(71)さようなら! 『ステラコ爺』。<下>

「はふぅ~……流石に疲れたのですよ……」


 そんな台詞と共に地上へ帰還してみれば、最後の残照が消え行こうとしている頃合です。

 晩御飯も気になりますけど、先に冒険者協会に報告しないといけないでしょうね。

 冒険者協会の扉を開ければ、何処いずこも同じく食事処が併設されていますので、既に晩御飯を掻き込む冒険者……というより坑夫達が騒いでいます。

 まぁ、私は受付で支部長さんを呼んで貰うのですけどね。

 現れた支部長さんは、目に見えてほっとした様子を見せましたので、厳つい見た目に反して情け深い人なのでしょう。


「で、どんな様子だった? 儂も一度は出向いたが、儂の技は坑道では丸で役に立たんでな。崩落させるだけと分かってからは出向く事も出来ん。特級の名が恥ずかしいばかりだが……。御領主も含め暗所坑道に適応した特級などそうおらんが、その様子では何か掴んだのだろう?」


 奥の部屋に入った途端、厳つい支部長が矢継ぎ早です。それだけ忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。


「凄かったですねぇ~。坑道の奥を抜けると、行き成り深部のど真ん中で、数え切れない鬼族が群れていましたから、氾濫が起こっていないのが寧ろ不思議な状況でした。鬼族にとっても、深部から行き成り領域外に出るのには二の足を踏んでいたのかも知れませんけれど、侵攻を開始された瞬間に、この町は終わっていたかも知れませんよ?」

「むぅ……地上に出て来たならそれこそ儂の出番だが、やはり閉鎖するしか無いのだな」

「え!? ……いえ、全部潰してきましたよ? 結構ぎりぎりでしたので、まぁ疲れてはしまいましたけれど。坑道に入り込んでいたのも帰りに浚っておきましたので、もう大丈夫なのでは無いですかねえ?」

「何だと!? いや、幾ら地図が有ったとはいえ、行って帰って来るだけでもこれくらいには成る筈だぞ!?」

「狭くて暗いだけなら私の場合何の妨げにもなりませんから、行って殲滅して帰ってくるだけなら、もっと早く帰って来れましたよ? 界異点が六つも有ったので、色々と実験をしていたら遅くなってしまったのですよ」


 唖然としている支部長さんに、私の要望を伝えましょう。


「という事でですねぇ、私の『亜空間倉庫』を鬼族素材が圧迫していますので、何処かに放出していきたいのですけど、いい場所は有りませんか? 染み付いた鬼族の魔力が悪さをしないとも限りませんので、水源とかに関わらない窪地で風下がいいのですが」

「ま、待て!? 落ち着かせてくれ。……え? 鬼族の素材がどれだけ有るって?」

「守護者の三匹分は界異点と一緒に消えてしまいましたけれど、残り三匹分は確保しましたし、何千何万と居た細かいのも合わせると小山になりますかね?」

「ぅえ!? …………よし、理解した。まぁ居るわな、飛び抜けた奴ってのは。場所か……よし、検討するから待合室ででも待っていてくれ」


 そんな事を言われましたので、坑夫ばかりの待合室で、果実水を手に一息吐いていたのですけれど……。


「――そんな事を言っても、お山には魔物が溢れているって言うじゃねぇか! 俺は坑夫にならねぇ! 冒険者になって魔物を狩って身を立てるんだよ!」

「馬鹿を言うんじゃねぇ! そんなひょろい形をして、何が出来るってんだ! 無駄死になんざさせられるかよ!」


 ……おや? 何やらドラマが始まっていますね?

 目を遣れば、屈強な坑夫っぽい人に、食って掛かる若者です。学園を出たくらいですかね?


「親父こそ何を言ってるんだ! 俺が本気を出して、泥鬼ゴブリンなんざにやられる筈がねぇだろう! 親父がそう言ったんだぞ!」

「それとこれとは話が別だぁ!」


 あ、駄目です駄目です、笑っては駄目ですよ?

 それにしても、デリラの街にもそれなりに居た、根拠の無い自信を宿した冒険者の、根拠というのが何か分かってしまいましたね。根拠は親の言葉でしたか。

 本気を出せばなんて言うのは、常に本気の全力疾走を続けてきた身からすれば失笑物ですけれど、それが出来たのも朧気に残る前世の記憶有っての物でした。それが無かったとしたならば、せめて父様が私を認めてくれる一言をくれなければ、頑張る事は出来無かったでしょうね。でも、それは私には無かった物だったのです。

 私が私を認める事が出来る様になるまでは、中々辛い日々を送ってきた自覚が有りますよ? そんな私からすれば、随分と恵まれた環境に思えますけれど、それを活かす事が出来なかったのでしょうね。若者からは、凄みの様な物が一切感じられません。

 グディルさん並と高望みなぞはしませんが、せめて小鬼ゴブリンくらいは圧倒して欲しいものですよ。


「あんなチビだって冒険者をしているんだ! 俺に冒険者が出来ない筈がねぇ!!」


 ……おっと、何の気無しに眺めていたのが悪かったのでしょうか? こちらに飛び火しましたよ?

 ですがこんな主張の出汁に利用されるのは、私としても業腹です。後輩の指導も、先輩冒険者としての務めと有れば仕方有りませんね。

 なんて思って――


「おい、若ぇの。ちょいとそいつぁ聞き捨てならねぇな。本気を出せばと粋がっているみてぇだが、本気を出してこなかった奴の今更の本気なんざ高が知れてるぜ? 大方やれば出来るとでも言われてきたんだろうが、やらずに来たなら出来ねぇままなのは仕方がねぇ。だが、そいつを理解してねぇのならな、――死ねぜ?」


 ――魔術も使って渋いおとこの声音で返してみれば、一瞬で待合室が静けさで満たされたのです。


「冒険者って言ったところで、坑夫と何も変わりゃしねぇ。鶴嘴使って毎日こつこつ鉱脈を掘る代わりに、剣を使ってこつこつゴブリン共の頭を掘るのさ。運が良けりゃ一財産も掘り当てられるし、背伸びして派手な真似をやらかせば死んでしまうのも変わらねぇ。こつこつ積み上げていくしかねぇのさ。……なぁ若ぇの。俺にはお前さんのこつこつ積み上げてきたものってぇのが見えねぇんだが。そいつが無けりゃあ、冒険者どころか、他の何にも成れやしねぇぜ?」


 残った果実水を一息に呷って、軽く首を振り渋く決めました。

 コツンとグラスを置いたのと、ゴツンと拳を落とされたのが同時です。

 見上げると、案内をしてくれた、グォンドルさんでしたかね? 腕を組んで厳つい顔で見下ろしています。


「おや? こいつぁグォンドルの兄貴じゃねぇですかい。こんな所までどうしやした?」


 声音を戻してそう問えば、グォンドルの兄貴、ふんと鼻息一つ吹いてから、呆れた様に言いました。


「飯にも現れずにこんな所で何をしてんだぁ? 姐様方が心配してんだ。とっとと帰るぞ」


 そんな事を言われるという事は、おや、結局間に合いませんでしたかね?

 受付の前を通る時に、奥の支部長さんへ向かって「一度ご飯を食べてまた来ます」と伝えれば、「おう、そうしてくれ! 場所は見繕っておこう!」といらえ有り。そのまま親分さんちへとグォンドルさんと一緒に向かったのです。



「おう! 見付けてきたぜ! 協会で若いの相手に説教くれてやがったわ!」


 ガラリと引き戸を開けながら、そう言い放つグォンドルさんですが、最初のお堅い礼儀正しさは私に合わせてくれていたという事でしょうかね?


「只今帰りやした。遅くなりやしたこと、失礼致しやす」


 と、グォンドルさんが居る前では普通に喋っていなかった事も有って、思わずそんな挨拶をしてしまいましたら、口元を指して「口調」と窘められてしまいました。

 待ってくれていたのかも知れませんけれど、配膳もこれからで、それ程ご迷惑をお掛けはしていなかった様子なのが幸いです。

 水が貴重という割に、水で戻す食材が多いのには、水の魔道具の普及が背景に有るのでしょうか。


「で、今日は何をしてきたのかい?」

「お山を何とかしてきましたよ? 結構ぎりぎりでしたので疲れました」


 なんて食事の席で言ってみましたけれど、どうにも信じて貰えていませんね。

 下手な冗談だと機嫌を損ねる感じも有りましたので、そんな話題は封印です。

 恩を売るつもりも有りませんでしたので、それは別に構わないのですけれど、この後の予定は言っておかなければいけないでしょう。


「この後でまた冒険者協会に行かなければいけませんし、夜を徹しての作業になるでしょう。折角お泊め頂けるとお伺いしていましたけれど、どうにも戻って来れそうには有りません。朝にはまたお呼ばれしても構いませんか?」

「馬鹿をお言い! 子供が徹夜なんてしていい事なんて有るもんかい!」

「いやな、それが本当にゴッズの奴と約束が有るらしいんだわ」

「ふふふふふ……これでもデリラの街では毛虫殺しのディジーリアと呼ばれた冒険者なのですよ」


 そんな話を続けつつ、ちょっとおかみさんを怒らせてしまいましたけれど、食事が終われば私は冒険者協会へと向かいます。

 だって仕方が無いじゃ無いですか。説得しようと思っても、いつまで掛かるか分かりませんし、私は早く王都へ行かなければならないのです。

 いつまでになんて期限は書いていませんでしたが、それだけに却って早目の到着を急かされている様なものですよ?



 冒険者協会の扉を開けて、中に入ると何故か微妙な空気が漂っていました。

 ……と、言うより、私を見て微妙な空気を漂わせましたね? ほら、そこ! そこのあなたですよ!


「ん? 何をしている?」


 ぐっと睨みを利かせていると、支部長さんが出て来てしまいました。

 微妙な雰囲気の冒険者達に後ろ髪引かれつつ、奥の部屋で地図を見せて貰ってみれば、廃棄物置き場の候補地は、町からそんなに離れた場所では有りません。

 町の人でも一刻少しで辿り着けそうな場所ですが、水源に関わらない窪地で風下という条件は満たしているそうです。


「今から行くのか? もう外は真っ暗だぞ?」

「星は出ていますよ? 明日には王都へ行く事を考えると、のんびりしては居られないのですよ」

「ふむ……まぁ、案内はしよう」


 そんな支部長さんと一緒に出たら、軽く候補地まで駆け足です。

 走ってみてから、最近地上を駆ける事が無かった事に気が付きました。

 おや? いけませんねぇ。これでは“気”が鍛えられません。空を飛ぶのにも体力は使うのですが、筋肉とは違う感じがしますからね。

 明日は王都へ行く道を、偶には走ってみましょうかね。

 なんて思っている内に、候補地に辿り着いていました。


「よし、此処だ。街道も近いが、町と違って通り過ぎるだけなら影響も無かろう。まぁ、態々便の悪い場所にする事も有るまい」

「余り物は置いて行くつもりですからねぇ。好きにしてくれればいいですよ?」


 協会に帰る支部長さんを見送れば、さて、ここからは私の時間です。

 どうせなら、再利用出来るのがいいですよね?

 それならこうして……あれはこうで……。

 ――さあっ! やりますよっ!!



「で、朝まで帰って来なかったのかい?」

「そうですけれど…………おかしいですねぇ? 何か間違えましたかね?」

「何がおかしいもんか! おかしいのはお前さんだよ!」

「むぅ……一宿一飯の御恩は働きで返すものと思ってましたが……」

「一宿してないさね。子供がそんな気を遣うんじゃ無いよ、全く心配させないでおくれ?」

「……一人前の冒険者に、それもちょっと酷いですねぇ」


 朝御飯に寄せて貰っての席上ですけど、どうにも子供扱いされるのは、避けては通れぬ道の様です。

 こう、歴戦の冒険者の様な貫禄っていうものは、どうすれば身に付くのでしょうかねぇ?

 デリラでは氾濫を一つ治める切っ掛けを作って、この町でも氾濫の前兆から未然に防いで、更に界異点を六つも潰して、やっている事は充分に英雄の資格有りだとは思うのですけれど、初見で見透かされた事が有りません。態度を改められたらそれはそれで面倒と思うのでしょうけれど、子供扱いされるよりはましな気がするのです。


「嗚呼……そういうことかい。分かったよ。つい、うちを頼りに来る連中に重ねちまったが、初めからうちを頼ったりなんかしてなかったね。何だい、いい大人は食事から寝る場所、仕事の世話まで頼りに来てさ、こんな子供は一本立ちしているなんて、あべこべじゃ無いか」


 くいくいと、袖を引っ張られて右隣を見ると、年下のウルカが「一本立ちって何?」と聞いてくるので、ぴたっと見事な片足立ちを決めてみたら、座って食べなと怒られました。


「一本立ちって言うのは、他に寄り掛からずに自分だけで立っていられるって事だよ。親父を頼ってきた奴らは、初めの頃は親父に寄っ掛かってばかりだったからなぁ」

「俺らは違うぞ? 恩を返す為に居残ったからな。まぁ、その恩も返せたと思った頃には別の恩が積まれているんだがな」

「父さんに態々挨拶に来るなんて、当てにして厄介になりに来るのしかいなかったからねぇ。……うちの子になるならうちのルールが有るけど、客に押し付ける物でも無かったね」

「ふん、客には客の礼儀があるさね。それに子供に無理をさせて、余所の子だろうと見過ごすのは人で無しさ」


 まぁ、確かに面識も無い余所者が頭を下げに来るなんて、然う然う有る事では有りません。それが軒並み庇護を期待して来ていたのなら、そういう態度を取ってしまう事も有るでしょう。

 でも――


「でも、これからは訪問客も多くなると思いますよ?」

「そりゃまたどうしてだい?」


 おっと、思わず口にしてしまいましたけれど……でも、本当に訪問客が増えるかも知れないとなれば、教えておいた方が良いですね?

 ドドロザオさんが噂の出所かと口にした名前にステラコの名前が出て来ませんでしたから、どうにも演出過多の疑いが晴れないので、情報の出所が本だとは告げていなかったのですけれど、黙っているのは問題の先送りにしかなりそうにないですね。


「本が出てますからねぇ。――……ほら、これですよ?」


 背負い鞄から『ブラウ村のステラコ爺』の最新刊を取り出して見せると、皆さん近くに寄ってきて覗き込みました。

 おかみさんに手渡せば、床に置いた『ステラコ爺』を、一枚一枚ページを捲りながら、皆で読み進めていく様です。


「……そう言えば、居たな。こそこそと人目を避ける事ばかりは巧い、よく分からん奴が」

「聞きたく無かった情報が出て来ましたねぇ。やっぱり、無類の剣士というのは誇張ですかね」

「彼奴が剣士だと? 冗談にしても酷すぎるな。へっぴり腰で剣を振る事も出来ねぇよ」

「嗚呼。訓練期間中に奴隷解放されたから無事だったが、ありゃ見せしめにされていた口だぜぇ?」


 全く、本当に聞かない方が良かったですよ。

 私だって冒険譚は脚色していたりするのですから、物語が真実で無いのは分かりますけれど、『ステラコ爺』の売りは全て事実だと謳っているところに有るのです。

 冒険者を目指す私のバイブルでしたのに、もう今迄と同じ気持ちでは読めません。


 そんなに厚い本では無いので、読み切るのにもそう時間は掛かりません。

 その間に、私は出立の準備ですと、久々に自分の装備の手入れです。

 黒革鎧を布で磨いて、黒革ブーツの泥を落として。


「いい装備だな」

「全部私のお手製ですよ?」

「そいつは、凄ぇ」


 グォンドルさんやドドロザオさんは本への興味は無くしたのか、私の手入れの様子を眺めています。

 棍も“黒”も瑠璃色狼も。鞄の金具に至るまで磨き上げて、そろそろお暇しましょうかと振り返ってみれば、何故か頁を捲るのは小柄なお婆様一人だけで、後の人達は部屋の隅に固まってしまっています。


「おかしいねぇ? あたしゃこんなんに、憶えなんて無いけどねぇ?」

「嗚呼、姐様よ。ステラコって言ったら、姐様方の下穿き盗んで逃げやがった馬鹿の事だぜ」


 また最低の情報が出て来てしまいましたね?

 ですが、『ステラコ爺』は物語だけはとても面白かったのです。事実だと書いた中身がそうでは無かったという事や、現実の人物を作品の中で断りも無く好き勝手に動かしていたのが無ければ、今でも大好きと胸を張れたのでしょうけれど。

 冒険譚を披露する事が多い私としても、身につまされる話なのですよ。


 さて、ドドロザオさんに示唆されて、思い出したらしきお婆様ですが、表情だけはにこにことさせながら言いました。


「ウマリ。子供達を呼んできてくれないかね?」

「か、母さん、今は昔と違うんだから――」

「うん。それはいいから、子供達を呼んできておくれ?」


 只事ならぬ様子に「子供達?」と首を傾げていると、グォンドルさんが「子分共の事だぜ」と補足します。

 あー、確かに、親分さんの美人の嫁さんが、凄腕の剣客ステラコに蹌踉よろめきそうになって恋心を揺れ動かしていたりしていましたねぇ。

 下穿き泥棒にそんな妄言を広められては、戦争法にも出番が回って来るというものです。

 そんな感じで眺めてしまっていたのですけど、そんな私もおかみさんに手招きされてしまいました。


「……分かったよ。ウルカが叩きたがっていたから、ウルカを連れて行くよ? ――ほら、あんたももう出るんだろう?」

「え、ええ。皆さんお世話になりました。色々と興味深いお話をお伺いする事が出来て、此処まで来た甲斐が有りましたよ。最後にちょっとお騒がせしてしまいましたけれど、どうぞお手柔らかに。皆さんもお元気で」

「嗚呼。あんたにはいい情報を貰ったよ。そちらこそ元気でな」


 お婆様には少し素っ気なくそう言われてしまいました。

 皆さんにもぺこりと頭を下げますけれど、『ステラコ爺』はどうにも回収出来そうに有りませんね。まぁ、既に読み切っていますし、裏話を聞いてしまった今となっては置いて行くのも別に構わないのですけれど。


「ほら行くよ」


 と促されて、黒革鎧に荷物も持って、縁側から外へと出ます。


「……大丈夫ですかね?」


 と思わず口にすれば、


「父さんが帰ってきたら、宥めてくれるから大丈夫だよ。いつもの事さね」


 なんて言うのに少し安心して、ウルカと手を振りあって庭に立つ鐘楼の前で別れたのでした。


 門へと続く道を行きながら時々振り返ると、小さなウルカが鐘楼の梯子を登っていくのが見えました。

 門に辿り着く前に、鐘楼を登り切ったウルカが私を見付けて手を振るので、私も手を振り返します。

 門に辿り着いた頃になって、カンカンカン……カンカンカン……と、三回続きの鉦の音が鳴り響きます。


「……ありゃあ、町長の所の招集の鉦か? なぁあんた、町長の家から来た様だが、何か知ってるかい?」

「あっしには、関わりのねぇ事で……もござんせんが、まぁ、親分さんちの事情って奴ですよ」


 門番さんに尋ねられてしまいましたが、答えていいものかは分かり兼ねますね。

 これからは『ステラコ』ではなく『ラゼリア西部の旅烏』の時代かとも思いましたが、そちらだってどんな裏話が有るか分かりません。物語に傾倒するにも、心の何処かに冷静な部分は残しておかなければいけないのでしょう。物語の真似をしたところで、私がその主人公の様に成れるものでは無く、飽くまで私が積み上げてきた物だけが、私の物語を作り上げていくのですから。


 それにしても『ステラコ爺』の失敗は、創作なのに事実だと言ってしまった事と、実在の人物をそのまま登場させてしまった事でしょう。

 事実で無いのに事実と言うのはそれこそ詐欺の様な物ですし、実在の人物を登場させるのなら予め許可を得る配慮は必要でしょう。

 デリラの街での私の冒険譚も名前を変えて演じましたし、大々的に公演するとなれば登場人物に許可も得ました。

 それこそ仁義を切るっていうものですよ!


 そんな事を考えながら、私は門をくぐったのでした。

 さあ! 今日の夜には王都ですよ!!



 ~※~※~※~



 町長の娘のウマリは、鐘楼の下で娘のウルカが梯子を昇るのを見守っていた。

 因みに、この辺りでは短い名前を付けるのが普通で、名前を略した愛称なんていうものには馴染みが無い。

 厄介な事になったとウマリが溜息を吐くも、母を止められるのは父だけである。今日にも帰ってくる筈という事だけが頼りだった。


「カンカンカンと三回鳴らしてから、また、カンカンカンだよ。来た人には御婆様が呼んでるって伝えておくれ」

「は~い!」


 ウルカの元気な返事と共に、楽しげにカンカンカンと鉦の音が響き渡る。

 程無く屈強な男達が、息急き切って集まって来た。


「流石お嬢、耳が早いな!」

「何の事だい? 母さんのお呼びさ、中へ入りな」

「およ!? 姐様の方か!? よく分かったな?」


 何だかよく分からない遣り取りだと思いながら、ウマリは連中を案内して家の中へと戻るのだった。

 そして三々五々集まって来た男達と、稀に女が庭先にも溢れ出した頃、漸くウマリの母ミルルが重々しく口を開く。


「ふぅ~。来たね。集まって貰ったのは、あたしらの一家を馬鹿にする巫山戯た小僧のお仕置きについてだ」

「へ!?」

「いやいや、姐御! 外の化け物の話じゃねぇんですかい!?」

「はぁ? 何の事だい。あたしゃ、あたしをうちの人以外に心を動かす尻軽にして、うちの人を嫁を寝取られる愚か者扱いにした馬鹿者を、きっちり懲らしめてやらなけりゃ気が済まないんだよ!」


 拳を握るミルルと、顔を見合わせる男達。

 ぐだぐだに成りそうな状況を動かしたのは、鉦を叩いていたはずのウルカを連れて入って来た、優しげながら存在感の有る男の言葉だった。


「そこまでにしておきなさい。ウルカに聞いたけれど、そんなにはこちらも『真実の誰某』なんて本を出して暴露して、そこに儂らが怒り狂っているがどうすればいいかねと釘を刺しておけばいいんだよ」

「あら、父さんお帰りなさい」

「あんた! でもね、あたしは悔しくて、悔しくてね!」

「はいはい、お前が儂に惚れ込んでいるのは知っとるよ」


 帰ってきた元親分のブーランダは、優しくミルルを抱き締めると、その頭を撫でて宥めるのだった。


 さて、そんな人情物を見せられて、居心地の悪い男達だったが、この日ばかりはお暇する事も憚られる。

 だが、そんな事は元親分は先刻承知。


「帰って来たら、あの外の化け物に、懐かしい鐘楼の音が響いていて驚いたが、協会のゴッズ坊と行き合って丁度話を聞いてきたよ。あれがお山に巣くっていた化け物で、偶々町に来ていた隣領の英雄さんに討伐されたところだそうだよ。あんなのがずっとお山に居たっていうのはぞっとする話だけどさ、どうだい、これから皆で化け物見物と洒落込もうじゃないか」


 素性も知れていると来れば、娯楽も少ない片田舎の事、尻込みする人も居る筈は無く、軽く身支度をしたなら全員連れ立って家を出た。

 向かうは領都側の門である。町にはもう一つデリリア領側にも門が在るが、町の門が一つだけだったなら、元親分もきっとディジーリアと擦れ違っていたのだろうという、僅かな差での行き違いだった。

 既にその門には人集りが出来ていたが、正体の知れない化け物を目にして、門を離れる人の数は少ない。だが、町長たる元親分が行くとなると、皆その後について町の外へと出るのだった。


「何だい、あの化け物は……」

「あんなのがお山の底に居たのかい?」

「儂もゴッズ坊に話を聞いてなけりゃ、近付きたいとは思わないねぇ。何でも隣領の英雄さんは、鬼族を毛虫青虫と同列にあしらうってんで、毛虫殺しと言われているそうだよ。響きの可愛らしさに対してやってる事は凄まじいばかりだが、本当に感謝しか無いよ。それにしても、そんな英雄さんが何をしにこんな所へ来たんだろうねぇ」


 歩きながらのそんな言葉を聞いて、昨日からの客人を知る人達は、うっと声を詰まらせた。


「あ……あのね、父さん。実は昨日、家に客が来てね。世に名高いブーランダ親分に一言ご挨拶をってやって来たのが、デリリア領のディジーリアって名乗っていたんだけどさ、ウルカとそう変わらない女の子なんだけどね、その子が毛虫殺しと呼ばれているって言ってたよ」

「ほう! それは儂もご挨拶しなくてはね」

「それが、父さんとは行き違いで王都へ向かってしまったんだけど、一宿一飯の御恩に報いてとお山を何とかしたとか言ってたよ」

「はっはぁ、それは何ともスケールのでかい話だねぇ。会えなかったのが残念だよ」

「それにしても、あのちっこいのが英雄とは間違いじゃねぇのか?」

「身形ばかりは物騒だったが……」

「ああ、物騒だったねぇ」


 そんな話をしながらも、町から見えているのだから一刻もすれば辿り着く。

 其処に在るのは、巨大な杯を大地に埋めた様に、綺麗に磨かれた湖程在る窪地と、その中にお供えでもするかの様な巨大な台が設けられている。台の脚はアーチに成っているから、台の下にも潜り込む事が出来る様だ。その台までは四方から橋が延びていて、歩いて渡る事も出来れば、台の脇には幾つも階段が設けられていたりと、随分と手が細かい。そしてその台の上に、巨大な化け物が山を為していた。


 町にも近いその橋の手前で、呆けた様に見上げているのは冒険者協会の支部長、ゴッズロスだ。

 昨晩の様子を知るだけに、夜の内に出来上がってしまった巨大な神饌台に、呆れる以外の感想が出て来ない。

 町の在る側からは、守護者も横からの姿を見せているが、一刻ばかり早く来て窪地の周りを一周してきたところ、街道側へは正面を向けて、おまけに橋の手前に『ビガーブへようこそ』の文字が彫られたアーチ状の門が在る。

 橋自体もただ形を作っただけでは無くて、横合いから見れば側面に模様が彫り込んでいたりと、全く以て手が細かい。

 おまけに――

 と、しゃがみ込んだゴッズロス。橋や窪地の石材を軽く拳で叩いて確かめる。


(……どう見ても、焼き固めているだろう?)


 そしてまた、呆れた溜息を吐くのだった。


 そんなところへやって来た元ブーランダ一家御一行。事情を知っていそうなゴッズロスへと問い掛けた。


「こいつは一体どういう事だい? これも英雄さんの仕業かねぇ?」

「……そうだろうな。昨晩までは只の窪地だ。他には考えられんだろうが……」

「ねぇ? 英雄さんっていうのは、ウルカ位の女の子でいいのかい?」

「うむ。まぁ、飛び抜けなければ英雄とも呼ばれんのだろう。記憶持ちは幼くても熟練に迫る何かを持っていたりするからな。見た目で英雄は量れんわ」

「そんな感じには見えんかったが……まぁいい、近くで見てもいいんだろ?」

「いや、どうせなら正面から行こう。それと、この場所を選んだのは、魔力の影響を避ける為だ。一時見て回る程度で影響が有るとも思えんが、気分が悪くなれば直ぐに戻って貰うぞ」


 そして彼等は正面に回って看板を見ては溜息を吐き、橋を渡りながら巨大構造物の迫力に圧倒され、正面で待ち受ける巨大な甲虫の守護者に体を震わせた。


「物凄い迫力だけれど、本当にもう動かないんだよね!?」

「まぁ、態々支えを付けて、ポーズを決めさせているんだから大丈夫じゃねぇか? それより俺は、あの巨大な化け物を貫いている矢鱈でかい剣が気になるんだが」

「色合いから見て石だろう。実際何かは分からんが、『鑑定』が出来る奴にも招集を掛けているぞ」

「そいつは楽しみだな。それにしても、なんでこんなのを造ったんだか。こんな橋じゃ運び出すのも一苦労だぞ?」

「……案外、あたしらの話を聞いたからかも知れないね。今はこんなだけど、雨が降ったらいい溜め池に成るんじゃ無いかい?」

「ああ! 確かにねぇ。これだけ雨水を溜められれば、何をするにも大助かりだよ!」


 最早壁にしか見えない守護者の手前には、石で出来た大きな箱が、幾つも並べて置いてあった。

 力自慢が力を合わせて蓋を開ければ、中にはごろごろと大量の魔石が詰まっている。


「……凄ぇ」

「魔石を取るのに解体しないで済んだのは有り難いが……。これだけ取り出そうとしたならそれだけで数日掛かりだったぞ?」

「ぶふっ! ――おい! おい、あれを見てくれ!」

「こら! 止まれ、それ以上下がると危ないぞ!」

「うおお、危ねぇ!?」

「……水が溜まるまでは、簡易の柵でも作った方が良さそうだな」

「いや、あれ、あれだよ! 左の虫に刺さっているのは、あれ、領主様じゃ無いか!?」

「ん!? ――ぶふぅっ!!」


 見れば、左の守護者には、角の代わりに両手を伸ばした領主様が突き刺さっている。


「こっちにはグォン兄が居るよ! あはははは、何だい、格好付けちゃって!」

「いや、俺がこんなポーズを決めた訳じゃねぇぞ!?」

「他にも誰か居ないか探してくるね!」

「あ! ウルカ! 端には寄っちゃ駄目よ!」

「は~い!」


 見物に来た住人達が散らばっていき、各所で歓声を上げ始める。


「あはは、母さんが居るよ? 格好いい!」

「もう! やだよう、恥ずかしいじゃないさね」

「これはいいねぇ。持って帰る事は出来ないのかい? 私が会えていたら、私の像も有ったのかねぇ」


 と、舞う様に扇子を振り上げるミルルの像が有れば、


「うはははは、儂らが居るわ」

「見ろよ! 俺だって剣を振ってるぜ!」

「何を言うか馬鹿もんが。このへっぴり腰と碌に刺さっとらん剣先を見てみい! この不格好さに何も思わんなら、本気も何も話にならんわ!」

「「「儂らの鶴嘴は、しっかりど頭をかち割っとるがな!」」」


 と、胸を張る坑夫と悔しそうにする若者も居る。


「わはははは、領主様がまた居たぞ! うちの領主様を良く分かっとるわ」

「俺らの像はもう五体目だな。探せばもっと居るんじゃ無いか」


 両手を広げて腰をくいっと捻った領主像の周りには、仰向けになり脚を縮めて悶死した鬼族達。

 グォンドルが言う様に、まだまだ同じ人物が何処かに見つかりそうだった。


「確かに、ご領主様には連絡せんといかんだろうな」

「魔石を抜いているなら、このまま観光名所にならんかね?」

「止せって。知り合いの像が馬鹿やってるのは身内なら楽しめるがな、後で死ぬ程恥ずかしくなるのが落ちだ。お、『鑑定』持ちが来たな。早速だが、この剣でも見てくれや」

「はいはい、あーランク七【小道具】石剣……って、何ぞこれ?」

「ぶはははは、剣ですら無いのかよ。じゃ、差し詰めあのでかいのは【大道具】か?」

「はいはい、えー…………ランクB【張りぼて】角タール張りぼて超大剣と、ランクB【張りぼて】角タール張りぼて超長槍……本当に、何ぞこれ?」

「へ? ……じゃ、じゃあ、あの黒い剣だ」

「……ランク二【張りぼて】角タール張りぼて剣……。なぁ、張りぼてって何だっけか?」

「ら、ランク二は張りぼてじゃねぇ!」



 ディジーリアに振り回される人々は、後を絶たないのだった。

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