本気のあたしを見せてやる② 朝からする話にしてはカロリーが高い


◆ 伊理戸結女 ◆


 見慣れない木目の天井を見上げて数秒、ようやく、そういえば旅行に来てるんだ、と思い出した。


「……ん、……んん……」


 ゆっくりと身を起こし、まだコンタクトを入れていない、少しぼやけた視界で部屋を見回しながら、ぼんやりした頭がはっきりしてくるのを待った。


「おはよう、結女くん」


 凛とした声に振り向くと、窓際の広縁に置かれた椅子に、紅会長が座っていた。

 まだ浴衣姿ではあるけれど、髪のセットもすっかり終わり、寝癖一つない状態だった。モーニングルーティーンというやつなのか、窓から射し込む朝の陽射しを浴びながら、紅茶をゆっくりと味わっている。貴族みたいな仕草なのに、会長がやると様になっていた。


「おはよう……ございます……」

「一番乗りだね。いつもこのくらいに起きるのかい?」

「ええと……」


 部屋の時計を見ると、午前7時くらいだった。


「そうですね……。いつもこのくらいです」

「規則正しくていいことだね。君も飲むかい? 紅茶」

「あ……はい。それじゃあ」


 私は布団から抜け出すと、まだ寝ている他のみんなの間を縫うようにして、会長のいる広縁に移動した。道中、手櫛で乱れた髪を軽く直す。

 会長の正面に座った頃には、湯気の立つカップが私の前に用意されていた。


「ありがとうございます」


 口をつけると、お茶の熱が頭の中を巡り、脳の回路が開いていく感じがした。

 ほうと息をついて、いったんカップを置くと、私は正面の会長に尋ねる。


「会長は、いつくらいから起きてらっしゃったんですか?」

「ん? 5時くらいかな。久しぶりにぐっすり眠れたよ」


 5時って。

 確か、みんなで床についたのが0時の少し前だったような……。五時間睡眠ってこと? その割に眠そうな様子はまったくない。本当にショートスリーパーなんだ……。

 それに比べて――私は部屋の惨状を改めて見回した。


「……あられもない有様ですね……」


 苦笑を禁じ得なかった。何にって、みんなの寝相にだ。

 さすがに明日葉院さんは大人しく布団の中ですやすやしているけど(可愛い)、他の三人は結構すごい。

 暁月さんは布団から身体がはみ出てるし、東頭さんは浴衣が乱れておっぱいがまろび出そうになってるし、亜霜先輩なんか、掛け布団を抱き枕みたいに抱き締めて、パンツが丸出しになっている。


「男子にはとても見せられない……」

「別部屋にして正解だったろう?」

「はい」


 しかも、寝相が悪いあの三人、みんなノーブラだし。暁月さんと亜霜先輩は、まあ、スレンダーだからわかるけど、東頭さんは……寝返りがしづらくなったりしないの? 本人曰く、普段はお母さんに言われて渋々着けてるけど、本当は寝るときは着けたくないらしい。気持ちはわかるけどね。


「結女くんは、今日はどうする予定かな?」


 出し抜けに来た質問に、私は「えっと」と迷って、


「今日は確か……みんなでハーバーランド、でしたよね」

「うん。グループ分けは決めてないけどね」


 会長は意味深に笑った。


「誰か一緒に回りたい人はいないのかなって思ってね」

「えっ……」


 や、やっぱりこの人、わかってる……?

 水斗……と、回りたいのは山々だけど、あいつは東頭さんの面倒も見ないとだし……。それに、昨日の、足湯の……。

 あーもう! ちょっと手を触っただけなのに! なんでこんな、いけないことをしたような気持ちにならないといけないの!? そのせいで昨夜、思わず逃げちゃったし! その直前に、温泉でセンシティブな話をしちゃったせいだ……!


「……そういう会長はどうなんですか?」


 私は誤魔化すのを兼ねて話題を逸らした。


「羽場先輩と、二人で回りたいんじゃないですか?」

「ん? あー……」


 ……おっと?

 会長が、珍しく歯切れが悪そうにしている。これは何かあったな!


「この際、腹を割って話しませんか? 協力できることもあるかもしれませんし」

「……恥を晒すようで癪だなあ」

「私だって恥ずかしいんですからおあいこです!」


 そういうわけで、言い出しっぺの私が先攻になった。

 昨日の足湯で、何だかちょっと、いやらしい風に水斗の手を触ってしまったことを話す。


「……それだけかい?」


 どうしてか、会長のリアクションは薄かった。

 きょとんと小首を傾げる会長に、私は謎に慌てて言い募る。


「た、ただ触っただけじゃないんですよ? なんというか、こう、指の間とかをなぞって、誘うみたいに、と言いますか……!」

「……ふっ」

「小馬鹿にしました!? 今、小馬鹿にしましたよね!?」

「いや、失敬……何とも可愛らしいな、と思ってね……」


 な、何? この余裕……というか、上から目線……まさか、羽場先輩と何かあったの!?


「実は昨夜ね――」


 優越感を隠しもせずに、紅会長は、昨夜、羽場先輩とあったことを話し出した。

 罰ゲームでバニーガール姿にされた後、そのまま羽場先輩と会いに行って――羽場先輩をその気にさせたけど、何もせずに戻ってきた、という話を。


「ふふ。手を触ったくらいで騒いでいる結女くんには、刺激が強すぎたかな……」

「……あの、会長?」

「なんだい?」

「それって……勝負を決められそうなところで、会長が日和ったっていう話ですよね?」

「……………………」

「ビビったんですよね? 普段、あんなに積極的なくせに、いざとなったら怖くなったんですよね? 開校以来の天才と謳われる生徒会長が、あろうことかビビって逃げたってことですよね?」

「……うっ、うるさいなあ! 場所を弁えたんだよ、ぼくは! キミだってあんな、いつ誰が来るともしれない自販機の脇で処女を散らしたくはないだろうが!」

「そんなところで誘惑したのは会長じゃないですか!」

「天下の往来で誘惑しているキミには言われたくないね!」


 うぐうっ! 痛いところを……!

 私は少し息を落ち着ける。……そういえば、と思いついたことがあった。会長って、事あるごとに羽場先輩を誘惑しているみたいだけど……。

 私はみんなが起きていないのを確認してから、声を潜めて質問した。


「会長……少し気になったんですけど……」

「……なんだい?」

「会長って、いつも羽場先輩を誘惑してますけど……その、いざ本当にそうなったときの、準備というか……お守りというか……そういうの、用意してるんですか?」

「……………………」


 会長は黙り込んだ。

 これは……。


「用意してないんですね……?」

「そ、……そんなものを女子が携帯するなんて、はしたないじゃないか……」

「いや、覚悟がないだけですよね? 羽場先輩はどうせ手を出してこないってたかを括ってるだけですよね?」

「正論を言うなあ! 後輩のくせに!」


 この手の話になると途端に弱くなるものだから、ついついからかい過ぎてしまう。

 けど、この件に関しては、ちょっとちゃんと言っておくべきかもしれない。


「真面目に、用意したほうがいいんじゃないですか……? 羽場先輩もその気になることがあるってわかったんなら……」

「よ、用意って……どこに?」

「それは……私もよく知りませんけど、お財布の中とか……?」

「い、いや、でも、そういうのは男のほうが用意するものだと……」

「いつも会長が急に迫ってるのに、いつ用意する余裕があるんですか!」

「ぐうう……!」


 会長は苦しそうに唸りながら、顔を赤くした。躊躇う気持ちはわかるけど、生徒会長が在学中に妊娠とか、本気で洒落にならない。


「わ、わかった……。用意しておこう。……いずれ」

「いずれって」

「いずれはいずれだ!」


 会長が強めに叫んだ瞬間、「んぅ……」という可愛らしい呻き声が聞こえた。

 私たちがびくりと振り返ると、明日葉院さんが布団の中でもぞもぞと動いて、こっち側に身体を向けたところだった。


 起きている。

 ぼんやりと薄目を開けて、私たちを見ている。

 ……今の話、聞かれてない……わよね?


「……おはょ、ごじゃいまふ……」


 ぼやっとした声は、明らかに寝起き。

 けど、私は念には念を入れて、恐る恐る言う。


「お、おはよう、明日葉院さん……。今の話、聞いてた?」

「ふぁい? なんですか……?」

「きょ、今日の予定を確認していたところでね! どこか行きたいところはないかと思って!」


 会長の上手い誤魔化しに、明日葉院さんはくしくしと目元を擦り、


「ふぁ……はい。わたしは、特に希望は……」


 私は素早く、会長と目配せを交わした。

 これは……セーフ!


「そう! それならいいの!」

「他のみんなにも聞くとしよう! 一緒に起こしてくれたまえ!」

「あ、はい」


 ふう……。危なかった。真面目で男嫌いで、会長を崇拝している明日葉院さんが今の話を聞いてたら、一体どうなっていたことか。

 朝っぱらからする話じゃなかったなあ。冷静に考えると。でも言わなきゃいけないことではあったし……。


 …………私も用意したほうがいいのかな?

 い、いや……水斗が考えなしに襲ってくるとは思えないし……。そもそも、私は会長ほど直接的なアプローチはしないし! ……それ以前に、逃げずにまともに話せるようにならないといけないし……。


 などと考えながら、あられもない姿の東頭さんや暁月さんを起こし、ついでに着衣を直していく。どうやったら寝てるだけでこんなに帯が緩むの……?

 そうして、六人全員が起き、身支度を整えながら、今日の予定を確認しているときだった。

 亜霜先輩が、意を決した顔で言ったのだ。


「みんなに、お願いがあるんだけど」

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