(11)鉄を打つには鉄の言葉を聞かにゃあのお、嬢ちゃんよぉ……なのです。
魔物素材。
それは何とも不思議な物でした。
そんな想いを込めて、私は横に置いた薄金色の針を見遣ります。
長さは私の肘から指の先まで。後で持ち手に柄を作らないといけません。
鞘の事も考えていませんでしたが、こんなに魔物素材が面白い物と知っていれば、赤蜂の羽も売らずに取っておくか、或いは赤蜂の巣でも見付けておけば良かったかも知れませんね。
そう思ってしまう程に、魔物素材はその可能性を感じさせるのでした。
そんな感じでちょっと勿体無いと思う事も有ったりしますけど、実験は大成功で、私は大大満足なのですよ。
金属の様なんて思った私の見立てに間違いは無く、赤蜂の針は振るう鎚に従って形を変えていきました。
流石に強い火には焼かれてしまうので、炎は温める程度に当てるだけでしたけれど、通わせた魔力が流動を促し、鉄と在り方は違いながらも鍛え上げる事が出来たのです。
鎚の一降りに魔力を込めて、純度を高めていくその一打ち。
焼き入れなんかは出来ませんが、十分な程に強く硬くそれでいてしなやかに出来上がっていくのは、今まで鉄を打ってきた経験が生きたのかも知れません。
鉄と違って魔物素材は、組織の流れがはっきりしていて弄っているだけでも楽しくなります。ですが、組織を一度潰して折り重ねて、更に細かく緻密にすれば、強度が上がるのも鉄と同じ。組織を大きく均一に纏めれば、何故か柔らかくなってしまうのも鉄と同じです。
折り重ねた際に残る折り目の筋を、他の筋と絡める様に織り上げれば、更に強度が上がるのも鉄と何も変わりません。
折り目の筋は折り曲げるほかにも、叩くことでも水の波紋の様に素材の中に現れます。波紋と波紋が交差すれば、益々絡まり複雑に織り上がっていくのです。
だからきっと、鍛冶は鎚で叩くのです。
私が思うに、鍛冶仕事は織物と同じです。
鍛冶は、折り目の筋や叩いた波紋を縦糸や横糸にして、立体的に仕上げた一つの作品なのです。
きつく織り上げれば、硬くなる代わりに破け易くなるでしょう。
ゆるく織り上げれば、しなやかになる代わりに、突き刺す事も出来なくなるに違い有りません。
だから、芯は硬く、外鞘は軟らかく。
焼きを入れられないので、硬くするにはしっかりと打ち上げて、細かく編み込む他には有りません。素材に通した魔力で常に状態を把握している為、そこまでは問題になりませんけれど。
針先に女王蜂の針を素材にして、全部で十八本の赤蜂の赤味がかっていたその針が、打ち上げられる度に真白い輝きを宿していくのには目を見張りました。
でも、これは実験。実験……実験なのです。
鉄の場合、軟らかくするには空気をたっぷりと含ませた土を喰わせるのが一番なのですが、赤蜂の針なのですからそこは勝手が違うのです。
用意したのは茶色く小さな赤蜂の魔石が十七個と、女王赤蜂の魔石が一つ。それに赤蜂の毒液が
毒液は、焼き入れするなら急冷する際に使えないかと思っていたのですけど、焼き入れ出来ないならそんな用途には使えません。
ですが、強い炎を使わないなら、色々工夫は出来るのです。
まずは、毒液そのものを針に垂らして、そのまま叩いて浸み込ませる事が出来ないか試してみましたが、これは上手く行きませんでした。
なので、少なくとも固形にしないと叩き込めないと考えて、まず煮詰めようとしたら、これも毒が揮発して、何というか勿体無いので、廃案にしたのです。
ならばと毒液に通した魔力を操作して、水だけを取り除いたら、真っ黒な固形物が残ったのです。
量としては、女王蜂の毒液も併せて甕一杯と少しが、掌に載る程の、丁度十八個の屑魔石と同じくらいに。随分と嵩が減ってしまいましたが、まだそのままでは使えないと直感が囁くのです。
軽く何度も鎚で叩いて練り上げて、余計な成分を追い出して純化させていきます。
魔力の業は多彩にして繊細。通した魔力で「活力」を与えて動き易くした後は、「流れ」を導いて不純物を選り分けるのです。
世の中に知られる「水」「火」「土」「風」を操る『四象魔術』とは違い、現象の根本に干渉する『根源魔術』。技能教本で見付けたその技能を『技能識別』して貰った訳では有りませんけど、私のしている事はきっとそういう事なのでしょう。
でも、火が燃えるにも燃え
そうして精製した蜂毒の塊は、綺麗に透明な橙色をしていました。
ここからが勝負です。
橙色の塊を薄く伸ばして、既に出来上がっている針剣にコーティングする様に巻き付けます。
この状態で叩き込もうとして……駄目ですね。叩くと寧ろ不純物が追い出される側に働いたので、ここからは純粋に魔力での加工です。
初めから織り交ぜていればまた違ったのかも知れませんが、それは次回のお楽しみという事にして、今回は後付けでの強化なのです。
本番の為の練習でも有るので、今回はこれでいいのですよ。
鎚も少しは使いますけど、あくまで形を整える程度で。
魔力で「流れ」を制御して、針の組織の隙間に蜂毒を取り込もうとしましたけれど、どうにも何かが足りません。
ただ取り込むだけでは窮屈過ぎるのか、何もしなくても押し出されてしまうのです。
そこで手に取った最後のパーツ。茶色い色した赤蜂達の魔石です。
これも初めは粉にして、練り込もうと考えていたのですけど、魔石は歪みに絡まれて固体化した魔力なのですから、粉にすると絡みが
慌てて私の魔力で包んで逃げていく赤蜂の魔力を捕まえましたが、そういう訳で魔石の一つは無駄にしてしまったのです。
今度は魔石を石の儘に、針の上に置いて軽く叩いていきました。
魔石を魔石たらしめている歪みの糸をそのままに、針の中の折り目の筋や波紋と絡み付かせて、縦糸横糸斜め糸と、蜂毒も赤蜂の魔力も一緒くたに絡み取って、立体的に織り上げていくのです。
私の魔力も常に通わせていた為に、しっかり私の魔力も絡め取られた、私専用といってもいい針剣となるに違い有りません。
針と言えば裁縫ですが、只の裁縫は面白味が無くてほんの二三日で止めてしまいましたけど、この針はかなり奥深そうで、とても興味深いのです。
そうして針の組織そのものも魔力で動かしたりしながら作り上げてみれば、この金色の針なのです。先端は女王蜂の色を残して赤味がかって、根元にいくとそこは重要で無いからと練り込んだ魔力の少なさから白味がかって、綺麗なグラデーションを描いています。
ふふふふふ、昨日訪れた錬金術屋では少なからず失望してしまいましたけれど、これはあんな神様任せの錬金術で作れる様な品物では無いですよ?
なんて悦に入りながら、もう私には昨日の苛立ちは残ってはいないのです。
鎚を振るって素材の様子を確かめる内に、そんな気持ちも諸々も何もかもが研ぎ澄まされて、私の心そのものが鋭き一つの刃となるのです。
“神様に教えて貰う”そんな力の在り方も、もう気にはなりません。今の私が神様と繋がる事が出来なくても、それを知っていればいつか神様の居場所だって分かる時が来るに違いないのです。
そんな象徴たる金の針剣も、朝に打ち始めてから出来上がった今はもう日も沈んだ夜の帳が下りた後。
本当ならばもうご飯を食べて休むところですけど、今は心も体も冴え渡って、そんな気持ちにはなりません。
軽く夜のフクチナ草と、クララの実を口に入れたら、いよいよ今日の本番です。
取り出したのは、百個を超える毛虫の
初めは蔕なんて使わない予定でしたけれど、針剣を仕上げて気が変わりました。
多分魔石だけで強化するより、魔物素材を加えた方が、きっと効果が大きいのです。
炉に
薪ももう残り少なくなりました。次は魔の森ででも集めておいた方がいいかも知れません。
毛虫殺しの黒肌は、毛虫達のこびり付いた血の所為も有るというのに、炎に当てられても丸で焼け落ちる様子を見せません。
長い時間を掛けて染みついた魔物素材の妙と言いたい所ですが、こびり付いた血は精々十日分程。数で補ったとしたら百体以上と日にちに比べて異常な所は有りますが、それでもここまで変化するには違和感ばかりが生じます。
思い当たる事と言えば、武具も神様の祝福を得て進化するという事でしょうか。
これも聞いた話ばかりで、自分で『物品識別』が出来る訳では有りませんから、本当のところは分かりませんが、最近の毛虫殺しの様子から、有り得ない話では無いと思うのです。
今も、炎に
ならば、高々染みついた血が燃えないくらいは大した話では有りません。
きっともう、染みついた血も【名刀】毛虫殺しの一部となっているのでしょうから。
ですが、今から私がする事は、そんな意思を持っているかも知れない私の毛虫殺しを、造り替える事になるかも知れない所業です。
毛虫殺しは期待してくれている様ですが、期待に応える事は出来るのでしょうか。
いえいえ、弱気はいけませんね。私はいつもと同じく、今の私に出来る全てを打ち込むだけなのです。
『根源魔術』は現象に干渉します。『四象魔術』の様に象徴を操る訳では無いのですから、毛虫殺しに加えられた熱を留めておくのに「火」を使って温めるのでも無く、「水」や「風」を使って包み込むのでも無く、直接「熱」を留める事が出来るのです。
だから、一度温めさえすれば、炉の火は殆ど使いません。直ぐ火を熾せるなら、落としてしまってもいいくらいなのです。
そもそも、火を燃やし続けると、息が出来なくなるのです。初めの頃の失敗はもう懲り懲りなのです。魔力操作で周囲の風を操って換気をする様になったのも、理由が無い訳では無いのです。
そうそう、風を操ると言っても、空気の「流れ」を操作したので、これも『根源魔術』なのですよ?
とは言っても、光となって逃げていく熱も有りますので、一度温めたらそのままなんていう訳にはいきません。何せ、目を開けていると目を焼かれてしまうので、鍛冶仕事の間は目を閉じている程なのですから。赤蜂の針剣ではそこまででは有りませんでしたけれど、鉄はそれとは一味違うのです。
その分出来上がりには期待してもいいのですよ。
普段は通した魔力で「活力」を与えながら、全体が冷えてきたら炉に焼べ直して、鉄の編み目を調整しながら全体を調えていきました。
加える素材と魔石は、針剣とは比べ物にならない程に大量です。
とは言っても、
私の使える『根源魔術』の
と言うより、鍛冶に使っている他には、試したりもしていないですね。鍛冶、万歳、なのです。
それでも「活力」や「流れ」は魔力操作をする内にも直感的に解る力で、そういう概念が有ると知る前から使えていたのですけれど、他の力はどうなのでしょう? 「引力」や「斥力」位は直ぐに使える様になりそうですが、他はどうか分からないのです。
まだまだ、研究の余地が有るのです。これは中々愉しみなのですよ。
そんな力を駆使しながら、蔕を調べに調べて弄くること暫し。蔕は中心に根を伸ばした髄とも言える芯を持ち、その周りを黒い鞘が覆っている様な構造をしていました。
黒い鞘は魔石と同じく歪みで固定されているのか、解いてみれば黒いタールの様になってしまいます。魔力を通した感じでは、毛虫殺しとは相性が悪そうに感じたので、タール状の鞘の部分は器の中で放置なのです。
慎重に『根源魔術』と鎚の業で扱き出した髄の部分には、胸と頭の二種類の魔石とも違った魔力と、何となく当たりに思える白い素材から出来ています。
歪みを解かない様に慎重に鞘と分けたので、魔力は
丸一日以上時間を掛けて、食べたご飯もフクチナ草と果物少し。お腹だって減っている筈ですけれど、却って鋭敏になった感覚が粗雑な欲求など駆逐します。
嗚呼、何にも邪魔されずに鍛冶をする事の出来る時間の、何て素晴らしい事でしょうか。
私の前には神秘が広がり、編み上げる鉄と魔石と髄の編み目の、何て美しい事でしょうか。
再び毛虫殺しを目の前に、練り込み精錬した髄の塊を刃に載せて、打ち付ける鎚と加えられる緑と黄色の魔石達。締め付け過ぎの編み目は緩めて、緩んだ編み目に髄を加えて引き締めて、一部を見れば混沌として見えても、全体を見れば整然と調えられたこの調和。
始めに打った手業の荒さも修正しながら推し進めていくこの仕事。
毛虫殺しも、始めに少し調えた時には満足しているだけの気配でしたが、髄を打ち込み始めた時には戸惑いと苦鳴、魔石も加えて編み目を調整し始める頃には昂奮、そして今は鎚の一打ち毎に悦びの声を上げるのです。
しかし、私は少し調子に乗り過ぎたのかも知れません。
用意した髄を打ち込み終わったその時に、私は却って毛虫殺しの刃先が軟らかくなってしまっている事に気が付いてしまいました。
それもその筈、ナイフ一本にどれだけの髄を叩き込んだというのでしょう。
大きさが既に一回り違っているのです。それだけ不純物が増えれば、軟らかくもなるというものです。
ですが、赤蜂の針剣で、それ以上叩き込めば破綻しそうなギリギリだったのが、何処までも呑み込む毛虫殺しに加減を見失ってしまうのは仕方の無い事だと思うのです。
髄にしても貴重な素材なのです。きっと、次が有っても自重はしないに違い有りません。
それに、理想の形が有るのなら、修正してみせるのも匠の技というものですよ!
打ち込む髄は尽きたのならば、修正は全て鎚と魔石が物を言うのです。
編み込み編み込み、時には緩め、新たな技法を模索して、毛虫殺しの反応にも気を配りながら、満足の行くまで試行して。
しかし、本当のところを言えば、折角編み込んだ編み目も熱して冷ます焼きを入れれば解けてしまうものなんですけどね。喩えるならば、がたつく馬車の中で砂絵を保持する様なものなのです。
ですが、そこは私の腕の見せ所。鉄の変化を促しながらも、
何故熱して冷ますのか。これは、理屈有っての物なのです。
私が調べた限りでは、鉄はその温度や状態によって、その在り方を変えるのです。
熱して急冷すれば硬く強い鉄に、ゆっくり冷ませば柔らかい鉄に。それは、鉄を冷やす経路に、
ですから、その庇を掻い潜るまでは急いで冷まして、庇を超えてからは柔らかい鉄の領域に入らない様にゆっくり冷ましながら鍛え上げれば、強くしなやかな鉄が出来上がるのです。
屑鉄の花を壁に並ぶ程に造り上げて確かめた事実は、伊達では無いのですよ。
ですが小さな火床や水桶では、一気に毛虫殺しを熱する事も、思った様に熱を下げる事も出来ません。そこで編み出した私の技。扱うものが熱ならば、『根源魔術』を使えばいいのです。
さっと毛虫殺し全体に散っていた熱を「流れ」を使って鍔際に集め「活力」を調整して赤熱させます。そのまま熱した領域を次第に
そんな仕事を
それが今の私に出来る技術の極致なのでした。
結局いい砥石は見つからなかった為、『根源魔術』と鎚の業を駆使して、不要な部分を割り落とせる様、隙間を作る事には成功しましたけれど、割り落とした欠片も貴重な素材です。
魔石も大小それぞれ二十個ずつは余っていますし、蔕の鞘たるタールも丸々残っています。
これで鞘を作れば、元々髄の鞘の役目を果たしていたのですから、いい鞘になるに違い有りませんと考えたのですけれど、その頃には私はもうふらふらになっていました。
久々に開けた目に移る光景は、炉に燻る赤を除いて漆黒。空気穴から入り込む光も無いのは、一体
再び目を遣った毛虫殺しは漆黒に見えますが、光の下でどう見えるのかはまだ分かりません。それでもただ伝わってくる雰囲気は、深い満足と透明な余韻です。
でも、今日はもうこれでお仕舞い。
一仕事終わって気持ちが途切れれば、最早立つ事も出来ない私しかここには居ません。
火を落としたら、這う様にして奥の部屋へと向かい、萎びたフクチナ草と僅かに残るクララの実、ついでに少し「活力」を当ててしんなりさせたシダリ草を口に含みます。
むしゃむしゃ食べてゴクリと呑み込み、布団の中に潜り込めば、直ぐに意識が闇の中に沈みました。
嗚呼、これは本当にいい眠りなのですと思いながら、今日はもうお休みなさいなのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます