(145)樹上の楼閣……が造れそうですよ?

 さて、王城へと出向いた次の日、私は王都の南側、公設王樹取引所へと来ています。

 そしてそこで椅子に座らされて、月鼠げっその一族か何かの責任者に、ゆがみ切った表情で睨み付けられていました。

 え~……私は別に王城の使いを騙る悪者では有りませんよ?

 そう何度か訴えたのですけれど、悪者と信じている相手の言う事なんて、私でも信じたりしませんね、ええ。


 因みに、王樹ラゼリアバラムの周辺は、かなりの距離を置いて幾重にも柵で囲まれており、直ぐ近くまで近付く事は禁止されていました。

 公設王樹取引所自体も、一番外側の柵から一つ入った内側に在って、監視所で認められないと訪れる事も出来ません。

 まぁ、理由は分かります。王樹の周りは普通に目で見えてはいても、実際そこは界異点になっていますから。

 そこを踏み越えれば異界です。こちらとは違った法則が支配する地に生身で飛び込んでは、特級以外無事で済むとは思えません。


 と言っても、その柵の周りにはピクニックに来ている人達が、屯しているのですけれどね?


 王樹の界異点は、不思議と歪を撒き散らさないみたいですが、それでも王樹近くに取引所を置きたく無い気持ちは分かります。外に漏れていないだけで、界異点を踏み越えれば其処には異界の猛威が奮っているのですから。

 王樹の足元に枝葉を伸ばす立木達は、王樹の子株に見えて、恐らく迂闊に界異点を踏み越えてしまった犠牲者達の成れの果てでしょう。ピクニックに来ている人達の目の前に、苦悶の表情を浮かべつつ木になってしまった立木が移植されていましたから、ほぼ確実です。

 正直恐ろしい場所だと思うのですけれど、集まっている人々は一体何処まで分かっているのでしょうね?


 尤も王国の上層部ではしっかりその危険性を認識しているのか、この取引所の職員は異状に強いと言われる月鼠の一族です。王樹への畏れを思わせますね。

 王都の象徴として聳える王樹ラゼリアバラムは、どうやら思っていた以上の危険地帯だったみたいです。


 まぁ、そんな場所にのこのこと私みたいな女の子が近付けば、こんな態度も取られてしまうのかも知れません。

 ええ、オルドさんの話を聞いた今ならばこそ、その不満を顕わにしたりはしませんよ?

 でも、オルドさんの話を聞く前でしたら、きっと王様からの書類や諸々の許可証を見せて、納得出来ないと噛み付きもしたのでしょうね。


 ええ、そうです。実は王様に王樹の剪定をしたいとの話を持ち掛けて、快く了承の上に色々な書類を預かって此処に来ています。

 持って行く様に言われたのは、以前頂いていた王国管理素材の優先交渉権の証書です。

 そして王様から昨日帰る間際に渡されたのは、王樹の枝の剪定が必要だとの嘆願書と、その要望に対して私を遣わすとの書類を纏めた物でした。

 そう、実は王城には既に剪定の嘆願が届いていたのですよ。でも、誰も手の施しようが無かったという事なのでしょうね。


 聞けばこれ迄の王樹の剪定は、主に斬撃を飛ばせる特級の騎士が、幹吹みふきやひこばえと言った、幹や根元から出る細い枝を刈り取るばかりで、大きな枝には手が付けられていなかったみたいなのです。

 それでは伸び放題になってしまうのも当然で、見る人が見れば危ない所も分かってしまうのですよ。

 王樹の場合は、王都側に張り出した太い枝の一本が、どうにも不安を掻き立てますね。

 ですから私も、剪定と枝の確保が一緒に出来るなら正に言う事無しと思って、ラゼリアバラムの素材が欲しいと願い出るのでは無く、初めから剪定したいと王様に申し出たのです。


 信じて貰えずに、こうして足留めされていますけどね。


 目の前で私を睨み付ける月鼠の一族の人は、会話をすると惑わされるとでも思っているのか、私と言葉を交わそうとしません。

 なので仕方無く私も観察するに留めているのですけれど、どうやら月鼠の一族の人達は、皮膚の表面近くに魔力を濃く纏わせていますね。

 どうやら意識してそうしているのでは無さそうですけれど、どうやらこれが月鼠の一族をして異状に強いと言わしめている理由なのでしょうか。

 『魔力強化』と同じく体は頑丈になりますし、歪漂う魔の領域でも纏う魔力がきっと歪みから身を守るのでしょう。


 成る程と思いつつ感心していたのですけれど、どうやらそういう視線が気味悪く感じるのか、月鼠の一族の人は益々顔を歪めて今や歯を剥き出しに威嚇しているようにも見えてきました。

 でも、其処に人を呼びに出ていたもう一人の職員が戻って来たのです。


 勝ち誇る月鼠の一族の人。

 ですけど私は悠々と。


 オルドさんの言う様に、名声が私の大物感を作り上げるのでしたなら、私は泰然自若と慌てた素振りを見せてはいけないのですよ。


「呼んで来たぜぇ! シシシ! 飛び跳ねてやって来らぁ!」


 そんな声と共に戻って来た職員も、月鼠の一族なんですけどね。

 彼らはその性質から、魔の領域だろうが毒の沼地だろうが踏み越えて、何処にでも現れるという事で物語に語られる程有名ですから、流石に僻地のデリラ住まいな私でも見ればそれと分かります。

 大人でも私より少し背が高い程度で、ずんぐりむっくりとして、月鼠と言われるだけに鼠を思わせる顔付きをしています。

 獣人では有りません。人で有っても色々種族は居ますから、先祖の特徴を結構色濃く残していたりするのですよ。


 そんな職員其の二が連れてきたのは、これまた逆にとても体の大きな髭もじゃの小父さんでした。


「ふほぉー! ふほぉー! 置いて行くとは酷い奴だ! 話をする前に少し休ませて貰うぞな! ふほぉー!」


 息も絶え絶えに、恐らくこの小父さん専用に用意されていた大きな椅子へと、どさりと腰を下ろします。

 物語に語られる輪熊の一族と言われても、納得な体の大きさなのですよ。


「キシー! 悠長な真似すんじゃねぇ! 此方人等こちとら客か賊かの見極めでピリピリしてんだ! さっさとけりを付けやがれ!」


 私を睨んでいた職員其の一が、苛立ちも顕わに輪熊な小父さんを責めますが、小父さんは意に介さずに手拭いで汗を拭うばかりです。

 中々参考になる落ち着き振りですね。


「ああー……待て待て、この仕事ばかりは焦っても良い事は一つも無い。まずはお茶でも飲んで落ち着かんか」

「しくらしか!! 手前ぇは目の前のこれが見えねぇのか! 寄越すにしても選りに選ってこんな餓鬼一人たぁ、巫山戯過ぎのこんこんちきだ!!」

「へへっ、巫山戯たこんこんちき相手にしたら、ちゅーっとでも声を上げりゃお終ぇってもんよ、シシシ!」

「まあ、確かに子供に見えるなぁ」

「ハッ! 子供も子供、正真正銘混じり気無しに餓鬼だ餓鬼! キシー!! 幾らこの国の国王に恩が有ろうが無かろうが、こうも蔑ろにされて黙ってられる程月鼠の誇りは安くねぇっ!!」

「シシシ! 塵取りで集めても大した量にならんぜってな――」

「この、薄ら馬鹿ちゅー呆けだらぁ!!」

「――ちゅらららっ!?」


 輪熊な小父さんが落ち着いているのに対して、月鼠の人達は職員其の一が職員其の二を蹴り飛ばしてと、混乱の現場です。

 ですけど、これもいつもの事なのか、輪熊な小父さんは湯飲みを呷って、ふぅ~っと息を吐いています。


「そうは言ってもなぁ、子供では駄目だと言って、そんなら大人であればどうにか出来るのかぁ? 大人で体が大きければ解決出来る範疇は疾うの昔に飛び越えとるぞぉ?

 王樹をどうにかしようなんてぇのは、仮令たとえ巨人族を連れて来ても、叶わぬ話なのは目に見えておる。それでも放置は出来んから、私らが此処に詰めとるのだろう?」

「シシシ! 落枝予想地に森を造ってクッションにしても、実際落ちればバリバリドカンスドバドドンシャン!!」

「浅知恵を巡らせるくれぇなら、とっとと王都を遷せばイイ!!」

「まあ、森のクッションは私も効果が無いと思っとるから、定期で嘆願書を出し続けとるんだがね、それを十分理解した上で王城が寄越した御人なら、子供だろうと何だろうと期待せずには居られん訳さぁ。そう思えばそこの子も、頼もしくは見えて来んかね?」


 私を放置気味で進められる会話でしたけれど、それを聞きながら成る程オルドさんの言っていたのはこういう事でしたかと感慨深い物が有りました。

 何と言うか、オルドさんが解説した状況が、例題さながらに全て示されてしまいそうですよ?

 確かに此処には大物感なんて謎のオーラが入り込む余地は有りません。

 ですけどこの人達は、王城への信頼を元にして、私の大物感を量ってます。

 何でしょうね。何だか皆同じ様な気がします。

 私が毛虫殺しに言葉を尽くして説明した様に、オセッロとロンドの説得を王様にお願いした様に、私は私の言葉と行動で彼らに示さなければならなかったのです。

 王城の後ろ盾から汲み取ってくれると期待したり、他の人が来れば分かってくれると期待して、黙って待っている場合では無かったのですよ。


 そうで無ければ分かりません。私の毛虫殺しでさえ、私が何も言わなければ、私の行動を理解出来ずに混乱に陥ったのです。

 会ったばかりの人達が、何もせずとも私を理解してくれるなんて、そんな都合の良い事は起こらないのですよ。


「見た目が頼もしいかは分かりませんけど、これでもランクBで特級の冒険者ですから、出来ない事は言いませんよ?」


 まずは素性を明らかにすれば、それだけでも目に驚きを宿します。

 成る程、成る程……成る程、と、私は納得する外有りません。

 天下に名立たる冒険者としての評判。加えて問答無用の説得力。

 そんな物が私の知らない所で湧いて出ていたりするなんて有り得なくて、全ては私の行動の先に有るのです。仮令たとえ実力がどれだけ有ろうと、実績を積み上げて、言葉を重ねた先にしか存在しない物だったのです。


 ならば私は示さなければいけませんね。

 それが私を本物の冒険者にしていく事となるでしょうから。



 ~※~※~※~



 ラゼリア王国王都は、通常王都としか呼ばれない。

 それは、元々この場所こそが唯一王国の王都で、一度も遷都した事が無いからとも言われているが、長い王国の歴史の中でその理由は失伝してしまっていた。

 王都に名前が無かったところで、ラゼリア王都と言えば通じるのだから、誰も困りはしないのだ。


 しかし、それぞれの区画には古くからの名が多く残されている。

 心臓破りの急坂を現す「ム坂」然り。

 今は水場の影も見えない居住区画内の「蛙池」然り。

 そんな中で、昔から有る名ながら、今も少しずつその範囲を広げているのが「樹下」であった。


 許可無き者は誰も足を踏み入れてはならない聖なる禁足地。

 しかし実情は、誰もその広がりを止める事が出来無い、王樹ラゼリアバラムの巨大な界異点である。


 しかし、そこを周囲と隔てるのは、簡易に設けられた木の柵だけ。巨大な防壁が在る訳でも、深い堀が設けられている訳でも無い。

 何故ならば、それらの柵はラゼリアバラムを守る為の物では無く、単に境界線を示しているだけの物であり、不届きにも王樹に近寄ろうとする者への警告だったからである。


 ラゼリアバラムに守護は不要である。

 界異点を超えて張り巡らされた根は堀を作る事を許さず、その根を断ち切ろうとしても特級の武具とも成り得るラゼリアバラムのその根をそう簡単に断ち切る事など叶わない。

 そして界異点に侵入したならば、資格無き特級に満たない侵入者は悉くその身を木へと変じさせるだろう。

 広がりつつある界異点に厚い壁を築くのは無駄であり、寧ろ侵入者の成れの果てを見せるのが、何よりの警告であり抑止力になる。

 ――という建前で、実際はラゼリアバラムの防備を決める会議の中で、何故特級でなければ近付く事も出来無い守護者を守らねばならないのかと、そんな意見から今の景観となったのは、笑い話にも有名な話だった。


 そもそも、ラゼリアバラムの素材は採取が禁じられている訳では無い。正式な手続きを経て審査に通れば、樹下地区へ入っての採取が認められている。それも採取物の半分の提出を条件に、寧ろ報酬が出る美味しい仕事だ。

 但し、審査に通るのは特級以上という狭き門だ。その特級でさえも何日も掛けて幹吹みふきやひこばえを伐るのが精々なのが実態。柵からは遠くて見えないが、半分鋸が入ったそれら作業途中の箇所には、誰が作業中なのかの札が結び付けられていた。


 ここで良く考えてみて欲しい。

 特級の武具と成り得るラゼリアバラムの枝を伐れるのは、特級の工具だ。それも、特級の武技で強化して伐るので無ければ、ラゼリアバラムよりも強い工具を幾つも駄目にして、そんな工具よりも弱いラゼリアバラムの枝を手に入れる事になる。

 割に合わない。誰でもそう考える筈だ。

 故に、そんな樹下地区へと近付こうとする者は愚か者だと、それが共通認識となっていたのである。



 さて、その樹下地区の周りには緩衝地帯としての樹囲地区が在る。

 そこも何重にも柵が巡らせて有り、見学者が近寄れる範囲は厳密に決められている。

 しかし見るに美事な王樹の姿だ。柵の周りは王都民達の憩いの場となっていて、茣蓙ござを敷いてピクニックに来る家族連れも多かった。

 それは、王樹ラゼリアバラムの樹下に林立する木々が、元は不埒な侵入者の成れの果てと知っていても、何も変わらなかったのである。


 そもそも、これが王都から離れた地方ならば『悪い事をすれば森の魔物が攫いに来るよ』と荒唐無稽な躾言葉も出てくるところが、王都ならば此処に来るだけで“ルールを破った者の末路”を目の当たりに出来た。

 樹囲地区の一角には酔狂な特級が運んで来た“成れの果て”が移植されていて、そこに残る恐怖の表情を王都の子供達は否応無く心に焼き付けられる事になる。

 躾の為にも有効に利用されて、王都の治安は或る意味そういった幼少の頃の教育にも支えられているのだった。


 しかし、いつの時代も、向こう見ずな愚か者は居るものである。


「――おい、あれ……」

「ん、……何をしてるんだ?」


 ピクニックに来ていた人々が目にしたのは、何時の間にか監視所に現れていた赤い髪の少女だった。

 柵の内側へ行こうと思えば、監視所を通らなければならない。大抵の愚か者は監視所から離れた柵を乗り越えようとするが、中には監視所に直談判して無理を通そうとする者も居る。

 まぁ、遠目で見ている限りは口論している様子も無いから、大方王都外から来た家の子供が、良く知らずに監視所に質問にでも行ったのだろうと、見守る大抵の大人達はそんな推測を立てていた。

 それが考え無しの愚か者だったとしても、王都に不慣れな御上りさんだったとしても、移植された成れの果てを見れば殆どの場合は怖じ気付いて諦めるのが常だ。


 そう予測は立っているというのに、つい少女を注視してしまうのは、彼ら自身も王都民で、少女が彼らの子供と近い歳に見えたからだろうか。

 そんな少しはらはらとした心情で見守っていただけに、僅かに青い光が漏れた後、少女が監視所の向こう側、即ち柵の内側へと招き入れられたのを見て人々は目を疑った。

 中には悲鳴を上げる女性も居れば、監視所に詰め寄る男も居る。

 そして柵の内側に入った少女は、また何時の間にかその先に在る小屋に辿り着いていて、その扉を叩いていたのである。

 依頼を受けた特級達にとっては公設王樹取引所。王都民達にとっては王樹の管理小屋。

 十歳程度の少女には関わりなど無い筈の場所だった。


 そんな物を見てしまえば、気にしないでいられる筈が無い。

 じりじりとした気分で、同じく疑問に囚われた子供達を適当にあしらいながら見ていると、バタンと音を立てて管理小屋の扉が開く。

 飛び出してきた月鼠のビチャが、飛び跳ねながら駆けて行く。


「シシシシ! こんな時に限ってボフロム居ねぇし! どうせ畑だ行くのが早え!」


 思った事を直ぐにそのまま口にしてしまうビチャが、そんな事を言うのを聞いて、あの少女が幻などでは無かったというのと共に、どうやら真面な客だったのだと人々は知る。

 そうなると今度は見た目通りの歳では無いのだろうといった憶測が其処彼処で始まるのだが、誰も答えを持たないが故に、その騒めきも長くは続かない。

 ただ、後ろから駆け抜けてきたビチャが、


「ピューッと行って帰って来たぜ! 俺様最速! シシシシシ!!」


 とこれまた頭の中身を垂れ流しながら柵の内側へと駆け込んで、更にそれを追い掛けて来た王樹庭師のボフロムが息も絶え絶えに柵の内側へよろけ入ると、流石にまた騒めき始める事となった。

 それからまたかなりの時間が経って、昼食を摂って一休みした人々が、流石に昼を跨ぐと引き揚げ時かと残念そうにしながらも帰り支度を始めた時、子供の一人が管理小屋から王樹へ向かって歩いている三人の姿に気が付いた。

 管理人である月鼠のジガダリと、王樹庭師のボフロム、そして謎の少女である。


 そうなると、もう帰れない。子供達よりも寧ろ大人が夢中になって、肩車した子供に見えた光景を説明させたり、自ら遠眼鏡を覗いたり。

 更に半時一時間が過ぎた時に、人々は一瞬王樹が揺れるのを見る。

 何だと思って見ていると、それに気が付いた人々が指で差して騒ぎ始めた。


「おい……おい、おい! あれを見ろ!!」

「え、枝が、切り離されて浮いてる!?!?」

「きゃぁああああ!!」

「おい! どういう事なんだ! おい!!」


 王都側へ一番大きく張り出している枝が、その先五分の一辺りで切り離され、ゆっくり其の位置を王樹側に寄せながら静かに地上へと降ろされつつあった。

 口々に叫びを上げていた人々も、その枝が半分程下ろされる頃には時折興奮した誰かが声を上げる程度で、誰もが手に汗握って見守っていた。

 そしてその枝が完全に地上へと降ろされた時、一斉にほっと息を吐いたのである。


 因みに、この間で一時二時間以上が過ぎている。

 しかし、それに思い至る者が出る前に、再び残る枝の五分の一が切り離されるのを見て、悲鳴と絶叫が再び響き渡るのだった。


 二度目の枝下ろしが終わると、別の場所の枝が切り離される。その度に柵の周りを駆けて見に行く人々と、響き渡る叫び声。

 しかしそれも夜の帳が下りるまでだ。

 焦燥を感じながらも暗闇の中に残る事は出来無い。人々は何度も振り返りつつも、王都の中へと帰り着くのだった。



 そして次の朝に目覚めると、いの一番に家の窓から王樹の姿を確かめる。

 すると、夜を徹して剪定されたのか、幾分すっきりとした王樹の姿が目に入る。

 間近で見ていた時には落とされていく枝に焦りしか感じなかったが、遠く離れて見てみれば、何故以前までの状態で平気だったのかが分からないぐらいに、剪定されている今の姿の方が安心感が有る。

 その剪定は今も続いていて、これだけ遠く離れると宙に浮いて止まっている様にしか見えない枝が、今も空中に浮かんでいるのを見るのだった。


 前日は、秋の三月二十四日。多くの人が働いている言ってみれば平日である。

 しかし一夜明けたその日は秋の三月二十五日。多くの人が五の日の休みとしているその日は、身動き出来ない程に王樹の周りに人々が詰め掛ける事となった。

 それだけ人が集まると、声高に批判する者も現れるものである。


「我らが王都をお守り下さっている王樹様に何と罰当たりな!!」

「こんな事が許されていいのか!!」


 王都民の王樹ラゼリアバラムに懸ける想いには、複雑な物が有った。

 産まれるより遙か昔からこの地に在り、何者も敵わない威容を誇るその姿だ。人に友好的で有っても木の姿をした魔物には変わりが無いと理解する者も居れば、その状態で王都に住み続ける事に耐えられず王樹を神の如く崇拝する者も居た。

 そんな人々の間での喧噪が暴動に到ろうとするその直前に、人波を割って入って来たのが、国王ガルディアラスを乗せた獣車だったのである。


「陛下の御成りだ! 道を空けろ!」


 緊張が高まっていた現場で有っても、流石にその言葉に人々は我を取り戻す。

 しかし、獣車の扉を開けて現れた国王陛下が、そのまま監視所へと向かうのを見て、直奏する者が出たのはそれだけに混乱が高まっていたと言えるだろうか。それとも陛下の為人ひととなりが王都民に知れ渡っていたからだろうか。


「へ、陛下! 王樹の枝が切り落とされています! しょ、処罰を! 早く止めて下さい!!」


 幾ら気さくな国王とは言え、ガルディアラスは粛清の王と呼ばれた苛烈な王だ。

 こんな直奏が普通なら赦される筈は無く、現場にその直前までとは違った、ぴりりとした緊張が走る。

 しかし、振り向いたガルディアラスは、そんな緊張など知らぬ様子で心底不思議そうに聞き返す。


「……ふむ。久方振りの剪定故に見物に来る者が多いのは分かるが、何故そんなに殺気立っているのだ? これだけ人が集まるなら、祭りにでもすれば良かったかとも思うが、流石に先代迄の怠慢を祭りにして晒すのは、我もどうかと思うのだが」


 落ち着いた声音に、騒いでいた人々が口を閉ざす。


「何か誤解が有る様だが、王樹ラゼリアバラムは王国が管理してきた異世界の木だぞ? 言ってみれば魔物と何も変わらん。とは言え、魔物の様に襲い掛かって来る訳では無く、庭木の世話をする様に適切に剪定を続ければ、労無くして守護者の素材を得る事が出来る。逆に言えば欲を出して必要以上に枝を落として枯れさせたなら、王樹の恵みもそこまでだ。

 故に、王国の管理下に置いて勝手に手を出す者を取り締まっていた物だぞ?」

「お、王樹は王都の守り神なんじゃ……」

「ははははは、そんな訳が無かろう。王樹が有ろうとゴブリン共は森から出て来おるわ!

 とは言え、特級武具の素材としてや、財源としてならば大いに役立ってくれている。それをしてかなめの一つと言うなら分からぬでも無いが、守り神とは言い過ぎだろう。

 我は王樹が害悪となるのなら、躊躇わずに伐り倒す。あれが魔物だとの現実から目を逸らすのに、妙な理想を押し付けるのはやめておけ」


 そんなガルディアラスの言葉に、見守る人々が思いの外に「え?」と意表を突かれた様子を見せたので、ついにガルディアラスも体ごと向き直って言葉を重ねる事を決めた。


「王家に残る古文書では、ラゼリアバラムも元は普通の大木と有る。しかしそれでは数年置きに剪定しても、採れる素材は僅かばかりだと考えて、木其の物を大きくするのを優先した時代が有ったらしい。それに続いて特級が生まれない平和な時代が続き、結果として手が付けられない大樹となった。

 剪定をしなければ危ないとの要望も届いておれば、我も出来ればそうしたいと考えていたが、打つ手が無かった。我でも枝を切り落とす事は出来ようが、それが落下した次の瞬間には王都が壊滅するであろう。

 見よ。あの巨大な枝を切っておきながら、落とさずゆっくりと地上へと運ぶ。あんな事は我でも出来ぬ。デリリア領の英雄だけが為し得るわざだ。御蔭で王都の平穏はこれからも続くに違い無い。遷都も視野に入れねばならぬところだったが、の英雄には騎士団へのそのわざの伝授を取り付けている故に、今後は安泰だな。お主らも感謝するが良い。

 我は彼奴の仕事振りを見に行くが、お主らもお祭り騒ぎだからと言って喧嘩はするで無いぞ」


 一通り説明したガルディアラスは、監視所を越えて柵の内側を御付きと共に進んで行く。

 それを見送る人々は、未だ混乱の中に有ったが、誰かがそれに気が付いて口火を切った。


「デリリア領の英雄だとか言っていたか? ――何処かで……」

「待って! 『毛虫殺しの英雄譚』!」

「いや待った! さっきのはどう見ても子供だろう!?」

「儂は見たぞ! デリリア領から来たと言う婆さんが売っていた本には、まだ十二歳と書いておったわい!」


 国王陛下が何を仰ったのかが伝えられていくのと同時に、今この時にもラゼリアバラムを剪定しているデリリア領の英雄についての噂が、恐ろしい勢いで広がっていく。

 彼らの中には、既に王樹の枝を切る事に対する忌避感は、霧が晴れる様に消え失せていたのだった。



 ~※~※~※~



 後にした民衆が、より大きく騒ぎ始めたのを背中に感じながら、ガルディアラスは首を捻った。


「あれだけの大騒ぎになる要素など何か有ったか?」


 心底分からない様子のガルディアラスだが、付き添っていた財務台長官は、苦笑を漏らしてそれに答える。


「城を立派に造るのは権威を示す為ですから、立派な物を見れば逆に権威が有ると考えるのでしょう。そして権威が有る物を下手に損なう事には忌避感を感じるのが民衆です。と言うよりも、そういう教育をされているというのが正しいでしょうな。

 陛下は気になさる事は有りません。王樹は王家が所有する物です。ここで根回しなどしては、口出しする余地が有ると勘違いさせてしまいます。却って不幸にするというものですぞ?」

「うむ、今更だな」


 長官の言葉に当然の事としてガルディアラスは頷いたが、それはそうとしても前日の昼過ぎから対応に振り回されっ放しなのも事実だった。

 何故事前に諮っては下さらなかったのかと声を上げる者達に、逆に何故諮らなければならないのかとガルディアラスは聞き返したが、納得の行く答えは返って来ない。

 例えば国王が居室の改装をするのにも会議に諮るのかと、王城の改築にどんな意見を差し挟むつもりかと、まさかとは思うがオセッロとロンドを打ち直したり別の剣に持ち替えようとしても口を出すつもりでは無いだろうなと、思い違いも甚だしい、弁えろと一喝してきたのが昨日の夜だ。


 どさくさに紛れてしれっとオセッロとロンドの件も釘を刺したが、今日はそんな奴らの相手をする気にもなれず、財務台長官のゾロスタムを引き連れて王城を抜け出してきたのである。

 ゾロスタムは流石に財務を司る長官に任命した人物だけあって、権利関係や所掌区分には厳格で、ガルディアラスの感覚とも合う。

 それ故に、今の内にディジーリアと引き合わせておこうと考えたのも、ガルディアラスがゾロスタムを連れて来た理由の一つだった。


 ゾロスタムが率先してノックをし、それに応えて内側から扉を開いたのは王樹庭師に任命したボフロムだった。

 見た目からも分かる様に、森の守人の異名を取る輪熊の一族の血を引くボフロムは、木々が望む事をそれとなく感じ取る事が出来ると聞く。

 実際にボフロムの作る野菜や果物は王城へ納めるだけの質を誇り、故にガルディアラスはボフロムに王樹の管理の一角を担わせたのである。


 尤も、ボフロム自身は特級でも無い為、王樹に近寄る事は出来無い。彼に与えられた役割は、剪定するべき枝の選別と、王樹の健康状態の確認である。

 突然枝の一つが落下してくる様な事態は、決して起こしてはならない。

 それを見極める非常に重要な役割を担っているのがボフロムだった。


 因みにガルディアラスが国王としてボフロムに会ったのは、王樹庭師に任命したその時だけだが、王城の使いに変装した身の上でならば何度もこの管理小屋に訪れていた。

 故に、月鼠のジガダリもビチャも顔馴染みだったが、それはガルディアラスのみが知る事である。


「ふむ、そこで寝ているのはビチャか? ――成る程彼奴め、また無茶をしているな」


 目を丸くするボフロムの向こうに、ガルディアラスはソファに横たわるビチャを見た。

 そこからは簡単な推測だ。恐らく寝ずの作業を続けるディジーリアに、朝まで付き合っていたのだろうと。


「こ、これは王様ぁ!?」


 焦って視線を彼方此方あちこちへと飛ばすボフロムを、ガルディアラスは笑って宥める。


「良い。どうせ朝まで付き合っていたのだろう? 寝かせてやれ。

 それよりも、お主で案内は出来るのか?」

「は、ははぁ~! 王樹庭師のボフロム、案内をつかまつりましょう!」


 生真面目だがのんびり屋のボフロムのいつに無いその様子に、ガルディアラスは思わず笑いを噛み殺す。

 だが、その様子にゾロスタムは違和感を感じたのだろう。


「陛下……随分と気易い様子ですが、もしや……?」

「ん? 何の事だ?」


 惚けて見せながらも、くつくつと喉で笑うガルディアラスのその様子に、ゾロスタムは溜息を漏らす。

 そして首を振ってから、先導するボフロムに続いて歩き出すのだった。



「いや、全く、流石王城の選んだお方よなぁ。私も剪定は必要と言ったがのぅ、やれる事とやれない事の兼ね合いで妥協は仕方が無いと思っとったが、こう根本的な解決をして下さると心も晴れ晴れとしてくるぞな」


 歩き進める内に、恐縮しきりだったボフロムも、元来の何事にも動じないのんびり屋の性質が出て来たのか、普通に話し始める様になっていた。


「ほう、それでは彼奴の剪定は、お主の眼にも適っているのだな?」

「いや、寧ろ私の『育樹』は育てる側の感覚だが、ディジー殿の『花緑』は植物の側からの感覚らしくてなぁ、ささっと石で造った王樹の模型を元に議論したがぁ、あれは私の方が勉強になった気がするぞい」


 尤も気楽に会話が出来ているのも、ガルディアラスが気さくに話し掛けているからというのも有るのだろう。

 その会話が、管理小屋に良く足を運んでくる王城の使いと同じ調子だったのも、ボフロムの緊張を解いた理由かも知れないが、ボフロム自身はその事に気が付いていなかった。


「ふむ、しかし作物ならば植物の言い成りとするのもおかしかろう。そこはお主の腕の見せ所だな」

「勿論だぞい! ――しかし、薬草が薬効成分を作る感覚なんぞは中々考えさせられる物が有ってなぁ」


 話題が彼方此方へ飛びながらも、そんな事は気にせずに楽しく歩き話に興じるのだった。


「まぁ、そんな植物の感覚を持っとるからだろうが、練り上げた剪定の計画を、王樹自身に確認すると言い出しおったのには流石に驚いたがぁ、それで実際に王樹の傍まで飛んで行って、了解を貰ったと帰って来たのには魂消たなぁ」

「……それは中々厄介な事を聞いてしまったな。王樹に心が有ると言われては、扱いに悩みそうだ」

「はっはぁ、剪定すると聞いた王樹はほっとした様子だったらしいぞい? 木は枝を伸ばすのも水を吸い上げるのも自分ではどうにも出来んからのぉ。何を考えとるか分からんでも、何をして欲しいかは王樹庭師に聞いて貰えれば大体間違い無いぞな」

「ふむ。どうしても気になる時は、彼奴に指名依頼を出せば良いか」


 そんな事を駄弁りながら歩いていると、行く手に月鼠のジガダリと思える後ろ姿が、そしてそこから遠く離れて、ディジーリアと思える人影が見えてくる。

 その間がやけに遠い。


「あれは何をしているのだ?」


 ピッピと笛の音を鳴らしながら激しく踊っているディジーリアへと顔を向けながら、見えていたジガダリの横に並んで問い掛けると、ジガダリが力の無い顔をガルディアラスへと向けた。

 力が完全に抜けて、何も考えていない様な眼差し――一言で言うなら死人の表情で。

 流石にガルディアラスが一歩後退ると、溜め息を吐きながらボフロムが説明する。


「突っ込み疲れだなぁ」


 その言葉に、ガルディアラスは何とも言えない表情で沈黙する。

 ディジーリアに係わっていれば良く有る事だ。

 そして、ガルディアラスにはその気持ちが良く分かったのである。

 一つ首を振ってディジーリアへと足を向けるガルディアラスだが、その足を焦ったボフロムの声が引き留めた。


「お待ち下さい! ここから先へは行ってはならんのですぞい!」

「……何故だ?」

「枝を切ったなら、王樹の界異点がどう暴れるか分からんとの事ですぞな!」


 それを聞いて納得したガルディアラスは一つ頷いた。


「成る程。ではゾロスは此処に残れ」

「は!」


 そう言ってガルディアラスは、ボフロムの言葉を気に留める様子も見せずに足を進める。

 それを見て焦るボフロムを、ゾロスタムは言い諭した。


「陛下こそ特級なるぞ? 焦る必要など何も無いでしょうに」

「おお……!?」

「それにしても、これだけの王樹素材が一時に出回ってしまうのは大混乱を招くでしょうな。私の仕事が増えそうですな。

 あの者の周りも騒がしくなるでしょう。王樹素材の半分は剪定作業を請け負った者の取り分です。サルカムの木で御殿を造るとはよく聞く譬え話ですが、王樹で城を造れそうとなるとこれもまた善くない者に目を付けられそうですな」

「そうかも知れんが、私にはあの娘が手間賃以上に望むとは思えんなぁ」

「む……それは何故で御座いましょうか」

「う~む、私も庭師として自分で剪定出来るならやっていただろうからなぁ。どうにも情け無い王樹の姿に、剪定しようと自ら名乗り出てくれたのなら、私と同じで褒美はすっきりした王樹の姿で充分と言いそうぞな」

「ふぅむ……それを受け取らせるのが私の仕事ですな」


 財務台長官を任されている事からも分かる様に、ゾロスタムは昔からのガルディアラスの顔馴染みである。

 振り回されるのはいつもの事だとでも言う様に、軽い溜め息を吐いてやれやれと首を振るのだった。



 ~※~※~※~



 ガルディアラスはディジーリアへ向かって足を進めながら、その様子を観察する。

 両手に白い旗を持って、口に加えているのは草笛だろうか。随分高い音でピッピピピピー♪ と吹き鳴らしている。

 そしてその動きは激しく、旗を振り振りくるりと回り、手を曲げ足を延ばして体を揺す振り、ジャンプする。

 きっとその頭の中ではうきうきする様な音楽が掻き鳴らされているのだろう。


「順調そうだな」


 ガルディアラスは声が届く距離まで近付くと、そうディジーリアに声を掛けた。

 気付いていない訳が無いと思っての事だが、案の定ディジーリアは戸惑う事もなく返事をした。


「見ての通りですよ? 今日中には剪定も終わりますし、目ぼしい素材には目を付けていますから、余り月になったら本格的にオセロンドの打ち直しに取り掛かる事が出来そうです」


 草笛をぷっと飛ばして捨てはしたが、まだ踊り続けているディジーリア。


「それでその踊りは何だ?」

「工事現場で見掛けたのですよ?」


 それは恐らくも何も間違い無く嘘だろう。

 踊り始めは知らないが、少なくとも現時点でのその踊りは、工事現場で笛を吹く監督人の姿からは遠く懸け離れている。

 それをディジーリアも自覚しているのか、漸く踊りやめて、ガルディアラスへと顔を向けた。


「流石にこれだけの大仕事は他に魔力を回せませんし、何もしないでいるのは退屈なのですよ。向こうに残してきた人達に、こっちに来て貰うのも危ないですしね」

「だからと言って踊り狂うのか?」

「ん~、魔力も使えませんし、結構繊細な事をしていますから頭を使う事も出来ません。なら踊るくらいしか有りませんよね?」


 ガルディアラスは自身に置き換えて考えてみる。

 その場を離れる事は駄目。だからと言って頭を使う仕事も出来ない。

 それならば大人しく目の前の作業に全力を尽くすだろうが、確かに何の変化も感じられないこんな作業を続けていては退屈にもなるだろう。

 尤も、それも一日二日で全て片付けようとしているからだが。

 ガルディアラスがディジーリアなら、恐らく年単位で時間を掛けて、一日の作業量を抑えて剪定を進めていた事だろう。

 それならば、余裕を持って対処出来ている筈だ。暇潰しにしても、どうとでも成るに違い無い。


 それを言っても仕方が無いがと思いつつ、ガルディアラスはディジーリアと言葉を交わす。


「あれだけの王樹素材だ。良い所を使えば、ランクCやランクDの剣も造れそうだがな」

「ん~? 造ってもいいと思いますよ? 私も“黒”の他に“瑠璃色狼”や“赤蜂の針剣”と色々造っていますし、ナイフに到っては十本以上拵えましたし」

「……浮気をすれば気を悪くすると我は教えられた様に思うのだが」

「勿論浮気は駄目ですよ? 私の“黒”は鬼族相手は譲りませんし、それ以外が“瑠璃色狼”の出番です。ですけど“瑠璃色狼”はそれ程戦いが好きという感じでも無いので、ナイフで済む時はナイフの出番ですね。でもって“針剣”は街中用ですかね?

 王様も手加減用だとか捕縛用とか使い分けが必要なら、そうちゃんと言い聞かせて納得して貰って、その上で幾らでも造ってしまえばいいのです。

 私も一振り拵えてみたい気持ちは有るのですけど、ちょっと相性の問題が有りそうなので、私に王樹素材は無理でしょうね」

「相性……」

「ええ、相性が良過ぎて、私が扱おうとすると擦り寄って来そうな気配がします。下手に素手で触ると、私の腕に根っ子が潜り込んできそうな怖さが有りますよ? なので、私が扱うとするなら、一旦“殺し”てからでないと無理そうですし、それをすると『修復』も死んでしまうでしょうから、王樹を使う意味が無くなりますね」

「それは残念だな。しかし、お主で無ければ加工も出来ないのでは無いか?」

「どうなのでしょう? 今迄もラゼリアバラムの剣は造られていたのですよね?」

「あれは薬品で軟らかくした物を削り落とすのだと聞いている」

「……成る程、確かにそれなら加工出来そうですけど。――仕方有りませんね、依頼が有れば裁断くらいは致しましょう」


 ちょっとした雑談から入るつもりが、がっつり仕事の話になったのに苦笑しながら。

 頭上に現実味の無い巨大な木の枝が浮かんでいる危険地帯の間際にも拘わらず、見栄や権威に煩わされない秋の日差しの中での一時に、思いの外に癒されながら。

 ガルディアラスは、小さな友人とのたわいも無い会話を続けるのだった。



 ~※~※~※~



 その日も酒場は盛況でした。

 と言うよりも、嘗て無い盛況で、慌てて椅子を店の外にまで並べています。

 もう直ぐ日も落ちようというこの時間、酒場を開けるのにもかなり早目に思いますのに、随分人集りが出来ていて、何が起きたのかと目を白黒させている感じです。


 そんな集団を率いてきた月鼠の二人と輪熊の庭師は、続く人々に大した注意も向けずに、店の中の机を一つ陣取っています。輪熊の小父さんが椅子二つ分を占有しちゃってますね。

 暫くはやさぐれた感じの月鼠の一人と、それを面白がってくぷぷと笑いを溢すもう一人、そして余韻に浸るかの様な輪熊の小父さんとで静かに呑んでいましたが、ある時突然やさぐれていた月鼠の人が奇声を上げながら立ち上がりました。

 わなわなと震える両腕に、引き攣ったその表情!

 着いて来ていた人達が、始まったと顔を輝かせるのを見る感じでは、いつもの事なのかも知れません。


「キシャァアアアアア!! なんっ! なんっ! ダ!! 全然訳が分からねぇ!! 訳が分からねぇってもんじゃねぇぞ、こん畜生目!!

 おい! おい、そこのお前! 行き成りやって来た餓鬼が王城の使いだとか言って王樹へ行かせろなんて言ってきたらどうするガ!? キシー!! 止めた俺は何も悪くねぇぞ! 巫山戯たこんこんちきが全部悪ぃ!!」

「シシシシシ! 偉そうに吠えても茫然自失の塩揉み長菜、歪死変死の虚ろ呆け――」

「黙っとけこの馬鹿ちゅーだらっ!!」

「ちゅららっ!?」


 それもいつもの事の様に、笑い声が零れています。

 そこから始まったやさぐれ月鼠の変則的な職員譚と、そこに差し込まれる観衆達の合いの手。酒場のマスターも頭を抱えた挙げ句に、到頭小さな酒樽を机に配ってしまいました。


「――で、そこで何を言ったかと言えば、『貴方達は柵を越えたら死にますから、着いて来てはいけませんよ?』っと来らぁ! それでぴょーっと王樹の幹まで空を飛んでったが、何で羽も無いのに飛びやがるんだ!! ぁあ!? わ、け、が、わ、か、ら、ね、え!!」

「「「うははははは!!」」」


 和気藹々と他者の視点から語られるディジーリアの冒険譚。

 きっとそれがやがて街の噂になって、ディジーリアの名声を高めていくのでしょう。

 まぁ、それは劇場での公演も同じでしたけど、あんな虚構では無く実像を伝えるというのは大事な事なのです。実像を知れば、女の子だからと言って侮られる事も少なくなるに違い有りません。

 他の手も打ってはいますけれど、きっとこれが身の証を立てる真っ当な遣り方なのでしょうね。


 そんな事を思いながら、街外れの酒場で興奮した様子で捲し立てるやさぐれ月鼠を見守る私は、フードの隠者ことディジーリアですよ。

 ふふふふふ……隠者な私には誰も気付きはしないのです。

 

 おっとマスター、クリウのカクテルが有りませんよ?

 クリウのカクテルを知らないとは、マスターもまだまだなのですよ♪

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