(8)悪い赤蜂は針抜きの刑なのです

 ――ふぅ、ふぅ、はぁ、ふぅ、ふぅ、はぁ……


 薄明の草原を私は駆けます。

 鍛冶をしている時の様に、手足に魔力を通せば踏み出す勢いも上がるのですが、それでも息が切れない訳では無いのです。


 ――スサササササ……スサササササ……


 足下に絡み付くのは、春になって芽吹いてきた新しい緑です。

 道を空けよと伸ばした魔力で払いますけど、今はそれより森へ行くのが先なのです。


 鍛冶場の空気を入れ換える様に、空気を操り私の気配を隠していたそんな癖の限界を試す様に、急ぎながらも身を隠して――


 そして森に辿り着いたのは、いつもの半分、十分程の、素晴らしい早さなのでした。


「はふぅ~~、着いたのです~~」


 そんなに頑張る必要も無かったのですけれど、そうと決めたらついつい熱中してしまうのです。

 ふふふふふ……今日から伝説が始まるのですよ!!

 そうです! 私の【名刀】毛虫殺しの伝説が、今ここに始まるのです!



 始めの場所は、いつもの森の岬から、大きく右手に外れた森の中です。

 木の陰が濃いこの場所には、四日前に毛虫が大量に発生していたのです。

 確か三十匹は居た筈で、更にその前七日前にも数匹彷徨うろついていた筈なので、運が良ければまだその時の魔石が落ちているかも知れません。


 下生えの中に視線を向ければ、探すまでも無く幾つものこんもりとした塊が見えます。

 退治しておいて、放置していた毛虫の死骸が、運良く残っていましたよ。


 冒険者は、討伐した魔物を態々処分したりはしないのです。

 魔物と呼ばれるのは、鬼族、歪族、闇族の三つ。異界からの侵略者、あるいは異界の影響を受けて歪んだ生き物は、死した後は容易に崩れゆくのです。

 ですから、今も残る四日前の死骸も既に、形ばかりは毛虫の姿を残していても、触ればまるで土の様に崩れてしまう丸で土の山なのです。神々の祝福も相まって、とてもいい薬草の肥料になりそうです。

 愛読書でもある『ブラウ村のステラコ爺』曰く、『死んだ魔物だけがいい魔物だ』ですね! くぅ~、痺れるのですよ。


 そしてその後にも残るのが、魔物素材です。

 鬼族からは角や、時々は牙も。

 歪族や闇族は姿形も様々で、これと言う事は出来ませんが、それぞれに応じた素材が。

 そして全ての魔物からは魔石が手に入るのです。


 最近は、崩れてしまう組織からも色々と有用な素材が見出されているなんて話も聞きますが、そんな物は魔力も大きい深部の魔物だけなのです。つつけば死んでしまう謎の毛虫素材を確かめるには、崩れた死骸を調べるのが一番ですね。『識別』を使う事も有りませんでした。


 と、拾った棒でつんつんぐりぐりぺしぺしぺし。と、掻き回せば、胸の中から汚く濁った緑色の石がポロリ。何気に“初”魔石獲得なのです。

 大きさは小指の先程で、殆ど何の力も感じませんけれど、沢山集めれば【名刀】毛虫殺しも、きっと強くなるのです。


 さて、魔石は歪みの影響の下で、魔力が多く集まる場所に出来る物です。

 となると、魔石が出来易いのはもう一箇所。

 そう、頭の中なのです、と、頭にも棒を突き刺してぐちゃぐちゃぐちゃ。

 丸で頭蓋骨の硬さも感じない崩れ具合に、嫌悪感も感じません。一日目二日目なら兎も角、四日目にもなると厭な匂いだってしないのです。

 と、掻き回す棒に、カツンカツンと固い物が当たった感触がしました。

 でもやっぱり直接手を突っ込むのは嫌だったので、木の棒の数を増やして掻き出せば――


「おおー!!」


 そこにも幾つかの魔石の欠片と、あと黒っぽいへたの様な三角形の何かです。

 魔石は黄色と茶色の中間の、小指の先も無い様な欠片です。

 そして、へた


 暫く眺めて、はっと気が付きました。

 これは、あの毛虫の顔に張り付いていた、奇妙な突起ではないでしょうか。

 突起? つの


 …………まぁ、怪しいとは思っていたのです。

 猿の歪族かと思っていたのですが、鬼族だったのでしょうか。

 いえいえ、まだそうと決まった訳ではありません。

 それに、鬼族だったとしても、何も変わらないのです。

 討伐すべき魔物であるのには違いないのですからね。


 ですけど、本当に鬼族だとすれば、冒険者協会に報告が必要なのです。界異点から入り込んでくる侵略者の中でも、鬼族だけは組織立って積極的に攻め入ってくるのですから。

 魔の領域の中で見掛ける鬼族の姿は千差万別。共通点は角が有る事だけなので、どんな姿なのか一部を除いて魔物図鑑にも描かれていません。そんな一部の有名所は、丸でドラゴンの様な姿だったり、角の有る一つ目巨人だったり、一角獣の様な姿だったり、中には角しか無い針玉のような鬼族も居たりと、こちらの生き物を攫って、改造して送り返しているのではとも言われる程に、共通点の無いその姿。とても同じ種族とは思えません。

 それを見分けるのが、『魔物識別』になる筈なのですけれど……。


 集中して汚い小山を睨め付けても、分かるのはもう既に有効な素材は回収したという事と、畑に撒くと作物が臭くなりそうというのが何となく分かるばかりで、鬼族かどうかは分かりません。

 生きている魔物に使っていないから『魔物識別』が反応しないのか、それとも『魔物識別』のやり方が間違っているのか……。

 リダお姉さんに教えられた教本は、三回は読み返しているというのに、丸で『魔物識別』が出来る様に思えないのが困りものでした。


「ふぅ……」


 と、一つ溜め息を吐きます。

 『魔物識別』が出来なければ、報告も何も無いのです。

 それに、これだけ沢山発生しているのに、誰も気が付いていないなんて事は考えられません。


(『識別』……出来る様になるのが先ですね)


 ですけど、何か少しでも手応えが有れば、幾らでも特訓するのですが、今は何も出来ないのです。

 リダお姉さんは、魔物教本を読めば『魔物知識』が発現して、『魔物知識』と『識別』が合わされば『魔物識別』が出来る様になるというのですけど、出来ないのは『識別』も出来ていないという事なのでしょうか。

 『識別』は、集中して観察を続けていると自然と発現する、言葉では説明出来ないけど何となく分かる感覚なのだそうです。

 なら、私ももう出来ているようにも思うのですけれど――


(ふぅ……難しいのです)


 リダお姉さんは、ああ見えて天才肌の人なのです。きっと、色々やっても出来ない人への説明は、それ程上手では有りません。一人で色々やっていた私と同じで、きっと感覚の人なのです。

 そうなると、頼りに出来るのは学園の先生くらいですが、読み書き算術王国概要のお勉強をさっさと済ませて、殆ど学園に顔を出していなかったのが悔やまれます。本当にどうしたものでしょうか。

 卒業資格は疾っくに得ていたので、調べ物をする時ぐらいしか寄る事も無かったところに、私を捕まえようとする父様が学園を見張る様になってから、足を伸ばす事も無くなっていました。


 今は学園に通う中に、私を嫌う冒険者仲間が居るから尚更なのです。


(…………)


 黙々と、毛虫の魔石と謎の蔕を集めながら、考えます。

 考えて、考えて、考えながら魔石と蔕を集める内に、辺りに有った三十余りの汚い小山は、全て調べ終えていました。何処に有るかが分かれば、数を熟せば効率も上がるのです。

 残念ながら、幾つか魔石が見つからなかった物も有りましたけれど、それは仕方が有りません。魔力の塊である魔石は、虫や動物達にも美味しい餌に見える様なのです。

 八割方回収出来たのが、快挙と言ってもいい幸運なのです。


 そして、考え事にも取り敢えずの結論を出したのです。


(冒険者に成りたいのは、自由に旅をして生きていきたいからです。

 旅をすれば、嫌な事だって有るに違いません。嫌な事が有るからといって、逃げるのは違うのです。

 学園に行きたくないのも、億劫なだけなのです。

 なら、行くしか無いですね!)


 ……でも、まずはもう少し自分で頑張ってみるのです。

 逃げている訳では無いのですよ!?


 記憶に残る現場を辿りながら、森の中を歩きます。

 森の岬の西側から一度岬の中に戻って、そこから引き返して少し森の奥に入って。

 残念ながら、岬の中で回収出来た魔石は半分程。森の奥に少し入ると、二割も回収出来れば上出来でした。

 当然ながら、生きた毛虫も涌いて出ます。新鮮な魔石や蔕は何か違うのかと思いましたけれど、蔕は兎も角、魔石に違いは感じられませんでした。蔕は時間が経つと少し魔力が抜けてしまう様ですね。瑞々しさが霞んでいるような気がするのです。


 でも、新鮮な毛虫からの採集は、とても大変なのです。毛虫殺しでザクザクと切り分けて、緑色の血に濡れた魔石を回収しないといけないのですから、次からは手袋だとか、色々準備した方が良さそうです。

 毛は茶色なのに、肌とか血は緑色で、死んで直ぐはとても臭くて、本当に気持ちの悪い生き物なのですよ!


 日の昇る薄闇の頃から森へ入ったのに、疾うの昔に太陽は中天を過ぎていました。

 集めた魔石と黒い蔕は、それぞれ別の採集袋に入れていますけれど、もう七十匹分は集めたというのに、一つに纏めてもまだまだ採集袋一つ分にも足りません。

 途中からは薬草も集める様にして、今日のお昼ご飯は肉厚のフクチナ草です。二代目採取ナイフで皮を剝いて、瑞々しい葉肉を頬張ります。

 ……昼間のフクチナ草は美味しくないとの話の通り、少し苦みが有りますけれど、ピリリとした刺激の酸味が癖になる味なのです。


 そうして大きく東に廻って、既に痕跡も僅かな冒険者初日の毛虫の成れの果てをつついている時に、それは聞こえてきたのでした。



「うわぁあああああ!!」

「蜂っっっ!! 赤蜂ぃっっっ!!」

「来るなっ!! こっちに来るなぁあ!!」

「いやーー!! 来ないでーー!!」


 聞こえてきたのは、子供の声です。

 そうです。ここはもう花畑の直ぐ近くなのです。

 石を投げられて花畑をわれた私が、初めて毛虫と出会ったのがここなのです。

 逆に言えば、毛虫以外の魔物とは、私は殆ど出会っていません。出会っても、隠れていれば通り過ぎていくばかりでしたので、戦った事は無いのです。


 私はゆっくりと腰を上げて、花畑の方を見遣りました。

 もうこれ以上は魔石も回収出来そうに無いからと自分に言い訳をして、出来るだけ隠れん坊の才能が力を発揮する様に身を隠しながら、花畑へと急ぎます。

 今も悲鳴は続いていて、何とも言えない焦りが背中を這い上ってくるのですが、どうにも足が進まないのは何故なのでしょう。


 でも、そんな思いも、森を抜けてその光景を見た途端に吹き飛びました。


 目に映るのは、色取り取りの花が咲き誇る花畑。その真ん中に生えた大きな木は、幹がずんぐりむっくりに見える程に、巨大な蜂の巣で覆われています。

 更にその向こう。遠く、花畑の反対側の端で、片手で頭を覆って、反対側の手で剣を振り回しながら蹌踉よろめいている少年が一人。

 危ないです。あれでは助けに駆け寄る事も出来ません。

 その向こうに、街へと向かって走り去る子供達の後ろ姿が十数人。そのどちらにも、空を飛ぶ小さな影がたかっていました。


 花畑に来る初級冒険者には、蜂にやられたなんて話は付き物でした。

 花畑の蜂にやられても、死ぬ程痛くても実際に死ぬ事は殆ど無いので、いつだって馬鹿な初級冒険者の笑い話扱いでしたが、何十匹にもたかられては話が違います。

 花畑は黄蜂達の縄張り。花畑そのものが黄蜂達に世話をされて咲き誇っているものなのですから、雑草扱いの薬草では無くて、花に手を出せば黄蜂達も黙ってはいないのですが、これはもうそんな段階では有りません。


 黄蜂の蜂蜜を横取りしようと巣に手を出したのか、黄蜂自体に手を出したのか。

 怒り狂う黄蜂達の羽撃はばたきが、咆吼の様に轟いていました。


 森と花畑の境界に沿って、ひた走ります。

 興奮している黄蜂達の中へ、花畑を踏み荒らしながら分け入るなんて自殺行為です。


「あっ!」


 思わず声が出てしまったのは、黄蜂達の中に違う蜂が混じっているのに気が付いたからです。

 握り拳程の黄蜂に対して、三倍大きく長細い蜂は、肉食の赤蜂です。

 大きな顎は指の何本かは簡単に噛み千切ります。お尻の毒針も黄蜂とは比べ物になりません。

 黄蜂にとっても天敵の赤蜂ですから、黄蜂の猛り具合も納得です。

 これは思っていたよりも、花畑の初級冒険者がピンチですよ!


 駆け抜けて駆け抜けて、駆け抜け様に赤蜂の首を落とそうと、腰の毛虫殺しに手を伸ばした私は、そこで「えっ!?」と足を止めてしまいました。

 今まで毛虫達を森の肥やしと沈めてきた毛虫殺しが、拒絶に近い激しさで嫌がっている様な気がしたのです。


 でも、それは大きな隙でした。すぐ近くまで来て足を止めた私に、それまで黄蜂と争っていた赤蜂が、その鋭い針を向けたのです。


 迫る赤蜂。

 毛虫殺しは使えません。


 私は空いている左手で、咄嗟に伸ばされたその針を掴みました。

 掴んだまま、振り払う様に避けました。

 掴まれた蜂は、振り払われる動きに振り回されて、

 掴んだ針は勢いの儘に、

 赤蜂の体の中からズルリと肉の塊毎引き抜かれて?

 針を引き抜かれた赤蜂は、そのままベシャリと地面へ落ちて痙攣するばかりなのでした。


(……おおっ!!)


 手の中に残ったのは、脈動する赤い肉の袋をへばりつかせた、驚く程に長い針です。

 赤い肉の袋が脈動する度に、針の先からピュッと毒液が噴き出しています。


 これは……これは、とてもいい物を手に入れたのかも知れません!!


 と、興奮するのも今は後です。

 辿り着いた花畑の端には、先程まで暴れていて今は丸く蹲る少年の他に、もう一人倒れたままぴくりとも動かない少年が居ました。

 これは大変に危ないのです。


 と、隠れているつもりでしたのに、更に向かってくる赤蜂がいます。

 赤蜂には隠れん坊の才能が利かないのでしょうか?

 もしかしたら、蜂が見ているのは、人とは違う世界なのかも知れないと、その時私は考えました。

 後で確かめておかないと、隠れているからと安心は出来なくなるのです。


 毛虫殺しが嫌がっているのも、それも後です。

 突撃してくる赤蜂達を、躱しながら針を掴んで抜き取ります。

 一つ、二つ、三つ、四つ……。


 ブンブン飛び回る赤蜂には、黄蜂達も勇敢に突撃していきます。

 それを横目に五つ、六つ……。


 あっ! 新しい赤蜂が、初級冒険者が作ってしまった掘建て小屋から出てきました。

 七つに八つ、九つ、十!


 赤蜂だけを狙っていると、ずっと辺りを飛び回っていた黄蜂達が、私の手助けとなる様に、赤蜂達を誘導してきます。何とも賢い蜂達なのです。


 と、二十を数えるその前に、小屋から出てくる赤蜂が途絶えました。

 近付いた小屋の中には、毛色の違う多分最後の赤蜂が、ガチガチと歯を鳴らして威嚇していました。

 「やっ!」と手の中の針を一本投げ付ければ、見事最後の赤蜂の頭にそれは当たり、最後の赤蜂もゆっくりとその動きを止めたのです。


 さぁ、ここからが本番です。

 まずは街から応援を呼ばなければなりません。

 上手い具合に、発煙筒は掘建て小屋の中に有りました。逃げた子供達が何の合図も出していなかったのは、ここに発煙筒が有ったからなのかも知れません。

 本当は火打ち石でも使うのかも知れませんけど、面倒なので魔力で熱を加えて火を付けます。

 花畑から離れた草原の中に放り投げて、取り敢えず合図はこれで完了です。


 次にするのは、倒れた少年達の確認です。

 元から倒れていた方は、足や肩を何カ所か喰い千切られて、血塗れです。取り敢えず、これも小屋の中に有った縄で縛って止血します。

 暴れていた少年は、運が良い事に刺し傷だけですが、既に気絶しています。

 何にしても、二人ともまだ生きています。


 と、もう、何ですか?

 黄蜂達が私の体に止まりに来ます。

 手で受け止めて、花の上に戻しても次の黄蜂がもう来てます。

 邪魔なのですよ? ……仕方が無いですねぇ。

 黄蜂を体に止めたまま、作業を続ける事にするのです。


 薬草を今日も集めていて幸運でした。

 でも、この薬草は私のなのです。後できちんと請求するのですよ?


 シダリ草を入れた袋の中に、フクロ草も一緒に入れて、袋毎石で叩いて潰します。

 今日はついでに採集した様なものですが、一袋一杯あれば、充分でしょう。

 潰れた薬草を良く揉み合わせて、並べた二人の少年達に、服を脱がせて良く塗り込みます。

 頭と首と手と足と。お腹も背中も足の先まで。

 ……でも、お尻とち○ち○には触りたくなかったので、ズボンの隙間から薬草を放り込んで、ズボンの上から押し付けました。

 一応脱がせた服も着せ直して、これで応急処置も終了です。

 ちゃんと息はしているようですので、後は応援に任せる外は有りません。


 むむ……ブンブンと、私の体に止まる黄蜂達が騒がしいのですけれど、もうちょっと待って欲しいのです。


 地面に落ちた赤蜂達を一箇所に集めます。

 抜いた毒針は、もう採集袋に放り込みました。

 やる事を決めたなら、後は作業なのです。淡々と手を動かして、処理していくのですよと動かなくなった赤蜂を手に取ろうとしたら――


 ――ブンブブブンブン……


 って、あ、ちょっと引っ張らないで下さいと、崩れたバランスを取り戻せばまた、


 ――ブブブンブブブン……


 体に止まった黄蜂達は、どうやら私を何処かに引っ張っていきたい様です。

 向かう先は、花畑の真ん中の黄蜂の巣の様に思えますが……。


「もう、何なんですか?」


 振り返った遠い街からは、こちらへと向かう小さな影が二つ、走って来ているのが遠目に見えます。

 花畑から逃げていった初級冒険者達は、まだそんなに離れていない所をばらばらになって逃げていますが、誰もこちらの様子には気が付いていない様です。


(応援が来るまでは、大丈夫そうですね)


 そう思って、私は黄蜂達に付き合う事にしたのでした。


 ――ブンブブブンブン……


「はいはい。分かりましたから、引っ張らないでもいいですよ」


 ――ブブブブブンブン……


「ついでなので気にする事は無いのです」


 ――ブンブン♪ ブンブン♪


「いえいえ、どう致しまして。ところで何のご用なのでしょう?」


 何となくの黄蜂の様子から適当に喋っていましたけれど、それこそ何となくですが集中すれば黄蜂達が何を言いたいのかが分かる様な気がします。

 縦にブンブンと高さを変えるのは、きっとありがとうの意味なのですよ。


 ――ブンブン♪


「ブンブン♪」


 ――ブンブン♪


「ブンブン♪」


 体を縦に揺らしながら、黄蜂達に付いていきます。

 辿り着いた巣の前で、肩に止まっていた黄蜂が二匹、蓋がされた巣の小部屋へと飛び立ちました。

 蓋の端を顎で小さく捲りながら、こちらの様子を窺う様に見上げてきます。

 黄蜂はもこもこですけど虫は虫で、草原リスには敵わないと思っていたのですけれど、それはちょっと絆されてしまいそうな可愛らしさでした。


 首を傾げて観ていると、捲れた小部屋の蓋から、ツーっと漏れ出す金色の雫。

 あっ、と驚いて、慌てて背負い袋に引っ掛けた水袋の水を捨てて、小部屋の下に受ける様に水袋の口を広げました。


 直ぐに広げられた小部屋の口から、黄金色の雫は滴り落ちて、水袋の中へと流れ落ちます。

 水袋が一杯になった頃に小部屋の口を閉じる辺り、黄蜂達は思っていた以上の賢さなのです。

 水袋から香る甘い香り。

 黄蜂と仲良くなった人だけが貰えるという、美味しい黄蜂の蜂蜜なのでした。


 有り難うねとブンブン体を揺らせば、どう致しましてとブンブンブン。

 ペロリと舐めて美味しいよとブンブン跳ねれば、自慢の蜜ですとブンブンブン。


 そんな事をしている内に、花畑の外の騒ぎが大きくなって、見遣れば逃げ出した初級冒険者達と狼煙を見て駆け付けてきた街の騎士が話をしているところでした。


 じゃあ、またねと、ブンブン挨拶をしてから、花畑の入り口へと戻るのでした。


「何が有った!」


 逃げ出した初級冒険者達の所に一人置いて、黒岩豚に乗って先に駆け付けた騎士が問い掛けてきます。

 森で薬草採取をしていたら、悲鳴が聞こえてきた事。様子を確かめに来たら、子供達が蜂に襲われていた事。蜂の中に赤蜂が居たから退治した事。初級冒険者達が作ってしまった掘建て小屋の中に女王蜂っぽいのが居て、多分小屋に巣食っていたらしい事。小屋の中に有った発煙筒で合図を上げた事。蜂に襲われた子供の一人は囓られていたから止血をしてシダリ草とフクロ草で応急処置をした事。もう一人も刺されていたから同じ様に薬草で処置をした事を告げました。


 赤蜂を退治したと言ったところで少し眉をぴくりとさせていましたが、地面に並べられた赤蜂と、今も私の体に止まってめろめろになっている黄蜂達の様子から、嘘の無い事は一目瞭然なのです。


 全て話し終えて、聞いていた騎士は良くやったと私の頭を撫でようとしましたけれど、そこには黄蜂が陣取っていました。

 騎士は手を彷徨わせていましたけれど、でも、その時の私には、そんな事より重要な事が起きていました。

 話を聞きながらも少年の体を抱き上げて、薬瓶を口に傾けていた騎士様。煌めく様な緑の液体が喉を潜り抜ける毎に、少年の体の傷は消え、蜂に刺された穴は塞がり、膨れ上がった赤味まで、時間が巻き戻るかの様に綺麗な手足に戻っていったのです。


「何ですかそれは!?」

「ん? これか? これは回復薬だな。錬金術屋で売っている、魔法の薬だ」


 こんな物を出されてしまっては、折角の応急処置も立つ瀬が有りません。

 本当は薬草代くらいは請求しようと思っていたのですけれど、それももう無くなってしまいました。

 でも、代わりに私はもっと価値のある話を聞いたのです。


「森に入るなら持っておきたい物だが、小さな小瓶で一両金だ。ま、頑張りな」


 こくこくと頷いて、さてそれでは残った蜂の解体をしましょうかという段になって、私は困ってしまいました。


 毛虫の解体には毛虫殺しを使いました。嫌がっているのか何なのか、少し微妙な感じが伝わって来ましたけれど、毛虫殺しで毛虫を解体するのには問題は無かったのです。

 でも、私の毛虫殺しは、どうやら赤蜂を相手にするのは嫌なようなのです。

 それもその筈。毛虫殺しは、毛虫を殺すからこそ、毛虫殺しなのですから。

 今一つ好みが有るのか分からない二代目採取ナイフも、今まで植物しか手に掛けていないのですからきっと蜂の相手は嫌がるに違い有りません。

 そうなると、蜂を解体するナイフが無くなってしまうのです。


 それに、そろそろ時間も夕方です。これから薄暗くなる中で解体なんてしていたら、きっと失敗だってしてしまうでしょう。


 も一つ言うなら、私は赤蜂の素材が何か、しっかり憶えていないのです。

 魔物の側に一歩どころか三歩程足を踏み入れていても、それでも赤蜂は動物の側なのです。魔物教本には載っていません。

 動物図鑑には載っていた覚えが有るのですが、さらっと見ただけで、素材までは憶えていませんでした。

 針と針に付いている毒袋は確実ですけど、他には何が有ったでしょうか?


「騎士様、赤蜂の素材ってご存知有りませんか?」


 倒れていた少年を、黒岩豚に括り付けていた騎士は、手を休める事無く答えました。


「いや? 知らないな。協会で聞くのが早いだろうな」


 私もそう思っていたので、そうですねと頷くのでした。


 背負い袋の中に入れておいた紐を使って赤蜂達を縛り上げます。紐の途中に輪っかを幾つも作って、そこに赤蜂の首を掛けて背負い袋の上に上手く載る様に固定します。

 そんな物を二つも付ければ、まるで赤蜂のマントを着けている様な姿になってしまいました。


「凄い姿だな」


 いつの間にか来ていたもう一人の騎士に、軽く頭を下げました。

 まだ騒いでいる初級冒険者達の事は、騎士様達に任せるのです。


「お先に帰りますね」


 頭や肩に止まっていた黄蜂達も、私のそんな様子を感じ取ったのでしょう。

 今度は、手で掬って花の上に置いても、戻ってくる事は有りませんでした。

 さようならとでも言う様に、ブンブン縦に飛んで別れを告げてきます。

 私もブンブン別れを告げて、街へと足を向けました。


 今日は色々有りましたけれど、終わってみれば今日もまたいい日なのでした。

 こんな日なら偶には歩いて帰るのもいいものなのです。

 今から帰れば、ぎりぎり屋台も開いているかも知れません。

 いえいえ、冒険者協会で、リダお姉さんとお話しするのが先かも知れません。

 どちらにしても、今日も一日冒険者の日でした。

 私は毎日、冒険者の道を登って行けて、とってもとても大満足なのですよ、ブンブン。

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