(69)さようなら! 『ステラコ爺』。<上>

 まだ暗い内の空き家の中で、森山羊の足をじゅわっと焼いて、果粒をパラパラと振り掛けて――


「お! いい匂いがしてるなぁ」


 ……出ましたね。

 あわよくば、書き置きだけ残して気付かれない内に出発しようかと思ったのですが。


「……あなた達の分は有りませんよ」

「連れないなぁ。にしても、まだお日さんも昇ってないぜ? 随分早くに出るんだな」


 この人とは昨日の夕食の場で自己紹介くらいはしましたが、少し、こう、遠慮の無い感じが苦手です。

 太陽剣のホルテバンさん。ランクAの冒険者みたいですが、太陽ち○ち○と改名すればどうですかね?


「あなた達は随分とお愉しみでしたね。…………つい先程まで」


 嫌味を言っても通じません。でへっと顔を崩れさせて、何故か私に説明しようとするのです。


「おお! こう、凄いんだぞ! ふにゅっとしてて、にゅるっとしててな!」


 ぎゃー! そんな事は聞きたく有りませんよ!

 わたわたと手振りをしながら近付いて来ようとするち○ち○バンに、私はバフッと枕を投げ付けたのです。

 そして焼いた肉は宙に浮かせて、手早く荷物を纏めて背負います。

 こんな色呆けの巣窟からは、とっととおさらばするのですよ!


「近づかないで下さい! 私は温泉に入ってそのまま出ますので、来たりなんてしないで下さいね! 残った手土産はそちらで適当に村の人に渡して下さい。村長さんにも宜しくですよ」

「おいおい、俺達も温泉には入りたいぜ?」

「知りませんよ! あなたは技能の検証でもしていればいいんです!」

「……でへへへ。そうか! そうだよな! 検証しないとな!」


 だからそんな反応は期待していませんよ!

 空き家を出たその場で私は宙へと飛んで、山頂の温泉を目指したのです。


 ええ、朝日が昇るのを眺められる温泉は最高でした。

 最高だったんですよ! 温泉は!!



 無理矢理にでも頭にちらつく諸々の光景を隅の方へと追い遣って、私は王都へと空を行きます。

 ただ、その前に寄り道ですね。気を紛らわせるのに読み切ってしまった『ブラウ村のステラコ爺』。その最新刊の舞台が、これから向かうライセン領に在る様なのです。

 侠気溢れる仁侠の村。

 ええ、今の私に必要なのは、そういう禁欲的な生真面目さなのですよ!


 ライセン領との領境には、温泉の村から一刻三十分ばかりで着きました。一応関所が設けられていますけれど、街道に小さな町が出来ている感じで、避けて通ろうと思えば通れます。その場合は、税やらを払う別の機会に、通行税だとかも併せて請求されるのです。此処で払うより本の少し高く付く分、皆さん細かく払っていくのが普通ですけどね。

 税の取り決め等に関わっている、王国全体に掛けられた大規模な契約の儀式魔法にも、興味が無いとは言いません。何と言っても私の研究所に支払われる対価も、同じ契約の儀式魔法に基づいていますし、何より魔法に掛けられているというのに、私が何も気が付けないのが実に気になるところなのです。

 それも、今となっては一々細かく調べたりなんてして無くて、実は税を払う際に纏めて魔道具の『判別』の様な物で調べているのではなんて思っていたりもしますけれど。税を払う時に調べていると言われるよりも、常に見られていると思われた方が、都合が良い事も有るのでしょう。


 上から見た関所の町は、そういう事情も有って、手前と奥の二区画に分けられてはいますが見た目からは厳密な管理がされている様には見えませんね。各方面からの入口部分で入街税が取られ、真ん中の仕切りで通行税が取られていますが、素通りしても咎められたりはしない様です。

 そのどちらの税も私には関係有りませんが、一度は越境も経験しておきましょうか。


 そう思って町の前へと降りてみると、ここではちゃんと並び方を書いた看板を見付ける事が出来ました。並ぶ人が居る事を考慮して、少し手前に看板が立っていたのですね。

 商都でもそうだったとしたら、もっと手前に看板は立っていて、見逃してしまったという事なのでしょう。

 ここもランク六以上は左の端という事なので、もしかしたら何処も同じなのかも知れません。


「ん? ランク六か? 凄いな、そのなりで。通って良いぞ」


 ふふふふふ、門で騎士様にも止められる事は有りませんでしたよ。


 入ってみれば領境の町は、丸で巨大な市場ですね。規模が大きくても、住人は村程度しか居ないのかも知れません。

 木の皮を編んだ籠を一つ買って、その中に果物やらお芋やら、思いの外に役立った果粒の追加やらを買っては入れて、うろうろしながら一巡り。


「おう! 嬢ちゃん! こっちの煮付けもうんまいぞ!」

「ライセンの造花は王国一よ! 帽子の飾りに是非買ってって!」


 次に作る服の飾りにと造花の作りは眺めてしまいましたけれど、買わずに行くのは悪い客かも知れません。

 煮付けにも惹かれる物が有りましたが、町を出れば空の上です。こぼれそうな物も買えないのですよ。


 仕切りの門を潜り抜けて、もう一区画へと足を踏み入れると、そこでは「デリリア領の名物だよ!」なんて売り文句が響き渡っていましたから、成る程こちらはライセン領のお客が多いのでしょう。ランクで越境出来るかどうかが決まりますので、こういう造りになっているのかも知れませんね。

 歩く人々の服には花の紋様があしらわれていますので、服一つ取っても地方の特色が出るものです。


「ライセン領へようこそ!」


 なんて言葉に送られて、ライセン側の門から出れば私は再び空の旅。街道を外れて山間やまあい目指して一っ飛びです。

 ライセン領都まで行けばアザロードさんにも会えるかも知れませんけれど、ちょっと領都までは遠いのです。アザロードさんも真っ直ぐ帰っていなければ、会えない事も有り得ますから、それはまたの機会ということですね。

 地上を見れば極稀に、薄く色付く魔力が漂っていますけれど、あれは界異点でも在るのでしょうか? 資源扱いされている事も有りますから、迂闊に手出しは出来ません。それに友好的な魔物だって世の中には居るのですから、と、そんな事も考えますけど、やはり時には襲われている獣車や旅人なんていうのも居るものです。


「な、何だ!? 突然魔物共が燃え上がって!?」

「こっちの山犬は、行き成り首が落ちたぞ!!」


 魔物の処理は、飛ばした輝石に任せてしまって、私は先へ急ぐのです。



 そして辿り着いたのは、村と言うより町でした。

 『ステラコ爺』では村だったのですけれど、物語の舞台は五十年近く前の変革の頃ですから、五十年の間に村も大きくなったという事なのでしょう。

 上空から見れば一目瞭然で、ここは鉱山の町ですね。町が近付くに連れて、辺りには禿げ山が増え、大地からは緑が消えと、自然は結構荒れ果てていますのに、町には活気が溢れています。

 道を行く人も、屈強な男の人ばかりが目立って、顔付きも何やら厳めしく、冒険者の街とはまた違う独特の迫力が有るのですよ。


「おう! 何だ!?」

「こんな所に、何の用だ!? ああ!?」


 ぼうっとしながら、つい町の門を潜り抜けていた様です。一番左がランク六以上と分かってしまえば、無意識に通り過ぎてしまいますよ?

 すると直ぐ様掛けられたのが、どすの利いた誰何すいかの声です。

 おお! 早速です。ここは初めのご挨拶と、しっかりお返事してみましたよ?


「へぇ! あっしはしがない旅の者でございやす。故有ってこの町に来やしたが、まずは土地の親分さんにご挨拶差し上げたく。親分さんちをご存知でしたら、どうかこのあっしに教えて遣ってはくれませんかね」


 なんて気合いと共に言ってみれば、ぴくりと体を震わせた遊侠の徒二人、恐ろし気ながらも何やら得意気に表情を歪めて、満足そうに頷きます。


「ほほう! 中々に見上げた心掛けよ! 最近ではそうはおらん」

「しっかり筋を通そうっていうのが気に入った。どれ、案内してやろう!」


 そう言って、のしのしと歩くお二方に付いてのしのし行けば、人が割れて出来た道の両脇で、退いた人達が目を丸くしています。

 流石迫力のあるお二方、門の近くで睨みを利かせていた事と言い、さては町の顔役に違い有りません。

 そんなお二方に導かれて辿り着いたのは、町の中でも一際大きな御屋敷でした。辺りには石造りの建物も多いというのに、木造の見るからに年季の入ったその御屋敷は、この町そのものの歴史にも見えてきます。


「親父様! 姐様方! ご無沙汰失礼いたしやす! 重石かさねいしのグォンドルでございやす!」

「親父様! 姐様方! ご無沙汰失礼いたしやす! 鉄砕きのドドロザオでございやす!」


 そんな御屋敷の前で、腹に力の籠もったお二方、どすを利かせて家人を呼ぶのに応えて、家の奥からしゃきっとした女の人の声が返ってきました。


「こら! 何遊んでんだい! 用が有るなら回ってきな!」

「「へぃ!」」


 威勢良く返事をしたお二方。示し合わせた様にこちらを向いて曰く。


「しっかりご挨拶なされよ」

「粗相の無い様にな!」


 と、気合いが入るというか、今になって場違いな所に来てしまったというか、そんな気持ちながら、うむと顔付きは厳めしく、お二方の後に付いて御屋敷の庭へと回ったのですが――


「姐様方! お客人をお連れいたしやした!」

「ささ、ご挨拶なされよ」


 と、促された先には、家族でお食事中の皆様です。

 庭へと開け放たれた座敷の中で、食卓を囲む二十人近い大家族。

 これはもう、場違いがどうのという話では有りません。


「こ、これは失礼致しやした! 世に名高い親分さんに一言ご挨拶をと思いやしたが、お食事中とはいざ知らず、誠にご無礼仕りやした。平に、平にご容赦願いやす」

「いいよ、何だい大仰だねぇ? 二度も三度も手間を掛けるくらいなら、今言っちまいな」


 いやもう、礼儀を損なえば拳も足も飛んでくるだろうと覚悟の上で臨んでいる訳ですから、ぞわぞわする嫌な感じが足下から這い上がってくるのですけど、それを押さえ込んで何とか言葉を紡ぎます。


「これは寛大なお言葉、何ともかたじけなく。どうぞ、お控えなすって」

「控えとるがね」


 ああ、もう、どうして物語の様に上手く行かないのでしょう!?

 アドリブを駆使するにも、ネタが尽きてしまいそうですよ?


「これは重ねて失礼を!? あっしは生まれはデリリア領はデリラの街、ディジーリア=ジール=クラウナーなるしがない冒険者でございやす」

「待ちな。デリラのディジーリアってーのは分かったが、こっちに向けてるその掌は何だね?」


 またです。ずずいと差し出した右手の平でしたが、駄目出しされてしまってはどういう意味合いか自分でも分かりません。

 握手を求めている訳では有りませんし、無心をしている訳でも無いのは確かです。

 そうですねぇ……淑女の挨拶に喩えるなら、こう腰をしゃがみそうな程に落として、利き腕を伸ばして、掌を見せた状態ですと、そこから武器を手に襲い掛かるには何拍か遅れますね? 敵意は無いと見せているのかも知れませんけれど、ちょっとそれでは殺伐とし過ぎています。

 そんな状態で「お控えなすって」と言われても、挑発にも取られ兼ねないのでは無いでしょうかね?

 でも、違うとすれば態々見せ付けている訳ですから……あ! そうですよ! この掌には、こう『宜しくお願い致します』と幻の墨で書いて――


「ライセン領はラウド大山の麓のビガーブの村には、どんな荒くれ者だろうが瞬く間に心酔させる、仁と義の親分さんがいらっしゃるとお聞きして、ここまで足を運んだ次第でございやす。そんな親分さんのお話を聞く事が出来やしたら、あっしのこれからにとって大いに宝と成りやしょう。お手間をお取り頂いたその分は、あっしに出来る事は何だって致しやすぜ。短い間ではございやしょうが、どうぞ御昵懇の程、宜しくお願い致しやす」


 しっかりと掌を見せながらそう挨拶したのですが、どうしたのでしょうか。声を掛けてくれたおかみさんは、こちらを見てくれようとしませんよ? 珍妙な表情で、何も無い横手を睨み付ける様にしています。

 その足下では、年下の女の子が興味深そうに私を見ていますね。ここは真面目な場面なのですと、むむ、と凄んで見せたら、おかみさんの陰に隠れてしまいました。

 と、おかみさん、女の子に目を向けている間に、目だけはこちらを向いていました。

 さっと案内してくれた兄さんの一人に目を走らせて曰く、


「グォン兄! 何だいこの子は! 変な仕込みをするんじゃ無いよ!」


 叱り付ける口調ですが、声色はもう完全に笑っています。

 むむ、面白い事を言ったつもりは有りませんよ?


「おぅ? 俺らはなぁんも仕込んでねぇぞぉ? 門の近くでくっちゃべっていたら、こんな所に紛れ込んできた其奴から、是非とも親分さんにご挨拶を、って言ってきたんだぜぇ? なぁ~あ、兄弟」

「おうともよ! お嬢も人を疑うたぁいけねぇなぁ。何より、しっかり仁義を切ったお客人に失礼だぜ? 控えとるがねとは初めて聞いたぜ」

「そりゃあそうだよ。あたしが腰を浮かせたところに言われたなら分からないでも無いけどさ? 控えてんだから控えとるがねとしか言い様が無いさね」


 と、真面目にしていたつもりが、おかしな人になっていた事を知って、赤面ものです。


「そうだがよぉ……。次はその掌は何だって、細けぇなぁ」

「言いたくもなるさ。あたしは控えたままだってのに、ああも促されてもねぇ。それに、何だと言われて、この子は掌に「宜しく」なんて書いてきたよ? まったくもう!」


 それに加えて、追い打ちです。

 案内してくれたお二方が、私の右手に視線を向けて来ましたので、「ご勘弁願いやす」に文字を変えて見せてみたら、「ぶはっ」と吹き出して顔を逸らされてしまいました。


 ちょっと浮かれ過ぎていたかも知れません。

 ここに有るのは彼等の歴史であって、聞き齧っただけの私がずかずかと入り込んでいい場所では無かったのです。

 観光に来ただけなのに、親分さんちのお昼ご飯の最中さなかに突撃するなんて、何処まで図々しいんでしょうね? 今になって冷や汗が出てくるのです。


「其処までで勘弁しておくんなせぇ。凄い親分さんのおいえだと思って、浮かれ過ぎてしまったんでやさぁ」


 地面に膝を突き拳を突いて、頭を垂れます。

 そこから再び頭を上げて、しっかりおかみさんに目を合わせます。


「御上りさんの無様を晒してしやいやしたが、あっしの言葉に嘘偽りはございやせん。遊行の序でと言われてしまえば返す言葉も有りやせんが、あっしの心を震わせた立派なお方に会ってみてぇって気持ちは誰に止められる事が出来やしょうか。聞き齧った作法に間違いは有ったやもしれやせんが、悪い心が為したものでもござんせん。どうぞ寛大なお心で大目に見てやっておくんなせぇ」


 ええ! 適当な事を言ったつもりは無いのですよ。

 ただ、『ステラコ爺』に書かれた話が、全て真実とは限らないと今更ながらに気が付いて、嫌な汗はちょっと増量していたりしてますけどね。


「そこまで言うなら、どんな話を聞いたんだか言ってごらんよ!」


 ひぇ!? そんな事に思い当たった途端に、この試練です。

 ここは、覚悟を決めるしか有りませんよ!?


「では、あっしの知るお話を一つ。時はまだ世も明け遣らぬ動乱の時代の事でやす。剣闘奴隷から解放された男達が、ライセンはフロール川のほとりにて、喉の渇きを癒すが為と渓流に口を付け、ごくごく喉を潤していやした。其処へ現れたのが件の親分さん。山ん主のブーランダ親分でございやす」


 と、ここで女の子がぱっと顔を輝かせて、他の家族と顔を見合わせ「お爺ちゃんだ」とか何とか囁いています。どうやら第一関門は乗り越える事が出来ましたかね?

 でも、まだまだ油断は出来ません。

 それに、おかみさんがまだ案内のお二方を睨み付けていて、お二方も何だか挙動が怪しいのです。

 まだまだ気合いを入れて掛からないといけないのですよ!


「さて、親分さん。男達のその様子を見て取ると、「何をしてんだ手前ら!」と途端に一喝。川端を駆け下りやして、男達に襲い掛かったのでごぜぇやす。多勢に無勢で更に相手は剣を持ち、鎧や盾で身を固めているというのに、孤軍奮闘の怪力無双、並み居る豪傑を忽ちの内に拳一つで下しては、革めて一人一人の腹に拳を埋める念の入れ様。男共は皆、飲んだばかりの水をその場にぶちまけて、身動きすら出来なかったというのですが、これ実は毒水であるフロール川の水を吐かせる為にした事でやした。余所者なんぞ厄介事しか持ち込まねぇってのに、体を張っての人助け。いやいやそれ処じゃあ有りやせん。その時の男達は知らぬことなれど、この辺りでは命と等しい貴重な水を樽に一つも男達の為に明け放ち、それに一言も触れやしねぇ。あっしはこの話を知って、流石敬愛される親分さんってのは、度量も仁愛も並じゃねぇと甚く心が打たれたんでやさぁ!」


 と、ここで黙って話を聞いていた、小柄な身形のお婆様が口を開きました。


「有ったねぇ……そんなことも……」


 おかみさんはお二方を睨み付けたままです。


「やっぱり兄さん方の仕込みさね!」

「待て待てぇ!? 俺らが自分で言う訳有るかよ。恥ずかし過ぎて火が出るわ! それにあんときゃ俺ら全員くたばり掛けて、戦いなんざ無かった筈だぜ!?」

「これはムロの旦那か? クーロンの野郎か? おい、これを伝えたのはどんな奴だ?」


 そんな問いを受けましたが……実のところもう大丈夫そうだと見通しが付いて、少し気が抜けてしまっていたのです。

 諸々ここまで何とか乗り越える事が出来まして、漸く嫌な汗も少し引いて来たのですが、それと同時に覚える様になったのが、しゃがみ込んでしまいそうな程のひもじさです。

 それもその筈、空を飛ぶには結構体力が要るのですよ。空を渡る私の遣り方でもそうでしたけど、アザロードさんの飛び方でもお腹が減るのには変わりません。朝方温泉でお肉の塊を食べたのを最後に、結局関所でも何も食べずにここまでやって来てしまったのです。

 頭の後ろに『隠蔽』して浮かしている籠の中には食べ物が一杯ですのに、何とも間抜けな話ですが。行き成り親分さんの家に来れるとも思っていませんでしたし、興奮と緊張が空腹を忘れさせていたのでしょうね。

 ですから――


「直接聞いた訳ではござんせんから其処は何とも……。ただ、偉く剣の達者な方で、英雄の様な活躍をされた方との事でやすが、そこは話半分でございやしょう」


 なんて答えているその時に、こう、寂しそうな「くぅ~~」という音がその場に鳴り響いてしまったのですよ。

 多分私の顔は真っ赤になってしまっていたに違い有りません。


「くく……。門から直接出向いたと言ってたかい? それだと腹も減る訳さ。もういいからお上がり。一人分くらいどうとでも成るよ」

「そんな、滅相もございやせん! お昼のお邪魔をした挙げ句に、そこまでのご面倒どうして掛けられましょうや」

「何を言ってるのさ。懐かしい話を聞かせて貰ったお礼だよ。ほら、気にせずお上がり! 荷物は縁側にでも置いとくれ」


 そんな言葉を交わしている間も、くぅくぅお腹が鳴るものですから、辞退するにも却って顔を潰してしまいそうです。


「……お言葉、誠にかたじけなく。お恥ずかしながら、ご一緒させて頂きやす」


 全く、顔の赤さが染み付いて、髪も顔も真っ赤っかのディジーリアが出来上がってしまいそうですよ!?


「おう! じゃあ、俺らはけぇるぜ」

「お嬢、またな!」

「あ、お待ち下さいやせ。お二方へのお礼の品を袖の中に差し上げてございやす。本日は、どうも御有り難うございやした!」


 と、案内してくれたお二方に、そっと『隠蔽』していた籠から大振りの果物を一つずつ、お礼に渡してしまいます。

 目を瞬いたお二方が、袖口の中を確かめて、呆けた顔で果物を取り出したところにぺこりとお辞儀を返したら、おかみさんに向き直ってまたお辞儀です。


「それでは、憚りながら、縁側失礼致しやす」


 そこで背中から降ろした背負い鞄を縁側において、黒革鎧も脱いで背負い鞄に被せます。黒革帽子も突き出た棍に引っ掛けて、腰の小物入れも差した“黒”と一緒に引っ掛けます。黒革小手と金床小盾は鞄の横に。

 どうやらこの辺りは、家の中では靴を脱ぐのが習慣の様だと、黒革ブーツを脱いだところで、見ていたおかみさんが口を開きました。


「あんた、結構物騒だねぇ」


 まぁ鞄には、今は透明感の有る私の赤い色をした元角タールの棍が折り畳まれて掛けていますし、反対側には瑠璃色狼も差してます。黒革鎧には十本に及ぶ剥ぎ取りナイフが差し込まれ、靴先からは尖った鉄片が顔を覗かせているのですから、物騒と言われても仕方が無いところかも知れません。


「へぇ。冒険者の身嗜みでございやさぁ」


 今や鎧下の鉄布の胴衣には、輝糸の赤が混じってラメの入ったワンピースにも見えますけれど、流石にこれは脱げません。これを脱いだら、それこそ下着姿になってしまいます。

 お邪魔をするのに、問題無いと思える姿にはなりましたので、『隠蔽』を掛けていた籠を手に、ずずいと差し出したのでありました。


「手土産も無く、馳走ばかり頂くのも情け無し。どうぞこちらをお納め下せぇ」

「……どこから出したね? 気を遣う事は無いけど、まぁ有り難く頂いておくよ。……ところで、その喋り口調はいつまで続けるんだい?」


 情け容赦の無いご指摘です。

 見上げたおかみさんは、優しい眼差しです。視線を動かすと、小柄なお婆様も良く似た優しい眼差しです。見渡せば、年輩の人も、少壮の人も、皆優しく見守っています。同じ年頃の子達や、年下の子は、わくわくした目付きで見ています。

 ちょっと顔が熱くて、湯気でも出ている気がします。輝石でも無いのに、赤く光ってしまっている様な気もしますよ?


「今更それは、ご勘弁です。……ちょっと恥ずかし過ぎるのですよ」


 何とかそう言ってみれば、途端に笑いが巻き起こり、私は親分さんちの昼食の席に、暖かく迎え入れられたのでした。



「ははは、親分さんねぇ。懐かしい話だ。親父がそんな事をしていたのも、さっき話していた革新の頃までの事だから、もう随分昔の話になるな」


 おかみさんの兄弟らしき人がそう言います。五十年も前の事を懐かしく語れるという事は、この人も七十近い壮年の人ですね。細身ですが腕の筋肉は物凄い事になっています。それでもこの町の中では、優男に分類されそうでは有りますけれど。


「あの頃は母さんがぴりぴりしていて、毎日が緊張の連続だったな」


 なんて事をその人が言えば、小柄なお婆様がふんと鼻を鳴らしました。


「当たり前だよ。全くうちの人と来たら、何でもかんでも拾ってくるもんだから、お人好しもいい加減におしと何度叱り付けたか分かりゃしないよ!」

「ははは……。いいかい、親分っていうのは、母さんの言う通りお人好しの代名詞さ。この辺りは昔から土地がお山の毒にやられていてね、何とか作物を育てる事が出来る畑は、何処の村でも限られていて、畑を継げない男は村を出るしか無かったんだよ。親父は鉱山を持っていてそれで外から食料を買う事が出来たからね、あぶれた男を次から次へと引き受けて、食わせる事に奔走していたお人好しの中のお人好しさ」

「村から出されるのは大概出来が悪い方さ。中には出来の悪い方を残していい方を外へ出すのも居た様だけどね。そんな連中が家の中に増えるんだ。年頃の娘も居るってぇのに、気が気じゃ無いよ。それで片っ端から躾けてやれば、今度はこっちに熱い視線を向けるんだよ。もうどうしようも無い権太くれ共さ!」


 寡黙に見えたお婆様も、親分さんの話題になると、今も鬱憤が残っているのか饒舌です。

 それにしても、物の見方がごろっと変わってしまいますね。『ステラコ爺』を読んだ時には、親分さんを頂点として厳格な仕来りを守る硬派な一族と思っていたのですけれど、こうして聞くとお人好しの親父さんに振り回されながらも家族の平和を守ろうとする母親の奮闘記です。

 でも、そちらの方が登場人物も生き生きとしていて、情景が思い浮かぶのですから、きっとそちらが真実なのでしょうね。


「まぁ、それも昔の話さ。国の体制が変わって、冒険者協会なんて物が出来て、態々親父が仕事を割り振る必要も無くなって、一悶着は有ったが親分子分のブーランダ一家も疾っくの昔に解散した」

「あの人のお人好しは変わらないけどね! 水の魔道具を村々に配備させもしたし、今も領都から来た人らと毒の大地に畑を作ると出ているよ」

「折角来てくれたのに悪いねぇ。明日か明後日には一度帰ってくる筈なんだけど、明日の朝には出るんだって?」

「ええ、王都に向かわなければいけないので」

「残念だけど、父さんに話を聞いても、大した事は聞けないよ?」

「お人好しの言い分なんざ、当然の事だとか、そんな事しか言わないね!」

「……みたいですねぇ。多分、それよりも貴重なお話が聞けたので、私としては満足ですよ?」


 なんてすっかり打ち解けて、子供達とも何で王都へ行くのかとか、冒険者は怖くないのかとか、そんな事をお話ししていましたけれど、やっぱり鍛冶をする者として気になるのは鉱山です。

 ですが、その鉱山で事件が起こっていたのでした。


「お山もねぇ、最近は危なくなって、閉鎖するなんて話も出て来てるのさ。まだまだ鉱脈は涸れた訳じゃ無いんだけどね」

「何が採れるんです?」

「鉄も銅も銀も採れたし、偶には宝石なんかも出て来たけどねぇ。地の底で妙な空間を掘り当てちまって、まぁ、魔物の巣窟だった訳さ」

「この辺りでは珍しくも無い泥鬼ゴブリンとか岩鬼オーガという奴らさ。地上でなら兎も角として、暗い坑道では怪我人が続出してね。更に怖いのが出て来そうな様子だから、埋めてしまう事も考えているのさ」


 そんな話を聞いたなら、この毛虫鬼族殺しのディジーリア、黙っている事なんて出来ないのです?

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