本気のおまえを見せてみろ③ 尊い


◆ 羽場丈児 ◆


 翌朝。旅行三日目――最終日。

 宿のチェックアウトを済ませた俺たちは、荷物を先んじて自宅に送り返すと、目的の駅へと徒歩で移動した。


 駅――と言っても、電車の駅じゃない。

 ロープウェイだ。


 有馬温泉からは六甲山の山頂に繋がるロープウェイが直接伸びている。これに乗って山頂を一通り観光をした後は、別の駅からケーブルカーで麓に降り、最寄りの駅から京都に帰る。そういう日程になっていた。


「本当は竹田城跡にも足を運んでみたかったんだけどね。ここからでは遠いし、何十分も山を登るから、大所帯の今回はやめておくことにしたよ」


 とは、企画者である紅さんの弁。

 続けて、「今度二人きりで一緒に行くかい?」などと言ってきたので、「荷物持ちとしてなら」と答えておいた――下手に否定すると逆に勢いづかせることになる。


 空中から見下ろす秋の六甲山は、燃えるような真紅に色づいていた。燎原を歩くかのような体験は、わざわざ旅行に来ただけの価値があると思わせるものだった。

 本来なら、たぶんここで、亜霜さんが星辺先輩にくっつきながら騒いでいたのだろう。

 しかし現実には、二人は別々の窓から眼下の山を見下ろしている。亜霜さんなんか、騒ぐどころか、伊理戸さんや南さんに相槌を打っているだけだった。


 別に俺じゃなくても、事情は明白だ。

 亜霜さんの予定では、今日がカップルになって初めてのデートになるはずだったんだろう。それだけに、風景が綺麗であればあるほど、ありえたはずの別の現在が頭にチラついて、純粋に楽しめないのかもしれない。


 一方で――俺は、別の男女のことも気にかかっていた。

 星辺先輩と話している川波くんと、亜霜さんに話しかけている南さんだ。

 この二人、今朝からまったく会話をしていない――というより、川波くんが一方的に、南さんを避けているように見えた。


「……………………」


 溜め息をこらえる。

 気楽な旅行にはなりそうにないとは思ってたけど、予想がこうも当たるとは。

 男女というものは本当に、一緒に行動させるとろくなことにならないな。






◆ 伊理戸結女 ◆


 もふもふもふもふもふ。

 亜霜先輩が一心不乱に、羊の毛をもふもふしている。


 ロープウェイに乗って六甲山頂駅に着いた私たちは、まずはその周辺にある異国風のエリアや、お土産物屋さん、眺めのいいテラスなどを一通り回った。

 坂水さんたちやお母さんたちに持って帰るお土産も買えたし、収穫はあったんだけど、亜霜先輩はやっぱり元気がなくて……。

 神戸を一望できるテラスを後にすると、おもむろにこう言ったのだ。


「牧場行きたい」


 六甲山には牧場がある。近くのバス停からおよそ二十分と少し、バスに揺られていくと辿り着く。テーマパークのように整備されたその牧場は、あちこちに柵に囲われた放牧地があり、羊や山羊、乳牛などが、自由に暮らしているのだった。


 聞いたことがある。人は追いつめられると、動物に癒しを求めると。

 そして亜霜先輩は、場内を闊歩している羊を見つけるなり、ふらふらと引き寄せられていって、無限にもふり始めたのだった。


「フフフ……君は柔らかいねぇ……ガリガリのあたしと違って……」


 癒されているはずなのに、亜霜先輩の口から漏れるのは怪しい笑み。

 羊だけには留まらなかった。

 ホルスタインを見つけてはその傍でしゃがみ込み、


「フフフ……君は巨乳だねぇ……。あたしも君みたいだったら良かったのかな……?」


 可愛い兎を見つけては目を細めてそれを眺め、


「フフフ……あたしも君たちくらい可愛かったら良かったのにねぇ……」


 見ていられなかった。

 動物と女子高生という組み合わせが、こんなにも痛ましいことがあるだろうか。

 亜霜先輩はフフフフフと笑いながら、真ん丸としたアンゴラウサギを撫でる。


「ああ……やらかい……あったかい……。動物飼いたくなってきたなぁ……。猫とか、お母さんに頼んでみようかなぁ……」

「「「それはいけない!」」」


 これも聞いたことがある! ペットを飼い始めると、人は結婚できなくなると!

 私と暁月さんと会長の一斉ツッコミも意に介した風はなく、亜霜先輩はひたすら怪しく笑いながら、ウサギをもふもふし続けた。本当に重症だ……。


「……愛沙」


 まるでリストラを言い渡すときのように、会長は亜霜先輩の肩に手を掛けた。


「ぼくたちで話し合って、一つ決めたことがある。いいかい?」

「ふぇ? なにぃ……?」

「ぼくたちはこの後、駅のあるほうに戻り、昼食を摂る。その後はケーブルカーで山を下って、京都まで一直線だ。ここに一つ、予定を挟む」


 私たちが変に間に入ったって、きっと拗れるだけ。

 外野の私たちに用意してあげられるのは、せいぜい時間くらい……。


「さっき散策したガーデンテラスの近くに、ちょっとした塔がある。山の上からの景色を楽しむための展望台だ。塔のてっぺんはさほど広くなく、大人数は入れない」

「え? えっと……どゆこと?」

「そこに、星辺先輩と二人で行け」

「……エッ?」


 亜霜先輩の声が裏返り、目が点になった。


「星辺先輩のほうはぼくが何とかしてやる。とにかく、キミはその塔の上に行け。そこで訊きたいことを訊いてこい」

「きっ、訊きたいことって……あたし、フラれたんだよ!?」


 大きな声に、兎が逃げ散った。


「合わす顔もないのに……何を話せばいいかも、わかんないのに……今更もう、訊きたいことなんて……!」

「『なんで』って、何度も言っていたじゃないですか」


 突きつけるように言ったのは、明日葉院さんだった。


「知りたいんじゃないんですか? 恋人にはなれずとも――星辺先輩が、何を考えているのかくらい」

「そ…………それ、は…………」


 たとえ、恋人にはなれずとも。

 何を考えているのか――そのくらいは、餞別としてくれたっていい。


「今更怯えるなよ、亜霜愛沙」


 会長が、亜霜先輩の肩を力強く掴む。


「その程度で嫌われるくらいなら、キミはもうとっくに嫌われているはずだ。違うかい?」

「……違わない……」

「キミが好きになった男は、女をフッた理由さえ口にできない、情けない奴じゃない。違うかい?」

「…………違わないっ…………!」

「まあ、もしそれがキミやぼくたちの考え違いだったとしても」


 会長はくつくつと、いつものように笑って。


「骨は拾ってやるさ。蘭くんの胸をいくらでも揉みたまえ」

「え!? 会長!?」


 私たちは声を上げて笑った。

 そう。失恋したって、死ぬわけじゃない。

 恋破れた後に咲く笑顔だって、あるはずだ。


「…………ぅぐっ…………!」


 亜霜先輩の目に、涙が溜まった。


「あたし……いいのかなぁ……? まだ足掻いても、いいのかなぁ……?」

「バカだな。さっきも言っただろう」


 会長は亜霜先輩の額を軽く小突いた。


「キミのウザ絡みを許可した奴なんて、最初からどこにもいないよ」


 だから気にしなくてもいい。怖れなくてもいい。

 その勇気は――最初から、先輩の中にあるんだから。






◆ 川波小暮 ◆


「はあ……」


 山の空気はこんなに清らかで清々しいのに、オレが吐き出す息は重苦しかった。

 隣を歩いていた伊理戸がちらりとこっちを見て、……何も言わずに歩き続ける。


「おい。なんか言えよ、伊理戸クンよ」

「なんかってなんだ?」

「気付いてんだろ! オレが鬱ってることによ! 友人として心配の一つもねーのかよ!」

「別にないな」

「薄情な!」


 まったくもって友達甲斐のねー奴だ。東頭にはあんなに過保護なのによ。

 まあ、声をかけられたからって、何か言えるわけでもない。

 せいぜい『何でもない』が関の山だろう。こんなに訳ありっぽいツラをした奴にそんな風に言われたら、オレだったらイラッと来る。だったら態度に出すんじゃねーよってなる。


 そもそも、相談のしようがない。

 幼馴染みを女として見てしまう自分が嫌なんだ――なんて、どう相談してみたって、共感を得られるとは思えない。昨夜の温泉でのエピソードを話したところで、惚気話以外の何物でもない。だからと言って、もし形だけの共感や同情を示されたら、オレは平静ではいられなくなるかもしれない。

 その辺を慮って、伊理戸は何も言わないでいてくれるんだろう――と、思っておく。


 ……思えばオレって、他人に悩みを相談したことねーなあ。

 他人の悩みを聞くことはあっても、その逆はない――心を閉じてるってことなのか。フレンドリーに見せかけて、他人との間に一線を引いてるってことなのか。


 その辺は、暁月の奴も似てるかもしれない。

 あいつも、誰かに悩み相談をしてる姿が思い浮かばなかった。事実、オレの体質のことだって、たぶん誰にも話していない。

 幼馴染みっていうより、きょうだいみたいだ。

 そう思うと、オレのこの感情も当然って気がしてきた。姉や妹に興奮してる自分を見つけたら、そんな自分を気持ち悪いと思うだろう。


 ただ一つ、きょうだいとは違うのは。

 何の疑問もなく、あいつに興奮していた時代が、オレにはあるってこと。

 それを棚に上げて、一方的にあいつをクソミソに言ってフッた事実が、あるってこと。


「……先輩、少しいいですか?」


 少し離れたところにいる星辺さんに、生徒会長が話しかけていた。

 女子組で行動していたはずだが、今は一人だった。どうしたんだ?

 不思議に思ったが、次の一言で疑問は解けた。


「愛沙から伝言を預かっています」


 ああ……そうか。

 亜霜先輩は、諦めねーのか。


「『見晴らしの塔』で待ってます。絶対に来てください――と」


 絶対に。

 その一言を付け加えるのに、どれだけの覚悟が必要だったんだろう。

 オレごときが女心を推測するなんて不遜もいいところだが、きっと軽々には口にできない一言だ。できれば、よければ、暇があれば――張れる予防線なんていくらでもある。何事もなくやり過ごせる可能性は、いくらでも作り出せる。


 それが一番楽なんだ。


 とりあえず今のところは終わらせて。いったん時間を置いて頭を冷やして。そうして、目の前の大きな、まるで壁みたいなタスクを先送りにして、後からぬるっと通り抜ける。

 できたはずだ。明日か、明後日か、学校で会ったときに、今まで通りに話しかける。たったそれだけで、少なくとも表面上は、告白する前の日常に戻ることができる。亜霜先輩にとってそれほどに、甘く誘惑する選択肢はなかったはずだ。


 あの人は、それを蹴ったんだ。

 壁に立ち向かうことを――選べたんだ。

 昨夜……オレは、逃げることしかできなかったのに。


 ――恋愛なんてするもんじゃない。

 つらいことばかりだ。ウザいことばかりだ。不安になって、翻弄されて、自己嫌悪して、何も上手く行きはしない。見てるだけのほうがよっぽどよっぽど面白い。




 だからこそ。

 それに立ち向かう人間は――尊いんだ。




「……あー」


 星辺さんは視線を逸らした。

 そして誤魔化すように言った。


「悪いが……亜霜には、断っておいてくれ。おれから言えることは何もねぇって――」


 違う。

 違うだろ。

 違うはずだ。そうじゃないはずだ。間違っているはずだ。


 返すべき台詞は――それじゃない。


「――会長さん」


 このときオレは、ROMをやめた。


「心配しないでください。星辺さんはオレが、絶対に連れていくんで」


 気付けば、後ろから星辺さんの腕を掴んで、オレはそう言っていた。


「おい川波。勝手に何言ってんだ?」

「すんません。でもオレ、ハッピーエンドしか受け付けないタイプなんで」

「はあ?」

「星辺さん――本気の人間には、本気で応えるべきっすよ」


 ああ、どの口で言ってんだ。臆面もなく、厚かましく、いけしゃあしゃあと悪びれもせず。厚顔無恥とはこのことだぜ。てめえが一番できなかったことを、他人にばかり求めやがる。ブーメランを何個投げれば気が済むんだっての。

 でも――


「――星辺さん、言ってたじゃないっすか。中学のときの話で……告白した勇気はすげーと思った、って」

「…………それは……」

「どっちがすげーと思います? 何にも知らねーところからダメ元で告白するのと、今までの関係を天秤に乗せて、それでも告白すんの。どっちが勇気いると思います?」


 そうだ。勇気が必要だったはずだ。

 10年。

 続けてきた幼馴染みをやめて――恋人になろうとするのは。


「本当にすげーと思うんなら――何度でも、ちゃんと。……付き合ってあげるべきなんじゃないっすかね」


 怯えずに。逃げずに。現在に安穏とすることなく。


「カッコいいところ見せてくださいよ――先輩」


 本気を見せた女に背を向けるなんて……ガチで、カッコ悪すぎだろ。

 黙って聞いていた会長さんが、「ふふっ」と軽く笑って、星辺先輩を見上げた。


「後輩に範を示さないといけませんね、会長」

「……おれはもう会長じゃねぇよ」


 低い声で呟いて、星辺先輩は「あーくそ!」と苛立たしげに悪態をつく。

 それから、


「行きゃあいいんだろ、行きゃあ!」


 と、やけくそになったみたいに言った。


「そこまで言われて逃げるほど腑抜けてねぇよ――くそっ。ウチの後輩は、どうしてこうもお節介が多いんだ」

「先輩の背中を見て育ったんじゃないですか?」


 そう言って、会長さんはくつくつと笑った。星辺さんもお節介焼きだよな、実際んとこ。

 星辺さんは「はあーっ!」と大きく溜め息をついて、オレたちを見る。


「そういうわけだ。ちょっと行ってくるわ。羽場、お前が最年長なんだからちゃんと一年の面倒見てやれよ」

「え? いや、会長――」

「やれ。あと会長じゃねえ」


 一方的にそう言い置くと、星辺さんは長い脚を動かして、バス停があるほうに去っていく。

 その背中は、ついさっきまでより、少しだけ大きく見えた。


「……ROM専じゃなかったのか?」


 伊理戸がどこか呆れたようにそう言った。

 オレは肩を竦めて、


「魔が差すことくらいある」


 恋愛なんてするもんじゃない。

 でも――しちまったんなら、それは仕方のねーことだ。

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