(126)赤呪の森で時には普通の冒険を その三

 簡潔に述べましょう。


 まず初めに、私は界異点の真上と思われる場所に移動しました。

 盆地になっているこの辺りの、ほぼ中心地に岩山が在って、その洞窟の奥に界異点が在るのか渾々こんこんと粘つく魔力が溢れ出ています。

 見せて貰った紙束の資料には、年々異常を来した領域が盆地の縁を登って行っている記録も有りましたが、この眼で視る限り既に溢れ出た魔力は盆地の縁を乗り越えて、幾筋も垂れ落ちていくねばねばの流れが有るのですから、待った無しなのですよ。

 橙色に光る魔力の粘液が眼に悪いですね。ここまで濃いと、この魔力に気が付く人も居そうですけれど、資料を見る限り殆どの人が分かっていないのが寧ろ不思議です。


 次に、軽く橙色の魔力を魔石に纏め上げようとしましたが……不思議と何故か思った様には上手く行きませんでした。

 まぁ、水飴も固まりませんから、似た様な代物なのかも知れませんね。固まる飴と混ぜれば固まらない水飴も固まる様になるなんて話も聞いた事が有りますが、本当かは知りません。


 どちらにしてもこの粘液魔力は固まってくれないのですから、結局人工の魔石を創るのは一旦棚上げにするしか無いのです。

 ビガーブで用いた手が使えないとなるとこの場で試行錯誤するしか有りませんが、取り敢えず元栓を閉じる為に、魔力の腕で行く手を遮る粘液魔力を掻き分けました。

 邪魔な粘液魔力を退かした分だけ新たな粘液魔力が洞穴の奥から溢れて来ましたが、既に界異点の反応も捉えていますから、後はちょちょいと――……ちょちょいと?


 ……おや? どうすれば良いのでしょう??

 ビガーブの時を思い返せば、鬼族の異核は実態を持っていて、壊せばパリンと割れて跡も残さず消滅しました。

 でも、此処の界異点は何かが違います。


 私が神々に聞いた話によると、私達の世界とは異なる異世界が存在していて、その二つが繋がってしまった時に緩衝地帯として発生するのが異界。異界の異世界側の出入り口が異核。私達の世界側の出入り口か界異点らしいです。

 本来異界は中立らしいですけれど、鬼族の様に侵攻してくる異世界の勢力は前線基地にしていますし、妖精シーの世界とを結ぶ異界には交流の為の市が立っていたりもするらしいです。


 ですが、ビガーブで魔力を抜いた界異点から異核付きの守護者が転がり出てきてしまった様に、異界を形成せず直接異核が存在する事も有るみたいです。


 これって、何だかそのタイプな感じがしますよ?

 しかも、実体が無かったりはしませんかね? どうやって閉じればいいのでしょう?


 魔力を吸い出しても異世界の魔力を引き込むだけですし、魔力の腕で掻き乱したなら却って修復出来無く空間をずたずたに引き裂いてしまいかねません。

 それでも私に出来る事は他に有りませんから、魔力の腕をそぅっと伸ばして慎重に界異点に干渉しようとしたのですけれど――その時私は気が付いてしまったのです。

 ――私の魔力の腕の表面が、うっすらと色を変えてしまっている事に。



 多分、数秒は思考を止めていましたね。

 そしてその次の瞬間には、只々怖ろしくて、私は空に向けて直上へと「加速」を重ねて逃走を図っていたのです。


 そして今も高速で飛び上がる私の目の前には、糸を引く橙色の粘体が。


 指先で水飴に触れた後に勢い良く指先を離すと、何処までも水飴は指先に着いて来ます。それと同じ様に引き延ばされている感じで、遥か眼下に淀む橙色の沼へと、一本の細い糸が繋がっているのが見えます。

 それが丸で、私を歪ませる為の魔力線が繋がっている様にも見えて、嫌な予感が収まりません。

 速やかに切り離す為に、私は輝石が十は創れるだけの魔力を迸らせ、噴き出る魔力の圧力で粘体と、それに加えて変色した私の魔力を引き剥がしました。

 そのまま宙を転がる様に直上への進路から横へ身を躱します。

 そして、――着火。

 切り離した私の魔力を、即座に全て「活力」へと変えれば、空に光の柱が立ちました。


 轟音と閃光。

 見渡すばかり森だけの、人の住まない辺鄙な土地と雖も、人目を引かない訳が有りません。

 しかしそれでも今の私にとっては些末事。

 私は引っ掛け魔力の業で上空に留まりながら、只管ひたすら自分の体を調べ続けるのでした。



 私は魔力についての理解なら、それなりに自信が有ります。

 “気”についても毎週の持久走の御蔭でそれなりに分かって来ました。

 でも、ひずみについては分かりません。魔の領域に漂う歪みを集めて人工魔石を創ったり、宙に残る魔力の痕な歪擬きを使って輝石を創ったり、そんな事が出来てもひずみが辺りの事物をゆがませる仕組みは何一つ分かっていません。

 だからこそ、こうして恐怖に駆られながら執拗に自分の体を調べてしまうのです。


 歪族わいぞく。それは、動物が界異点から溢れる糸屑の様なひずみの影響を受けて、ゆがまされた生き物と言われています。

 私が目にした事の有る主な歪族は、歪豚オーク歪犬ガルク。どちらも森犬が変異した歪族と言われています。

 まぁ、狂ったロバの様な生き物バロも歪族なのではと言われていますし、人犬コボルトも元は歪族でこの世界に帰化したのだとも言われていますが、真相は分かりません。

 ですが、歪化わいかすると丸で違う生き物に変異してしまうのは確かです。


 そして魔力の性質です。

 私が知る限り、魔力は神界に属する魂の力です。神界を経由すれば距離なんて関係が有りません。

 つまり、魔力を変異させる歪みの力は、そのまま距離も関係無く私の魂も歪ませてしまうかも知れないのです。

 これで恐ろしさを感じない訳が有りません。


 調べて、調べて、分からなくて――

 少し冷静になって、

 空が茜色に染まる頃になって、漸く私は魔石病を患っていたガズンさんは今も元気に暮らしている事だとか、毒煙吸いの患者達だって体の自由が利かなくなるのは百歳近くになってからで、それも快癒すれば再び元気になる事だとかを思い出したのです。


「油断大敵ですね……」


 と、橙色に光る盆地から少し外れた地上に降り立ち、思わず言葉に洩らしてしまいます。

 厭な緊張に曝され続けた所為で、もうへとへとです。

 そして、思ったよりも遥かに面倒そうな依頼に、更に疲れが湧き上がります。


 それでも私が引き受けた依頼です。

 解決出来るのが私以外に居ない可能性が更に高まった今、私が頑張るしか無いのです。


 こうして橙色の魔力を見下ろす外れの小山の上から眺めていると、さっきまでは水飴に見えた魔力の粘体が、もう汚物にしか見えませんね。

 それを今から処理しないといけないのには、へとへとに加えてげんなりが混じりそうですよ。


 そんな感じで、どうにも気持ちが後ろ向きになっているのを感じた私は、寧ろ意図的にそんな気持ちを吹き飛ばそうと、美味しい夕食の準備を始めるのでした。

 小鍋に放り込んだ大猪鹿のお肉に世にも珍しい大猪鹿のミルク。そしてごろごろ入った野菜達。王都で仕入れたシチューのもとを塊で入れて、後は「活力」を加えてぐつぐつ煮込むだけ。


 そして意識的に無理矢理気持ちを上向きにします。

 ええ、こういう空元気は重ね過ぎると冒険者協会の片隅で膝を抱えて蹲る事になりますが、一度で済むと分かっているなら強引に気持ちを盛り上げるのも一つの手です。

 ここぞという時の為に取っておいた大猪鹿のシチューは流石の威力で、体の奥底から湧き上がってくる感動が、鬱屈とした気分を吹き飛ばしていきます。

 そして小鍋が空になる頃にはすっかり私の気分も平静に戻っていたのでした。

 まぁ、盛り上げても平静というところで、遣る気が無くなっているのはお察しですけどね。


 すっかり日も沈んだ食休みの頃合になると、赤呪の森ことローグ=ドンの森にも動きが現れ始めて来ました。

 元々夜行性の動物が多かったのでしょうか。

 筋肉が膨らんで鞠の様になった栗鼠が、隈取りも厳めしくのしのしと木の枝を渡って行きます。

 粘液魔力を纏い辺りを睥睨しながら姿を現した狐は、デリラの街の一番星程度は鼻で嗤ってしまいそうな体付きです。

 そんな彼らも今の私にとっては貴重なサンプル。

 私の身に起きているかも知れない出来事を、彼らの体で確かめるのです。


 平たく割り砕いた石を飛ばして四肢を落とせば、血が抜けた後に死んだ獣から魔力が抜けて、それと同時に膨らんだ筋肉が萎んでいきました。萎みきったら、寧ろガリヒョロの痩せ形です。

 “気”での『身体強化』も魔力での『魔力強化』も筋肉自体を太らせている訳では有りませんが、この奇妙な粘液魔力は筋肉を太らせているのでしょうか?

 中々の謎です。


 粘液魔力の魔の領域から出て、自由に彷徨うろついている様に見える隈取りの歪族達ですが、その体はひずみ混じりの粘液魔力を厚く纏って、確かにこれなら魔の領域の外でも活動出来そうです。

 そう考えた私は、水を喚び出し「流れ」で水流を操って、憐れな歪化狐を丸洗いして粘液魔力を剥がしてみました。

 暫くパニックに陥っていた狐は、少しして慌てて粘液魔力の中へと駆け戻って行きました。


 そんな実験を幾十も繰り返して、幾つかの予想が立ちました。

 一つ、ここの歪化した獣達は、恐らく常に飢えています。

 粘液魔力で筋肉は膨らんで見えますけれど、魔力が抜ければ骨と皮しか有りません。それでいて、粘液魔力の魔の領域から外に出られるのは、その身に纏った粘液魔力のころもが滴り落ちるまでの時間制限付きです。その制限を超えて活動しようとしても、萎み行く筋肉に恐怖を覚えて縄張りとしている粘液魔力の魔の領域に駆け戻る事になるのです。

 だからと言って、粘液魔力に侵された同じ歪族へ食欲を向けても、筋肉の塊に見えてその実態は骨と皮。お腹の足しにはなりません。

 おまけに、念話的に聞こえてくる感情からすると、ここの歪族は不味いらしいですよ?

 憐れとしか言い様が有りませんね。


 そんな極限の飢えに苛まされている歪族達を調べても、歪みが齎す魂への影響なんて分かりませんから、自身の無事はそう信じるしか無いのですけれど……。

 それでも早々に結論を出すべきでは無いと、森犬寝袋を着込んで高い枝に抱き付く形で横になって、“黒”と“瑠璃”に見張りを頼みながら、通り掛かる歪族を観察し、実験し、分析を続けるのです。


 でもそれを妨げるのが、厭らしい歪み混じりの粘液魔力の性質です。

 纏う粘液魔力に触りたく無いので、間接的に何とか出来ないか、枝の上からちょいちょいと試してみます。

 自然と垂らした腕もちょいちょいと動いてしまいますね。

 それで結局見付けた方法が、間接的に物を動かす方法では無くて、本質的には寧ろより直接的な方法だったのには、どうにも皮肉を感じてしまいます。


 予想と異なるあべこべな結論で、頭が捩れてしまいそうですよ。


 例えば魔力。これをどうやって自在に操っているのかと言うと、魔力に“意思”を通して動かしているのです。

 魔力は魂が生み出す精神の力ですから、“意思”とか“思念”だとか、そういう物と相性がいいのでしょう。ですから魔力は操るのに向いているのです。

 勿論“気”にも“意思”は乗ります。そうで無くては操れません。ですが“気”は肉体が生み出す生命の力。手や腕を曲げ伸ばしするのに頭で考えたりしない様に、反復動作で覚え込ませるしか“意思”を通す方法が有りません。故に、“気”は操るのが難しいのです。

 『武術』の時間に走りながら一歩一歩鍛錬していたからこそ気付けた事ですね。


 ですから何かを調べるならば魔力に頼る事になりますが、この粘液魔力に魔力で触れると、容易くゆがまされてしまいます。

 だからと言って、流水の勢いで押し流したり、小石を飛ばして切り刻んだりでは、細かな作業は出来ません。


 打つ手が無い様に見えますよね?

 でも、“意思”を通すという点に考えを絞ると、見えていなかった事も見えてきます。


 例えば木の下を闊歩する実験協力者と、木の上に寝転ぶ私の間。何も無い様に見えますけれど、実は有るんです。


 木や水や土にも魔力は宿るのですから、ローグ=ドンの森の自然魔力が辺りには漂っていますし、粘液化していない魔の領域の魔力だって当然辺りには存在します。

 普通そういう自然魔力に代表される他者の魔力は操れないと思われています。ですが、それらの自然魔力も、魔石や輝石に纏め上げたり、そこまでしなくてもしっかり魔力を練り込んだ何かを用意すれば、それに自分の魔力を通す事でそれらの自然魔力に変換出来る事を私は知っています。その条件下でなら、変換された自分の魔力を、あたかも元からの自分の魔力の様に操る事が出来るのです。

 私が“黒”を用いて黒い『獄炎』を放ったり、瑠璃色狼で大猪鹿を仕留めたりといった事が出来るのも、その御蔭です。

 そうして変換された私の魔力と、辺りに存在する自然魔力の違いが何かと言えば、それは私の“意思”が通っているかいないかの違いでしか有りません。

 つまり、それぞれの異なる性質に合わせた“意思”の通し方さえ合わせる事が出来るのなら、それが自然魔力だろうと操れない道理は有りません!


 ……という結論が私の中で出されて、私の魔力の腕で掴んで運ぶだとか、私の魔力を薄く浸透させて「流れ」でもって操るだとかといった方法ではなく、私の魔力関係無く粘液魔力を直接操るという結論に至ったのですよ。

 その手法に私が拒絶を抱かなかった訳は、“意思”を通すと表現したが何と呼ばれていたかを、その昔に本で読んで知っていたからですけどね。



 色々と考察を進めるその間にも、そこそこしっかりめの獣道らしいこの枝の下をちょいちょい通る歪族相手に、ちょいちょい手足を動かしながら、魔力の腕は伸ばさずに“意思”だけを伸ばし――

 ……こう、ちょいちょいと……。


 出来無い筈が無いのですよ。私が今やろうとしているのは、噂程度にしか書物にも残されていない思念術という技術です。

 これまで“意思”を通すと述べましたが、その本によるならば、それは心が生み出す感情の力である“念”を用いた術です。

 私が見た僅かな記載によると、薬物を用いて狂気に至るまで感情を高めると、“気”も魔力も用いずに周囲の凡ゆる力に介入出来る様になるのだとか。

 飛び交う魔法を逸らしたり、滝の水を逆流させたり、そんな事が出来るかも知れない力だそうです。


 実際には魔術の一つでは無いのかと疑問視している本の方が多いのですけれど、私はそうは思いません。

 祝福技能や『儀式魔法』に頼っている人には分からないかも知れませんけれど、『根源魔術』を使うならば、今この魔力を操っている力は一体どういう力なのかと、一度は考えるに違い無いでしょうから。

 そこを突き詰めると、どうした所で“意思”の力――即ち“念”の存在を認めざるを得ないのですよ。


 “気”に通せば、放つだけだった筈の“気”を体の中で循環させて、無限の活力を得られる力。

 魔力に通せば、垂れ流すだけだった筈の魔力で、それこそ凡ゆる事象を引き起こせる力。

 その“念”の力を正しく自在に操る事が出来るなら、荒唐無稽と扱き下ろされていた数々の伝説も、実現出来る日が来るかも知れません。


 尤も今回挑戦するのは、私以外の魔力を操るという、今の私からすれば力業でも何とかなりそうな分野ですけどね。

 『根源魔術』で鍛えた私の“念”の力は、薬物なんかに頼らなくても、きっと直ぐに手応えを返してくれるに違い無いのですから。


 ……こう、ちょいちょいと……。


 実際、今迄全方位に薄く伸ばしていた魔力を収め、それら全てを操っていた“意思”の力を木の下へと向ければ、感覚はまだ伴わなくとも粘液魔力が私の念じた通りに動きますからね。ちょいちょいととしか動かないところはまだまだ力業の拙さなのでしょうけれど、数を熟せばそれだけ動きのぎこちなさは取れていきますから、感覚を掴むのもそう遠い話では無さそうです。


 因みに、“念”は歪まされて私の“意思”では無くなった時点で、私とは関係が無い代物に成り代わるので、侵食されたりといった心配は要りません。ちょっと余所事を考えて制御下から手放してしまっただけでも、魔力は直ぐに散ってしまうのですから、その時点で私とは切り離されているのです。

 そういう意味でも、“念”はより直接関わる方法ながらも安心なのですよ。


 そうして実験を積み重ねて、協力者さん達の骸が木の下に積み重なる様になると、今度はその血の臭いに誘われてより大きな協力者さん達が集まって来ます。

 大きいとそれだけしぶといですから、実験も捗ります。

 “念”の練習も言わずもがなです。


 元々この赤呪の森の処理が終われば、生きられる場所も無い協力者さん達です。ここで私に協力する事無く残される方が、悲惨な最期を迎えるのは確実です。

 別にそんな言い訳が無くても躊躇ためらったりはしませんが、ドルムさんが湖の畔に作り上げた惨劇の現場を越えた惨状ですから、言い訳の一つは考えてしまうのですよ。

 魔力を感じ取れない人を大変と思った事は有りますけど、それと同じで今は私が何が起きているか分からないままに弄くり回していますので。

 協力者さん達にとってはいい迷惑ですけれど、神様にお問い合わせしてみても誰も答えなんて持っていませんでしたから、仕方の無い事なのです。


 そうして“念”を練習して分かった事ですが、生き物の魔力にはその生き物の“意思”が通っていますし、自然魔力にも薄いながら“意思”の様な物が存在しています。そしてひずみ混じりの異界の魔力には、ひずみのゆがませようとする性質が、強烈に“意思”として溶け込んでいます。

 そういう他者の魔力に溶け込んだ“意思”は、私が“念”で操ろうとした際には強力な抵抗となります。


 つまり何が言いたいのかというと、“動かす”という力業で出来る事なら兎も角、探ったり調べたりといった繊細な“意思”を“念”で押し通すには、粘液魔力の“意思”が強過ぎました。

 どうにも手応えを返させる事が出来ません。命じっ放しになってしまいます。


 まぁ、元々の粘液魔力の性質に、強化する以外にも感覚を伝える事の出来る性質が無ければ、そもそもそんな事は出来無いのですけれどね。それを探る事も儘ならないのはもどかしい限りです。


 今はそこに突っ込みを入れる事に余り意味は無いのですけれど、実際問題としてやれる事が少ない不毛な作業には、気分が滅入ってくるのですよ。

 もう生きたまま腑分けしたりとかは、やめてしまっても構いませんよね?


 そんな気持ちで、正直木の下へとやって来る協力者さん達がまばらになって来た事も有って、夜中を迎える頃には私も協力者さん達がやって来た時だけ“黒”に起こして貰ってざっくりと始末をする、そんな流れが出来上がっていたのです。


 そして明け方――。


「グルゥゥウウウウムァアアアアアアアアア!!!!」


 “黒”に起こされるまでも無く、耳障りな咆哮に叩き起こされました。


 喧しいですねと、扱いも慣れた“念”で粘液魔力を操り、隈取り巨大熊の首を刎ね飛ばします。

 「流れ」も「活力」も何も使えず、ただ魔力を動かしてのごり押しです。

 でも、これぐらい出来無いとこれからしようとしている事は出来ません。


 そのままちょいちょいと、申し訳程度に巨大熊を解体します。

 見ている間にも萎んでいきますけれど、どうやってこの巨体を維持してきたのでしょう?

 膨れ上がって大きくはなっていますけれど、基本的に骨格は変わらないのか、厚みと横幅が激増している感じです。それは確かに力は有りそうですが、機敏には見えません。この盆地を離れて獲物を求めても、野生の動物は捕まえられないのでは無いでしょうか?


 ――と、そこまで考えて気が付きました。

 渡されていた冊子の報告書には、近隣の町や村が大きな被害に遭って、既にこの辺り一帯からは撤収していると書かれていました。

 成る程、野生の生き物は捕まえられないから、何故か逃げずに立ち向かってくる人や、杭に繋がれたりして逃げられない家畜が狙われたのですね。

 でも、それなら上級や特級の相手にはならないと思うのですが……。


 案外ここの歪族は、狩っては現れを繰り返しているのかも知れません。

 動物達にとっては避けられる危険である為に脅威ともされず、しかし盆地に踏み込み粘液魔力に沈んでしまってからその意味に気が付くのですよ。


 何とも怖ろしい話です、と、沁み沁み物思いに耽っていると、珍しく“瑠璃”がつんつんと私の気を惹いてきたのです。



 普段、私は薄く魔力を広げて、辺りの状況を把握しています。或いは辺りからの魔力の放射を受けたり、“気”の動きを感じたりして、眼で見てなくても大体の事は分かります。

 でも、それらには全て“念”が関わっているのでしょう。今は魔力を広げたりはしていませんし、“念”の練習に集中しているのも有って、どれも物の役には立ちません。

 その為に“黒”と“瑠璃”には危険が迫れば教えてと見張りを頼んでいるのですけれど、“黒”は危険が無いと判断したなら後は好きに遊んでしまうのです。こういう予想外の状況でも気を遣って伝えてくれるのは“瑠璃”が頼りでした。


 その“瑠璃”に促されるままに顔を上げれば、木の間に身動みじろぎすらしない複数の人影です。

 私が夜目が利くというのも有るのでしょうけれど、既に空が白み始めた中では、動きが無くても随分と目立ちます。

 パーティを組んだ五人の冒険者? でしょうかね?


 『隠形』しているつもりだとしても、獣道の真ん中では意味が無いですし、何でしょうねと思いながらも、熊へと視線を戻してちょいちょいちょい。


 そう言えば、この辺りは禁足地扱いでは無かったでしょうかと頭を上げると、何故か冒険者達は先程の場所より離れた場所で、息さえも凍り付いた様に固まってます。

 ……まぁ、私が態々禁足地と指摘する意味は有りませんし、帰ってくれるのなら特に言う事は有りません。


 そう思ってまた解体作業に戻りつつ、追加された協力者を楽にして上げつつとしていると、ドサリと特徴的なその物音が響きました。

 ぐっと身を起こして視線を向ければ、もう随分と離れた場所で、冒険者の一人が後ろ向きに転がっていました。

 ……妙な緊張感が漂っています。


 でも、何か有るのでしょうかと思っても、私が見ている内は転んだ人も含めて指一本たりとも動かさないのですよ。

 近付くか離れるかの違いは有りましたが、こんな遊び有りましたよね?

 生憎私はその奇妙な遊びに付き合う義理も有りませんから、私には関わり合いの無い事でござんすと作業を続ける内に、彼らの姿も消えていたのです。



 妙な出来事も有りましたが、一晩実験と観察に費やした結論としては、ひずみ混じりの粘液魔力を直接体に取り込まない限りは、私に害は無さそうという事です。

 まぁ、おそらく、とは付きますけれどね。

 もしも粘液魔力を取り込んでしまったとしても、“念”の力で排出は容易と知れたのが大きいかも知れません。

 漸く万難を排して、依頼の遂行に取り掛かれそうです。


 尤も、その辺りの事は早い内に分かっていたのですけどね。

 朝まで待ったのは、幾ら夜目が利く方と言っても、魔力での知覚に頼れない状況での夜の作業をしたくなかったからです。

 月明かりがかなり明るくても、そこは安全を取ったのですよ。


 一旦元気の出る食事を摂ってから、粘液魔力のふちに近付いての作業再開。

 ですが、周辺から追い込む方法は直ぐに諦める事となりました。


 これが自分の魔力を介しての『根源魔術』なら、縁からでも界異点まで支配領域を届かせて、一気に逆流する「流れ」を作ったのですけれど、他者の意思が抵抗となるだけでその百分の一も届きません。

 素直に界異点の直上に引っ掛け魔力の技で留まる事にしましたが、やってみるまでは引っ掛け魔力の技へ回す意思がつい途切れたりして、粘液魔力の中へ落ちたりしないかと、本気で不安を感じました。

 実際やってみれば、その辺りは並列して幾つもの作業をしていた私ですから、案外何とかなったのです。


 そして“念”で粘液魔力に“意思”を込めてみて実感しましたが、実は『根源魔術』でも「流れ」や「活力」と私が定めていたその力は、そんな凝り固まった定義をしなくても大丈夫だったのかも知れません。

 幸い粘液魔力には自ら動く事の出来る性質が有りましたから、界異点の方向へ動けと“意思”を込めるとその通りに動きます。ですが色々と試してみたところ、そんな面倒な事をしなくても「帰郷」の意思を込めると、方向も何も定めずとも勝手に界異点へと雪崩れ込んでいったのです。

 最終的に私の仕事は、界異点の周りを私の“念”の支配下に置いて、「帰郷」の“意思”を込め続ける簡単な仕事になりました。


 まだ界異点だか異核だかを閉じる方法は分からないのですけどね。

 だとしても、熔かし固めた岩でがっちり囲ってしまえば最悪何とかなりそうですから、取り敢えず一応の目処は付いたのです。


 そうと決まれば、適当な場所に目印の輝石を置いて、一度学院へと帰還します。

 いえ、もう、橙色に光る汚物を視界の中から消してしまいたかったのです。頭がおかしくなりそうなのですよ!

 それに、何と言っても、今日は秋の三月十五日。世の中は休日ですが、部屋の仲間達にとっては王城へ収穫祭の報告へと赴く仲間達を送り出す、大切な日なのですから。


 ……見送るだけ見送れば、私は即刻戻って作業の続きですけどね。



 作業に戻って半日。

 盆地の底に穴が空いたかの様な勢いで粘液魔力が抜けていきますが、大量に溜まっていただけに相当な時間を要します。

 途中からは界異点周りに置いた“念”の支配領域を狭めて、初めは諦めていた周辺からの追い込みを試します。

 とは言っても、作業領域は界異点周りの他に作れて一つ。

 どうやら私の魔力に通した“念”は、私の魔力に特化した性質へと変質してしまっているので、遠隔で“念”を使おうとすると「通常空間倉庫」経由で空間に穴を空けなければいけません。時空のメイズ様に怒られてしまえば使えない手法ですが、特にここまではお叱りも無く、とは言え厄介な魔術を複数展開しているのは確かなので、作業領域は作れてもう一つというのが精々なのです。


 尤も、その一つが有る御蔭で、二度手間にならずに済むのですけどね。

 粘液魔力が排出されるにつれて、盆地の喫水線と言うか粘液魔力の水面が下がっていきますけれど、それに合わせて盆地から垂れ落ちようとしていた粘液魔力を盆地へと戻したり、地面や木々に残された粘液魔力に「帰郷」の“意思”を込めて掻き寄せたり。


 結局掻き集められるだけの粘液魔力を送り返す事が出来たのが真夜中ですから、こんな厄介な事情が無い限りは自前の魔力を操る『根源魔術』の方が余程扱い易いと草臥れ果てた頭で考えました。

 その直後に、空間の裂け目という形を取った剥き出しの異核を“念”なら閉じられるのが分かって、“念”の評価を改めたりもしましたけれど。


 地面に染み込んだ粘液魔力の事なんて知りません。正直そんな物まで面倒は見切れませんし、私の見立てではこちらの自然魔力に対抗されて、地面に染み込んだ粘液魔力はそう多く有りませんから。

 遠征に出ている歪族にしても同様です。何れ遠くない未来に朽ち果てる定めと思えば、特に手を打つ必要も無いでしょう。


 それに、少量ならどうにでも処理出来るのは確認済みです。


 ですから、今回の依頼はこれで達成なのです。


 余り冒険をした様な気はしませんが、今回はかなり大変でしたので、やっぱり久々の大冒険なのでは無いでしょうかね?


 使い慣れない“念”の酷使によりぼーっとした頭で、私はそんな事を考えたのでした。

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