(93)首席少女観察記録 その弐

 求めに応じてスノワリンやレヒカ、ライエンハルト、ロッドワーズ、その他王都で受験をした面々が合格発表からの出来事を語り終えると、王都で受験しなかった者達が揃って溜め息を吐いた。


「今日のも訳が分からなかったが。……あれは縫い包みだろう?」

「可愛かったけれど、怖かったよ。どうして動いているのか分かったら、楽しめたのかも知れないけれど」

「案外中には“鳥”が入ってたりしてな」

「……有りそうだな。いや、そうかも知れないな!」


 口々に騒めき始めるが、それを見てスノワリンが疑問を呈した。


「魔法使いにとっテは当たり前ノ事では無いノ? 私、冒険者協会で巨乳の呪イに掛けられた冒険者を見たヨ?」

「……何だそれは?」

「女性ノ冒険者をからカったラしくて、私が見たノは仲間から鎧を脱がせて貰った男ノ冒険者にでっかいおっぱいが付いテいたところからなんだけどね」

「何それ詳しく!」

「引き千切ったラ光ノ粒になって消える偽物にせものノおっぱいだったけど、」

「……何だ、偽物かぁ」

「あんな事が出来るノなら、魔法っテ何でも有りなのカなぁっテ……」


 横から口を入れられながらも、首を傾げるスノワリンに、聞いていた者達は皆、それは無いと首を振る。

 しかし、その内の一人が言葉を溢した。


「……俺達がまだまだ無知という可能性も有るのか」


 ディジーリアがした事は、その殆どが幻と魔力の腕を用いてのはったりと演出。所謂ディジーリア節は、王都でも既に一部では猛威を振るおうとしていたのだった。


「しかし、結局正体は分からないのか」

「協会で先輩方に聞いテみたけど、凄く楽しそうに内緒にされたヨ。だから、きっと何カ有るとは思うんだけどね」

「冒険者の過去は詮索無用ってな!」


 バルトーナッハの問いに、スノワリンが答えて、ロッドワーズが補足する。

 そしてライエンハルトがそれに続けた。


「だが、それを聞いてどうするんだ?」

「む……」


 それは、バルトーナッハにとっては、思いも掛けない問い掛けだった。

 警戒してしまうなら、それは脅威だ。ならば、調べ尽くすのは当然だ。漫然と手をこまねいて、事が起きるのを見過ごす訳には行かない。

 それが辺境の常識であったのだが、……言われてみれば王都で蔵守の長と交遊関係に有る者にまで、当て嵌める物でも無いだろう。


 ならば何がバルトーナッハにそうさせたのか。

 ディジーリアに対する畏れ?

 ――否、そんな筈は無い。


「……そうだな。手合わせでも申し込むかも知れん」


 考え抜いて出した答えは、しかしライエンハルトに一笑される。


「別に今申し込んでもいいだろう? 俺は『武術』の講義を待つ事にしたがな」

「むぅ」


 要するに、負けた時の言い訳探しをしていると見通されたと感じて、バルトーナッハは唸る事しか出来無かった。


 尤も、ライエンハルトにしても、そこまでの事を考えていた訳では無かったのだが。

 ライエンハルトもディジーリアに関心を寄せ、観察していた事が有ったから、バルトーナッハの行いにも気が付いたのである。

 知ってみたら何の事は無い。譬え飛び抜けた技量を持っていたとしても、或いは素性が丸で知れないとしても、ディジーリアは結局の所、見た目通りに十二歳の少女なのだ。

 そんな捉え方も、飛び抜けた部分を切り分けて考えればという、これも偏った見方なのかも知れないが、しかし物は考え様というのも真理だろう。

 本の少しディジーリアと出会うのが早かったライエンハルトが、本の少し自分より歳下のバルトーナッハに焼いた、ちょっとしたお節介だった。


 それを汲んだ訳では無いだろうが、バルトーナッハは得心が行った様に頷いた。


「手合わせするのに正体も無いか。申し入れてみるか!」


 口に出してみれば胸の閊えが下りたとでも言う様に、清々しい顔付きになったバルトーナッハは、幾分柔らかくそう宣言したのだった。



 その次の日の朝。

 休みなだけ有って学院も人影は疎らだ。そんな中で、事務棟の脇に集まる新入生達の姿が有った。

 その新入生達に混じって、仕事着を着たメイドや清潔そうな服を腕に抱えたコックらしき者も居る。

 その目の前に停められていた獣車には、遠方の領地との荷物の遣り取りについてディジーリアに絡んでいたルイルキースが寄り掛かっている。ならば、荷台から角を覗かせている大きな箱が、その運ぶ予定の荷物だろうか。


「お前なぁ、あの……何だ? “鳥”みたいなのにこれを運ばせるのか!? 興醒めだぜ」

「う、五月蠅い! 詰め込んでいったらこうなったんだよ! 仕方が無いだろ!」


 その言葉の響きから、透けて見えていた悪意が消えていた事に気が付いて、集まっていた者達がおや? という顔をしたが、始めに声を掛けたバルトーナッハは憤激冷めやらぬ様子で更に言葉を重ねようとした。

 それを諫めたのがライエンハルトだ。


「そこ迄にしておけ。何となくだが、俺は普通に『これだけでいいんですね?』とか言って来そうな気がするんだがな」


 片や第五将子息、片や騎士と雖も農民の出身。学院だからという訳でも無いのに、身分の上下を気にせずに会話しているが、これは今のラゼリア王国では良く見られる光景でも有った。

 尤も、当然相手を見ての使い分けは有るが、数字付きの将軍の縁者相手ならまず間違いは無い。国王と共に革命を推し進めた英雄達が、身分を笠に着る事は無いと、多くの者に信じられていたのである。

 現国王が為した改革。それは民衆の生活も劇的に向上させたが、同時に上流階級へも大きな影響を及ぼす事になった。下が豊かになれば、上は更に豊かになった。結局の所、一部を除いて多くの者達は、民衆を虐げて搾取する事は愚か者の所業だと理解したのだ。

 今では『そんな事はドルバルールに任せてしまえ』と、煌びやかな宮廷文化を持ちながらも腐敗の温床になっている中央山脈麓の小国を出汁にするくらいには、身分の上下に重きが置かれなくなっていたのである。


「いや、普通に考えて無理だろう!?」

「今迄を見てまだ普通に拘るなんて、生真面目だとか言われないか?」

「普通って、虚しい言葉だよなぁ……」


 ぎょっとした様子で言い募るバルトーナッハに、ライエンハルトは生温かく、ロッドワーズは遠い目で答える。

 彼ら二人はそこまでディジーリアと関わってはいなかったが、仲が良くなった学内寮組の学友達から話を聞くだけでも、ディジーリアの普通は何かが違う事を察していた。


「どちらにしても、ここで待っていてもディジーは来ないぞ。ディジーは学内寮――では無く、その隣に拠点を造ったんだったな、という事で方向が逆だ。多分直接賄い用の食堂に行くだろうな」

「その拠点も一日二日で建ったと聞いたな。いや、確かに何者だとは言いたくなるが」


 結局荷物は、バルトーナッハとライエンハルト、それにロッドワーズともう一人が協力して事務棟の教室へと一旦運び込んだ。ルイルキースは御者に獣車を返させて、賄い用の食堂へと向かう彼らの後を付いていくのだった。


 そして、話題にも出た故に寄ってみた、ディジーリアの拠点の前である。

 隣の女子寮から少し突き出て石壁が有り、その中央が人が二人並べば閊えそうな隙間となって、奥に見える木造の建物まで続いている。クアドラ石の滑らかな表面に刻まれた、森を思わせる精緻な彫刻が美しい。

 恐らく左の石壁の中が作業場になっているのだろう。遠くから響く様なキンキンカンカンという音が絶え間なく響いて、今も何かの作業中の様だった。


 今迄女子寮の向こうという事も有って、足を延ばさずにいたライエンハルト達も含めて、皆声が出ない。呆けた様に見上げる面々だったが、そこに横合いから声が掛けられた。


「凄いよね! あっと言う間にこんなお家を建てちゃうんだから、こっちの寮に怒っちゃう訳だよ!」

「御蔭で私達はチャンと部屋を直しテ貰えたんだから助かったヨね」


 女子寮から出て来た仲間達だった。

 常に元気なレヒカは、今も小刻みに体を揺すっている。

 スノワリンは小さな鞄を背負って、どうにもこれから出掛ける様な格好をしている。


「じゃあ、私はもう行くネ」

「お仕事、ご苦労様です!」


 どうやら試食会に参加する為に出て来た訳では無いらしい。見送るレヒカに手を振って、颯爽と歩いていくスノワリンには、何処か気合いが漲っている様に見えた。


「冒険者協会か」

「そうだよ! もう少ししたら、皆で向かうんだよ!」


 ロッドワーズの呟きに答えたレヒカも、どうやら冒険者協会へと向かうらしい。


「冒険者に登録して、お昼までスノウちゃんと調べ物をしてから、お昼の試食会には戻ってくるんだよ!」


 ロッドワーズがそれを聞いて、思案気に顎を撫でる。


「……そっちも面白そうだな」

「なら、行ってくればどうだ? こっちに居ても役には立たんだろう?」

「清楚なメイドさんも捨てがたい。――と言うか、役に立たんのはライエも同じだろ」

「俺は作り手側に回る予定だ。理由が無いお前とは違う」

「なら俺はそれを食う側だ!」


 ロッドワーズとライエンハルトの馬鹿な遣り取りに、メイド達が忍び笑いを洩らし、コックが「坊ちゃん達のお仲間は愉快ですな」等と言葉を漏らす。

 悩ましげにしながらもロッドワーズは試食会の手伝いへと回り、そしてそれぞれが動き出す。

 彼らは誰も気が付いていなかったが、収穫祭のメニューを決めて試食会を催すなんていうのは、例年ならば秋の二月も半ばの事。厨房を借りる手続きにも不備は無く、嘗て無い進行速度に、既に学院の上層部や、更には事情を聞き知った高位貴族の間にも、今年の新入生は一味違うと噂になり始めていたのだった。



 さて、厨房を借りたと言っても、実際に使えるのは一時二時間ばかりで、その後は賄い用の食堂で火を使わない作業に入っている。

 メイドの一人が扇で煽いで焼き菓子の粗熱を取っている所に、ぼんやりとした様子で現れたのは、髪が少し湿ったままの十二歳の少女――ディジーリアだった。

 少女は甘い匂いに、「おお!?」と目を見開き、少女らしい熱心さでふんふんふんと頷きながら、机の間を巡っている。


「あー……ちょっと、何方どなたの妹さんかしら?」


 メイドが溢したその言葉に、吹き出しそうになったロッドワーズが素早く顔を背けた。掻き混ぜていたクリームのボウルは何とか無事だ。


「違うよ。あの子が今年の首席さん」


 メイドの主らしき女騎士がグレンの実を剥きながら訂正すると、メイドは驚愕を顕わに視線を往復させる。


「それも倍以上の大差だってんだから……。ほらよ、クリームはこれでいいだろ?」

「うん、上出来。ここはもう大丈夫だから、他も見てきてくれる?」

「俺はそろそろ食う側に回りたいぜ」


 重い腰を上げるロッドワーズの背後では、ディジーリアが珍しく「首席権限で全種類制覇とか出来ませんかね」と子供らしい事を言っているのだった。


 さて、昼が近付く程に、三々五々仲間達が集まってくる。

 スノワリンも今日は午前中で切り上げてくるとの事だから、新入生が全員集まる事になる。

 それ故に、試食会は企図せずして新入生の懇親会のていを為す事となっていた。

 挨拶は首席の役目と促されて、困惑気味のディジーリアが前へと押し出される。


「え~……試食会は私が纏めた訳では無いのですけれどね? 皆さんが自主的に動いた成果です。そこで挨拶をするのもどうかとは思うのですけれど、でも、でもですね、これは凄いですよ? 私は自由に世界中を旅したくて冒険者に成った様なところも有るのですけれど、もうここだけでラゼリア王国の色々な場所を旅している様なものですよ!? 圧巻ですねぇ~。これだけでも成功間違い無しに思えますけれど、ここから更に発展させて、このお菓子が作られた地方の説明だとか、特産物とか、お菓子が作られた背景だとかの説明を充実させれば学院的に成りますかね。お菓子を食べるだけで一つ賢くなれそうです。特にお菓子に纏わる逸話なんてのが有ればいいですよ。冒険者は験担ぎが大好きですから、このお菓子で強くなったとか、恋人が出来たとか、そういうのが有れば最高です。

 正直こういう催しをしてしまうと、全員分の出身地の何かを収穫祭の出し物にしたいとか、そんな感じでもっとこうすればと思う事が色々と出てくると思います。全部全部検討しましょう。まだまだ時間は有るのですから。

 でも、今日は初回の試食会です。手元に評価用の紙は行き渡りましたか? 食べるのに夢中になって評価を書き忘れてはいけませんよ? 同じ物に手を出すのも駄目ですからね?

 さぁ、それでは美味しくお菓子巡りを致しましょう!」


 挨拶を終えた途端、お皿を持って給仕に待ち構えるメイドの前へと立つのを見て、何人かの新入生が噴き出し掛ける。しかし、キッと睨まれて、笑いながらディジーリアの後ろへと並ぶのだった。


 その後は、椅子を詰めての品評会である。


「おおぉ……焼き菓子にクリームを塗り付けてグレンの実を載せるなんて、もう美味しいに決まってますよ!?」

「くっくっくっ、クリームは俺が掻き混ぜたな」

「グレンの実は私が剥いたよ」

「んん~~……生温くなると一味落ちそうです。氷でグレンを冷やしてさっと載せるのが良さそうですね」

「行き成り冷静に成らないでよ、も~」


 何故だか、ディジーリアが注目されていた。

 その上で、今迄声を掛けて来なかった新入生までが、ディジーリアへと話し掛けている。

 きょとんと顔を上げたディジーリアが、そんな皆へ首を傾げた。


「何を見ているのですか? 皆さんも評価して下さいよ?」


 そんな事を言いながらも、新しいお菓子を手に取る時には瞳を輝かせ、薄いながらも歓喜の表情を浮かべるその様子に、くすくすと笑いをこぼしながら皆それぞれの菓子を手に取った。

 尤も、獣人達は疾っくの昔に、多彩なお菓子の虜だったが。


 そして、真面目に品評しながら食べていくと、案外直ぐに食べ終わってしまうものである。

 途中で飲み物が水だけとは味気無いと、余った果実を香り付けに搾ったりとして、課題はやはり飲み物だと再確認したが、どのお菓子も美味しいとそんな結論になったのだった。素朴な味わいのお菓子にしても、その素朴さがいいと好む者が居て、値段を含めて検討した結果、何れも候補に残されたのだ。


 そしてそんな試食会が終われば、メイド達に片付けを任せて、今度こそ懇親会が始まるのだった。

 何故か集まるのは、まったりと果実水を呑むディジーリアの周り。

 口火を切ったのはスノワリンだ。


「そう言えば、ディジーはお仕事モう大丈夫なノ? 剣を打っテいたのでしょ?」

「あれは何とか終わらせましたよ? ……鍛冶仕事は好きなのですが、相手に気の無いのは遣る瀬無いですね。これから納品ですけど憂鬱です」


 溜め息を吐くディジーリアに、次に話し掛けたのはバルトーナッハ。

 辺境の街でも率先して魔物へと立ち向かっていく若者は、妙な警戒心を乗り越えれば行動も早い。


蔵守くらかみ卿の剣なんだろ? 幾ら何でもそんなに嫌がる様な物なのか?」

「サイファスさんはですねぇ、兎に角剣を大事に扱わない人なんですよ。私は自分の武具に色々と助けられて来ましたので、どうにもそういうのは、ねぇ」

「……確かに、言われてみれば蔵守卿が剣士だとは余り聞かないな。寧ろ何をしてくるか分からない奇術師トリックスターだとか」

「へ~。私の知る奇術師とは随分違いますね」

「他にもそんな呼ばれ方してる人が居るの?」

「故郷のドルムさんは、長柄の武器を使うのですけれど、何故か魔物の方から振り下ろされる武器の下に飛び込んで来るっていうので、奇術師とも呼ばれているのですよ。“気”でのフェイントを使った技だと言っていましたけれど、とても真似は出来ませんね」


 話が進む程に、まだ話をした事が無い騎士の青年や女騎士も会話に加わってくる。


「それは何て言うか、“達人”って感じだな」

「そうですねぇ。のんびり程々にが口癖の人でしたけれど、ランクが上がって今迄の狩場では温くなってしまったからって最前線に出る様になりましたので、今はどうなってるんでしょうねぇ。案外一気に特級まで行っているかも知れません」


 ロッドワーズが問い掛けて、ディジーリアの答えに皆が溜め息を吐く。

 明かされてはいないが、聞いている者の中で上級に到っているのはバルトーナッハのランク三。他の者は行っても中級止まり。辺境と変わらず、特級の者が多い王都でも、特級というのは変わらず憧れの的だった。

 そこで気になったスノワリンが問い掛ける。


「ディジーはどうなの?」


 その問い掛けは、ディジーリアの謎を解き明かすかなめと思って、囲んでいた者達は固唾を呑んで見守っていたのだが……。

 そのディジーリアはそんな面々をちょっと見回して、少し首を傾げてから言ったのだった。


「内緒です」


 どうやらディジーリアは、感情を表情よりも身振りで示していると周りの皆にも分かってきたが、つんと澄ましているのか、有無を言わせずなのか、それともにまにまとにやけているのか、どうにも判別が出来無い仕草だった。


「それにしても、冒険者で、鍛冶をして、家まで建てれて、随分と多才だけれどどんな“記憶”を持っているんだか」


 捌けた様子の女騎士が呆れた様に口にする。だが、それはディジーリアにとっては何度も聞き慣れた問い掛けだ。


「『鍛冶』には“記憶”が助けになっていますけれど、記憶の無い記憶持ちですから何かを憶えている訳では有りませんよ? 後は最近分かったのが、どうやら小国のお姫様か何かだったらしいとしか。鍛冶をしているお姫様だなんて、ちょっと訳が分かりませんけどね」


 その言葉に、王都受験組は然も有りなんと頷いた。それ以外でも何人かは納得した様子を見せているが、首を捻っている者も多い。

 そんな感じで、ディジーリアがこの後王城へと出向く事を聞いていただけに、暫くはディジーリアを中心とした和やかな時間が続くと思われた。


「でもそうなると、殆どの事は記憶に頼っていないのか。それでどうやればそんな才能を発揮出来るんだ?」

「僕も! 僕も勉強は苦手だから、こつが有れば教えて欲しいです!」


 成績優秀な者に、その遣り方を聞くのは珍しい話では無い。特に、半分近い歳にも拘わらず、二位以下を倍以上引き離しての首席となれば、何か特別な方法が有るのだろうと思うのもおかしくは無い。

 ただ、訊いた相手が悪かった。


「そうですねぇ。こつと言えばご飯を用意しておく事ですかねぇ。多少日持ちする物という事で、やっぱり果物が優秀でしょうか」

「ご飯? 夜食という事か?」


 のっけから、予想とは違う事を言い始めるディジーリア。


「集中して作業してますと、大体知らない内に意識が飛んでいて、気が付いた時にご飯が無いと動けないのですよ。命にも関わりますから、ご飯の準備は重要ですよ?」


 そのままおかしな事を言い始めた。


「それと、火や刃物を扱っている時は、前に倒れると危ないですから、倒れるとしても横か後ろですね。何度も繰り返していると、果物の萎び具合から何日過ぎたか分かる様になって来ますから、そうなればその直前辺りを切り上げ時と作業量を見計らう様にすれば、意識を飛ばさずに済みますね。意識を飛ばすとしても、その前にご飯を食べているかで目が醒めた時の体調が違いますから、やっぱりご飯は大切ですね」


 ライエンハルト達はそっと目配せを交わし合い、下手に突っ込むのは危険だと、聞かなかった事にしようと考えた。

 だが、生真面目なバルトーナッハが問い返してしまう。


「いや、待て! そんな状態では満足に動けんぞ!? 力だって入るものか!」

「あー、私の場合魔力強化的に殆ど魔力で体を動かしているところが有るみたいなので、意識さえ有れば動けてしまうのですよ。今日だって徹夜明けですし。ぎりぎりの状態でも同じ作業が出来る様になれば、目が醒めた時は一段上の事が出来る様になってますよ? 逆に言うと筋肉を使ってないので、“気”が全然鍛えられないのが困りものなんですけどね。それを言うなら、『魔力制御』と『魔力強化』を鍛えるのが先決ですかねぇ?」


 彼らはディジーリアが言う寝落ちに、失神や昏倒が含まれている事は予想出来ても、仮死までがそこに入っているとは分からない。

 それでも想像とは違う無茶と力業でのごり押しに、唖然としてしまう気持ちを抑える事は出来無かった。


 ある意味ディジーリアについて理解が進んだ一時だったが、その甲斐有って幼さを残した首席へ向けられる嫉妬はこの日を境に激減する。

 ディジーリアの成績にずるが入り込む隙間が無いと理解し、その手段までが明らかになったとしても、誰も果物の萎び具合で日にちを計りたくは無かったという事なのだろう。


 スノワリンが冒険者協会に戻るのに合わせて、ディジーリアも王城へと出向いて行った。行く前にルイルキースが運んできた荷物についても伝えているから、その内戻ってくるだろう。

 他の者達も賄い用の食堂から追い出されて、手持ち無沙汰になってしまう。そのまま帰っても良かったのだが、何となくディジーリアが戻ってくるのを待ちたいという者が大半だった。


「ご飯を食べずに勉強して、起きてから萎びた果物を食べる……」

「寝る時は仰向けか横向き……俯せでは寝ない」


 獣人達は、妙な理解をして悲壮な表情を浮かべている。


「違ぇよ! ったく、お前達は戦場じゃあれだけ勇猛だってのに。ほら、行くぞ! 合格するまでお前達に休みなんて有ると思うなよ!」


 この頃になると、学友達にも分かってくる。

 シパリング領の若武者は、どうやら生真面目で面倒見のいい性格をしていると。

 バルトーナッハ達は獣人達の勉強の為を口実に、事務棟の教室でディジーリアの帰りを待つのだった。



「――そうじゃないよ。例えば王都のパンを君達が売ったなら代理人扱いだけれど、今日みたいに自分達が作るお菓子なら当事者の商人扱いになるよね?」

「え、で、でも!?」

「いや、こいつらそれじゃ分からねぇ。――そうだな、例えばお前らが狩りをして、かなり立派な大物を仕留めたとする。それを冒険者協会なり肉屋なりに卸した後で、全然知らねぇ奴が自分の獲物だとお前らが仕留めた獲物を掲げていたらどう思う?」

「そんなの駄目だ!」

「おかしいよ!」

「ああ。もしお前らが王都のパンをそうと言わずに売り出したら、それと同じ事になる。じゃあ仮にお前らが仕留めた獲物を掲げていた男が、ちゃんとお前らが仕留めたという事を明らかにしながら掲げていたとしたらどうだ?」

「そ、それならまぁ……」

「何だか恥ずかしいけどね」

「で、その男が大声で仕留めた奴の事を、『そいつは恐ろしい獣人の男で、こんな化け物を一睨みで睨み殺してしまいやがったのさぁ!』なんて宣伝していたらどうする?」

「へ?」

「そ、そんな事は出来無いぞ!」

「いやいや、出来る出来ないは関係無い。その男にとっては凄い物を見たってんで、然うとしか思えなかったから、ちょっと大袈裟に言っただけだぜ?」

「出来無いものは出来無いぞ!!」

「それは嘘だよ! 本当じゃ無いよ!」

「ま、それがお前達が王都のパンだと言ってパンを売ろうとしていた時に、やろうとしていた事だな。幾らお前達が感動したからと言って、持ち上げるのがいいとは限らないという事だ。

 じゃ、次だ。その男がな、同じ獣人が仕留めた獲物だと言って、見覚えの無い獲物を高値で売り捌いていたら?」

「だ、駄目だよ!!」

「そんな嘘吐きは捕まえないと!!」

「その通り! ――と、言いたいところなんだがな、じゃあその男の何が悪くて捕まえるんだって事になるんだ。嘘吐きは嘘吐きだが、その見覚えの無い獲物を狩った客も凄い狩人が狩った物だと思えばそれで幸せ、嘘吐きの男も儲かって幸せ、仕留めた獣人も凄い狩人だと思われて幸せ、だ。誰も損をしねぇ」

「「ええ!?」」

「――なんて言い方は意地悪だったか? 要は何が良くて何が悪いかは、見方次第でどうとでも成るから、国の偉いさんが出来るだけ揉め事が起こらない様に、これが良い事、これが悪い事、と定めているのだな。商売に関する事は商法に定めてあって、例えばお前達の獲物をお前達の名前を使って売ろうとしたり、王都のパンをお前達が売ろうとしたりした場合には、代理人契約をしろと書いて有る。どういう売り方をして、それに反した場合はどういう罰則を適用するかって細かな事まで決めておく訳だ。そうやって予め売り方を決めて合意しておけば、揉め事にもならないよな?」

「じゃあ、代理人契約をすれば、僕たちもパンを売れたの?」

「代理人契約して貰えたならな。でも、まず無理だ。信用が無い。さっき言ったお前達の獲物以外をお前達の獲物だと言って売る男と同じだが、契約したからと言って、お前達が王都のパン以外のパンも王都のパンと言って売る様な奴では無いという保証がねぇ。長年の付き合いが有る訳でも無ければ、商人ギルドで実績を積んできた訳でも無いからな。何より何がしたいのか分からないから胡散臭くて仕方がねぇ。協力なんて得られる訳が無いな。

 いいか? 王都のパン屋が旨くて感動して、それを知らしめたいなら『王都のパン屋は旨いぞ』の一言で済むんだ。それを自分の店でパンを売りたいというのは、始めに言った手柄を横取りする男の様に、王都のパン屋の手柄を自分の物として悦に入りたいと言っている様にしか聞こえんぞ?」

「そ、そんなこと言ってない!」

「そんなつもりじゃ無いよ!?」

「――と、言う様にだな! 商法だとかの法に定められている事は、従っていれば上手い事揉め事を起こさない様に考えられているのだから、まずは憶えろ! 『おかしいよ』だとか『こうしたいのに』だとかは後回しだ! そういう引っ掛かる部分はお前達がいつか揉め事を起こす部分だから気になるならメモして講師に訊け! で、メモしたら脇に置いといて、後は只管ひたすら憶えろ! 俺達だって、こんなのの裏にどんな揉め事が有ったのかなんて知る訳ねぇんだから、憶えるしか無いんだよ、分かったか!?」

「う、うん!」

「はい!!」

「だぁー! やっとか!? でかい図体の癖に暇掛かるぜ全くよう!」


 獣人達に教えようとしても繰り言になって四苦八苦していた青年を引き継いで、バルトーナッハが漸く獣人達を説き伏せた時、教室の中に拍手が響き渡るのだった。

 その中にいつの間にか混じっていたディジーリアが、バルトーナッハへと近付いて口を開いた。


「白熱の説得でした。バルトさんは獣人の人達と付き合いが長いのですかね? 私の街には孤児か置き去りにされた子しか居なかったので、今一つ付き合い方が分からないのですよ」


 鼻息を荒くしつつも困った様子のディジーリアに、バルトーナッハは呆れた口調で告げる。


「こいつら、純粋で純朴って奴だから、素直に接していれば付き合い易い筈だぞ?」

「お遣い依頼のライバルだった獣人と人獣の二人組に、報酬のおまけとして背負い鞄を上げたのですけど、それから拝まれる様になってしまいました」

「ぶはっ! くく……そいつは難儀だったな。理屈と感情を両方何とかしないと納得しない面倒な奴らだ。思い込んだら頑固なところが有るから変心させるのは難しいな、ぐふ。まぁ、戦闘では頼りになるんだが、それも数が居ないとな。天性の連携でランクの三つ四つは引っ繰り返す凄まじい戦士だぜ?」


 言いながらバルトーナッハが窓を見ると、既に太陽は沈み残照も今にも消えそうだ。

 手合わせを申し入れるにしても、今日は無理そうだった。


「それより随分と遅かったな。王城で何か有ったのか?」

「おお、そう言えば皆さん私を待っていたのですかね? ――どうもお待たせ致しました。

 いえ、私としても納品してディラちゃんの許可を貰うだけですから直ぐに終わると思ったのですけどね、試し振りに見学者が居たのはいいのですけれど、やれ手合わせをしてみろだとか、我の剣も造れだとか、まぁ五月蠅い見学者だったのですよ。それで遅くなってしまいました」

「な、何っ!? 手合わせしたのか!? で、どうなったのだ?」

「……サイファスさんはですねぇ、本当に剣士だとかでは無い様子で、手合わせの最中に剣を投げ捨てる様な真似をするのですよ。無手でもそれなりにやるつもりだったのかも知れませんけど、一流の魔術師相手に“それなり”ではどうにもなりませんよ。まぁ、次はねたが直ぐばれる目眩ましに頼る真似はしないでしょうから、どうなるかは分かりませんけどね」


 少し不機嫌そうに溢したディジーリアを、「勝った、のか……」と愕然としながらバルトーナッハは凝視する。

 その前で、ディジーリアは気分を入れ替えたのか、ルイルキースの荷物へ目を向けて確認するのだった。


「マルハリル領への荷物はこれで全部ですかね? 地図と手紙はどれですか?」


 その問いには、心配そうなルイルキースが前に出て説明をする。


「色々と詰め込んだら、こんなになってしまったんだけど大丈夫かな。運べないなら運べる分だけに減らすから言って」


 そう言って、ルイルキースは手紙と地図も取り出した。

 地図を覗き込みながら、ディジーリアは確かめていく。


「大丈夫ですよ。――でも、地図はこれですか……街道沿いに行くなら充分ですけれど、真っ直ぐ行くには使えませんねぇ。……何か近くに目印は在りませんか? 山とか塔とか湖とか。それと、マルハリル領の何ていう街の誰宛てですかね」

「うっ、分かった。手紙に宛先も書くよ。マルハリル領は王城くらいの高さからなら見渡せる程度の大きさしか無いから、街の名前もマルハリルなんだ。この辺りはそういう小さな領が多いから、街道には時々案内看板が立っているんだけどね。領都の近くには湖が有ってその周りが果樹園になっているんだけれど、あの辺りは湖も多いから……。難しいな。やっぱり、ある程度街道沿いに行かないと分からないかも。ごめん」

「いえ、いいですよ。その為に今回行くのですから。でも、街道沿いの縛りが有ると、余り時間を短縮も出来ませんね。せめてそれぞれの街の特徴でも分かればいいのですけれど」

「いや、街道は割と真っ直ぐだから、そこは大丈夫の筈だよ。バラム戦帝国との戦争で使われた進軍路だから。僕の領近くの領主は、皆戦争の功労者さ。途中の山を迂回する様にはなっているけれど、街道沿いで問題無い筈だよ。

 それと、地図は下地のマス目が大体一日分の距離だから、距離感は間違っていない筈。特徴の有る街は……ルルイエの街には尖塔が建っていたと思う。それと、フルハラールの街の家は、白壁に屋根が綺麗な青色だったよ。それと、マルハリルの実家は、湖を見下ろす一番大きな家で、“鳥”の発着は屋根の上では無くて玄関の脇に有るからね」

「いい情報ですねぇ。地図は写しを貰っておきましょう。――ディラちゃん、聞きましたね?」

「ディラ!」


 何時の間にかやって来て、ディジーリアの頭に着地したディラちゃんが、そう叫んだのだった。



 そして、お見送りである。

 事務棟の屋上に全員上がって、ディラちゃんが荷物を持ち上げてパタパタ飛ぶのを眺めていた。

 大きな木箱の天板に手をついているだけに見えるのに、浮かんだ木箱はびくともしない。


「持ち上げるのにも数人がかりだったが」

「やはり良く分からないな。あれは一体何だ?」


 ロッドワーズやライエンハルトが溢すのと同じ様な囁きは、其処彼処で溢されている。

 何より見た目がどうにも不安定なので、荷物の持ち主で有るルイルキースははらはらとした様子を隠せないでいた。


「――太陽を追い掛ける方向ですから、まだ暫く明るいかも知れませんけれど、駄目だと思ったら近くの街で休んで下さいね。全力で飛ぶのは初めてですが、ちゃんと荷物には気を遣う事。いいですね?」

「ディラーー!!!」

「それでは、行ってらっしゃい」

「ディ! ラ! ディ! ラ! ディ! ラ! ディラララララ――」


 一瞬声が歪んだと思った次の瞬間には、突風が吹いて、荷物もディラちゃんも姿を消していた。


「あ、あ、あっち!!!!」


 叫んで指差した女性の声に目を向ければ、既に豆粒よりも小さくなった荷物が更に小さくなっていく。


「うわぁあああああああ!!!!」


 ルイルキースが絶叫した。


「あの中には大事な荷物が入ってるんだぞ!! 壊れ物も! 大切な物も! 高価な物も!!」

「もう、『瞬動』と同じ方法で加速しているので大丈夫ですよ?」

「そんな筈有るかよーー!!!!」


 ルイルキースが叫んでも、既に荷物の姿は見えなくなっていたのだった。



 ~※~※~※~



 マルハリル領の領主の館では、晩餐も終えて家族が団欒の一時を過ごしていた。

 そろそろ暖炉の準備も始めようかというこの季節だが、まだまだマルハリルの館の中は暖かい。

 ソファに座る当主と奥方、ゲームに興じる子供達に、歳下の弟妹に絵本の読み聞かせをする姉。

 兎に角、マルハリルの、ルイルキースの兄弟は数が多かった。

 上は二十代半ばから、下は赤子まで、十二人兄弟の熱量が、部屋に温もりを与えていたのである。


 その温もりと同様に和やかな家族の様子を見て、家族同然に暮らしているメイドのリアニスは口元を綻ばせる。そのまま門の番をしている兵士の下へ夕食を運ぼうと館を出たリアニスは、館の前の庭に大きな影が降りてくるのを見て、思わず体を竦ませた。

 だが、パタパタと鳴る羽音が、一つの可能性に思い至らせる。


(“鳥”?)


 でも、“鳥”はあんなに大きな影をしていない。

 それでも勇気を出して、リアニスは問い掛ける。


「配達、ですか?」

「ディラ!」


 元気な声が、それに答えたのだった。



「ふぅ~む。これがその荷物なんだね?」

「ええ、それとルイ様からのお手紙が」

「……ルイ?」


 門番の詰め所に夕食を届けてから、玄関の中にその奇妙な配達の“鳥”を招き入れたリアニスは、その“鳥”から当主へ宛てた手紙を受け取って、状況を理解した。

 そしてその足で当主へと報告したのである。


 先程まで鼻唄の様に「ディラディラディラ~♪」と歌っていた謎の“鳥”も、今は大人しく荷物から離れて様子を窺っている。

 ルイと言われて首を捻る当主にリアニスが苦笑していると、子供達が呆れた様に声を上げた。


「キースの事だよ! もお! 父さん、息子の名前を忘れるのは止めようよ!」

「その所為でキースは名前を呼ばれただけで懐いちゃう、へんてこな性格になっちゃったんだからね!」

「おお! キースの事か。それならそうと――」


 賑やかな当主一家の団欒に微笑んだリアニスは、パタパタと飛んでいた不思議な“鳥”に手を差し延べる。そして“鳥”の為の部屋を調えに向かうのだった。

 この不思議な“鳥”の為のお部屋は、普通の“鳥”のお部屋でいいのか、それとも客間を使って貰うのがいいのかと、少し頭を悩ませながら。

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