(9)独り身の寂しさ、なのですブンブン。

 ガタンと音を立てて、冒険者協会の扉が開きました。

 扉を見た冒険者達が、ぎょっとした顔で一歩後ろへと下がります。


 ――ブゥウウウウウン……ブゥウウウウウン……


 冒険者協会に、赤蜂の群れが訪れたのです。

 中級以上の冒険者には何ていう事は無い相手ですが、冒険者協会の扉を開けて入ってくるとなると油断は出来ません。


 ――ブブブブブンブン……ブブブブブンブン……


 赤蜂達は右に左に揺れながら、ゆっくりと冒険者協会の受付目指して進みます。

 一糸乱れぬ統率の取れたその動き! むむむ、これは女王蜂も一緒に居るに違い有りません。

 リダお姉さんも、厳しい顔付きでこちらを睨み付けているのです。


 ――ブンブブブンブン……ブンブブブンブン……


 しかし、受付へと辿り着いた私は、あっさりと抱えた鞄の陰から顔を出しました。


「という事で、報告と、素材の買い取りなのですよ!」


 揺れていたのは、鞄に括り付けた、既に死骸の赤蜂達なのです。

 ふふふふふ……私だけ気配を消して、赤蜂達は目立たせる。

 帰り道で考えついた、新しい技は上手く行きましたでしょうかね?


「……ディイイイイジィィイイイイイ!!」


 構えていた短剣を懐に収めたリダお姉さんが、頬まで裂けそうな引き攣った笑顔で立っています。

 何だか涎が垂れてきそうです。


「ナニ、器用な真似してんのーーーーっっっ!!」


 頭を掴まれてしまいましたよ!?


「痛い、痛い、痛いですよお姉さん!!」


 ぐりぐりと怒られてしまいました。

 最近のリダお姉さんは、前と違って何だかやる気に満ちているのでした。



 そして報告をしたその場所で、やる気を出したと思っていたリダお姉さんが、ぐでりと受付に突っ伏しています。

 花畑に駆け付けた騎士達は、黒岩豚に少年達を載せて歩いて帰る様でしたから、私が報告しないと駄目ですねと思ってやって来たのですけれど……。


「ほー……。それでディジーがノリノリなのねー……」

「はい! いい事をしたのですよ」

「んー、まー、でかした」


 気怠げに伸ばした手で、ぐりぐりと頭を撫でてくれるのでした。


「でー、浮ついた気分で、あーいう悪戯をしたのかー」


 リダお姉さんの手の力が強くなります。

 鷲掴みにされて痛いのです。


「あんな危ない事は二度としないことー!」

「は、はい! ご免なさい!」


 まぁ、私も不味かったかとは思ったのですけどね。

 まさか、短剣を構えられてしまうとは思わなかったのです。


「本当にもー、子供なんだからぁ!」


 窓口のお客様対応なリダお姉さんの口調にも乱れが有るのです。

 それにしても、ちょっと悪乗りしてしまったかも知れませんけれど、「ブンブン」も口で言っていたのですから、分からない筈は無いと思ったのですが……。

 隠れん坊の才能――いえ、『隠蔽』の力は、怖ろしいものが有りますね。


 私だって、目の前に居るのに見失われたりすれば、何かの力が働いている事くらいは気が付きます。

 技能教本で見た当て嵌る力は、『認識阻害』系の技能の初歩、『隠蔽』に違い有りません。

 恐怖! 冒険者協会に迫る赤蜂! ――も、自覚した『隠蔽』の力に因るところがきっと大きいのです。自覚して『隠蔽』を使ったなら、リダお姉さんの目も欺ける事が、今回の事で分かってしまいましたけれど。


「そう言えば、赤蜂には『隠蔽』しても気が付かれてしまいました」


 少し自信が揺らぎそうです。


「あー、虫系に『認識阻害』はねー」


 そう言うと、リダお姉さんは持ってきた赤蜂の一匹を手に取ります。


「ほら、虫系の眼は小さな眼が一杯集まった物なのよー。こんだけの眼で見られちゃ、『認識阻害』も効かない訳ねー。勿論、『隠蔽』もー。……一杯人が集まっている所で注目を浴びる様な事をしても、違和感を感じたのが一人だけなら気のせいで終わるかも知れないけどー、沢山の眼からの情報を一つの頭で受け取る虫には気付かれるってことねー」


 『識別』や『鑑定』の補助に常備しているという虫眼鏡に拡大された赤蜂の眼は、リダお姉さんが言う通りに、小さな黒目の集まった姿をしていたのです。


「これが全部目玉なのですか!?」


 やっぱり、魔物教本だけでは無く、動物教本も見るべきでしたと思いながら声を上げると、「そうよー」とリダお姉さんは頷くのでした。


 こんなに一杯の目玉に見つめられたなら、それは隠れん坊の才能も生かせないのは納得です。


「『隠蔽』も、上手く出来る様になったと思ったのですけど……」

「……あー。あたしが気が付けなかったのは初めてかもねー。上手くなってるわよー、イヤんなるくらいにー」

「でも、『魔物識別』は全然出来ないのですよ。何でですかねぇ?」

「ディジーが『隠蔽』を抑えられる様になれば、どんな技能を持っているか分かるんだけどねー……。出来ないって事の方が変な感じだからー、色々試したらひょんな事で出来る様になるんじゃないかねー?」


 私もそんな気がしたので、こくりと頷いたのでした。


「はい……と、えらく綺麗な赤蜂だけれど、針無し毒袋無し魔石も売らないじゃ、全部合わせても鉄貨にしかならないわねー。解体費用引いて、五両鉄ってところかねー。と、抜いた魔石が十八個。何にするのよ、赤蜂の魔石なんて?」

「ふふふふふ……赤蜂の針で作った千枚通しを赤蜂の魔石で強化したら! 何だか楽しみになりませんか?」

「……はぁ。錬金術屋はリロの乾物屋の裏にあるけど、王都の学院で学んだなんていうのも看板倒れの期待外れねー。昼に二時間位しか開いてないから、明日お昼時に行くしかないわねー」


 少し顔をしかめて、リダお姉さんがそんな事を言います。


「え? なんで錬金術屋なんですか?」

「え? 強化、するのよねー?」


 錬金術屋……そう言えば、聞きましたね。

 ガズンさんからは魔石で強化してくれる事を。

 騎士様からは回復薬を売っている事を。

 でもですね、回復薬には興味有りますけれど、愛刀の強化は人に任せるつもりは無いのですよ。


 と、そんな事を言ったら、リダお姉さんに相当に呆れられた目を向けられてしまいました。


「まー、ディジーだからねー」


 そんな言葉で納得されるのは業腹です。

 ですが、何だか色々自覚の無いままにやらかしていそうな私には、何も反論する事は出来ないのでした。


「それにしても、今日はやけに遅いけどー、森には昼から行ってたのー?」


 ――それはですね、

 と、答えようとした時に、冒険者協会の扉が、乱暴に開け放たれたのでした。


「大変、大変、大変なの!」

「花畑に赤蜂が出たんだ!」


 私はそっと、目で退去を告げると、リダお姉さんはやれやれと苦笑しながらも報酬と魔石を渡して送り出してくれました。

 受付を離れてしまえば、『隠蔽』の力で、やって来た初級冒険者達にはもう私の事は分かりません。


「シリアンカとダズロが蜂にやられて――」

「あー、騎士様が回復薬を処方したって報告を受けているけどー、他にも誰か被害が出たのー?」

「蜂が一杯出たんだよ! 僕たちじゃどうにも出来ない。倒さないと!」

「……赤蜂が出たのはー、あなた達が態々巣箱を作ってあげたからねー。忠告はしてたしー、撤去も何回したかしらー?」

「えっ!? で、でも、倒さなきゃ!」

「んー? その討伐しないといけない赤蜂って、これかねー? それにしてもー、雑魚の赤蜂相手に黄蜂まで巻き込んでー、発煙筒も使わずに逃げ惑うだけなんてー、お姉さんちょっと信じられな――」


 リダお姉さんが遣り取りをする声を後ろに、冒険者協会を出たのです。


 嫉妬、いじめ、嫌がらせ。仲間外れに謗りに嘘。

 なんて面倒臭い事でしょうか。

 冒険者なんですから、冒険すればいいのです。

 私は冒険がしたいのですよ。

 面と向かってなければ今日は楽しい一日でしたのに、顔を合わせると不愉快になるのです。

 ああ、本当に面倒臭い。面倒臭いのですよ!


 と、少し機嫌を悪くしながら、何だか商店街に行くのも面倒になって、ディナ姉の居るコルリスの酒場で晩ご飯を食べました。

 ガズンさんにも『識別』の事や森の毛虫の事なんかを聞いてみたかったのですけれど、ガズンさん達はもう森に入って暫くは帰って来ないという事でした。


 魔の大森林デリエイラは、広大な魔の領域にも拘わらず、ランクの高い冒険者からは不人気でした。

 それは、デリエイラが余りにも広く、上級者の稼ぎ処まで、何日も野営を重ねる必要が有ったからです。

 一番多いのは初級から中級。ランクにしたら五かそこらまでで、ガズンさんの様なランク三なんて上級冒険者は少ないのです。

 それだけに未踏の奥地には、宝晶石を超えるお宝がまだまだ眠っているに違いないと、ガズンさん達はそういうロマンを追い掛ける、探索系の冒険者なのです。


 そんなガズンさん達が森に入ってしまっては、十日近くは帰ってきません。

 ガズンさんはああ見えて、色々話を聞いてくれるいい人なだけに、少し寂しく思ったのも本当なのです。


「――そこで、赤蜂一之助! 『往生せえやぁあ!』とばかりにおけつの短刀腰だめに構えて、いてもうたれやと突進してきたところをずんばらり! ディジーリアはひょういと横手で短刀掴んで奪い取りながら払いのければ、けつから血反吐を振り撒いて哀れ一之助は黄泉路の旅へところころりん。『兄いの仇ぃ!』と後に続いた仁之助三之助も、猪口才也やとひょういひょういとけつの短刀掻っ攫えば続けてやっぱりころころりん。そこへ現る大大赤蜂大親分『内のもんにえろう真似――』なんて口上許さず奪った短刀投げ付ければ――」


 折角のディジーリア武芸譚も、聞き手の反応が今一ならば、何となく面白くも無いのです。

 いえ、違いますね。本当は、「わー!」と騒ぎたくて、コルリスの酒場に来たのに、騒ぎ仲間が居なくて寂しいのです。

 いつもは一人で気にもならないのに、今日こんなに弱ってしまっているのは、グループで花畑の探索をしていた初級冒険者達を見てしまったからでしょうか。

 いえ、考えてみれば、毛虫達も一匹で出てくる事は珍しかったですし、黄蜂達も群れで協力して助け合っていました。もしかしたら、黄蜂達と協力して赤蜂を倒したその一体感や、黄蜂蜜をくれた優しさに、参ってしまったのかも知れません。


「ふ、今日の私は、センチメンタルな気分なのさ」


 武芸譚の後の空隙の時間に、大人しくご飯を摘まんでいましたら、心配げなディナ姉に話し掛けられました。ちょっと気取って返事をすれば、またもやお盆で頭をはたかれたのです。


 むぅ……分かってない。

 ディナ姉は本当に分かっていないのですよ!

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