(96)恥ずか死にます。
『教養』の試験は呆気無く終わりました。
予想外だった事と言えば、試験の間、教本を出していても良かった事でしょうか。
それでは落ちる筈も無いと思っていたのですけれど、午前中に実施した試験の採点を待つ間、獣人達は泣き叫ぶ勢いで悲嘆に暮れていたのです。
「うぜぇ! 結果が出る前に喚くぐらいなら復習しろ!」
バルトさんが半切れしてからは、白板を使って私達も答え合わせです。それが功を奏しました。
午後になって、採点された答案用紙を手に戻って来たクロ先生。答案を返却して、今後の予定を説明して、その後さらりと言ったのです。
「再試験者六名は半刻後に試験開始するぞ」
――と。
後で聞いた話ですが、『教養』の試験には再試験可能な点数が定められていて、当日予告無しの再試験を含めて予定通りの対応だったのだとか。
言われずとも見直して間違いを正すならば、充分に合格の資格は有る。そんな考えなのだそうです。
六人の不合格者は全て獣人達でしたけれど、更に明暗が分かれました。
バルトさん声掛けの自己採点に真面目に取り組んだ三人は再試験で合格して、自己採点している間も魂が抜けた様に呆けていた三人が再びの不合格です。
絶望を顔に張り付けた三人に言い渡す、レヒカの言葉が秀逸でした。
「気を付けっ!! 一度上手く行かなかったからって、その後の作戦会議を聞き流すのはどういう事かな? 本当なら懲罰房行きだよ! 取り残された三人の、次の任務はとっとと作戦を遂行して合流する事! 今度馬鹿をしたら除隊物だよ!!」
試験を作戦に譬えれば、漸く三人の目付きが変わりました。同時にやらかした事に今更ながら背筋を寒くしている様ですけれどね。
それにしてもこの三人、ドルムさん並みに大きな一人と、私より少し大きい位の小さな一人と、その中間の一人です。
これが物語なら三馬鹿だとか名付けられてしまいそうな三人衆で、ちょっと笑ってしまいそうになったのは秘密です。
まぁ、いつまでも合流出来ないままだと笑ってもいられないでしょうけれど、レヒカの号令を受けての雰囲気を見ると、何となく大丈夫な様に思ったのですよ。
そんな試験の次の日です。
早朝、私は濃い緑色のシンプルなドレスを着て、待ち合わせ場所にしていた女子寮の玄関ホールへ来ていました。
スノワリンから、劇場に行こうと誘われていたのです。
劇場へ行くのですから、当然装いもそれなりと、褒賞で戴いた布で拵えたドレスです。
髪もちょっと編み込んで、いつもよりお洒落に纏めました。
ふんわり帽子も欲しい所ですけれど、まぁそこまではいいでしょう。
「ディジー、お早う! 今日モ決めてるネ!」
そういうつもりは無かったのですけれど、どうも私は着道楽に思われている様な気がします。
その場に合った装いをしているだけのつもりなんですけどね。
それに、スノワリンだって人の事は言えません。
「そう言うスノウも格好いいですよ? 異国の騎士服にも見えますね」
「向こウの大学校の制服ナの。一応式典にモ出られる服だかラ」
そしてもう一人駆け下りてきたレヒカが着ているのは、それこそラゼリア王国の騎士服です。
「オハヨ! 皆早いね! 朝ご飯はまだだけど、お出掛けする準備はばっちりだよ!」
スノワリンの服は、仕立ては上等ですが素材は普通です。青と白を基調にした出で立ちに、下は可憐なスカート姿です。
レヒカの騎士服は、しっかりした造りながら灰色を基調とした普通の服に見えて、その実下手な革鎧よりも丈夫な実用品です。スカートでは無くズボンなのも、実戦を考えての事なのでしょう。
こうして見ると、成る程スノワリンの居た中央山脈の東部というのは、魔物の脅威が無い平和な土地だったのでしょうね。
「今日の朝ご飯は王都のパンを食べに行こうよ! 何回食べても美味しいんだよ!」
「ほうほう……結局まだ食べていませんから、それがいいかも知れませんね」
「ま、街に行クのは、猫さんに乗って行きたいナ!」
女子寮の前まで出ると、レヒカもスノワリンも何処か興奮気味でした。
まぁレヒカはいつも元気一杯なので、スノワリンですね。どうも、私の巨大猫の幻を見てから、ずっとその背中に乗る機会を窺っていた様子です。
突っ撥ねる意味も無いですからと、ぐぐっと地面の中から巨大猫を攀じ上らせますけれど、今日の猫は青色です。華やかに行きましょう♪
「わ、わ、わぁー…………あレ?」
「生き物に乗ってる感じがしないんだよ?」
青猫の尻尾に巻き付かれて、猫の背中へと導かれたスノワリンとレヒカですけれど、どうにも納得が行っていない表情です。
猫の背中に手を這わせて、その感触に理解が出来ないでいる様子ですが――
「当然です。幻なのですから。周りからの見た目は、羨まし過ぎるもふもふなんですけどね」
――と、まぁ、真相を知れば至極当然の事なのです。
ええ、そんなもふもふ、幾ら何でも魔力の手では創れません。
はー……と、呆けた二人の視線に晒されながら、学院の門も跳び越えて、わ~っと集まる子供達をあしらいながら、商業区画へと向かいます。
名残惜しそうに踵を返す子供達を後ろに、途中で買った王都のパンを囓りながら、商業区画の中程で東側へと切れ込んだ横道へと入りました。
其処からは立て札の案内に従っ……いえ、ちょっと待って下さいよ?
「あの、今日の演劇の題目って何ですか?」
「ふふ~♪ 秘密なんだよ!」
「行ってみてのお楽しみだネ!」
そうは言っても、立て札が並んでいるのです。
恐いもの見たさな気持ちで猫を操り、いつか上空から見た劇場に辿り着けば、其処には絵付きの大きな看板が立てられていました。
『デリリア領に生まれし若き英雄! “毛虫殺しの英雄譚” 興行を延長して大人気上演中!!』
おお、おおお!? 誰ですかね、絵に描かれたすらっとした赤髪の女の人は? それより何より、その隣に立つこれもすらっとした男の人は誰ですかね!?
いえいえ、ちゃんと私はディジーリアと名乗っているのに、ちょっと反応が薄過ぎませんかねと思ったりはしましたよ? でも、これはちょっと予想外です。私の目の前に現れた看板と、私自身の間には、赤い髪という以外に共通項が有りません。
見てはいけない様な、見るのが怖い様な。得体が知れないというのがこんなに私の中を掻き乱す物とは思いませんでした。
ですが無情にも尻込みする私を置いて、猫から飛び降りたレヒカが受け付けの人に纏めて半券を渡してしまいます。
スノワリンもレヒカに倣って飛び降りてしまいました。
私も猫を地面に潜らせる様にして、降り立ちます。もう覚悟を決めるしか有りません。
「お嬢様も、本日は是非ともお楽しみ下さいませ」
……そう言えば、今の私は騎士服っぽいスノワリンと、騎士服のレヒカを連れた、ドレスの少女です。
何だか護衛を引き連れたお嬢様みたいですねと、そんな事を今更の様に考えたのでした。
上空から見た劇場は、放射状の丸い青屋根が綺麗な建物でした。
地上から訪れてみれば、クアドラ石の落ち着いた灰色の建物です。
円柱と円柱の間を隙間無く壁が埋め、昔から劇場に使われていたのか壁に刻まれた
剣と槍の大勝負に、怪物との戦い。……いえ、もしかしたら劇場では無く、こここそが奴隷剣闘士の闘技場だったのかも知れませんね。
そんな劇場に大きく開いた入り口から、一歩その中へ足を踏み入れると、壁の一つ内側は結構幅広い回廊です。外とは違って、見える範囲に何体もの彫像が立ち並び、壁際には小物を売る出店まで軒を連ねています。
そして、結構朝早いというのに、眺めているだけでも軽く二桁の人が店を覗いて歩いています。
そんな人達の装いは、やっぱり正装に近い感じです。ドレスの人も多く居て、私もすんなり溶け込めそうです。
「やっぱり上流階級の人が多いのでしょうかね」
「ウん……着熟しに違和感が無いヨ」
「おお! じゃ、私達はお嬢様の護衛だね!」
こそこそと会話しながら、どうやらレヒカが私が思っていたのと似た様な事を言うのを聞きつつ、私達は一丸となって奥へと向かいます。
回廊はしんと静まり返っています。上品な人達は皆物静かなのでしょうかとも思ったのですけれど、どうもそんな感じでも有りません。
見回してみれば、私の足音がしないのはいつもの事ですが、どんな素材の板張りなのか他の人の足音も聞こえません。
態と足音を立てる様に床を蹴ってみましたけれど、聞こえるのは靴側で鳴っている様な鈍い音と、衣擦れの音ばかりです。
不思議な素材も有ったものですよ。
因みに、見回した弾みで出店の一つに目を向けてしまいましたが、直ぐ様その目を戻しています。
ちらりと一瞬見えたのは、私が作っていた毛虫ぐるみに良く似た何かです。
駄目ですよ、こんな所でねたばれは。
そんな気持ちで、魔力で探るのも程々に目を背けていると、スノワリンとレヒカが不思議そうに声を掛けてきたのです。
「ディジー、何を見ているノ?」
「凄く強そうな剣士なんだよ!」
おや? ……どうやら逸らしたつもりの目が、偶然立ち並ぶ彫像の一体を正面に捉えていたみたいですね。
大きな像です。昏い森の
えー……『剣王』? えっ!? もしかして、最後の剣闘奴隷の『剣王』ですか!?
「こ、これは『剣王』の像ですよ!? 奴隷剣闘の覇者で、剣闘奴隷解放の立て役者ですよ! やっぱりここは闘技場だったのですよ! それにしても、おっきな人だったんですねぇ~」
ちょっと驚倒も顕わに興奮してしまいましたら、直ぐ近くに居た紳士がぶふっと吹き出してしまいました。
「――くっ、失礼。いやいやお嬢さん、流石にこの像は等身大では無いよ。それにしても剣王と聞いて直ぐに思い至るとは、中々歴史に興味が有る様だ」
と、気軽に声を掛けてきてくれましたのですけれど、丁度その時、館内に仕掛けられていたベルがリンリンリンと鳴り渡ったのです。
「おや? もう始まる様だね。もう少しお喋りをしたかったが……。東ム坂通りで古物商をしているハルガレンだ。機会が有れば大いに語り合おう。お嬢さん達も急ぎ賜え。直ぐに始まるからね。――そうそう、お嬢さんのお名前を聞いてもいいかな?」
「ディジーリアですよ?」
「はっはっはっ! それはいい!」
そんなハルガレンさんが向かうのに続いて、私達も回廊から更に内側へと向かう扉を
「おお!? 明るいねぇ?」
「天井が、硝子ナの?」
「青屋根に見えましたけれど……?」
思わず三者三様に呟いてしまいましたけれど、其処は丸で中庭にでも入り込んだかの様に、明るい自然の光が降り注いでいました。
光源は天井です。
薄く空が透けて見えますけれど、差し込む光は曇り空程度でしょうか。
なんて、ちょっと三人で見上げてしまっていたのですけれど、その天井が雲が懸かった訳でも無いのに、どんどん暗くなるのを見て、慌てて足を進めました。
あれはきっと光石の様な、何か仕組みの有る天井に違い有りません。
舞台の有るこの空間は、闘技場と思ったそのままに真ん中へ行く程擂り鉢状に掘り込まれていて、全周に観客が入れば恐らく千人位は余裕で入るのでしょう。
ですが、今は中央に舞台が作られて、解放されている観客席は舞台の正面の扇形部分だけです。
恐らく二百席少し。それ程多くの席が設けられていなかった事から、幸いな事に私達の席は直ぐに見付かりました。
でも、殆どの席が埋まっています。二割程の空きも、私達の後から入ってくる人で埋まるのでしょう。
「ぎりぎりだったねぇ~」
「朝は余裕を持っテ出て来たのに……」
「子供が纏わり付いてきて危ないからと、ゆっくり進ませ過ぎましたかねぇ」
丁度ほぼ正面の真ん中辺り。擂り鉢が立ち上がる辺りに私達の席が有りましたので、前の人の頭に邪魔される事も有りません。
屋外公演なら、気配を消して、引っ掛け魔力で宙に浮いての観劇なんて事もしたかも知れませんけれど、ちょっとこれは有り難いですね。
そんな気持ちで待っていましたら、右隣に座ったスノワリンから聞かれました。
「ねぇディジー、さっきの『剣王』っテ何?」
「聞いた事は有るんだよ? でも、良くは知らないんだよ」
左隣に座るレヒカも、王都出身で無いからか首を傾げています。
まだ時間も有りそうですし、ここはそれこそ私の教養が試される場面かも知れません。
何と言っても、冒険者にこそ係わり深い出来事なのですから。
「そうですね。『剣王』について話す前に、まずは背景の説明からですかね。
学院の入学試験を受けてきたのですから、五十年以上前の王国の状況は御存知と思いますけれど、王国には度々民衆を食い物にする腐敗した貴族達がのさばるのですよ。
百何十年か前もそんな状況で多くの貴族が粛清されたと聞くのに、歴史は繰り返すのか五十年程前にもそんな腐敗した貴族達が勢いを盛り返していたのです。
そんな貴族の楽しみの為だけに、嵌められたり騙されたり大した罪でも無いのに剣闘奴隷に落とされた者達が集められていたのが、恐らくはこの劇場、いえ、当時の闘技場だったのです。
その闘技場で覇者の座に着いていたのが剣王ですね。
他の剣闘奴隷とは隔絶した強さで、譬え彼を疎んじた貴族に剣を細工されて折られようとも、決して斃れる事無く圧倒する実力の持ち主でした。
貴族とは一切口を利かず、それ故に唖者と思われていた剣王でしたが、その実かの宿敵たるドーン巨人族と戦いしグラニム古洞の隠棲竜が如く、闘技場での蹂躙する有り様ですら実力を隠した大仰な見せ技。言葉を喋れない力だけの覇者というその姿自体が偽りで、何れ反旗を翻す時の為に剣闘奴隷仲間を護りながら機会を待つ知者でも有りました。
剣闘奴隷というのは、昔の戦争では使い捨ての歩兵として用兵されたらしいですからね。恐らくは戦場での隙を突いて、少しずつ逃がしていくつもりだったのかも知れません。
ですが、そんな状況にも変化が生じます。
享楽に耽る先王を排して、今のガルディアラス王が玉座に着いたのです。
とは言っても、今でこそ磐石の体制を敷いている王様ですが、当時は信頼する仲間も少なく、権謀術数を巡らせて知略によって物事を進めなければならなかったそうです。
何と言っても、冒険者でもパーティを組めばランクの二つ程度の差は埋められると言うのですから、譬え相手が格下でも、数百倍の戦力差が有れば慎重になるのは当然です。
そしてまた、そんな王様が奴隷剣闘の覇者たる剣王と接触を図るのも、必然だったのでしょう。
結果として、王様は腐敗した貴族達を煽りに煽って罠に掛け、王様の援助を受けた剣闘奴隷達との会戦の場が設けられる事になりました。そして剣王率いる剣闘奴隷達が、見事一人の脱落者を出す事も無く腐敗貴族達の一軍を打ち破ったのです。
剣闘奴隷達は王様との約束の通りに解放され、褒美を与えられて各地へと散っていきました。一説には生まれからして剣闘奴隷だったという剣王も、初めての外の世界へと旅立って行ったと言われています。
その時恃みとしたのが冒険者協会です。
血の粛清王により百数十年前には託宣教会から転身した冒険者協会ですが、元が清貧を旨とする託宣教会でしたから、驕奢に耽り追放された教会に成り代われと言われても、やはり細々と自ら菜園を耕す様な生活をしていました。
まぁ、毒にも薬にもならない感じですね。教会の影響を排したい血の粛清王の頃にはそれで良かったのですけれど、説法をする訳でも無く、街の住人から頼まれ事をしても報酬はお金では無く物でと極端で、名を与えられていながら当時から良い言い方で冒険者と呼ばれていた根無し草の助けにもなってませんでした。そんな存在に、今の王様が梃入れしたのです。
恐らく剣闘奴隷が解放された後の事を見越していたのだろうとは思います。折角の互助組織と期待していた物なのに、自ら口にしている託宣に従うとの教義ともまた違う、引き籠もり閉じ籠もりの生活をしていたのですから。丸で剣闘奴隷の解放に合わせたかの様に、事前に王都で教育された職員が派遣され、託宣教会の思想を或る程度引き継ぎつつも全く新しい組織として、冒険者協会は再出発しました。その活動を支えたのが解放された剣闘奴隷達でしたので、冒険者協会と剣闘奴隷、そして剣王は、切っても切れない関係なのですよ」
「へぇ~……初めて知ったんだよ!」
「それジャ、こちら側でモ特級の超越者と言うのは、最近になるまでそんなに居なカったんだ」
「どうでしょうね。剣王も強かったとは言っても、特級ならば剣の一振りで観客席の貴族を皆殺しにも出来そうですから、恐らく上級止まりだとは思うのですけどね。多分王様の部下はその頃から特級だったのだと思うのですよ。今より数は少なかったでしょうけれど、居る所には居たのだと思いますよ?」
そんな話をしている間にも、またベルが鳴り響き、観客席は闇に閉ざされました。
どうも私達の話に耳を澄ませていたらしい周りの人達も、その注意を舞台の方へと戻した様です。顔までこちらに向けていた人も、うんうん頷きながら顔を正面に戻していました。
そして、舞台の袖から出てくる恰幅のいい紳士。調子が良さそうな感じでご機嫌です。
彼の周りだけ光に照らされた、そんな紳士の語り出し。
「紳士淑女の皆々様。王都ハリウコス劇団の団長ハリウコスでございます。これよりお目にお掛け致しますのは、去る春の日に遥か南の果てはデリリア領での氾濫討伐の物語。王都のオークションに祝福の獣を齎した、若き英雄ディジーリアの真実を、皆々様へお伝えするものでございます。どうぞ瞬きもお控えに、存分にお楽しみお願い申し上げます」
真実だなんて言ってしまって大丈夫ですかねぇ、とも思いながら、ほぅほぅと、頷く私です。
まぁ、コルリスの酒場で冒険譚を披露していた私ですから、王都という本場での上演に興味が無い筈が有りません。
更に言うなら、ここは冒険者が今の冒険者となった発祥の地の様な物。そこで私の物語が公演されるというのは、気恥ずかしくも名誉な様な気がします。
名誉栄達なんて冒険者には無用の物と思っていましたけれど、こういう名誉なら誇りに思っても良いのでは無いでしょうか。
ええ、ここはもう御手並拝見と開き直って、私も楽しむ事にするのですよ!
そして舞台の袖の演台が光で照らされ、現れた弁士らしき人が背景を語り始めます。
更に、まだ暗い舞台の上に鎧を着た騎士らしき人物が現れましたね。槍を構えて立っています。
そして舞台が光で満たされました。
舞台の後ろに立てられた板には、城門の風景が映し出されています。どうやら薄い紙か何かに後ろから光を当てているみたいですね。
これで分かりました。これ、私が南門から昏い森へ薬草採取に行く場面では無いですかね?
となると、どうやら私の初公演では無く、生誕祭で皆と演じた方を元にしているのでしょうか。
だとすれば、そろそろ登場する筈です!
そう思ったそのままに、舞台の左袖からすらりとした美人さんが現れました。まぁ、看板の絵を見ていましたから、覚悟はしていましたよ? 会場でも拍手が起こって盛り上がってますので、人気の役者さんなのでしょうけれど、これでは誰も私に気が付かない訳ですよ。
でも、そんな微妙な気持ちも、次の瞬間には吹き飛んでしまいました。
『今日は何処だい?』
そう問い掛ける門番へと、さらりと返すその仕草。
『何時もの所さぁ』
か、か、格好いいですよ!!
柔らかく浮かべた微笑み。物憂げな表情。それでいて背筋はぴんと姿勢良く。
私の目指した理想が其処に居たのです。
でも、そんな興奮も長くは続かなかったのですけれどね。
~※~※~※~
日付が五の倍数となる日は、世の中では多くの者が休みとしている。
それに囚われないのが冒険者だが、休養日とした次の日が五の倍数だったりすると、休みを一日延ばそうかと考える程には、五休の考えは冒険者にも浸透していた。
それ故に、普段よりも多くの冒険者が協会の中に屯するのを見て、デリラ支部長のオルドロスは呆れた様に首を振った。休みの日に遊びに行く先が冒険者協会でいいのかと。
そんな事を考えている時に、ディジーリアから預けられたノッカーが鳴ったのだ。
『リリ……リン……リ……リン』
途切れ途切れのベルの音に、オルドロスは訝しげに眉を寄せる。
このベルの音も、実際にはディジーリアが鳴らしている音だと知っている故に。
「どうした?」
『オ……オルドさん、ちょっ……と上手く話せ、無い、ので……手元に! ノッカーを寄せ、て……貰えませんか!』
いつもとは違う様子に、心配する気持ちを高めながらも、オルドロスは壁に掛けられたノッカーを手に取った。
すると、いつもとは違って板の様な幻が立ち上がる。
水盤の様に揺らめく幻は、ディジーリアが本調子では無い事を思わせ、オルドロスは益々何事かとの想いを強くする。
しかし、揺らめきが落ち着いてきた幻に移るのは、思いも寄らない光景だった。
『――ぐふふふふ、魔物の森に棲むならば毛虫にも魔石が有るは必然なり!! 為損のうたな、ディジーリア!』
どうにも舞台らしき場所で一喝したのは、太ましいと言うのも追い付かない、ボールの様な男……いや、女? どっちだ!?
そうオルドロスが悩んでいる内にも、場面は流れようとして、弁者の解説が――
『大女御リダリダにそう諭されたディジーリア、直ちに実家へ――』
「おい待て! 誰がリダリダだっ!?」
つい突っ込みを入れてしまったのは、無理も無い事だろう。
『私の、独り舞台……と、皆で演じた悪乗りの、舞台が、ごちゃ混ぜで! はちゃめちゃで、お腹が
途切れ途切れの言葉の合間に一度間が空いた時には、激しく揺れる幻の中、細身で髭の男優が真面目腐って『おっぱいおっぱい』と叫んでいた。直ぐ近くから『ぷひゅーくひゅー』と息の漏れる音が混じるのは、これはディジーリア自身の笑いを堪える音だろうか。
そんな推測を裏付ける様に、揺れる幻は激しく動き、顔を押さえる掌の指の隙間から見ている様な、V字に切れ込んだ影も見える。
「おいこら、動くな! 目を塞ぐな! そんな事をされては見ていられんぞ」
『無理を、言わないで、下さいよ! もう!』
そう喚いたディジーリアだったが、その次には幻が様相を変えた。
それまで暗闇の中で舞台だけが明るく照らされている様に見えていたのが、全てがはっきりと見える様になった。暗いのは暗いのだろうが、『夜目』や『暗視』といった技能が最大限に働いているかの様に。譬えるならば、暗闇の中に在るのでは無く、日の光の下に灰色の服を着た観客達が犇めいているかの様な、そんな視界が映し出されていた。何故かその視界は、観客席を向いて揺れ動いていたが。
その幻の中で、ディジーリアの声が響く。
『スノウ、ディラちゃんを、預かって、貰えますか? ぷひゅー……でぃ、ディラちゃんにも、舞台を見せて上げて、下さいな』
『え、え、ディジー、何処から出したの!?』
『いいから、お願い、しますっくひゅひゅ~』
幻の中の視界が、激しく動く。
唐突にその視界が、観客席で身悶えるディジーリアへと向けられた。
座席の上でぐねぐねになって涙目で身悶えているディジーリア。どうやら楽しくやっている様だ。
『もう、こちらに向けなくていいですよ。ディラちゃんの視界で私も見るので、舞台に向けて下さいな』
少し落ち着いたそのディジーリアの言葉と共に、幻も舞台の様子を映し出す。
場面は森を駆け抜け、
「……オルド、何これ?」
オルドロスはびくりと背筋を震わせた。何時の間にか、背後からリダが覗き込んでいた。
一体何処から見られていたのだろうか。
だが、訝しげに首を傾げるリダは、どうやら大女御リダリダのシーンは見ていない様子だと、ほっとオルドロスは息を吐く。
「あ、ああ。ディジーからの連絡だ。……そうだな、俺だけで見るのも何だな。皆の意見も募ろうか」
オルドロスがノッカーを手に、暇をしている冒険者達が屯する待合室へと向かったのは、王都で演じられているリダリダの姿を知った受付嬢の怒りの矛先を、分散させる狙いも有ったに違い無い。
「おい、春の氾濫に関わった奴らはちょっと集まれ」
冒険者協会の待合室に屯していた冒険者達は、オルドロスのその言葉を聞いて振り向いた。
其処ではオルドロスが、掲示物が貼られていない壁の前に机を一脚運んで、その上に見慣れない赤い宝玉の様な道具を設置している。
そしてそれが置かれた途端、壁には幻の光景が映し出され、それと共に声や音が響き渡るのだった。
「王都へ行ったディジーリアが、王都の劇場でこの前の氾濫の顛末が舞台になっているのを見付けて送って来た。お前らの意見も参考にしたいからまずは見てくれ」
そんな言葉に、何だ何だとぼやきながらも集まるのは、やはり暇を持て余していたという事だろう。
新人達に冒険者の心得を伝授していたゾイタークや、何故かその助手をしていたグディルファサ。筋肉自慢を為合っていた『一番星』達。ガズンガルは居ないが、ククラッカだけは丁度顔を見せている。
言ってみれば、氾濫に関わった主要人物が、そこそこ協会には集まっていた。
それらの前に映し出される幻は、魔石集めの途中に悲鳴を聞いたディジーリアが、花畑での諍いへと介入していくシーンへと移っていた。
ただ、それも呆気なく終わる。ディジーリアの独り舞台では無い方を元にした演出だ。名刀毛虫殺し以外の手段も用意しなければならないと、目を向けさせるだけのシーンとなっていた。
まぁ、登場人物達が現れる度に、大仰なポーズを決めて名告を上げるのは演劇として仕方が無い事だろう。オルドロスがディジーリアに悪影響が出ないかと頭を悩ませるくらいで、待合室に集まった観衆はこれが王都の公演かと感心するばかりだった。
それ故に、今はすっかり落ち着いたディジーリアの声が、幻と共に送られてくる。
『今は一見何事も有りませんが、妙な所にとんでも無い物が仕込まれていたりするので悩ましいのですよ。私が毛虫扱いしていたからと言って、出てくる
そんな言葉が響き終わった瞬間に、幻の中で『くひゅー!』と声を堪える音がした。
ディジーリアが剣を打っている間の冒険者達のシーンで、生誕祭での悪乗りが再現されていた。力を合わせて大男の幻を呼び出す冒険者に、空を飛翔する冒険者。待合室の冒険者達も、思わず吹き出す者が多数。
更に言うなら、次のシーンでディジーの独り舞台仕様のリダリダが出て来て大騒ぎ。その直ぐ後の
当然、幻の中でも『くひゅくひゅぷひゅー』と苦しい声が漏れるばかり。
既にそんな満身創痍のただ中へ、最強の刺客が放たれる。
『『むほっむほむほ♪ むほほむほっ♪』』
引き連れる二人の騎士が口遊む音頭に乗って、筋肉を見せ付ける様な妙な踊りを踊りながら、どう見ても女装した筋肉達磨が現れる。
そして歌う様に名告を上げた。
『私の♪ 名前は♪ ライ・ラリ・ア♪』
生き残っていた待合室の面々も、床に沈んだ。
オルドロスでさえ息絶えた。
幻の中で、心配した友人がディジーリアへ体を向けたのか、映し出されたディジーリアも瀕死だった。
それを見て、更に待合室でも痙攣が広がっていく。
このシーンこそ、デリラの街の冒険者にとっては
そこから後は消化試合の如く、待合室の冒険者達は満足を表情に湛えて幻の舞台を眺める事となる。
太ましいリダリダと筋肉達磨なライラ姫が、グディルファサとゾイタークになり合体演武を決めた時ばかりは当人達が騒ぎ立てたが、他の面々は穏やかな気持ちで最後まで鑑賞したのだった。
そう、物語が何故かすらりとしたディジーリアと、寧ろゾーラバダム似なガズンガルとの恋物語に仕立て上げられていた事でさえ、彼らには気にはならなかった。
『こ、これはどういう事なのでしょうかね!? ちょっと今直ぐ抗議が必要ですよ!』
舞台が終わってからもそう意気込むディジーリアが、劇場から摘まみ出されても、良い物を見たとの感慨しか抱かなかったのだ。
そう、つまりは大変に満足してしまったのである。
そんな待合室で、誰かが軽く手を叩く。
釣られる様に、他の誰かも手を叩く。
拍手はどんどん大きくなり、暫くの間冒険者協会に鳴り響くのだった。
~※~※~※~
抗議に出向いたのは客席に人が疎らになってからなのに、聞く耳持たずに追い返されてしまいました。
まぁ、抵抗しようと思えば幾らでも出来ますけれど、この場で身の上を明かす事なんて出来ません。
ちょっと恥ずかし過ぎるのですよ。
全くディジーリアと名乗っても、誰にも気付かれなかった訳です。もう、色々と言いたい事も有りますけれど、正直な話、名前さえぼやかして、デリラの出来事だとも言わずにいてくれれば、きっと心から楽しめたとは思うのですけどね。
実名を挙げなくても分かる人には分かりますし、変名を宛てていれば舞台として脚色していると言えるのですけれど、実名でしかも真実だなんて言われると抗議するしか有りません。
ええ、ステラコ爺と同じです。今頃ステラコ爺の居るというブラウ村は、ビガーブのブーランダ一家の襲撃を受けていたりするのでしょうか。
実名で騙るというのは、とても恐ろしい事なのですよ。
まぁ、だからと言って王都の公演をデリラの冒険者達に只見させて良いかと言われると微妙ですけどね。魔道具で写し取った映像を再生したのとは違って、私が見た情景を幻として再現した物ですから、それを責める法は有りませんし、そもそも真実と謳いながらも私達の許可なんて何一つ取っていない出鱈目なのですから、彼らに正当な権利は有りません。
訴えられても勝てる算段は付いているのですよ。
「それで、ディジー、どういう事なノ?」
「劇よりディジーちゃんの方が面白かったんだよ!」
とは言え、ちょっと劇団から睨まれてしまった様な気がしますので、誘ってくれたお二人には悪い事をしてしまったかも知れません。
やっぱり早い内に、解決しなければなりませんね。
「まぁ、私の地元の事ですから、登場人物は知り合いばかりですし、私の真実とか言われて出鱈目を並べ立てられれば抗議だってしたくなりますよ?」
御蔭でお腹が捩れる程笑わせて貰いましたし、ちょっと汗が凄い事になっています。
明日は筋肉痛かも知れませんね。
「じゃあ、やっぱリ今日の劇のディジーリアはディジーなノ?」
それは秘密と言えば秘密ですけど、元より東方の生まれのスノワリンに隠す事では有りません。それに、剣で私に挑んできたスノワリンには今更隠す気持ちも有りません。
そしてレヒカは……何となくですけれど、レヒカは私がそれなりに出来るというのは、分かっていた様な気がするのですよ。バルトさんと手合わせをしても余り心配していませんでしたし、その後の態度も変わりません。
何れにしても、既に級友に内緒にする理由は無いのですけれどね。
「あれが私と言われると遣る瀬無いのですが、モデルが私と言うならその通りですね。――でも、内緒ですよ? 級友の仲間達になら言っても構いませんけれど、王都に来てから侮られてばかりなので、自然と大物感を感じさせられる様になるまでは、言ってはいけない内緒なのです」
私はそう言って、指先を唇に当てるのでした。
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