(94)首席少女観察記録 その参

 ルイルキースが憂鬱な気分を抱えながら、午前の講義を受けていると、首席のディジーリアがついと右を向いて、窓の外を眺めるのが見えた。

 釣られて窓の外へと目を向けたルイルキースが、協会式の白板の隙間から見たのは、マルハリル領へと向かったはずのディラちゃんの姿だった。

 持って行った筈の木箱もそのままに、ディジーリアの頷きに応えて屋上へと飛んでいくディラちゃん。ルイルキースは午前の講義の間中、気が気では無かった。

 講義の時間が終わった途端に、ディジーリアへと詰め寄ったのも、当然だったのである。


「ど、どういう事だよ!?」

「おお、丁度いい所に。ディラちゃんが帰って来ましたよ」

「……え?」


 当然、ルイルキースはディラちゃんが途中で引き返して来たと思ったのだが、帰って来たと言うディジーリアに困惑する。

 それは聞き耳を立てていた級友達も同じだったのか、皆でディラちゃんの下へと向かう事になった。


 そして皆で行ってみれば、開けた事務棟の屋上に木箱を置いて、ディラちゃんは辺りをひゅんひゅん飛び回って遊んでいたのである。


「ディラちゃんお遣いご苦労様」


 ディジーリアが声を掛けると、その頭の上にしがみついて、「ディラー!」と声を上げるディラちゃん。

 自慢気な様子から、引き返して来た訳では無いのだと、付いて来ていた者達もそう悟った。


「え……まさか半日掛からずか?」

「二ヶ月の距離が……。でも、あの速さなら、まぁ……」


 口々に驚いてはみても、出発の時の衝撃が冷めやらぬ今日では、問答無用で納得させられてしまう。


「ルイ、開けてみようぜ?」


 遠慮が無くなると先陣を切る事が多くなったバルトーナッハに促されて、ルイルキースはぎこちなく頷いた。

 木箱を閉じているのは、閉じ枝と呼ばれる道具だ。木箱にぐるっとロープを巻いて、そこに閉じ枝と呼ばれる棒状の道具を絡めて、閉じ枝をぐいぐいと捻る事で締め付けていく。外す時はその逆で、閉じ枝が弾けて飛ばない様に抑えながら緩めていく。


「よっと、これで全部か。じゃ、開けるぞ」


 数人集まって閉じ枝を外し、バルトーナッハが自由になった蓋に手を掛ける。

 開けられた蓋は箱の横に立て掛けられたが、蓋が開いた途端にそれまでにも漂っていた甘い匂いが濃厚に溢れ出した。


「リムチの実とコリムチの実、グレンもオルカンも有る。リムチは傷み易いのに、全然悪くなってない……」


 透かさず確認を始めたルイルキースが呆然としている。

 そんなルイルキースに、ディラちゃんが忘れてたと言いた気に、一通の手紙を差し出した。

 ルイルキースの実家からの手紙だ。


「……届いた魔道具も無事。――え、本当に王都でシグルイが食べられる? ハハハハ、え、本当に?」


 協会式の白板に、目玉商品が一つ追加され、干し果物作りや果物の砂糖漬け作りが加えられた。

 尤も加工する果物は、ルイルキースの好意で級友達に分けられた残りを用いる事にしている。それに、冒険者協会式に依頼料を決めて、この前参加してくれたメイドさん達にも気が向いた時に小遣稼ぎをして貰えたなら、新入生側が忙殺される事も無いだろう。学院外への外注となると、協会の六掛けとは行かないだろうけれど、それでも身内ならちょっとした割り引きも利く筈で、実はそこも考えてのお試し外注なのだった。

 このお試しを終えた後に、手伝ってくれたメイドさん達へ意見を聞いて、そこで割り引き率を決める予定だ。


 そんな感じで既に結構動いているが、その資金が何処から出ているかというと、新入生達の個人的資産ポケットマネーだった。


『千両銀やそこら、高位貴族なら端金ですよ』


 と、そう言ったディジーリア自体が二百両分の銀貨を供出し、同意した他の貴族達も出し合ったので、既に千両銀まで膨れ上がった資金はこれもディジーリア製の金庫で保管されている。

 管理している商人組は涙目だが、供出した者達は回収出来ると踏んでいるから気に掛けてもいない。

 しかし、潤沢な資金に裏付けられて、活動は加速し、今や午後の時間は誰もが何か仕事を見付けて駆け回り、その仕事が終われば白板の前へと駆け戻って再び何処かへと駆けていく、そんな慌ただしい様相を見せ始めていた。

 尤もそんな事がいつまでも続く筈は無いのだが、乗りに乗っている時と言うのはそういう物だろう。


「なぁ、手合わせに誘うのでは無いのかよ」

「うるっせえ……こんな状況で誘えるかよ」

「へたれたな」

「……真面目に言ってだな、俺があんな小さい女の子に勝負を持ちかけるってどうよ!? 絵面的に駄目じゃねぇか!?」

「ま、俺が街で見掛けたならしょっぴくな」

「だろ!? どうすればいいんだ!?」

「くく……ここの仲間は皆知っているんだから気にする事は無いだろう?」

「そうは言ってもな!?」


 教室に残っているのは、『教養』の学習に余念が無い獣人達や、白板の前で白熱した議論を続ける者達、ライエンハルトやバルトーナッハの様に手慰みの趣味を持ちつつも、売り物になるのかを確認する為の見本を作っている者達ばかりだ。

 見本製作組の傍には、ディジーリアが置いて行ったジーク材やクアドラ石の他にも、既に商人組が仕入れてきた各種素材が籠に入れられて用意されている。

 工具は自前だったが、ジーク材を彫るのに硬いとライエンハルトが零すと、ディジーリアがその工具を一刻30分程預かっていって、戻って来た時には別物になっていた。

 見た目は変わらないのに、切れ味がおかしい。余りにおかしくて、笑えてくる。その内楽しくなって、ジーク材ばかりを加工して、そろそろ戦棋盤が一式揃いそうだった。

 他の見本製作者達も同じらしく、工具の切れ味に驚きながら楽しそうに加工している。切れ過ぎる工具には不安も出そうなものだったが、それもディジーリアがお手製だという回復薬を置いて行った為にそんな不安も解消されている。

 全く以て至れり尽くせりだが、その中でバルトーナッハばかりが渋面を浮かべているのだった。


 さて、その次の日。

 その日が、事務棟の教室で収穫祭の準備をする最終日と決めていた。

 何故ならば明後日の秋の一月九日が『教養』の試験日であり、事務棟から本館へと移れるか否かが決まる日だからである。

 明日一月八日は『教養』の学習に時間を充てている為に、今日を事務棟での準備最終日としたのだ。


 それ故に、今日の作業は一段落付いた者から事務棟の教室に戻ってきて、教室で出来る白板の検討などに勤しんでいる者が多かった。

 いつの間にか部屋の隅に置かれていた鳥の巣箱の様な物に、『ディラちゃんの巣』と書いて有ったからか、何人かはその巣箱の周りに集まっている。

 ディジーリアも教室の中に居て、白板を一望出来る位置に立って眺めている様だった。


 ディジーリアに話し掛けるなら、又と無い機会だ。


 満を持して立ち上がったバルトーナッハが、ディジーリアへと歩み寄る。

 そしておもむろに口を開いた。


「ディジーリア殿。俺と手合わせ願えないだろうか」


 直球だった。

 更に言うならば、がちがちに緊張しているのが見て取れた。

 事情を知っている級友達は、思わず横を向いて笑いを堪える。

 そして視線を戻して、戸惑いに目を揺らすのだった。


 言葉を掛けられたディジーリアは、その途端に呆けた。

 呆けて、その次に焦がれる様な表情を見せた。

 それは王都受験組も知らなくて、デリラの街の冒険者達も知らなくて、家族ですらも知らない、いつの頃からか抑え込んで隠してしまっていた表情だった。


 そんな表情を見てしまったから、思わず息を呑んで、動揺したのだ。


「そ、それは、どうして、でしょうかね?」


 少し震えたその声に、バルトーナッハが答えていく。


「気が付いた最初から、只者では無いと思ってはいた。だが、俺よりも上なのか下なのか、どれだけ差があるのかも全く分からなかった。分からないのは格上だ。聞こえる話もそれを裏付けている。だが、俺には分からないとしか分からない。なら、実際にぶつかってみるしか無いだろう!?」


 最後には叫び声になっていくバルトーナッハの言葉が重ねられる毎に、ディジーリアの表情が綻んでいく。

 泣いている様で笑っているその表情で、ディジーリアは口を開いた。


「わ、私の大物感が溢れていましたかね?」

「いや、寧ろ何も感じないのが恐ろしいぞ」


 即座に正され、少し鼻白んだ様子だが、その分冷静さを取り戻してまた口を開く。


「気配が無いのに警戒するなんて、まるで獣の様な人ですねぇ?」


 それはディジーリアも塊乱蜘蛛チュルキスとの遭遇を思い出して言うと、


「闘技場でも無ければ常識だろ? 素人には分からんかも知れんがな」


 当然の事の様にバルトーナッハが言ったので、ディジーリアは一瞬目を見開いて、それからじわりと笑顔を滲ませた。


「つ、つまりは玄人仕様ということですか。それでは仕方有りませんねぇ~。どうしましょうかねぇ~。――いいでしょう! どんと胸をお貸ししようじゃ有りませんか」


 滲んだ笑顔は次第に広がり、最後には満面の笑顔になった。

 教室に居た者達は微笑ましく見ていたが、それはまだ誰も見た事の無い、ディジーリアの心からの笑顔だった。



 さて、手合わせと雖も演習場を使うのなら、許可と監督者が必要となる。当然使用を認めるに足る理由も必要となる。

 その伝手となる『教養』の講師は、演習場を使うにしても優先順では一番低い地位だろうが、呆気なく許可は下りた。

 この時期、武術の講義は騎士団に混ざっての訓練が多く、学院の演習場を使うのは弓術などに使う学院生ばかりだった事と、その事情の上でまだ講義の時間中故に演習場に空きが有った事、使うのは新入生で恐らくまだランクがそれ程高くない上に、高ランクと思われる回復薬まで準備されていた事から、問題無いと判断されたのだった。

 手合わせする人間のランクが高くないと事務局員が推測したのは早計とも言えるだろうが、回復薬の存在はそんな間違いも全て呑み込んで、それでも充分に問題無いと言わしめる物だったのだ。


 遠目に疎らな学院生達に興味を抱かれながら、二十歩以上離れて向き合ったバルトーナッハとディジーリア。その手にはどちらも大剣が握られている。


「……おい、何で大剣なんだ? お前の得物は多分違うだろう?」

「いえ、大剣使いますよ? それに、こちらが胸をお貸しするのですから、合わせるのも当然ですね」


 答えるディジーリアの言葉はいつも通りだが、表情と声音は上気してでれでれでうきうきだった。ついうっかり力加減を間違えてしまったならば、魔力の腕でオーガを擂り潰す事が出来るディジーリアだけに、人知れずバルトーナッハの危機だった。


「凄い……ディジーがちゃんと子供に見える」


 そんな事は知らない観戦者達も、珍しく全力で子供らしくしているディジーリアにほっこりしつつ、持っているのが大剣というアンバランスさに微妙な思いを抱きながら見守っていた。

 当然中には胡乱気に見遣る者も居れば、動きの一つも見逃すまいと真剣に見詰める者も居たが。


「思いっ切り格上から見ているが……そう簡単には行かないぜ!!」


 低い体勢から、爆発する様な突進へ移っての鋭い刺突。

 ディジーリアは剣先を下げ、半身に躱しながら剣腹で突きを擦り上げ、更に低く潜り込む様に巻き返しての上段切り。

 堪らず身を捻って横に逃げるバルトーナッハ。


「甘いですよ! 王国式剣術十三! 巻き返しての切り下ろしですよ!」

「何でその腕で大剣を振れるんだ!?」

「そこです! 王国式剣術二十! 突き!!」

「動く時も気配がねぇっ!!」


 訓練用の剣は、刃が潰してあるが重さは実剣と変わらない。大剣ともなれば、二百両10kgから四百両20kgの重さになる。その中でもバルトーナッハが手に取ったのは、重めの四百両近い代物だ。同じ物をディジーリアも手に取ったので、恐らく体重の半分以上にはなるだろう。

 にも拘わらず、ディジーリアの振るう剣閃にぶれが無い。バルトーナッハですら振るう際には体の軸が揺れ動くというのに。寧ろ、それも剣術に組み込まなければ成り立たない筈なのに、小枝を振るよりも軽い動作で重い一撃が放たれて、バルトーナッハのみならず見学者にも困惑が広がっていく。


「……何か、同じ武器を振っている様には見えねぇな」

「全然動きが読めないんだよ?」


 ロッドワーズやレヒカが零した様に、ある程度武術に通じているからこそ、それは異様な光景だった。

 譬え『魔力強化』で強化していても、大剣の重みを無視した様な動きにはならない筈だった。剣を振れば、その反動が必ず来る。体重の半分ともなれば、その動きもそれだけ大きくなるのが当然だ。だからこそ、剣どころか自身の重みすら感じさせないディジーリアの動きには、皆が困惑したのである。


「このぉおお! 遣り難いだろうがぁああ!」

「王国式剣術三十六! 受け流しからの回り込み!」

「だぁああ! こん畜生! 手も足も出ねぇ!!」


 とどめの一撃を見逃されたと悟ったバルトーナッハが、飛び退いた先で体勢を整えた。

 深い呼吸を繰り返しながら、体に力を漲らせていく。

 それを待ち受けるディジーリアは、どうにも口元がにまにまとゆるみがちだ。

 確かめたいと思ったのは自分だが、想定を遥かに超えた異常な状況に、バルトーナッハは苦悶の表情を浮かべる。

 相手の実力を知りたいと望んで仕掛けた手合わせだが、仕掛けておきながら丸で実力が分からない。王国式剣術を使って見せていても、達人の様な洗練された物には思えないのに。型通りの動きに強引に巻き込まれて吹き飛ばされている様な、どこかしら力業に近い物に思えるが、それでいてとても抗う事が出来無い。

 『城壁』と呼ばれた父と立ち会う時でさえ、何かしらの手応えを感じる物だが、ディジーリア相手にはそれが無い。感じる物が何も無いのに焦って、バルトーナッハは仕切り直す事にしたのだ。

 全力の一撃をぶつける事によって。


 尤も、バルトーナッハがそう思ってしまうのも、無理からぬ事だった。

 ディジーリアはその細腕に似合わぬ恐るべき膂力で大剣を振るい、目にも留まらぬ武威を示している様に見えているが、実態は魔力の腕で大剣を操り、ディジーリア自身はそれに手を添えて踊っているだけである。

 剣戟と思わせて魔術の暴風に翻弄されている様な物なのだから、それと気付いて見るならば恐ろしい魔術の遣い手だとバルトーナッハも気付く事が出来たのだろうが、恐ろしい剣術の遣い手と見てしまったが為に、実力を捉え切れないのは当然とも言えた。


 ともあれ、身気万全に調えた後に、漸うにしてバルトーナッハは名告なのりを上げる。


「『城壁』バルグナンが末子、『斬奸』のバルトーナッハ。いざ、尋常に――」


 目をきらきらとさせたディジーリアもそれに応える。


「唄に聞こえしは『毛虫殺し』のディジーリア。志に応じて、いざ――」


 バルトーナッハは上段に構え、ディジーリアは適当に構えた。


「「――参る!!」」


 結果は初手の焼き直し。

 ただ、バルトーナッハは突きでは無く、気と魔力を纏った切り下ろし。

 受けるディジーリアはその切り下ろしに左手を添えて受け流し、右手での斬撃はバルトーナッハの肩口で止められていた。


「我流! 受け流しからの何かいい感じの切り下ろし! ――って、今のはけないと駄目ですよ?」


 そんな言葉に、バルトーナッハは「ぐふっ」と呻いて頽れる。

 寸止めであっても、衝撃は全身を貫いていた。

 やはり良く分からない内の完敗だった。


「回復薬だよ~」


 勝負有りと見て取ったレヒカが、ディジーリア製の回復薬を持って駆け付ける。

 見た目以上にバルトーナッハがダメージを受けている事に、レヒカは気付いて少し焦っていた。


「次! 私!」


 そんなレヒカの気持ちも知らず、バルトーナッハが起き上がる前に、スノワリンが訓練用の剣を持って参戦する。

 これには観戦者達もぎょっとする。今目の当たりにした戦いは、割って入れる物でも無いと理解していたからだ。


「ほほう。いいでしょう」


 勿体振って答えるディジーリア。大剣をスノワリンと同じサーベル型の剣と持ち替えて、むふむふとしながらスノワリンへと向き直る。


「「いざ、尋常に、勝負!!」」


 その後の展開は、誰も予想だにしない物となった。


 チャキッと一度体の前に剣を立ててからのスノワリンの猛攻。

 それは、『身体強化』も『魔力強化』もしていない、素のままの動きに見えるのに、何故かディジーリアを翻弄して、追い詰めていったのだ。


 スノワリンが振り下ろした剣を、ディジーリアは音も立てずに受け流そうとするも、絡み付く様に動いたスノワリンの剣に引き摺られて体勢を崩す。

 崩れたところに再び襲い掛かってきたスノワリンの剣を捌こうとして、更に無理な体勢へと追い遣られるディジーリア。

 そんな繰り返しに立て続けに見舞われて、仰け反った体勢で到頭ディジーリアが地面に片手を突いた時、スノワリンの剣はその喉元に突き付けられていたのだった。


「なんとぉ~!?」


 驚愕するディジーリアのその前で、


「勝ったぁー!!」


 スノワリンが飛び跳ねて、


「何故だぁああ!!」


 バルトーナッハが絶叫した。

 スノワリンの凄さがちょっと知れ渡る事になった一幕だった。


 尤もそれには種が有って、ディジーリアもスノワリンを相手にする時には、バルトーナッハを相手にする時には使っていた魔力の腕を使わずに、軽めの『魔力強化』を使っていたのも原因だった。


「相手の流儀に合わせないと面白くないですよ?」


 ディジーリアはそう言ったが、バルトーナッハは唸るばかりである。

 恐らくだが、バルトーナッハはスノワリンに負ける事は無いと確信していたからだ。

 手を抜いての手合わせに、何の意味が有るのかとそう憤っていたのである。


 但し、そんな不満も教室へと戻る間に解消させられてしまうのだが。

 既に何か出来事が有ると、集まって議論を始めるのが癖になっている仲間達だったから、一旦教室へと戻る道中でもつい先程の手合わせについてが焦点となっていた。


「スノウはですねぇ、中央山脈の東側の出身ですけれど、そちらは魔の領域が殆ど殲滅されているらしいのですよ。それを聞いて成る程と思ったのですけれど、魔の領域の薬草には魔力がふんだんに含まれているのに、領域外の薬草は魔法薬にするのも難しいくらいの魔力しか無いのと同じで、スノウの魔力はとても少ないのです。そんな相手に『強化』前提の馬鹿力で相手をしても仕方が有りません。

 でも、そんな環境だったから、『強化』に頼らない技量を磨いたのでしょうね。私も受け流しだけは相当磨いてきたつもりだったのですが、あんなにあっさり負けるとは思いませんでした。

 スノウの魔力もこちら側に来て少しずつ強くなっているみたいですから、私達もスノウの技を身に付けないと、あっと言う間に追い抜かれてしまうんじゃないでしょうかね」


 そうディジーリアに言われると、うっ、と言葉に詰まるバルトーナッハである。

 更に、ライエンハルトがディジーリアに指摘した。


「だが、そもそもディジーの戦い方はああいったものでは無いのだろう? 千本槍に勝ったのは、『隠蔽』を駆使した戦い方だったと聞いた。本来の戦い方だとどうなるのか、興味が有るところだが……」

「そっちは余り訓練向きでは無いのですけれど……そうですねぇ――」


 言った途端にディジーリアの姿が消えて、見えない何かにつつかれた「うひ」「うひゃ」「おう」との声が上がる。

 再び姿を現したディジーリアは何事も無いかの様に語るが、目の前で姿を見失った者達はそれどころでは無い。


「こんな感じで、見える人の方が少ない感じですから、手合わせには不向きです。魔物や魔獣も殆どは私の前ではぬぼーと立っているだけですから、それに慣れてしまうと見える魔物が出て来た時が怖いので、腕は磨かないといけないのですよ」


 それでバルトーナッハも理解した。バルトーナッハだろうと、スノワリンだろうと、実際は初めから勝負の場に立ててすらいなかったのだと。

 バルトーナッハにとっての最強は、父のバルグナンだった。『城壁』であり『破軍』。守護も進撃も最大級である戦略的存在。もしも父に敵う者が居るとするならば、それは国王ぐらいしか居ないに違い無い。そんな事を考えていた。

 しかし、もしも父がディジーリアを見えない側だとしたならば、父であっても危ないのでは無いだろうか。

 そんな思いが頭を掠めた時、その事実にバルトーナッハは衝撃を受けた。

 そんな可能性を考えてしまった事よりも、そんな可能性を今迄考えなかった事に。

 今迄の自分が、父を絶対者と置いて疑問を抱かない、頑冥な田舎者だった事に。

 父や二人の兄が学院行きを勧めたのは、そんなバルトーナッハの傾向に気付いていて、その常識や価値観、信条といった物を見直す切っ掛けとする事を願ったのかも知れない。

 今更ながらに、そうバルトーナッハは思ったのだった。



 事務棟の教室に戻ると、既に辺りは暗くなり、解散の時間だった。

 ディジーリアは放課後になると、用事でも有るのか結構直ぐに居なくなる。

 バルトーナッハが、結局何者かは分からずじまいかと思いつつ帰り支度をしていると、顔を突き合わせていたライエンハルト達に手招きされた。

 そこに居るのは、多くが王都出身の級友達。それに加えてスノワリンやレヒカ達。


「どうしたんだ?」

「いや、ちょっと確かめたい事が有ってな。俺達は結構離れていたから聞き誤っているかも知れないが、……ディジーが自分の二つ名を何と言っていたか憶えているか?」

「む? ……確か、『毛虫殺し』と言っていたな。巫山戯た二つ名を言い出したからそこは憶えているぞ。――それがどうしたのだ?」

「あのね、王都で『毛虫殺し』のディジーリアって言ったら、ちょっと噂の冒険者なの。春にね、南の果てのデリリア領で氾濫が起きて、それを解決したのが『毛虫殺し』のディジーリアって言われてる」

「その守護者討伐の道中で、幻と言われていた魔獣を狩って、王都のオークションに提供したもんだから、地方の話だって言うのに王都でもお祭り騒ぎになった」

「今も舞台は上演されている筈だけれど、……参ったね。丸で気が付かなかったよ。舞台の上でのディジーリアはすらっとした美人さんで、これも美形の男優と恋仲になってて、……誰が脚本したんだろうね?」

「案外、学院側もディジーリアの正体は掴んでいないのかも知れないな」


 ライエンハルトの問い掛けに答えるバルトーナッハの言葉に、王都出身者の情報が重ねられていく。

 思わぬところから、ディジーリアの正体が明かされようとしていた。


「で、だ。直接ディジーと遣り合った感じとして、ランクはどれくらいだろうか?」

「……特級だな。俺がランク三にも拘わらず子供扱いだ。それも本来の戦い方では無いとなれば、特級以外考えられん」

「ランク三か、凄いな! となると、殆ど決まりの様な気もするが、皆も気になるだろう? この中でディジーと仲が良いのは、スノワリンとレヒカだと思うから、今度の休みにはディジーを誘って、件の舞台を一緒に見に行って欲しい。それで、その時の反応を後で教えてくれないか」

「は! レヒカ隊員! 任務拝命しました!」

「スノワリン隊員! 拝承でス!」


 ディジーリアの謎の究明は、新たな局面を迎えようとしていたのである。

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