(2)毛虫は薬草を駄目にする悪者なのです
一歩踏み出せば一歩分、十歩踏み出せば十歩分、遠い森の影が近づいてきます。
いつしか小走りになって、それから全力で駆けだして、ずんずんずんと森が近付いてくるのです。
さあ、冒険です。冒険の時間なのです。
探索に開拓、狩猟に採集。冒険にも色々有りますけれど、今日は採集に励むのです。
私の気持ちの赴くままに、自由に世界を冒険出来る未来の為に、今は一つ一つ熟していくのが一番の近道だと思うのです。
街から南に、歩いて行くなら一時間近く。でも、走ってきたため二十分程の、岬の様に森が一部草原側に迫ってきている場所が目的地です。
その突端の左に、少し隠される様にして在るのが、本来は低ランク冒険者御用達の通称花畑ですが、私の向かう先は其処では有りません。
蜜を集める黄蜂に守られた一面の花の野は、初心者にとっても安心安全な稼ぎ場所でしたが、今は私はその初級冒険者達に疎まれてしまっているのです。
森の突端を
忍び足と言うにはしっかり走っていながらも、砂利を踏みしめた時に石と石が擦れ合う音や、僅かな衣擦れの他に聞こえてくる物が無いのは、昔からの修練の賜物なのです。
冒険者協会に出入りを始めた頃には、足音を消すには力を抜いて歩けばいいとか、転がる様に歩けばいいとか、色々と言われましたが、私が見つけた方法は、受け流す様に歩くやり方です。
兄様達が父様に稽古を付けて貰っている時に、剣や槍を叩き付けている時と、受け流した時とで全然音が違うというそれと同じです。足を踏み下ろす時に、柔らかく地面を受け止めて、力を後ろに逸らすのです。
地面の動きを先読みして、それに体を合わせるこの方法は、始めた当初は相当にしんどかったのを憶えています。やり方は何となく分かるのに、体が付いて来ないのです。
でもそれは、兄様達が剣や槍の受け流しに苦労しているのと同じ事。達人になれば意識しないでも受け流しが出来るのですからと、街の時間を全て冒険者に成る為の訓練の時間と張り切っていた私は、程なくリダお姉さんをして神出鬼没と言わしめる様になったのです。
普通は無意識の歩くという事を、常に修練に充ててしまえば、上達だって早いという事なのでしょう。更に言えば、これは抜き足差し足と似て非なる受け流しの技術ですので、こつさえ掴めば不格好な爪先歩きなんてしなくても、どんな歩き方でも音は消えます。今となっては手を使っての受け流しだって、兄様達にも負けない位には自信があるのです。
リダお姉さんは隠れん坊の技術としか思っていないのかも知れませんが、でも本当は受け流しの技術なのです。その事が、もしも森の魔物と相対したとしても、何とかなりそうと思える理由の一つにもなっていました。
まだ森で出会った生き物はそう多くはありませんが、飛び掛かられても受け流して躱しては、隠れながら逃げてしまえばどうとでもなりそうです。実際に、森の大毛虫は、それで何とかすることが出来たのですから。
父様は、戦う事も出来ないのにと言いますが、そもそも戦うつもりも無いのですからお門違いというものなのかも知れません。父様の考える森での活動と、私の考える森での活動は違っていたのです。
父様は騎士で、私は冒険者という事なのでしょう。
何だか一つ、疑問が解けた様な気がしました。
でも、そんな隠れん坊の玄人な私から見て、初級冒険者の造り上げた拠点は、酷く危うい物でした。魔物に中に隠れられては、不意打ちだって喰らう事になるでしょう。
ですが、そう思って以前話し掛けようとした時には、石を投げ付けられるという手酷い拒絶を受けてしまったのです。
私にとっては同じ冒険者仲間。本当は仲良くやっていきたいのですが――
(……わざわざ絡まれに行くことは無いのです)
私はいつもの様に、花畑に到着するその手前で、森へと向かって道を外れたのでした。
今日も見張りは、そんな私に気が付きませんでした。
そうして入った森の中。街の中とも草原とも花畑とも違う、きりりとした雰囲気に支配されています。
木々の鼓動や草花の息遣いがより身近に感じられて、元気が出てくる感じなのです。
薬草だって元気一杯。花畑の中の薬草が、黄蜂達に過保護に育てられている花々に紛れた雑草だとすると、森の中の薬草はきりりと独り立ちしたお兄さんです。
森の歪みにより近いだけあって薬効だって違います。一本で花畑の薬草五本分、しかも花畑では取り合いになっている所為で薬草自体が見つけ難い……となれば、森の浅い部分に入るのは、そういう意味でも必然なのですよ。
鼻の奥にツンと抜ける様な清浄な空気の中、木立から漏れ入る光の差す其処此処に、こんもりとした下生えの群生地が出来ています。
そんな中にも、ほら、またあそこに薬草の気配。
雑然としている様に見える下生えの一角に、シダリ草が八株程。不思議と分かる摘み取り線に沿ってナイフを入れれば、これでもう一朱金は確実です。
指先程の小さな粒の一朱金。四つ分で一分金。四分金で一両金です。
銀や銅も同じ様に数えますが、その価値は地域によって違いました。
この辺りでは金より銀の価値が高いのですが、王都に行くと金の方が価値が高いのだそうです。
なので、報酬は金で貰う方がお得なのですよ。
ふふふ、今日もまた、二代目採取ナイフが冴え渡るのです。手の中にすっぽり収まる柄と親指程の鍛え上げた薄い刃先。実に使いやすい逸品なのです。
落ち葉でふかふかの地面を踏みしめながら、下生えを掻き分けて薬草達を摘み取ります。
中には根っこも大事なハコベ草も有って、そういうのは薄紙で根っこを包んで採集袋にそっと入れます。
手足や顔が土で汚れるのはいつもの事。初めは採集依頼しか回してくれないリダお姉さんに反発した事も有りましたけれど、今はこれが楽しくて仕方が無いのです。
もしかしたら、採集に関する技能なんかを持っていたのかも知れませんけれど、『識別』をして貰うにも何故かリダお姉さんが渋るのです。
尤も、『識別』をして貰うにもお金が掛かるので、今はまだ構わないのですけれどね。
因みに初代採取ナイフも腰に有りますが、これはもう採取ナイフとしては使えません。いざ初めての採取と振るわんとしたその瞬間に現れたあの
初めの獲物で祝福を与えるのは、鉄を打つ者の常識です。街の外に出る事を禁止された一年で打ち上げた自慢の逸品だったのですが、もうやり直しは利きません。
……とは言っても、柄も合わせて肘から指先まで位の長さがある初代ナイフは、採取ナイフとして使うには微妙に使い辛そうではありました。それに、鍛え上げた刃先が硬過ぎて、刃を数ミリしか研ぎ上げられなかったので未完成もいいところだったのです。
街で手に入る砥石では、砥石の方が先に擦り切れる始末で、『記憶持ち』の恩恵というものをその時だけは実感しましたけれど、僅か数ミリの研いだ筋だけ鈍く光る、ざらざらとした黒い厚手のナイフは、名刀と訴えても誰も
だからという訳でも無いのですが、初代採取ナイフが毛虫殺しに堕してしまったといっても、その時は兎も角、今となっては思うところは有りません。と言うよりも、この森は毛虫が多過ぎなのです。まだ森に入る様になって数日ですが、毛虫専用の毛虫潰しが有っても仕方が無いと思う様になりました。
でも、いずれ討伐依頼を受ける事も考えると、しっかりとした短刀は、別に
あっちへ行ってはシダリ草。
こっちに有るのはフクロ草。
ピリリとした気配はフクチナ草。
おお! これは! ……よく分からないけれど多分凄い草。
跳ねる様に森の中を行けば、チリチリと
違和感で済んでいればいいのですが、長い間歪みに曝されていると、存在自体が歪められてしまうと言われています。
そうして歪められたのが
この森に居るのはそのいずれかになるので、見掛けたら片っ端から討伐しても構いません。歪みを内包した生き物が散らばると、それだけ界異点も増えていくので、これは神々が推奨する大切な仕事なのです。
領都デリラは魔の大森林デリエイラとの最前線。森の歪みと魔物については、誰しも小さな頃に教え聞かされる事になるのでした。
けれど、そういう意味からも花畑に在った拠点は心配なのです。
講習でも、初級者の内は森の近くに留まらない様に言われていたのを、忘れてしまっている様にしか思えません。
(これぐらいで、いいですかねぇ?)
私は、今はまだ外へ出るとしても半日と決めていました。時間を忘れて採集を続けていても、お昼になってお腹が空いてきたら終了です。
背中の背負い袋の中には、小分けにした採集袋が六つ入って、既にぱんぱんです。あまり詰め込んでも傷みが出て査定が下がるだけなので、そういう意味でも残っている意味は無いのです。
ですが、今日は珍しく毛虫に出会わなかったと思ったら、ちりちりと嫌な感じで強まる違和感。
(……今日もですか……)
違和感を感じる方向に目を向ければ、またも薬草を踏み躙りながら現れる、背の低い毛むくじゃらの姿が有りました。
私よりも低い背ながら腕と足は不自然に長く、酷い蟹股で歩いてくる毛むくじゃらです。もしかしたら足を伸ばせば私と同じ位の背になるのかも知れませんが、そんな様子は一度も見たことが有りません。顔だけは人の顔の様なにたにた笑いで、額の何処かに
そしてこれは偶然かも知れませんが、決まって薬草を踏み躙りながら現れるのです。
私が初めて森の中に入った日、
初めての薬草採取の興奮と熱中の中に、警戒心を無くしてしまっていた私と、毛むくじゃらとの目が合って――
そこに私が居ることを疑問に思わないのか、ゲヒャと歓声を上げた毛むくじゃらが石の棒を振り上げて――
あわや私の危機ですかというところでしたが、でもそんな物に当たりはしませんと正気を取り戻し、斜め前に受け流しながら避けた私の手の中には初代採取ナイフがあって――
石の棒を振り下ろした勢いのまま地面に倒れ込んだ毛むくじゃらの首裏には、既にそのナイフが深々と埋まっていたのです。
紫電一閃――と言うには、ほとんどが黒くざらついた艶消しされた様なナイフですが――私のナイフは、想定とは違いましたが、その役目をしっかりと果たしたのでした。
一刺しで沈んだその毛むくじゃらは、死んでいる筈なのに派手に痙攣して、薬草が更に荒らされていきました。
更に噴き出す緑色の体液が、薬草を厭らしく汚していきました。
それは私の……私の薬草になる筈のものだったのです。
歪族か鬼族か知りませんが、その時から私にとって、その毛むくじゃらは薬草を駄目にする悪い毛虫になったのです。
そんな毛虫がまた一匹……いいえ、そのまた奥にももう一匹。
私は初めの一匹の後ろに回り込んで、まず一匹とカシュンとナイフを首に埋めます。
ざらざら肌のナイフですが、刃先だけは鋭くて、抵抗なく首に入った後に
ナイフを抜きながら蹴り飛ばした先は薬草群生地の外。
直ぐにもう一匹の上を飛び越す様にジャンプして、くるりと空中で一回転。逆巻きながらやっぱりナイフを首に埋めます。
地上に降り立つ勢いで、ナイフを引き抜きもう一匹も群生地の外へ。
毛虫が出たら採集もお仕舞いです。いつもなら、お昼になるまで他の毛虫を捜し出して潰して回っていましたけれど、今日はもう帰るところなのです。
背負い袋も一杯なら、お腹だって減ったのです。
「今日はもう疲れました」
口に出したら、踏ん切りも付きました。今日はもう冒険の時間も終わりなのです。
今から帰れば、商店街には美味しい串焼き、野菜焼き。
それともこっそり家に帰って、母様と一緒のご飯もいいかも知れません。
何れにしても、それはその時、私の気のまま赴くまま。
まずはリダお姉さんに報告なのです。
と、私は森を後にしました。
これが私ことディジーリア=ジール=クラウナーの、冒険者の時間なのでした。
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