(34)大物の斃し方なのですよ!

 時間は少し遡ります。


 木の肌を足裏で撫でる様にして速度を落としながら、音も無く地上に降り立った私ことディジーリアは、茂みの中に身を隠したガズンさん達に近付きます。

 ですが、身を寄せ合うガズンさん達のその姿。私の目には、全身蜘蛛の巣に突っ込んだかの様に、歪で覆い尽くされていたのです。


 一番ましなのは、後ろから茂みの向こうを覗き込んでいるダニールさん。

 何だかんだで魔術使いは体内で魔力を回しているので、体の中まで喰い込む歪が無さそうなのが救いです。


 逆に一番酷いのが、今も茂みの隙間から道の向こうを覗き込んでいるガズンさん。

 ガズンさん達に荷物が少ない事からも、狩りを行わず隠れながら進んできた事が窺えます。

 ガズンさんは、全力かそれ以外しか無いなんて普段から言っていましたが、その言葉通り“気”も魔力も『隠形』していたというなら、体の深くまで歪が入り込んでいる状況も納得です。

 歪みで強化したナイフが硬くなる事を考えると、これだけ歪に縛り上げられていれば、体が強張ってきてもおかしく無さそうですけれど……。

 それよりも、歪で変質して芋虫――歪豚オーク――の様な化け物に成ってしまいかねない事を考えると、顔を顰めざるを得ません。


 ガズンさんに背負われたククさんは、怪我の所為か気も魔力も弱まっているので歪への防御も落ちている様ですけれど、ガズンさんが盾になっているのかまだましです。


 ですが、三人共が満身創痍と言ってもいい状態でした。


 こんなガズンさん達を放っては置けませんと、まずは振り向いたダニールさんから絡まる歪を引き剥がしていきます。

 何故か後退るダニールさんから丁寧に歪を引き剥がせば、次はガズンさん達の番です。

 何かを引き起こしそうな大量の歪を捨て置く訳にも行かず、時折昏い森の黒い魔力を集めては、黒い魔石擬きにしてささっと手の内に隠します。

 余り見られて良い物の様には思えません。


 ガズンさんやククさんの体の深くに入り込んだ歪を、魔力の指先を駆使して摘み出しては取り除いていきます。

 そんな作業もほぼ終わりとなった時に、ククさんから問い掛けられてしまいました。


「な……何を、して、いる?」


 そんな事を聞かれても、歪を感じられない人に説明するすべは有りません。

 下手に歪に侵されていると告げたところで、疲労困憊のガズンさん達に要らぬ不安を与えるだけです。

 それよりも、ここはガズンさん達に元気になって貰って、早く街に帰りたいものですよ?

 私も何だかんだで森の探索に来て、今日でもう九日ここのか目。そろそろほとぼりめた頃でしょうし、何より私もきてきました。道具も揃わない場所での野鍛冶では無くて、ちゃんと秘密基地で毛虫殺しを鍛え直したい気持ちも有ったのです。


 ですから、私は腰の小物入れから、「活性化」が使える様に成って出来たばかりの回復薬を三本取り出したのです。


「ふむむ……一本は、街の回復薬に活を入れて長持ちさせた通常品。一本は、森の薬草で儂が作った特製品。最後の一本は特製品に手を加えて作った特別品、何が起こるか分からぬ謎の逸品じゃ! ささ、お好きな物を使いなされ」


 役に入り込んでしまうのは、もうこれは癖の様なものです。

 誰ですか友達の居ない一人遊びの弊害だなんて言うのは!

 まぁ、そんな事も有るかも知れませんが、今の私にはちゃんと友人も居れば、悪巫山戯だって出来るのです。

 グディルさんだとかドルムさんだとか、年上の冒険者仲間ばかりですけれど、それだって友人ですよね?

 学園にだって友人は居ましたよ? とは言っても元々はお手伝いに行った先の家の子供ですし、学園自体では殆ど絡む事は有りませんでしたけれど、それでも友人には違い有りませんよね?


 と、そんなことを考えながら回復薬を差し出すと、何故かにこにことしながらダニールさんがバーナさん製の回復薬を受け取ります。


「あたしゃ一番ましだからね。普通の回復薬でいいよ」


 怪我をしているククさんが選んだのは、私自作の特製品です。


「お、俺は、特製品、だ。何が、起こるか、分からん、特別品は、荷が重い、ぜ」


 残る回復薬は黄蜂蜜を加えた特別製だけですが、ガズンさんが嫌がったのです。


「俺は謎の逸品か!? ばぁさん、本当に大丈夫なんだろうな!?」


 ……何故だか今日はばぁさんです。


「ばぁさん言うな!」


 いつもの様に窘めたのですが、そんな事を言われても私も答えなど持っていません。我が儘ですねと呟きながらも、仕方が無いからこの特別製は空けてしまって、まだ大量に残っているマール草を使って特製回復薬を作り直そうとしましたら――


「要らねぇとは言ってねぇぞ!」


 焦ったガズンさんに特別製回復薬を取り上げられてしまいました。

 何やら勘違いしている様ですが、効果の程は分からないまでも、自信作には変わりが有りません。

 ここは、ガズンさん自身に確かめて貰うのが良さそうでした。


 それよりも、気になるのは皆さんの様子です。

 怪我をしているらしきククさんが、調子が悪そうなのは仕方が有りません。

 ですけど、今は私が『隠蔽』を掛けているとは言え、ガズンさんも大声を上げるなんて迂闊過ぎます。こんな状況でにこにこしているダニールさんも理解出来ません。

 もしかして、もう歪の影響が出て来てしまっていて、頭がおかしく成り始めているのかもと思うと、何とも気味の悪い悪寒が止まらないのです。


 ガズンさんもダニールさんもククさんも、見付けた時はきょとんと間抜けな顔を晒していました。

 ……危ないです。間抜けは芋虫の始まりです。


 その内直ぐに、ダニールさんがにこにこし始めましたけれど、考えてみれば私が出会った芋虫も、酷くご機嫌で引き攣った様な笑顔を浮かべてましたでしょうか。

 ……怪しいです。ダニールさんの頭の中で、どんな変化が起きているというのでしょう。


 そして今、全員揃って回復薬を呷るのはどうしてでしょうか?

 ここは酒場でも無ければ、それは乾杯のジョッキでも無いですよ!?

 ……怖いです。単純な行動しか出来ないというのなら、最早猶予は有りません!


 気を揉む内にも、ダニールさんが気の抜ける悲鳴を上げながらへたり込んで、ククさんは立ち上がるガズンさんから滑り落ちながら、膝立ちで荒い息を吐いて、そしてそのまま言う事には――

「お腹がぺこぺこだよぅ」「腹が減ったぜ」

 …………。

 嗚呼、何と言うことでしょう!

 何とも暢気な台詞にも聞こえますけれど、食欲しか頭に無いというのなら、それはもう芋虫ですよ!?


 極めつけはガズンさん。

 突然、叫び出したかと思えば、

「ふははははははははは、はーはっはっはっはっはっはーー!!!!!!」

 と嗤いを上げながら、もの凄く巨大な蜥蜴へと向かって突進です。

 危険です! 危険です! それはもう、芋虫そのものです!

 到頭ガズンさんは、昏い森の歪に侵されて、芋虫に成ってしまったのです――


 ――なんて言っている場合では有りませんね。


「ああ、もうっ!」


 随分人を心配させながら、暢気な三人には思うところも有ったのですけど、まさか本当にこんな突拍子も無い行動に出るとは思いませんでした。

 私が『隠蔽』を掛けていると言っても限度が有るというのに、それを吹き飛ばす様な気合いを入れたり、デリラの街の街壁でさえ打ち砕きそうな大蜥蜴に、真っ正面から突撃したり。

 もしかしたらガズンさんならそんな大蜥蜴の一撃でさえ撥ね飛ばすのかも知れませんけれど、ここまで逃げて来ていた様子を鑑みると、とてもそうは思えないのです。


 ……ガズンさんがおかしくなったのは、金色の特別製回復薬の仕業なんて、ひやりとする可能性も有るのですけれど。


 何にしても放っては置けません。

 それ以上に、先程まで歪みで雁字搦めか微塵切りかという状態だったのですから、ただ動くだけでも心配してしまうのです。


 ガズンさんが向かうのは、とんでもなく大きな大蜥蜴……いえ、背中に有る僅かな二つの突起を翼の痕跡と思えば、これはきっと竜、いえ竜を模した鬼……毛虫、ですね。頭に鋭い角が有ります。

 最早毛なんて生えていませんけれど、命名竜毛虫、なのです。


 正直、一目見た時から、これを相手にする事には怯えが走る化け物だというのに、突進していくガズンさんの気が知れません。私なんて、意識を逸らして見ない様にしていたくらいの怪物なのです。


 頭の高さは黒毛虫と同じくらいですが、蜥蜴な体でそれということは、体全体で見るとどうにも手が出せない巨体です。首の太さ一つ取っても、あれは大毛虫の両腕も回らないのではないでしょうか? ちょっと分かりませんけれど、通常の毛虫殺しでは浅い傷しか付けられないのは確実です。瑠璃色狼を使ったところで、どうやっても半分も届かないでしょう。

 最近憶えた毛虫殺しの奥の手、取り込んだ魔物の鉄を使った大剣化なら、いいところを行くかも知れませんけれど。


 長さは足りても只の剣ではどうにもなりそうに無いのが、ごつごつと硬そうに見えるその皮です。黒岩豚が軟らかく見えそうな程に、見た目からして硬そうです。

 実際、辺りの木々を薙ぎ倒してびくともしないのですから、確かにとても硬いに違い有りません。

 黒い魔力を濃く纏っているので、黒色にも見えますけれど、角以外は黒褐色に時々色が抜けた様な枯草色の筋が混じります。黒い魔力に溢れた昏い森の中で、待ち構えるは黒褐色の竜毛虫。まさしく小山に突撃する気分です。


 真昼の光の下でなら、森の中でも十数秒で辿り着く距離ですから、ガズンさんを追い掛けながらでは引き留める事は出来ません。

 追い掛け始めて直ぐに行く手の木の枝に魔力の手を伸ばし、跳躍と共に体を引き上げての跳躍行で、樹上からの先回りです。


 足下ではガズンさんが、ぎらぎらとした笑みを浮かべながら、吠える様な笑い声を上げて走り抜けています。只でさえきらきら気炎で光っていたのが、一段と輝きを溢れさせたりしながら。

 でも、背負うのは頑丈なだけの大剣だと聞いています。毛虫殺しの様に黒い炎を噴き上げたりだとか、そんな力を持っているとは聞いていません。

 もしかしたら、ドルムさんが気の塊を飛ばした様に、斬撃も飛ばせるのかも知れませんけれど、今のガズンさんは体中を歪みで切り裂かれた状態に等しいのに、真面に気を操れるかは出た所勝負になってしまいます。

 やっぱりガズンさんには任せられません。今は安静にする時期なのです。


 だから、頼みの綱は私が手にする毛虫殺しだけなのです。

 毛虫の魔石をぎ込んだだけでは無く、昏い森の黒い魔力も魔石擬きにして打ち込んだこの毛虫殺しなら、黒い魔力を纏う竜毛虫をも斬り裂く事が出来るかも知れません。

 吸収した魔物の鉄で刀身を伸ばせる毛虫殺しなら、あの太い首も突き通せるかも知れません。

 何より格上の大物の攻略法は、死角からの急所狙いしか無いでしょう。真正面からの攻略が物を言うのは、既に見付けられてしまった同格相手くらいで、格上相手に通用するとは考えない方がいいのです。

 何故なら、魔物達だって、魔術も使えば“気”も使うのですから。


 ガズンさんの上空を擦り抜ける様に追い越して、更に高度を上げながら竜毛虫が暴れて作り上げた広場の上空へと飛び出します。

 そこにはもう魔力の腕で掴む枝も在りませんけれど、サッと伸ばした魔力を竜毛虫の上空で宙に固定して、魔力の腕でぶら下がったままぐるんと勢い回り込めば、目指す首裏は目の前です。

 確り念じて毛虫殺しに討伐の流れを説明すれば、ずっと不安気に右往左往する様子を見せていた毛虫殺しが、ぐっと覚悟を決めるのを感じました。

 ……もしかすると、毛虫殺しに生まれ変わる前の毛虫素材からしてみると、この竜毛虫は逆らえない大ボスの様なものなのかも知れませんね。


 細かな制御で姿勢を整えて、宙に固定した魔力の腕をほどいてみれば、後は竜毛虫の首へと向かって飛び込むだけ。

 竜毛虫の首に両足が着くと同時に魔力の腕を竜毛虫に絡めて確りと体を固定して、勢いの儘に毛虫殺しを振り下ろします。

 振り下ろした勢いで毛虫殺しはぐきょんと刀身を伸ばし、表皮に触れた所でガツンと一つ、“気”と魔力を全開にしてざりざりと刃を押し込み中程に到った所で、も一つガツンと衝撃を残して、毛虫殺しの刃は振り抜かれたのです。


 ふぅ~~っと、大きく息を吐きます。

 はぁ~~っと、思い切り息を吸い込みます。

 また、ふぅ~~っと、息を吐き出します。

 毛虫殺しで斬り抜いた先の竜毛虫の頭が、ガクンと一段ずれ落ちました。


 これは大きな前進です。

 相性というのも在るのでしょうけれど、今迄出会った毛虫共には、身を脅かす脅威というものを感じて来ませんでした。

 ですが、流石にこの竜毛虫は大きな壁だったのだと思うのです。

 結果を見れば一撃ですけど、その一撃が失敗していたなら、竜毛虫は暴れに暴れて私なんて一溜まりも無かったに違い有りません。

 大木を切り倒すような手応えを残したこの一撃は、命の掛かった一撃だったのです。


 『隠蔽』が働いているから、冒険者の初めの試練と言われる小鬼ゴブリン討伐も、何時の間にか毛虫退治程度の気持ちで終わらせてしまっていました。

 その次に出会った歪豚オークだって芋虫ですし、大鬼オーガだって大毛虫です。

 黒大鬼くろオーガにはハッとさせられましたが、斃してみれば他と何も変わりありません。

 そこへ出て来た竜毛虫。嘗て無い緊張を強いられる一戦でした。

 そうです。この竜毛虫が私にとっての小鬼ゴブリンなんですよ――


 ――って、そう喩えるともの凄くしょぼい感じになってしまいますね。

 違います、竜毛虫ですよ竜毛虫!


 奇しくも地響きを立てて大地に落ちた竜毛虫の首の向こうで、ガズンさんが私の方を見上げています。

 そう、ここは勝ち鬨を上げる時なのですよ!


「竜毛虫! 仕留めました!!」


 む、いささか喜びが足りない様に感じます。

 やり直しでしょうか?

 いえ、それは冗長というものですね。嬉しいなら舞い上がるというのですから、ここは喜びの踊りを踊る場面に違い有りません。


 そうと決まれば、ぴょんと跳んで、くるっと回って――

 むぅ、大剣化した毛虫殺しを手にしたままだと、ただ跳んで回るのも一苦労です。

 もっと大剣も自然な感じで――こう、ですかね?

 おお! 今の動きは良かったような気がしますよ!?

 くるりと回る時には大剣は体に引き付けて、回り終わりにその勢いを乗せて大剣を振り切ります。その振り切った勢いを、また大剣を体に引き付けることで回転の勢いに変えて、くるりくるり。

 何だか楽しくなってきました!


「冒険です! 冒険なのですよ!!」


 叫んで放り上げた毛虫殺しを掴み取り様に三連撃。くるんと宙返りで逆立ち状態から足下を払う回転斬り。

 そう言えば、世の中には投げると手元に帰ってくる飛剣という物も有るそうです。魔物の鉄で姿を自在に変えられる毛虫殺しなら、そんな特殊な形も憶えさせてもいいかも知れません。

 そんな事を考えながら、くるくる毛虫殺しを放り上げて、最後に跳び上がって逆手に掴んだなら、柄元近くまでざくりと竜毛虫の首元に突き刺しました。

 きっと上級な魔物のこと、上質な魔物の鉄がたっぷり手に入るに違い有りません。


 そんな事をしているところに、ガズンさんの声が掛かります。


「おーい、じーさん、降りてこんかね?」


 竜毛虫の肩口から覗き見て、手招きするガズンさんに誘われて地上へと飛び降ります。

 苦笑を浮かべているガズンさんですが、今はいつも通りのガズンさんに見えました。


「正気には戻りましたか?」


 そんな問い掛けに、益々苦笑を深めるガズンさんです。


「ああ~、酷ぇなぁ。ま、あんがとよ、助かったわ」


 軽い口調で話すガズンさんですが、目の色は真剣です。

 少し照れて体を揺すっていたら、ガズンさんまで照れた様に目を逸らします。

 何でしょうね? この変な間は?


「おっと! あいつらを置いて来ちまったか。こりゃ正気じゃ無いと言われても仕方がねぇ」


 そう言って踵を返しましたので、私もそれに付いて行く事にしました。


「それにしても、一月にもならないのに、毛虫退治はどうしたのかねぇ?」


 そんな言葉を溢していましたので、ここ最近判明した事実をガズンさんの後ろから教えたのです。


「毛虫だと思ったら、小鬼ゴブリンだったのですよ。吃驚ですね!」


 「うおっ」と仰け反るガズンさんですが、振り返って今度は口を開けて立ち止まります。

 私はそんなガズンさんの周りを、勢いの儘にぶらんぶらんと揺れるのでした。

 ガズンさんには慣れた昏い森の道かも知れませんが、歩いて進むのなら兎も角、まだまだ駆け足には不安が残ります。また吸血樹を踏み抜くのは御免なのですよ。


「おい、それはどうやってるんだ?」

「?? 魔力の腕で木の枝にぶら下がっているのですよ?」

「…………魔力……そうか、魔力、かぁ…………」


 ガズンさんは、何処か呆れた様な諦めた様な様子で溜め息を吐くと、再び足を進めました。

 何とも失礼なのですよ!?


 ダニールさんとククさんとはそれ程離れても居ませんでしたので、直ぐに辿り着く事が出来ました。

 ですが其処に居たのは、気を失って倒れたククさんと、そのククさんを抱きかかえて幸せそうに笑っているダニールさんだったのです。


「あー、妖精さん、戻って来たんだねぇ?」


 御免なさい。ちょっと何を言っているのか分かりません。


「おい、本当にあの回復薬におかしな物は入っていないんだろうな? 言っちゃあ悪いが、俺も意識が吹っ飛んだぞ?」

「入っていないですよ! ダニールさんが飲んだのは街で売っている回復薬ですし、ククさんが飲んだのもマール草で作った上級傷薬を回復薬にした物なのでおかしな物は入っていません!」

「じゃあ、何だよこれは!?」

「……そう言えば、お腹が空いたと言っていましたね」

「はぁ?」

「もぅ! ガズンさんの飲んだ特別製は黄蜂蜜入りだったのですよ!」


 余裕を無くしたガズンさんと会話しながら、二人の口元に黄蜂蜜を垂らします。

 気を失ったままのククさんでも、黄蜂蜜を口の中に垂らし込めば、舌で探って飲み込んでくれるのには一安心です。

 あどけない表情を浮かべながら、口を開けて待つダニールさんは、何だか怖いです。


「ダニールさんがおかしいのは、見付けた時からですよ? ……歪化の兆しかと思って怖かったのですけれど、ダニールさんにはそんなに歪も喰い込んでいなかったですし、一番酷かったガズンさんも竜毛虫を斃したら正気に戻ったので大丈夫かと思ったのですけれど……」

「待て! 歪化だと!?」

「回復薬を渡す前からダニールさんはご機嫌ですし、暢気にお腹が空いたとか言い出しますし、ガズンさんは突進するし、丸で歪豚オークそのもので怖かったですよ? ……一度昏い森を出て休憩しないと、何とも言えません」


 簡単に昏い森を出ると言った私に、ガズンさんは目を白黒させていましたので、木の上が昏い領域の外に出ている事には気が付いていなかったのでしょう。

 ククさんから魔力の腕で掴んで梢の先まで運び上げては落ちないように縛り付け、無邪気にはしゃぐダニールさんに背筋を冷しながらも同じく運び、最後にガズンさんをぎりぎり昏くない大枝の上に運び上げた時には、呆然とした表情で周囲の景色を見渡していました。


 そのまま木の枝の上で、大猪鹿の乾肉を戻した薬膳スープを作ります。幾ら何でも黄蜂蜜だけでは力が出る訳が有りません。薬草も黄蜂蜜もたっぷり入れた、特別製なのです。

 そんなスープを目を覚ましたククさん含めて配り終わると、再び地上に降りて竜毛虫の下へ。

 大猪鹿と同じく時間が経てば散失してしまう素材が有るかも知れませんので、今の内に当りを付けておくのです。


 そしてそこは流石の竜毛虫。体の至る所に魔石の反応が有りました。

 今この時も散り散りになろうとする魔力の気配は感じませんので、処理は明日でも良さそうと考えたなら、今日はもう引き上げです。

 ガズンさん達のいる木に登ると、縄を解いたククさんがガズンさんの近くの枝に移って会話していました。


「――つーか、竜鬼ドラグオーガが一撃ってな」

「…………ふぅ……幾ら何でも、信じられんぜ」

「俺だって、目の前で見てなければ信じられんさ。そもそも何時の間に先回りしたんだかな――」


 ダニールさんは既に毛布を被せられて、括り付けられながら眠っているようです。

 明日にはダニールさんも正気に戻っていたらいいのですけれど……。


「ガズンさん、ククさん、調子はどうですか?」

「お! じーさんか。いや、恩人にもうじーさんとは言えねぇな、ディじーさんだな!」

「嗚呼、ディジーさん助かったぜ。正直覚悟していたからな。命の恩人だ」


 そう言われると照れ臭いのですけれど、ガズンさんは何となくイントネーションが違います。


「ディジーでいいですよ? まだお腹が空いているなら追加の乾肉どうぞなのです!」


 ええ、今日はお世話さんのディジーさんなのです。


「おお、あの肉はえらい旨かった」

「空きっ腹には何でも美味いが、それにしても美味かったぜ」

「特別も特別、幻の大猪鹿の乾肉ですよ?」


 既に乾肉を一切れ渡したククさんは、動揺して折角の乾肉を落としそうになり、今渡している最中だったガズンさんは、横を向いて咳き込みました。


「何処で手に入れた!?」

「雄大な森に感動してですね、がおーと吠えていたら空から雷が落ちてきて、気が付けばふらふらになった大猪鹿がいたので狩りました!」

「…………値段を考えると、怖ろしいぜ」


 大猪鹿素材は、湖にいた髭の小父さんを護衛に、スカラタ運送さんに任せたと言うと、納得したかの様に二人は頷きました。


「ゾーラバダムかね? まぁ、順当だな」

「おっさんの焦った顔が目に浮かぶ様だぜ」


 雑談を終えたら、ガズンさん達が鈴生りの木から別の木に移ってお休みです。

 丁度太陽も沈んで空が暗くなってきていますので、いい頃合いです。


「お休みなさい!」

「ああ、お休み」

「ここじゃ見張りも意味ねぇか。お休み、だな」


 ガズンさん達に声を掛けて、私も木の股に体を納めました。

 森犬寝袋に着替える余裕は有りませんけど、そこはまぁ仕方が有りません。

 冒険者として森へ赴く様になって三十二日目、今回の探索では九日目のそんな日は、こんな風にガズンさん達を無事発見して終わりを告げたのでした。

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