(76)野生の姫様? それとも英雄? あるいは無礼な下層民?

 学院の食堂に隣接する厨房との間の控えのは、光石のランプが取り付けられてあると言っても少し薄暗い。

 客人達の居る食堂から、洗い場も兼ねた控えの間を目立たなくさせる為の他に、単純に窓が少ないのが原因となっている。

 見た目に違わぬ裏方の仕事場では有るが、今この場に集う学院の上級生達にとって、それは落胆を招くものでは無く、寧ろ食堂から漏れ出る光に身が引き締められるのを感じていた。


 新入生達にとっての祝いの場は、家政科で学ぶ彼らや彼女らにとっては、この一年の集大成を見せる場でも有ったからだ。


「良いですこと? 貴方達のお役目は、これから学院で学ぶ新しい仲間に、学院の格式を見せ付ける事でございます。まだ礼儀作法も学んでいない新入生が相手ではございますが、貴方達の振る舞いで彼等の背筋を伸ばす事が出来れば上々、ここを王宮と思わせるつもりで励む事です」

「「「「「はい!」」」」」


 家政婦長を務めた事も有る講師、ミセス・ハピリミアの言葉に元気良く返事をした学院生達が、それぞれの担当に別れて一斉に動き始める。

 前方の入口から一礼をして食堂へ入り、気配を薄く保ちながら、ワゴンに載せた料理を各担当のテーブルへと配膳していく。

 女子は料理を、男子はカトラリーを手早く並べ、小声で注文を取った飲み物を、グラスに注いでは流れる様に撤収する。

 控えの間に戻るのは、後方の入口からだ。

 その一連の流れの間にも素早く目を走らせていた彼らは、戻った控えの間で興奮も顕わに口を開いた。


「首席の席にちっちゃいのが居たわ! 何の一族なのかしら」

いや、月鼠の一族の様に、ずんぐりむっくりでも無かったぞ? まぁ、普通に考えれば記憶持ちの子供なんじゃないか?」


 やはり、一番の標的となるのは、席も予め分かっている首席合格者である。

 そこに座っていたのが、年端も行かないと見える少女だった為に、憶測が憶測を呼び、幾つもの首席合格者像が乱立しようとしていた。

 だが、それを止めたのは、やはり講師のミセス・ハピリミアだ。


「これ! 大きな声を出さないこと。聞こえてしまいますよ? それと、あの子は小さな一族という訳ではございません。まだ十二歳の歴代最年少首席合格者でございます」


 しかし、そんな言葉に却ってその場は沸き上がる。

 本の少し食堂を一巡りしただけでも感じられた、新入生達の未来へ期待する初々しさが、彼らの気持ちをも盛り上げてしまっていたのだろう。


「十二歳!? 本当に!?」

「やっぱり記憶持ちっていう事かな」

すっごい可愛かった! にこって微笑まれたわ」

「ああ! ニコラずるいわ!」

「記憶持ちだとしても大したものさ。座学も多いけれど、学院はそれだけじゃない」

「そうね。家政科だって体力勝負だもの」


 例年の事に、ミセス・ハピリミアは苦笑を浮かべて襟を正させた。

 裏方である彼らの喜びは、客と一緒になって盛り上がるところには無いと、ミセス・ハピリミアはそう理解していたからだ。


「ほら、貴方達、きちんとお客様を見なさいな。もう一品目を終わろうとしている人がいらっしゃいますよ?」

「ああ、もう! がっつく食べ物では有りませんのに! バゲットでも積んでおきたいですわ!」


 鼻息を荒げる彼女には、まだまだ奉仕の道は遠そうだ。そう思いながら、ミセス・ハピリミアは教え子達を送り出す。


(ええ、そうですとも。彼らの道はまだ始まったばかりでございますから)


 それに、その天啓が如き喜びは、そもそも得られる機会がやって来るかも分からないものだ。

 本当の貴人に奉仕する事が出来る機会なんて、それこそ猫の道を進むよりも尚狭い道の先に有るものだろう。

 ミセス・ハピリミアに出来るのは、いざその時が来た時に悔やまぬ様に育て上げる事だけ。それだけが出来る事だった。


 そんなミセス・ハピリミアの想いに見守られながら、メイドとボーイに扮した学院生達は、楽しげにテーブルの間を泳ぎ渡る。

 そしてちらりと新入生達に目を向ける。

 他にも目に映える新入生は見掛けても、気が付いたなら目を離せないのに、意識を向けなければ丸で何も感じない、そんな自然と同化した様な首席の少女こそ謎めいて、どうしても様子を窺わずには居られないでいる。

 給仕の手を求めるお客様が居ないかを見渡す時に、その姿を然り気無く目に留める。

 軽くお辞儀をして退出するその時に、顔を上げながらそっと視線で追い掛ける。


「なぁ、僕らよりもあの子の方が、会場の雰囲気を支配してないか?」

「あ、俺もそれは感じた。蛮族の宴会が、回る度に上流階級の正餐会に成って行ってる」


 だが、どうやらボーイとして会場を回る男子学院生達の方が、周りの状況へも気を配る事が出来ていた様だ。

 ミセス ハピリミアは彼らの言葉に大きく頷いた。


「ええ、本当に。何者でしょうかね? 家政科の試験も受けていたなら、高得点が期待できたでございましょうに」


 そんな言葉に、厨房の中から応えが返ってきた。


「ははは、聞いていたがそいつは無理だぜ? その時分は俺の監督下で厨房での調理試験だ。調理とテーブルマナーだけは一緒に受験出来ないからな!」

「調理……そう言えば調理も受けていると……。身の振る舞いは生来のものに見受けられますのに……」

「お忍びなのよ! お姫様よ!」

「これ、そんな話は受けてございません。それよりも貴方達。お客様の一人だけを贔屓にするのは、結局は主人に恥を掻かせる事でございますよ?」

「おっとしまった」

「浮かれちゃってた? 挽回なのよ!」

「と……おい? どうした?」


 厨房へと向いていた視線をその男子学院生が戻したその先では、一人の女子学院生が身悶えていた。

 幸せそうな顔をして。


「嗚呼……真面目に勉強していて良かった!」

「どうしたのよニコラ」

「あの子がクリームのお代わりを欲しがっててね、ちゃんとそれを読み取って応える事が出来たの」

「…………それだけ?」

「ええ、ええ、それだけよ。でも、一言も喋っていないのに、気持ちが通じた気がするの。――良かった……」

「ニコラ、それが奉仕する喜びでございますよ。その喜びを理解出来る様になりましたら、後は自ずと磨かれていく事でしょう。

 貴方達も奉仕の喜びを理解出来る様に務めなさい。尤も、これは人に言われて理解出来るものでもございません。奉仕の心を持つ事こそが喜びへと繋がるのです。

 さ、ニコラ。貴方が次に目指すのは、あの子の様に自然で美しい所作でございます。喜びを噛み締めるのは後にして、今は次をご準備なさいな」

「「「はい!」」」


 忙しくとも和気藹々とした裏方の時間も、やがては終わりへと近付いていく。


「嗚呼……ご飯が終わっちゃった。お給仕したいのに……」

「何を言っているのかしらね、ニコラ。そこに厨房が在ってお茶の準備はいつでも出来るのでございますよ?」

「そ、そうね! 皆、お茶の準備をするよ!」


 その時を少しでも先延ばしにしながら、家政科の学院生達は手早く洗い物を済ませ、少女の心をがっちりと掴んだ機構学の講師達に嫉妬し、あるいは他の新入生達にも目を向けて、今年の新入生達は行儀がいいとか、どのテーブルの誰某が格好いいとか、可愛い後輩に誰が声を掛けるかとか、そんな論評を繰り広げる。

 やがて少女が身の上を話し終わったその時には、貰い泣きに啜り泣く声が幾つも漏れる様になっていた。


「ぅう……何だか、思っていたのと違うね」

「うん、くすん……姫様って感じでは無いですわ」

「…………野生姫?」

「「「それですわ!」」」

「私、ちょっと行って、ぎゅって抱き締めてくる!」

「「「私も!」」」


 だが、逞しくも姦しい女子達は、あっと言う間に気持ちを立て直して、連れ立って会場へと出て行ってしまうのだった。


「ったく、女子共は気楽だな」

「全くだ。――揚げ芋はこれくらいでいいか?」

「ああ。飲み物はグレン水を大瓶に入れて置いておくか」

「どうせなら、テーブル毎に違う物にしようぜ?」

「おお! それはいいな!」


 そして、その場に残りボーイに徹して供応に心を配る男子学院生達へ、ミセス・ハピリミアとコック達は、優しい眼差しを向けたのである。



 ~※~※~※~



 田舎村出身の騎士ながら、士官を目指し学院への入学を果たしたライエンハルトは、苦々しい思いでその少女を凝視していた。

 確かに並の少女とは違うのだろう。すっと背筋を伸ばして実に楽しそうに料理を口へ運ぶその少女の一挙手一投足に影響されて、一人また一人と姿勢を正していくその様子が、ライエンハルトの座る後ろ寄りの席からはよく見えた。

 それでもあの細腕では剣を振れるものでは無い。騎士として十年以上鍛えてきた自分が後れを取る訳が無い――筈なのだが……


「なぁライエ。今回、武術で試験官を下して入学した奴が居るって話、聞いたか?」


 同じテーブルに座るロッドワーズに声を掛けられて、ライエンハルトは顔を顰めて顎で前を指し示す。

 それをどう勘違いしたのか、ロッドワーズは面倒臭げに顔を顰めた。


「おいおい、学院の説明なんて今更聞く話でも無いだろう?」

「……違う。正面に座っている、首席のチビだ」


 は? とほうけた表情で視線を往復させたロッドワーズが、次には驚愕を顔に宿して更に数度視線を往復させる。


「う……嘘だろう!?」

「俺もそうだと思いたいがな。――と、学科の紹介が始まったか」

「……武術科の講師陣、思いっきりあのチビを見ているな。負けたというのは千本槍か? ……マジか?」

「直接聞いた時にも思ったが、嫌悪する感じが無い。卑怯な手で勝った訳では無いのだろうが信じられん」

「……油断か?」

「それも有るのだろうが、まぁ、目を瞑って気配を探って見ろ」

「ああ? ――……!! 何!? 此奴こいつ、気配がねぇ!?」

「だから紛れとも言えんのだろうが。――動きは、確かに綺麗に見えるな」

「うぐっ!? ま、まぁ、俺も参考に、したな」

「教官曰く、無駄の無い動きは美しく見える、だったな。……何者だ?」


 彼らに限らず士官位を目指す騎士達は、各地の騎士団に入った後に目に留まった者が推薦され、学院に学びに来るのが常だった。

 特に戦いについてはみっちりと仕込まれた自負が有るだけに、騎士でも無い只の少女が彼等にとっても遥かに格上の上級騎士を打ち負かしたというのは、納得の出来ない椿事だ。

 そんな裏事情を知らずとも、そこが首席の席だと知る者達からすれば、幼い少女の姿は如何にも似付かわしくない。他の者も皆「何者だ」と訝しむ様子が窺える。


 そんな学科の紹介が進む内に、上品に振る舞っていた少女が年相応の振る舞いを見せる。

 機構学科の紹介だ。

 だが、ライエンハルトはその様子にまたも眉を寄せて訝しむ。


「…………」

「ライエ、どうした? 机の下ばかり覗き込んで」

「……いや、あれだ、何処を足場に立ち上がったのかと思ってな」

「ん? ……あれ、何処だ??」

「……分からん。彼奴の席だけ分厚いクッションは有っても、同じ椅子に見えるのだが……」

「…………ま、いいじゃねぇか! 今は祝いの席みたいなもんだろ? 獣人共みたいに素直に楽しもうぜ?」

「ち……脳天気に一緒に拍手してやがるが、講義が始まればライバルだぞ?」

「くくく、気にし過ぎだ。負けても結構。手本にすればいいだけじゃねぇか」

「……お前のそういうところは凄いと認めるよ」


 そんな雑談を交わす内にも、首席合格者の挨拶が始まって、そこでまたもライエンハルトは眉を寄せる。そこばかりに力が入って、妙な気怠気さを残す眉間を指で揉む。


「全く、何を心配してんだか」

「いや、冒険者を目指すディジーリアと言うのに、聞き覚えが……。だが、思い出せん」

「だが良かったじゃねぇか。素人で無いなら、千本槍を下した技ってのにも期待出来るぜ?」

「むぅ……」


 ライエンハルトは、僅かに少女の正体に気が付き掛けたが、王都に広がる英雄ディジーリア像が長身の美少女剣士だった事もあって、正解までは辿り着く事は出来なかった。

 そう、ゾーラバダムがリンゼライカと共に褒賞を受け取ったというのが、何処でどう間違ったのか、ディジーリア像がリンゼライカ寄りに成ってしまっていたのである。

 これは学院の講師達も同じであり、更にその傾向を助長する要因も有ったのだが……。

 それについてはまた別の機会に述べられる事だろう。


 何者だと思いを巡らすくらいなら、聞いてみるのが一番早い。

 謎ばかりが積み上がる少女に対して、安直なれど理に適った判断だ。

 そう考えたライエンハルトは、説明会後にそのまま続いて始まった懇親会で、少女へと声を掛けるつもりでいた。

 椅子を壁際に並べるとの司会の言葉に従って、少女が自分の椅子を持って後ろへとやって来るのを、都合が良いと待ち構えていたのだが……。

 気が付けば、給仕をしていたメイド達が、椅子を置いた少女を囲み込んでしまっていた。


「ちょ、ちょっと、何ですか!? っぷわ! もう! おっぱいを押し付けないで下さいよ!」


 現在進行形で偉い目に見舞われているらしい少女の叫びを聞いて、ライエンハルトは苦笑を浮かべる。毒気はすっかりと抜かれていた。


「なんだ、突撃しないのか?」

「おいおい、女の中に飛び込むなんて自殺行為だぜ。特に年下なんて、何を言われるか分からん」


 姉が四人に妹が三人居るライエンハルトは、実感を込めてそう口にする。

 騎士として何年か務めてから学院に来ているライエンハルトからすれば、家政科のメイド達は見るからに歳下ばかりだ。近付く事すら憚られた。


「大変だったのね。でも、もう大丈夫だからね!」

「何が大丈夫なのだか全く分かりませんよ!? それより先生方に確認したい事が有りますので、ちょっと通して下さいな」

「ううん! 大丈夫なんだからね!」


 集団で興奮した女はやはり理解不能だとライエンハルトが見ている前で、少女は呆気なく包囲陣を擦り抜けて、囲みの外へと逃れていた。


「「「え? え? あれ?」」」


 メイド達が混乱しているが、見ていたライエンハルトにも何をどうしたのかが分からない。丸でメイドが自ら開けた隙間を通って、外へ出て来た様に見えた。

 ぽかんと見てしまっている内に、少女へと声を掛けたのが件の千本槍だった。


 千本槍の名で呼ばれるラタンバルは、槍による高速の突きを得意とする、ランク一の現役王都騎士団員だ。ライエンハルト達自身も指導を受けた事は有るが、何をどう間違ったところで勝ち目が見えた事は無い。細身に見えてしなやかな筋肉が詰まったその体は、槍の先に引っ掛けた全身鎧の男を一人、腕の力だけで軽々と投げ飛ばしてみせる。

 そんな|強者(つわもの)の腰辺りまでしか背も届かない少女となると、寧ろ頭を撫でるだけでも気を遣いそうに見えるのだが……。


 少女はその千本槍の横を摺り抜けようとして、足を踏み出した千本槍に遮られていた。


「もう! 何処のドルム大人ですかね!?」


 憤激して何やら言っているが、倍は背丈が有る男に立ちはだかれて、その態度は物怖じしなさ過ぎでは無いだろうか。


「……随分怖い物知らずのチビちゃんだな」


 同じく見物していたロッドワーズの言葉に、無言で頷くライエンハルト。

 興味を抱いて近くへ寄れば、武術科の講義への勧誘だ。


「成る程、気配を消すのも、隙を突くのも、冒険者ならではという事か。当然武術の講義も受けるのだろう? んん?」

「それは勿論受講しますよ? 剣も槍も素人なのですから」

「ん? ……魔道具を学びに来たと聞いたが」

「当然魔道具が優先ですけど、武術も本格的に教わった事は無いのですから、受講しないと勿体無いです」


 だが、呆気なく快諾を得た事に拍子抜けした感じで、あっさりと道を開く。

 再び少女が解き放たれてはいるのだが、ここで少女に声を掛けても邪険にされてしまうのが落ちだ。

 それならばと、ライエンハルトは見知った指導者へと声を掛けた。


「教官。本当に彼女が?」


 少女の後ろ姿を目で追い掛けていた千本槍のラタンバルは、ライエンハルトへと目を向けてにやりと笑って見せた。


「思わんだろう? 俺もまだ何をされたか分かっていない。見失ったと思ったら首筋にナイフを当てられていた。俺達からすれば盗賊か暗殺者の技だが、出自を考えれば狩人といったところか」

「油断――」

「――は、していない。いや、していたかも知れんが、次が有っても同じだろう。ククク……楽しいなぁ、おい。なぁ、楽しいだろう?」


 獲物を狙う獣が如き凶悪な笑みを浮かべるラタンバル。機嫌良さ気にその場を後にするその後ろ姿を見送りながら、ライエンハルトは戸惑いを感じていた。

 本当ならば、あの少女ディジーリアに対して、激しく嫉妬してもおかしくないのに、何も感じない。寧ろ、ほっとしたというか、少女に不憫さを感じてしまったというか、いや、ここでそんな後ろ向きな思いを抱いてしまうという事は、自分には上を目指す資格は無いのではないかとか――


「ほぅれ、また考え過ぎてるだろう? 千本槍を下したのは武術では無い別の何かで、しかもそんな技を持つ奴とこれから切磋琢磨出来るんだ。いい事しか無いぜ?」

「くっ……確かに。だがお前に言われると素直に納得出来ん!」

「ははは! そんな事より、俺達も挨拶に行こうぜ! まずは顔を覚えて貰わんとな!」


 少女に対する敵愾心は消えていた。

 ただ、興味ばかりが残っていた。



 ~※~※~※~



(あ~……やっぱこっちを目指してるよなぁ)


 明らかに、建築科の講師が居るこの一画を目指しているその少女を見て、建築科講師のドーハは顔を歪めた。

 他の二人の同僚は、あからさまにその少女を視野に入れない様にしているが、この上無く意識しているのも明らかだ。出来ればその二人とも距離を取りたかったが、それをすればしたで面倒事になりそうで、ドーハはどうにも動けなかった。


 その少女は、次から次へと話し掛けられて、その度に対面が先送りとなっているが、それも時間の問題だろう。今はもう会話の内容を、苦も無く聞き取れる程近くに居る。


「さっきは熱烈な拍手を有り難う」

「機構学に興味が有るなら歓迎しよう」

「とは言っても、普段の機構学科は水車や風車みたいな物ばかり扱っているのですけれどね」


 にこやかにそう声を掛けているのは、機構学の講師達だ。

 毎年毎年良くやるものだが、入学説明会での人形繰りは、普段は陽気な彼らのあっと言わせる持ちネタだ。

 まだ分かっていない少女に対して猫背に身を屈めて棒を操作する真似をしているが、説明会での陰気な様子との落差で話題を掻っ攫っていくのもいつもの事だろうか。

 ただ、説明会では大興奮していた少女だが、学ぶとなるとまた違うのか、申し訳無さ気な表情で彼らの事を見上げている。


「あー、私の興味の有るのは、どちらかと言うと自立出来る人形なのですよ。なので、水車や風車は少し違って……。デリラの街には巨大水車が有ったりするので、全く興味が無い訳では無いんですけどね」

「おや、それは残念」

「いや、人形を動かしたいなら、やはり一度来てみるのが正解だと思うぞ?」

「機構学って見た目地味だから、中々人が集まらないのよね。やってみれば楽しいし、水車も風車も獣車だって、みんな機構学の分野なのよ?」

「……ちょっと保留なのですよ。何だかんだとやる事が盛り沢山になりそうですので、受講は申請しても講義が座学で教本通りに進むようでしたら、出席しないかも知れません。ご質問には伺いたいので、そういうのではいけませんか?」


 などと、恐縮しながらも意見を通そうとするところは、随分とはっきりとした自分を持っている様だ。

 ……これが建築学に対しても同じで、挨拶での興奮した物言いを引き摺らないでいてくれるなら、まだ面倒事には成らないかも知れないが――


(その時は、完全に学内寮を建てた関係者を、見限っているって事だろうがな……)


 それを二人の同僚に見抜かれたなら、余計に面倒事に成り兼ねないと、ドーハは諦め混じりの溜め息を吐く。


「ああ、いいぞ。――だよなぁ、教本に書いてある事を、態々講義するのはナンセンスだ」

「ありがとうございます! 私も殆ど自学自習で来ましたので、そうして貰えると助かりますよ」


 そんな事を考えている間に、何故かほぼ断りを入れたにも拘わらず機構学の講師と意気投合した少女が、彼らと別れてドーハへと向きを変えた。

 少女を無視する二人の事は、初めから視野に入っていない。

 ドーハは思わず天を仰ぎたい気持ちになったが、すんでの所で踏み留まった。


 何と言っても、この場に二人の同僚さえ居なければ、ドーハも少女の主張に諸手を挙げて賛同するのは間違い無いからだ。寧ろ、その二人の分からず屋を止める事が出来なかった事に、負い目にも似た想いまでも抱えてしまっている。

 ドーハには、とても少女を責める様な素振りを見せる事は出来なかったのだ。


「ドーハ先生!」


 しかしドーハにしか向けられていないその声は、案の定、少女を無視し続けていた二人の講師には我慢がならなかったのだろう。


「おい、待て! 何故そいつに話を持って行く!?」

「我らに先に話を通すのが筋だろう!」


 無視をするなら最後まで貫けばいいものを、こんな辺りが面倒臭いと感じる辺りなのだが……。


 正直に言ってしまえば、ドーハはこの二人の事を、建築家としては丸で評価していない。良くて、上流階級受けをする夢想家だ。

 広いホールが欲しいからと既存の柱を只取ろうとしているのを見兼ねて、他の梁や柱がそのままでは強度が足りないと言っても理解しない。建築の基本が出来ていないのに夢みたいな妄想ばかりを放言して、結局その皺寄せはドーハや市井の大工へと流れていく。

 そこで無茶な妄想の産物を要求された大工が、こんな建物は建てられないと言ったところで、学院の偉い先生が言った事だと言われてしまえば……。


 一体これまでどれだけの回数市井の大工から苦情で呼び出されたかも、どれだけの時間を揉め事の解決に労力を費やしたかも、ドーハはもう思い出すのも嫌になっていた。

 せめて幾度もの会合の後に納得して引き下がって貰った顧客には、多少の掩護も期待していたのだが、どうやらあの二人は上流階級の中でも結構な家柄らしく、しがらみやら何やらで助力も期待出来ない有り様だ。

 最後の手段と学院の事務局へと訴えても、耳を貸して貰えたためしが無い。


 そんな事が続けば、嘗て学院の学科として建築が認められた時のその熱も、冷めてしまうというものだろう。今のドーハは二人が取り返しの付かない馬鹿をやらかさないかの監視の為と、建築科の状況を知らずに学院に来てしまった者への救済の為だけに、学院に籍を置いている様なものだった。

 そんな経緯も有っての事だが、まだ歴史の浅い学院の建築科とは言え、なぜ二人の様な講師が居るのか、ドーハには不思議でならなかったのである。


 そこへ一石を投じるだろう少女は、その二人を見上げて心底不思議そうな顔をしていたのだが。


「そんな事を言われても、私にはあなた方と話す事なんて有りませんよ?」

「ええい! ぬけぬけと!!」

「我らが建築を虚仮にしながらよくも言ったわ!!」


 ドーハは、一瞬少女の姿を見失ったと思った。少女は目の前に居るというのに。

 何故か武術講師のラタンバルが、こちらへ勢い良く振り向いて目が合った。


「ほうほう……それはつまり、あなた方が学内寮を建てたと……。ドーハ先生はそこにどう関わるのですかね?」

「「そいつなんぞ関わらせておらんわ!!」」


 僅かにラタンバルに気を取られていたドーハだったが、少女の状況説明を求める眼差しに、当時の状況を明らかにする。


「――とまぁ、俺はこいつらに目の敵にされていてな、事務局まで抱き込んで学内寮とは関わりを断たれてしまえば、流石に俺でも何も出来んよ」


 だがこいつらだけで真面な建築が出来る訳がない。そう思ったドーハは、事務局にもしつこいくらいに訴え掛けたのだが、それで得たのが学内寮への接近禁止令だ。まぁ、二人に対して、出来ない、無理だ、勉強し直せ、と、否定的な言葉ばかりを投げていれば、端からは後ろ向きにも見え、印象だって悪くなるのだろうさ。

 だが、始まってみれば案の定、困り果てた学院生達の連日の御参拝だ。付き合う義理は無いとは言え、見捨てるのにも忍びないと、軸組、小屋組、床組くらいは出来る様に最低限の事は叩き込んだが、実際の現場に近づけないでのそれでは高が知れている。

 結局なるべくして出来上がった欠陥建築だ。分かり切っていた事なんだが……。


「ドーハ先生が関われなくても、教え子とか居ないのですかね?」

「……例えばな、学内寮は資材は潤沢、期限も緩く、見栄えが良ければ問題無し。但し、講義の一環として給金は出ない。現場で技術を教えて貰える訳でも無い。しかも俺の教え子というだけで嫌われる。

 それに対して、外の仕事は資材も期限も余裕は無いし、罰則なんかも厳しいが、やった分だけ給金が出る。指導するのは現役の大工の棟梁。将来の伝手としても期待大。

 ……リスク無しで色々試せるのは学内寮だが、どうにも学べる環境じゃねぇ。加えて地味な嫌がらせだが俺に資材が回って来なくなってな。今は学院で俺が教えるのは座学ばかりで、実習は外へ行って貰ってるんだわ」

「ふん! 腕も無い貴様に資材などが回る物か!」

「己の分を弁える事だな!」


 同僚の二人がちらりちらりと口を挟んでくるが、少女は不思議そうにそちらを一瞬見て考え込んでしまった。

 そういう少女の素の表情を見てしまうと、どうにもそれまでの気取った様子は取り繕っていたのではと思えてしまう。


「……誰がそんな嫌がらせを?」

「さぁ、なぁ。そいつらかも知れんし、便乗した誰かかも知れん。そいつが分かったところで何も変わらん事が分かっちまってたからなぁ。全く、学院って奴は職人に厳しい所だぜ」


 ドーハの疲れ切ったそんな嘆きに、同じく溜め息を返す少女。

 そんな少女が空気を変えようとでも言う様に、軽くあしらっていた二人へと向き直った。


「腕が無いと言いますが、雨漏りのする学内寮を自慢の建物と言うあなた方も、どうにも私の思う建築家とは違う感じですので、一つ質問してもいいですかね? ――このテーブル、木目が綺麗に出て、今は木の芯側が下側になっていますけれど、お二方なら釘で床板を張るなら、芯側を上にしますかね? それとも下にしますでしょうかね?」

「ふん! そんな物は木目が美しく見える方が表に決まっているだろう!」

「その通りだ!」

「ほほう、即ち芯側も何も関係ないと?」

「当然だ!」


 何を馬鹿な質問をと言い掛けていたドーハは、同僚達のその答えに言葉を詰まらせた。

 木から切り出した板は、それが水場に一年以上漬け置いた木でも無い限り、反りが出るのは大工にとっては当たり前の話だ。

 それを知らない事を昂然と口にする二人は、とても建築家を名乗れるものとは思えない。


「それでは質問を変えますね。あなた達は大工ですか?」


 そう、それが疑問だとドーハも思う。


「大工などとそんな下賤なものでは無い!」

「我らは建築家だ!!」

「……俺は、ちゃんと大工だぜ」


 ドーハが思わず答えたら、少女がそんな事は知っていますと言いた気に見上げてきた。

 思わず肩を竦める。暫くは、少女に任せた方が良さそうだ。


「えー、『大工』の技能も無いと思っていいですかね」

「当然だ!」

「何度言わせるつもりだ!?」


 だが、確かにそれを問い糾した事は無かったが、思いも寄らない言葉にドーハは思わず頭を抱える。

 『大工』の技能すら無いとは何だ? 何でそんな奴が建築科の講師なんだ?

 ドーハの心の叫びが届いた様子は無かったが、少女は問い掛けの言葉で二人の同僚の立場を丸裸にしていった。


「それでは、大工でも無い建築家のお二方は、学院で何を教えているのでしょう?」

「ふん! お前に言っても仕方が無いが、素晴らしい建築物とは|如何(いか)なる物かを教えている」

「間取りや装飾、見栄え等、貴族の邸宅とするのに必要な要素は幾らでも有るのだ!」

「ほうほう……つまり、建物を素晴らしい見栄えにする為の重要な講義をしているという事ですね?」

「その通りだ。何だ、分かっているじゃ無いか!」

「ふん、そこのそいつとは偉い違いだな!」


 成る程と、ドーハは項垂れた。

 言葉が通じないとは思っていたが、そもそもお互いの認識が徹底的に噛み合っていなかったらしい。

 ドーハは同僚達を同じ大工と見ていたが、それがそもそも間違いだったのである。


「でも、建物を建てるとするなら、木材の歪みを直したりとか、掛かる力を分散したりとか、色々有ると思うのですけど、その辺りはどうしているんでしょうかね?」

「ふん、そんな物は我らが考える事では無いわ!」

「下々の者で何とかすればいいだろう!?」


 重ねて問われたその答えも推定を裏付けている。それならそれで、対応も変わってきたのだろうが、だが建築科の講師が大工の力量を持たないとは思わないだろう?

 それは周りに集まって来ていた野次馬達も同じだったのか、若干近寄り気味で耳をそばだてていた聴衆たちも、「ええ~?」と声を上げたり、呆れた様に首を振っていた。

 今迄の軋轢だのが無意味になる様なそんな言葉が次から次へと飛び出てきて、それだけに余計に遣り切れなさが残る。

 しかし、そんな少女の次の一手が思わぬ方向に向いていて、ドーハ達聴衆は、思わず息を呑む事になったのである。


「ふむふむ……成る程、謎は全て解けましたよ!

 ……実は私は結構怒っていたのです。色々と期待してきた学院で、あんなどうしようも無い学内寮を見せられて。なのであの学内寮の関係者とは、必要なお部屋の修繕をした後は関わり合いにならない様にと考えていたのですけれど、どうにもこれは違いますね。

 滅茶苦茶な学内寮を建てたお二方は、聞いてみれば建屋の見て呉れには一家言有る様ですけど、建て方は分からないと、大工では無いと、自らも口にしてらっしゃいます。

 大工無くして建物が建つ筈が有りません。それに、彼らの専門からも、自ら建物を建てようとするとは思えません。それなのにそんな人達が学内寮を建ててしまったというのですから、つまり、そこには誰か、彼らを唆した人が居る筈なのです。

 その人が真犯人ですよ!!」


 そんな少女の言葉に、ざわざわと囁く声が漏れ出てくる。

 物凄く戸惑いの声が多い。

 ドーハ自身、首を傾げてしまったが、二人の同僚にとっても不本意だった模様だ。


「何を言っている!? 我らにも建築は出来るわ!」

「実際に建てて見せただろうが!!」

「……建物を建てるのにはですね、先程言いました力の掛かり方を考える必要が有るのです。そこを疎かにしていれば、倒壊だって為兼ねません。木材は必ず歪みますから、それも考慮しないと隙間が出来て、雨漏りもすれば軋みもします。そういう家を建てる技術は、『大工』の領分なのですよ。

 お二方が建てたのは、見て呉れは立派でも中身の伴わない代物です。そういうのを何と言うか知っていますか? それは、張りぼてというのですよ!!

 お二方が建築家を名乗るなら、お二方の作り上げた外観の案を元にしっかり大工と打ち合わせて、作れない構造やより良い提案を摺り合わせて、更に練り上げていく事が必要でした。そうすれば、造り上げられた建築物も、お二方の造った素晴らしい建物だと持て囃されて、そこには大工の名前なんて殆ど出てくる事は無かったでしょう。

 ですが、大工を否定するあなた達は建築家では有りません。張りぼて屋、もしくは建築物専門の空想絵描きというものですよ!

 まさか初めからそんな人が学院の講師になれるとは思えません。つまり、そこにはあなた方に学内寮を建てる事を勧めた人が居る筈なのです。

 さぁ! それはどなたですか!?」


 居並ぶ誰もが、そんな人物は居ないと考えていた。実際にそんな内容の囁きが交わされていたのだが――

 表情を無くした二人の建築科講師の目は、のろのろと動いて一人の人物へと焦点が絞られる。


 視線を向けられたその人物、近くまで寄ってきていた学院の事務局長が、忌々しそうに顔を歪めるのだった。


「全く、伯爵子息とも有ろう者が、下層民を相手に何をしているのですか。奴らが住む場所などあばら屋でも過分でしょう? 論駁されるなどみっともない。もう少し、上級貴族としての自覚を持つ事ですね!!」


 そんな事を言って踵を返す事務局長に、咄嗟に少女が言い返す。


「お……王様が黙ってはいませんよ!?」

「ははは、貴方の様な下層民が、陛下にお目通り叶う訳など無いでしょう?」


 少女の言葉に対してもそんな風に言い捨てて、事務局長の筈の男は会場を後にする。

 誰もが呆気に取られて見送っていた。声を掛けた少女すらも。

 勿論ドーハも呆気に取られて、誰もが只見送るのだった。


 事務局長の姿が見えなくなってから、少女が動揺を籠めて呟いた。


「び、吃驚しましたよ。本当に黒幕が出てくるとは」

「分かって問い詰めていたんじゃねぇのかよ」

「違和感は有りましたけれど……でも、なんであの人、態々白状して行ったんでしょうかねぇ? 黙っていれば分かりませんのに。あれでは懇親会の余興と言われた方が納得出来ますよ?」


 呆気に取られている割りには、容赦の無い突っ込みを入れる少女に、ドーハは苦笑する。

 そこへ声を掛けたのは、集まって来ていた講師陣だ。


「それは場の雰囲気っていうものだろう。この場はすっかり注目されて、気付かれずに退散する事は不可能だった。逃げたと見做されるよりは、捨て台詞でも残した方がプライド的にましだったのだろうさ」

「事務局長には確かに妙な噂は有ったけれど……こう目の当たりにするなんてね」


 ドーハ自身は対応の悪い事務局のおさで職務怠慢だと憤っていた程度だったが、今更ながらにそこに悪意が籠められていたと知って戸惑う。


「それにしても困りました……。修繕用の資材を貰えるのか確かめるだけの筈でしたのに、学内寮が張りぼてと分かってしまっては住む事なんて出来ません。どうしたものですかねぇ。はっきりしてくれれば家を買ってしまうのでも別に構わないのですけれど……」

「家を買うとは豪儀だが、まぁ、学内寮も結局は建てていた学院生共に泣き付かれて、何とか骨組みだけは最低限出来る様に仕込んだからな。張りぼてよりは新築のあばら屋ってところだろうさ。建っている場所も壁と林に囲まれて風も来ねぇ。多少雑でも行き成り倒壊する事は無いだろうよ。修繕すれば住む事は出来そうだが――」

「――あの事務局長じゃねぇ?」

「ま、そこは俺達がどうにかするところだな。ディジーリアでは陛下に会えなくても、俺達が居る事を忘れて貰っては困る」

「なぁに、大工でも無い者にたんまり資材を弾むんだ。必要な寮の修繕にけちったりすれば、それこそ粛正の対象さね」


 ドーハ並びに集まって来た講師陣によるそんな言葉を聞くと、少女は「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 その後は同期となる者達に囲まれて、自己紹介を交わしている。


 捨て置かれ表情が抜け落ちたままの二人の同僚が、無表情のままドーハへと問い掛けた。


「…………おい。我らが多少思い違いをしていた事は理解した。

 だが、どうにも分からん。これでも我らの弟子達は城下で評判だ。貴様の言う事は当て嵌らない。これをどう説明する!?」


 ドーハは、正直そんな二人の態度を意外に思っていた。

 人の言う事を何も聞こうとしない頑冥な分からず屋。そう思っていたが、頑ななのは職人にも有り勝ちな事である。

 寧ろ、あやまちに気が付けば冷静に対応出来るというのは、優れた資質とも言える。

 と、なるとだ――


「あんたらの教え子らは、自分自身で建築する力は無いと骨身に刻み込まれているからなぁ。造形デザインに徹して、大工の意見も良く聞いて、実際建築する際には余計な口を挟まないってんで、そりゃあいい評判だぜ?

 まぁ、俺も悪かった。あんたらの在り方っていうのは、元々そういうものだったんだろうが……俺が同じ大工だと思い込んじまって、大工の常識も分からない奴が無茶苦茶してやがると厳しい事を言っちまった。元より大工じゃねぇなら常識だって違って当然だったのによ。

 未熟な大工を叱り付ける様にしちまったが、夢を語る注文主と分かっていれば、対応も全く違っていたろうさ。嬢ちゃんの言う通り、お互いの案を突き合わせて練り上げていくっていう奴だ。

 そうやって出来上がった建物にはあんたらの看板が付いて、俺ら大工は裏方で支える事に満足したんだろうが……。

 ……本当に済まねぇな。嬢ちゃんは事務局長を黒幕と言ったが、どう考えても元凶は俺だわ。本当に、申し訳ない!」


 勝手に勘違いして、数々の暴言を吐いて、二人の同僚を拗らせてしまった原因は自分だと、ドーハは深く頭を下げた。

 ずっと滅茶苦茶なのは同僚で、不条理に虐げられているのが自分だと思っていただけに、骨身に沁みてこれはこたえる。

 そんなドーハの視界に、近付いてきた爪先が映ったと思えば、強引にこの手を取られて力強く握られた。

 呆気に取られていると、もう一人の同僚にも、むすっとしたまま同じく痛い程の握手を求められる。

 バシバシと背中を叩かれた。むっつりしていた同僚達の口元が歪んだ。笑い声が洩れ始める。


「くっくっく、はぁっはっはっは!」

「……ああ、本当に済まねぇ。……本当に、勿体無い事をしていたもんだ」

「くはははは!」

「ああ……ふふふ、ふはははは」

「「「ははははははは!!」」」


 この日、随分と回り道をしたがドーハは二人の友を得た。

 事務局長はと言えば、説明会から十日もしない内に、休みだってのに王城から監察官がやって来て、事務局長の座から降ろされたらしい。

 事務局では他にも綱紀粛正の嵐が吹き荒れて、悪夢の晩夏と呼ばれているらしいが、痛む腹も無い講師達は寄り集まって、情報収集に努めていた。


「うむ。俺が団長を通じて大臣と繋ぎを取った時にはな、既に陛下は御存知で監察の予定が組まれていたらしい」

「ふむ。我らが王は随分と耳が早いな」

「いや、それがな。黄緑のドレスに鮮やかな赤い髪の少女が、国王を訪問した次の日に、招集が掛けられたらしいんだが……」

「…………俺は見たぞ。王城へ行くのに乗り物はどうしようかと悩んでいた“終の一番”のディジーリアを」


 この件が有ってから、この年の入学説明会を賑やかせた少女は、極一部で“手出し禁止の終の一番アンタッチャブル”などと呼ばれる様になるのだった。



 ~※~※~※~



 ドーハ先生達との会話が終わったら、何故か周りを取り囲まれていました。


「ライエンハルト。騎士だ」

「え? でぃ、ディジーリア。冒険者ですよ?」

「ロッドワーズ。俺も騎士だぜ」

「はい、ディジーリアです。ディジーでいいですよ?」


 そして、何故か握手をしながらの、自己紹介が始まっています。


「レヒカ=カティ! 十六歳! 騎士だよ!」

「ディジーリア。十二歳です」

「えっ!? 十二歳っ!?」


 あれ? 建築科の先生と修繕資材について相談したら、魔術科の先生とも話をしたかったのですけれど――魔道具の先生が席を外してしまいますよ!?


「スノワリン。山脈の東から来タ。よろしク」

「ディジーリア。王国の南の端から来ました。よろしくですよ」


 なのに全然人が途切れません。ああ!? 魔道具の先生が行ってしまいますよ!?


「ログロンじゃ。鍛冶を教えとる。お主の鍛冶も興味深いわい」

「ディジーリアです。鍛冶は我流ですから、他の人の遣り方には興味が有りますよ?」


 ちょっと、先生方まで並び始めているじゃ無いですか!?

 もう、魔道具の先生が居なくなってしまいましたよ?

 どういう事なんですかね!?


「ラタンバルだ。武術の講義に出てくるのを楽しみにしている」

「ディジーリアです。お手柔らかにお願いします」


 握手の列が途切れません。

 あ、次のお姉さんは――むぎゅっとなんてさせませんよ!



 そんな感じで私の学院生活は、慌ただしくも始まりを告げたのでした。

 それにしても、今夜の寝床は、本当にどうしたものでしょうかね?

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