(26)街の人々
或る日のこと。
ラゼリア王国デリリア領主息女、ライラリア=ライカ=ガランチ=デリリアンは領都デリラの下町へ視察へと出掛けていた。
「ふむ……」
ライラリアが最近街で違和感を感じるのは、街の住民の一部が、騎士を見た際に見せる一瞬の緊張感だった。
ライラリア自身も、多少の敵意が混じった視線を投げ掛けられて、次の瞬間には霧散した様子で頭を下げられた覚えが有る。
さてさてどうした事だろうと思っていたところでは有ったが――
「嗚呼……あれか。あれはなぁ、親馬鹿と言えばいいのか馬鹿親と言えばいいのか、まぁ、馬鹿親だな。言ってみれば見るに堪えない親子喧嘩の
「それが騎士とどう関わるのか分からんぞ?」
「あー、つまりその暴言者が何処ぞの小隊長って事だな…………少々痛い小隊長……ククッ……」
目を少々濁らせながらも機嫌良く酒を飲んでいた男から、そんな話を聞く。
常から街を出歩き、酒場で居合わせた者達と呑み交わす事も多いが為に、気さくに話が出来るのは有り難いと思いながら、聞いた話を胸の内で咀嚼する。
カッと胸の内に灯ったのは、怒りの炎だろうか。
それからも街に出た折には噂を集め、冒険者協会のオルドロス小父上にも話を聞いた。オルドロス小父上は、嘗て父と戦場を駆けた強将であり、ライラリア自身も小父上と親しむ仲である。
オルドロス小父上は馬鹿な親父の暴走だと呆れていたが、事はそれでは済まされない。
騎士団そのものの名を貶める行為を、ライラリアは許す事など出来はしない。騎士団は、ライラリア自身が手塩に掛けて育て上げた、悲願とでも言うべきものなのだ。
精強な騎士達に街が守られていたならば、母は死なずに済んだのではないか。そんな願いが込められたものだったのだから。
しかし結局騎士団内の不心得者は、ライラリアが出るまでも無く騎士内の規律によって粛正……と言うには甘い処分とライラリアは感じたが、兎にも角にも正された。
騎士団内で規律に従い処分された事なら、特にライラリアが口を出す事も無い。
この話は、それで終わった筈だった。
だが、一度入った罅の影響は、何処かに残る物なのだろう。
騎士に向けられる敵意の視線が落ち着いた分、それに隠れていた窘める様な住民の視線に気付かされる事となった。
「ちょいと姫様! どうにかおしよ。あたしゃあんな小さな子が苦しんでいるのを見てられないよ!」
「ライラ様は何時も街を出歩いていらっしゃるが、本当に見て戴きたいところを見て戴けとるのじゃろうか」
そんなことを言われては、ライラリアとて気に掛かるというものだが、結局の所、季節を跨いでもライラリアが噂のディジーリアという娘と出会う事は無く、街の噂ばかりが動いていった。
「なぁ、姫さん、最近一番ホットな冒険者ってぇと、毛虫殺し人のディジーリアってんだが知ってるかい? 森に毛虫が大量に出たと潰して廻っていたってんだが聞いて吃驚
しかし、ライラリアの中では、長身で引き締まった体付きの生意気な美人、と想像で容姿が形作られて来たその時に、街で拾った楽しい子供が、まさかそれだとは気が付けなかった。
「違いますよ!! 私は脳筋ではありません!! 姫様の仲間では無いのですよっ!!」
そんな台詞と共に姿を掻き消したその子供子供しい娘に、ライラリアは口元を綻ばせた。
そして
「……いつまで笑っている?」
「い……いえ、脳筋姫様、何も問題はございませぬ。……ぅクッ」
「リ~リ~ン~! 爺やのくせに!!」
まあ、良い。取り急ぎ、誤解を解く為にも追い掛けるかとライラリアが足を踏み出そうとしたところに
「リアは! 今、リアが居たよね!!」
「姫様だからって、リアを苛めたら許さないよ!!」
焦った顔をした二人は兄弟だろう。そう言えば、噂の娘の兄達は、騎士団に入っていると聞いていた。
「こんのぉ~~! 馬鹿娘がぁ~~!!」
開け放たれた窓から飛び降りてきたのは、言わずと知れたデリリア領主ライクォラスだ。
その名を知らしめた大槌を手に、顔は憤怒で歪められている。
「ま、待て、親父殿! 話せば分かる!」
「誰が親父だ! 父上と呼ばんかあ!!」
ブンと振られた大槌に吹き飛ばされながら、誤解を解きに行けそうには無いなと、ライラリアは思うのだった。
~※~※~※~
裏通りに八百屋を開く、リールアラミルの朝は早い。
四男六女の子供達の内、領城で働く次男と嫁に出た長女と三女を除いた七人と、加えて夫と共に、暗い内から街の外に在る畑へ向かう。
明るくなると味の落ちる野菜を優先して穫り込んでから、残る野菜を収穫する。
荷車に山積みしていると、一番下のミルファミルルが、クリウの束を差し出してきた。
「はい! お母さん、これね!」
「おや、ミルルありがとね」
渡されたクリウの束を見ながら、リールアラミルは感慨深げに息を吐いた。
クリウを扱う様になったのは、食堂の手伝いに小さな女の子を雇った時からだ。
賄いに出したクララジュースに、当時はまだ湿布薬としてしか知られていなかったクリウの葉を、ゴリゴリと摺り下ろして入れているのを見た時には驚いたものだった。
『ふふふふふ……この味を知らないとは、まだまだですねぇ』
そんな事を言う女の子に呆れながらも、試してみて驚いたのをリールアラミルは覚えている。
その時から、根断ちも容易で無い畑の雑草は、八百屋の品目の一つとなった。
今ではその女の子、ディジーリア用に設けた外れの一角で、態々栽培までしている状況だ。デリラの街全体で見ても、好き嫌いは有れどクリウは食べ物としても浸透してきている。
切っ掛けは一人の女の子。しかしそれが今や街全体に広がっているなんて、と思いながらも、ディジーが相手じゃ不思議じゃないかね、とリールアラミルは口元を緩ませた。
「あんた! アス! 後は頼んだよ!」
畑を夫と長男に任せて、店へと戻る道中なんて短い間にも、あの女の子の噂が聞こえてくるくらいだ。
「おう、ラターチャ! 随分と景気がいいじゃないか!」
「いやいや、吃驚でやんすよ。八割方が毛虫殺し人のおチビさんの戦果でやす。がっぽりでやんす!」
「毛虫殺し人ってーと、何かと噂のディジーリアかい。マジかよ? 見た目じゃ分らんもんだなぁ」
北門を入って直ぐの買取所での遣り取りに、「またあの子は」と、リールアラミルは溜め息を吐いた。
食堂に来る冒険者達からの噂は、肯定的なものと否定的なものできっちり二分されていた。
リールアラミル自身が誠実な人柄と認める客は
それでもしっかりと狩りの成果を上げているのだから、何だかんだと言って
「カルツ、こっちはもういいから、自分とこの店に回りな!」
リロの乾物屋を開く息子に声を掛けて、収穫してきた野菜を店に並べる。そう言えばディジーリアは雇いの店員が店番している時しか見ていないから、乾物屋が三男の店ということに最後まで気が付いていなかったねと思い出す。八百屋の店番は次女の役割。替わりに古くなった野菜は取り込んで、隣の食堂へと運び込む。四男、四女、五女を学園に追い立てて、リールアラミル自身は食堂に出す料理の下拵えだ。まだ小さな六女が懸命に食堂の掃除をするのを眺めながら、昼に子供達が学園から帰って来たら食堂が開店する。
「さぁさぁ、今日の野菜も美味しいよ! いっぱい食べな!」
声を掛けながらリールアラミルは、ディジーリアはちゃんと野菜を食べているのだろうかと思う。
森の中で狩りをしたなら、肉ばっかり食っていやしないかと。ちゃんと野菜を食べていないと、とっちめてやらないとねぇ、と。
でも、森の中で採れる野菜って何だろうと考えてみると、これまたリールアラミルには思い付かない。
そこでリールアラミルは笑みを浮かべる。
(あの子が今度来たら、聞いてみなくちゃね!)
胸の中で心に決めて、またリールアラミルは声を上げるのだった。
~※~※~※~
今はコルリスの酒場の看板娘となっているディネイアは、自分のベッドの上で丸まるその塊を眺めて、困惑の中に陥っていた。
「お姉ちゃん。朝だよ? 起きようよ」
いつもは扉の側で寝て、朝になる前にベッドの下に落ちているのが日課だった姉のリディアが、昨日の夜は壁際で背中を向けて丸まるばかりだった。
それ以前の問題として、冒険者協会の支部長がお姫様抱っこで運んで来たところからしておかしな話だった。その時から、ディネイアは姉と顔を見合わせていない。
『まぁ、疲れが溜まっていた様だな。二三日休んでも構わんと伝えておいてくれ』
支部長のオルドロスはそう言ってくれたけれど、体調を崩して休むのと、目の前のこれは違うとディネイアは思う。
「もぉー! 買い出しに行って来るから、帰って来る迄に朝ご飯食べておいてよ!」
そう言って出掛けて、二時間ばかりして戻ってきた時、ディネイアが見たのはシーツの隙間から赤く腫らした視線を向けてくる姉の姿だった。折角の朝ご飯には手が付けられていない。
「も~……お腹が空いたら、ちゃんと食べてよ?」
生憎な事に、酒場での仕込みもしないといけないと有って、ディネイアはもう出なければならない。
でも、そんなディネイアにリディアが声を掛けた。
「……ディーはガズンと一緒になるつもりなの?」
人間、想定もしていない事を問われても、反応が出来ないものだったんだとディネイアは思う。
「えっ?」
と、ただ疑問の声を返すしか無かったのに、リディアはそれを見てきゅっと口を引き結び、顔を歪めたと思うと涙を溢れさせた。がばりとシーツを被って、また丸まってしまう。
え? 何で? どうしてそういう事になるの? ――と、ディネイアは困惑する。
これはもしかして、思ったよりも深刻な事態なんじゃ無いだろうかと。
「ちょっと、お姉ちゃん! どうしてそうなるの!? 私とガズンさんはそんなんじゃないし! もう! お姉ちゃん!」
コルリスの酒場に行かなければならないぎりぎりまで、ディネイアはシーツの上から抱き付いて宥めたけれど、リディアはぎゅっとシーツにしがみついて、もう顔を見せようとはしなかった。
(お姉ちゃん、どうしたんだろう……)
知らせは夜、コルリスの酒場に支部長オルドロスの姿で現れた。
「――まぁ、面倒を見ていた子が、あっという間に腕の中どころか目の届く場所からも飛び出して行ったとなると、混乱もするのかも知れんな」
そんなオルドロスの言葉に、ディネイアは考え込む。
リディアは、姉は、国を出るその前から、ずっとディネイアの良き姉であろうとして、実際にディネイアを導いてくれていた。
ずっとずぅっと一人で頑張っていたのを知っている。
当然ディネイアもそれを支えようとしてきたけれど、姉が甘えられる人は居たのだろうか、と。
遡っては、国に居た時から、甘えられた人は居たのだろうか、と。
旅をしてきた途中の村々で出会った人達は、甘えさせてくれる人達だったのかも知れない。でも、あの道中ではそんな心のゆとりは持てなかった。常に張り詰めていて、多少笑うことが出来る様になっても、心を預ける事は出来なかった。
もしかしたら、姉にとって甘えさせてくれた相手は、冒険者協会そのものくらいだったのではないだろうか。
そうディネイアが思って見てみれば、目の前に居るオルドロスは、その冒険者協会の支部長だ。昨日お姫様抱っこで運ばれてきた様子からは、姉も信頼している様に見える。
(お姉ちゃんは、包容力の有る大人の人に、捉まえて貰っていた方がいいと思う)
そう思うのも、当然の事の様に思えてきた。
「お姉ちゃんは、ずっと私の事を守ってくれていて、私にはお姉ちゃんが居ましたけれど、お姉ちゃんは誰にも甘える事が出来なかったんです」
「うむ……話は聞いているよ」
「お姉ちゃんにとって、頼れるのは冒険者協会ばかりで……だから、オルドさん。お姉ちゃんの事を支えてあげてくれませんか?」
「嗚呼、大丈夫だ。任せておきなさい」
言質は取りました――と、ディネイアは胸の内で呟いた。
「今もお姉ちゃんは宿のお部屋で明かりも灯さずにしょぼくれているに違い無いんです。オルドさん、お時間が有るのでしたら、お姉ちゃんの様子を見に行って頂けませんか」
「うむ。気になっていたところだから、それくらいは構わんよ」
「なら、お姉ちゃんと話をする時は、真っ直ぐ目を見て、甘えさせてくれる笑顔ですよ。お姉ちゃんを優しく抱き締めて、頭を撫でて、包容力の有るところを見せてあげて下さいね」
それを聞いて、オルドロスは苦笑した。
「……どうしましたか?」
「いや、な。昨日も同じ様な事を言われてな。まぁ、確かに落ち着いた様では有ったが」
どうやら、冒険者協会にも同志が居る様だとディネイアは理解した。
ならば、ここは畳み掛けるしかないでしょう。
「他の人も言っている事なら、間違い有りませんね。ほら、早くお姉ちゃんの所に行って下さい。ほら、早く!」
「おいおい……まだ飯も食っていないのだから」
「オルドさんのご飯とお姉ちゃんと、どっちが大事なんですか! そんな事を言うオルドさんはご飯抜きです! ほら! 早く! 急いで!」
「嗚呼、分かった分かった……」
苦笑しながらもオルドロスはコルリスの酒場を扉を開けて出て行った。
酒場の中は、何時に無く騒ついていたけれど、ディネイアが一瞥を投げると静かになる。
――うん。お姉ちゃんを幸せにする為には、私が頑張らないとね!
今日もディネイアは、コルリスの酒場の看板娘として頑張るのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます