(86)夏の余り月には、

 夏の余り月には、ディジーの作った研究所に、所員として就職するんだ。

 そう思って心待ちにしていたのが、私ばかりでは無い事なんて知っていた。けれど丸で示し合わせた様に、仲間の皆と街の北門で出会った時には、思わず顔を見合わせて笑っちゃったんだ。


「クルリ、お早う! ――荷物はそれだけなの?」

「うん、リューイ、お早う! 他のはもう運び込んじゃったんだ!」


 他の荷物は毎朝畑に出る序でに、研究所に持って行っちゃったから、今背負っている学園の教本でもう終わり。リューイは小さな荷車を引いているし、何人か分の荷物を獣車に載せている子達も居る。

 ううん、寧ろ荷車を引くリューイが珍しい物を見たという目で見られている。


「その荷車はどうするの?」

「これもフィールドワークには必要よ。勿論お花ハンターには必需品ね!」


 そんな事を言うリューイと並んで荷車を引っ張って、追い抜かしていく獣車の荷台から手を振るリーンやキーランに手を振り返してとしながら、それでも研究所まで半刻程度で辿り着いて、寮へと荷物を運び込んだんだ。

 余り月の間は身の回りを調えながら、秋から始まる本格的な活動へ向けて準備を進めておく様に、と所長代理をしているセスお兄ちゃんから言われているけど、準備だけなんかで終わらせない。きっと一歩でも二歩でも前に進むんだと、皆して浮き足立っている。

 ここはデリラ第三研究所。ディジーは一番でも二番でも無い三番目だって言うけれど、私達にとっては間違い無く一番目。ディジーが創った特別な研究所だから、それは私達にとっても特別な意味合いを持っていたんだ。


 でもね、その初日だからって、ディジーはちょっと私達の想像を超えて来過ぎだと思うんだよ。


「皆、もう集まっているね。全員が集まるのは十九日振りになるのかな。無事にこの日を迎えられて喜ばしいよ」


 お昼になる一時二時間程前に、セスお兄ちゃんが皆を集めて言ったんだ。

 お兄ちゃんが職場に居るのは何だかうきうきしてしまうけど、皆の前でどう対応すればいいのか、ちょっと分からなくなってしまって恥ずかしくなるね。

 でも、その後に起こった事が問題だったんだ。


「あれから研究所も状況が色々と変わってね。最優先にしなければならない案件が変わってしまったりしているのだけど、それはディジーリア所長に説明して貰う事にするよ」


 ここで態々ディジーの名前が出てくるのだから、きっとあの赤い宝玉越しにディジーの声が聞こえてくるのだと思ったら、部屋の扉がカラリと開いて、そこからふよふよと一体の人形が宙に浮かんで入って来たんだ。

 ディジーと良く似た赤い髪。ディジーと違う赤い瞳。何故か片眼鏡を付けていて、口元には立派な赤い口髭が。山高帽にステッキ振り振り、高級そうなコートを着ているのに、背負っている鞄は冒険者仕様。


『ふむ! 暫く振りじゃな! 元気にしておったかの!』


 正面に来たディジー所長人形が偉そうに挨拶をしたから、私達の間からくすくすと忍び笑いが洩れる。

 うん、今日もディジーは元気そうだね♪



 そんな笑撃的な不意討ちだったけれど、ディジーの挨拶はとても真面目で、それこそ衝撃的だった所為か、その後は笑い声も無く耳をそばだてて聞く事になったんだ。

 商都で出会った毒煙患者との遣り取り。必死の形相で上がらない手を上げようとする患者に、僅かに感覚が蘇った事に滂沱と涙を流す患者の話。そして今もそんな毒煙患者が大勢救いを待ちながらも諦めているという事。


『毒と知りつつ軽く見て吸っていた人達ですから、まぁ順当な結末ですね。同情も共感も無用とは思うのですけど、中には棟梁の様に馬鹿をやったと早い内から後悔している人も居る様ですから、べるべる薬もばんばばん薬も公表するのは構わないのですが、準備も何も無しにそれをすると大混乱に陥ってしまうと思うのですよ。

 それで人命にも関わるので王都にも概要だけは伝えていましたが、まぁ王都研究所も私が王様に訴えたここでの出来事だとか、他にも色々有ってごたごたしていまして、その分大掃除もされたのですけれど、真面な遣り取りが出来る様になったのがここ数日の事なのです。

 それでやっぱり大騒ぎになるというか、王都研究所がもう大騒ぎ状態なので、大至急薬を量確保して、各地に送ってから発表という事になりました。

 ですけど、この大至急量を確保するというのが、そもそも容易では無いのですよ』


 ディジーの言い様は冷たい様にも思うけど、でも、自分で毒を飲んだのにと考えると、それは呆れるしか無いと思う。

 それでも結局は面倒と言いながらも、こうしてディジーが手を差し延べるのは、ディジーにとってどうでもいいとは言えない人から、きっとお願いされたんだ。

 ディジーは自分では認めないだろうけれど、何だかんだと言いながらも、身内と認めた人にはお人好しで義理堅くって優しいんだよ。


 でも、そんな少し重い事を話しながらも、何処か動きが大袈裟なディジー人形が、あっちにうろうろこっちにうろうろ、立ち止まってうんうんと頷いてはくるんとステッキを回すんだ。

 そんなディジーに慣れていないリーンが、到頭「もう!」と声を上げてしまって、またくすくすと笑い声が上がって、それで硬さが取れた冒険者組のアズラさん達とかも口を開き始めたんだよ。


「くふっ……いや、うむ。大体状況は分かったが、大至急とは具体的にいつ迄の話なのだ」

『あー、大至急集めるのは、王都での話ですけれど、精々余り月の間の話ですねぇ。情報なんて漏れるものだそうですし、商都では情報を抑えるような事なんてしませんでしたから、いつ情報が出回るか分からないのですが、まぁ出回ってしまう前に先手を打ちたいという事です。十日で王都に集められるだけ薬草を集めて、それで私が薬を作って、各地に送るのは王城にお任せです。でも、きっとそんなに集まらないと思うのですよ。

 と言うのは、薬を作るのに必要な薬草は、ハーゴン、拍子草、鳳仙楓、ヒノオイ草といったところですけれど、魔法薬にするには一つ条件が有って、魔の領域に生えていた物で無いと上手く魔法薬にはなりません。出来てランク四とかでは毒煙の治療には役立ちませんし、当然乾燥させたりした物も魔法薬には使えません。新鮮な薬草が必要になるのです。

 つまり、必然的に魔の領域の薬草を新たに採取する必要が有るのですが、魔の領域で無ければ何処でも見付かるこれらの薬草も、魔の領域でとなると中々生えていないのです。王都近くの鬼族の領域にも生えていませんでしたから、王都で手に入れるとしたら二日掛かるライザの森ぐらいでしょうかね。デリエイラの豊穣の森の様な場所は、案外少ないみたいです。

 ですから、王都で薬草を集めた結果次第ですが、十日後になってから全然足りないという事に成り兼ねないのです。その時になって協力を要請されて慌てるぐらいなら、今から準備をしておいた方がいいと思うのです。

 流石に十日後に言われて直ぐという事も無いでしょうから、デリラでの期限は十日に十日を足しての二十日後位ですかねぇ?』


 それを聞いて、ふむと頷いたオックスさん。

 オックスさんは元々別の研究所に勤めていたけど、色々有ってやめた人なんだ。

 穏やかでのんびりした人だから、お爺さんの様だったりするけれど、まだお爺さんと言われる歳じゃ無い筈だよ。

 他の研究所の話を聞けるのはオックスさんだけだから、皆もセスお兄ちゃんも実はディジーも、オックスさんの事は頼りにしているみたい。

 第三研究所にとって、密かな重要人物だったりするんだよ。


「ふむ、つまり今は第三研究所抜きで動いていると思っていいのかねぇ? 所長がこの話をしているのも、気を回しての事だとすれば、少しは落ち着けそうだがねぇ」

『まぁ、そうですけど、大本の研究所に薬が無いとは思わないでしょうから、色々な方面から無茶振りされると思って準備はしておいた方がいいと思いますよ? 薬が足りないとなった時に逆恨みされるのは、得てして薬を作り出した側の人間だったりするのですから、自衛の為にも必要でしょう。デリラまで来るには面倒な湿地帯が在りますから、商都研究所の方が大変かも知れないですけど、出来たばかりの第三研究所には正直荷が重いので、正直そこは助かりますね』

「つまり、僕らは王都から来るかも知れない要請に備えるのと、商都から要請が来たら直ぐにべるべる薬を送れるように、“鳥”を含めて準備をしておくという事だね」


 と、これはセスお兄ちゃん。


『ええ、そうです。正直に言えば、ライザの森の植物は皆して動くので、それを使って新しい薬を作った方が量は稼げる様な気はしています。ですけど、実績が無かったり、ライザの森の植物の力が強過ぎて逆に具合を悪くしそうだったりと、色々と心配な部分が有って難しいのですよ』

「それで私達が採取に行くのね」


 あ、ここでリューイが声を上げたね。

 私もそろそろ話し合いに参加しようかな。


『……初めはそう考えたのですけれど、改めて考えてみるとやめておいた方が良いかも知れませんねぇ……』

「ああ、私もそう思うぞ」

「うむ、私らには身近でも、あそこは魔の領域だからなぁ」

『ええ。お花ハンターになると言っているリューイには悪いのですが、魔の領域に入るにはやっぱりランク八が最低だと思うのです。ソロならランク六ですね。訓練するなら花畑の周りで小鬼ゴブリン退治でしょうかね』

「どうして? ディジーのくれたお守りが有れば、森に入れるんじゃ無いの?」

『あれは魔の領域の歪や魔力から護る為の物ですよ? 魔物や森の危険な生き物からは、自分で身を守らなければいけません。毒虫に咬まれたり、吸血樹を踏み抜いたりなんていう事は、護衛が居てもどうにも出来ませんから。それでもリューイで無ければならないとなった時は、お守りを持たせて護衛を付けて森へ行くしか有りませんけど、その場合の護衛対象はリューイ一人で、大勢で森へ行けるものでは無いです。

 でも、冒険者組の採取が思ったよりも上手なので、今はまだリューイで無ければという事は有りませんね。要するに実力不足でまだまだ森へは行けないのですよ』

「湖までなら連れて行ってやれるかも知れないがな」

『……それもどうでしょうねぇ。湖までの間の道でも、ちょっと脇に逸れれば塊乱蜘蛛チュルキスが歩いていますよ? あれもランク六の上位ですから、同じランク六や、あるいはランク八のパーティには襲い掛からなかったとしても、ランク十程度で歩いていたならどんな動きをするかは分かりませんね』

「えっ、マジか!? 言われてみれば湖までの道を気に留めた事は無かったが……」

『それに虫でも森犬でも群れを相手にすれば護衛は難しいですからね。逃げればいいと思っていても、ランク十やそこらでは逃げる事も出来ませんよ』

「一般人には恐ろしいばかりの魔物の毒が、上級冒険者なら痒いだけと聞いた事も有るねぇ。確かに、安易に考えるのは良くないのぉ」

「でも、それならディジーは私達に何をさせたいの?」

『それが悩み処なのですよ』


 そう言って、ディジー人形は溜め息を吐いたんだ。


『兎に角薬草が必要では有るのですけれど、量に関しては協会に買取を増やして貰う外には今は有効な手が有りません。下手に高額で買い付けても、根絶やしにしてしまっては本末転倒です。これからも、薬草は必要になるのですから。

 なので、残るのは質を上げる事と、今後も魔法薬はこの研究所の大きな柱になると心に留めて、訓練に勤しんで欲しいという事ですね。

 ですが、質を上げるのに関しても、直近は採取してきた物を直ぐに魔法薬にしてしまいますので、それ程関係有りません。採取の遣り方で変わる質の違いなんて、劣化し易さ程度の話ですから。冒険者組にはこれからも採取に行って貰う事にはなりますが、それ以上に出来る事が無いのですよ。

 色々と事情を知っているので何かをしないとと思うのですけど、それが思い付かないのでどうしましょうというのが本当のところかも知れませんね』


 その言葉を聞いて、私はちょっと呆気に取られちゃった。

 そして直ぐに嬉しくなって、笑顔が口元まで昇ってきたんだ。

 私が知ってるディジーは、自分の事は全部自分で決めてしまって、相談なんて選択肢が入り込む隙間が有る様には見えなかった。

 ついこの前、王都からプレート越しにお話ししてきたけれど、ディジーの親友を自任する私でも、思わず叫びそうになった椿事なんだ。

 そんなディジーが相談なんて、一体何が起こっているんだろうと思うのだけど、そう思っているのは私だけでは無いみたいで、学園からの仲間達は皆目を丸くしていたんだよ。


『まぁ、根本的な質に関してはゆくゆくはリューイにお願いしたいと思ってます。リューイが知っている事だけでは無くて、冒険者協会や商業組合、錬金薬屋のバーナイドさん、それにラーラさんやそこに居るオックスさんにも話を聞いて、魔法薬にする為の保存の仕方とか、聞き取れる限りをまずは調べてからでしょうね。

 気を付けないといけないのは、魔法薬として魔力が抜けない様にする事ですから、花屋の常識とは違うかも知れないことです。水を与えて瑞々しくさせたら、逆に水の循環と一緒に魔力が抜けるかも知れませんから。

 収集瓶や保存箱も、もしかしたら保存するのに素材の魔力も使っているのかも知れませんから、常識は一旦頭の中から追い出して、自分の目で確かめるしか有りません。暫くは私が視るしか有りませんね。ですが、やっぱり魔力を視れないと研究も始まりませんから、魔力の訓練が喫緊の課題なのは変わりませんね。

 牧場組もメイドさんも含めて、これは全員が早く身に付けて欲しいです』


 ディジーは言葉を止めるつもりが無いのか、それとも思っている事を話している間に誰かが何かを思い付くかもと思っているのか、ずっと話し続けています。


「その魔力の訓練にも、例の魔法薬を使うんだってね」

「この前冒険者協会で偉く盛り上がってるのを見たけどよ、本当にあんな薬で強くなれんのか? べるべる言いながら万歳をして気を失うって、やってる奴らも真剣なのか巫山戯ているのか分からんかったぜ?」

「うん、ランク二になったガズンさんの一推しって聞いたけど、試してみるにはちょっと高くて手が出ないよね」

『おお! ガズンさんはランク二になったのですね! まぁ、魔力を殆ど扱えないでもランク三だったのですから、ちょっとでも扱えるようになったのなら順当なところですね。

 因みにガズンさんはべるべる薬とばんばばん薬の両方を試してますよ? 魔力が扱える様になったのはいいのですが、しばらくはべるべるとかばんばんとか呟いていて、笑いをこらえるのが大変でした』

「もう、笑わせないで♪ それで、魔力の扱いが上手になると、魔力が見える様になるものなの?」

『その為の第一歩ですねぇ。視える様になる条件は良く分からないのですよ。

 でも、魔力の手で手探り出来る様になれば、それだけで世界は変わりますよ? 私が驚いたのは、魔力に関わりながら、魔力そのものを扱おうとする人の少なさです。研究所もそうでしたし、学院もそうです。皆『儀式魔法』で何とか成ると思っているのです。それで魔力の専門家だと言われても、私には目隠しをしながら適当な事を言って悦に入っている様にしか見えないのですけどね。

 今の第三研究所は、正直研究所の体を為していません。殆どの成果が、私が魔力で感じた事を捏ねくり回して偶々得た物だからです。

 研究と言うからには、観察して、推測を立てて、実験して、また観察しての積み重ねから、誰にでも正しいと認められる様な結論を導き出す必要が有るのでしょうけれど、ここは観察の前段階の視る訓練に重点を置いていて、その先がまだまだ全然ですからね。本当は十年二十年三十年と過ぎた後で立派な研究所になっていれば充分って思っていたのですけど、色々とネタが出て来てしまった為に無名でも居られなくなってしまったので、そこは元研究所員のオックスさんに頑張って纏めて貰うしか無いのですよ。

 でも、他の研究所では“視る”事も出来ずにその部分さえも推論に頼っているのですから、皆さんが“視る”事が出来る様になればそれだけで何段階も進んだ先から研究を進める事が出来る様になるのです。

 私が『儀式魔法』が嫌いなのも有りますけれど、研究に『儀式魔法』は役に立ちませんよ』

「ふぅむ。私が他の研究所に居た時は、どれだけ深く『識別』し、どれだけ『鑑定』出来るかを競ったものだけれどねぇ」

『以前も言った通り、『識別』も『鑑定』も知られている事しか分かりませんから、知られている事が間違っていたら、その間違いしか教えてくれないのですよ。

 『儀式魔法』では無く自力で『識別』するのなら別なのでしょうけれど、神々に魔力を捧げない様に留めようとするのにも、『魔力制御』といった技能を磨く必要が有りますから、どちらにしても魔力の訓練は必須なのです』

「ほほう? 魔力を捧げなければ『儀式魔法』にはならないのかね?」

『それどころか、捧げようとする魔力を乱して邪魔するだけで、『儀式魔法』は発動しませんね』

「それをしてくるのは闇族だが、出来るのか? ……出来るのだろうな。

 それは兎も角として、そもそもの根本が気になるのだが、魔法薬で無ければ駄目なのか? 私の怪我を治した様に、『魔力操作』が出来れば何とか成るかも知れないのなら、そこまで大騒ぎになるようにも思えんのだが」

『えっ!? ……あ、ああっっっ!!!!』


 そこでディジー人形はぴょんと跳び上がって、天井に当たって落ちてきた。吃驚したよ!?

 でも、そんなディジーの言う事には、『魔力制御』や『魔力操作』で毒煙患者が治るかも知れない事は、何故だかすっかり頭から抜けていて、全く思い付かなかったのだとか。

 商都で『魔力操作』での治療を回避してからそのまま、選択肢に含める事を忘れてしまっていたみたい。

 細かい事は良く分からなかったけれど、問題が解決したのならそれは良かったんだよ。


『お騒がせしました。相談して良かったですよ。魔法薬だけが治療法で無いなら、研究所が悪者にされる事も無く、解決出来そうですね。

 でも、一応薬草の回収は進めておいて下さいね。

 冒険者組の採取してくる薬草は丁寧に処理してますが、協会に依頼しての薬草はそこまで期待するのは酷でしょう。特級の魔法薬は治療用としますが、どうしても特級まで引き上げられないのも多く出そうです。魔力の訓練には上級以下を使う事にしますね。所員として飲む分にはべるべる薬もただですから、存分に試してみて下さいね。

 ところで、冒険者組が採取してきてくれる薬草で、一つ気になった事が有ります。処理はとても丁寧なのに、品質がそれ程でも無くて、違和感を覚えたのですよ。

 腕が悪くないのにランクが下がるのなら、考えられるのは道具です。私も金床と鎚を良い物にするまでは、鍛冶で苦労しましたから。

 そこで用意したのが、皆さんの採取ナイフです。植物特化にしていますので、植物以外には使わないで下さいね』


 そう言って、ディジー人形が背負っていた鞄から取り出して配ったのは、黒い鞘に納められ緑色の光を帯びた、小さな細身のナイフだった。柄も握るというより、軽く手を添えて摘まむ感じに細い。

 ディジー人形に合わせて小さいのかと思ったら、アズラさんが目を瞠りながら「こんな物を貰ってもいいのか?」と聞いてるから、きっといい物なんだろう。


『今日はこれから採寸すると聞いてますが、それを元に共用の装備も調えていきますね。冒険者組の装備にしても、防具には手を出せませんが、武具なら私が用意出来ます。最も鉄で良ければですし、共用とはせず個人で使うのなら、所員価格での買い切りですけどね。特に強化せずに渡しますが、しっかり魔力も通して使い熟した上でなら、魔石を持ってくれば強化もしますし、自前の得物でも強化したければ言って下さい』


 なんて、ディジーは簡単に言うけれど、ディジーが守護者を斃した武器もお手製だって皆知ってるし、ガズンさん達が新調した武器もディジー製だって知られている。

 冒険者組は歓声を上げたり声を詰まらせたり。リューイも羨ましがっているし私も武器を持つならディジー製がいいけれど、多分その願いは何事も無く叶えられてしまうんだろうね。


 ディジーが人形を置いてその内から引き上げてしまった時には、もうお昼になっていたんだ。

 食堂でメイドさん達が配膳してくれるのは、暖かい湯気と匂いを振り撒く、美味しそうなお昼ご飯。メイドさん達が領城から来た事を考えると、美味しく無い訳が無いよね。

 そんなご飯に歓声を上げながらも、話に上るのはディジーの事ばかり。


「なんだかここは至れり尽くせりで、これを当然と思ってしまうと駄目になるな」

「ディジーだからね!」

「うん!」


 と、学園からの子らが言うけれど、皆も余りディジーを分かっている訳では無いんだ。


「ディジーは特に身内には面倒見がいいけれど、自分の興味の無い事にはとことん無関心なのよ」

「うん。今日の事で言えば、ディジーの興味が有るのは、質が悪くなってしまった薬草と、研究所員を護る事だね。アズラさんの事も、背中の怪我を治した身内という他には、どれだけ興味を持っているのか分かんないね」

「本当にそれだけの興味を持ってくれているかも怪しいわよ? 武器を用意してくれるっていうのも、そういう理由で武器を打てるからかも知れないわ」

「そうかも。でも、初めから強化する程の興味は無いんだよね」


 冒険者組のアズラさんも、学園からの子らも、聞き様によっては扱き下ろしている様にも聞こえそうなリューイとの言葉に驚いているけれど、皆も知っている筈なんだよ。


「ディジーも丸くなったし、皆ディジーに助けられたから崇めたくなるのも分からないでも無いけれど、ディジーはディジーよ?」

「傍若無人で独立独歩、だね」

「……所長はそんなに尖っていたのか?」

「ふふふ、学園に入った途端飛び級して、最上級生も置き去りにしていくのよ? よく絡まれていたし、言い掛かりも付けられていたけれど、ディジーが歩いた後にはそんな人達が紐で縛られて転がってるの」

「私達以外とはお喋りなんかもしてなかったと思うし、ディジーからの相談なんて想像も出来ない大事件だね」

「助けられたなんていうのも、見苦しいと思ったディジーが見苦しい物を片付けただけで、助けた相手なんてきっと覚えていないわ」

「それじゃ、俺達自身が所長にとって見苦しい振る舞いをしたりしたら……」

「うふふふふ」「にひひひひ」

「お、おっかねぇなぁ!」


 でも、そんなディジーが私達の親友なんだ。

 そのディジーが困った様子で協力して欲しいと言っているなら、私が手伝うのは当たり前の事なんだよ。

 そんな気持ちを胸に、私達の第三研究所での生活が始まったんだ。



 ~※~※~※~



 夏の余り月には、あの嬢ちゃん曰くの拠点に漸く手を付けられるんだっけな。

 

 そんな事を考えながら、余り月の初日の朝に学内寮へと向かってみれば、予想と違って嬢ちゃんは不在だった。

 いや、初日処か深夜日付が替わって直ぐにでも手を付けそうな勢いだったがと思いながら、昼前にも寄ってみれば、今度は女子寮の奥の空き地を見ながら呆けた様子で突っ立っていた。

 まぁ、イメージを固めているのだろうと思いつつ、夕方に来てみれば、其処には真っ黒な家が建っていて、屋根の上で嬢ちゃんが何やら点検している様子だった。

 何だこれ?


 いや、何が起こったと混乱はしたが、恐らくは見た通りなのだろう。

 半日掛からず、家を一軒建てやがった。


「ドーハ先生、何か御用ですか?」


 屋根からふんわりと飛び降りてきた嬢ちゃんを素直に見れずに、ガシガシと頭を掻いてからぶっきらぼうに口にしてしまう。


「いや、今日から手を付けていくんだろうってのは思ってたが、どうなってんだこれは?」

「おお? いえ、余り月から直ぐに建て始められる様に、北西の通用門の外で木造りとか継ぎ手や仕口の処理は済ませてしまっていたのですよ。上物を全部組んでしまって、柱だけすぽっと嵌めるのもいいかとも思ったのですけれど、調整を入れるかもと思ってそこまではしませんでしたけどね?」

「……聞いても良く分からんが、見て回っても良いのだろう?」

「構いませんけど……あ! 家の中では靴は脱いでスリッパでお願いしますね」


 そんな言葉と共に、嬢ちゃんはぴょんと跳んで……いや、飛んで、屋根の上に??

 指で目頭を押さえてから、顔面を掌で包み、ほうっと息を吐く。考えるのも突っ込みを入れるのも全て後回しにしなければとても保たん。そう思って気合いを入れた。


 そして見てみれば、やはり異様な漆黒の佇まいだ。

 見た目は立てた丸太で組んだログハウス。窓は有るが二階にだけで、それも細く矢狭間に見えて落ち着かない。

 丸太に見えて正体不明のその建材を、軽く玄能で叩くとキンと金属の様な音がする。

 そんな異様な風体の小さな館ではあるが、少し安心出来るのは、一階部分の左に大きく口を開いた部分が有るのと、同じく一階部分の右に扉程の開口部が有るのが、まだ未完成である事を示していて、またそこから垣間見る家の中の様子は、外観とは違って落ち着いた木の色をしていた事だ。

 左の開口部の前には、既に土台も造られているのだが、しゃがみ込んで観察しながらまた頭を抱えそうになる。

 こいつはクアドラ石じゃねぇのか、と。

 ええい、突っ込みは後だと思っても、開口部を見て得た木の正体が、どうにもジーク材に思えてならない。

 ジーク材は良い木だが、良く曲がって生える為に、建材として使える物となると稀少だ。何とか見付けてきた貴重な一本を、どうにか重要な大黒柱に使えるかどうかでしか無い。

 サルカムの木で御殿を建てるなんて言葉は不可能の代名詞の様なもんだが、ジーク材で家を建てるなんていうのも不可能な訳では無いがこれもまた絵空事なのだ。


(学院を卒業後は、建てられた建造物は学院へ譲渡が基本だが、いいのかそれで?)


 何と言っても建造物で有るが故に持ち運びが出来ない事と、本来ならば学院で建築を学んだ者が学院から提供された建材を用いて、教材として或いはその成果として建てられる筈の物であり、即ち学院にも権利が有ると判断される物だったが、これは違う。建材は全部嬢ちゃん持ちで、解体して売り払えばどれだけの値が付くかも分からない代物だ。


 完全にアウトだと思いながらも、既に職分を越えた内容だ。この嬢ちゃんに場所を提供する事が決まったのには、蔵守卿のお声掛かりも有ると聞く。それに資材を集め始めた時分なら兎も角、既に建ってしまっては撤回も出来ない。


 ……土台の造りも頑強、建物は言うに及ばず。俺の役目は学院生の技量の評価では無く、建物の査定だろうな。


「なぁ嬢ちゃん、外壁が真っ黒なのは、これは何だ?」

「それは焼き固めて炭化させているのですよ? 虫除けにもなりますし、火も付き難くなりますし、硬く強固になりますから、いい事尽くめです。偉そうな事も言いましたが、木の歪が分かるだけの経験も有りませんけど、焼き固めてしまえば大丈夫なのですよ!」

「……まぁ、話には聞いた事が有るな」


 疑問に思っていた事の答えを聞いて、重厚な扉を開けてみれば、確かにそこには靴を置く為だろう棚とスリッパが置いてあった。それに履き替えて、金銀財宝にも等しい廊下を歩き、階段を上る。釘の気配が欠片も見えない家の中は、想像以上に上品だった。今はまだ何も置かれていないが、完成すれば何処までも優雅な空間を作る事が出来そうだ。


(……てぇ事は、今見ても仕方がねぇな)


 いや、新しい事務局長には、就任早々ご面倒な事だと、そう苦笑して、俺は早々に引き上げる事にしたのだった。



 ~※~※~※~



「夏の余り月には王都だね!!」


 息子が学院に合格したと聞いて、娘が歓喜と共に叫んだのはそんな言葉だった。

 兄の合格を祝うよりもそれかと思いつつ、それもまぁ分からんでも無いと苦笑する。

 私達の暮らす村は、王領の中に在ると言っても王都まで二日掛かる田舎村だ。特産品は野菜や果物ばかりだが、売り歩くにも隣のカントラム領に大農園が広がっている所為で、その二日掛かる王都の他に売り込み先の当てが無い。

 そんな二日掛かりで萎びた野菜を売りに行ったところで、捨て値で買い叩かれるのが落ちだから、村はいつまで経っても貧乏なままだ。

 だからまぁ、今迄は王都へ出稼ぎに行く者が居る他には、交流らしい交流も無かったのだが、私が嘗て王都で冒険者をした様に、若者達に王都への憧れが当然の事として有るのは無理も無い事なのだ。


 そんな風に憧れるだけだった状況が変わったのは、騎士に成ると王都へ出て行った息子から、思いも掛けない王都の食糧事情を聞いてからだ。

 別に生野菜で無くてもいい。塩や酢に漬け込んだ野菜が、王都では普通に売られている、と。

 嘗ては私も王都に暮らしてはいたが、野菜は生でがぶりとやるのがいいと染み付いた頭では、とても気が付かないし出て来ない発想だ。だが、言われて見れば何故思い付かなかったのか頭を抱えてしまう程に、至極当然の事だった。そして気が付けば次から次へと様々な提案が村人達から寄せられて、ここは一つ村を挙げて王都に乗り込んでみようや、と、そういう話になったのである。


 そこで何を売りに行くかと言えば、一番の売りは王都までの二日で丁度いい具合に漬かる酢漬けや塩漬けだ。何と言っても腐らせる程に有る野菜を使うのだから、元手は酢や塩と入れ物の分だけ考えればいい。

 準備も出来たから、さぁ皆で王都見物と洒落込もうか、と出掛けようとしたところで待ったが掛かった。


「そんな乞食の様な姿で、大挙して王都に乗り込むのはやめてくれ。何事かと先輩達に気色ばまれて、答える俺の身にも成ってくれ」


 騎士団の下っ端になった息子が、偶々近くに来たからと村へ寄ったのに合わせて、王都へ戻る時に一緒に行こうとしたのが、どうにも息子には認め難い事だったらしい。

 しかし言うに事欠いて乞食の集団とは酷い言いぐさである。


「何を言う。お前も村では着ていた普段着だろう?」

「それしか知らなかったからだ! 王都へ出て、村に来る行商人がしていた目付きの意味が分かって居た堪れなかったわ!」

「布一枚穴を開ければ出来るお手軽服だぞ? 気楽でいいでは無いか。ま、使っていると変な匂いもしてくるがな。はっはっはっ!」

「それが乞食だと言っているのだ!!」


 全く、騎士に成ると出ていく前からそうだったが、何とも生意気なものである。

 そう思っていたのだが、それから王都へ戻った息子が、大量の古着を送って寄越したから驚いた。

 村の皆へとかなりの量を送ってきたのを考えると、相当に無理をしたに違い無い。

 うむ、実に良く出来た息子だな!


 まぁ、暫く外へ出ない間に私も随分と村に染まってしまったが、確かに昔冒険者をした頃は麻布の貫頭衣で済ましたりなどはしていなかった様な気はするが……。

 だが、釦を留める必要が有るでも無し、多少汚れようが穴が開こうが気にする様な物でも無し、手軽に使えるというのも嘘では無いのだがな。

 その冒険者をしていたというのが切っ掛けで、息子を含め村の子供達に武器の扱いを教えていたのが災いしたのか、最近の村の子供は早い内から村を飛び出していってしまう。

 それで村人に恨まれたりもしたが、極々稀に出る魔物もその教え子達の手で狩れる様になった事や、村の食卓に肉が増えた事情から、今では寧ろ好意的に受け入れられる様になっている。

 それに加えて、こんな思い掛け無い贈り物が他の出奔した若者達からも時折有るのだから、こんな生活も悪くないものだ。


「こいつはいいおべべよな。娘の嫁入り道具に持たせてやらにゃ」

「都さ行くんに、これ着てけって事か? えらい手間か掛かるもんだねぇ」

「見た目は立派だけんどよ、何だか締め付けられて体が怠くなっちまうよ」


 まぁ、手間を掛けた事に対して悪いとは思うが、普段着にするなら軍配は当然の如く我らが貫頭衣に上がるがな。

 私も嘗て冒険者をしていた時分は、多分に見た目に惑わされる事も多かったが、今も昔も若者というのはそう変わらないのかも知れん。


 そんな事を思いながらも、再び王都へと行く準備が整った。

 計画は息子達の意見を取り入れて、色々と変わってしまっている。そもそも村の総勢で甕を担いで王都へ行く案は無くなった。街道にも魔物は出るのは知っているが、どうとでも出来るというのは私だから言える事で、村の皆にも当て嵌めるのは考え無しだと言われてしまったのだ。

 荷は騎獣に獣車を牽かせて、行き来には必ず私か、あるいは誰か冒険者を雇って護衛に付けるのが最低限と言われてしまえば、確かに昔そんな依頼を受けた様な憶えが有る。

 ならば確かに息子が正しいのだろうが、どうにも面白くないものだ。


 だが、小屋の様な物らしいと言っても、王都に倉庫兼宿泊用の家を借りたと言われれば、文句を言う事も出来ん。

 拠点が有って気軽に王都に来れると成れば、一斉に連れ立って来る必要も無い。何と言っても野菜は何時でも余っているのだから、何度も行き来をする事に成るだろう。それなら後でも構わないという者も多く、誰を先発隊にするかで揉めたのだが、そこで白羽の矢が立ったのが私と私の弟だ。

 良く分からんが、どうやら息子と甥でも有るその悪友が、騎士の中でも偉いさんに成る為の学院とやらに入学したらしい。それならその家族、つまり私と娘、それから私の弟とその息子が、まずは王都へと行く事にすれば、何か有ったとしても面倒には成らないだろうと、そういう事になったのだ。

 道中に魔物が出ると聞いて腰が引けたのも有るのだろう。幸いにして私も弟も、村の中では腕が立つ方だったから、その意味でも適任と言えた。


 どちらも妻は村に残るが、さて、土産は何にするものかな。そんな事を思いながら、村の職人が造り上げた箱獣車に野菜漬けの壺を積み込んでいく。割れない様に藁を詰めて、崩れない様に見張るのは娘の役目だ。

 獣車を牽かせると決めた為に肉に成る事を免れた森豚を追い立てて、早朝から街道を急ぐ。二日掛かる道程みちのりなら、頑張れば一日で着くとの考えは、同行者達に諸手を挙げての賛同を得たのだが……。

 ただ、これも見通しが甘いと息子に怒られる判断だったに違い無い。

 いつ終わるとも分からぬままに到頭夜を迎えたその道中で、倒木に行く手を遮られた私達に襲い掛かって来たのは、大量のゴブリン共だった。


「絶対に近寄らせるなよ!!」

「伯父貴! 右から三匹!」

「おお!! 任せろ!!」


 ゴブリンは駆け出しには苦しい相手だと言っても、それは周りを取り囲み連携して来るからだ。だが、何故かは知らぬが一方より延々寄せて来るだけのゴブリンなんぞ、脅威には成らん。

 だからと言って、切れ目無く押し寄せられては、進退窮まるというものだ。何か打開する切っ掛けが無ければ、何れ疲労から窮地に陥る事になるだろう。

 それでも獣車を諦めるなら、森豚に娘を乗せて、皆で走って逃げればどうとでも成るとの考えが、私に冷静さを失わせなかったのだが、転機は思いも掛けない形で訪れた。


「我らゴブリンと生きしゴブリン友の会! ぐぎゃぎゃ! 貴様らの物は我らの物! 我らゴブリンの友に捧げるが良い!!」

「「「ぐぎゃぐぎゃぐぎゃ!」」」


 突然ゴブリンの直中ただなかに立ち上がった男達が、口上高らかに良く分からぬ事を言い放ったのだ。


「何だと! これは貴様らの仕業か!!」


 理解は出来なくても、状況は一目瞭然だ。魔物は手懐ける事が出来ないと聞いた事が有ったが、どうやらそれも昔の事らしい。


「行け! 兄弟達よ! ゴブリンの地平に恵みを齎すのだ! ぐぎゃあ!」


 巫山戯た奴らだが、延々とゴブリンを森の中から補充しての、尽きる事無い物量責めは馬鹿に出来ん。


「くそぉっ!! 卑怯者共め!!」


 流石に私の中にも焦りが忍び寄ってきていたが、それもやはり思いも掛けない形で覆される。

 そもそもどうやって奴らが魔物を従えているのかといえば、それは奴らが持つ角笛に秘密が有るのだろうとは思っていたのだが――


「さぁ! 行け! 行って奴らを殲滅しろ!!」


 再び音も無く吹かれる角笛に対して、不意にゴブリン共がその動きを変えたのだ。

 一斉に襲撃者達に振り向いたゴブリン共が、同時にその口元を開く。


「「「何故ギャ?」」」


 思わず驚愕の声を口にした襲撃者達を、私はとても笑う事は出来ない。

 それ程、魔物が喋るというのは驚異なのだ。

 それは他の同行者達よりも、王都で冒険者をしていた私の方がよく理解していると思っていたが、ゴブリンが喋る事に対してそれが何かとでも言う様な顔付きをしている仲間達を見て、私も考えを改めた。

 ――ゴブリンが喋ってもいいでは無いか。

 そう思ってしまえば、襲撃者達が狂躁の中に在る今は、又と無いチャンスだった。


 私達を気にも留めなくなったゴブリン達を手早く討ち払い、こちらに注意が向いていないその隙に、道を塞ぐ倒木へと駆け寄った。


「……く、怪しいとは思ったが、伐り倒されていたか」

「鋸を持ってきたぞ」

「ああ、今の内に切り離すぞ。撥ね上がりに注意しろ」


 何時の間にか私よりもがたいが大きく熊の様に成ってしまった弟が、その姿に依らない気の回し様で持ってきた鋸で、素早く倒木を切り株から切り離す。

 直ぐに弟と二人して倒木を街道の脇に除け、見張りをしていた甥の下へと戻ると、状況は更に混迷を極める事と成っていた。


「――倒木は退けた。直ぐにも出れるが……おい、どうした?」

「うぇ……。奴ら、自分が呼び寄せたゴブリンに取り込まれて、ゴブリンの一部になっちまった」


 随分な騒ぎ様だとは思っていたが、見れば襲撃者達がいつの間にか現れた化け物の胸元へと埋め込まれた、そんなオブジェが出来上がっていた。


「何!? ……ゴブリン友の会と言っていたが……」

「ふん、一方的に利用しているつもりだったのだろうさ。が、状況が落ち着いたなら、調べてから出発するか?」

「……いや、行こう。どちらにしても、騎士が来ねば何も出来ん。私達は王都へ急ぐのが先決だ」


 弟は調べていくかと口にしたが、それをしても意味が無いのは私にも分かっている。

 いや、寧ろ私達が場を荒らせば、騎士の仕事を邪魔する事にもなるだろう。

 その騎士に、私達の息子達は成ったのだ。

 複雑な思いが湧き起こるのを感じながら、王都へと獣車を走らせたのだった。



「済まんが、もう一度言ってくれるか?」


 王都へと辿り着いた私達は、最外壁の門で足止めを受けていた。

 疾っくに日を跨いでいる為に、娘も甥も獣車の中で寝息を立てている。弟にも休めと言っておいたから、その内いびきが聞こえてくるだろう。

 私達の為の小屋の場所もまだ知らなければ、宿ももう開いていないとの事だから、街壁の中の車止めにて留め置かれるのは納得の上だ。

 だが、気持ちは分かるが私に説明を求めてもどうにもならない。

 私にも自分が見た以上の事などは説明出来ないのだから。


 それでも、同じ事を何度か説明して、結局の所、現場を見ないと何も分からないとの結論に到った。

 それで漸く私も休む事が出来て、次の日は私が現場へと案内し、娘と弟それに甥が息子と連絡を取って王都の拠点の準備を進める事になった。

 王都に居た頃には憧れでも有った騎士が駆る騎獣――銀犀が牽く荷車に仁王立ちして、街道を行く者達に力強く頷きながら騎士の問いに答えていく。

 何故だか自分が少し偉くなった様な気がして、いい気分だ。


「おいこら、立つな、危ないだろうが」

「む、構わんだろう? 銀犀は冒険者だった頃の憧れなのだ」

「ちっ、仕方がねぇなぁ……」

「それに、こうしていると自分が偉くなった様な気分が味わえるからな! はっはっはっ!」

「……やっぱ、座っとけ」


 御者をする気さくな青年騎士と気の置けない遣り取りをした道中も、くだんの奇怪なオブジェについてを道行く旅人から訊ねられる度に口数が少なくなり、その現場に辿り着いた時には到頭軽口も消え去った。


「な、何だこれは!?」


 だから、その問いに対する答えを私は持っていないというのに、訊かずには居られないのだろう。

 獣車を含めて三騎で来たが、誰もこの状況への答えは持っていないらしかった。

 ならば、今の世の中には魔物を使う盗賊が居るのだろうと思った私の感想は、一般的では無かったという事だ。


 オブジェの周りには見物している旅人達もそれなりに居たが、騎士が来たと見て邪魔をしない様に隅に引っ込んでいる。

 それでも気になるのか、誰も出発しようとはしない。

 そんな見物者から、埋め込まれた襲撃者達が意識を取り戻して騒いでいたことを騎士達が聞き出していたが、幸いな事に救出は巧く行かず、結局騎士達がやって来るに当たって襲撃者達もがっくりと項垂れていた。


「いや、ゴブリン達と一体化しているのなら、首から下はゴブリンとごちゃ混ぜになっているのでは無いのか? 引き抜こうとすると内臓がぶちぶちと千切れる様に思うのだが」


 襲撃者達は私のそんな言葉に面白い程に顔面を白くさせ、それからはすっかりと大人しくなった。

 そんなオブジェを荷車に載せ、見物していた者達など同行者を増やして王都へ戻った時には、もう夕方だ。

 門に在る騎士の詰め所に残された言付けで、何とか王都の拠点を探し当てた時には、もう夜になっていた。


「やっと帰って来たか。どうやら随分な事に巻き込まれたらしいな。無事で良かったが」

「ああ、聞いても何がどうなったのか分からんかったが、結局どういう事なのだ?」


 どうやら待っていたのは息子達もだったらしい。

 すっかり色気付いたのか、格式張った服を着熟す息子達へと口を開く。


「うむ、恐らくは既に聞いているまんまだぞ。現場へと行った騎士達も、話はしていたのに口を開けて呆けておったわ。それより、お前は村での格好を乞食と扱き下ろしていたが、この見窄らしい小屋こそ乞食同然では無いのか?」


 しっかり苦言も忘れない。

 街壁のきわでしかも角に有るこの小屋は、村で言うなら物置同然という物だ。二階建ての一階をそれこそ倉庫にしたならば、何とか二階に五人寝る場所を確保出来る程度。僅かばかりの庭は有るが、壁の際で日の光なぞは当たらない。商業区画とやらの隅に有る事を考えれば、それこそ倉庫として建てられた物なのだろう。

 用意して貰った手前贅沢も言えなければ、息子達にそんな稼ぎも無いだろう事も承知の上だが、幾ら何でもこれは無い。

 だがそれは息子達も分かっていたのか、息子は顔を顰めて腕を組み、甥はがしがしと頭を掻いていた。


「勘弁してくれ。こんな小屋でも王都では月一両銀以上する物件だ。村の野菜ならその内稼げる様になるだろうから、不満が有るならそれから自分達で移ってくれ」

「そうだぜ? 言ってみれば村での格好はこんな襤褸屋よりも酷ぇもんなんだから、もうちっと気を遣ってくれると安心出来るんだがなぁ」


 そう言われると弱い所が有るが、貫頭衣の魅力は楽なだけでは無いのだがなぁ。

 あれは、押し上げられた脇からちらちら見える胸元がどきどきして……と、そう言えば、今の村には年頃の娘は居なかったか? ならば、それを言うのは酷かも知れんな。

 いや、可哀相なことだ。息子達は貫頭衣の魅力の一つを知る事は無いのだろう。


 息子達は私の無事を知ると、そのまま騎士の宿舎とやらへ帰っていった。

 私が居ない間の事を弟たちに聞いてみれば、どうやら試しに村の野菜漬けを売り出してみたらしいが、どうにも売れ行きは良くない様だ。

 まぁ、ちょっと考えてみようか。


 売り歩くのに必要な許可だとかは、商人ギルドで既に貰ってきているとの事だ。野菜漬けを売り歩くだけなら十日で五両鉄。つまり一朱銀で御釣りが来る程度だから、野菜漬けが売れれば直ぐにでも取り返す事が出来るだろう。だが、見向きもされないのではそれも難しい。

 そう思えば、昔冒険者をしていた頃には、小芝居をしながら物売りをしている者達を良く見たな。今にして思えば、あれは客寄せにも良い手だったのだろう。

 ふむ……小芝居と来たら人情物だな。情に訴えて興味を惹く事さえ出来れば……ふむ、ふむふむ……。



 次の日は野菜漬けを売り歩くのでは無く、居住区画に幾つも有る広場の一つに露店を広げる事にした。

 こういった広場は、他にも露店を出す者が多く、良くいちの様になってそれだけ人も集まるのだ。

 そういう事を思い出す度に、冒険者として暮らした日々も無駄では無かったと実感しながら、もう三割程が売れた野菜漬けの甕の山へと視線を向ける。

 中々に好調だ。やはり情に訴えるというのは強いらしい。

 今も娘が新たな客を捕まえたところだ。どれ、私もそろそろ次の客を見繕うか。


「だ、旦那様! お願いしますだ! 私らの村で採れた野菜で作った野菜漬けを見ていっておくんなせぇ! これが全部売れなければ村には帰れないですだ! 決して損はさせないですだよ!」

「ええい、分かった分かった、それで幾らだ?」

「あ、有り難う御座いますだ! へぇ、酢漬けは二朱銀になりますだ」

「おおい偉い強気だな!?」

「へぇ、王都の野菜漬けを試しに食べてみたら、余りにすかすかでしたもんで、強気でも行けると踏んだのですだ」

「く、いいだろう。だが、その言葉に嘘が有ったなら――」

「食べてみれば分かりますだ」

「くぅ~っっっ、それ程言うのならば! ――……ん、んん!? ……おい、店主。そう言えばそちらに分けているのはこれとはまた別なのか?」

「へぇ、こちらは塩漬けですが、昨日が一番美味い日でしてね、食べ頃を逃してしまった物ですんで別けているのですだ」

「む、構わん、幾らだ?」

「へぇ、なら半額にお負けして、一朱銀ですだ」

「買おう」

「へへぇ! 有り難う御座いますだ!!」


 うむ、また売れたな。

 ちょっと口調に田舎者らしさを出してはみたが、やはり村の野菜はいい出来なのだと再確認する。


「ぅう~、お野菜が売れないと、お菓子も服も買えないだよ~! 買ってくんろ~!!」


 娘も中々に楽しんでいる様だと思いながら、夕方まで露店を続け、甕の山も半分程になった頃に広場にやって来たのが息子達だった。


「――旦那様! どうか、どうかお一つ! 決して損はさせませんだ!」

「――ああ~、旦那様が買ってくれたら、お菓子が一つに、服も一着……どうか、買ってくんろ~!!」


 生憎売り込みが佳境に入っていた為に相手は出来ないが、その御蔭でまた野菜漬けが売れた。


「――有り難う御座いますだ!!」

「――有り難う! 有り難う! 旦那様は救いの主だ~!!」


 さて、息子達の相手でもしようかと思ったところ、その息子が詰め寄ってきて胸座むなぐらを掴み上げてきた。

 何やら怒っている様だが、息子は一体何を怒っているのだ?


「こんな詐欺紛いの事をしてどうなるか分かっているのか!」

「む? 何を言っているのだ? 間違った事など何も言っていないでは無いか」

「乞食かと惑わせる物言いをしておきながら!」

「だから、何を言っているのだ? これだけ食べ物に囲まれて乞食も何も無いだろう?」


 その場には私達の小芝居を見物している者達も多く居たのだが、私のその言葉を聞いて、確かに言われてみればと、納得が行った様子ではたと手を打っていた。

 歯噛みする息子が何とも言えず憐れだが、もっと落ち着いて物事を見なければいかんだろう。


「ならば何故あんな憐れを誘う演技をした! 何故またそんな服を着ているんだ!」

「それは物を売るには情に訴えるのが一番だからな。初日と較べて随分と売れたぞ? それにお前が送ってくれた服は、洗濯して干しているところだ。明日はゴブリンの盗賊の件で王城に呼ばれているからな。流石に騎士の前に普段着で行くのは駄目だろうとは、この私でも気に掛ける。蔑ろにしている訳では無い。ナジェクの婆さんなんざ、孫娘の嫁入り道具にすると、しっかり仕舞い込んでいた程だからな!」


 それを聞いて、息子は悲嘆に暮れた表情で私の胸元から手を離すと、頭を抱えて蹲ってしまった。

 甥がその肩に手を置いているが、そちらも何処か呆れ果てた様子である。


「ふむ、分かっておらんな。いいか? 村は森と接して材木には困らんから、家は大きく立派だ。作物も良く育って、何も手を掛けずとも余って腐らせてしまう程だ。即ち良い家に住んで食い物に困らなければ、服なんかに気を遣う必要も無い。これこそが最高の贅沢というものだ。ターフ村こそこの世の楽園だと、いい加減認めた方が楽になれるぞ?」

「それは駄目人間と言うのだ、それが嫌で俺は村を出たのだ!」

「兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃ~ん!! あんまり怒ってると禿げちゃうよ?」

「おま、お前まで、こんな、村に染まって、く、う、うぁああああ!!」


 だから落ち着けというのによく分からん息子だ。

 ……ふむ、いつの頃からか小難しい事を言い出す様になった息子だが、それをこうして遣り込める事が出来るとは、王都というのも面白いかも知れん。

 これはこれからの生活が益々楽しみというものだ。

 明日は明日で王城の見物まで出来るのだ。息子の御蔭で中々楽しくなってきたぞ。

 そうだな、あの襲撃の時にどうやら娘が妙な人影を見たと言っていたから、明日はその事でも話してみよう。

 さて、明日もまたいい一日になりそうだ!



 ~※~※~※~



 夏の余り月には、流石に学院へ戻らなければなるまい。

 そう思いながらも、王都学院長のバザルモンは、次の街へと獣車を進ませていた。


「旦那様ぁ、次はオリクスの街ですなぁ。十年少し前に行った時は、ダゴンの塩焼きが絶品でしたなぁ」

「嗚呼、憶えておるよ。あの時は良い返事を貰えんかったが、今度は良い返事を貰いたいものだ」


 長い付き合いの御者へと応えながら、バザルモンは嘗て出会った若き研究者へと想いを巡らせる。

 嘗て染料の分野で革新的な発表をしたその者は、結局学院の招待に応じる事は無く、郷里の発展へと身を尽くした。

 しかし、十年が過ぎた今ならば、また違った考えを持つ様になっているのでは無いかと期待して、再び足を運んでいる。

 郷里の発展に貢献するのに、何もその土地に居るばかりでは無く、王都での宣伝というのも大きな力を持つものだ。

 王都で宣伝をする傍らでも良い、次代の若者達を育てるのにも協力してくれるなら、それで充分だ。

 ――と、そう期待して。


 バザルモンが、夏の終わりから秋にかけて、学院講師の勧誘の為に各地を巡るのは、ここ暫くの恒例行事となっていた。

 学院の講師の中には、学院長の道楽と見る向きも有ったが、実に講師の質の低下に危機感を覚えての事だった。


(王の治世で世の中が安定しておると、外へ出る事も無いからのぅ。外を知らぬ王都育ちには外の風を当ててやらねば腐ってしまうわ)


 少しばかり嫌な連中の事を思い出し、顔を顰めたところに再び御者からの言葉が飛ぶ。


「それにしても、噂の英雄さんに会いに行けなかったのは残念ですなぁ」

「……うむ。十日の湿地帯を抜けた先で、しかも今は雨期故に行き来も難しいと言われてはな。何れ王都に来た時には挨拶くらいはしたいものだが」

「ははは、心配要りませんよ。論文なんかも出しているお方なんでしょう? 旦那様が挨拶に伺うのを嫌がられるとはとてもとても……」

「ならば良いがのぉ」


 御者にはそう答えながらも、幾分気持ちも向上して、バザルモンはまだ見ぬ英雄に期待を寄せるのだった。


 まだ夏も半ばの事である。



 ~※~※~※~



 夏の余り月には作業場の準備が出来るから、剣を打つのはその後ですねと言われながらも、最近はさながら日課の様に通っているなと私は苦笑する。単純に剣を発注すれば手に入ると思った物が、随分と手間が掛かるものだと。

 それを陛下に話してみれば呆れた目で見られてしまったが、しかし私にとって剣はその様な消耗品だった。

 いや、恐らく特級に到った騎士の多くも、同じ事を感じているに違いない。

 普段遣いには加減をしなくてはならず、いざと言う時に全力を込めれば壊れるのだから、何をか言わんやというものだ。

 だからこそ、ラゼリアバラムの剣であろうと消耗品との思いには変わらず、それが当然とも思っていたのだが……。


「へたっぴですね」


 遠慮会釈も容赦も無く、率直に扱き下ろしてきたのが件の鍛冶師――いや、守護者殺しの英雄でもあり、王都に幻の大猪鹿を齎した狩人であり、自らの研究所を持つ研究者でもあるディジーリアだった。


 余り月が近付いて来たから、そろそろ剣の形を決めましょうと言ってきた場で、私の剣を見ての一言だ。ラゼリアバラムの剣を見ての言葉だから、鍛冶師の腕を言ってるのかと思ったが、どうやら私の剣の腕前を言っている様だ。


「木剣とは思えないいい剣ですけど、使い方がなっていないので、色々とひずんでいますね。気も魔力もろくに通さずに使ってるのでは無いですかね。私もデリラで守護者を斃した時にはそれ程分かっていた訳では有りませんけど、こういうのは『気刃』とか『魔刃』を刃に纏わせて斬るものですよ? ……私が打った剣を大事に扱ってくれなさそうな人に、剣を打つのは嫌ですねぇ」


 全く以て言葉が出ない。己の未熟ばかりとは言えない事情は有るが、実力を出せないのを剣の所為にしてきた事をも見透かされた様で、赤面した顔を思わず片手で覆ってしまった。


「容赦が無いよ~」

「もう! 私の打った剣をお任せするのですから、厳しく見るのは当然です。直ぐに剣を壊すへたっぴのままなら、直ぐには壊れない大剣とかにするしか有りませんので、自分の好みで剣を選びたいなら、ちゃんと腕を磨いて下さいね」


 至極当然の物言いに思わずテーブルに平伏したくなるが、片手を目隠しされた箱に入れて魔力を注いでいる状況でそれをすれば、更なる叱責が飛んでくるに違い無い。

 成り立てのランクAだと思ったら、実は更に格上のランクBで、特級の武具を造る鍛冶師でもある。可愛らしい見た目が大いに理解を邪魔するが、厳めしい親父が喋っていると思えば納得せざるを得ない言葉の数々だ。


(暫くは鍛錬に打ち込むか……)


 ここ暫く研究所や学院の不祥事絡みで事務仕事ばかりに忙殺されていたが、蔵守の役割の殆どは荒事だ。後少しすればそれらの事務仕事も落ち着くだろうからと、私は自らの鍛え直しを決意したのである。


 そんな事も有って、初めは手間だと思っていた毎日の会合が、実はそれなりに有意義だった事が分かると、通う事も楽しくなってくる。そんな様子を家族には訝しまれたが、事は剣の話だけでは無かったのだから、欠かす事などは出来ないのだ。


 例えば研究所の捜査に乗り込んだあの日、既に研究所は混乱に陥っていた。地方から提出された研究論文が、王都研究所の大御所の説を真っ向否定していて、激昂した大御所やその対応をする研究所員達が走り回る状況だったのだ。

 怒号が飛び交う会議室で、提出された論文を黙殺する様に圧力を掛けている場面に私達が現れたのだから、証拠充分な現行犯であり、盗賊への技術供与、地方での王都研究所員の不祥事含めて、その後の捜査がさくさくと進んだ。

 その時は気が付かなかったが、彼らを混乱させたその論文もまた、ディジーリアに依る物だったのである。


 まぁ、彼らの混乱も分からないでも無い。物は不老長寿に関わる内容だ。恐らく大御所の研究には各方面からの多大な援助が有ったのだろうから、今更否定されては立ち行かないのだろう。尤もそれで他者の研究を打ち捨てさせるのは言語道断ではあるが。


 また、その研究に関連して、毒煙患者の治療に関する研究報告書が送られてきた。ディジーリアの研究所が薬を作り、デリリア領の研究所が患者を用いた実証試験を実施している。既に治療に成功し、多くの患者が快方へと向かっているというのは喜ばしいが、これも大騒ぎになる案件だ。


 そちらに関しては王城と連携を取って対応する事とし、この会合がディジーリアとの遣り取りの窓口となっているが、どうやら意図せずとも騒動を巻き起こさずには居られない人物の様だとディジーリアの評を改める。


 それから後も余り月の間だけで、学院の元事務局長がディジーリアが建てた拠点に火付けに現れたり、その拠点がそもそも目が飛び出る様な高額素材の塊で扱いに困るとの訴えが有ったりと、私に言うものでも無い事柄も含まれているが話題には事欠かない。

 そしてその騒動は、ディジーリアの評価を下げる物では無く、寧ろ押し上げる物だった故に、そんな騒ぎが起こる度に、出来上がる剣への期待も弥増していく。


 さて、今日はどんな話が飛び出してくるのだろうか。

 粘土の様な黒い塊で剣の形も決めれば、粗く造られた鉄の塊でその振り具合も確かめた。

 監察の引き継ぎも殆ど終わっている。

 うきうきとした気分で会合へと向かう私は、そんな私を見る視線に、最後まで気付く事が出来無かったのである。



 ~※~※~※~



 ――夏の余り月には、もう旅の準備も始められるね!


 そんな私の言葉に返ってきたのは、「……疲れているんだ。リカももういい歳なのだから、何時までも夢見るような事を言っていてはいけないよ」なんて、信じたくない言葉だった。



 私が育ったアセイモス・キャラバンで、私は誰よりも歳下だったから、誰もが私を可愛がって、私は伸び伸びと暮らしていたんだよ。

 でも、そんな生活にも唯一と言っていい不満は有って、キャラバンだから長くても数ヶ月程度で次の街へと移動してしまうのを、いつも不満に思ってた。

 街で仲の良い友達が出来ても、満足する前に必ずお別れが来てしまうから。

 またねと言って手を振っても、次はいつ会えるかも分からないから。

 手紙を出せても返事を貰う事は出来なくて、何時の間にかもう出さなくなっちゃった。

 大人しか居ない家族は、皆曖昧に笑うばかりだったけど、それが少し淋しげに見えたから、私もキャラバンだから仕方が無いと諦める様になっていったんだ。


 でもね、何年も掛けて大陸の各地を巡っていたら、いつか来た街にもその内また来る事になるんだよ。


『私、あなたのお母さんと、昔お友達でしたのよ?』


 嘗ての友達にそんな事を言われて、私は上手く笑う事が出来なかった。

 キャラバンを率いる長老の祖父が、街を巡りながらも長居をしないのも、何でかちょっと分かっちゃったんだ。


『何、しょぼくれた顔でいじけてやがんだ。――ったく、爺ぃの趣味に毒されんなよ!』


 そんな言葉で私をキャラバンから引っ張り出したのは、いつもキャラバンとは別行動をしていたライガンロア――リガ兄だった。


『彼奴らも何をしてんだか……。三十も過ぎてまだ子供気分ってのは、竜族にしても箱入り過ぎらぁ。そんなんじゃ、いい女になんてなれねぇぜ?』


 リガ兄にとって、キャラバンは歳を取った祖父が想い出の場所を巡るだけの陰気な趣味であり、それに付き従う私達はただ親離れが出来ていないだけだった。

 キャラバンを離れていつも皆を心配させている不良なリガ兄が、実はそんな誰よりも大人だったのかも知れないと初めて気が付いて、私は少し混乱したんだ。

 でも、そんなリガ兄に連れられて、キャラバンのルートを外れて色々な街を巡る内に、私にもリガ兄の言葉がすんなり受け入れられる様になっていったんだよ。


『で、次は何処に行きたいんだ? ま、何とかランクも八に成ったんだ。もう、俺に頼らずともお好きに何処でも行っていいんだぜ?』

『ランク八に成ると何かいい事が有るの?』

『ああ。最近ラゼリア王国が始めた冒険者制度の御蔭で、ランク八以上なら関所で止められる事も無いのさ。許可を得れば国境だって越えられる。通行税やらは課せられるがな。流石に山脈の東まではその威光も届かないが、便利な世の中になったもんだぜ』

『へぇ~』


 竜族と言っても、特に体が強い訳でも無ければ、魔力の扱いが巧い訳じゃ無い。他の一族よりも何倍も寿命が長いというだけだ。尤も、鍛えれば何処までも強くなるとも聞くけれど。

 キャラバンなんてしていても、移動は獣車だから、キャラバンのメンバーの強さなんて、町の住人とそれ程変わらない。当然旅をするには関所だって越えて来ているのだけど、それもリガ兄と一緒だから越えさせてくれただけだ。それが一人でも関所を越えられると聞いて私は感嘆の声を上げたんだ。

 だって、それは本当に、自由に旅が出来るっていう事なんだから。


 リガ兄と二人きりで獣車にも乗らずに旅をするのだから、今迄皆で手分けをしていた事も自分でしなければならないし、獣車が無い中での野宿だって何回もした。狩りもしたし、鍛錬だと戦い方も教わった。その集大成がそんなご褒美だと言われて、とても嬉しくなったんだよ。


『俺ももう少し早く生まれていれば、ここの美人さん達を拝む事も出来たんだろうがな』

『……長老は、そういうのがしんどくなっちゃったの?』

『だから言ってるだろ? あれは爺ぃの趣味だってな。誰も付いて来ないなら来ないで、一人で旅を続けるんだろうが、何でまたあんな爺ぃにぞろぞろ付いて行くんだか』

『リガ兄はどうしてキャラバンを離れられたの?』

『ああ? ……ふん、俺は孤高のローンブルだからよぉ。ま、今は子連れだけどな!』

『むぅ~! 妹だよ~!』


 結局の所、今迄見た事も無い景色を見に行きたいと強請ねだった私に、それならとリガ兄が連れてきたのが、この水と山で囲まれた秘境だった。

 水に浮かせた丸太の橋を渡って、何日かの水郷の旅を楽しんだ後に、其処を抜けて一日掛けて着いた街。私が初めて見たその新しい街デリラは、これまで私が見てきたどの街よりもお洒落で整然としていたんだよ。


『おう、俺は折角だからこの近くの森で冒険者してくるわ。俺ともそろそろお別れだ。リャンもどうしたいのか留守番の間に決めておけ。爺ぃの所に戻るなら、それはそれで送り届けてやるからよ』


 そんな言葉を言って出掛けるリガ兄を見送って、私はデリラの街を散策したんだ。

 表通りは整然と並んだお店が、見て回るだけでも目に楽しい。

 裏に回ると其処でも八百屋が声を張り上げていたりして賑やかだ。

 もっと裏に回ると学園が有ったり、牧場が有ったり。

 更に町の後ろまで回ると、巨大な水車が水飛沫を上げながら回っていて、不思議で涼やかな世界が広がっていたんだ。


 私はすっかりこの街が気に入って、リガ兄が泊まり掛けで冒険者をしている間は街の色んな場所を出歩いていたんだ。

 もしかしたら、リガ兄がそんな何日も冒険者をしていたのは、私を独り立ちさせる為の切っ掛けにしようとしていたのかも知れないけどね。

 そして、その日もお気に入りの街壁の上で回る水車を眺めていた時に、私はその男の子と出会ったんだよ。


『ここ数日よく見掛けるな。見回りは怠っていないが、粗暴な冒険者も多い街だ。女の子が一人で出歩くものでは無いぞ。それに、壁のそんな端に座って落ちたらどうするんだ』


 壁の上を時々巡回しているのは街を護る騎士だと街の人から聞いていたけれど、革鎧の男の子はとてもそんな風には見えなくて、何だかとっても可愛かったんだよ。

 でも、そんな子に女の子と言われるのも本意じゃ無いから、ちょっと窘めてみたんだけど――


『可愛い男の子が心配なんて要らないよ?』


 そんな私の言葉にも、ふっと笑って取り合わないのが、ディルバとの最初の出会いだったんだ。

 だってね、やっぱり三十二歳に成っていたからって、自分で小母さんなんて言いたくなかったんだよ。


 それからも街の散策を楽しむ日々だったけど、宿の料金は既にリガ兄が一月分食事付きで払っていたから良いとしても、それだけだと何もお買い物出来ないから、お小遣い稼ぎをする事にしたんだ。

 多分、これもリガ兄の策略なんだと思ったけど、そういう新しい事をするのは楽しくて、まんまと思惑通りに楽しい毎日を過ごしたんだよ。

 多分リガ兄は、三十日のぎりぎりになるまで帰って来ないだろうからと、何故だかそう直感したから、私がしたい事を私が決める毎日を少しずつ楽しんでいく事が出来たんだね。


 やっぱり楽しいお仕事がいいなと思いながら、リガ兄の真似をして訪れた冒険者協会で見付けたのが、蜂蜜の採取。これが私の初めてのお仕事だったんだよ。


 最初の日は、森の花畑の黄蜂が蜂蜜をくれるという言葉を頼りに、採取用の瓶を持って黄蜂の前で粘っていたら、仕方が無いと言う様に本のちょっぴりだけ蜂蜜をくれたんだけど……全然貰えなかったと冒険者協会の窓口で言ってみたら、花畑の世話の対価として貰う物だから、世話をしたと認めて貰えなかったのだろうなと言われて、目が醒めたんだ。

 私は花畑の世話をしていない。

 ううん、リガ兄へのお手伝いもリガ兄が私にしてくれた事に対して全然足りていないし、キャラバンでもそんなに役に立っていた様に思えない。

 これじゃあ、扱いされても仕方無かったんだ、て。


 黄蜂からは他の事も教わったよ。

 花畑の世話をすると言っても、何をすればいいのか分からなかったけれど、花畑に居た皆は雑草を抜いたりはしても、世話だというのに水遣りもしていなかった。

 だから森の大きな葉っぱを上手く畳んで如雨露にして、小川の水を撒いてみたんだけど、腰を屈めて雑草を抜くよりずっと楽なのに、較べられない程に大量の蜂蜜を貰ったんだよ。

 お手伝いは“自分に出来る事をする”だけでは無くて、“相手の求める事をする”必要が有るんだと、黄蜂達から私は教わったんだ。


 それで手に入れた蜂蜜は、私のおやつとお小遣いに化けて、街を散策しながら時々蜂蜜を採りに行く生活が安定した頃に、リガ兄が帰ってきたんだよ。


『で、どうするんだ?』

『ん! この街が気に入ったから、暫くはこの街で暮らす事にするよ!』


 端的に聞いてきたリガ兄に、決めていた答えを返したら、リガ兄は「そうか」と言って私の頭を撫でてから、「頑張れよ」と呆気なく、次の旅に出てしまったんだ。


 リガ兄が居なくなって、もう家族が何処に居るのか私では分からなくなると、思っていた以上に胸の中を風が吹き過ぎていく様な淋しさを感じたけれど、昔出来なかった街での生活を堪能しようと、生活費は蜂蜜に頼りながら街で数年暮らしたんだ。

 宿も月極めの安い所に移ったから、数日に一度蜂蜜を貰いに行けば、充分優雅な生活を送る事が出来たけどね。でも周りを見れば、毎日疲れ切っての生活をしている人も居たから、こんなに楽をしていていいのかと思った事も有るかな。


 そんな風に楽しみながらもふらふらしていたけれど、それだって仕方が無い事だと思うんだよ。

 だって子供の頃の様に皆に交ざって遊ぼうと思っても、三十を過ぎてしまうともう公園で遊んでいたりしないんだから。

 一日で仲良くなったりなんて出来なくて、毎日の挨拶やお喋りで、少しずつ仲良くなるしか無かったんだ。


 でも、そんな日々の中で、一番良く私に話し掛けてきたのが、あの男の子のディルバだった。

 私もお喋りは楽しかったから、いつしかリガ兄に置いて行かれた事だとか、自由に世界を旅したいと思っていた事だとかを伝えると、ディルバは私の手を取って、真剣な眼差しで私に告げたんだ。


『俺も広い世界が見たくて村を飛び出して騎士に成った。今はまだ力が無くて無理だが、いつか絶対に俺がリカを世界に連れ出してやる。だから、リカには俺と一緒に居て欲しい。俺に付いて来てくれないか』


 突然慣れない王国式の呼ばれ方をされたのには吃驚したけれど、年下の男の子のそんな告白を聞かされて、私も思わず胸がきゅんとしてしまったんだよ。


 そして、殆どその時の言葉が決め手になって、私はディルバと一緒になる事になったんだ。

 ディオールが産まれて、デュルカが産まれて、蜂蜜を採りには行かなくなったけれど毎日が楽しかった。

 ディジーリアが産まれて、まだ小さな兄に付いて行こうとするのが、堪らなく愛おしかった。

 少しだけディジーリアに対するディルバの振る舞いが気になったりもしたけれど、キャラバンに居た時の私の扱いと同じ様な物と思えば理解が出来たし、何よりディジーリアが助けを求めず自分で何とかしようとしているのだから、手を出したくても見守るのが正しい手助けの仕方なのだと思っていた。

 それに、こうして護りながら育てていくのが、街の遣り方なのだろうと思ったから。キャラバンの遣り方だと、友達を作れない事は知っていたから。


 何よりディルバはその内私と旅に出るのだから、今だけの事なのだから。

 一緒に世界を見て回ろうと、そう約束してくれたのだから。



 そう信じていたのに、今、私の前で寝室へと向かうディルバが、溜め息を吐きながら言ってしまう。


「昔から夢見がちなところが有ったが、もう子供では無いのだ。もっと地に足を付けなければ駄目だろう?」


 そんな言葉を言ってしまう。

 絶対に連れてってくれると言ってくれたその口で。

 ディオールとデュルカが産まれた時には、子供が小さい内に連れ回るのは可哀相だと言われて納得した。

 ディジーリアも大きくなってきた頃に、それは私とディルバの約束なのだから、子供達が独り立ちをしたら二人きりで行くものだと言われて得心した。

 でも、そのどれもが全部嘘。


「嘘だったんだ。全部全部嘘だったんだ。――嘘吐きっ!!」


 私の目の前で崩れていく。

 私の信じていた家族の姿が壊れていく。

 どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう?

 私は何を信じたらいいんだろう。

 でも、もう、今迄信じてきた事は、きっともう、信じられなくなってしまったんだ。

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