(12)ご飯を食べるのは、お腹が空くからなのです。
目が覚めました。
軽い頭痛がします。
体を起こすと、少し頭がふらふらとします。
「お腹が空きました」
ええ、お腹が空いて、目が覚めてしまったのでした。
奥の部屋には光が入って来ませんが、何となく騒めいている外の様子から、既に日は昇っている様です。
ふらりと立ち上がっては、いつものワンピースに着替える前に、大きめの手拭いを甕に汲んだ水で濡らして、ざっと体を拭っていきます。
ずっと炉の前で鍛冶仕事をしていたのですから、汗が幾重にも纏わり付く様で、気持ちが悪いのです。
一通り体を拭うだけで息切れがするのは、それだけ体が参ってしまっているという事なのでしょう。作業に熱中すればいつもの事ですし、途中で休憩を入れれるものでも無いので、仕方が無い事だと思うのです。
それでもこれだけ動けるのは、寝る前に少しでも食べ物を口に入れたのが効いているに違い有りません。
それを見込んで確保しておいたフクチナ草とシダリ草でしたけれど、もう少し食べ応えの有る物も用意しておけば良かったかも知れません。
兎に角お腹が空いたのです。
それにしても、予め洗っておいたシダリ草ですが、昨日は気にしませんでしたけれど干された様にぱさぱさになっていたのは、それだけ時間が経ってしまっていたという事でしょうか。
やっぱりお腹が空く訳です。
どうしてもお腹が空いて仕方が無いので、さっさと着替えて、ご飯を食べに行く事にしました。
ワンピースに着替えて、いつものベルトを身に着ければ準備完了です。二代目採取ナイフが差し込まれ、腰の後ろの小物入れの中にはちゃんと財布も入っているのです。
と言っても、毛虫殺しが抜けていますが、これも今は仕方が有りません。ご飯を食べてから、鞘作りと拵えの続きです。赤蜂の針剣も差し込む場所を作らないといけません。
でも、今はお腹が空いたのです。
秘密基地を出て、扉にしっかり鍵を掛けます。
こんなふらふらしている時は、飛び降りるのも少し危険です。
壁に刺した棒に手を掛け、壁の凸凹に足を掛けて、壁の上まで攀じ上ります。登り切れば、そこは防衛にも使われている通路です。目的地へと向かって、てくてく歩いて行くのです。
壁の上に出てみれば、太陽はまだ昇り始めたところらしく、建物の影が長く地に伸びています。
所々高さの違う壁の中に家々が埋まっている様に見えるのは、まるで蜂か何かの巣を覗き込んでいる様で、不思議な感覚に陥ります。
そんな壁の上をてくてくてく。
目指すは冒険者協会の突き出た屋根です。
ふわふわと足下が雲を踏む様な感じがするのは、色々な感覚に頭が付いて行っていないからです。こんな時には、細かい制御が必要な動きは出来ません。ふわふわと頼りない足取りで飛び降りでもしたら、怪我をするのが目に見えています。冒険者協会近くには、防衛の為に壁の上に上る階段が有るので、そこから下道に下りるのです。
下道を行けば迷路の様でも、壁の上を行けば道が見えている分、実は下道よりも迷い無く進めます。それでも壁の上を歩いている人を見掛けないのは、上り口が僅かにしか無いのと、防衛の為の場所なので時々騎士達が訓練しているからです。
私もここを行く時は、こっそりこっそり歩いていました。今まで見つからなかったのは、きっと隠れん坊の才能が物を言ったのでしょう。
辿り着いた冒険者協会の屋根に開いた天窓から覗き込むと、冒険者達の待機場所と、奥にはいつもの入り口とリダお姉さんも居る受付が僅かに見えます。
何だか今日は、いつにも増して慌ただしい様子です。
とは言っても、落ち着き無く動いているのは中級の冒険者ばかりで、初級の冒険者はどこか不安気に、上級の冒険者はいつもと変わらず過ごしている様です。
あっ! 今、中級のゾイさんが
そうして涎を垂らしながら覗いていると、視界の隅でリダお姉さんがずっこけるのが見えました。
目を遣ると、口を開けて見上げられてしまっていましたけれど、はっと気が付くとブンブンと大きく手招きされました。
何でしょうと思いながらも、呼ばれたので行かない訳にはいきません。
天窓から体を離し、キュウキュウと鳴るお腹を抱えながら裏口近くの下り階段を降りていきます。
冒険者協会の扉を開けて、待ち構えているリダお姉さんの所へと向かいました。
「お腹が空きました」
間違えました。
そんなことはリダお姉さんに言っても仕方が有りません。
「もー! ディジー、心配したんだからねー!」
リダお姉さんは受付のカウンターから態々出てきて、ぎゅむっと私を抱き締めます。
「赤蜂の調査に花畑の周りを調べたらー、
どうやら随分と心配を懸けてしまっていたようです。
それにしても、大発生?
「毛虫、ですか?」
「毛虫じゃ無くて、
リダお姉さんが慌てていますけれど、何だかまだ頭が働きません。
「前に私が来てから、何日目でしょうか?」
「ええー!? えっとー、赤蜂の報告に来たのは、四日前よー!?」
とすると、錬金術屋に行った日は冒険者協会には寄らなかったので、赤蜂の針剣制作に二日目の夜まで、毛虫殺しの強化が二日目の夜から三日目の夜中と考えると、思ったよりも日にちは経っていなかった様です。
「…………ずっと鍛冶仕事に籠もっていたのです。お腹が空きました。肉詰めパンが食べたいです」
「あー、もーっ! いいわよ、食べてきなさいよー! 後で話を聞かせて貰うからねーっ!」
ふらふらと奥の待機場所まで行って、肉詰めパンを買って
……思ったよりも、肉詰めパンは、素晴らしい食べ物では無かったです。
半分程まで食べた後は、ちびりちびりと少しずつ囓り取って、全部食べるのに一時間は掛かりました。
ぼんやりしながら思ったことはただ一つ。
(リールアさんの食堂の野菜が食べたいです)
こんな時こそ、あの優しい味が欲しくなるのです。
その気持ちに押される様にして、私はまたふらつきながら、冒険者協会の扉を潜り出たのでした。
それでも何か力になる物をお腹に入れたのが効いたのでしょうか。
ふらつきながらも朝よりは足取りも確かに、商店街へと向かって丘を下っていったのです。
立ち並ぶ屋台はいつもと同じなのに、魅力が半減して見えるのは、さすがはリールアさんの野菜というところなのでしょうか。今はリールアさんの食堂の野菜しか、私の心を掴むことは出来ないのです。
なんて少し気取っていると、不意に手を取られます。
はてと訝しみながら見上げる前に、ぎゅむと背後から抱き締められました。
「リア! 捕まえた!」
「どうしたの、こんな所で?」
何てことは無い。オーリ兄とルカ兄の、二人の兄様達でした。
「リア……肌がガサガサ……」
「何でこんなにふらふらしてるの?」
戸惑う様な、少し厳しい
「鍛冶仕事に籠もっていたら、二日が過ぎていたのですよ」
ですが、そんな雰囲気も、
呆れさせてはしまいましたけれど、大好きな兄様達に挟まれているのは、とても安心するのです。
ぐりぐりと、前と後ろの兄様達の胸に頭を押しつけていると、一層強くぎゅむりと抱き締められてしまうのです。
「リアは相変わらずなんだから!」
「心配掛けさせないでよ!」
ぎゅっとオーリ兄に抱き付き返して、後ろのルカ兄に頭を押しつけながら返事をします。
「体力を使い果たしてしまいましたので、これから元気を補充しに行くのですよ」
そうして
「ほらほら、そこまでにしとけ、仕事中だぞ。……嬢ちゃんが噂の妹ちゃんか。済まねえな。見回り中だから、また後でな」
こちらは、板金の鎧を身に着けた騎士様でした。皮肉気に口元を歪めて、兄様達を手招きしています。
兄様達はまだまだ体も大きくなるので、板金の鎧を着けるには早いと言うことなのでしょう。革の胴鎧を着けていました。
「隊長! 丁度今はお昼時です。我々も食事にするべきではないかと愚考します!」
「は! 時には領民の憩いの場所にて、親交を深めるのも重要では無いでしょうか!」
兄様達の連携は流石というものでした。
呆れた隊長さんに拳を落とされながらも、結局兄様達と一緒にお昼を採る事となったのです。
「ここがリールアさんの食堂ですよ。お野菜がとても美味しいのです」
リールアさんの食堂は、リールアさんの八百屋横に看板も無く佇んでいますので、知らない人は中々足を踏み入れる事は有りません。
兄様達や隊長さんも御多分に漏れず知らなかったみたいで、物珍しげに店の中を眺めていました。
ここは、街の住人の他にも、口コミで冒険者や商人達も訪れる、知られざる穴場なのです。
「おや、ディジーちゃんいらっしゃい! 今日の野菜もいい出来だよ! たんと食べていきな!」
「おお! ディジーちゃん久しぶりだねぇ」
「じーさん、また会ったな! 森が騒がしい様だが無事みたいだな!」
まぁ、穴場といいながらいつも騒がしく人で賑わっています。
「じーさん言うな!」
取り敢えず、無粋な冒険者に返しておきながら、私は空いた四人卓に腰掛けました。
なのに、兄様達は当然の様に、私を挟んでその両隣に座ります。
目の前に一人で座る隊長さんが、顔を引き攣らせていますけれど、兄様達は頓着しません。何だか、隊長さんも苦労をしている様に見えました。
「おやま、ディジーちゃん、もてもてだね! 今日は何にするんだい!」
何にすると言われても、ここのお品書きは「がっつり」とか「とろとろ」とか、そんな感じなので、注文もそんな感じになるのです。
「元気の出るので、クリウジュースも一緒にお願いします」
好みの品を頼めるのは、常連になってからなのです。
「僕もそれで!」「僕もそれで!」
兄様達の声が揃います。
「あー、じゃあ、私も同じのを頼みます」
隊長さんも同じ物にした様ですね。お品書きを見て苦笑いをして頭を掻いていましたから、その気持ちも分かります。
「こんな所にこんな店が在ったとはな」
「隣の八百屋さんのお店なのですよ? お野菜しか有りませんけれど、とっても美味しいのです」
「リアのお薦めだから、楽しみだね」
「ところで、じーさんって何?」
「む……そこは気にしなくていいのです」
両隣の兄様達に撫でくられている間にも、お盆に載せた今日の料理が運ばれてきます。厨房では大量の料理を一度に作っているので、待たずに済むのもリールアさんの食堂の特徴なのです。
「お、早いな。……お! ……美味いな!」
「はい、リア、あ~ん」
「ほら、こっちも、あ~ん」
匙を取る前に、「あ~ん」されてしまいました。
はむっと咥えてもぐもぐします。続けて反対側から差し出された匙も、はむっと咥えてもぐもぐします。
至福の極楽です。兄様達も幸せそうです。はふぅと溜め息が零れます。
可哀想なのは、目の前で酷く微妙な表情で固まっている隊長さんだけなのです。
「あー、兄馬鹿二人。そういうのは家に帰ってやれよな」
「家には糞親父が居てリアが落ち着けないので悪しからず」
「リアが家に居着いてくれないので、僕らも普段一緒に居られないので」
「そんなことより」「ほら」「あ~ん♪」
餌付けされる私は、もぐもぐと咀嚼するばかりなのです。
父様の事はよく分かりません。冒険者に成って十日も過ぎれば、何というか、もう終わった事の様に思えてしまうのです。
何か有れば秘密基地に逃げ込めばいいのですし、同じく自分の荷物は秘密基地の中に有るのです。もう私の進む道を脅かされる事は無いのです。
そう思っていたのですが、それは少しだけ甘かった様でした。
「いや、家に帰ってないって、普段は宿屋暮らしか?」
「秘密基地を作って隠れていますよ?」
「……そういうのは浮浪児って言うんだ。取り締まりの対象だな」
「っ! 仕事はしていますよっ!?」
「ハァ……部下の身内が不法侵入の上に、罪の意識も無いとはな」
「そ、それは酷いのです! 誰も使っていない空き地みたいなものですよ! 今までだって、誰も文句を言いに来たりはしていないのです!」
尚も隊長さんは何かを言おうとしましたが、兄様達がそれを遮ったのです。
「隊長、やめてくれないかなぁ。からかい混じりなのかも知れないけど、うちのリアにそういう事言うと、今度は街の外に秘密基地を作りかねないんだから」
「それに一年以上も見付けようとして惨敗しといて、今更そういうやり方に出るのは卑怯だよね。冬になる前に言わなきゃね」
「だが! お前達も分かっているだろう!?」
「うんうん、糞親父が冒険者を罵倒しながらリアを探し歩いた所為で、騎士の評判が下がったのも、うちの可愛いリアが思った以上に街で可愛がられていて、リアに酷い事をすれば余計に騎士の評判が悪くなるのも分かっているよ?」
「リアを保護してくれる住処を用意してくれるなら別だろうけど、今そんなことをすれば別の軋轢を刺激してしまうから、落ち着くまで放っておくしか無いのも分かってるよ?」
「勿論、隊長も分かってますよね!」
私を溺愛する兄様達の強気な攻勢に、隊長さんもたじたじです。
そんな間も交互に私の口へ匙を運ぶ兄様達が、私を見る時は笑顔です。
秘密基地が問題だと言われて目が醒めた私ですが、兄様達に守られて、再びとろんとしてしまうのです。
でも結局は、治安の問題だからと、どんな所に秘密基地を作っているのかとは問い詰められてしまいましたけれど。
ばれてしまうのは問題ですけど、そう言われては仕方が有りません。
「南地区の壁は中が空洞ですから、何処でも好きな壁の中に潜り込んで、掃除をすれば秘密基地になりますよ?」
そんな事を言えば、隊長さんが余計に頭を抱えてしまいました。
ええ、南地区の壁と一言で言えますが、その範囲は広大です。特に私の秘密基地は人の来ない場所な上に木でも隠された頭上高い位置に在るので、まだ暫くは安泰でしょう。
それでも、空き地に家が建つと
ゆくゆくは、そこに私の家を建てるというのも、いい目標なのです。
そうしてリールアさんの食堂前で兄様達とは別れる事になりました。
「お、これで一朱金で済むのか」
「本当は鉄貨で済みますけど、冒険者は鉄貨の持ち合わせなんて殆ど無いですし、ここは気前良く釣りは要らないぜと格好を付けるものなのです」
「ま、それでも安いわな」
「リアのお薦めのお店は最高だよね」「ねー」
「昔はここで働いていたのです。リールアさんは凄くいい人なんですよ?」
「じゃ、僕らも贔屓にしないと!」
「美味しいしね!」
そのまま私は冒険者協会に戻って、リダお姉さんの時間が空いた時にでもお話をする予定だったのですけれど、もう限界だったのです。
何だかぶら下げられて運ばれた様な気はするのですけれど、気が付いたのは夜中でした。見覚えのあるリダお姉さんの部屋のベッドの上で、ずり落ちていくリダお姉さんを見送っていたのです。
上掛けの一枚をちょいちょいとリダお姉さんに掛け直して、もう一度寝直したのでした。
何だか今日は、寝てばかりの一日なのでした。
お休みなさい。
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