(160)密室に響く声。

 学院の試験週間の対応は順調です。

 まぁ、本だけは色々と乱読していますし、この冬の初めの試験には職人系の試験も数多く有って、実は講義に出て単位を取らなくても実技試験で合格出来たりします。

 私としては、学院には知りたい事が有ったから来ただけですので、合格とかそう言うのには興味も無かったのですけどね。でも部屋の仲間が真剣に取り組んでいると、私一人ふらふらとはしていられないのですよ。


 それで結局秋に受けた講義の試験の他に、ちょっと興味が有った講義の試験も組み込んでみました。

 まぁ、実際に講義を受けるつもりは有りませんが、持っている知識が正しいかの確認みたいな物ですね。


 で、それが結構手応えが有って楽しくなってきているのです。


 とは言っても、入学試験の時みたいに試験を終えた傍から次の試験とは行きませんから、組み込める試験の数はそんなに有りませんけどね。

 逆に魔術系の講義は試験を受けるつもりも有りませんから、その分は空いて『歴史』や『指物さしもの』なんかを組み込んで――。


 まぁ、興味が有ったからこそ手応えを感じる結果となっているのでしょう♪

 実技にしても、特級の剣を打ち、特級の魔法薬を作れる私なのですから、特級の仕事を求められない限りはどうとでもなるのですよ!



 私一人単なる知識の再確認の時間を終えて、向かったのは王城です。

 今日は魔術教本の摺り合わせが有るのですよ。

 ロルスローク先生は私より早目に王城へ向かっている筈ですから、会議の部屋で合流となるでしょう。


 こういう時に、何処から王城へ入ればとは少し悩んでしまいますけど、詰め所の騎士からは真っ直ぐ行く様に促されています。

 一応ティアラ様のお下がりドレスは着て来ましたけれど、どうにも門から王城までの長い道程みちのりを騎獣にも乗らずに歩いていくのは場違いです。

 走っていくのは淑女的では有りませんから、幻の大猫を呼び出して尻尾にぶら下げられながら王城の前まで。

 まぁ、そんな感じで何事も無く乗り切る事が出来ました。


 王城に入って案内された会議室で待っていたのは、ロルスローク先生を初めとした顔馴染みの研究室の面々でしたが、その中に見慣れない人が交じっています。

 いえ、学内寮や朝の食事時には見掛けたりもするのですけど、ずばりいつも賄い用の食堂で見掛けるずぼらさんです。


 首を傾げて眺めてしまっていると、私に気付いたロルスローク先生が上機嫌で声を掛けてきました。


「おお! ディジーリア先生、魔術講義ではお疲れ様だったな!」

「んお? ――ああ、君……ね……」


 ロルスローク先生に釣られて、ずぼらさんからも認識されてしまいました。

 でも、ずぼらさんの心此処に在らずな様子は何でしょうね? 食堂でずぼらしている時にもそんな様子は見せていませんでしたよ?

 いつもよりは服装もパリッとしてますけれど、不審者具合は三倍増しです。


「ああ、ディジーはルビーアンとは始めてか。

 丁度良い。紹介しよう、彼女が『拡声』の魔道具を創り上げた天才ことルビーアンだ」


 そして、そんな事をロルスローク先生に言われて、私は吃驚したのです。


 『拡声』の魔道具。

 それと初めて出会ったのは、デリラでの生誕祭の事でした。

 学院に来ようと思ったその動機には、『拡声』の魔道具を見ての興奮も有ったのです。


 でもですねぇ、ロルスローク先生の下で魔道具に詳しくなればなる程に、『拡声』の魔道具は謎の代物だったのですよ。

 まず一つ。これは現代の魔道具とは違う物です。『儀式魔法』を転写して配置した物とは違い、魔物の魔石を配置して繋げたいにしえの魔具に近い物で――

 それでいて、組み込まれた魔石の性質とは全然違う効果を発揮している所が、また魔具とは違っています。

 謎しか有りません。


 譬えるなら、古の魔具がそのまま滅びず発展していたなら、こんな魔道具も作られていたのではと思わせる魔道具なのですよ。


「……ディジーリアです。ディジーでいいですよ?

 ――それより、何で私が先生呼びなんでしょうかね?」

「ははははは! 講義の実績が有るのだから、先生仲間には違い無い!」

「……それと、その人って、もしかして記憶持ちだったりしますかね?」

「はははっ! はははははっ! ……ディジーもそう思うか? 私もそう思うのだがっ!! ――はぁ……その話はまた別の機会だな」


 ずぼらさんことルビーアンに一体何が有るのか、ロルスローク先生は疲れた様な溜め息を溢したのです。


 まぁ、何だか面倒臭そうな人とは知っているのですけどね?

 私のお風呂に何度か勝手に潜り込もうとしているのを知っていますし、その時の部屋の仲間との会話になっていない会話からも、関わり合いになりたく無い感じが凄いのですよ。


 尤も、今の話を聞けば、記憶持ちの記憶に呑まれ掛かって、不安定になっているのではとも思いますけれど。


 私も記憶の無い記憶持ちでは有りましたが、最近ちょこちょこ思い出せない筈の“前の”私の記憶が蘇ってきたりしてますから、ちょっと思う所は有るのです。

 所詮は私の物では無い記憶では有りますが、わくわくどきどきする物語本に熱中するよりも遙かに簡単に感情移入を迫られるので、ピシャリと撥ね付ける気概が無ければ容易に取り込まれかねません。

 それで取り込まれてしまったとしても、その言動は作中での主人公の言葉を繰り返す様な物ですから、憶えている記憶以上に発展させられる様な物でも有りません。


 私も多少“前の”私の影響を受けてしまう事は有りますが、それをそうと理解した上で、私とは違う“前の”私の事情と区分けしていますから、まぁ混乱する事も無いのですけど、きっと記憶持ちの記憶に囚われた人というのは常に混乱している様な物なのでしょうね。


「自分の記憶と折り合いが付けられていないみたいですけど、大丈夫ですかね?」

「……王城に来るまではここまででは無かったのだが。私が記憶持ちを疑ったのも、実は王城に着いてからだな」


 難儀な事ですね!



 ともあれ、今日は王城との摺り合わせをするのですから、待っていれば王城側のメンバーもこの会議室にやって来るのは必然です。

 そしてそこに王様が交じるのも、経緯を考えれば納得です。


 でもそれは、ずぼらさんにとっては死刑宣告にも等しかったみたいです。

 ヒィッと小さな悲鳴を上げてからは、呼吸すら儘ならない様子で、当然身動ぎ一つ出来ていません。

 いえ、王様を出迎えておきながら、椅子に座り続けている方が不敬と思いますがね?


「ははは、いや、本当に申し訳無い。ルビーアンは『拡声』の魔道具を創り上げた正真正銘の天才だが、流石に陛下の前では緊張せずには居られないらしい」


 冷や汗混じりにロルスローク先生がフォローを入れていなければ、今も口角泡を飛ばして罵っている人以外からも、敵意を向けられていたかも知れません。


 まぁ、その罵っている人達が問題で、魔術講義の時に遅れて来ておきながら、陛下の顔を見た途端に失神した人達なんですけどね。

 何でこの人達を参加させているのか良く分かりませんけど、王様には何やら思惑が有る様子ですよ?


「全くけしからぬ!! 陛下の御前を何と心得る!!」

「新しい魔術の教本などと戯言をほざくなど、こんな下民が巫山戯た事を!!」


 いえ、それは魔術講義でのこのこ遅れて現れたあなた達こそ、気に掛けなければならない話では無いですかね?

 更に言うなら、今、王様の前で喚き立てている事こそ、不敬の極みな気がしますよ?

 そんな事を思ってしまいましたが、そう認識する前に声に出ていました。


「黙らせても構いませんかね?」


 言われた王様が、珍しく口を手で押さえて噎せています。

 あ、そう言えば王様には何か思惑が有ったのでしたね。


 恨めし気に一瞥されてしまいましたが、その後は苦笑を浮かべて考えてしまっています。

 しかし直ぐに何かを決めたのか、私へ目を向けて言ったのです。


「では頼もう」


 ――酷い王様ですね?

 とこれも一瞬思いましたが、言われた時にはちょっときつめに『魂縛』している私も人の事は言えません。

 『魂縛』された二人は、その瞬間から凍り付いた様に瞬き一つしていません。

 そっと魔力の腕で瞼を閉じさせるのは、本のちょっとの情けです。


「これは――聞こえているのか?」

「いえ、強めに『魂縛』したので、そこまで頭も働かないと思いますよ? ――も~、王様も何か目論んでいるのなら、予め伝えておいて欲しいですよ」

「ククッ、知らぬ方が上手く事が運ぶと思ったのだが、思ったよりお主の気が短かった様だ。

 だが、これで良かったのかも知れぬ。言い訳を聞く為に時間を割くなど、不毛に過ぎる」

「やっぱり何か失言を誘って問い詰めたりするつもりだったのですね?」

「分かっていたなら協力して欲しかったものだが」

「仕方有りません。学院でなら確認を取る前に黙らせてましたから」


 再びにやりと口元を歪める王様です。

 ロルスローク先生や、その他研究室の面々は、呆けてしまって言葉も有りません。

 開いたままの扉から入って来た騎士様だけは、掌で顔を覆って嘆いています。


「いえ、それで手順を五つも六つも飛ばされては困ってしまいますが……既に段取りが滅茶苦茶です」


 その声に、私は思わず声を上げます。


「サイファスさん!」


 随分とお久し振りなサイファスさんは、飄々としていた以前とは違い、精悍さを身に付けてそこに立っていたのでした。



 サイファスさんとの挨拶もそこそこに、何故か居合わせた私達も、王城の魔導師とやらへの強制査察に協力させられています。

 ずぼらさんだけはどうにも顔面蒼白で呼吸も怪しい感じでしたので、一度は置いて行こうとしたのですけど、鬼気迫る様子で同行を申し出て今も必死に付いて来ています。


 まぁ、何か有ったとしても制圧するのは騎士様達なのでしょうけどね?

 ――と、気楽に構えていたら、王様からは全員気付かれる前に『魂縛』しろとの御達しです。


「そこまで必要ですかね?」

「……我は彼奴らが城の結界魔道具を理解しているとは欠片も信じておらぬ。当然調整も出来ぬだろう。それでも結界が動いているのは、それだけ古の技術が優れていたと、そう理解していた。

 実際には違ったとしても、その時はその時だ。既に王城を結界で護れば済む時代でも無い。無ければ無いで我は構わぬ。宝物庫以上に厳重に護られているから、昔は違ったのだろうがな。

 だが結界は有る。

 お主も城に結界が張られているのは感じていたな? 我もどんな働きをしているのかは定かで無くても、そこに結界が有るのは感じ取れた。

 結界が有るなら管理者は置かねばならぬ。

 では、誰を置く?

 ――これに関しては我も反省せねばならんが、名ばかりの名誉職にそれを任せた。城の魔導師共がそれだ。

 役に立たぬと分かっておきながら任せていた癖に、お主という本当に力の有る魔術師を知って慌てたりもしたがな。

 つまり、魔導師共が役立たずというのは元々分かっていた事で有り、罰する理由には足らぬ。

 その魔導師共が結界の魔道具を理解していないとしても、それも承知の上での事で有り、やはり罰するには足りぬ。

 しかし、魔導師として遇されている限りは、誰よりも魔術に詳しく有ろうとせねば怠慢と責める事は出来よう。

 それ故の処置だ。

 魔術教本の摺り合わせに参加させれば、己の無知を自ら曝け出してくれると思ったのだがな」


 地下へと降りる階段を足早に下りながら、そんな話を聞きます。


「……それは申し訳有りません」

「いや、良い。

 流石に我の前でのあの振る舞いを許す選択は無い。

 明らかなのは、奴らの中に『根源魔術』を使える者は居ない事だ。それは即ち、お主の言う神々への丸投げしかしていない事を意味する。

 それが分かった上で今の地位に置いておく事はな。

 だがお主も見たであろう。彼奴らの増長振りを。下手に刺激すれば、最も重要な結界魔道具や、貴重な蔵書に火を放ちかねん。

 『魂縛』をしてでも速やかに制圧するのは、それらの保全を考えての事だ。

 結界魔道具が据え付けてある部屋は、宝物庫と似た仕組みに加えて、内部の者が操作せねば扉は開かぬ。騎士では万が一が有り得るのだ」


 ……。

 話を聞いてしまうと、喚いていた人達を『魂縛』してしまったのは、今更ながら遣り過ぎだった様に思えてしまいますが、王様が了解しているので気にするのはやめておきましょう。

 でも、そうなると彼らは悪さはしていないのですよね?

 随分と微妙な話になってきましたよ?


 そんな事を考えている間にも、私達は地下の大扉の前へ。

 警備に付いている騎士様方は、王様を見て頷くと場所を空けましたから、話は通っているみたいです。

 ですが――


「中には三人しか居ませんけど?」

「流石だな。お主と違って名誉が与えられるなら、こんなあなぐらに籠もる奇特な奴らも居るのだ。安く付くかに見えて実際には面倒事を抱え込むのと変わらぬ故に、そう簡単に名誉など与えられんがな」

「いえ、もっと居るのかと思って聞いたのですけど。それに、気配ぐらい王様にも分かりますよね? 私と方法は違うかも知れませんけど」

「奴らの魔導師としての本拠地は別だぞ? 尤もそちらはハマオーに対処させている。大隊長まで何人か面白がって付いて行ったから、まぁ酷い事にはなっているだろうな」

「……大した悪さをしていないのに、ちょっと厳しくは有りませんかね」

「横領も背任も十分に重い罪科だ」


 おっと、既に裏付けを取っていたのか、王様が冷たく断定しました。

 それなら私も言う事は有りません。盗人は手を切り落とされても文句は言えないのですから。


 そんな方針も決まって、いざ開扉と思ったのですが、中の様子が何とも……。


「中の人達は、皆さん文献を真剣に読み漁って、頭を掻き毟りながら真面目に研究しているみたいなんですけど、本当に『魂縛』してしまうのですかね?」


 そんな私の言葉は王様としても意外だったのか、暫く言葉が出て来ません。

 ロルスローク先生達と会話していたサイファスさんが、言いました。


「貧乏籤を引かされる下っ端程真面目というのは、何処の組織でも有り勝ちだね」


 その言葉を聞いて、王様は少し考えて見せましたが、結論は変わりません。


「ふむ――全てが腐り切っていなかったのは儲け物だが、罪が無いとは言えぬ。やる事は変わらんな。――やれ!」


 そうと言うなら従いましょう。

 まぁ、私に任せればちょちょいのちょいですよ?



 ~※~※~※~



 セーロバン家のミシタリスは、魔術の大家に生まれた者の常として、より強大な魔術を求め研究に邁進する日々だった。

 幼少のみぎりから家中の蔵書を片っ端から読み漁り、多く貴族の通う学園を卒業する頃にはセーロバン家の秘匿魔法とされる『水雲すいうん』までも物にしていた。

 魔力の籠もった濃霧は『火炎弾』すら阻むとの謳い文句で、それは幼いミシタリスの自尊心を満足させるのに十分だった。


 しかし、真面目に研究すればする程に、行き詰まりが見えてくる。


 確かに伝来の装具で身を調えたミシタリスは、誰よりも強い魔術を放つ。

 だが一人こっそり装具を外して試してみれば、他の誰とも変わらない魔術の強さだった。


 それならばとより強い装具を求めても存在せず、重ねて身に纏えば逆に威力は急減した。


 魔力を解放すれば『轟火炎弾』すら一人で放てるとの話題が騒がれた事も有ったが、ミシタリスは支持しなかった。

 三人集まれば発動出来る『轟火炎弾』を一人で発動出来たからといって、威力が上がる訳では無い。

 何より、この僅かな手応えを捨て去る事は、道具頼りな現状を変えていく道から外れそうで、忌避感が強かった。


 ミシタリスは学院に入ってからも研究を進め、漸く一つの成果を得る。

 魔力は腕の中に抱え込む様に溢れさせ、その抱え込む強さで魔術の強さは変わる。

 その境地に至っては伝来の装具も必要無く、寧ろ装具が有ると装具を重ねた時と同じ様に、その効果は阻害された。


 両の手を、何かを抱え上げる様に伸ばして放たれる魔術は、一時期「抱玉ほうぎょく式」と呼ばれ一世を風靡したが、多くの者はその感覚を得られず、一時の流行はやりとして忘れられていった。


 尤もミシタリスにとっては世の流行はやりなど気にも留まらず、装具と同じく強く抱え込めば急減するその威力から、魔術の構成が脆く、強い魔力に耐えられないとの理解を示し、その解決に頭を悩ませていた。

 魔術の構成が脆いなら、魔術の構成を強くすれば良い。

 そう理解していても、取っ掛かりすら掴めずにいたのだ。


 そんな懊悩を抱えていても、魔術の大家であるセーロバン家のミシタリスが、装具も無しに装具持ちに劣らぬ魔術を放ったというのは、魔導師に抜擢される快挙には違い無かった。

 学院を卒業したミシタリスは、そうして魔導師に着任したその場で、失望と共に理解する。


 魔術の大家というのは、伝来の装具の優秀さと、秘匿された魔術の数にしか価値は無いのだと知って。


 魔導師の先輩諸兄はミシタリスの様に現象を突き詰めて研究する事は無く、奇妙な祈りの様式が秘術として伝えられているばかりだったのである。


 それは、恐らく彼らの家が、嘗て秘匿魔術を見つけ出した方法を踏襲した物なのだろう。

 或いは、その神頼み以外の何物でも無いその祈りは、それらの家の絶望と諦観の果てを示していたのかも知れない。


 しかしまだ若いミシタリスは、それを受け入れる事は出来ず、いつしか口煩くなったミシタリスは疎まれ、――魔導師にとっての閑職である結界魔道具の管理人へと追い遣られた。


 ミシタリスにとっての宝物部屋だった。


 知る機会も無かった結界魔道具という王城の防御機構とその実績!

 求めて止まなかった強大な魔術効果を齎す、見た事も無い複雑で巨大な魔道具!

 それらを実現する未知の理論!


 しかし、夢の様な時間は知る程に絶望へと取って代わる。


 結界魔道具の整備手順書には、魔道具の中央には黒赤のランビオルカの魔石を据えると有る。

 そのランビオルカが分からない。

 各地の冒険者協会の蔵書に加え、古文書まで総浚いして、漸く霊獣ランビアムスが魔獣ランビオルカの変異種との一文を見付ける。

 神話に於いて天火に灼かれたと伝えられる霊獣ランビアムス。そう、神話の生き物だ。


 そもそも結界魔道具に嵌められた魔石は、現時点に於いて淡い色しか残っていない。

 ランビオルカの魔石だけでは無く、その他の主要な魔石も悉く色が抜けている。

 そして、予備の魔石が入っているという箱は空だ。

 使用済みの箱には乱雑に魔石が詰め込まれているが、どれもこれも色は薄い。


 ここに到って、漸くミシタリスは先任者からの憐れむ様な視線と、張り詰めた危機感の理由を知った。

 ミシタリスが求めるまでも無く、結界魔道具の部屋に各地の魔獣大全が積まれていた焦燥を知った。


『このエウペタールを含めて、多くの魔獣は西方に棲息していたと推測出来る。根拠はこれとこれを読め。一割は今も健在だが、二割が不明。七割は滅びたか交配やらで当時と性質が変わったかだ。

 エウペタールは火を纏う鳥らしいから、ホフホムの近縁種と見ているが、代用出来るかはこれも不明だな』

『魔獣の性質が変わる事が有るのか?』

『ふぅー……健在だと言った魔獣にコロッサムという鼠の魔獣が居る。魔石は緑で水に反応して気体を噴き上げるらしいが、今のコロッサムの魔石は茶色で水とも反応しない。残されている絵姿からは何も変わっては見えないがな』


 背筋に氷柱を入れられた様な心持ちのまま、文献を集め、魔石を募り、結界魔道具の簡易な構成を試み、また文献に当たる。

 今日もそんな一日だ。


 そんなミシタリスの耳元に、同僚のホルテールの声が響く。


「どうだ? そっちは何か分かったか?」


 ミシタリスは舌打ちをしてそれに応えた。


「駄目だ。せめて何の魔獣の、では無く、どんな性質の魔石か書いてくれれば代用品も探せる物を」


 また同僚の声が聞こえる。


「上の奴らめ――」


 顔も上げずにミシタリスは鼻で嗤う。


「言うな。祈って踊るのが魔術の研究と思っている奴らに引っ掻き回されては、進む物も進まなくなる」


 もう一人の同僚ローエンまで今日は声を掛けてきた。


「せめて陛下にはこの状況を伝えねば――」


 そしておかしな事を言い始めた。

 陛下に結界魔道具の現状を訴え、裁可を仰ぐ嘆願書を書き、加えて下った予算を着服しようとした上の奴らを弾劾し、相互不可侵の別室の様な形でこの管理室の運営を正常化した立て役者こそローエンだと言うのに。


「それはお前が嘆願書を出して予算が下りているのだから、陛下はご存知の上での現状だろう? まぁ、確かに信用出来る人手はもう少し欲しいとは思うがな」


 ミシタリスは、そこに来て漸く顔を上げてローエンを見遣ったが、不思議な事にローエンはミシタリスに注意も向けてはいない。その口元はもごもごと動いていたが、声は届いてこなかった。


 呆けて見遣るミシタリスが気を取り戻したのは、他には存在し得ない筈の第三者の呻きが、直ぐ隣から聞こえたからだ。


「ぐぅ……現状は把握した。

 済まないな。お主らには随分と迷惑を掛けていたらしい」


 幽霊に声を掛けられてもこれ程仰天はしないだろうという勢いで飛び退いたミシタリスがその目にしたのは、話に出て来た陛下と、理解し難くもその他大勢だったのである。

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