(70)さようなら! 『ステラコ爺』。<中>

 無茶はお止しと引き留めるおかみさん達を後にして、そんなに時間は掛けられないと出向いた冒険者協会で情報収集です。

 初めは胡乱気に見ていた職員さんも、認識証を見せれば一発でしたよ?


「噂には聞いていたが、まさかこんなお嬢さんだったとは……」


 言いながらも筋肉の塊の様な支部長は、それでも懐疑的な様子でしたけれど、坑道の地図だとか現時点で分かっている事は微に入り細を穿って教えてくれたのでした。


「この辺りの鬼族は岩を纏う。更に上位種になると鉱物を纏い、真面な攻撃は通じんぞ? 魔術なんぞは余計にだ。派手な事をすれば坑道の崩落も有るから強引な手は使えん。悪い空気も溜まっている。儂としては反対だが、鬼族相手ならランクBだと但し書きされるその腕に、今回ばかりは期待しよう。少しでも危険を感じたなら、直ぐに戻ってくるんだぞ!」


 田舎の村人が特級の冒険者を理解していなくても、流石に冒険者協会の支部長さんは違います。

 心配されながらも送り出されたその足は、宙を飛んで一気に坑道の入口へ。入ってみれば、ちりちりとした馴染みの有る違和感です。


「“黒”、行きますよ?」


 魔力の腕を縦横無尽に張り巡らせれる坑道の中は、正に私の独擅場です。

 ちりちりとした違和感を、頭に焼き付けた坑道の地図と照らし合わせて、最短距離で向かいます。屈強な男達が鶴嘴を手に光石を提げて歩く上を摺り抜けて、『隠蔽』頼りに誰にも気が付かれる事無く坑道の奥へ。

 そして見付けた一体目は、見た目は丸で泥人形です。


「ほうほう……ここの小鬼はこんな姿なのですね? 興味深いですが――」


 今は時間が無いのですと、“黒”を軽く振り切れば、呆気無くも切れ味鋭い断面晒してゴトリと命を散らしました。

 断面を見れば、どうにも骨が見当たりません。丸で殻を纏った昆虫の様に、中身が全部筋肉に見えますよ?

 色々興味は引かれましたが、晩ご飯までに戻るには、悠長にもしていられません。おかみさん達が、今晩は泊めてくれると言ってくれているのです。


 それにしても、泥を纏って動きも鈍い泥鬼ゴブリンは、森の小鬼ゴブリンよりも私の敵に成り得ませんね。兎も角“黒”は過剰と分かりましたので、魔力の腕を張り巡らせて、落ちる様に奥へ奥へと向かいます。彷徨く泥鬼にはその頭に魔力の腕を絡めておいて、通り過ぎながら魔力の腕を引き戻し、その勢いで泥鬼達の首を捻じ切ります。やがて現れた多少大きめの岩を纏うここの岩鬼オーガも、同じく首をぐるりです。

 仮令たとえ“黒”なら斬れると言っても、振るう事すら無駄ですから、ぐるんと捩っておしまいなのです。


 でも、もしかしたら岩鬼をオーガと呼ぶのは間違いかも知れませんね。泥鬼も岩鬼も、感じる違和感に大きな違いが有りません。

 それより寧ろ、一刻もせずに辿り着いた坑道の奥で、魔の領域へと通じる穴を守っていた岩で出来た巨大な蠍が、大鬼オーガと近い違和感ですよ?

 虫には『隠蔽』が効かないおそれも有りましたので、魔力の腕で蠍鬼を掴んだ瞬間、頭と尻尾を捻じ切りましたが、心配する事は有りませんでしたかね?

 虫を真似ても目は一つだったのか、それとも体が重くて動けなかったのか、どちらにしても何の反応も無い儘に、蠍鬼も体をばらばらにしたのです。


 もしかしたら、泥とか岩とか、死んだ小鬼ゴブリンも土になったりだとか、鬼族は土に属する魔物なのかも知れませんね。

 ですけど、折角の土と言っても、この辺りの鬼族の体は鉱物なんかを含んでいそうで、畑の土には使えないかも知れません。毒の水に苦しんでいる土地なのですから、魔物肥料が活かせればとも思いましたが、中々旨く行かないものです。


 さて、蠍鬼が居なくなってみれば、其処に有るのは魔の領域へと通じる壁に開いた穴でした。

 光石なんかは全く使っていませんから、目で見るだけなら闇に変わりは無いのですが、きっと明かりに照らされていたなら、綿を詰め過ぎた縫い包みのお腹が破れて、バフッと黒い中綿が飛び出ているようにも見えたでしょう。

 私の魔力を見る目でも、そんなちょっと「あー」と呆れた声を漏らしたくなる様な、無理目の光景が見えています。

 昏い森の浅い所に、最深部へ通じる穴が開いているみたいな感じですね。漏れ出た黒い中綿も、実際には歪なので、触れようとするのも危険ですけど、もふっといい手触りがしそうですよ?


 ――なんて事も思いましたが、そんな暢気な事を考えていられたのもそこまででした。

 幾ら密集してもふもふの歪とタールの様な黒い魔力と言っても、手を加えなければ魔晶石に成ってしまう程では有りません。鉄に魔力を打ち込む事を考えれば、まだまだ隙間だらけですので、魔力で探るのに何の支障も無いのです。

 それで捉えた穴の向こうの動きというのが、蠍鬼を斃した事でこちらへと向かって来ている鬼族達の大群です。それも尋常な数では有りません。

 幸い魔の領域への穴の向こうには結構な広さが有ると見て取った私が、動きが取れなくなる前にと躍り込んだ其処で見たのは、湖程も在る広い空間に、うぞうぞとした蟲の姿の鬼族共が、何千何万と犇めいている有り様でした。

 坑道への入口が天井近くに在る為に、この大軍勢から今迄見逃されていたのかも知れませんが、これが地上へ出たなら一日掛からずこの辺りの村も町も、こぞって破滅の危機ですよ!?


 思ったよりも大事で、嫌な緊張感が背中を這いずりますね。今日はそういう日なのでしょうか?

 でも、まぁ、“黒”が居るなら、何とか成る様な気もするのです。


 思った以上の大舞台に、武者震いする“黒”へとしっかり私の魔力を通します。“気”も通した方が良いのかも知れませんけど、私の“気”なんて知れた物です。“気”を注いで消耗するよりは、今は魔力で賄いましょう。

 ナイフの儘では流石に足らないので、刀と言える長さにまで、“黒”に刀身を伸ばして貰います。常識外れの長刀は、今この時には要りません。

 頼るのは“黒”の実のやいばでは無く、『獄炎』の黒い炎なのですから。

 鬼族相手ならランクBだと言ってみても、私には結局のところ単体相手の技しか有りません。少しでも相手を巻き込めそうで、且つ消耗も少ない集団戦向きの技となると、『根源魔術』に頼るか、“黒”の持つ技に頼るしか無いのです。


 そもそも黒い炎で岩の鬼は斃せるのか、そんな懸念は有りますが、そこは追い追い確かめていきましょう。

 そう思いながら、軽く一振り。

 軽くと言っても、魔力が籠められ力が抜けた良い一振りです。

 瞬間、扇状に黒い閃光が走り抜け、蟲鬼の群れを薙いだ後に岩盤に深い溝を刻んだと思ったら、其処から黒い炎が吹き上がりました。

 ……“黒”に成って、黒い炎のレベルが恐ろしく上がった感じです。“黒”自身も驚いている様ですけれど、折角の技がこれでは非効率ですね。

 『魔弾』も私の赤い魔力を使って自力で放った時は操れたのです。黒い炎も元はと言えば私の魔力。しかも色を抜いたりはしていません。そうで無くても“黒”の魔力なのですから、操れない筈が無いですね。

 そんな事を“黒”ともしっかり話し合って、しっかり頷き合いました。

 地上の様に平らならばこんな苦労も要りませんが、そこは仕方が無いというものでしょう。


 そして“黒”を続けて一振り。黒い閃光は宙を走り、通り抜けた蟲鬼達を死骸と変えて、少し曲がって岩盤を穿ち、また黒い炎を噴き上げます。

 重ねて“黒”をもう一振り。今度は早くから曲げ過ぎて、惜しい所で掠る様に岩盤に当たり、斜めに黒い炎を撒き散らします。

 ……どうにも黒い閃光が疾過ぎて、操作が追い付いていませんね? それなら予め飛び行く軌道を決めましょうか。

 位置を変えて更に一振り。今度は黒い閃光も綺麗に曲がり、地表を舐めて――決めた軌道の終着点で、結局岩盤に突き刺さってしまいました?

 ほうほう、数十匹も撫で斬りにして、まだまだ余力が有ると、そういう事なんでしょうかねぇ?

 それならばと、もう一振り。閃光が終着点に着く前に、次の軌道をささっと決めて、更に終着点に近付いたなら、更に次の軌道を決めましょう。

 果物の皮を剥く様に、大空洞の内壁に沿って、蟲鬼へ死を振り撒く黒い閃光が走ります。息切れした閃光が黒い炎を散蒔ばらまいたら、次の閃光を解き放ち、それが息切れしたらまた次と――。

 そうして一通り内皮を剥いた筈なのに、見れば斃した筈の壁面に、再び蟲鬼が犇めいています。

 復活した訳では有りません。壁や床に開いた穴の奥から、慌てて戻って来た蟲鬼共です。

 まぁ、それも分からないでは有りませんね。何故と言ってもこの空間の真ん中には、鬼族の拠点と思われる球状の界異点が有るのですから。拠点の危機を見過ごすなんて、兵にとっては失態でしょう。

 そうは言っても蟲鬼達の行く末には、滅亡の未来しか有りません。黒大鬼くろオーガに相当するだろう大百足が群を成しても、岩とは違う硬い甲殻を纏った蠍鬼の上位種が立ちはだかっても、放った私が呆ける程に、薄く圧縮された黒い炎は容易く斬り裂いていくのです。


 最後に残った、と言うよりも残したのは、その中央の界異点です。黒い球体の界異点が、並んだり積み重なったり、六つ程一つ所に集まっています。

 辺りに積もるのは、蟲鬼達の残骸です。呆れる量で、豊穣の森の湖が埋まってしまいそうな量が有りますけれど……私の『亜空間倉庫』には、きっと入ってしまうのでしょうね。まだ弄っていない私の『亜空間倉庫』も、呆れる程の容量が有るのは、技能自身が教えてくれるのでした。

 選別するのも面倒ですし、いっそ全部持って帰りましょうか。鬼族の角の髄には厄介な性質が有る事が分かっているのです。放置しておけば新たな界異点が生まれかねません。

 そう思いながら回収して、壁の穴にも輝石を飛ばして討ち洩らしが無いかを確認して、誰も知らない所で黙々と働く蟲鬼殺しのディジーリアなのですよ。

 その序でに目ぼしい鉱石も回収して、漸く界異点を残すのみになった時には……一体何時間経ってしまっていたのでしょうかね?

 兎に角残る界異点の始末さえすれば、後は地上へ戻るだけ。其処へ至って漸く私は、ほっと一息吐いたのでした。


 さて、界異点を討伐するのに、幾つか準備が必要です。

 何と言っても魔力を使い過ぎました。黒い炎を操るなんて事をして、消耗を抑えていなければ、疾っくの昔に恐らく枯渇していたと思う程に。なので、まずは魔力の補充です。

 “瑠璃”に鉄球を出して貰って、内側の輝石をほどきます。私の魔力に還元すれば、量だけは充分確保出来ますね。

 それが終われば休憩です。界異点から魔物が出て来ないとも限りませんので、距離を取って休みましょう。

 何とか鬼族の大群を殲滅する事は出来ました。相性故にランク差以上に上手く嵌まって、ここまで蹂躙出来たのでしょう。ですけどそれは私の力で為し得た事では有りません。ランクDの“黒”の力の御蔭です。私だけでは足りなくて、きっとこの大空洞を崩落させて、何とかしようとしたのでしょうね。

 “黒”も含めて私の力と言って構わないのかも知れませんが、格上の力を何とか御そうとするのは疲れるのですよ。それが出来たのは、私が魔力の扱いに特化していたからでしょうけれど、それにしたって頭の奥に疲れが残る状態では、これからする事に支障をきたしてしまうのです。

 そう、これからしなければならないのは、冒険者の行き着く所、即ち界異点の討伐なのですから。


 何もしないで休むよりも、軽い作業をしている方が、何となく気持ちも休まります。

 もさもさと繁る大量の歪と黒い魔力を使って、巨大な黒い魔石を創り、興が乗ってどんどんそれを大きくします。空洞の中の魔力と歪を集めたら、私の背丈を超える程になりましたけれど、まだまだ大きく出来そうですと、更に界異点の一つから、魔力と歪を引き出します。どんどんどんどん引き摺り出して、黒い魔石がドルムさんより大きくなったその時に、――突如界異点がほどけました?

 界異点の内と外を隔てる境界が、斑に消滅したと見る間に空間を割って巨大な甲虫が飛び出てきたのですから吃驚です。家を三軒纏めて輪切りに出来そうな巨大な大顎。頭から突き出した何本もの巨大な角。その真ん中の角の根元は大きく膨らみ、網が掛かった様になっていますが、其処からは嘗ての私の誤ち、あの界異点のたねの気配がしています。


 ……もしかして、あれが異核という奴ですかね? 界異点の魔力と歪を吸い上げてしまった為に、界異点が無くなって、守護者が異核と共に追い出されてきてしまいました?

 …………また、通常の方法で無いとか何とか言われてしまうのでしょうかね?


 なんて、そんな事を考えているその時には、殆ど反射的に私は甲蟲鬼の上に回り込んで、竜毛虫討伐の再現とばかりに、常識外れに伸ばした“黒”を振り下ろすところだったのです。

 焼き直しとばかりに首を無くした甲蟲鬼。そのままぐしゃりと体を沈めたのですが、虫に見えても脚はうじゃうじゃと何本も有って気持ちが悪いですね。『亜空間倉庫』に入れるのに躊躇してしまいそうですよ?

 まぁ、界異点の外に出ているとは言え、異核をそのままにして置く訳にもいきません。前は毛虫殺しを突き刺して、異核の向こうを灼き尽くそうとしてしまいましたけれど、一体何処を灼いていたのか。取り敢えず、斬ってみる事にしましょうかね?

 そう思って軽く“黒”を一振りすれば、呆気なく異核は壊れて、パリンという音と共に砕けて消えてしまいます。砕けた残骸も残りません。もう違和感も感じませんよ?


 余りの呆気無さに少し呆然としてしまいましたが、よくよく考えてみれば鬼族の守護者と界異点の組み合わせ、それも森の鬼族よりもくみし易い相手なのです。これは当然の結果なのでしょう。

 甲蟲鬼を『亜空間倉庫』に仕舞ったら、試しとばかりにもう一つの界異点へと向き合います。

 魔力で探れば……探れますね? 界異点の中は見た目よりも遥かに広くなっていて、そこに巨大な甲蟲鬼が居座っている様ですけれど……。

 “黒”にたっぷり魔力を籠めて、ただし『獄炎』では無く大猪鹿の首を落とした時の様に、練り込んだ黒い魔力を活性化しながら気合いと共に振り抜きます。

 斬撃は界異点を真っ二つに断ち割って、更に中の甲蟲鬼も真っ二つに。

 ささっと飛んで離れましたが、この界異点は何も吐き出さずに、パリンと消えてしまいました。

 ……これも、通常の方法とは違うと言われてしまいそうです。


 次の界異点には、輝石を放り込んでみましたよ?

 問答無用で異核だけ砕いて、すたこらさっさと撤収です。

 この場合はじわりと消えて、やっぱり何も残しません。


 少し落ち着いて考えてみます。

 神々に教えて貰った、ランクの暫定を取る条件。

 界異点の中に侵入して異核を壊せと言われましたが、どうやら問題無く達成する事が出来そうです。


 四つ目の界異点に、意を決して軽く手を触れさせると、何だか憶えの有る感覚がします。触れた手の周りを覆うこの感じ、『亜空間倉庫』に手を入れた時とそっくりです。

 時空のメイズ様には、界異点討伐に必要な力も『亜空間倉庫』には含まれていると聞いてましたが、つまりはこれの事でしょうかね?

 ぐいっと肘まで突っ込むと、肘まで覆われている感じがするのですが、『亜空間倉庫』と違って魔力で探ればその先の様子を調べる事も出来ました。

 ……よく分かりませんね。鬼族自身は界異点の中と外を行き来しています。つまり、出入りが出来ない訳では有りません。魔力を纏って歪と黒い魔力を防ぐだけでは足りないのでしょうか?

 こういう時こそ協力者の森犬さんに御同行願いたいものですけれど、ちょっと打つ手が有りません。それに、森犬さんはきっと直ぐ歪化してしまうでしょうから、協力者が居てもどうにも成らないかも知れませんね。


 魔力も歪も歪擬きも見える様には成りましたが、まだまだ見えない物は有るのでしょうと頭に置いて、まずは正当な手続きを踏む事に致しましょうか。


 とは言え、何が起こるか分かりませんので、体の周りには厚く固く魔力を纏い、『隠蔽』も強めて息を止めて。

 ゆっくりと界異点に身を沈ませていけば、境界を通り過ぎた途端に、目の前に映し出される守護者たる甲蟲鬼の、姿?

 ……何故見えるのでしょう? 魔力を見る目でも無く、普通に見えてます。

 少しばかり、この『亜空間倉庫』も結局過保護寄りの技能なのかも知れませんとは思いましたけれど、自由に弄って良いと言われているのですから、検証はまた後ですね。

 それでも一言、言わせて貰うとするならば、こんな過保護は冒険者の為にはなりません。これを当然と思ってしまっては、己の実力を見誤ってしまいます。言ってみれば、私が蟲鬼達を殲滅出来たのは“黒”有ってのものなのに、自分だけの力と勘違いする無様を、知らず晒される様なものですよ? 逆に其処に気が付く人ならば、何とも言えないむず痒さを覚えるに違い有りません。

 何だか息も止めなくても、普通に呼吸出来そうですけど、其処まで『儀式魔法』に身を任せる事が出来ないのが『根源魔術』遣いというものなのですよ。

 とっとと守護者を片付けて、息が苦しくなる前にこの異界から脱出してしまいましょう。


 界異点の中の異界には、黒い魔力と歪がたっぷり詰まっています。さっと集めて纏めるだけで、魔石で出来た黒い楔が六本程。「流れ」と「斥力」で『魔弾』の様に撃ち出しましょう。

 異核に一つ、頭に続けて残りの五つ。

 撃てばそのまま転進して、異界から脱出です。パリパリと砕ける様な音がして、四つ目の界異点も消えました。


 これで条件は満たせたのでしょうかね?

 まぁ、満たせて無くても構いません。

 過保護な神々におんぶに抱っこで界異点を潰したところで、それで特級だと言ってしまうのは恥ずかし過ぎます。少し前ならまた違った答えを出したのでしょうけど、今は出来る事を出来るだけで充分です。出来ない事を何故か出来るのは、厄介事にしか成りません。『儀式魔法』の面倒さを知っているだけに、その考えはすとんと胸に落ちてきたのでした。

 ランクBが鬼族限定の暫定で、そうで無ければランク一だというのなら、それはそういう事なのでしょう。無理をして暫定を取る必要も無いのです。いざとなれば神様助けてと泣きついて、助力を得る事が出来るのだと、それが『儀式魔法』なのだと知っていればいい話ですね。


 そう思うと、気持ちが楽になりました。

 そこで考えてしまったのは、三つ分の界異点で守護者の素材をみすみす見過ごしてしまうとは、なんて勿体無い事をしてしまったのでしょうという事でした。

 それなら残った二つの界異点は、素材の確保を優先する事に致しましょう。


 まぁ、実験もしますけどね?


 界異点の表面を軽く撫でます。『亜空間倉庫』製の保護膜が揺らめきますが、魔力とはまた違います。……宙に引っ掛け魔力の技での引っ掛け部分を壁状にして、ぐいっと押し込めば同じ様な事が出来そうです? あれも『根源魔術』の「空間」の力だとか言ってみたりはしていますけれど、魔力を動かしたり変質させたりするのとはまた違う、何だかよく分からない力なのです。

 空間に働きかける力は、『亜空間倉庫』に通じる物が有りますし、よく分からない部分を突き詰めて分かる様になった時には、自力で『亜空間倉庫』を維持出来る様に成っているのかも知れません。

 そう思って、「空間」を意識してぐいっと押し込めば、……界異点の境界面が凹みましたね? 「空間」を踏み抜く様にしてみれば、――あっ、『亜空間倉庫』に引っ張られる感じがします。

 空間が壊れる様な事は、『亜空間倉庫』に制限されているという事でしょうか? それもおかしな話ですけど。『亜空間倉庫』持ちでは無い人の事故を考えていませんし、自力で制御出来る人の成長を阻害しそうです。

 まぁ、それだけの危険が有って、それでも自由に力を使いたいなら、『亜空間倉庫』を読み解けという事なのかも知れませんけどね。やりたい事に対して、試験の内容がやけに高い様な気もしますけれど、しっかり道を示してくれているのですから、文句を言うのも筋違いでしょう。


 でも、まぁ、出来る事は試しますよ?

 「空間」の力でぐぐっと体の周りを押し広げます。今迄「空間」は“点”でしか使っていませんでしたので、行き成りの“面”は結構感覚が違います。そもそも「空間」の力は“点”であっても使い熟せていなかった様な気がしますので、尚更ですね。

 喩えるのなら、「活性化」を編み出した初めの段階では、回復薬の小瓶の魔力をぐるぐる動かしていたのと同じです。直接作用を及ぼせていないのです。今なら魔力の緊張状態を作り出して活性状態への移行を促しますけど、それだって本当のところは間接的に影響を及ぼしているだけで、直接活性させているのとも違う様な気もしているのに、空間を押し広げるこれは更に迂遠な方法に感じるのです。

 直接触れる事も出来ないずれた何かを間接的に動かそうとしているのを、直接弄れる人が見れば、危なっかしくて仕方が無いというのも理解の出来る話では有ります。

 つまり、魔力を動かす感覚が掴めなかったガズンさんや、魔力を見る事が出来ずに迷走していた研究者達と、同じ立ち位置に居る訳ですね。

 それで扱う物が危険な物でしたら、私だとしても合格点は高く設定してしまうでしょう。


 で、其処迄考えて、界異点の境界を凹ませながらもその中へ侵入しようとしつつも思い付いてしまったのです。私には直接「空間」を操る力が無い、あるいはまだ未熟だとしても、“黒”や“瑠璃”はどうなのでしょう、と。

 こういう時の思い付きって、結構本質を突いている様な気がしますから侮れません。

 ……まぁ、まずは空間を広げて押し入った場合にどうなるか、ですね。腕を肘まで差し込んだところ、その周りでは丸で透明な着包みを纏っているかの様に界異点の境界が押し退けられています。異界に触れていない為か、『亜空間倉庫』の保護膜は発生していません。おお……どうやら方向性に間違いは無い様ですね。

 そのまま前進して、界異点の中の異界へと。踏み込んでみれば、目で見える周りの様子は完全な漆黒。魔力を見る目では何時もの通り。『亜空間倉庫』の過保護は働いていませんね。

 ですが、これでは飛び跳ねたりは出来ませんよ。ゆっくりとしか動けません。――今はまだ、ですけれど。

 押し広げられた境界は、激しく波打ち一時いっときとして安定しません。そんな纏めきれない力を露わに縄張りの中へ侵入されれば、さすがに『隠蔽』も働く事無く守護者にだって気付かれるのでしょうけれど――


「“黒”、私が特訓している間のあれの相手はお願いしましたよ。素材は回収しますから、見事な解体を見せて下さいね」


 なんて“黒”にお願いすれば、独りでに動き出した“黒”が甲蟲鬼をあしらいながら、縦横無尽に異界の中を飛び回ります。

 ……“黒”には界異点、というより異核の種を作り出したと思われる、角の髄もたっぷり練り込んでいますからね。元々剣の様な無機物がこの異界の影響を受けるのかは分かりませんでしたけど、“黒”ならまぁ大丈夫だとは思ったのですよ。

 “瑠璃”にも大猪鹿の魔石を練り込んでいるのですから、当然直接空間に干渉する事が出来るでしょう。そう思って黒革鎧の胸に挿したそれぞれの剥ぎ取りナイフを通して力を使うと、“黒”なら異界に隙間を作れましたし、“瑠璃”は体の周りの空間が呆気なく安定しましたよ?

 その感覚を覚えておいて、もう一度自力に切り替えましたら、今度は歩ける程度には、周りの空間を安定させる事が出来ています。


 まぁ、色々と推測する事は出来る訳ですよ。前々から何となく感じていた事ですけれど、魔力にはそれぞれ性質が有って、出来る事と出来ない事が決まっているのではとか、そういう事ですね。

 棟梁がくゆらせていた水煙筒に用いられる魔石の魔力が癒しの力を持つ事だとか、大猪鹿が空間に干渉する力を持つ事だとか、“黒”の『獄炎』を私が使えない事だとか、思い当たる節には枚挙に暇が有りません。

 私は色々と魔力で出来る事は多いですけど、「活性化」の様に間接的に何とかしていそうな物も多いのですから、やっぱり属性とか適正というものは有るのでしょうね。何と言っても、“黒”や“瑠璃”を通じてならしっかり感じた手応えが、自力では殆ど感じる事が出来ませんから。

 どうやら私の「空間」への適正は、殆ど無いか低い様です。それとも空を飛べる事を考えると、「空間」と「亜空間」は違うのでしょうか? ……宙に引っ掛け魔力の業を、割合直感で使えた事を考えると、違うというのが正解の様な気もします。

 そう考えると、祝福技能や儀式魔法も侮れません。自分に無い属性だとかの力まで、神様にお願いする事で使える様に成っているのですから。そうだとすれば、祝福技能の価値が一気に爆上げです。

 まぁ、時空のメイズ様には大風呂敷を広げてしまいましたので、笑われてしまうかも知れませんけれど。でも、適正がこれから伸びないとも限りません。とは言え、今行き成り出来る様に成るものでも無いでしょうし、うっかりしていましたけれど、晩御飯までには帰らないといけないのです。

 そろそろ切り上げ時でしょうかね。


 そう決めてみれば、既に“黒”によって甲蟲鬼も虫の息です。

 うじゃうじゃした脚は全て斬り落とされて、はねも根元から分かたれて。私の遣り方を見て理解していたのか、異核が有る角以外は綺麗に刳り貫かれたりもしています。


「異核が有る角は、異核部分だけ別にして、落としちゃって下さいな。綺麗に異核の部分だけ残せば、多少は余裕が出来るでしょうから。全部済んだら、“黒”が首を落としてくれていいですよ?」


 なんて伝えれば、嬉々として“黒”が腑分けを進めます。

 その間に、既に分けられた素材を手元に引き寄せてはみましたが、どうやら異界の中で『亜空間倉庫』を開く事は出来ない様子です。

 これは説明が無いと、行き成りピンチに陥ったりもしそうですが、まぁいいでしょう。見た目は外から見た界異点と同じ、黒い球体の異界からの出口へ、手に入れた素材を放り込んで、そして“黒”が落とした甲蟲鬼の頭と胴体も……いえ!? 通りませんよ!?

 小さな出口を通す為に、切り分けないといけないでしょうかと思っていたら、“黒”が何かをして、頭と胴体も異界の外へ。

 やっぱり、“黒”ならば異界の力も扱えるという事なのですね。


 そして残ったのが、膨らんだ網掛け部分だけ切り出された異核ですけど、念の為外に出てから最後の実験を始めましょうか。


 異界から出たら甲蟲鬼の素材を仕舞って、界異点へと向き直ります。

 界異点の中へ送り込んだ魔力を、中からの出口に程近く置いた異核へ纏わらせて。――で、何をするかと言えば、異核の魔力を私の魔力と置き換えたなら、私専用の異核的な超稀少素材が手に入らないかという事なのですが、ぁああ!?

 …………界異点が、今迄とは違ってグシャッと圧壊してしまいました。外に出ていて正解でしたが、不思議素材は手に入れる事は出来そうに無いですね。


 最後に残った界異点は、さくっと処理してしまいましょう。

 後始末の事まで考えるなら、初めの界異点と同じ方法が良さそうです。

 界異点から魔力を抜いて、今度は輝石に纏めてみましょう。余計な歪は巨大魔石に絡めておいて、“黒”に上げる大剣と、自分用の黒い輝石の剥ぎ取りナイフを創った後は、只管輝石に纏め上げて、界異点が消滅して甲蟲鬼が吐き出されたら、首を落としてとどめです。

 異核だけ残して『亜空間倉庫』に仕舞ったら、これが最後と気と魔力を溜めに溜めてから、異核へと“黒”をそっと差し込み異核の向こうを『獄炎』で灼き払います。

 不思議と感じる手応えが無くなったなら、“黒”を抜いてから異核を壊してしまいましょう。


 忘れ物は無いかと辺りを見て回れば、私が回収したからか黒い魔力や歪も随分と薄まって、何だかとてもいい感じ? 界異点が壊れる時に吐き出された、歪の残り滓を巨大魔石に絡ませて、巨大魔石も『亜空間倉庫』に仕舞いましょう。


「これは“黒”へのご褒美ですよ」


 と、黒い輝石の大剣を示せば、喜色満面にもぐもぐと、どうやってか“黒”はその身に取り込むのでした。

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