が、そう長く続くものでもなかったらしい。


「息が詰まりそうです! こんな管理された毎日! 絵描きたいラノベ読みたいゲームしたい昼寝したい夜更かししたーい!!」


 欲望の権化たる東頭いさなに、規則正しい生活はむしろ毒だったようだ。

 そういうわけで、彼女に気分転換をさせるために、今日は大学で開かれるというゲームクリエイターの講演会に足を運ぶことになったのだった。


「わたし、こういうの見に行くの初めてです。水斗君は?」

「僕もサイン会とかは行かないタイプだからな。でもたまにはいいだろ?」

「はい! 教科書を読むよりもずっと勉強してるって感じがします!」


 たまたまネットで開催情報を見かけたのだが、講演会に登壇するのがいさなもやっているゲームのプロデューサーだったらしく、じゃあ行くかという話になったのだ。

 イラストレーターとは畑違いだが、業界のプロの話を聞くのはいい刺激になるだろう。ここでモチベーションを補給して創作と勉強に活かしてくれたら、僕の仕事も楽になる。本当に手がかかるなコイツ。


 入口近くでキャンパスマップを見て、会場となる講義室を目指す。

 大学の構内に入るのは二回目だが、何とも不思議な空間だ。なんというか、高校に比べて生活感がある。高校がきっちりと大人に制御された空間なのに対して、大学は学生の個性が形作っている空間という感じがした。

 芸大というのもあるんだろうな。そこら中に学生が描いたと思しき絵や、何を模っているんだかわからんオブジェが散見されて、まるで文化祭の準備期間のようだった。


「ほあー……」


 そんなキャンパスのカオスを、いさなは興味深げに眺め回している。彼女が進学するとしたら、普通の大学よりもこういう大学のほうが合うのは確かだろう。まだ二年以上も先のことだが、そのときは確実に、僕とは異なる進路に行くことになる。

 僕の進路は、暫定で京大である。

 ウチの学校で学年二位なら、当然と言ってもいい進路だ。たぶん、受ければ受かる。そのくらいの自負はある。けど、学部についてはあやふやだった。なんとなく文学部かと思っているけど、それも読書が好きだから以上の理由はない。

 いさなが進む道を決めるとき、僕もまた、あやふやなままにしている自分の未来を、決定しなくてはならなくなるだろう……。


「ここか」


 目的の講義室に辿り着いた。

 後ろのドアから中に入ると、黒板のある前方に向かって段々に低くなっていく席に、疎らに聴講者が座っていた。慣れないキャンパスで迷うのを計算に入れて、早めに来たのが功を奏したらしい。最後列の席が空いていたので、いさなと隣同士に座った。

 へあー、と間の抜けた声を漏らしながら、いさなが天井のほうを見上げる。


「水斗君。天井からモニターがぶら下がってます」

「ああ、後ろの席からでも板書が見えるようにじゃないか? それかスライドを映すとか」

「おおー。高校の教室よりもずっと広いですもんね」


 この講義室のキャパシティは、おそらく三桁に上るだろう。部屋の広さからして、高校とは桁が違うのだった。


 しばらく待っていると、講義室の席は徐々に埋まっていった。

 最終的には八割程度が人で埋まる。聴講者の層はバラバラで、やはり大学生らしい若者が多いが、中には明らかに五〇は超えているおじさんもいるし、逆に中学生くらいの子供もいた。大学に高校生が混じるなんて目立つんじゃないかと思っていたが、杞憂だったようだ。


 やがて、講演会開始時刻の直前になると、前側の扉から大学のスタッフらしき女性に伴われて、スーツの男性が入ってきた。

 スーツと言ってもノーネクタイで、サラリーマンよりも若手の実業家のような雰囲気を帯びていた。歳はたぶん四〇代だろう。おそらくお洒落で、顎に少しだけ髭を残している。いかにもインタビュー記事でろくろを回していそうな人だった。

 初めて見るはずだが、僕は脳裏に引っかかるものを感じた。


「……なあ、いさな」

「はい?」

「あの人、どこかで見たことないか?」

「え? 何かのインタビュー記事じゃないですか? 対談とかインタビューとか、よくやってるの見ますよ」

「そうじゃなくて……」


 どこかで、実際に会ったことがあるような……。

 実業家風の男性は、時間になるなり、教卓のマイクを手に取る。


「こんにちは、皆さん。お越しいただき光栄です。ぼくが慶光院涼成です」


 ちなみに本物です、と付け加えて、聴講者の笑いを誘った。なりすまされたことでもあるのだろうか。


「よく間違われるのですが、『すずなり』ではなく『りょうせい』です。皆さんも子供ができた際には、読みやすい名前を付けてあげてください」


 軽快な語り口で空気をほぐしてから、ゲームクリエイター・慶光院涼成の講演会は始まった。

 彼の経歴は見事なまでに成功者のそれだった。大学卒業直後、当時黎明期だったソーシャルゲームのベンチャーを立ち上げ、大ヒット。ディレクター兼プロデューサー兼取締役として会社を大きくすると、それを後進に託して独立――現在は少数精鋭の仲間と共に、インディーゲームを作っているという。


 ……ソーシャルゲームか。

 それを聞いて僕は、結女の話を思い出した。

 結女の父親は、何らかのクリエイターだったという。何らかの、という言い方になるのは、かつての彼女の家には、父親が作ったものが一つもなかったからだそうだ。

 作ったものがソーシャルゲームだとしたら、家に成果物がなくても不思議はないな。何せコンシューマーのようなパッケージが存在しないんだから――


「ぼくには物を作る才能はありません。だから誰かの才能を活かす道を選びました。世に数多と存在し、しかし多くが日の目を見ずに潰える天才たち――彼らがその能力を最大限に発揮する場所を作り、ユーザーという日の下に送り出す。それがぼくの仕事です」


 いさなの付き添いでしかなかったはずのぼくは、いつしか彼の話に聞き入っていた。

 だから、脳裏にあった引っかかりの正体に気付いたのは、講演会が終わってからのことだった。






◆ 伊理戸結女 ◆


 この休日、私は暁月さんや麻希さん、奈須華さんと一緒に、喫茶店で勉強会をしていた。

 二学期の期末テストは、もう目の前に迫っている――中間テストに比べて科目数が多いから、しっかり対策しておかないといけない。だからこうして、学校に入れない休日にも、集まって勉強しているのだった。

 それと、私個人の理由を言えば、気掛かりなことがあって……一人だとなかなか集中できないから、誰かが一緒にいてほしかった、というのもある。


「やってるね」


 ちょうど私が、奈須華さんに数学の問題を教えているときに声をかけてきたのは、ウエイトレス姿の紅鈴理会長だった。

 これに元気良く麻希さんが、


「押忍! やってまーす!」


 と答える。

 この喫茶店は、紅会長のバイト先だった。生徒会の歓迎会の会場にもなった場所だ。

 休日勉強会の場所を探していた私たちに、会長が快くバイト先を提供してくれた形だった。実際、ファミレスやフードコートよりずっと静かで、勉強場所として申し分ない。


「いやー、意外でした! 会長がそんな可愛い服着てバイトしてるなんて!」

「ふふふ。だろう?」


 小柄な身体に誂えたようなウエイトレス服の会長は、自慢げに薄く笑う。


「あまり口外しないでくれたまえよ? 冷やかしの生徒が増えると、マスターに迷惑がかかるからね」

「了解です!」


 会長は私たちのコップに、お冷やのおかわりを注いでくれる。注文した紅茶やコーヒーは、もうみんな空になっていた。


「でも会長さんは、大丈夫なんですか~?」


 と、のんびりした口調で奈須華さんが訊く。


「テスト勉強せんと、バイトなんかしとって~」

「普段からやってるからね。心配は無用だよ」

「……そういえば、会長がテスト前に根を詰めてるところ、見たことないかも」


 私がぼそりと言うと、紅会長はくすりと悪戯っぽく笑う。


「夏休みの宿題は計画的にやるタイプでね」


 だったら羽場先輩とのことはどうして計画的にできないのかなあ――という毒は、心の内に留めておく。

 暁月さんがぐでーっとなって、


「去年の過去問教えてくださいよぉ、せんぱ~い……。あたしもう限界~……」

「ダメだよ。というか無意味じゃないかな。ウチのテストは過去問対策も万全だからね」

「うへ~……」

「どうにか自力で頑張ってくれたまえ。何、我が生徒会の頼れる書記がついているんだから、造作もないさ」


 冗談めかしてそう言って、会長はスタッフエリアへと戻っていった。

 すると麻希さんが、にまっと笑って私を見る。


「頼れる書記だってさ」

「やめてよ。議事録取ってるだけなんだから、私なんか」


 私は曖昧に笑って言った。他にはレジュメを作ったり、ホームページの更新をしたり、生徒会だよりを作ったり……いずれは会誌の編集もすることになるらしいけど、委員会や部長連と矢面に立ってやり合っている会長や亜霜先輩に比べたら大したことはない。


「いやいや、充分だって! パソコンカタカターってやってさあ! カッコ良くない?」

「まあ、キータッチは確かに上手くなったかも」


 パソコンなんて、生徒会に入るまで授業でしか触ったことなかったし。水斗は自分のを持ってるけど……。


「どっちにしろ学年一位じゃん! お助け~!」


 勉強の亡者こと暁月さんが、隣の私にへばりついてくる。


「はいはい。じゃあとりあえずシャーペン持ちましょうね」

「うえ~ん! 指痛いよ~!」

「まだ千切れてないから大丈夫」

「はうっ……! スパルタな結女ちゃんもいい……」


 はいはい、と私はもう一度あやした。

 こうしている間にも、私の脳裏には、期末テストが終わった後に控えるイベントのことがぐるぐると駆け巡っている。


 私の生みのお父さんとの、水斗を伴った三者面談。


 水斗は意外にもあっさりと承諾してくれたけど、彼の中でこのイベントの位置付けはどうなっているんだろう。厄介な面倒事? それとも……。

 ああもう! お母さんもついてきてくれたら良かったのに! 何でも、『旦那さんに悪いから』って、向こうが私と水斗だけでいいって言ってきたらしいけど……。


 ……お父さんもお父さんで、どんなつもりなのかわからない。

 別れた奥さんの再婚相手の息子って、会いたいような相手なの? 私なら絶対嫌だけどな……。どういう顔で会えばいいのかわからない。

 私が一番の当事者のはずなのに、何だか置いてけぼりにされてる気分だ。


「……はあ」

「結女ちゃん?」

「あ、ううん。ごめん、何でもない」


 私は会長が注いでくれたお冷やを飲んで、漠然とした不安を誤魔化す。

 うっかり東頭さんに対抗したくなっちゃったけど……本当、どういう会合になるんだろう?






◆ 伊理戸水斗 ◆


 講演会が終わり、僕たちは講義室を出た。


「結構面白かったですね~。インディーゲームはあんまりやらないので新鮮でした」

「そうだな」


 確かに面白かった。他人の才能を活かすことの工夫や面白さ――いさなよりもむしろ、僕が今やろうとしていることのほうに関連が大きい話だったような気がした。


「君って将来、絵でやりたいこととかあるのか? ライトノベルとか、ゲームとか……あとVtuberのデザインとかもあるか」

「えー? はっきりとは考えてませんよぉ。……あ、でも、エッチな同人誌は作ってみたいです」

「往来ではっきり言うことか。十八歳になったらな」

「うへへ……二年後が楽しみですねえ」


 そもそもこいつ、普段の発言からして、真面目に十八禁を守っているとは思えないんだが――あんまり触れないほうがいい気がしてきた。


「そもそも君、売り子とかできるのか?」

「コスプレの人に頼むに決まってるじゃないですか!」

「その交渉ができないだろって話だよ」


 僕がやることになるんだろうな。その未来が今から思い浮かぶ。女友達のエロ同人誌の売り子のためにコスプレイヤーと交渉する――どういうシチュエーションだよ。まず女友達が描いたエロ同人を読まなきゃいけないという状況からして頭が痛い。


「まあ、それもこれももっと上手くなってからだし、何より目の前の期末テストを乗り越えてからだ」

「うげえ……思い出させないでくださいー……」


 いさながどういう将来を選ぶにしろ、高校を中退させるわけにはいかない。今日の講師だった慶光院って人も、なかなか立派な学歴の持ち主だったしな――


「……それにしても、やっぱりどこかで……」

「はい?」

「なあ。やっぱりあの慶光院って人、どこかで見たことないか?」

「ええ? それって、わたしも見たことあるってことですか?」


 そうだ。なんで僕はいさなに訊くんだ? もしかして、あの人を見たその場に、いさなも一緒にいたのか……?


「――うん?」


 講義室のある棟から、外に出たときだった。

 ちょうどそこで、話題に出ていた本人――慶光院涼成が、スマホで何かをチェックしていた。

 彼は僕たちに気が付くと、「君たちは……」と呟いて、


「――ああ、やっぱりそうだ。洛楼の文化祭で」


 と、そう口にした。

 瞬間、詰まっていた僕の記憶も一気に流れ出した。

 ああ――そうだ。

 文化祭で、ちょうどいさなと二人っきりになったとき、僕と結女のクラスの場所を訊いてきた――


「これは奇遇だね。あのときは世話になった」


 優しげな笑みを浮かべて、慶光院――さんは、話しかけてくる。

 いさなは「え? え?」と混乱した様子で、僕と慶光院さんの顔を見比べた。


「文化祭で会ってたんだよ」


 と、僕は抑えた声で言った。


「ほら、僕らが一緒にいるときに道を訊いてきた――去り際に君のことを『素敵な彼女』って言って」

「――あっ! あのときの……ああ~!」


 ようやく思い出したらしく、いさなはスッキリした声を漏らした。

 そう、普通はこのくらい時間がかかる。あんな些細なことを思い出すのには。


「……覚えてたんですか? 僕らのことを」


 そう尋ねると、慶光院さんはシニカルに笑って肩を竦めた。


「仕事柄、人の顔を覚えるのは得意でね。講演会の最中から気になってはいたんだが、近くで見たらすぐに思い出したよ」


 すごい記憶力だ。僕は人の顔と名前を全然覚えないから、超能力にさえ思える。


「君たちは高校生だろう? 芸大の講演会にまで足を運ぶとは、ずいぶんと勉強熱心だ。ゲームクリエイターに興味が?」

「いえ……今日は息抜きです。今はテスト期間なので」

「テスト期間? ……ああ、期末テストか。いかんね。学生をやめると、すぐに当時の習慣を忘れてしまう」

「あなたこそ、あのときはどうしてウチの文化祭に?」

「友人から招待状をもらったんだ。この歳になると、学校という場所はどうしても聖域じみてしまってね。若者の感覚を知るためにも、機会があれば足を運ぶことにしているんだよ。……それに、洛楼には少々、縁もあってね――」


 縁? ……さっきの講演会の紹介だと、出身校は別の高校だったが。


「次はこちらのターンだ」


 いつの間にかターン制になっていた。


「息抜きにしても、なかなか稀有な選択だ。デートをするなら他にいくらでも場所があるだろう? 僕が見たところ、君たちのどちらか――おそらく彼女のほうかな」

「ふえっ」


 僕の背中に半身を隠して会話を見守っていたいさなが、びくっと身体を震わせた。


「彼女が、何らかのモノづくりを志していると見た。どうだい?」


 僕は少し躊躇した。いさなの趣味は、別に隠しているわけでもないが、他人の僕が勝手に明かしていいものでもないだろう。本人に判断を仰ごうにも、いさなは初対面の人間の前では貝のように口を閉ざしてしまう。

 だが、躊躇は少しの間で済んだ。

 理由は二つ。一つは、僕が明かさずとも、彼にはもうほとんどバレてしまっていること。もう一つは――


「――ええ、その通りです。こいつ、イラストを描いてまして。刺激になるかと思って連れてきました」


 これはチャンスだと、僕の勘が言っていた。

 その経歴と、さっきの講演の内容からして、彼――慶光院涼成は才能を見るプロだ。

 そのプロに、いさなの才能を査定してもらえるチャンス。こんな機会は、ただの高校生にはそうそう訪れるものじゃない。

 もちろんリスクもあるが、彼の様子からして、若い芽を摘むような真似はしないだろう。分の悪い賭けではないと思った。


「ほう?」


 慶光院さんの目がいさなの顔を見て、いさなはさらに僕の後ろに隠れた。


「なるほど。イラストか。僕は昔からからっきしでね、絵を描ける人は無条件に尊敬してしまうよ」

「高一にしては結構上手いと思いますよ」

「ちょっ、水斗君!?」


 いさなが顔を赤くしてぐいぐいと僕の服の裾を引っ張った。上手いのは確かなんだから恥ずかしがるな。

 慶光院さんは面白がるように微笑むと、


「よければ見せてもらえるかい? 若い人の作品を見るのが好きでね」


 お見通しか。でも望むところだ。


「いさな、いいか?」

「え、ええぇ……?」

「もうネットに上げてるんだから、今更一人増えたって同じだろ」

「目の前で見られるのは同じじゃないですよう……」

「ははは! 怯えなくてもいいさ」


 慶光院さんは軽やかに言った。


「僕は編集者じゃないし、ここは持ち込み会場じゃない。会って二回目の女子高生を貶して喜ぶほど、性格は捻くれていないつもりだよ」


 クリエイターが恐れていることが何なのか、よくわかっている。僕の見立ては間違っていないように思えた。


「ネットに上げていると言ったね。ペンネームを聞いても?」

「いさな」

「……うう……わかりましたよぉ……」


 僕がいさなのペンネームを告げると、慶光院さんは素早くスマホを操作した。


「このアカウントか。……ふむ……」


 慶光院さんの目が少しだけ細まる。

 いさなのアカウントに上がっているイラストはまだ二枚。ポートフォリオには少なすぎる。だからこれは自己紹介の延長でしかないはずだったが、慶光院さんの目に浮かぶ色は真剣だった。


「……一つ訊きたいんだが、いいかい?」


 やがて、スマホに落ちていた視線が、すっと僕のほうを向いた。


「この……最初の絵。失恋した少女のイラストだが……これをネットに上げるように勧めたのは、君かい?」

「……そうですが」

「ふむ。……なるほど。いい目をしているね」


 ……んん? なんで僕が褒められるんだ。


「ワクワクする絵だ。まだ荒削りだが、それがゆえに伸び代があるとはっきりわかる。それでいて、イラストに情緒を載せるセンスがすでに、はっきりと表れている……。それに、この二作目もいい。自分のリビドーを作品にぶつけることにまったく躊躇が見られない。クリエイターには必要な資質だ」


 うぎゅうぅぅ、という謎の呻き声が、僕の耳元に届いた。恥ずかしいらしい。褒められてるんだから喜べばいいのに。

 慶光院さんは突然、スーツの懐に手を入れた。内ポケットをごそごそと探り、「あったあった」と名刺入れを取り出す。


「改めてになるが、僕は慶光院涼成という」


 そして差し出されたのは、一枚のお洒落なデザインが入った名刺だった。


「自己紹介が遅れてすまない。君たちの名前を聞かせてもらっても?」


 僕は名刺を受け取りつつ、


「伊理戸水斗です」


 それから肘でいさなをつついた。


「ひ、東頭いさな、です……」


 そのか細い声を、慶光院さんはしっかり聞き取ったらしい。


「伊理戸水斗くんに、東頭いさなさん……よし、覚えた」


 コツコツと自分のこめかみを叩きながら言って、「……ん?」と眉根を寄せる。


「……伊理戸水斗……」

「はい?」

「いや」


 慶光院さんは、ゲームの発売日の子供みたいに、にやりと笑った。


「奇遇は重なるものだ。これだから、人というものは面白い」


 ……? どういうことだ?


「何か相談があれば、その名刺の連絡先に遠慮なく連絡してほしい。特に水斗くん――君とはそう遠くない未来に、また会うことになるだろう」


 妙に胡散臭いことを言って、慶光院涼成はシニカルに笑った。


「なぜだか胡散臭いと言われることが多くてね。せっかくだから予言者ぶってみたよ」


 それじゃあ、と言って、慶光院さんは足早に去っていった

 僕たちはその背中を見送りつつ、


「……そういうことを言うから胡散臭がられるんじゃないか?」

「ですよね」


 信用していいんだか良くないんだか……僕は渡された名刺を見ながら首を傾げた。

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