元カップルのゴールデン・メモリーズ 4月30日(月)


「暑っつ……」


 今日は夏みたいな暑さだった。

 窓を開けて風を入れてもじんわりと汗が浮いてくる。扇風機をわざわざ物置から引っ張り出すのも億劫極まりなく、どんなにかエアコンをつけようと思ったか。エアコンにしてももう2ヶ月以上つけていないはずだから、フィルター掃除の必要性を考えるとモチベーションがダダ下がりだった。


 まあ我慢するか。

 という結論になったものの、身体は正直である。じきに喉が渇きを訴えてきた――僕は仕方なく寝転がっていたベッドを降り、水分を求めて自分の部屋を出た。


 階段を降りてリビングに入ると、先客がいた。

 ソファーに座った義妹――結女が、こっちに気付いて振り返る。


「……おう」

「……ん」


 ひとたび目を合わせれば互いを貶さずにはいられない僕たちが、なのにその程度の平和な会釈に留まったのは、ひとえにその女の格好にあった。


 夏服だ。

 そしてポニーテールだ。


 涼しげなノースリーブのキャミソールをまとい、長くて鬱陶しい黒髪を後頭部の高いところでまとめていた。普段は優等生然とした印象のそいつが、たったそれだけで健康的な印象に様変わりしていた。

 ポニーテールによって、いつもは隠れている白いうなじが露わになっている。

 そのうえ、サイズが少し小さいのか、キャミソールの裾からはお腹がちらちらと垣間見えていた。


 ……ま、まあ、今日は暑いからな。

 そりゃ薄着にもなるし、髪もまとめるか。うん。わかるわかる。


 僕は何も気付かない風を装いつつ、キッチンにある冷蔵庫に向かい、麦茶を取り出してコップに注いだ。

 はあ。麦茶が全身に染み渡る。飲んだら即戻ろう。一瞬で。すぐに。


「……ねえ」


 結女の奴が、ソファーに座ったままキッチンの僕に振り向いた。


「何か言うことは?」


 ……こいつ……!

 僕は空になったコップに2杯目の麦茶を注ぎながら、


「……べつに何も」

「ふ~ん。……ほんとに?」

「何を言わせたいんだよ」

「べつに何も?」


 そう言うと、結女はうーんとこれ見よがしに伸びをした。

 ノースリーブだから、わきがばっちり見えてしまう。

 くそっ。僕は目を逸らした。


「……ふふ~ん?」

「…………っ」


 いたずらっぽく笑われた気配があって、僕は唇を歪め、コップを流しに置く。

 三十六計逃げるに如かず。……いや、べつに逃げることなんか何もないけど!


 僕はリビングを去ろうとした。

 が、戸に手を掛けたところで、背中に再び声がかかった。


「何か言うことは?」


 完全に勝ち誇った声音だった。

 ……調子に乗りやがって。

 僕は振り向かずに答える。


「ブラジャー見えてるぞ」

「え? ……ひゃっ!?」


 結女が胸を隠すようにうずくまったのを横目で確認したところで、僕は鼻を鳴らしてリビングを出た。


 階段を上り、自室に戻ったところで、僕はガツガツと自分の頭を叩く。

 スレンダーながらも曲線的な身体のライン。

 白いうなじに、ムダ毛の気配すら窺えない腋。

 網膜に焼きつけられたそれが、なかなか頭の中から消えなかった。






 ――ということがあったのを、夜に日記を書いている途中で思い出した。

 暗澹とした気分になってくる。夏になると、あんなのが四六時中家にいることになるのか……。

 今までも充分大変だと思っていたが、まだまだ序の口だったらしい。今のうちにメンタルを鍛えなければ……。


 背もたれに体重をかけ、ギ、と椅子が鳴った。

 今日の借りを早めに返しておかなければ、本格的に夏が来たとき、精神的に劣勢に立たされることは間違いない。

 そのときのヤツの嘲笑が目に浮かぶようで、業腹なことこの上なかった。

 何か策はないだろうか……。


 壁にかけたカレンダーを見やる。

 明日は連休がいったん終わり、学校があった。

 火曜か……。授業は何があったっけ?

 カレンダーの横に貼った時間割表を見た、その瞬間だった。


 天啓が降ってきた。


 神よ……お前は、あの女を恥辱の海に沈めろと言うんだな?

 よかろう……。やってくれる!


「クッ……クックック……ハァーッハッハッハッハ……!!」


 僕は人生初の高笑いをした。

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