(10)知らない深淵……なのですよ?
明けて次の日。
朝は軽く森へと採集に出て、昼になる前には街へと戻ってきました。
寝て起きれば気持ちも復活。今日は毛虫退治も無しなのです。
そのまま教えて貰ったリロの乾物屋の裏に在る錬金術屋に向かったのですけれど、聞いていた通りに短い時間しか開けていないのか、まだ扉は閉まったままでした。
「おや、ディジーちゃん、久しぶりだねえ。このところ来てくれなかったけれど、どうしたんだい?」
リロの乾物屋の隣にある、八百屋の小母さんが声を掛けてきます。
乾物屋の隣が八百屋だなんて、まるで狙っているかのようですが、別に身内同士という訳でも無いそうです。
外の商人相手ではなくて、寧ろ街の住人向けの裏商店街。
表の商店街から、一つ通りを跨いだその裏は、そんなお店が並ぶ静かな一角なのでした。
「お久しぶりです、リールアさん」
「ああ、本当に久しぶりだよ。ちゃんとご飯は食べてるかい? 買い食いじゃ野菜は摂れないよ? 野菜を食べなきゃ、野菜を!」
八百屋のリールアさんは、直ぐ隣に食堂も開いていて、私も良くお世話になりました。
お芋の皮剥き、野菜の皮剥き、果物の皮剥きと、皮ばっかり剝いていた様な気もしますが、冒険者に成る前も、冒険者登録をした後も、お駄賃に加えて美味しいご飯も戴ける、とてもいいお仕事だったのです。
街の外に出る様になって、冒険者らしく屋台や酒場で食事をする様にしていたのですけれど、偶には美味しい野菜も欲しくなるものなのです。
「ええ、今日はリールアさんとこで食べるつもりでしたよ? でも、ちょっと用事があってですね……」
ついでに寄ったと思われそうな後ろめたさから目を逸らすと、勢い良く背中を叩かれてしまいます。
「何だい水くさい! 用事なんてささっと済ませて、美味しい野菜を食べて行きな!」
「ぅう……錬金術屋を見に来たのですけれど、お店が開いてないのですよ」
そう言うと、リールアさんは少し考え込む様に首を傾げてから、大きく頷きました。
「ははん? バーナんところに用なのかい? そりゃ、駄目だよ。バーナんの坊ちゃんはうちでご飯を食べてからしか店を開けないからね! そうと決まったら、ディジーちゃんも食べて行きな!」
殆ど引き摺られる様にして、リールアさんの食堂に連れ込まれる事になったのです。
リールアさんの食堂のお薦めは、じっくり甘みが出るまで煮込んだ野菜のスープです。他にも野菜に野菜、野菜、野菜、野菜しか有りません。でも、それがとても美味しいのです。
ほっとする懐かしい味に舌鼓を打ちながらお店の中を見渡せば、そこにもまた懐かしい顔ぶれです。
「ディジーちゃん、こんちゃー」
「よっ! 頑張ってるらしいじゃねーか」
「よー、じーさん、奇遇だなぁ!」
まぁ、懐かしいと言っても十日と少しでしか有りませんが。
それより、ディ『ジー』リア=『ジー』ル=クラウナーだからと言って、じーさん呼ばわりするコルリスの酒場常連な冒険者が浸食してきているのは問題です。
「じーさん言うな!」
取り敢えず、じーさん呼ばわりしたのっぽのあんちゃんにそう返してから、野菜の深入り煮込み汁をはふはふと掻き込みました。
幸せな一時なのです。
カリッと揚げた豆のチップスと、まるでお肉の様な赤瓜の厚切り。
飲み物だって濃厚な野菜ジュースなのです。
初めの目的を忘れて、夢中になって舌鼓を打ってしまうのも仕方が無いですよね。
デザートのクリウシャーベットを口に運びながら、はふぅと一息吐いていた時に、リールアさんの声が聞こえてきました。
「今日も良く来たね! 今日の野菜もいい出来だよ! たんと食べていきな!」
ガラリと食堂の扉を開けて入ってきたのは、どうにも疲れ切った様子の青年でした。
暗い緑のローブを羽織り、声も出さずに頷く様子は、黒髪の重たさも込みで活力という物が見当たりません。
一瞬、この人には野菜だけじゃ無くて、お肉の方が重要なんじゃないでしょうかと思ったのは、リールアさんには内緒なのです。
でも、その倒れる様に椅子に座り込む青年が、今日の目的でもある私の待ち人なのでした。
「ほら! ディジーちゃん、この子が錬金術屋のバーナイド坊だよ! バーナん坊ちゃん、ディジーちゃんが錬金術屋に用事だそうだけど、可愛いっからって手を出しちゃ只じゃ置かないからね!」
疲れ果てたバーナ青年ことお兄さんが、リールアさんにバシバシと
私も思わず同じ様に小さく頭を下げながら、リダお姉さんが言っていた評判は、何かの間違いでは無いのかと考えていました。どうにも悪い人には見えません。
ゆっくりご飯を食べた後、リールアさんの食堂を出る前に声を掛けてくれた事も、その思いを強くするのでした。
「くあー……おばさんところのご飯は、いつ来ても生き返るなあ」
「おばさんなんて呼ぶのは駄目なのですよ? リールアさんか、お姉さんと呼ばないと怒られるのです」
「ははは、お姉さんはどうかな。
「そんな事を言っていると、平手が拳骨になるのですよ?」
お店に移動する間にも、そんな会話を続けるのです。
気負いも警戒も思う所も感じられなくて、とても話がし易いのでした。
ガラガラと扉を開けられた錬金術屋の中は、壁一面に棚が設えられていて、そこには様々な品物が陳列されていました。
「見ていてもいいけど、触らない様にね」
そんな声を掛けられましたが、残念な事に何がどういう物なのか、私には分かりません。
並べられた半分程は、指輪や腕輪の類いで、どんな力が有るのか分かりませんが、何らかの力を持っている事は何となく感じ取れました。
一割程は武器の類いも置いています。ナイフの柄に宝玉の様な物が埋め込まれている物も多いので、これにも何か特殊な力が有るに違い有りません。
回復薬はと探してみると、これは棚の一割も占めていない一角でしたけれど、殆どが今日か明日に期限が切れてしまう物で、八日
残りはそれ以外の雑多な品物です。場所は整理されていますけれど、子供の玩具にしか見えない物から、丸薬の様な物、見ても分からない水晶玉の詰め合わせと、取り扱う品物に統一感が有りません。
品物の注意書きは一応有るのですが、投げ付ければ魔法が炸裂するなんていう魔石の加工品には、八両金なんて値段が付いていて、簡単に手が出せる物では有りませんでした。
「本当は力の腕輪や魔式の指輪に専念したいんだけどね、領城からの依頼分も有るし、中々上手い事行かないね」
カウンターの後ろで戸棚の整理をしていたお兄さんが、そう告げます。
因みに、カウンター後ろの戸棚には、薬草や何かの鉱石の類いといった素材が山と収められていました。
「砦からの依頼が有るのですか?」
「回復薬の依頼が有るんだよ。回復薬は使用期限が有るから、毎日納めないといけないんだけど、ちょっときついね。へとへとになっちゃうよ」
「あ、騎士様が昨日回復薬を使うのを見ましたよ! 蜂にやられて危なかった子供が、回復薬で持ち直したのを見て、私もここに来てみようと思ったのですよ!」
それを聞くと、お兄さんは手を止めて、ほっとした様に息を吐きました。
「そうかぁ……僕の作った回復薬が役に立ったのなら、それはとても良かったよ」
やっぱり、そんな風に言って微笑むお兄さんが、非難される様な人には思えなかったのです。
戸棚を整理していたお兄さんが、何かの準備が整ったのか、カウンターの上に幾つかの素材を並べていきました。
水の入った器、シダリ草等の薬草数種、白い石が幾つか。
それを一箇所に纏めて、両の掌を
ふわりと何かが体を撫でていく感じがしました。
結果的にとは言え、私から触りに行った事はまま有りますが、他から触られたのは初めてかも知れません。
とは言っても、どうにもお兄さんにはそれに気が付いた様子も有りませんでしたけれど。
(お兄さん、魔力がだだ漏れですよ?)
心の中でそっと声を掛けるのです。
魔力というのは、眼で見る事が出来ません。
でも、魔力で触られれば分かりますし、私から触る事も出来ます。
言ってみれば、目隠しで手探りしている様なものなのです。
そんな手と手が触れ合ったのが、
お兄さんが気が付かなかったという事は、きっとお兄さんは自分の魔力を掌握しきれていないという事ですね。
でも、これはお兄さんに限った事では有りません。
冒険者協会に出入りする様になって気が付いたのは、自分の魔力を制御出来ている冒険者の少なさです。
私が魔力制御を憶えたのは鍛冶仕事に必須だったが為ですが、それにしても記憶持ちの記憶に因るものですから、もしかしたら遠い異国の技術だったのかも知れません。
そんな色んな人の魔力の使い方を見てきた私から見ても、お兄さんの無駄に漏らしている魔力の量は相当なものが有りました。それはもう、疲労困憊な筈のお兄さんが、眩いばかりの存在感を示す程だったのですから。
その、目を見張るばかりだったお兄さんの魔力が、フッと消えてしまったのです。
いえ、無駄に漏れ出た魔力の一部には残っているのも有るのですが、何かに集中させていたその魔力が、漏れてた魔力の一部を巻き込んで、吸い込まれるかの様に消えてしまった次の瞬間――
手を翳していた素材を呑み込む光の玉が現れて、そしてまたその光の玉が縮んで消えた時、そこには小瓶に納まった、煌めく緑の液体が鎮座していたのでした。
「何ですかっ、これはぁあああーーーっっっ!!!」
叫び上げてしまうのも、仕方が有りません。
私はきっと驚愕そのものという顔をしていたのでしょう。
お兄さんはクスリと笑うと、わなわなと震える私に告げました。
「錬金術を見るのは初めてかな? どうだい? 面白いだろう?」
ぐったりしながら楽しげに喋りますが、そんな事が聞きたい訳では有りません。
と言うより、お兄さんぐったりし過ぎです。大丈夫なのでしょうか?
「過程が、過程が分かりませんよ! 何でパッと光ったら回復薬になるのですか!!」
「はははは、玄妙なる錬金の神ディパルパス様の御業っていう事だね」
「訳が分かりません! そんな言葉では納得出来ないのですよ! 遣り直しを! 遣り直しを要求するのです!!」
今にも倒れそうなお兄さんに投げ掛けるには、酷い言葉だったに違い有りません。
それでもお兄さんは、楽しげにまた素材を用意すると、姿勢を正して掌に魔力を込め始めました。
私は、
今度こそ、魔力の流れを見失わない様に。
鍛冶仕事の時に、換気の為に仕事場の風を操る様に、
薄く薄く魔力を広げていたのです。
だから、今度こそ魔力の流れを捕まえたと思ったのです。
お兄さんの掌から溢れ出したその魔力。だだ漏れていく魔力も有りますが、制御されて留まる魔力が玉の形を作り上げていました。
これがきっと何かをするのだと思った時、漏れてた魔力も一部巻き込んで、玉の魔力がまたしても忽然と消えました。
漏れていた魔力が制御された訳では無くて、その場から本当に消えてしまったのです。
一瞬間を置いて、今度は素材達を包む様に現れた光の玉は、今度は完璧に制御された魔力の塊でした。
余りに完璧に制御されているが為に、漏れ出す魔力が欠片も無くて、何の情報も掴めません。出てきた感じ、お兄さんの消えた魔力が元になっている様な気はするのですが、全く何も分からないのです。
或る意味、『隠蔽』ととても近い状態なのかも知れないと思いながら、注視を続けている内に、やはり光の玉は小さく萎んで、後には緑色に煌めく瓶入りの回復薬を残すのです。
「だから、何でですかっ!!」
理不尽です。理不尽の塊です!
「錬金の神様に魔力と材料を捧げて、望みの品物を分けて貰うんだよ」
憤っていた心は、お兄さんのそんな言葉で逆に一気に冷やされました。
「え? お、お兄さんが作った訳では無いのですか!?」
「はははは、神様に頼らずに錬金出来る達人なんて一握りさ。目標なんだけどね」
暫く呆然とお兄さんを眺めてしまいます。
お兄さんは本当にぐったりとして、今にも意識が落ちてしまいそうです。
それはそうです。神様が加工をしたのかも知れませんが、それに使った力はきっとお兄さんの魔力なのですから。
でも、こんな姿ばかり見てしまえば、リダお姉さんの様に勘違いをしてしまうかも知れません。
でも、それはきっと違うのです。お兄さんは、かなりの無茶をしているに違いないのです。
多分あの白い石は小瓶の材料です。私だって鍛冶仕事をする時には、魔力だって使いはしますけど、予め炎で炙って暖めた素材を使って鍛冶をするのです。なのにお兄さんは何も無しで白い石を小瓶に変えてしまったのです。無茶苦茶です。
水とシダリ草がきっと回復薬の材料です。でも、お兄さんは薬草を
私が自分で回復薬を作るならと考えると、何だか苛々としてくるのです。
「何で石をいきなり瓶にしようとするのですか!? 砕いて粉にしたら作り易くなったりしないのですか!? 使い終わった回復薬の小瓶を回収したり出来ないのですか!? 薬草だって擂り粉木で摺り下ろしたりしないのですか!? 訳が分からない! 訳が分からないのですよ!」
「うん? いや、錬金術って、昔からこういうものなんだよ?」
「非効率的です! 意味不明です! 訳が分からないのですよ!!」
八つ当たりに喚いているだけだというのは、自分でも分かっていました。ですけど、止められないのです。
私が自分で作るとするなら、きっと白い石は割って砕いて炎で熔かして丸く形を作って瓶にして、薬草もきっと磨り潰して水と混ぜて魔力を通しながら一番効き目の強い部分を探すのです。
きっとそれでも作れそうというのは、多分私の見えない『識別』が教えてくれていて、いつかきっと作る事が出来る様になると感じるのです。
でも、よくよく考えれば、それでは今までと変わりません。色々出来ても、出来ない筈の事は出来ないままです。
ピピンと頭に閃くものが有ります。
これはきっと、私が『技能識別』とかを出来ない事と一緒なのです。
私が知らない事なのに、技能を使えば分かるなんて、そんなのは神様に教えて貰うしかないじゃないですか。
でも、それでは私が今まで頑張ってきたのは何だったのでしょう。鉄を打つのも、鎧を縫うのも、一筋縄ではいかなかったのです。ほとほと趣味に合わないのです。今まで積み上げてきたものを嘲笑われた様にも思えるのです。
「まさかと思いますが、武器の強化というのも、武器と魔石を並べて魔力を込めれば、ピカッと光って強化されたりするのでしょうか?」
「ん? 嗚呼、そうだな。何かあったかな?」
そのままお兄さんは、何か強化する物が有ったかと辺りを探し始めました。
お兄さんは何も悪くは無いのです。とてもいい人なのですよ。
でも、私の心は荒ぶるままで、とても冷静ではいられなかったのです。
「いえ、いいのです。今日は有り難うございました」
そんな言葉を一つ残して、錬金術屋の扉を潜り抜けたのでした。
帰る途中でこっそり潜り込んだ学園でも、忽然と消える魔力で発現する、様々な技能を練習している子供達の姿が有りました。私の読んだ本には、技能は必要となった時に自然と身に着けるものという様に書かれていましたけれど、どうやら私は急ぎ過ぎていたのかも知れません。私以外では常識だとでも言うかの様でした。
追い立てられる様に逃げ帰った秘密基地で、私は枕元の大光石を見詰めます。いつもとは違って魔力も込めて。
でも、いつもと同じ感覚しか、私の『識別』は伝えてきてくれません。
嗚呼、嗚呼、神様。神様は一体どこに居るというのでしょうか。
神様に魔力を捧げると言われても、どこに居るのか分からなければ捧げようが有りません。
私の知らない神様の居場所。
それは私の知らない深淵なのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます