もう少しだけこのままで⑧ 五文字には収まりきらない欲求
◆ 伊理戸水斗 ◆
ドアを開けると、寝間着姿の結女がいた。
「入るわよ」
「ちょっ、おい!」
結女は止める間もなく部屋の中に入ってくると、さっき持って上がってきたばかりの、由仁さんからもらったビーズクッションに目を付けた。
ばふっ! と遠慮もなく、背中をクッションに埋もれさせる。
「あ、いいやつね、これ。普通に私も欲しい」
「……夜は部屋には来ない約束だろ」
父さんたちの余計な勘繰りを避けるため、夜中にはお互いの部屋には行かない。必要な連絡があればスマホを使う。そういう取り決めがあったはずだ。
結女は僕を見上げてくすりと笑い、
「大丈夫よ、二人とも酔い潰れて寝てるんだから」
そう言って、クッションの中でもぞもぞと動く。
「このクッション、大きいから、もう一人くらいいけそうね」
「はあ? いや、何をさせようとして――」
「妹の我が儘くらい聞いてよ、お兄ちゃん」
「都合よく妹になるな!」
「い・い・か・ら!」
「うわっ!?」
ぐいっと手首を引っ張られ、僕は無理やり、結女の隣に座らされる。
本来、一人用のビーズクッションはぎゅうぎゅう詰めになり、結女は僕の肩にぴったりと自分のそれをくっつけてきた。風呂上がりだから、石鹸の匂いがふわりと香ってくる。
「……これは、きょうだい的にアリなのか?」
できるだけクッションの端に寄ると、結女は追いかけるようにもたれかかってくる。
「アリよ。『火垂るの墓』もこんな感じだったと思うし」
あの小説なり映画なりで兄妹が身を寄せ合っていたのは、絶対にこんな贅沢なビーズクッションではなかったと思うが……。
「……………………」
「……………………」
こんな奇矯かつ強引な行動に出ておきながら、結女はなかなか用を告げようとはしなかった。ただただ、くっついた肩を伝って人肌の温かさと柔らかさを意識するだけの時間が、一分ほども続いた。
もしかしたら、一生このままなんじゃないか――そんな馬鹿な思考が過ぎり始めた頃に、ようやく結女が口を開く。
「……誕生日、おめでとう」
「……あ、ああ。君もな」
なんだ、今更? さっきまで誕生会をしてたばかりなのに――
「プレゼント。……あるの」
単語を並べただけのような、片言めいた言い方で告げられて、僕はすぐには頭が追いつかなかった。
「結構前から、用意してて。でも、先に渡したら、お母さんたちの前で、態度に出ちゃいそうだったから。……こんな、ギリギリになっちゃった」
時計を見れば、もう午後十一時を回っている。
僕たちの誕生日が終わるまで、もう一時間もない。
「……ん」
ごそごそと、結女はビーズクッションと背中の間に手を入れて、そこからラッピングされた包みを取り出した。
もしかして、ずっと背中に隠してたのか。
だからクッションに座ったのか?
「あげる」
ぶっきらぼうに差し出されたそれを、僕は半ば反射的に受け取る。
贈答用に綺麗な包装がされてあるが、サイズは手のひらと同じくらい……そうだな、文庫本くらいの大きさだった。
ちらりと横を見ると、結女の目は自分の膝辺りに落とされている。どういう感情、どういう意図がそこにあるのかは、こんなに一緒にいるのに少しもわからない。
「……開けてもいいか?」
躊躇いがちに訊くと、結女は小さく肯いた。
それを見て、僕はラッピングをできるだけ丁寧に解いていく。
やがて、包みの中から現れたのは、かなり見慣れたものだった。
――ブックカバー。
鮮やかな、紺色の。
「……これ……」
思い出さずにはいられなかった。
中学二年の誕生日。二人で一緒に買った、色違いのブックカバー。
色も、デザインも、少しずつ違う。けれど――
「――最近ね、思うことがあったの」
結女が不意に天井を仰いで、ぽつりと言った。
「私、なんだかんだであなたに助けられてるなあって。生徒会だって、あなたの後押しがないと入ってなかったかもしれないし。もう頼ってないつもりでいたけど……気付いたら、支えられてるって思うときがあって」
普段が嘘みたいに素直な言葉。
清涼な水のように、さらさらと心に流れ込んでくる。
「私のこと、別に嫌いでもいい。それでも、今まで支えてもらった分はお礼したいし……できれば、これからも、同じようにしてほしいし……。ただの元カノじゃなくて、ただのきょうだいじゃなくて……上手く、言葉が出てこないけど……」
ああ、わかってる。
こういうとき、まだ単純だったかつての僕は、どうしようもなく嬉しくなった。
同じことを考えてる。
心が一緒になってる。
けれど、今の僕は単純じゃない。
きっと、今の君も単純じゃない。
複雑な感情が渦巻いて、どれだけ小説を読んでいても上手い言葉が見つからない。
それでも。
「新しいの……あげたかった」
はっきりと、自分の欲求を告げることはできた。
「前に、私があげたやつ。もう捨ててるかもしれないけど……。あれじゃなくて、今の私があげたそれを……使ってほしい」
結女は、ぴったりとくっつけた肩を、離そうとはしなかった。
逃げようとはしなかった。
自分がしたいことを、プレゼントに乗せて、直球に押しつけてきた。
あるいは自分勝手とも取れる、贈られる側のことを少しも考えていないプレゼント。
けれど……ああ、そうか。
そうだったな。
そんな、気を遣い合うような関係は――とっくに、卒業したんだった。
「……僕も」
決意を持って口を開くと、結女がぴくりと震えた。
「僕も――使ってほしいものがある」
◆ 伊理戸結女 ◆
「え?」
横を見ると、水斗はクッションにもたれた姿勢から勉強机に手を伸ばし、そこから小包を手繰り寄せているところだった。
手のひらと同じくらいの小包。
文庫本サイズ。
まさか、と思った私に、水斗は「これ」と小包を差し出す。
「誕生日おめでとう」
ぽん、と手のひらに乗せられた小包を、私は信じられない気持ちで見つめた。
「え……? ま、まさか、これ――」
「開けてみてくれ」
言われて、私は恐る恐る、包みを開けていった。
中から出てきたのは――想像通りのもの。
赤色のブックカバーだった。
「……まさか、被るとは思わなかったよ」
いろんな思いが去来して言葉を失った私に、水斗は溜め息をつくように言った。
「言っておくが、それには君のみたいな意味は籠もってないからな。ただ単純に……最初に思いついたのが、それだったんだ」
「な、なんで……まさか、前のこと忘れてたの!?」
「覚えてたに決まってるだろ」
心外そうに吐き捨てて、水斗は軽く唇を尖らせる。
「……いったんは思い留まったんだ。なんか未練を引きずってるみたいで嫌だなって……。でも、考えるほどに、それ以外思いつかなかった。君、生徒会の仕事であちこち行ってるし、本も持ち運ぶだろうし、それだけ傷みやすいだろうし……まあ、元カレのプレゼントなんて普段使いしにくいだろうし、別に二つあったっていいかなって思ったんだ」
そう……なんだ。
私は、自分があげたいものをあげようと思って、そうしたけど。
水斗は……私のことを考えて、これにしたんだ。
「……ありがとう」
私は、二年前にもらったのとは少し色が違うブックカバーを、胸に抱き締める。
「大切に使う」
「いいよ。そんなに高い物でもないし。傷んだらまた買えばいい」
「それじゃあ、また来年?」
「それは雑に使いすぎだ」
くすくすと私が笑うと、水斗は私があげたブックカバーを見下ろして、
「こっちも、ありがとう。嬉しいよ、意外と」
「昔の私があげたのとどっちが嬉しい?」
「……同じくらいかな、たぶん」
同じくらいかあ。……じゃあ、もうちょっとだ。
「来年は超えてるわね、きっと」
「期待しておくよ」
あと、もう少し。
昔の私よ、首を洗って待っておけ。
絶対に、私があなたを超えていく。
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