(101)諸々の準備が調ってきましたよ?

 さて、今日の私は清楚系お嬢様風の白いワンピースで王城に来ています。

 一日時間が空いていたので、試作の伝言掲示板に「王城」と書いておきましたら、またかという目で見られてしまいました。ちょっと納得出来ません。

 まぁ、王城へ来たと言っても、お届け物を一つ持って来ただけですけどね。

 王様からの依頼は一旦保留にしていますけれど、準備出来る事は進めておこうと思ったのですよ。


「三十二番の方、窓口にどうぞ」


 そんな感じで御用口の長椅子で待っていた私は、番号を呼ばれて窓口へと向かったのです。


「……つまり、一度保留にした陛下からの依頼を進める為に、その箱を陛下にお渡しして欲しいと?」

「はい。その通りです」

「…………」


 訝しげに見る窓口の担当に、慌てて言葉を重ねました。


「さ、サイファスさんもその事は知っていますし、あ、ほら、あそこに座っているお偉いさんも、私の事は知っていますよ!?」


 お偉いさんは私の事を知っているかも知れませんが、私はお偉いさんの名前も知りません。

 ですが、お偉いさんに振り返った担当に気付いて、名前も知らないお偉いさんがこちらへと向かって来てくれたのです。


「これはディジーリア様。本日はどの様なご用件でございましょうか」


 相変わらずの私に対する低姿勢です。

 でも、その御蔭で漸く話は前に進んだのでした。



 王様にお会いする程の事でも無いと、渡した箱は角タール製です。

 ゴブリンの蔕タールでも別に構わなかったのですけれど、王様に渡す物ならばと流石に配慮したのですよ。

 隣り合う二面に丸い穴が開いていて、同じく角タールの蓋が捩じ込まれています。その穴から奥まで手を突っ込めば肘まで入る程度の箱ですが、中には奥の壁に私のノッカーが付けられているだけですね。他には何も無い空っぽの箱なのです。

 まぁ、今は元光石が詰めてあった大袋が、畳んで入っているのですけれどね。



 ~※~※~※~



「――で、これがディジーリアが持って来た箱か」

「はい。それでこれは如何致しましょう?」

「中に在るのは袋? それとベルの魔道具に似た赤い宝玉だけだな。――いや、この赤い色は。……ふむ、ご苦労だったな。問題無い、これは我が預かろう」


 午前の会議を終えて、昼食の為に一度私室へ戻ろうとしたガルディアラスは、呼び止めてきた官署台御用課長から黒い箱を受け取ると、口の端を歪めてそう告げた。

 何の説明書きも付いていないが、期待するところは分からんでも無い。

 相変わらずな事だと思いながらも、未だにおべっかを使って擦り寄って来ようとする者が跡を絶たない現状を鑑みると、気を置かずに物を言う間柄は、何とも言えず愉快だった。


 王族の集まる食事時にも、ディジーリアの話題が度々供されている。


「前にも御父上が連れて来られた子だね」

「ああ。あの時は連れて来られた感が凄かったな」

「もう、笑っては駄目ですよ? でも、迷子の子猫の様で本当におかしいったら」

「いや、彼奴あやつはそんな玉では無いぞ? 大暴れっぷりはイースの小さい頃にも勝るわ」

「おや? この間はとても大人しくしてらしたわ?」

「ふん、大方遠慮なく接する許可を得ていないからと遠慮したのだろう。見よこの飾り気の一つも無い箱を。中に入っていたのは荷運び用の大袋だぞ?」

「ははは、御父上はよくよくあの子の事を気に入っていると見える」

わたくし、前に来られたという時には外してまして、どの様な方ですの?」

「ああ、それはね――」


 尤も話題の提供主はガルディアラスなのだが、どうにも親族達が実像を捉えていない様に思えて、ガルディアラスは鼻白むばかりだった。


 結局昼食が終わった後に一人の時間を設け、黒い箱を前にガルディアラスは椅子へと座る。

 二つある蓋を捩って外し、中から大人一人もしゃがめば入りそうな大袋を取り出した。

 それを脇に置いて、箱の奥へと手を延ばす。

 ガルディアラスは、何が起こるのかと妙な期待を抱きながら、ベルの魔道具に良く似た釦をその指先で押したのだった。



 ~※~※~※~



 御用口のお偉いさんに箱を渡した後は、ちょっとそのままお出掛けです。

 本当はそのまま東ム坂通りへ行って、本屋巡りをする予定だったのですが、オルドさんから連絡が入ってちょっと予定が変わってしまいました。


『ああ、ディジー。劇団への対応だが、決まったぞ』

『おや? どんなお仕置きをするのでしょうかね?』

『いや待て。今回は穏便に行く。王都の劇場というのは結構王都民の心の拠り所にもなっていてな、余り表立って非難すると逆に大人気無いと責められかねん。事実と異なる内容が広まってしまうのは、事実が知られていないからだ。それはつまり、デリラから提出した報告書が、一般には知られていないからだな。それならその報告書を一般にも知らしめればいい』

『……言いたい事は分かりますけれど、毛虫禍で仲間を亡くして、心機一転王都に出てきた人達が知らずに観たら暴れますよ?』

『それはもう仕方が無いな。抗議したところで直ぐには変わらん。事実確認だ何だのとごねるのが目に見えている。寧ろ、身構えられる前に周りから攻める方が効果が高いとの判断だ。あの手の商売は、客に外方そっぽを向かれるのが一番痛いからな』

『はぁ……それで私は何をすればいいのでしょうかね?』

『うむ……かなりの無茶を言う事になるが、王都の刷字屋に当たってそちらで製本出来るか調べて貰えないか? 指名依頼という事で一つ頼みたい』


 そんな風に言われてしまえば、出来ない事でも無いので断れないのですけれど、それにしても凄いタイミングでの連絡です。


『もー……製本するなら毛虫殺しディジーリアの冒険譚も作っちゃいますよ? あれも原本ですから当然ですね』

『む……確かにそうだが。――まぁいい、刷字屋に出す前に、原稿をこちらにも回してくれるならいいだろう』


 そんな事で、結局本屋に行く前に、刷字屋について調べる為に商人ギルドへ行く事になったのでした。

 そして、どうせ商人ギルドに行くならと、絨毯の情報も調べる事にしたのです。


「希望通りの持ち込みの原版に対応してくれる刷字屋は、二箇所だね。でも、何方どっち何方どっちだよ? 典麗書院は兎に角相手によって足下を見るから評判は悪いね。持ち込みの原版なんてチラシぐらいだろうさ。春風屋は設備はいいのを入れてるけど人が居なくてね。いつ出来ると聞けばいつか出来るってものだよ。まぁ、話を聞いてみればいいさね。それと、絨毯の産地だけれど、求めているのは本当に絨毯かい? 聞いた内容だと毛皮敷に思えるんだがねぇ……ほら、こういうのだよ?」


 窓口の小母さん職員にギルド証を見せて問い合わせてみれば、まぁ刷字屋は春風屋一択として、絨毯の代わりに思いも掛けない情報が出て来ました。

 小母さん職員が差し出してきた毛皮敷の見本が、理想に近いふわふわのもこもこです。ですが、毛皮敷と言われると悩み処なのですよ。


「これは……とても理想的なのですけれど、毛皮という事は予約していないと数は揃わないですかね? こういうのって、毛刈りした毛を敷物に編み込む物だと思ってました」

「そういうのも有るけどね、ふわもこを優先するなら毛皮敷さ! 有名処は三つだね。西はオリハル領のムタン敷、東はハフスリング領のタムラン敷、そして南西デリアライト領のライトン敷。近さで言うならオリハル領だけれど、それぞれ特徴が有るからね。ここより特産通りの店の方が見本も揃っているから、そっちで聞いてみたらどうかいね?」


 と、まぁ結局は特産通りと東ム坂通りという、程近い場所へ行く事になったのです。


 ぴゅぴゅんぴゅんと「加速」で飛んで、あっと言う間に着いてしまいましたが。余り低空を飛ぶと、突風が吹き過ぎてしまうので、地上には迷惑だったみたいです。

 次からは気を付けましょうと思いつつ、彩り豊かな通りを右へ左へと気の向くままに……。

 いえ、毛皮敷の店に行くのでしたと思い出した時には、ライセンの大きな花柄の布や、格好良く飾られた帽子といった小物の数々が、私の荷物に増えていました。

 此処で買うより地元へ行って買った方が安いんですけどね?


 ぽぽいと荷物は『亜空間倉庫』に放り込んで、見えてきたハフスリング領館へと向かいました。


「へぇー……」


 と、気の無い吐息を洩らしながら、南東の果ての地の一つ、ハフスリング領のお店の中を巡ります。

 バルトさんの故郷シパリング領の隣ですね。恐らく魔物素材を用いて作られた、良く分からない工芸品の数々も、好きな人は好きなのでしょう。

 これだけの魔物素材が有るのなら、魔物素材の武具なんていうのも置いていて良さそうですけれど、有って小さなナイフばかりです。でもこれは、きっと武具が売れない王都の事情故なのでしょうね。マディラ・ナイト製の武具が安過ぎるのです。

 そんな店の奥まった一角に、それなりの広さを確保して、目当ての毛皮敷が陳列されていました。タムラン何某と示されていますから、間違い有りません。


「商人ギルドで見せて貰った見本と違って、ふわふわしていませんねぇ。ふぁさって感じです。あ、一枚皮で無く縫い合わせているのですね。……縫い目が乱れているのは、皮が硬いのでしょうかねぇ」

「……中々目がいいな。冷やかしじゃ無さそうだが、ふわふわを求めているなら残念ながらムタンだな。だが、タムランは二十年は軽く持つぜ? 渋みの有る男の高級感なら断然タムランだな」


 ぶつぶつと口に出しながら見ていましたら、店の主人が話し掛けて来ました。


「何とも冒険者心を擽られる売り文句ですけれど、そういう事なら申し訳ないですけれどムタンですねぇ。序でにライトン敷はどういうのか教えて頂けませんかね?」

「ライトンか? あれは毛足が短い。歴史も浅いから、まぁまだ未熟だが、頑張っているな。絨毯よりも好む者も居るだろうが、ふわふわでは無いな」

「……序でに、商売敵の事でしょうに、色々教えてくれるのは何故ですか?」

「そりゃ、こいつらは数を出したくても出せねぇからな。なら、欲しいと言う客に売れるなら、それが一番って事だ。オリハル館もデリアライト館もそこは同じだな」


 平日の朝ですから暇をしていたのも有るかも知れませんが、色々と教えて貰ったのはいいですけれど、毛皮となるとやっぱり数は無さそうです。

 それでも一応デリアライト領の店もオリハル領の店も見てみました。

 デリアライト領はデリリア領の直ぐ北西で、豊緑祭の折にも研究所の人が来てくれましたから、出来ればデリアライト領の物でとの思いも有ったのですけれど、物を見ればオリハル領のムタン敷一択でしたね。毛の質も造りも文句が有りません。


「――でもねぇ、今はもう全部予約済みで、一般販売向けに確保しているのを除けば、受注生産は何年も待たないといけないかも知れないよ?」


 オリハル領館の店主の小母さんが呟いていたそれだけが最大の気懸かりで、どうしようも無い事では有るのですけれど……。

 でも、ここで悩んでいても仕方が有りません。私は一度、時間を見付けてオリハル領に行ってみる事にしたのです。


 まぁ、それはそれとして、今日は刷字屋にも行かなければならないのですけどね。

 と、端まで行き着いた特産通りを戻りつつ、各地の軽食を適当に買って食べ歩いていた時に、久々に心臓を叩かれる様なノックの衝撃が私をびくりとさせたのです。


『あー……王様ですかね? ノックはお静かにお願いします』

『む? どういう事だ?』

『うー、そのノッカーを叩くと私にその衝撃が届くのですけれど、心臓を叩かれているみたいでびくっとするのですよ。余り楽しい感覚でも無いので、お手柔らかにお願いしたいのです』

『……それならそれで説明書きでも付けておくべきだな。で、これは何だ?』

『ん~、保留にしてますけれど、王様の剣を打つには王様の魔力が必要なのです。サイファスさんには学院まで通って貰いましたけれど、王様にそれはお願い出来ませんでしょうし、私が通うのも面倒ですからその箱をお渡ししました。ただ、色々と秘密が多いので、内緒にして欲しいのですよ』

『……まぁ、良かろう』

『それではですねぇ、二箇所有る蓋を両方外して、鉤が付いている方には中に入っていた大袋の口を引っ掛けてですね、もう一つ開いてる穴からは手首だけ入れてそこから魔力を放出して下さいな』

『む、ちょっと待て……よし、魔力を放つぞ?』

『初めはゆっくりでお願いしますよ! ――……そうですそうです、もうちょっと勢い良くてもいいですよ』

『ふむ…………』

『で、王様の魔力を固めましたら、横の穴から大袋にどんどん放り込んでいく訳です。ま、私が王様の魔力を預かるのも問題でしょうし、それは王様の『倉庫』にでも仕舞っておいて貰えれば。大袋が一杯になるだけ有れば恐らく足りるとは思うのですけれど、こればかりは実際に叩いてみなければ分かりません』

『む!? ちょ、ちょっと待て!? 何だこの感覚は!?』

『あー、それは多分、先に袋に放り込んだ王様の魔力と、後から放り込んだのがぶつかったんでしょうね。私のノッカーも同じ仕組みですよ?

 因みに、固めた魔力を私は輝石と呼んでいます。私以外でこれを作れそうな人に心当たりは有りませんし、どうすれば同じ事が出来るのかも教えられませんから、こればかりは絶対に秘密にして下さいね』


 私が出来る他の事なら、『根源魔術』を教え込む事になる第三研究所の仲間達が、何れ出来る様にも成るでしょう。

 ですが、歪擬きを創り上げての輝石作りは、教えたからといって出来る物とも思えません。つまり、その先には私が絡まれる未来しか無いのです。


『ふむ。我には言っても構わんのか?』

『……剣を打つつもりの相手に隠しても仕方有りませんよ?』


 ええ、魔力を集める都合上、どうしたって疑問は持たれてしまうでしょう。

 なら、剣を打とうと思える相手は、そもそもその辺りの信用が無いといけないのですよ。


 因みに、王様に渡した箱は、私の最新の研究の成果です。

 角タールなのは魔力を通さない為ですし、それはうっかり私が覗き見をしてしまわない様に考えた物です。

 気を付けていればいいのですけどね。意識していない時に視界の隅に映っていると、深く考えずに見ていたりするのが怖いのですよ。


 そこで角タールを知っていればそれを使う発想だっていつかは出てきたのでしょうけれど、魔力が遮られているのに取り付けたノッカーと私の意識を繋ぐ事が出来ると確証を持てたのは、一昨日『武術』の講義を受けていたからでも有るのです。

 『武術』の講義の間、私は魔力枯渇状態を保つ為に、魔力が回復した傍から輝石にして『亜空間倉庫』に放り込んでいました。必然『亜空間倉庫』の中には私の輝石が溢れていき、講義が終わる昼前にはデリラの秘密基地に置いてある巨大輝石が創れる程の量が溜まっていたのです。

 そして創れるならと、『亜空間倉庫』の中の「通常空間倉庫」領域へと輝石の山を移してから、そこで巨大輝石へと纏める作業。

 そんな作業の最中に、時空のメイズ様から連絡が有ったのですよ。


『ん? ん? ん? ――君は何をしているのかな?』


 そんな言葉から始まったメイズ様との遣り取りです。

 私は何か不味い事をしてしまったのでしょうかと少し焦ってしまったのですけれど、メイズ様が言う事には、私が閉じた『亜空間倉庫』の中で作業をしているのは、出来ない筈の事だったのだとか。

 私としては普段通りに繋がった先との認識にて、何がおかしいのか分からなかったのですけどね?


 曰く、『亜空間倉庫』は維持に私の魔力を使っているとは言っても、私が魔力で干渉したりを出来る様には造っておらず、出来るのはその設定を弄るだけの筈という事と、私の魔力に「空間」の属性は有っても、メイズ様のような「時空」の力を操るには、聊かどころでは無く足りていないのは自明の理で、故に、私が負荷も感じず、閉じたままの『亜空間倉庫』の中に手を出せる訳が無く、縦しんば私に「時空」の力が有ったとしても、その時には『亜空間倉庫』に仕込まれた、干渉を回避する為の仕組みが働かないとおかしい、との事でした。


 と、まぁそんな事を矢継ぎ早に言われながらも、どうやら私の『亜空間倉庫』の状況を調べていたらしいメイズ様。

 でも、何も問題を見付けられなくて、首を傾げていたらしいのが昨日の夜の事です。


 で、そこからは実験に次ぐ実験。と言っても、私は当初の予定通りに「通常空間倉庫」の中で巨大輝石を創ったり、言われるが儘に学院内の私の拠点でも巨大輝石を創ったり。

 私には弄れない『亜空間倉庫』の設定項目をメイズ様が変えながら、メイズ様が指示する儘に拠点に創った巨大輝石を通じて『亜空間倉庫』内の巨大輝石に繋げたり、そこから更にデリラの秘密基地に有る巨大輝石に繋げたり。


 結論を言えば、やっぱり私に「時空」属性の力は有りません。いえ、「空間」だとかを駆使しての間接的な使い方なら今迄通り出来るでしょうし、“黒”に“瑠璃”、それから大猪鹿の魔石を通して力を使えば難無く「時空」属性だろうと操る事は出来るでしょう。それに、まだ扱い方が良く分かっていないだけで私に其の手の力が本当に無いとも限りませんし、そもそもこれまで属性なんて気にした事は有りません。

 そんな私が何故メイズ様を驚かせる様な事が出来たかと言えば……。


『へぇ~~え! 面白いねぇ……魔力は神界に属している力だからって、神界と同じ様な働き方をするんだねぇ』

『どういう事でしょうかね?』

『魔力にとっては、関わりが深いかどうかが距離になるって事だねぇ。空間の隔たりなんて関係無いから、亜空間だろうと其処に関わりの深い目印が有れば、彼我の距離は近くなるよ。その目印が固めた魔力だと言うなら、それはもう自分自身と同じだねぇ』


 言われてみれば、納得出来るものが有るのです。

 つまり、「時空」の力というのがそもそも異界も含めた亜空間を創り出したり亜空間としての仕様に干渉したりする力ですが、そこには触れずに通常の空間で出来る事なら「時空」に関する制約には引っ掛かりません。そうで無ければ、『亜空間倉庫』の中に私が入る計画に意味が無くなってしまいます。

 問題は、どうやって空間が隔てられているその場所に手を延ばすかなのですけれど、地上世界から別の亜空間に干渉すると考えるのでは無く、神界から地上世界を覗き見る様に亜空間を見るだけなら、そこに「時空」の力は関わりません。

 神々ならそれこそ意識を向ければ眺める事が出来るものらしいですけれど、私も輝石が放り込んでさえ有れば、何も変わらず手を伸ばす事が出来るという事が分かったのです。


 まぁ、同じ地上に輝石が有ると、距離が離れると反応が弱くなったりする様に、私との関わりの深さに距離も絡んで来るみたいですから、神界から見る様には行かないみたいですけれど。逆にそういう場合は一度『亜空間倉庫』の巨大輝石を介して見れば、第三研究所員に配ったプレートの小さな輝石の反応まで、しっかり捉える事が出来たのです。


 そういう意味で、王様に渡した黒い箱は、出来たてほやほやの研究の成果なのです。

 まぁ、元々魔力を籠めたナイフや輝石を動かす時に、私からの魔力が繋がっていた訳では有りませんから、何れ角タールの箱に入れる事は思い付いていたのでしょうけれど、理屈が分かっての上と比べれば格段の開きが有りますし、王様に渡すのもまだまだ後になったでしょう。

 そうなると、王様から剣の依頼が正式に来たとしても、取り掛かれるのはずっと後になったに違い無いのです。


 まぁ、王様の魔力さえ集まれば、後は打つだけなので比較的早く仕上がりそうでは有りますけどね。


 そんな事を思い返しつつ、もぐもぐと食べてる音を間違っても王様の側で鳴らさない様に気を付けながら、何故か機嫌が良さ気な王様の相手を務めます。


『そう言えば、我の孫とはもう会ったか? 自分だけがまだ会えておらぬと悔しそうにしていたぞ』

『ええ、私も戴いたドレスのお礼は言わないとと思ってはいるのですけれど、お見掛けするのがどうにも声を掛け辛い時ばかりでして』

『ふん、取り巻きでも引き連れていたか?』

『まぁ。――後は、一人の時にカーテンをくしゃくしゃにしながら荒ぶっていたりだとか』

『…………それはそっとしておいてやれ』


 因みに、私から黒い箱のノッカーと繋ぐ事は問題無く出来ますけれど、魔力は遮られる為、箱の外を窺い見る事は適いません。態々見ようとするなら出来ない事も無いですが、見なくてもいい物は見ない方がいいのですからやりませんよ。

 それでも声の調子から何となく、へにょりと王様が眉を下げた様な感じがしたのでした。


 さて、東ム坂通りです。そう言えば、闘技場で会った紳士な小父さんが、東ム坂通りに店を開いていると言ってましたね。もし見付けたら、寄ってみてもいいかも知れません。

 でも、今はまずは本屋です。

 坂の下からめぼしい本を探しつつ、坂の上まで登ります。


『ふむ、それにしても、これはいつまで続ければ良いのだ?』

『ですから大袋が一杯になるまでですよ? サイファスさんは魔力枯渇近くまで毎日搾り取っての十五日でしたけれど、王様のはそれでは全く足りないでしょうから、時間の空いた時に魔力を固められる様に、その箱をお渡ししたのです。

 王様から魔力を枯渇するまで搾り取るのも問題でしょうし、今からしっかり集めても剣に取り掛かれるのは冬になる直前くらいですかねぇ。

 結局剣を打ち直さない事になったとしても、何にでも使えますから、今からやっておいて損は無いと思いますよ?』


 絶句した様子の王様でしたけれど、『諒解した』と言って輝石作りを打ち切ったのが東ム坂通りを登る半ば過ぎ。

 その直ぐ後に、実際その目で輝石の輝きを目の当たりにして、『何だこれは!』と連絡が入るのはご愛敬。

 でも、ノックはお静かに、と言いたいところなのですよ。


 坂の上まで辿り着いたら、目を付けていた本を買い求めながら再び坂の麓まで。

 そしてまた坂を登りつつ脇道に逸れて、目当ての刷字屋、春風屋へと向かいます。


 因みに、もう一つの持ち込み出来る刷字屋である、典麗書院も既に見付けています。

 お店に入った私に向けられる視線だとか、感じられる感情とかが余り良く有りませんでしたから、やはりそこに頼む事は無かったでしょうけれど。

 飾られている作品も大判ばかりで、求めている物ともちょっと違っていたのです。


 そして辿り着いた春風屋は、二階建ての長屋風。ちらりと開かれた引き戸の奥に見える店主は、ぱっと見では朴訥そうな親父さんです。


「御免下さいな」

「おう、いらっしゃい!」


 ただ、その印象は、私が店に入った途端に崩れました。

 じっと物静かに手元の本に目を落としていた店主は、私に気が付くと朗らかに挨拶を返して来たのです。


「初めてのお客さんだな! この店に有るのは個人委託の薄い冊子程度の本ばかりだが、掘り出し物も有って面白いぞ。遠慮せず手に取って見ていってくれ」


 なんて事を言われたので、まずは平積みされている冊子を見てから相談する事に致しましょう。


 「タフタ村の伝承」「マディラ・ナイト考察~クアドリンジゥルの魔物達~」「北限領域探訪録」

 この辺りは同じ様な刷字体で文字だけの本ですから、原稿を持ち込んで原版はお任せなのでしょうか。

 中々面白そうな本も多いですけれど、勝手な妄想も入っていそうで油断は出来そうに有りません。


 「山鹿読本」「海と湖の生き物」「イトマキ草の飼い方」

 文字だけでは無く絵が入る様になりましたが、どうやら原版を造る人は同じですね。文字に似た様な癖が有ります。

 挿し絵が有るというのはいいですね。“口”の様に囲まれてしまうとその部分が抜け落ちてしまいますので、絵を描くにしても原版から抜け落ちない様にとの工夫の跡が至る所に見て取れます。

 きっとこの原版加工者は、中々優秀な人なのでしょう。


 「英雄シババの冒険」「パルカサ家の家庭料理」「メリッカ・マラヤンヤ」

 謎の本が増えてきました。原版の加工を含めて持ち込んでますね?

 加工を失敗したとしか思えない潰れた文字や、何と書いているのか分からない歪んだ文字も有りますけれど、大胆な文字遣いや、自由な構成には考えさせられてしまいます。


 隅の方に積まれた本を見ると、売れなかった本の行く末も想像出来てしまいますが、概ね私の求めていた理想の刷字屋ですね。

 ただ、デリラからの報告書は無理そうな気がします。


「あの、済みません。それなりに厚い本も、ここで刷る事は出来ますか?」

「お? 何だ、刷字の依頼か? まぁ、それなりなら対応出来るが、何頁有るのかね?」

「二百少々ですかねぇ……」

「ちょ!? 待て、それはそれなりでは無く、しっかり厚い本だ!」


 と、そこで教えて貰ったのが、幾つかの刷字の方法や事情でした。

 まずは薄紙片面刷り。一頁毎片面だけを使用します。一番早く、そして安く出来る方法で、デリラの報告書もこの方式でした。

 次に厚紙両面刷り。刷った裏面が勿体無いと、両面を使う様にしていますが、滲みを防ぐ為に厚紙にして、それでも滲む事が有るので殆ど使われていないとか。値段も結構高めで良い所が有りません。

 そして薄紙両面刷り。両面刷りと言いながら、二頁分の大きさの紙に片面刷りして、それを半分に折って両面に見立てたものです。折り畳む手間は有っても、今の主流らしいですね。

 最後に連続薄紙両面刷り。これは二頁分より多くの頁を、それだけの長さの紙に一度に刷って、折り畳んで本とする方法です。春風屋が持っているのもこの装置で、三十頁までなら一回で刷る事が出来るのだとか。


 春風屋の装置で二百頁を刷ろうとすると、三十頁を七回刷って、折り畳んで一冊に纏める事になります。

 今は薄紙片面刷りや薄紙両面刷りなら、高速で刷って製本も出来る器械が有るのだから、その器械を持っている刷字屋を頼ってくれと、どうやらそういう話の様ですね。


「両面刷りならファルク麗字刷所、片面刷りなら同じくファルク麗字刷所かイソカル刷字店。他は身内相手か値段が高いかだな」

「原版の持ち込みも受け付けてくれるのですかね? 商人ギルドでは、そういうのはここか典麗書院だと聞きました」

「それは難しいだろうなぁ。ファルクもイソカルも外向けには原版造りで稼いでいる様なもんだ。うちの様に趣味で店をやってるので無けりゃ、持ち込みは受け付けんだろうよ」


 そうなると、報告書はデリラで頼んだ恐らく商都の刷字屋を使うのがいいかも知れません。それなら原版は既に有る筈なのですから。

 それは後でオルドさんと相談として、私の冒険譚はやはり春風屋にお願いするのが良さそうです。


「成る程……二百頁ものはちょっと考えてみますね。

 それとは別に五十……いいえ六十頁程のもお願いしたいのですよ」

「おう! じゃ、うちの設備やら料金やら説明が必要だな!」


 そこから色々と教えて貰いました。

 原版は一枚十両鉄なので、十枚で一両銀。原版加工が百文字で一両銀で、その百文字が一日の作業量になるから原版加工の出来上がりは文字数次第。まぁ、原版一枚で大体五日と考えれば、十頁で五十日の五十一両銀。ファルク麗字刷所の様な大手になると、下請けをそれだけ抱えているから出来上がりは数倍から十数倍早いが、料金も数倍するのだとか。ちょっとした出来心ではとても本を出す事なんて出来ません。

 原版が出来上がって刷る際にも、三十頁迄なら二百部毎に六両銀掛かります。

 で、十頁しか無い本なんて買う人は居ません。三十頁しっかり作ってそれなら二百部は売れるでしょうから、つまり二百部に三十頁分の原版百五十三両銀と刷り代の六両銀が掛かります。つまり、一冊で凡そ三分と一朱銀。原価を回収する間にも多少儲けが欲しいと考えれば、大体一冊一両銀。大手も身内相手になら似た様な料金設定でしょうから、巷に出回る本が一冊一両銀程度になる訳です。


 私の場合、原版作成に掛かる費用が十枚一両銀で済んでしまいます。他の冊子を見ていて挿し絵が欲しくなったので、恐らく六十頁程度になるでしょう。つまり、二百部刷って原版六両銀と刷り代十二両銀。二百部で回収すると考えて、一冊二朱銀もしません。九両鉄で済んでしまいます。鉄貨ですよ、鉄貨!

 流石にそれでは諸々の兼ね合いも有るでしょうが、一分銀でも安いくらいですから、多くの人が手を伸ばす事になるでしょう。

 収穫祭は学院での出し物ばかり考えていましたけれど、折角商人ギルドに登録しているのですから、自分のお店を出してみるのも面白いかも知れませんね。


 と言う事で、もう原版を手に入れてしまいましょう。


「ぅえ!? 原版百五十枚か!? 買ってくれる分には構わないが、対応出来るかは別の話だぞ!?」

「いえ、先程も言った通り大体六十頁程度なのですけれど、他にも書きたくなるかも知れないので、予備は有って困らないのですよ」

「六十……まぁ、それなら綴じれるな。しかし、加工の宛ては有るのかね?」

「魔法なら得意ですから、私が加工してしまうのですよ!」

「ほう――やはり見た目通りの歳では無いのか。流石王都、種族の坩堝だな。原版の加工は線を細くし過ぎても駄目だぞ。板と同じ厚さ、大体三厘程度が限界だ」

「…………いえ、見た目通りの十二歳です。線の細さは了解なのですよ」


 妙な勘違いをされていましたが、兎に角刷字屋とも繋ぎを取れました。

 王様の剣をどうするかは王様の判断待ちですが、王様の魔力自体は集め始めています。

 ふわふわの毛皮敷が少々難しいところですけれど、産地の当ては出来ました。


 残っているのは毛皮敷の産地へ行ってみるのと、私の冒険譚の下書きと。デリラの報告書については今からオルドさんに連絡を取るとして、やる事はもう残って――

 おっと! そう言えば、折角採ってきたクアドラ石をまだ納めていませんね。帰りに寄っていきましょう。

 という訳で、リンリンリン♪


『む、ディジーか。暫し待て――うむ、良いぞ。何か分かった事は有ったか?』


 オルドさんは話が早いです。もう既に刷字屋の話と見当を付けていますね。


『ええ。ただ、情報は有ったのですけれど、既に原版が有るならそちらで刷った方が良さそうですよ? 王都の刷字屋は原版造りで稼いでいるみたいで、大手の刷字屋は持ち込みの原版を受け付けません。原版造りから手配するのは、高い上に二百頁も有ると相当時間が掛かりそうです』

『むぅ……やはり、か。しかし商都からとは言え、毎度一月以上掛けて王都まで往復するのもな』

『あ! 荷物の受け取りだけなら私が行きますよ? 速く飛ぶ技を身に付けましたから、商都までなら余裕で往復出来そうです』

『いや、往復ってのはそれはアザロより速くないか? ――いや、ちょっと待て。今朝……では無く、昨日か? お前、もしかして豊穣の森まで帰って来ていたか?』

『へ? いえ昨日はずっと王都に居ましたよ? 魔物学と解剖学、それから薬草学と調薬の講義が有りましたから、ずっと講義に齧り付きでしたよ?』

『む、そうか。……黒いワンピースに赤い髪で空を飛ぶ冒険者の目撃情報が多数寄せられていたのだが、な』

『ぅえ!? ――……あ!』

『あ、とは何だ、この――』

『あ、そ、そうですよ! 王都の劇場でもとんでもない事になってましたけれど、報告書にも挿絵が必要です。せめて鬼族の絵だけは必要だと思いますし、そちらで使っている原版を用意して頂ければ私が加工してもいいですよ! それでは私は受けていた依頼の報告が有りますから失礼しますね!!』

『おいこら――』


 何かオルドさんが言い掛けていましたけれど、強引に会話を打ち切ってしまいました。

 どうやら冒険者ディジー人形で素材集めをしている所を、誰かに見られていた様ですね?

 さてこれは、どう言い訳するのが正しいのか、それとも人形とは言え私の姿を捉えられる様になった事を喜べばいいのか。

 私は宣言通りに冒険者協会へと向かいつつ、暫し頭を悩ませるのでした。



 ~※~※~※~



「おいこら、逃げるな! 誤魔化すな! ――あー、くそっ! 彼奴あいつめ!」


 反応を無くしたノッカーの前で、冒険者協会デリラ支部長のオルドロスは嘆きとも憤りとも取れる様子で言葉を吐き捨てた。


「全く、裏付けを取らない筈が無いだろうが。何故に彼奴はああも言動が怪しいのだ?」


 多少冗談めかして言い出しはしたものの、丸で後ろめたい何かが有る様な態度を取られると、きつい口調にもなるというものだ。

 そんな機微が未だに分かっていない様子のディジーリアに、オルドロスは僅かに呆れを滲ませる。


 そもそも、ディジーリアの目撃情報は、昨日の昼には寄せられ始めていた。偶々第三研究所付きで冒険者に復帰したアズラズロズが協会に居て、それはディジーリアが操る人形だろうと種明かしをしなければ、ディジーリア死亡説、或いは良くても生き霊説が広まってしまうところだった。

 何と言っても目撃されたディジーリアは、膝丈程に縮んでしまっていて、丸で現実感が無かったというのだから。


 だが、言ってみればそれだけだ。ディジーリアは何も悪さをした訳でも無ければ、あんなに動揺する何かが有る訳でも無い。

 堂々としていれば良いのに、想定を外れる事態には何故か弱い。いや、そこにも人間関係に於いて、との注釈が入るかも知れないが。


 どうにも歯痒い思いに顔を歪めたオルドロスだったが、ふと頭を過ぎった想像に、ノッカーへと視線を向ける。


「彼奴、陛下にまであんな調子では無いだろうな?」


 その点に関して、ディジーリアには信用が無い。

 オルドロスは、酷く胡散臭げに、今も赤く輝くノッカーを見遣るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る