(100)魔物と薬草の講義です。

「ディジー、昨日は何処に行ってタの?」


 と、賄い用の食堂でスノワリンに問われて、首を傾げてしまいました。


「『建築科』と『機構学科』を回ってから購買に行って、その後は資料室に籠もってましたね。気が付いたら閉館時間でしたよ?」

「も~。ディジーに相談しタそうな人が何人か居タのに」

「おお!? それは悪い事をしてしまいましたかね?」


 資料室などは時間が来れば閉館してしまいますけれど、私達の部屋やお風呂といった場所に刻限は有りません。

 ちょっと急いで朝ご飯を掻き込んでから、私達の部屋へと向かったのでした。



「ん~……成る程、魔道具の事で相談したかったのかも知れませんね……」


 口に出して言いながら、白板に新たに書かれている内容を読み解いていきます。

 一昨日の昨日なのに、大凡の魔道具が既に目星を付けられて、私の裁定を待っている状況です。

 あれですかね? どのギルドが良いとか悪いとか、初日に言ってしまったからですかね?

 結局昨日は帰ったら帰ったで、デリラとの情報の遣り取りなんかも有りましたから、魔道具の教本はまだ読み込めていません。見に行くにしても、ちゃんと教本を読んでから行きたいものですよ?


 そういう訳で、悩みつつも白板に「秋の一月十五日魔道具店巡り:ディジー」の文字を書き加えます。

 私は私で木材だとかの資材を集めに行きたかったのですが、ディラちゃんでも只の輝石でも出来ない事では有りません。

 複数の場所に派遣するのは少ししんどい所が有りますけれど、今日と明日とで行き先を分ければ問題にはならないでしょう。

 ……どうせなら、冒険者ディジー人形がいいですね。造り直し中でしたけれど、とっとと仕上げてしまいましょうか!


「あ! ディジーちゃん、居た!」


 と、そんな所にやって来たのは、雀斑そばかすのピリカです。

 私へと駆け寄ろうとしたその途中で、白板の書き込みに気が付きました。


「あ、明後日でいいんだ。了解だよ!」

「……正直、部屋の方はもっとのんびりしていてもいいと思うのですけどねぇ」

「あはは、皆、今は走っているのが楽しいんだよ!」

「あなたがその筆頭に見えますよ?」

「あはははは」


 お喋りしながら、他にも昨日聞いた事を白板に書き込んでいきます。

 部屋から下水への繋ぎ込みは不可。『蒸散』の魔道具は湿気っぽくなるので不可。つまり、小厨房の排水は桶に溜めて小まめに捨てに行くのが有力。部屋は施設課の管理だから、魔力線も施設課に確認が必要。

 ……そう言えば、魔力線の事も聞いておけば良かったですね。まぁ、もしかしたら魔力線を繋ぐよりもいい方法が有るかも知れませんから、まずは教本を読み込むつもりですが。


「そう言えば、ディラちゃんが巣から出て来ないって。何かお遣いを頼みたかったみたい。ほら、あっちの白板に書いてるよ」


 見に行けば、確かに「ディラちゃんへの依頼方法?」との書き込みが。

 ……ディラちゃんの巣にも、ノッカーが必要かも知れませんね。

 ディラちゃん行き先掲示板も後で作っておきましょう。


「お? お早うさん。昨日はどうしたんだ?」

「お早うございます。ちょっと学院生らしく資料室に籠もっていただけですよ? 気が付いたら閉館の時間でした」

「そう言や、いつ此処に集まるかなんていうのは決めてねぇなぁ」


 やって来たロッドさんにも聞かれてしまいました。

 ディラちゃんだけでは無く、皆の行き先掲示板も必要ですかね?

 ですが、どうせ作るなら一週間十日分の予定表と合わせたいところですけれど、五十人分の予定表となるとどう作ればいいのかちょっと考え物です。細かい事を考えないなら、鞄に入る程度の小さな白板を人数分作れば良さそうですけれど、それはちょっとと思うのですよ。


 まぁ、それはそれとして、今日の午前中は魔物学と解剖学、午後には薬草学と調薬です。

 この並びなのは、きっと続けて受講する事を想定しているのでしょう。それぞれの部屋だって同じです。

 私にとっては色々と有りましたから、講義の内容は疑って掛かるくらいが丁度いいとは思いますけれど、しかし冒険者には必須の内容でも有るのですよ。


 この講義を受けるのは、スノワリンと騎士組の人達、それから冒険者もしてみたいとこの前登録した人達が多いですね。何故か侍女組もちらほら居ます。武術の講義にも出ていましたから、戦う侍女さんなのかも知れません。商人組が混じるのは、目利きを鍛える為か、それとも行商をするのに戦わずには居られないからでしょうか。

 いえ、魔物で解剖だからと言って、必ずしも戦う人とは限らないのかも知れませんけれど。

 とは言え、結局は級友達の三分の二が同じ講義を受ける事になります。

 残り三分の一が、上級官吏の為の講義を受けているらしいですね。確かにそんな人達は、解剖だとか調薬だとかに自ら手を出すとも思えませんから、成る程というところなのです。


 その魔物学の講義が行われるのは、地階の講義室です。私達の部屋の前にある階段で地階まで降りて、天井の低い廊下を歩いて購買近くの講義室へ。魔力線が通っているという事なのか、地下に降りても光石灯で明るく照らされていました。


 上階よりは若干質素な片開きの扉を押して開ければ、そこは常に魔物学で使われている部屋なのか、壁際に標本や図解が並べられています。

 ほほうと感心していると、横からにゅっと伸びてきた手が、内側の壁に取り付けられていた魔晶石に触れて、部屋に明かりが灯りました。

 少し驚きましたね。魔力で見えてしまっていると、そういう所に気付けません。


「立ち止まっテどうしたの?」

「ちょっと見惚れていたのですよ」


 当然そんな言葉も理解を示されず、何も無かった様に私達は部屋の中へと入ったのです。


 先生が来るまでの間、部屋の周りを飾り立てる様々な展示物を見て回ります。友人枠でスノワリンとレヒカが付き添って、ライエさんは好奇心? バルトさんは魔の森での討伐者繋がりでしょうか。

 他の人達も大体周りには居るのですけれど、人垣で展示物が見れない関係からばらけ気味です。


「おー……私が見た本と同じですね。魔物はあん族と鬼族、それから歪種ですね。幾ら恐ろしくても魔獣は動物です」

「そうナの? 私、中央山脈を抜けテくる時に、一つ目の恐ろしい化け物に襲われテ……キャラバンの皆は“山の死”と呼ばれる魔獣だと言っテたけれど、つまり動物ナの?」

「魔獣と言っていたなら動物ですね。それよりキャラバンと一緒に来たのですか? 何てキャラバンですかね?」

「ローンブル・キャラバン。中央山脈を行き来しテいるのっテ、幾つかのキャラバンくらいしか無いかラ……」

「俺はこんな区分けに意味は無いと思うのだがなぁ」

「まぁ、私も最近はそう思う事も多いですけれど、鬼族は分けてもいいかとは。バルトさんの居てた所の魔物はどんな感じですかね」

「『魔界』の魔物はなぁ……何種類かの界異点が寄り集まっているのか統一性が無いんだが、どうにもこちらの動物共と影響を及ぼし合っているとしか思えんのだ。昔の文献には理解出来ない異形の化け物が載っているが、今『魔界』から現れる魔物に其処までの異形は少ない。逆に森の動物共が少しずつ『魔界』の魔物に寄せて変異している様にも見える。歪化というのは突然異形の化け物に成るばかりではなく、世代を重ねる毎に少しずつ変異する事も有るのではと思うぞ。当然、こちらだけでは無く、向こうもこちらの影響を受けて歪化しているんだろうってな」

「ほほう。『魔界』とはいい名前ですねぇ。つまり、その『魔界』の界異点は、界異点の中の異界を介して、その先の異世界にも通じているという事ですかね。

 私が潜った事があるのは、鬼族の界異点とライザの森に在った界異点だけです。鬼族の界異点の中は、真っ暗で守護者の他には何も無い場所でした。界異点の中心となる異核も守護者の角の中に作られていて、行き来する様な感じでは無く、恐らくゴブリンやオーガの製造工場以上の意味合いは無い場所なのでしょう。つまり、鬼族だけははっきりと侵略者なのだと思うのですよ。

 それに対して、ライザの森で入った界異点は、中にも森が広がっていて、花精フラウ達がのんびりと暮らしていましたよ」

「えっ、わたくし!?」

「――ではなく、花の精の花精フラウですよ? 異界でさえ無ければ……」


 フラウが変な事を言ったので、思わず振り向いてしまいましたけれど、その先に見知らぬ壮年の人を見付けてしまっては言葉も萎んでしまいます。

 新入生では無い人も結構居ましたから気にしてませんでしたけれど、どう見ても先生です。


「いや、構わない。続けて――」


 そう手振りも付けて促されますけれど、ちょっと遣り難いですよ!?


「あー、とても平和でのんびり出来る場所でしたと続けようと思っていたのですけれど、カルファイス先生でしょうか?」

「む、うむ。そうだが、まだ始業までは時間が有る。魔物については分かっていない事の方が多いのだから、推論を闘わせる事が何よりの学びとなる。さぁ、続けて――」


 と、そこまで言われたならと、私はバルトさんと顔を見合わせました。

 撫で肩で細身、髪にも白い物が混じって魔物との戦いとは縁遠そうなのに、厳しい目付きでどうにも逆らえない雰囲気を纏っています。


「えーと、花精フラウが元々どちらの生き物かは分かりませんけど、こちらの生き物と比べても違和感なんて有りません。先程のバルトさんの言葉にも有りましたけれど、姿形が変わらなくても歪化の影響をどこまで受けているかは見た目では分かりません。そうなると、今この世界に生きている生き物のどれだけが異世界から来た生き物なのかも、どれだけ歪化の影響を受けて変異してきた結果なのかも、誰にも分からないのではないでしょうかねぇと?」

「俺も同じだな。こちらに敵意を持つ生き物ならば討伐するが、それだけだ。まぁ、敵意を持たないからと言って危険では無いとは言わんが、それはこちらの生き物でも同じだな。気にしなければならない事とは思えん」

「結局は、現時点で所属する界異点が近くに有る生き物を、魔物と呼んでいるだけですかね?」

「嘗て界異点から現れた生き物だとかも、長い時間をこちらで過ごせばこちらの世界からの歪化を受けて、こちらの生き物に近くなるかも知れないとなると、益々そこを区別する意味合いがなぁ……」

「冒険者としては、魔物に対する世の中の認識とか、後は私の知らない魔物や魔獣の情報なんかは気になりますね」

「前線を担う騎士の一人として、初見の敵だからと躊躇は出来んな。情報が有るならば有るだけ貰うだけだ。……こんなところでどうだ?」


 バルトさんの最後の言葉には、思わず吹き出しそうになってしまいましたけれど、そこに興味を持っていないところで討論しろと言われてもこんなものでしょう。寧ろ、具体的な魔物や魔獣の話になれば、お互い話は止まらないのではと思いますけれど。

 カルファイス先生は厳しくしていた視線を緩めてへにょりと眉を下げましたけれど、私達の興味は多分先生とは違う方向を向いているのです。


 そこに鐘の音が響きました。講義開始の合図です。


「ふむ、仕方が無い。それでは魔物学の講義を始めよう」


 そうして始まった魔物学講義。堅そうな雰囲気そのままに、真面目に解説が進んでいきますけれど、開始前の一幕が響いたのか私とバルトさんに結構な頻度で発言が求められます。

 で、私もそうなのですけれど、バルトさんも魔物や魔獣の事を話すそれ自体は嫌では有りません。寧ろ、聞かれるとどんどん言葉が出て来ます。

 鬼族に関しては私の領分――と言っても、私が知るのはデリエイラの昏い森と、ライセンはビガーブの鉱山、それと王都近くの魔の森くらいの話ですけどね。ライセンで出る土人形なゴブリンの上位種が知られていないなんて言ってましたから、蠍鬼から百足虫鬼、守護者である甲蟲鬼までの蟲鬼シリーズを図解して見せたり、逆に知らなかった王都近くの守護者の姿を教えて貰ったりしました。どうやらぶくぶくに膨れた芋虫の姿らしいです。

 バルトさんはバルトさんで、古い書物に描かれた『魔界』の闇族の姿や、実際にバルトさんが出会った魔物達の姿を解説して、その攻略法まで身振りを交えて教えています。

 そしてメモを取るカルファイス先生。

 もしかしたら、この講義で一番得をしているのは、カルファイス先生かも知れません。


 只ちょっと、最後の締めに言われた言葉が、私にもこっそり関係して印象的でした。


「魔物について大家たいかと言われていたのは王都研究所のラゼッポス尊師だったが、研究の為とは言え、道に外れた許されぬ事をしたが故に更迭された。

 お前達がこれからどの様な道を行くのかは知らぬが、どれだけ偉くなろうとも、どんな大義を掲げようとも、許されぬ事は許されぬ。それを良く覚えておく事だ」


 そのラゼッポス師はゴブリン盗賊団に怪しい道具を流していた王都の研究者ですね。

 果たしてその台詞は、偶々私が関わらなかったとしたならどうなっていたでしょうかと、ちょっぴりそんな事を考えたのでした。



 魔物学の講義が終われば、そのままその教室で待機していれば解剖学の講義です。

 暫く待っていると、胸元まで有る前掛けを付けた、如何にも肉屋のおばちゃん的な女性が部屋へと入って来ました。恰幅がいい体型ですが、腕なんかには筋肉が盛り上がっているのが見えます。前掛けも洗濯済みと見えるのに、長年の染みが積み重なって少し褪色しています。


「良し! あたしが解剖学を受け持つビジットだよ! この通り肉屋の女主人にしか見えないだろうけどね! 只の肉屋じゃ無いよ? ちょっと侮れない肉屋だからそのつもりで耳掻っ穿ぽじりな!」


 そこから始まる模型を手に取っての怒濤の解説です。

 まずは動物の中でも人や獣の仲間の基本的構造から。

 脳や内臓といった臓器が有って、重要な臓器を護る様に頭骨や肋骨が有って、体を支える為の骨格が有って、靱帯が骨と骨を結んでいて、腱により骨と繋がれた筋肉が伸縮する事で腕の曲げ伸ばしといった動きが実現されて、脂肪の層が有って、その周りに皮膚が有る。

 怒濤の勢いで説明されながら、私の体にぞくぞくとした震えが走ります。

 今迄私が解体してきた魔獣達は、恐らく何百体では利きません。でも、その時はそういう物とだけ理解していた解体の技や体の構造に、意味が付与されて鮮烈に輝き始めたのです。

 考えてみれば、私は知っていたのですよ。鍛錬や魔石の為とは言え、デリエイラの湖の周りを狩り尽くす勢いで討伐を繰り返したのですから。その全てを、曲がり形にも解体して来たのですから。


「ほい! そいじゃ次は実践だ! 解体室に移動するよ!」


 そんな先生の掛け声に促されて、恐らく大食堂の下に在る解体室へと入ってから、恐らく昼ご飯になる物でしょう豚が一頭ばらされていくのを見て、益々その想いを強くします。

 これこそ私の人形に必要な知識なのですよ!


 なんて興奮しつつも、私が人形を作る理由は趣味とはったりを利かせる為だけでしか無いのですけどね。

 ディジー人形が生き物と見分けが付かなくなったとして、――おお……?? ちょっとイメージが出来ませんよ?

 私が自分で動かしているディジー人形との独り芝居なお喋りをする哀しい情景?

 私よりもディジー人形の方が人気者に成って、私が忘れ去られてしまう淋しい結末?

 おお……ぉおお…………??

 何一つとして明るい展開が思い描けないのですけれど、今はこれがとても愉しいので仕方が有りませんよね?


「さて、最後は実際に解体をして貰うよ! 解剖学は筆記試験と解体の実技に通れば合格さ! 今期は随分と受講者が多いから、率先して動かないとあぶれちまうよ! さ、今回は誰から挑戦するのかい!」


 講義の時間も終盤に入って、実際に解体してみましょうと用意された草兎が先生の分を除いて四体。お尻の周りが刳り貫かれて、首に深い刺し傷が有りますから、どうやら血抜きをして内臓も取り除かれている様ですね。

 草原兎も同じですが、兎はそんな感じで刃を入れてから、前脚を持って勢い良く振れば、お尻からすぽんと内臓が飛び出て簡単に処理出来るのです。


 秋は基本的に応用とお試しの期間ですけれど、先生が合格の言葉を出した様に、この解剖学の講義は秋冬春夏のそれぞれで一区切りとして開催されている短期の講義です。

 そんな講義は他にも幾つか有って、『料理』なんかもその一つですね。国の資格を取得出来る『調理』の講義とは違って、何の資格も得られないのが特徴ですけれど、言ってみればこれも教養と言う事なのでしょう。『教養』の講義と違って必須では有りませんが、一般科目の一つなのです。


 後になる程希望者が増えるでしょうからと、経験者として名乗り出たのが、私とレヒカとバルトさんと侍女組の一人。

 貸し出された包丁がへらの様な両刃のナイフでちょっと使い慣れませんでしたが、先生が示す手本の通りに問題無く解体は進みます。


「なぁ、お前のナイフ、ちょっと切れ味がおかしくないか?」

「おっと、つい『魔刃』を纏わせていたみたいですね」

「……いや、ついじゃねぇだろ」

「こういう小技は普段遣いしてこそですよ?」


 そんな一幕も有りましたが、名乗り出た四人は皆問題無く及第点を貰えたのでした。



 その後のお昼の大食堂で、この兎は私達が解体した物かとか話をしたなら、一度戻った私達の部屋で白板の状況を確認します。

 まぁ、殆どの人が講義に出ていますから、特に動きは無いのですけどね。

 講義の間に裏で作っておいたディラちゃんノッカーを巣の入り口脇に取り付けて、同じく拵えておいた小さなディラちゃん行き先掲示板を巣の横に立てておきます。

 今は、「お昼寝中!重要!」との文字とお休み中のディラちゃんの絵を描いた木片を、ディラちゃん行き先掲示板に設けた鉤に引っ掛けていますね。

 文字はディラちゃんっぽく可愛く丸めた古字体ですけれど、当然書いたのは私ですし、今ディラちゃんがお出掛け出来ない理由と言えば、最新仕様に作り直した冒険者ディジー人形がデリエイラの森で材木集めに飛び回っているからです。

 複数箇所でディジー人形を動かすのは、結構色々としんどいのですよ。


 まぁ、最新仕様に作り直したと言っても、緑色の輝石や輝糸を創れる様に成った成果を反映しただけですけれどね。違和感の有った赤い瞳も、今は私に良く似た緑色です。

 でも、それもまた直ぐに旧式になるのかも知れません。解剖学を学んだその成果は、きっと劇的な変化をディジー人形達に与えるのでしょうから。


 ……まぁ、趣味で人形劇団をしているという事にしても構いませんかね?

 なんて事を思いつつ、今はまだ殺風景な部屋の中、白板を見て回るのでした。


 序でに言うと、第三研究所で働く所長ディジー人形は、この所出番が有りません。所員をしている仲間達は、『儀式魔法』からの脱却に苦労している様子で、まだまだ次の段階には進めそうに無いからです。

 出来損ないのべるべる薬やばんばばん薬を使っては、水に「流れ」を生じさせようと皆さん修行に励んでいますね。或いは冒険者組から剣や槍、それから弓の訓練を受けているのですから、元商都研究所員のオックスさんが時折講義をしていたりするとは言え、研究所っぽくは有りません。

 でも、これも『魔力制御』や『魔力操作』に目醒めるまでの辛抱なのです。



 そんな風に思いを馳せながらも、午後は再び魔物学の講義をした部屋の隣の部屋へ。まぁ、バルトさん達の様に、イグネア教官の『武術』の講義が今日この時間という人も居ますので、結構人は入れ替わっています。

 こちらも丸で魔物学とは親戚の様に、壁際には多くの標本が展示された部屋でした。


「おや? いらっしゃい。あなた達は今年の新入生ね。私は薬草学と調薬の講師をしているモーリスアン。モーリ先生と呼んでおくれ」


 標本と共に並べられた鉢植えに、水を上げていた落ち着いた感じのお婆さん先生が、顔をこちらに向けてそう言います。

 上級生も何人か居て、自然と手伝っている感じなのは、慕われている先生なのでしょうと、私はそう思ったのでした。


 結論から言ってしまえば、非常に有意義な時間でした。

 私には『花緑』なんて花精フラウだった“前の”私から受け継いだ技能が有りますけれど、その特徴で有る植物に対する感覚は、絵で見ても反応しなければ、干した薬草でも良く分からなくなってしまいます。

 それを鉢植えの実物で見せて貰えた上に、このお試し期間の秋の間だけでも家庭用常備薬程度の調薬は教えて貰えるというのですから、何ともお得な話です。

 更に私の場合、新しい調薬を覚えるという事は、新しい魔法薬のレシピを得る様な物ですから、益々お得感極まれりです。

 まぁ、実際は試してみないと魔法薬になるかなんて分かりませんけどね。


 そんなモーリ先生の台詞で一番ぐっと来たのが次の言葉です。


「あなた達も調薬を続けていたら、いずれ技能としての『調薬』を得る事が出来る様になるでしょう。技能を意識すれば、それまでとっても苦労していた作業が、僅かな労力で出来る様になるかも知れないわね。でも、ちょっと待って。それは本当に楽をする為の祝福なのかしら? いいえ、それまでよりも短い時間で作業が出来る様になったのなら、その短い時間にそれまで以上の丁寧さを注ぎ込まないといけないわ。そうで無ければそこでお終い。あなた達がそこから先へ行く事は無いでしょう。それを良~く、覚えておいて下さいね」


 ええ、本当に。直ぐに楽をしたがる人達に頭を悩ませているのは、『根源魔術』の遣い手だけでは無さそうですよ?

 そんな感じで、私はモーリ先生に親近感を抱く事に成るのでした。



「だぁー! ……詰まらん」


 バルトさんが私達の部屋に戻って来ての第一声がそれでした。


「何だ? 期待外れだったか?」


 ライエさんがバルトさんに聞いています。

 バルトさんが気さくというか磊落というか、畏まった対応を嫌がるのでこんな感じですけれど、本当は一領主の子息だったりするのですよね。

 何故だかそんな事は誰も気にしない空気が出来てしまっていますけれど。


「真面目に受けてはみたが、少しは期待した『武術』も温ければ、午前の講義も今更習う内容でも無かった。――てか、武術が週に二回だけとか少なすぎるだろう!? 毎日やれよ、毎日!」

「ランク三と聞けばなぁ。教官と変わらないなら受ける必要は無さそうだな?」

「そんな訳にもなぁ……」


 バルトさんは、私が特級と知ってから、自分がランク三だと打ち明けています。

 擦り寄ってくる変な輩を警戒していたらしいですけど、私を見て馬鹿らしくなったのだとか。

 言いたい事は分かりますが、言い方がちょっと失礼ですよ?


「なぁ! ディジーも温いってそう思うよな!」


 おや? 並べられた席に座っていたバルトさんが、首を動かしてこちらに話題を飛ばして来ました。


「私は大満足でしたよ? 剣の訓練を真面に受けた事は有りませんでしたし、知らない薬草も実物を見れたのは収穫です」

「いや、お前特級だよな!?」

「特級と言っても魔力のごり押しで来ましたからねぇ~。魔力枯渇させての訓練は、自分を見直すにも中々有意義でしたね」

「ぅえっ!? えぐい事を……。『強化』せずに訓練する? ――いやなぁ……」


 まぁ、私の場合は裏で色々やっているので、退屈するという事は有りません。

 デリエイラの森に、チイツの木の群生する一角が有りましたから、材木の調達も完了です。虫除けになるというので、サルカムの魔石も確保しておきました。

 まぁ、壁一面の白板に使うサルカムの木自体は、デリラに在る私の家の裏手に積んでおいた丸太でいいでしょうね。何時までも積んでいたところで邪魔なだけなのです。


 となると、残るのはクアドラ石とふかふかの絨毯、加えて言うなら大量の光石。

 その光石の素材は、王都ではこれもまた岩塊から切り出しているらしくて、光る様に加工した玉よりも切り出したブロックの方が安くで手に入ります。

 個人的にも使いたいので、大きめに確保して置き場は家の裏ですかね?

 ふかふかの絨毯は明後日お出掛けする際に商人ギルドに寄る事として、クアドラ石は、まぁ今からでも採りに行ってしまいましょうか!



 ~※~※~※~



 クアドリンジゥルの石切場で、そろそろ引き上げようとしていた雇われ現場監督のリリアルは、「お久しぶりですよ」と手を振りながら彼女の前を横切って行った影を目にして、思わず目をしばたいた。


「ほうほう、こんな風にして元に戻っていくのですねぇ」


 と、赤い髪をしたその小さな影は、二割程が湧き出る岩に埋められつつある絶壁に空いた穴を眺めてから、離れた場所で前と同じ様な大きさのブロックを二つ切り出した。


「じゃ、また来ますね~」


 言いつつ、しかし、肘から指先程に背が縮んだその少女は、空中に扉を開けてその中に入る。

 そして宙に開いた扉は跡形も無く消え失せた。

 束の間の出来事の後に、静寂が戻って来る。


「え……えええ~~~っっっ!?!?」


 リリアルの叫びが、再び静寂を切り裂くのだった。



 ~※~※~※~



 『倉庫』を介すならば、行きは飛んで行かなければならなくても、回収は容易。

 そんな物流を破壊しそうな自身の力に、密かにおののいていると、まだバルトさんはうだうだとしていました。


「しかしよう、講義が多過ぎるだろう? 秋は応用で収穫祭の準備をする期間じゃねぇのかよ」


 その前には騎士団の仲間からは講義は受けとけと言われたとか、どうにも人から言われた事に素直過ぎる嫌いが有りますね? 私からすれば大丈夫でしょうかと思うところですけれど、それで今迄上手く行っていたなら葛藤なんかも有るのでしょう。


 そんな事を思いながら、私は新たに作った五十人仕様の伝言掲示板に、墨石の粉で枠線の案を引きました。

 内容は、名前、その人からの連絡、その人への連絡、の三つの欄を設けて、縦十人横五列の五十人分。行き先掲示板を作るにも悩むばかりでしたので、全体分は何でも書ける伝言掲示板としたのです。

 悩み処が名前の順番ですけれど、貴族の人を優先すればいいのか名前順でいいのか……。白板の書き込みを消した際に枠や名前が消えるのは面倒なので、消えて欲しくない部分は黒い石でも熔かし込んでしまおうと考えていますから、今の状態はまだ未完成なのです。

 個人用のは片手で持てるくらいのを人数分作ろうとは思っていますけれど、置く場所も有りませんから部屋が調ってからでも構いませんね。


「上の奴らみたいに、騎士団の訓練に参加出来ればなぁ……」


 まだ言っています。


「交渉して行けばいいじゃ無いですか。私の場合、『建築』も『機構学』も相談事が有る時だけでいいと言われていますし、魔術の講義は『魔道具』以外私には不要ですね。なので、私は明日丸々空いているのですよ」

「ええっ、いいのか、それは!? ――いや、そうだな。必要無ければ受ける事も無いのか。ああ、うむ、何度か受けてみてから考えてみるか……」


 それを聞いて、どうにも締まりませんねぇと、私は思ったのでした。

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