(166)怒られてしまいました。

 結局、部屋の仲間達から詳しい事情を問い詰められたのは、その日の講義が全て終わった後でした。


「――ふふふ……結局詳しい事情は何も教えて貰えないのね。

 人を心配させる手管ばかり上手になられても困るわよ?」


 ちょっと嫌味なフラウさんに軽く詰られましたが、皆さんその言葉に合わせてうんうんと頷くのを見ると、どうにも私が心配ばかりさせている悪い子です。

 いえ、心配させない為にも、人形の体で出て来ているのですけどね?


「休みにした方が安心でしたかね?」

「そんな戯れは好きでは無くてよ!」

「いえ、本当に、多分思っている様なのとは違ってですね、とても気が滅入りはしますけど、危険は無いのですよ。応援の騎士様も呼びましたし、まぁ、地味に魔力の扱いに長けた極一部の特級にしか無理なお仕事ってだけですかね」


 そうで無ければ、私も疾っくに騎士様方にお任せして、王都に戻って来ています。

 ――いえ、“前の”私が騒ぐので、納得出来るまでは手伝いをしたかも知れませんけれど。


「そういう訳で、帰れる様になるまでは人形で通うしか無いのですよ。講義が終わった後も、集中したいので直ぐに上がらせて貰いますね? 何か有りましたら、ディラちゃん用のノッカーで連絡お願いしますね」


 そう言うと、随分と引き留める声が上がったのですけど、私にも私の事情が有りますから、もぞもぞとディラちゃんの巣に潜り込んで、其処に普段着ディジー人形を残して意識は学院を引き上げたのです。



 そして次の日。

 一応事情は伝えていますから、朝礼の直前にもぞもぞとディラちゃんの巣から姿を現すと、突き刺さる様な数々の視線。

 心配してくれての事とは分かりましたけど、頑張れの一言の方が嬉しいですよ?


「――今日の議題は何か有りますかね?」

「ディジーがつれないわ!」

「はい、他に話題は有りませんかね?」

「ほら!」

「話題が無ければこれで朝礼を終わりにしますよ? ――無いですね? では解散~」


 フラウさんからは可愛く睨まれてしまいますし、他の人からも苦笑いされてしまってますけど、そこにはリグニ式生活魔法で自爆してしまって以来の過保護が多分に含まれていますから、相手をしてもいられません。

 実際そんなややこしい事を考えていられる状態でも有りませんでしたし。


 それはフラウさん達も分かっていると思うのですけどね。感情が理屈を受け入れてくれない事なんて、珍しい事でも有りません。

 ただ、その微妙な空気は、思いも寄らない経緯で解消されたのです。



 冬の一月十二日。今日の講義は「刺繍」からです。

 私も自分の作品に刺繍を入れたりはしますけれど、見たままの形を取り入れる事が多いので、刺繍の図案とかそういうのの作り方を含めて気になっていました。

 お婆様の作る服にも、色の配置だけでは無くて、簡単な刺繍で見た目を引き締めたりとかしていますから、私もと思うのは当然です。

 ですから、今日の普段着ディジー人形の服装は、シンプルな白地に草花の姿を刺繍したワンピースです。

 譬え厳しい先生だったとしても、私の作品を持参してみれば、きっとその気持ちを和らげてくれると思うのですよ。


 そして、そんな講義に向かうのは、秋の講義では一緒になる機会の少なかった貴族組や侍女組の人達です。

 当然その中にはフラウさんも居て、つんとしながらも私の姿を視線で追い掛けるものですから、その肩に腰掛ければもう怒ってなんていられません。

 むずかる様にすりすりと頬摺りされて、つんつんと突き返せば仲直りです。

 まぁ、喧嘩していた訳では有りませんけどね。


 皆で一緒に部屋の直ぐ前に在る裏方用階段を上り、四年生の部屋の前を大回りして、南側に面した「刺繍」含めた「裁縫」の部屋へと向かいます。

 実は私達の部屋の直ぐ上が、四年目の人達の部屋です。まぁ、階下からでも気配は追えますが、どうにも様子は掴めませんでした。どうも人数が半分以下に減って自由が利く様になったからか、部屋に仕切りを設けて個人のブース小部屋にしているみたいなのですよね。


 私達はきっと四年目になってもそんな事はしないでしょう。人が少なくなった事を寂しがりながら、其の分下級生達を招き入れて、皆で楽しく過ごしているのが目に浮かぶようです。

 そんな部屋の仲間な間柄なのですから、いつまでも拗ねている事は出来ません。フラウさんも突き放そうとした反動で、ディジー人形を抱き締める勢いです。


「――もう、ディジーには敵わないわ」

「拗ねてるフラウさんは可愛かったですねぇ。絵に残しておきましょう」

「もう! ――分かっているのよ? 特級のお仕事に口出し出来る筈も無い事は。でも心配するのは別では無くて?」

「まぁ大怪我をしたと聞けば心配になるのは分からないでも無いですけど、そもそもの大怪我というのが大袈裟過ぎるのですよ。私にとっては突き指とそれ程変わりませんでしたよ? 表面は焼け焦げてしまいましたから、見た目は酷かったかも知れませんけどね。

 尤も、それも今となっては対策済みですから、何の心配も要りません」

「対策って?」

「あの時は本体が魔力枯渇な上に、私の魔力を込めた品を身に帯びていませんでしたからね。何かそういう品が有れば、本体の魔力が枯渇していても、そこから魔力は導けるので、今は私の魔力を固めた品を常に身に付ける様にしているのですよ」


 そう言うと、フラウさんはどれがその品かと私の姿を眺め回しますけれど、この体はそもそも私の魔力で作ったディジー人形ですから、今の話とは関係しませんよ?

 とまれ、漸くいつもと同じくお喋りが出来る様になったなら、この機会にとばかりに会話が止まらなくなるのですけどね。


「――お母様がシグルイを大層美味しかったって喜んで下さいましたわ」

「それはルイルさんのお手柄ですねぇ」

「いいえ! ディジーが居なければ、お母様にシグルイを届ける事は出来ませんでしたもの」

「私のお婆様もコリムチが美味しかったって♪」

「ルイルさんのマルハリル領が大人気ですねぇ」

「ディジーのディラちゃんの御蔭よ!?」


 ……まぁ、これを機会にと普段会話の無い人達からも、良く分からないお礼の言葉を言われてしまったりしてますけどね。


「ふふふ、ディジーと一緒の講義って不思議な気持ちね」

「語学も算術も一緒ですよ?」

「こういう講義では御一緒した事は無かったわ」

「あー、それはそうかも知れませんねぇ」


 目的の部屋の前に到着して、気持ちを引き締め直して教室へ入れば、その中は丸で芸術的刺繍作品の展示場です。

 そして教室の中寄りには座り心地の良さそうな椅子に姿勢良く腰掛けた御婦人――ええ、もう御婦人としか言い様の無い御婦人が、柔らかな表情をこちらに向けていました。


 でも、騙されてはいけません。この御婦人先生、多分物凄く厳しい人です。

 それも、指導が厳しいとか言うのでは無くて、見切りの早さが凄く早そうな感じですよ!?


 まぁ、物語ならこの場面で登場する貴婦人が厳しくない筈が有りませんけど、そういう意味合いだけでは無くて、その静謐な雰囲気や、波も立たない水面の様な落ち着いた心が、私にそう思わせるのですよ。

 譬えるなら、そうですねぇ、鍛冶は鎚を振るう関係上とても騒がしかったりしますけど、その時の私の姿もこう有りたいと思える様な姿なのです。

 想いも技術も集中も、その作り上げられる物にのみ一心に注ぎ込んでいる人なら、それを蔑ろにする相手との間には意識もしない軽さで線を一本引いてしまいます。その線の外側に居る人には、端から丁寧に見えても気持ちが籠もる事は有りません。


 逆の事も言えますけどね。

 私に鍛冶を習いに来る人なんて居ませんし、来た所で門前払いですけれど、報われない王都で頑張っていたラインガース親方みたいな人には手助けもしてみます。

 きっとこの御婦人先生も、そんな人に違い有りません。


 そんな先生になら敬意を示すのは当然ですから、人形の体ながら思わずフラウさんの肩の上で淑女の礼を繰り出してみれば、一緒にここまで来た仲間達も一斉に淑女の礼です。

 さて、其処からどうしましょうと思っていれば、フラウさんが後を引き取ってくれました。


「オロミール先生、初めまして。この冬の間先生の教えを受けたく、よろしくお願い致します」

「「「「よろしくお願い致します」」」」


 その言葉を受けて、僅かに目元を柔らかく緩ませるオロミール先生。


「ええ、お好きな場所にお座りなさい。

 ほら、貴女達は新しい子達に場所をお譲りなさいな」


 おお~~……どうやら最初の試練は合格みたいですね。挨拶も無しでしたら、きっと場所を譲る様に言われていた人達みたいに、何の関心も持たれていない眼差ししか送られなくなっていたのでしょう。

 と言うか、あの人達ってこの講義が何回目かだったりするのでしょうね。もしかしたらここの居心地がいいからと再度受けている人も居るのかも知れませんが、どうにもそういう人達は後ろの方でまったり刺繍している人達と思えます。

 そういう冷たさに気付かせないオロミール先生が流石なのか、気付かない人達が鈍いのか分かりませんけど、私の推測も捨てた物では有りませんね。

 私にとっての一番は鍛冶ですから、どうしたって先生には嫌がられてしまうかも知れませんけれど、私も遊びで教えを請おうとしている訳では有りません。

 今から早速刺繍を始めようという心構えに気持ちを切り替えて、私はフラウさんの肩から飛び立ち、最前列の椅子の一つに着地したのでした。


 ええ、人形ですからね。私からは魔力で見えると言っても、後ろの席に座っては先生からは見えません。

 そして人形ですからこの大きな椅子には座れませんので、椅子の上に人形に合わせた大きさの椅子を『亜空間倉庫』から取り出します。

 針と糸もちゃんと人形に合わせた大きさのを作ってきてますよ?

 それらの準備を済ませてから、オロミール先生の前にふわりと飛んで、お願いをしてみました。


「オロミール先生、講義の時間までまだ少し有るみたいですから、周りに飾られている作品を見ていても構いませんか?」

「ええ――勿論、構いませんわよ?」

「有り難うございます!」


 そんな私に続く様に、何人もが壁際の作品の鑑賞へと席を立ちましたけれど、おぉ……、先生に声を掛けずに来ている人は、ちょっぴり覚悟が必要かも知れませんよ?


 講義が始まってからも、人形な私にオロミール先生は特に反応を示しませんでしたけれど、私が真面目に講義を受けて手元の刺繍に活かしているのを見ると、その表情に好奇心がちらりと混じりました。

 表情に感情を混ぜないのは、貴族の女性の嗜みとかそんな感じなんでしょうかねぇ?

 今日の私は本体では有りませんけれど、何と無く上手くやっていけそうな気がしたのです。



 その日の二齣目の「音楽」の講義は、王城から来た宮廷音楽隊の演奏を聴く時間になりました。

 ええ、こんな贅沢な時間を過ごしていていいんでしょうかと思ったのですけどね、演奏が終わって、楽器の説明をされて、さてどの楽器を担当したいかと言われて少し困ってしまいました。

 デリラの街には音楽隊なんて居ませんでしたから、笛か太鼓か拍子木かといった辺りしか馴染みが有りません。収穫祭の時に、私達の店に造った小舞台で、仲間達が演奏する楽曲にも感動したくらいなのですから。

 或る意味その時の感動が音楽の講義を選択する決め手となった様な物ですから、楽器初心者に選べというのは難題なのですよ。


 でも、敢えて言うなら見ていても一番分かり易くて、響く音も私好みな、木の板を幾つも並べた楽器でしょうか? 小さな木槌で叩くと、ココンと綺麗な音が響くのです。

 時折森の中でも聞こえてくる様な木の音の、一番綺麗な音色を取り出した様な楽器なのですよ。


 ついふらふらとその楽器の近くまで飛んで行ってしまったら、「試してみるかい?」と面白そうな顔をしたお兄さんに木槌を二つ渡されてしまいました。

 コンコンと全ての板を叩いてみて、どんな音が出るのか試してから、演奏されていた一フレーズをココココココンと叩いてみます。


「こ、これは凄く楽しいですよ!!」


 感動も顕わにそう告げると、笑われてしまいました。

 この講義でもフラウさん達も一緒で、そんな仲間達の華やかな笑い声も弾けます。

 いえ、これこそ音楽の力ですよ!

 そう悟った私は、暫しその素敵な音色を奏で続けるのでした。



 きっと私は初めの二つの授業を終えて、少し油断していたのでしょう。

 昼休みはディジー人形をディラちゃんの巣に引き上げさせて、ホホウリムでの陰鬱なお仕事に集中していた反動も有ったのかも知れません。

 午後の「調薬・二」の時間、私はこの人形の姿が只でさえ人によっては失礼に感じる事を忘れて、陽気な振る舞いを晒してしまったのです。


 そこには、貴族組の人達がごっそり抜けて、部屋の仲間が片手で数えられる程度しか居なくなった寂しさも有ったのかも知れませんけど、普段会話しない相手と不自然に明るい遣り取りをしてみたりと、きっと周りからは気が抜けている様にでも見えたのでしょうね。


 講義が始まれば私もその内容に集中していますが、一度真剣味の無いと思われる人形の体でそんな姿を見せてしまうと、もう駄目でした。

 秋の講義でのモーリ先生はとても優しいお婆さん先生でしたが、そのモーリ先生こそ人の命を左右する薬を扱うが故に、オロミール先生より遙かに厳しい先生だったのです。


 流石に生身の私を知るモーリ先生に、何も告げずとは行きませんから、一言人形の体で受講するとは伝えているのですけど、そんな事は関係有りません。

 勿論モーリ先生がそんな感情を顕わにする事は有りませんが、私には分かってしまうのですよ。


 そんなモーリ先生の苛立ちも、納得出来てしまうのですけどね。

 秋の間の「調薬」とは違い、其の二に入っての講義では、多くの毒物が用いられていますから、モーリ先生の真剣味も違います。

 前の講義では調薬を知らない子供達に教え諭していたのだとすれば、今回の講義では人の命を預かる仕事なのだと自覚する様に促されている感じです。

 薬効が足りずに救えないのはまだ未熟と許せても、毒性故に害してしまうのは、薬師として許せないのでしょうとは私にも分かります。


 ですから仕方の無い事とは思っているのですけれど……。


「あら? 今日は人形の体で出席するとは聞きましたけれど、やっぱりそんな体ではいつもの様には出来ないのかしら?」

「いえ、それは変わらないのですけど、植物なら見れば分かるのが、鉱物の見分けをどうすればいいのかが分からないのですよ」

「……確かにそれは難しいわね。でも、そういう時こそ『識別』すれば良いのでは無くて?」

「あ!」

「でも、そうね。一番は信用出来る問屋から仕入れる事でしょうけれど、鉱物は少し間違えただけでも命に関わるわ。細かく『識別』して確かめるのが重要かも知れないわね」


 教えるべき事はしっかり教えてくれますが、どうしても言葉に棘が混ざります。

 会話はしなくても、この日は常に結構きつめの感情を向けられてしまいました。


 こんな事になったのも、全ては私がホホウリムの問題に首を突っ込んでしまったからですけどね。

 でも後悔は有りません。それは私にしか出来無いという事も分かっているのですから。

 モーリ先生にもしっかり説明すれば、納得して貰えるとは知ってます。――でも、言えません。その判断は既に私の手を離れていますし、私自身も話すべきでは無いと感じています。


 ですから仕方無いじゃ有りませんか。

 ホホウリムの町でゴゾーさんと別れた後、事態は怒濤の如く動いてしまったのです。

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