(77)怒られディジーリア そしてむぎゅむぎゅ

 冒険者協会の本部で、協会長のダルバインが積まれた書類を前に、疵痕の残る顎を触りながら頭を悩ませていた。


「……やはり、ここ数ヶ月、鬼族共の活動が鈍っている。鬼族共に何か有ったのか? ――いや、活動が鈍っているというなら、ライセンで見付かった鬼族の巣もどうにか出来るのかも知れんが……う~む、坑道で活躍出来る特級など居らんぞ? ――やはり潰すしか無いか」


 ここ最近の鬼族の異常を思いながら、資料を繰る協会長。

 そこでふと何とも言えない表情に顔を歪める。


「デリリア領の若き英雄に助力を頼もうと思った事も有ったが、あれではな……」


 若いとは聞いていたが、若過ぎた。

 何より、実際のランクが不明と来ては、助力を要請するにも憚られた。


「……言葉を話すゴブリンが出たとの連絡も有る。一体何が起きているのだ……」


 そんな協会長室の扉をノックする、コンコンとの音が響いた。

 答えを待たずに体を滑り込ませてきたのは、副長のサンダライト。高レベルの『判別』持ちで、中々に頼れる男である。


「お、どうした? そう言えば、王城からの回答が来ていた筈だが、あのお嬢ちゃんはもう来たのか?」

「いや、来ていない。まだと言う事は、合格したのでしょうな。ですが、本人は来なくとも、関連する便りの“鳥”が来ましたぞ? これを。厄介事が一つ減って、面倒な調整が一つ増えましたな」

「ん? どういう事だ? ――――ぶっ!? 何だこれは!?」

「ふむ。見掛けに因らず、寧ろ噂以上ですな。まさか序でとばかりに魔の領域を一つ潰して来ていたとは」

「いやいやいや、おかしいだろう!? まずライセンから一日で王都に来ているのもおかしければ、半日で魔の領域を潰すのもおかしいぞ!?」

「それを為し得るから英雄なのでしょうな。ランクがBなのを考えると特に不思議な事でも有りません」

「ランクBだと!? ……ふぅ~――なら、そういう事も有り得るか」


 その時、協会長の耳にその音は届いた。


 ――……と……ん……


 その時は気にも留めなかった協会長。常々ランクが全てでは無いと言っていただけに、呆れた顔で協会長を見ていた副長へと言い返した。


「ランクが全てで無くとも、ランクで量れる事は有る! そこは否定していないぞ! お前もランクを確かめていたならそう言えばいいものを」

「……成る程、『識別』では見えないとの事でしたな。失念しておりました」

「それにしても、どう戦うのかが全く想像が付かんな。ナイフと魔術を使うとは聞いたが」

「おや? 報告書は読まなかったので?」

「半年も前の情報では何も無いのと変わらんよ。それより――」


 また、音が響く。


 ――とんとんとん……私は叩く……

   ――とんとんとん……耳を澄ませて……


「――……何だ? 酒場で誰か歌っているのか?」

「……? いえ? 何か聞こえましたか?」

「あ、ああ。こう、とんとんとん、と――」


 ――とんとんとん……あなたの心に……

   ――とんとんとん……話し掛けるの……

  ――……心を澄ませて……


「ほら! まただ!」

「……いえ、何も聞こえませんが? 『聴音』……やはり聞こえませんね」

「そんな筈は無いぞ!!」


 ――とんとんとん……心を叩く……

   ――とんとんとん……言葉を交わす……

  ――とんとんとん……思いを強く……


「ええい! お前は誰だ!!」


 協会長がそう叫んだ途端、協会長にだけ聞こえていた遠い囁きが、辺りをざわざわと騒めかせ始めた。

 重なる騒めきが、徐々に大きく響いていく。


 ――誰? 誰? 誰は私?

     ――心を叩く私は誰?

  ――お話をする私は私……

    ――私は誰とあなたは訊くの?

   ――私は私、私の名前……


 そして囁きは声となる。


『『『私はディジーリア。あなたの心に直接話し掛けています』』』


「ぅおっ!? ……ディジーリア……嬢、だと!?」

「全く先程から……。『判別』ダールはディジーリアと話をしている? ――“是”!?」

「呆けてなぞおらんわ! ――して、ディジーリア嬢が何用だ?」


 協会長にだけ聞こえるディジーリアの声は、その問いへと答えを返す。


『今日も協会へ行く予定でしたが、行けなくなりました』

 ――寮が荒ら屋……

   ――屋根の張り替え……

  ――とんとんとん……修繕するの……

『なので、声だけお邪魔します』

 ――雨漏りするの……

   ――壁も腐って……

  ――ぷんぷんぷん……怒っているの……


 幾重にも囁きが重なったその声と、協会長は遣り取りをして、情報を引き出していく。


「――ふむ……ふむふむ、うむ! 分かった、気を付けるんだぞ。王城からの回答が来ている。待たせてしまうかも知れんが、いつ来ても構わないそうだ。かなりの好待遇だぞ!」


『それは良い事をお聞きしました。明日にもお伺いしてみましょう』

 ――てくてくてく……歩いて行くの?

   ――きらきらきら……お城なの……

  ――ドレスでお出掛け……

『それではそろそろお暇しましょう。又の日までさようなら』

 ――ぶんぶんぶん……手を振るの……

   ――又の日ってそれは何時?

  ――今日の日は……お休みなさい……


 そこで声は途切れた。

 満足気に頷いていた協会長へと声を掛けたのは副長だ。


「それで、ディジーリアは何と?」

「うむ。今日はここへ来れないそうだ。入った寮が荒ら屋だと憤慨していたな。修繕に忙しいらしい。無事合格したらしいのは何よりだがな」

「……随分と満足気に話してますが、それは単に別件が入ったと連絡してきただけでは?」

「ぬ!? ……そう言えばそうだな。荘厳なお告げの様だったのだが……」

「はぁ。つまり、ディジーリアはダールだけに今日は来れないと言葉を届けた、と」

「うむ! 俺の心に直接話し掛けてきたのだ!」

「……『うむ』、は“是”、後半は“否”」

「何? ……俺だけに魔術で話し掛けてきた」

「――“是”」

「俺の心に話し掛けてきた」

「――“否”」

「俺だけに聞こえる様に音を鳴らした」

「…………『判別』出来ず」

「んあ? じゃあ、俺の心に直接話し掛けたってのは嘘だったのか!?」


 ――違いますよ……

   ――違うのですよ……

  ――乗りなのですよ……

    ――ノリノリなのです……


 どうやらまだ居なくなっていなかったらしいディジーリアの囁きが、協会長の耳に届く。

 暫く惚けてから、徐々に顔を赤くして協会長は吠え上げた。


「ノリで紛らわしい事をするなーー!!!!」


 ――うひゃぁあああぁぁぁぁぁ~~…………


 そして今度こそ遠く離れてディジーリアの声は聞こえなくなった。


「ふふ……随分とお調子者の様ですな」

「全く、感動して損をしたわ」

「それより、ライセンの件を訊かなくても良かったのですかな?」

「む……ディジーリア嬢! 聞いているのだろう!?」

「…………応えが有りませんね。ディジーリアは聞いている――“否”」

「だー! あのお調子者め!!」


 学院に、ディジーリアがその名を刻み始めたのと同じくして、王都冒険者協会にもディジーリア節の侵食が始まろうとしていたのだった。



 ~※~※~※~



 さて、怒られ大工のディジーリアです。


 昨日はあれから、結局仲直りしたらしい建築科の先生三人と連れ立って、学内寮へと向かいました。

 先生方が男子寮を見ている間に、女子寮の部屋に戻って警備の“黒”と“瑠璃”を労います。小物入れを腰に付けて、小物入れに“黒”を差して、寮の中を見て回りました。

 昼前にはそこまで確かめていませんでしたが、どうやら私の部屋が一番酷い部屋の一つでしたね。

 奥側の角部屋ですから、一番目立たない事も含めて処置も甘かったのかも知れません。

 骨組みは多少歪みは有るとは言えしっかりしている様に見えたのですが、そこはドーハ先生の確認待ちでした。まぁ、男子寮を見回ってきたドーハ先生も、大丈夫だろうと言ったのですけどね。

 それから一緒に学内寮用の資材倉庫へと向かって、チイツの丸太が積んであるのを幾つか見繕って、魔力の腕で学内寮の傍まで運んで、『根源魔術』で丸太を板に加工して。

 まぁ、その頃には『魔術師に大工をされると商売上がったり』だと呆れられてしまいましたけれど。

 チイツの木はサルカムの木と違って加工が凄く楽です。それだけに柔いのではと不安も有りますが。何と言っても私は素材頼りな家の建て方をしていましたから、木組みなら分かる様になっていても、釘の打ち方は今一です。

 そこはやっぱりドーハ先生にお任せなので、ドーハ先生に指示を出して貰って、私の部屋だけでは無くて女子寮全体と男子寮の修繕もお手伝いしたのですけれど……。

 引っ掛け魔力で宙を足場に、浮かせた壁板を「加速」で撃ち出す釘の連打で固定して、歩く速さで壁と屋根の修繕を進めてみれば、ドーハ先生が項垂れて、対照的に他の二人の先生が気勢を上げる事となっていました。

 まぁ、大工の業では有りません。

 寝る前に、ビガーブで予備の魔力代わりに使い切っていた鉄球の内側の輝石を、漸く修復出来ました。それで『識別』で調べて分かった事ですが、私の技能に『魔大工』なんて言うのが増えていました。

 何でも『魔』を付ければいいという訳では無いと思うのですよ。


 修繕のお手伝いの報酬は、女子寮北の空きスペースの使用権です。と言っても、事務局の動向が読めない為に、直ぐには許可は出ない見通しとの事ですが。

 今年度の建築科の実習を、実際に住める家を建てる事として、合格者は在学中そのままその家を使用出来ることにすれば、希望は叶えられるだろう、と。

 恐らくそうなったとしても、建てる家は学院近くの門から出た郊外の予定との事でしたから、学院の構内に建てても良いというのはかなりの優遇になりますね。

 そんな訳で形だけかも知れませんが、どうやら建築も受講する事になりそうです。


 壁一面と屋根の一部を張り替えて、チイツの木の匂いのする部屋で眠って起きれば、王城へと向かう準備をしなければなりません。

 昨日の内にお部屋の修繕が出来そうな事に、浮かれて協会へと連絡した昨日の私は怒られ大工。でも、今日の私はおめかし令嬢となって、王様に会いに行くのです。

 背負い鞄の奥底に仕舞い込んだ柑橘色のドレスを広げて、霧吹きしたり「活力」を与えたり「流れ」で調えたりと皺を解して、そこでちょっと一思案。何度も袖を通したそのままなのは面白くないと、色を抜いた輝糸を編み込んでちょっと輝く感じにしてみたり、総輝糸で出来た赤いスカーフを左腕に結んでみたり。

 髪を結ぶ黄緑のリボンにも色を抜いた輝糸を編み込めば、下手な装飾品よりも綺麗です。


 なんて身嗜みを整えて、意気揚々と学内寮を出ようとしたのですけれど、そこで気が付いてしまいました。

 足下がですね、黒革ブーツなのですよ。

 そういう攻め方をするのなら、剣帯でも締めて格好いい系で纏めてみても良いのでしょうけれど、残念ながら今の私にそれが似合わないのは知っています。冒険者の装備を作る時に、凄い冒険者に見える格好というものを色々試してみたのですから、それはもう確かなのです。

 ですからここは、以前このドレスを着た時と同じ様に、ドレスの裾で隠すしか有りませんね。輝石を使えば綺麗な赤い靴も出来そうですけど、裸足の足が透けそうですし、何より何の得物も無いよりは安心出来るというものです。

 女性の足下のごついブーツに気が付く悪い子さんには、爪先の鉄片が唸りを上げますよ?


 とまぁ、朝の学内寮の前でうんうんと唸っていると、早起きの寮生達とも顔を合わせる事になるのですが、何故か遠巻きにされていますね? 入学説明会で見た顔も居るのですけれど、どうにも声を掛けるつもりも無さそうです。

 と、そこで今の私の格好に思い至りました。ドレス姿は大貴族の邸宅には相応しいかも知れませんが、今の学院には似付かわしく有りません。

 漏れ聞こえてくる声が、「お姫様?」とか「お忍び」だとか、どうにも妙な誤解を招いています。

 態々こちらから話し掛けたりはしませんけどね? 宿屋の方がまだましな、隙間の有りそうな壁一枚隔てた先に人の気配が有る場所での一夜は、私をして気疲れをしてしまうものでした。ずっとこんな場所では暮らせませんなんて想いを新たにしてしまいましたけれど、そうで無くても訝しがられているところにこの格好で話し掛ける図太さは、私も持ち合わせていないのです。

 ソロでぼっちな単独行動冒険者に多くを求めないで頂きたいものですよ。


 とは言え、遠巻きにされた事で、思い出した事が有りました。前に領城へ出向いた時に思った事。そうです、乗り物も必要ですし、付き従う従者も欲しいところです。

 そんな事を考えながら、また頭を悩ませていると、朝早くからまた寮の様子を見に来たドーハ先生達が近付いて来たのです。


「お早うさん。どうした今日は、そんな格好をして」

「お早う、今日はそれなりの格好だな」

「うむ、お早う」


 ほうほう。ドーハ先生は私の格好に驚いていますが、他のお二方はそうでも有りません。

 やはり、王城へ出向くにはこれくらいの格好は必要という事でしょう。


「王城へ行くのにおめかししているのですよ? 今は乗り物に悩んでいるのですけど、実体が有るのと無いのと、どちらがいいですかねぇ?」

「ぬぉ!? まさか、事務局長の所業を訴えに行くのでは有るまいな!?」

「王城は行き成り行ったところで相手にはされんぞ!?」

「乗り物ってのも何だ? 実体が有るとか無いとか、良く分からんぜ?」


 驚愕する先生方に、思案しながら答えます。


「王城へは前からお呼ばれしていたのですよ? 乗り物はですねぇ――」


 見せるのが早いでしょうと、足下ちょっと深めに在る粘土質の土を、「流れ」と「活力」で形を整え焼き固めたら、地表を割りつつ地上へと這い上がらせました。

 ちょっと白っぽい陶器の様な鎧の従者です。

 と言っても手抜き鎧ですので、関節だとかもすかすかで、がらんどうなのが丸分かりです。なのにしっかり生きている様に見えるのは、私の操りの為せる業ですよ?


「これが実体の有る感じで、実体の無いのはこんなですかね……」


 言いながら続けて呼び出したのは、巨大な黒い草原猫の幻です。

 私の影がわさわさと広がって、そこから這い上がる様にして地上へと姿を現させます。

 私も軽くぺろりな大きさの巨大猫。その長い尻尾が私の腰に巻き付いて、巨大猫の背中へと運びます。私の魔力で出来た幻の猫ですから、まぁ私の魔力の腕みたいな物ですよ?

 輝糸で作った飾り布の首輪に輝石をあしらい、同じく飾り布と輝石の耳飾りを着けさせれば、立派なお嬢様の騎獣です。

 首周りや耳の後ろを掻いてあげると、気持ち良さ気に「にゃぁ~ん」と鳴きます。芸は細かく行きますよ~。


 何だかこれで充分な気がしてきましたね。鎧の従者に巨大猫の首輪と繋がる幻の手綱を引かせて、さぁ! 王城へ向かいましょう。


「では、ご機嫌よろしく~」


 なんて、ぽかんと口を開ける皆さんに声を掛けたなら、のしのしと巨大猫を歩かせるのでした。



 さて、学院から王城は直ぐ隣。大した時間は掛かりません。

 にも拘わらず、結構人と行き交います。

 私が扇をゆらゆら揺らし――

 通行人が尻餅を突き――

 私が扇で口元を隠し――

 通行人は口を開け――

 ……おや? 余り見慣れた反応っぽく無いですねぇ。

 お嬢様が乗り物に乗って上流区画を行くというのは、良く有る事では無いのでしょうか?


 そんな事をしている内にも、もう王城です。

 王城の門は、特大の獣車が一台通れるだけの大きさで、分厚い壁の中がそのまま騎士の詰め所になっていました。来訪の目的をそこで告げて、取り次いで貰うのです。


「冒険者協会から先触れ致しました、ディジーリア=ジール=クラウナーです。いつでもお伺いしていいと承っていますが、今からでも大丈夫でしょうか?」


 騎乗したままでは流石に失礼と、尻尾に持ち上げられ窓口の前に下ろされた私は、淑女の礼と共にお伺いを立ててみます。

 念の為、冒険者協会の認識証も『亜空間倉庫』に入れてきていますが、恐らく必要になる事は無いでしょう。『判別』の魔道具はそれだけ王国中に行き渡っていると聞きますから、まさか王城の門に無い筈が有りません。


 ええ、スカさん達が王都で預かってきた諸々の書類や普段は腰に着けている小物入れ、“瑠璃”に預けていた金塊なんかは『亜空間倉庫』に移しました。『儀式魔法』を使う為の鉄球なんかもその中です。

 まぁ、鉄球を『亜空間倉庫』に入れてしまっては、『亜空間倉庫』が使えなくなってしまうのでは、なんて懸念も有ったのですが、私の魔力の一部が『亜空間倉庫』用に区切られている事といい、どうやら『亜空間倉庫』は初めの発動以降は常に発動している状態らしく、その入口の開け閉めには『儀式魔法』の手順を踏む必要が無かったのです。

 ちょっと変則的ですが、『根源魔術』と同じ様に、自由に出し入れ出来たのですよ。これは嬉しい発見でした。


 と、そんな事を考えている間に、目を瞠って呆気に取られていた受付のお兄さんが気を取り直し、手元の名簿に私の名前を見付けたのかチェックを入れています。

 『判別』の魔道具は、初めの名乗りで青く光っていますから、問題無いですね。


「確認致しました。このまま真っ直ぐ庭園を突っ切って、エントランスホールへお越し下さい。騎獣はホール手前に獣丁が控えておりますので、そこでお預け願います」

「まぁ、有り難うございます」


 お辞儀をしたら、尻尾に巻かれて再び巨大猫の背中まで。

 後にした詰め所から「可愛い……」なんて呟きが漏れ聞こえてきましたが、ふふふふふ、そうでしょう? 騎獣はごついのばかりですから、巨大草原猫の魅力は弥増すばかりなのですよ。


 門を抜けたら壮麗な庭園が広がっていました。巨大猫の背中からはとても見晴らしが良く、庭園の様子がつぶさに見渡せます。

 左手に広がるのは生け垣の迷路。遠くには果樹が植えられていたりと、中々活動的な空間が広がっています。

 右手には、様々な花が咲き乱れる中に、池や四阿が据えられて、まったり出来る空間が作られています。

 全体的にはとても華やかなそれらの庭園を左右に、正面に控えているのが王城です。

 白くて大きくて綺麗です。中央と左右とが高くなっており、場所によっては六階建ての巨大なお城です。一階一階が普通の家の二階分程有りそうで、思わず圧倒されてしまいます。


 でも、棟梁に家の建て方は教えて貰いましたけれど、出来たとしてもこんな建物は建ててみたいとか思いませんねぇ。自分が住む家なら楽しく建てるのですけれど、お城に惹かれる物は有りません。

 そういう意味ではやっぱり私は建築家では無いのでしょう。

 もしかしたら、この圧倒的なお城の庭園で朝のお散歩をしている人が居る様に、この風景が心の落ち着く憩いの場と見れる様になった暁には、別の想いを抱いたりするのかも知れませんけれど。


 のしのしと猫は歩き、遠くで子供の歓声が上がり、のしのし歩く猫は頭を巡らせて、子供は日傘を放り出した女性にしっかり捕まえられて。

 確かに憩いの空間なのかも知れませんが、私にはまだその境地には至れないようです。


 猫が歩くそんな道も、やがては終わる時が来ます。


「お嬢様。騎獣はそこで降りて頂きたく。私が心を込めてお世話しますから、どうぞ任せておくんなさい」


 お城へと上る階段の手前で控えていた獣丁の言葉に、私はにこりと微笑みます。

 お嬢様では無いですよと、心の中では冷や汗ものです。


「ご心配には及びませんわ」


 と言葉を返して、輝石の飾りを魔力に戻して猫はそのまま地面に潜る様に姿を消し、私は猫の背中に乗ったまま猫が潜るのに合わせて地上へと降り立ちます。

 カランと崩れた従者の鎧は、こっそり『亜空間倉庫』に回収です。

 目を見開いた獣丁に会釈して、お城へと続く階段を上ります。

 其処でまたもう一度、お城を見上げて溜め息を吐いてしまいました。

 デリラの様な田舎街に住んでいると中々想像が付きませんが、ラゼリア王国は大陸中央部一の大国だと聞きました。

 その癖、物語で語られるのは、腐敗した貴族とか、ずるずるの行政とか、とても大国とは思えないねたが盛り沢山で、大国だとの物言いには自賛も多分に含まれていると思っていたのですけれど、認識を革めるべきかも知れません。

 これは確かに凄いお城ですよと、見上げるばかりなのですよ。


 そんな私を見兼ねたのか、扉に控えていたメイドさんの方から私に近付いて来ました。


「ようこそいらっしゃいました。お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あ、これは失礼いたしました。ディジーリア=ジール=クラウナー、冒険者協会から先触れして戴いています」

「……招待状の様な物をお持ちでは有りませんか?」


 はて? と首を捻りましたが、『亜空間倉庫』からスカさん達が運んできた文箱そのものを取り出して、中を漁ればそれらしい手紙が見付かりました。


「これの事でしょうか?」


 と渡せばにこりと微笑んで、巨大なお城の扉を開けて中へと案内してくれましたので、これで間違い無かった様です。

 扉からエントランスホールに入れば、そこで漸くほっとしました。

 豪華絢爛なのには変わり有りませんが、目に映る範囲の規模スケールは、まだ慣れ親しんだ物に近いです。

 ところで、ホールに入ると入れ代わりで別のメイドさんが扉から出て行きました。私を出迎えたメイドさんは、また別のメイドさんを呼んでいます。お客さんの対応も大変そうですねと思いながら、私はその呼ばれたメイドに案内されて付いて行くのです。


 ホールの真正面には大きな扉が有ります。きっと広間か何かになっているのでしょう。

 その扉を挟んだ両脇に、優美な曲線を描くサーキュラー階段が高い二階まで続いています。

 一階も二階も左右には廊下が続いているみたいですが、何が在るのかは分かりません。

 外から見た時は、まだ上階が有ったと思うのですが、何処から上がるのでしょうかね?


 その左側のサーキュラー階段を上がって、広間の脇に続きそうな扉を入ると、思った通りそこは広間の二階でした。アーチの間からこれまた煌びやかな大広間を見下ろす事が出来ますが、カーテンが用意されている事から催し物がある時にはカーテンが閉められているのでしょう。ふかふかの絨毯には、足音を立てない役目が有るのかも知れませんね。しんと静まり返った催し物の最中に、コツコツと歩く音が響いては興醒めです。

 大広間の脇を通り抜けたその先は、翻って今度は足音も気持ち良く響く磨かれた木製の床と、左右に幾つも小部屋が並ぶ長い長い廊下です。

 色々と想像が膨らみますね。大広間でパーティを催した際には、ここがお客様の休憩場所になるのでしょうか。何も無い時は、そのままお客様の待機場所になったり、或いは会議室になったりするのでしょうね。

 と思ったそのままに、私はその並んだ一室に案内されたのです。


 会議室程の広さは有りませんが、私の家のどの部屋よりも広い応接間です。

 左手には戸棚が並び、右手は書棚です。戸棚の中には酒瓶やら食べ物やら色々と有る様です。

 戸棚に入っている物は自由に抓んでもいいそうですから、長い時間待つ事になっても、退屈する事が無い様に調えられているのでしょう。

 部屋に入る前にトイレの場所も教えて貰いましたし、此処で待つ事に特に問題は有りません。それにドレスの直しをしていたら朝御飯も食べ損ねてしまってますしね。

 ここは遠慮せずに、寛がせて貰いましょう。

 そう思って、私はいそいそと戸棚から木の実の小鉢を取り出して、書棚に面白い本は無いかと物色を始めるのでした。



 ~※~※~※~



 ラゼリア王国の国王ガルディアラス=ファトマ=ラゼリアーラは、朝の会議の後、侍従からの報告を受けて片眉を僅かに撥ね上げた。


「何? もう来ているのか?」


 顎に手を当て、暫し考えて結論を出す。


「この後の騎士団の訓練は、悪いがハマオーに任せよう。何処だ? 直ぐに向かおう」

「いえ!? ご準備が調いましたら、お呼び致します」

「面倒だ。冒険者相手にそんな気遣いは無用だ。時間を無駄にするな、案内しろ」


 本来ならば、小謁見の間を調えて、客人を控えさせてから国王を呼ぶのが習わしだが、それらを面倒だとの一言で切り捨てたガルディアラスは、侍従に案内させて自ら客人のもとへと向かう。

 その間にも諸々の報告を受けながら、辿り着いた客間の前で、ガルディアラスは侍従へと告げた。


「我は暫く此処に居る。ハマオーに伝えるのも忘れるなよ」


 足早に戻る侍従を見返る事無くガルディアラスは客間の扉に手を掛けて、僅かに其処で逡巡する。

 居ると思って探らなければ、僅かな気配も感じ取れない、この部屋の中に居るのはそんな人物だった。

 だが、どうにも害意を持って気配を殺しているとも思えない。ガルディアラスは僅かに口角を上げると、そのまま扉を開ききった。


 そして部屋の中を見る。

 部屋の中には、テーブルに書棚の資料を三つも広げて、かぶり付いている少女の姿が有った。

 自然体でこの気配の薄さかと目を瞠りつつ、後ろ手で扉を閉めると、はっと顔を上げた少女と目が合った。


 「申し訳有りません」と少女がわたわた資料を閉じると、その資料が宙を飛んで書棚へと収まる。それすらも気配が薄い。練達者に成る程、少女を闇族の類と見紛う様な気配の無さだ。

 だが、美しく膝を曲げて礼をするのを見ると、上流階級でも通じるだろう気品が有る。そう思って見れば、装いも見事なドレスである。


「ガルディアラス=ファトマ=ラゼリアーラだ。遠い所を良く来てくれた」


 そうガルディアラスが告げると、少女は大きく目を見開く。


「王様ですか!? ディジーリア=ジール=クラウナーです」


 そう言って、再び礼をして深く頭を下げる。

 とても冒険者とは思えない。


「良い。楽にしろ。冒険者に礼儀は求めん。――いや、ラゼリア王国は冒険者に礼儀は求められん」


 そう言いながらガルディアラスが対面の椅子に座ると、少女ディジーリアもちょこんとソファに座り直す。

 どう見ても、貴族の子女。それも生まれつき礼儀作法を身に着けた高位貴族の箱入り娘に見えるのだが、少女の気配の薄さに警戒して、ガルディアラスが軽く展開していた威圧を丸で無いものと受け流しているのは普通では無い。

 いや、寧ろその威圧を受けて、ぼんやりと懐かしむ様な表情を見せるのは何だろうか。


「冒険者も礼儀など面倒だろうと、謁見の手続きを取らずこういう形にさせて貰ったが、どうやら配慮も不要だった様だ。今からでも謁見式にしても良いが――」

「いえ、面倒なので。ご配慮戴き有り難うございます」

「ふ――だろうな。ライセンでの話は聞いた。破裂寸前の魔の領域を寄った序でで潰してくる奴が、栄誉なんぞ求めまい。だが褒賞のねたは増えた。困ったな、渡せる物は既に用意して、これ以上は何を渡せば良いか分からんぞ?」


 これもまた、ガルディアラスが自ら赴いた理由の一つだった。

 武勲に対してならば宝剣で報いる事が出来るだろう。

 栄誉を求めるならばこれもまたどうとでも出来る。

 それ以外でも金品や宝物で納得するのだろうが……。


 この見た目は英雄にとても見えないディジーリアは、自ら武具を造るという。そうで無くてもここで会って思ったが、幼さを残すこんな少女に合う武具なぞは宝物庫にも無い。国一番の鍛冶師に手配するとして、少女がそれを喜ぶとも思えない。

 デリリア領の守護者討伐にしても、ライセン領の魔の領域の討滅にしても、求めて然る可き物を何も求めず、それどころか多くの魔石や素材を自ら進呈している。栄誉が有るとするならその行為に対して人は自然と称賛し、其処に国王が出る幕は無いだろう。

 金品が欲しければ、自ら幾らでも稼ぐに違い無い。

 ならば残るは宝物か、あるいは何らかの権利というところだが、このお嬢様然としたディジーリアを見ると益々ガルディアラスには何を与えていいものか分からなかったのだ。


 元より、ディジーリアに王都への来訪を求めたのは、褒賞を渡すのに『判別』による本人確認が必要だった為だが、それ以外にも何を欲しているかを探る為でもあった。

 そんな事情を本人へと伝えてみれば、ディジーリアから伝えられたのは思いも寄らぬ提案だったのである。


「おお……宝物には興味が有りますけれど、今日ここへ来たのには王様にお願いも有ったからです。なので、それを褒賞にして戴ければ助かります」

「ふむ……何だ? 言ってみるがいい」


 少し警戒してガルディアラスがそう告げると、ディジーリアは困惑した様に視線を彷徨さまよわせる。


「書状を用意してきましたけれど、ここでお渡しするのですか? 仕来たりを調べて来ましたが、ここでは少し……」

「む、仕来たりとは何だ? ここで渡してくれて構わんぞ?」

「……それでは、少し失礼しまして、仕来たりに則りお渡し致します」


 と、ディジーリアはソファから立ち上がり、入口に近い絨毯に膝を突く。そこで『亜空間倉庫』から一通の書状を取り出すのを見て、成る程既に特級かとガルディアラスは口元を緩めた。

 ふと見ると、そのディジーリアが愕然とした表情でガルディアラスを見ている。

 何だと見ていると、悲愴な覚悟を秘めた面持ちで、先割れした長い棒に書状を挟み込み、ガルディアラスへと差し出した。


「お、王様! 王様、助けてくんろー!! 悪い奴らが滅茶苦茶しよるだ!! お願ぇしますだ!! 懲らしめておくんなせぇ!! 王様ぁー!!」


 ぶるぶる震えながら、迫真の演技で訴えかける。一瞬煌びやかなドレスが襤褸にも見えた。


 ガルディアラスは椅子から立ち上がりながら「直訴」と書かれた書状を掴み取る。

 書状を挟んでいた棒を撥ね除けると、実体の無い幻だったのか宙に溶けた。

 這いつくばるディジーリアに歩み寄り、片足を乗せて押さえ込んだ。


「むぎゅ……何故なにゆえに?」

「そんな仕来たりが有るか馬鹿者! 我で無ければ手討ち物だぞ!!」

「下々の者が王様に訴える正当な仕来たりですよ!? 王様との接点の無い下々の者は、命を懸けて直訴するのです。訴えた者の命は無いでしょうが、運が良ければ書状に目を通して貰えるかも知れません。全霊を籠めて訴えるのがポイントなのですよ!」

「我をそんな愚物と一緒にするな! 此奴め!! 礼儀正しいと思ったのは間違いだったわ!」

「むぎゅ、むぎゅ!? 朝からむぎゅ、お嬢様はむぎゅ、厭きたのですよ! 王様はむぎゅ、何となくむぎゅ、許してくれそうでしたのでむぎゅ!」


 そう言えば何時間も待たせていたなと思いながらも、もう一度押さえる足に力を込めた。


「むぎゅ!」

「完全に確信犯では無いか!」

「こっちの方が面白いと思ったのですよ。王様に会える機会を逃す訳には行きません」


 と、ディジーリアはじたばたと動く。見た目に惑わされたが、これはぞんざいに扱うので充分な冒険者だとガルディアラスは認識を革めた。

 とは言え、書状は書状である。ディジーリアのそんな姿に呆れながら、ガルディアラスは受け取った書状を広げるのだった。


「――む、王都研究所の者が迷惑を掛けているのか。だがこの内容は――連名? ライカの名にライセン領とデリアライト領もだと? ――待て、デリラの研究所所長がお主の名になっているがどういう事だ?」


 その言葉に反応して、上体を捻ってガルディアラスを見上げるディジーリアの、口元には口髭が、目には片眼鏡が光っていた。


「ふもふもふも、第三研究所所長の儂に何か用ですかむぎゅ!?」


 ガルディアラスはもう片方の足もディジーリアの背中に乗せた。

 見掛け以上に頑丈なディジーリアは、ぎゅむぎゅむと弾みを付ける度に、むぎゅむぎゅと楽しそうだ。

 孫を相手にするくらいで丁度いいのかと思いながら、ガルディアラスは続きを促した。


「これでは分からん。説明致せ」

「む、書いて有る通りですぞ? デリラの街の郊外で黒大鬼くろオーガの解体ショーを企画したのですが、王都の研究者が傍若無人で、場所をお貸ししていた私個人の研究所でも好き勝手しましてな。研究所の運営を任せていた領城からの出向者が少し勘違いしていた事も有って、余計に騒ぎになったところも有りますが、聞いてみれば他領でもやらかしているとの事。これは王に裁定をお願いせねばと思ったものなのですじゃ」

「普通に話せ。だが、研究所には査察を欠かしていない筈だが……」

「そうは言っても珍しい事では無さそうですよ。私も学院で、学内寮が壁に隙間が有って雨漏りしたり壁板が腐っていたりと酷い有様でしたから不満を述べたら、事務局長から『下層民には荒ら屋で充分』と罵られましたから。余りの悪役っりで、入学説明会の余興の様でしたよ?」

「何だと!」

「むぎゅ!!」

「む、すまん。――研究所の査察は学院に委託していたかも知れん。合わせて監察させるか……。それはそれとして、学院に入学したのか?」

「ええ、学院長からの招待状が有りましたので。訪ねてみたらその日が試験最終日で慌ててしまいましたけれど、無事合格出来ました」

「それは何よりだが学院長の思惑とは恐らく違うな。だが腕のいい冒険者が王都に増えるのは朗報だ。これから宜しく頼むぞ」


 ――と、そんな会話をしているところに、コンコンと扉がノックされた。

 特に憚る事の無いガルディアラスは、「入れ」と促したが、その直後に気が付く。

 少女を踏み潰している姿は、聊か外聞が悪いのでは無いかと。

 無情に扉は開かれて、端整な顔立ちの美男子が姿を現す。

 ディジーリアの背中に乗ったガルディアラスは、その前にその背中から降りようとして、ディジーリアが急に四つ足で立ち上がった為に失敗する。


「……陛下」


 美男子が掛ける声に、気不味い時間が流れた。

 そこにディジーリアが、一歩踏み出す。むぎゅっとその足下で音が鳴る。

 更にもう一歩踏み出す。またもむぎゅっと音が鳴る。

 見下ろしてみれば、何故かディジーリアの背中は赤いもふもふした毛に包まれていた。

 むぎゅむぎゅむぎゅっと歩み進んだディジーリアは、美男子の前で足を止め、きっと美男子を見上げて曰く。


「王の騎獣たる我が輩に何の用ですかな?」


 その顔も赤いもふもふに包み込み、少女の口から出たとは思えない渋い声でそう告げた。

 美男子がディジーリアを見下ろす。

 目だけ残してもふもふの謎の生き物と、暫し見詰め合う。

 視線を戻して、今度は上を仰ぎ見る。

 もふもふの上に立つ主君に目を合わせて問い掛けた。


「これはどういう状況でしょうか」


 ガルディアラスはその問いに、黙考してから重々しく答える。


「いや、我には分からん」


 二人分の視線がそのまま謎のもふもふへと下りる。


「私にも分かりません」


 謎のもふもふは、可愛らしい少女の声で、そう答えたのである。

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