湯けむり旅情思春期事件④ 手製の手錠


◆ 伊理戸水斗 ◆


「このコロッケうめぇな」

「昼軽めにしといてよかったっすねー」

「その辺も紅の計画のうちだろ。あいつは自分のスペックを遊びにも発揮しやがる」

「おっ、サイダー売ってる。ちょっと行ってきます」


 僕たち男子組は、主に食べ歩きをメインに温泉街を散策していた。てんでバラバラ、烏合の衆としか言いようのない面子だが、一日に何度も風呂に入る趣味はない、という意見は一致したのだ。


 何だか有名らしいコロッケを片手に坂を下っていくと、軒下の地面に人がたくさん座っている一画があった――と、遠目に見たときは思ったが、近付いてみると地面に座っているわけではなかった。

 足湯だ。

 どうやら無料らしく、通りがかった人が靴と靴下を脱いで、石造りの浴槽に足を浸けているのだった。


「あれ?」


 何とも温泉街らしい光景だ、と傍観者面で眺めていたら、簀の子のようなものに腰掛けて足湯に浸かっていた一人が、ふと振り返って僕たちを見た。


「おっ、センパイじゃないですかー!」

「ああ? なんだ、お前らか」


 振り返ったのは亜霜先輩だった。よく見ると、他にも紅会長、明日葉院さん、南さん、いさな、それに結女も、石造りの浴槽に足を突っ込んでいる。

 僕らがなんとなくそちらに寄っていくと、亜霜先輩が弾けるようなテンションで星辺先輩に話しかけてくる。


「センパイたちは、どこか温泉入りましたー?」

「いんや。宿にもあんだからいいだろ」

「それで食べ歩きですか? 男の子ですねぇ。愛沙たちはひとっ風呂浴びてきましたよー」


 そう言われてみれば、髪や肌にツヤがある……気が、しなくもない。別に普段からそんなに観察してないし、違いなんて大してわからない。


「それでしたら、足湯くらい入っていったらどうです?」


 そう言ったのは、昼までは穿いていたストッキングをどこかにやって、湯に足を入れている紅会長だった。


「今はちょうど空いているところですし、四人くらい余裕ですよ」


 星辺先輩に向かってそう言いながら、隣の亜霜先輩との間を、一人分ほど空けた。

 ……なるほどな。アシストってやつか。

 それを気取ったか、すぐに南さんが元気よく、


「いーじゃん! 川波も伊理戸くんも来なよー! 宿に足湯はないよー?」

「おー、そうだな! せっかく温泉街に来たんだしな!」


 パスを受けた川波が即座に応じ、素早く靴と靴下を脱いでズボンをまくり、南さんの隣に腰を下ろしていく。男子から誘いに応じる人間を出し、さらに女子の隣に座ることで、同じようにする流れを作ってしまったわけだ。

 この幼馴染みどもは、こういうときは本当に息が合うな。


「ま、休憩にはちょうどいいか」と星辺先輩が亜霜先輩の隣に座ってしまうと、残る僕と羽場先輩だけ突っ立っているわけにはいかない。……もしかしたら羽場先輩はそのつもりだったかもしれないが、紅会長が座ったまま手を伸ばし、強引に傍に引っ張っていった。

 男が女子の間に分かれて座るなんて、まるでキャバクラみたいだ……。内心で溜め息をつき、こういうときのいさなだな、と思って、いさなの隣に行こうとしたが、


「こっち」


 そのときにはすでに、結女がスペースを作っていた。

 隣に座っていたいさなを、わざわざ一人分、横に移動させて、自分の隣を空けていた。

 そこに座れば、結女といさなに挟まれる形になる……。が、そのスペースをあえて無視するのも、意識しているのがバレバレで、むしろ屈辱的なことのような気がした。

 要は詰んでいる。

 計算だとしたらなかなかやるじゃないか。密かに降参しながら、僕は結女といさなの間に座り、素足をお湯に入れた。

 結女が隣から僕の顔を覗き込むようにしてきて、言う。


「どう? 気持ちよくない?」


 お湯の温かさが、じんわりと足に染み入っていた。筋肉に溜まった疲労が溶かされていくかのようで、確かに気持ちいい。


「まあ、一日にこんなに歩き回ったのは久しぶりだったしな。普通の風呂との違いはいまいちわからないが」

「温泉はもっと気持ち良かったわよ? お湯が金色に濁ってて――ね、東頭さん?」

「そうですね~……はふ」


 いさなは小さく欠伸をした。目もぼんやりとして、しぱしぱと頻りに瞬きを繰り返している。


「眠いのか?」

「早起きだったので~……お風呂も入ったので~……」

「温泉では平気だったじゃない」

「それは結女さんたちが、全然寝かせてくれないから……」

「ちょっ、ちょっといかがわしい言い方しないでよっ! ……確かにちょっといかがわしかったかもだけど」


 何をしてたんだ、温泉で……。

 いさなは本格的にうつらうつらとして、徐々に僕のほうに身体を傾けてくる。肩がくっつくと、湯たんぽのような温かみが伝わってきた。温泉に入ってきたからなんだろう。間近で見れば、心なしか髪もふわふわとしていて、頬も赤ん坊のようにぷるんとしていた。


「本気で寝るなよ。背もたれがないから支えにくい」

「頑張ってください~……」

「いや、おい」


 ついにいさなは、僕の肩に頭を預けてしまった。ふわふわの髪が、頬と首筋に当たる。風呂上がり特有の清潔な匂いがした。僕は仕方なく、いさなの肩に腕を回して、背もたれ代わりとする。


「僕のことを枕と勘違いしてるんじゃないだろうな……」

「日頃の行いのせいでしょ。軽々しく女の子に膝枕とかするから」


 責めるような口調の結女に、「してるんじゃなくて、やられてるんだよ」と反論する。僕は決して、自分からいさなに膝枕をしてやろうなんて言ったことはない。


「まあ、私も気持ちはわかるけどね。温泉で気が緩みすぎちゃって」

「そんなに気持ちのいいもんか?」

「あなた、普段も烏の行水だものね。私は結構お風呂好きだけど」


 結女はお湯に入れた足を、伸ばすようにして少し持ち上げる。水面から出た脛が、濡れててらてらと輝いていた。僕とは違って毛穴一つない白い肌に目が引き寄せられる。その際、まくり上げたスカートから顔を出した膝小僧と、さらには太腿にまで視線が伸びそうになって、僕は強固な意思を持って自分の膝に目を逃がした。


「せっかくだし、あなたもゆっくり温泉に浸かってみたら? 肌がぷるぷるになるかも」


 そう言って、結女は薄くリップを塗った唇をほのかに笑わせる。

 よく見るといさなと同じく、結女の肌は赤ん坊のようにつるりとしていて、火照ったように赤みが差している。……いや、別に、風呂上がりの結女なんて家でいくらでも見たはずだ。今更物珍しくもない。なのに――


「……見たいか? ぷるぷるになった僕」

「ふふ。ちょっと見たいかも」


 ごく普通に、当たり前に、話しながらだった。

 簀の子に置いた僕の手の小指に、結女の小指が、軽く触れた。

 びくりと、触れた部分から電流が走ったように痙攣しかけた。けど、たまたまだろう。ちょっと過剰反応してしまっただけで――


「あなたってお肌綺麗だし童顔だから、温泉に入ったら女の子になっちゃうんじゃない?」


 しかし、離れなかった。

 触れた結女の小指は、そのまま明確な意思を持って、僕の小指を先端で撫でた。


「……昔の漫画かよ」

「そういえばあったわね、そういう話。ネトフリで見かけたことあるかも」


 最初は爪先。それから第一関節を越えて、第二関節をぐりぐりといじる。

 そして小指の根本まで辿り着くと、薬指との間に指先を捻じ込ませるようにして、小指同士を絡み合わせてきた。


「昔のアニメってすごく長いから、ふと見始めると時間が溶けちゃうのよね――」


 潜り込んだ結女の小指は、僕の水掻きの部分を、まるでほじくるようにもてあそぶ。

 何かを求めているかのようだった。勘違いかもしれないが、どうしようもなく頭を離れないその解釈が、脳細胞をビリビリと麻痺させていく。

 試してみる必要があった。これがちょっとしたじゃれ合いなのか、それとも――


 僕は――薬指を、結女の指の間に滑り込ませた。


「――ぁっ」


 小さく、声が聞こえた気がした。

 どうしてか、目で見て確認することはできないけれど――すぐ隣から、まるで……喘ぐような。

 結女の細い指は、記憶よりもしっとりしている気がした。中指の側面を撫で、それから、さっきやられたように水掻きに触れる。すると、ぴくりと微細に、本当にわずかに、邪魔だった薬指を浮かせた。僕が――触れやすくなるように。


 一つ、頭の糸がぷちりと切れた気がした。


 僕は指先で一本一本、結女の指を根元から爪の先まで撫でる。それが終わると、小指の方向から徐々に、手のひらを結女の手の上に重ねていった。

 辺りの喧騒は頭から消えている。

 手のひらで感じる結女の手は、やっぱりしっとりとしていて、すべすべで、小さい。自分の手が大きいと感じることはほとんどないけれど、結女の手が完全に僕の手に覆われた、このときだけは、どうしようもなく自分が男で、彼女が女なのだと感じてしまう。

 それをもっと確認したくて、手首のほうに手のひらを滑らせた。折れそうなほど細い手首。親指を回せば、簡単に捕まえられてしまう。こうしていると、まるで手錠でもかけたかのようだ。僕がこうしている限り、彼女は、逃げられない。


 とくん――とくん――と、指の腹で結女の脈を、かすかに感じた。

 いつしか、僕たちの間に、会話はなくなっていた。

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