(44)お婆様がやって来ました。

 褒賞にお願いした南地区の土地の取得は、思っていたよりもあっさりと終わりました。

 領城で希望の土地を示した後は、名義替えの確認をして、サインをすれば終わりです。

 本当は税金や何かのややこしい話も有るみたいですけれど、私に限っては免除です。

 実際にその土地まで文官さんとやって来て、最終確認もしたのですけれど、多分あの文官さんには私があの辺りをねぐらにしていた事もばれてしまっていますね。こっそり壁の中まで私の持ち物としたのも有りますが、隅の薬草畑を呆れた顔で見られてしまっていましたよ?

 そこは私のトイレでも有るので、じっと見られるのは色んな意味で恥ずかしいです。


 ですけど、これで此処は私の土地になりました。

 これから冒険者としてやっていくのに、秘密基地の前が私の土地では無いという、一番の懸念が晴れました。

 拠点が決まらなければ、街から遠く離れる依頼なんて受けられませんけど、これで拠点の場所も確保出来たのです。

 後はおうちを建てるだけ。

 そうと決まれば、突撃、棟梁さんちのお昼御飯です! とは言っても、私のお昼ご飯は屋台で見繕っていくのですけれどね!



「御免下さーい!」


 棟梁のおうちは、街の北西部、農園地区に程近い場所に在りました。砦や街壁は石造りですけれど、住人の家は殆ど木造で、その中でも流石棟梁といった趣の大きな家です。

 実を言うと、ここから農園までの三軒程も棟梁の関係の家になります。更に言うなら、小路を跨いで農園側に建つ大きな倉庫もです。

 棟梁は、デリラの街どころかデリリア領でも上位に並び立つ、一流の大工さんなのです。

 そんな家の門の前で声を掛けて、そのまま門を潜ったのでした。


「おぅ、なんでぇ!? んあ? 嬢ちゃんかい。祭りの日に主役がこんな所で何してやがる」


 案の定、広い庭を前に軒先に腰掛けた棟梁が、水煙筒すいえんとうくゆらせながら、無聊ぶりょうかこっていました。

 祭りの日に、若い職人が仕事をしている筈が有りません。こんな時に街で建築の仕事も有りませんし、実際残って立ち会いする家人も居ないでしょう。まぁ、劇を演じた舞台やなんかは棟梁達の仕事なのでしょうけれど、準備が終われば然う然う出番も無いものです。

 そうとなれば、棟梁は「若い奴らは若い奴ら同士で楽しめや」なんて言う人ですから、まぁ、残っているんじゃないかと思ったのです。


 因みに水煙筒は、パイプの片側を受け皿の様に大きく広げて上向きに歪ませ、其処に細かく砕いた癒しの魔石を詰めた物です。受け皿に魔力を込めて癒しの魔石を崩しながら、パイプの逆側の吸い口から吸い上げる嗜好品で、まぁ、癒しの魔石なんて物が貴重品も貴重品なものですから、結構な贅沢品でも有ります。

 それもそうですね。魔術で編み上げての効果ならいざ知らず、魔力だけで癒しの力を持つなんて、しかもそんな魔力が魔石化した物だなんて、どれだけ稀少か分かりません。……その魔力さえ見付けられれば、魔石化してしまえそうな私が言うのも何ですけれど。

 湯気の様な癒しの魔力の成れの果てを口から吐き出す様子から、水煙筒と呼ばれる様になりました。元は医療器具ですね。癒しの魔石に手が出せなくて、在り来たりの魔石を吸う毒煙筒吸いなんて言うのも世の中には居ますが、流石の棟梁、紛い物なんかには手出ししません。目にも涼やかな癒しの魔力が辺りに漂っていました。


「祭りは堪能しましたよ?

 そんな事より、棟梁さんに相談なのですよ!」


 他に人の気配の無い棟梁のおうちは静かな雰囲気ですけれど、棟梁と話す時には元気良く、なのですと、今日の目的を告げました。普通に喋っても駄目で、少し叫ぶ位でないと、「はっきりしやがれ!」と罵声が飛びますからね。


 そして話した訪問の目的。自分の家を建てる為の土地を手に入れたので、見て貰いたいのですと言うと、軽く「いいぜ」と返されました。

 元々「家を建てる事になったら、その時は俺が見てやらぁ」と言っていたのは棟梁でしたから、ここで駄目だと言われても当てが外れて困ってしまうところなのですが、それにしても軽く返されましたね?


「んじゃ、行こけ?」


 返事どころか腰まで軽いです。

 ですが其処で立ち上がろうとして思い留まった棟梁。私からは棟梁の体の陰になる場所へと手を伸ばし、


「おお、そうだそうだ忘れていたぜ。――ごっそさん!」


 空の酒瓶を振って、ニカリと渋く笑みを浮かべたのでした。



 石のアーチを潜り抜けた其処で、軽く玄能で肩を叩きながら、棟梁が辺りを見渡します。


「ほぉ~~、ここけ? 何でまたこんな半端な土地にしたんでぇ?」


 まぁ、言われてしまうのも仕方が無いかも知れません。

 区画調整の末に余った様な土地ですので、広さはそこそこ有ったとしても、形は細長くいびつで、家を建てるには向きません。地面も丘の斜面の儘で均されていないので、地均しから必要なのです。それに真ん中に生えた大きな木。私は残すつもりですけど、家が欲しいだけの人には只邪魔なだけの物でしょう。

 でも、だからこそ趣が有るというものです。


「冒険者協会とも、コルリスの酒場とも、南門とも近くて、職人街も直ぐ其処です。更に壁を乗り越えれば北地区からもそれ程離れていませんし、袋小路の先ですから訪ねてくる人も居ません。私一人で暮らす分には理想的ですね!」

「ほぉ~、そうけ?」


 そんな事を話しながらも足を進め、真ん中の木の下へ。


「この木は残します。入口のアーチに扉を付けてそのまま門にして、入った直ぐは伸し掛かる様な威圧感の有る張りぼてです。奥側には作業場と倉庫を建てて、渡り廊下で結ぶのです。木の周りを囲う壁に吊り寝床か寝網ハンモックを吊れる様にして、お客さんには其処で寝て貰う事にします。隅っこには畑も作って、色々育ててみたいのですよ!」


 棟梁は、張りぼての段ではへにゃりと表情を崩しましたが、その後はふんふんと辺りを見回しながら耳を傾けていました。

 威圧感の有る張りぼては重要なんですよ? 門を重厚に仕上げてしまえばそんな心配も無くなるかも知れませんが、泥棒が怖れて近付かない様な、そんな素敵な玄関にしたいものです。玄関までの隙間には、黒毛虫の像で威嚇するのもいいかも知れません。子供なら、泣いてしまうくらいのがいいですよね!

 それも、周りの壁の上から見れば一目瞭然になってしまいますので、結局は防犯用に今一番の短剣を打つのが一番なのかも知れませんけれど。防犯短剣一本置いておけば泥棒を防げるなんて、何を言っているのかと自分でも思わないでも有りませんが、今ならそれで何とか成ってしまう様に思うのです。


 それにしても、こんな気の抜けた様子の棟梁も珍しいです。

 む、気の抜けた、と感じると言うことは、前々からやはり“気”を感じていたのでしょうかね?

 ……まぁ、別に“気”を感じられなくても、気を張った感じは見た目で分からないでもないですけれど。

 それにしても、麗らかな日のお散歩といった風情の棟梁です。何だかんだ言ってもお祭りの日ですから、棟梁もお祭り気分なのかも知れません。


 その棟梁が、真ん中の木に手を添えたと思ったら、するりと木の上へと登って行ってしまいました。上に有る木のうろを覗き込んで、小さく「違うか」と呟いて降りてきます。

 何が違うのかと私も登って覗き込んでみましたら、其処に有ったのはサシャ草で作られた鳥の寝床。でも、暫く使われた形跡は有りませ――んんっ!? 違います。これは毛虫ぐるみですよ!?

 私が毛虫ぐるみを作っていた頃、戯れに一匹だけ仕込んだ毛虫ぐるみが今も其処に居たのです。

 その証拠に、ほら、持ち上げてみると威嚇する様に牙を剥いた口が!

 ……秘密基地の中とは違って、木の虚の中だと一月程度でここまで萎びてしまう物なのですね。

 今はどう見ても鳥の巣ですけど、自分でも忘れてしまっていた嘗ての実験の結果に満足しながら木を降りました。

 棟梁は、石壁を玄能で小突きながら、奥へと向かって歩いています。

 奥の菜園の前で立ち止まると、


「やっぱ、ここだろぉ?」


 と顎を撫でながら考え込んでいます。

 それで分かりました。棟梁が気もそぞろなのは、私の秘密基地を探しているからの様です。

 それはいいとして、菜園の横をトイレにするのは止めた方が良かったですかね? 男の棟梁に眺められると、尚更恥ずかしいのですよ!?


 そんな棟梁と一緒に私の物となった空き地の中をうろうろうろ。最後には、私の秘密基地が見上げられる場所に辿り着いてしまいました。見れば棟梁から買い取った丈夫な棒が壁から突き出ているのですから、棟梁ならば一目瞭然なのです。


「あれだろ?」

「……そうですね?」


 見付けられてしまっては仕方が有りませんが、何も聞かずに秘密基地まで壁を攀じ上ろうとしないで欲しいものです。

 私は壁を伝って先回り。壁に突き出た棒にぶら下がって待っていただけなのに、「吃驚させんじゃねぇ!?」と怒られるのは理不尽です。


「さぁて、お宅拝見、とくらぁ。――……んん? おぅ、鍵だ」

「むぅ……秘密基地なんですよ?」

「俺に見つかってんだ。俺にゃあ秘密じゃねぇな。んなこたより、建てるのはどうせ自分でやっちまうんだろ? 俺にゃあ任せて大丈夫か確かめる義務ってもんがあらぁな」

「もう……はい、開けましたよ?」

「んん?」


 凹み奥の黒い扉を前に、鍵を寄越せと手を延ばす棟梁ですが、その鍵穴は既に鍵穴では有りません。ダミーの鍵穴を余所に、内側に伸ばした魔力で頑丈なかんぬきを外します。

 鍵穴を残した方が防犯上いいのか、鍵穴を埋めてしまった方が泥棒も諦めが付くのか、どちらがいいのか分かりませんが、元より鍵が無いなら侵入は不可能です。後は扉その物を壊されない様に強化するのと、同じく魔力の技を持つ相手を想定して閂もパズルに組むのがいいかも知れません。


「うぉ!? なんでぇ!?」


 まぁ、それも防犯短剣が有れば心配無いかも知れませんけれどね。


「お客さんですよ?」


 私がそう声を掛けると、部屋を満たしていた剥ぎ取りナイフの『威圧』が消えました。


「おおっ??」


 毛虫殺しは今も身動き出来ないのに、同じ成り立ちで作られた剥ぎ取りナイフを遠隔操作するなんて技を見出しました。と言ってもこの剥ぎ取りナイフ、一度毛虫殺しと一緒に鍛え直して、試しにその一部を用いて打った仮の作品なんですけどね。それでちょっと思うところが有って、毛虫殺しの鍛え直しは停止中なのですよ。

 毛虫殺しも今は赤味掛かった棒ですのに、既に進化の兆しを見せて、私自身も楽しみで且つ気が引き締まる思いがしているのですが、何ともまぁもどかしいものです。

 それもこれもそれだけの力を秘めた毛虫殺しを仕上げる為ですから、仕方の無い事では有りますが。私自身も数段上の鍛冶仕事を成し遂げなければなりませんので、何とも厳しい毛虫殺しなのですよ。


 そんな毛虫殺し、私が居る事には当然気が付いていますから、ナイフを通じた今の『威圧』は棟梁に釘を刺したというところでしょうか。

 棟梁も、ちょっと悪乗りしていた空気を収めたので、ここは毛虫殺しの気遣いに助けられたというものですね。


 それで気不味そうに頭を掻く棟梁が、それでも秘密基地の中を見回して、はてと首を傾げました。


「買ってった板っ切れは何処でぇ?」


 まぁ、入った直ぐの作業場は、綺麗に掃除していますけれど、光石以外は内装に手を出していないので、以前買った板を何処へやったかと疑問に思うのは当然です。

 寝室へ案内する事に思うところは有りましたが、そこはそれと諦めて、石壁に偽装した扉を開けて、奥の部屋へと棟梁を案内しました。

 天井の光石に光を灯せば、付いて来た棟梁が感心した声を上げました。


「しっかりした部屋になってるじゃねぇか」

「そりゃあ、私の秘密基地ですから」

仮漆ワニスは使わんのけ? 虫が出んぞ?」

「迷いましたけれど、寝室に匂いが籠もるのが嫌だったのですよ」


 それでもせめて燻すなりはした方がいいと助言をくれたり、実際に物を見てからの棟梁は木工加工の専門家として、色々と指導してくれたのでした。


「ま、魔の森の木に歯が立つのは魔の森の虫くれぇだから、そのままでいいっちゃいいがよ」

「三倍は硬いですからねぇ?」

「取り敢えず大体は分かった。仕事は丁寧でしっかり磨き込んどる。何か始める時には呼んでくれや」

「はい! ――お幾らですか?」

「……んあー、相談事だけで英雄様からお代は取れんぜぇ?」

「お仕事にして欲しいので、ちゃんと払いますよ? お幾らです?」

「…………今後の相談事も引っくるめて、百両金が相場かねぇ?」

「百両金ですね! 次までに用意しておきますよ!」

「おう。んじゃぁ、次までにまずはしっかり図面か模型を起こせや。細けぇ話はそっからだなぁ」

「はい! 今日はありがとうございました!」


 そんな会話をして真ん中の木の下から棟梁を見送る私でしたが、その棟梁が入口のアーチで足を止めました。こちらを振り返ってはまた目を戻し、何でしょうと思っているとやって来た誰かと一言二言話してから、こちらへ手を振って去って行きます。


 誰ですかね? こんな所にお客様でしょうか?


 そう思っていると、陰になっていた人影が姿を現して――

 私はばびゅんと飛び出しました!


「母様ぁ!!」


 やって来たのは母様です。どうしてここが分かったのでしょう?

 首筋に飛び付いてしがみつくと、優しく抱き締められました。


「あらあら、まぁまぁ♪」


 ふわふわの母様をずっと堪能していたいところでしたが、そういう訳にも行かないでしょう。


「母様、こんな所にどうしたのです?」


 そう問い掛ける私に、母様は少し体をずらして、もう一人に意識を向ける様促しました。


「久し振りだね。私が分かるかい?」


 そこに居たのは、父方の祖母、クリセルカお婆様でした。

 デリラの街からそこそこ離れた小さな村に暮らしていますけれど、その独特な配色と卓越したセンスで作られた衣類は、領を越えての人気が有るとも聞いています。

 今もお婆様の周りだけ虹が落ちてきている様ですが、それがとても格好いいのは、ただ真似をする輩には出せない味というものでしょうか。

 私が生まれる前に亡くなっているお爺様が猟師だった事も有って、昔はお婆様も皮革も扱っていた様ですけれど、今は服飾一筋だとか。それでも昔お婆様がいらした時に、革の扱いや裁縫等を教わって、きっとお婆様が居なければ、黒革鎧も黒革ブーツも鉄布の胴衣も生まれてはいなかったでしょう。

 お婆様は、偉大なるお師匠様なのです。


 そんなお婆様に抱き付く為に、宙に足を引っ掛けてそのままお婆様へと手を伸ばしましたら、きっと傍目からはおかしな動きをしていたのでしょう。お婆様は「おおお?」と目を白黒させていましたけれど、結局は優しく抱き止めて下さいました。


「お婆様!」

「おや? 憶えていたかい。元気な様だね。うちの馬鹿息子が酷い事をしてたんだってね。済まないね」


 そこで私はぴくりと動きを止めました。


 ――お婆様、あなたもですか?


 ちょっとそういう事を言いたくなったのです。


 それはそもそも私が、お祭りの日にここに居る事に通じるのですが、言ってみれば領主様による父様の所業の暴露が、悪い方向に働いたのです。

 会う人会う人、知っている人も知らない人も皆して、「大変だったねぇ」と声を掛けてくるのです。

 初日や次の日はまだ話も広まっていなかったのでしょうけれど、今となっては屋台の人にまで憐れまれてしまいます。

 冒険者なら竜毛虫の討伐で盛り上がるのでしょうけれど、街の人なら義理人情。領主様が口を滑らした時点で、この流れは避けられないものだったのかも知れませんけれど、終わった事でいつまでも可愛そうな子扱いされるのは心外です。


 そんな気持ちが表情にも表れてしまっていたのでしょう。


「どうしたね? 言いたい事が有れば言ってごらんよ?」


 問い掛けてくるお婆様に、そんな気持ちを訴えたら、お婆様がわたわたと慌ててしまいました。


「違うよ! 違うからね!? 私はルバの母親! 当事者なんだからね!」

「でも、もう終わったことです……父様との事も決着しているのですよ……?」

「私がルバを育てたんだから、私にも責任が有る事で、遅くなったけれど謝るのは当然なんだよ!? それに、何が決着したって!?」

「冒険者嫌いの父様とは一緒に暮らせない事が分かりましたので、家を出て独り立ちしました。解決です」

「ああ、もう!? それは解決なんかじゃ――……嗚呼……それがキャラバン流っていう事なんだね。あの子も本当に馬鹿な事をしたもんだよ」


 言葉の途中で母様に目を向けたお婆様が、母様がにこにことしているのを見て、肩を落としました。

 キャラバン流も何も、至極当然に思えるのですけど、何に引っ掛かったというのでしょう?

 それよりも、お婆様がやって来るなんて、こんな機会を逃す事は出来ません。

 そう勢い込んで黒革鎧や鉄布の胴衣を見て貰おうとした流れで、私達は新しく私の物となったその土地で、一時のピクニックと洒落込む事にしたのです。

 それもこの場所が、隅の菜園を除いては、まだ一切手の入れられていない場所だから出来る事かも知れません。

 草で覆われ春の花々が咲き誇り、跳ねる虫に舞い踊る蝶達。

 秘密基地に隠れている時は出来る筈が無くて、今となっては家を建てるまでの僅かな間の贅沢です。

 まぁ、家を建てた後も真ん中の木は残しますし、菜園も広げて畑にする予定ですので、全く緑が無い訳では有りませんけれど、ここまでのんびり出来る空間では無くなってしまうでしょうね。

 それを考えるなら、建てた家にものんびり出来る空間が欲しいところです。

 造るなら、屋根の上? でしょうか。これは模型を作って棟梁と相談ですかね?


「ふぅん? 上手く黒岩豚を使っている様だけど、ちょっと糸が強すぎだね? この辺りは革が負けて傷が付いてるね」

「でも、黒岩豚ですよ?」

「そりゃ、岩皮部分は硬いけど、地の皮は寧ろ軟らかいんだよ。だから、糸はこれぐらいで、こうして……こう。革は補強の善し悪しが出来を左右するからね、この辺りとここは補強した方がいいね。編み目も擦れる場所は隠した方がいいけどね、下手な隠し方じゃ余計に擦り切れたりもするし、革に溝を作って埋めるのも革を弱くするね。だからと言って膠で固めたら、おちおち補修も出来なくなるよ」

「ほうほう!」

「その辺りは数を熟せば感覚も手に付くのだろうけどね、何より工夫が大事だよ? 革と言っても叩いて重ねたり、間に板を挟んだり、膠や蝋を浸ませたり、黒染め液を使う他にも出来る事は幾らでも有るからね? ま、精進をし」

「おお!? ……おおお!! そんな事には全く気が付きませんでしたよ!?」


 流石のお師匠様です。知らなかった事も色々と教わってほくほくです。

 そんな有意義な時間を過ごして、その後は実家に戻って、お婆様から贈り物に新しい服を何着も貰ったり、泊まった次の日にはお婆様達と一緒に生誕祭を回ったり。

 生誕祭ではまた何か言われるでしょうかとも思ったのですけれど、案外一人でなければ話し掛けられたりはしないのですね。


 生誕祭の最終日に、村へ帰ろうとするお婆様が言いました。


「お前さんが元気にしていて、本っ当に良かったよ。今回はディジーリアの顔を見に来た様なもんだから、これで暗い顔をされてちゃ、あの子をどんだけ張り倒しても張り倒し足りないところだったね」

「お婆様に気遣って貰う事では無いですよ?」

「でもねぇ、熟々つくづく私の育て方が間違っていたので無いかと思うのさ。あの子は昔から真面目だけれど、人の気持ちは何処か蔑ろにするところが有ってね、父親が死んで直ぐに母親一人残して『広い世界を見てくる』って家を出てった時にも呆れたけれど、自分の娘が同じ様な事を言い出したら今後は縛り付けようなんざね、呆れて物も言えないよ。――いいかい? あの子がどんな事を言っているのかは知らないけどね、あの子だって昔はそんな事を言って故郷を捨てて出て行ったんだよ。それと較べれば……いや、較べられない程にディジーリアの方が上等だね。だから、あの子が何を言ったって、気にする事なんて無いんだからね! 全く、口では大きな事を言いながら、今ではすっかり街の男さ。情け無いったらありゃしないよ」

「ううん。そんなこと無いよ、お義母様。約束だって有るんだから」

「……約束、ねぇ? 結局どんな約束か教えてくれないけどさ。あの子がちゃんとその約束を憶えている事を願ってやまないよ」

「プロポーズの言葉だよ? 大丈夫に決まってるよぉ」


 最後には、母様とそんな言葉を交わしながら、お婆様は村へと帰って行きました。

 そう言えば、と、思います。


「そう言えば、お婆様は私が竜毛虫を斃した事をご存知なのでしょうか?」

「あら? あらら?」


 もしも私が竜毛虫を斃したことをお婆様が知ったなら、今よりも安心してくれるのでしょうかと言うと、そうねと言って母様は微笑んだのでした。

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