(19)秘剣! 隠れ身ツンツンズンバラリ剣! なのです。

 反物を抱えてとことこ歩きながら、私は前を歩く人を見上げます。

 ラゼリア王国第九位の将軍にしてデリリア領主であるライクォラス=リリア=ガランチ=デリリアーラの娘、ランク二の騎士、ライラリア=ライカ=ガランチ=デリリアン。

 姫将軍とか姫騎士とか呼ばれているのは知っていましたが、実のところ見るのはこれが初めてです。

 何故か沸き上がってきていた怒りについても、今では何となく理解しています。

 あれは記憶持ちが掛かるという、幻投影というものでしょう。

 つまり、既に終わった事なのです。今はもう有りもしない幻なのです。

 僅かな期間通っていた学園でも、耳に痛い程に念押しされたのが、前世を今の自分に投影することへの戒めです。

 然も有りなん。前世に引き摺られた大魔女の乱や、虐殺の騎士の話なんていうものは、枚挙にいとまが無いのですから。


 それにしても、王女様? ですか。

 湧き上がってきた憤りの強さとか、その感じ方とかからも、私の前世が王女様だった可能性は高そうなのですけれど、王女様が鍛冶をしていたのかと考えると意味不明です。

 幾つかの前世が混じり合っていたり、何代か分の前世の記憶が残っていたりという事も考えられますけれど、辛い記憶程神様に洗い流されると聞く通り、私には具体的な前世の記憶が殆ど残っていません。

 鍛冶の方法がしっかり残っている事を考えると、もっと何かを憶えていてもいい筈ですのに……随分と私の前世は酷かった様ですね。


 それもこれも、今の私には関係ない事では有りますけれど。それでも私の、冒険者になって自由に生きていきたいと願うその気持ちが、前世の私の願いでも有るのなら、私が冒険者になって自由に生きていく事が、一番の供養ではないかとも思うのです。


 まぁ、今までと何も変わらないという事ですね。

 自分のことをわらわとか言い出したりはしないのです。


 首を傾げて右前を歩く人を見上げれば、そこに居るのは氷の声の持ち主、リリン騎士団統括補佐。

 騎士団統括であるライラ姫の扱いにけているから補佐の座に着いているだけで、重鎮共の良い玩具おもちゃだと自己紹介されましたけれど、それだけとはとても思えません。

 それよりも何よりも、やっぱり何処か見覚えが有る様な気がするのです。


「全く姫様は……少しは考える事を覚えて頂きたいものですな」

「ええい! 荷物が放置されていて不用心だったのだと言っているだろうが!」

「それが何故住民を振り回しながらの拉致に繋がるのですか!」

「あ、遊んでいただけだと言っているだろう!?」

「ですから! 姫様にはまず行動に移す前に言葉を交わす事を覚えて頂きたい! 姫様の思い付きで振り回すのは、せめて騎士団のみにして頂かないと困るのですよ!」

「お!? おお! 振り回すと振り回すを掛けたのだな♪」

「姫様!!」


 リリンさんの声を聞いてまず思ったのが、「爺やはうるさい」でした。

 ですけど、もしかしたら「ジーヤ」だったのかも知れません。

 もしも名前が、リリン=なんたら=ジーヤなのだとしたら、私が忘れているだけで、もしかしたら私が働いていたお店に訪れた事が有る人なのかも知れません。

 そう思って、声を掛けてみたのです。


「ジーヤさんとは、何処かで会った事が有りませんですか?」


 ですが、振り返って暫く私を見た後に口にしたのは、否定の言葉でした。


「……いや、先程も言ったが、私の名はリリンガルで、会ったことも無いと思うがね?」

「それより、ジーヤさんっていうのは、またどこから出てきたのだ?」


 どうやら、ジーヤさんでは無かったようです。

 首を捻りながらも、ライラ姫の問い掛けに答えます。


「姫様に対して小煩こうるさいのは爺やと決まっているのです。――」


 ――でも、どうにも見覚えが有る様な気がするのですけどねぇ。と、話を続けるつもりの軽い前置きの筈でしたが、ライラ姫に噴き出された為に遮られてしまいました。


「く、くくく、爺や、爺やか! うむ、苦しゅう無い。爺や、これからも良く励めよ!?」


 ライラ姫を向いた顔が、酷く嫌そうに歪んでいるリリンさんです。

 やっぱり、何処かで見覚えが有る様な気がするのですけれど?

 何とももやもやするのですよ。


 さて、此処は砦の中庭でもある練兵場へと向かう道。

 連れ去られ冒険者な私ことディジーリアは、何故かライラ姫から剣の手解きを受ける事になって、抱えた反物をふにゃふにゃ揺らして歩いているところです。

 サーベル使いの少女冒険者に嬉しくなったのだとか言っていましたけれど、私の刀はサーベルでは有りませんし、あの時そんな事を考えていたとも思えません。

 言っては悪いですけど、どうにも頭で考える前に体が動く脳筋さんです。きっと、腕力が全てとか考えている、私とは対極に在る人に違い有りません。


 それでも大人しく私が付いて行っているのは、やっぱり今まで真面まともに稽古を受けた事が無いからでしょうか。父様は私が剣を持つ事自体拒絶してましたし、普通の剣と私の刀では扱い方も違うでしょうし。

 サーベルが同じとは言いませんが、きっと参考になる事は色々有るに違い有りません。


 しかし、そんな事は関係なく、砦の中は興味を惹く物で目白押しでした。


「あれは南門へと降りるトロッコだな。降ろしたトロッコは別の場所で水車の力を使って引き上げている」

「ふぉおおお~~!! あれが壁の中を走っているのですか!?」


 南門へと続く道の壁は、迷路にもなっていますが、幾つかの壁の中にはトロッコの道が走っている事は良く知られた話でした。そんなトロッコが目の前に鎮座ましませば、興奮するなと言うのは無理な話です。

 流石に騎士達の管理下に在って、数え切れない落とし戸で守られたトロッコ道に潜入する事は憚られましたので、今までこんなに間近で見る事は無かったのです。

 何か大きな手柄を立てた時には、一日トロッコを乗り回す許可を貰うというのもいいかも知れません。


「その両翼が騎士の宿舎になっている。大体右側が内回り。左側が外回りの任務に就いているが、特に決められている訳では無い」

「ふふん。私の居室は正面の砦の上だぞ! ふっふっふ」

「姫様の事など誰も聞いておりませぬ」


 何故か自慢げなライラ姫を軽くあしらうリリンさんの声を聞き流しながら、兄様達もこの何処かの部屋にいるのでしょうかと見渡します。

 ……もうすっかり暗くなってしまっているので、分かるものでは無いですね。

 三方を囲まれた練兵場こと中庭の中には、掛け声を掛けながら中庭の周りを走る者達や、黙々と自己修練に励む者達の姿が見えますが、概ね今日は店仕舞いとばかりに見ている間にも人の姿が疎らへと移り変わっていきます。

 トロッコや、初めて見る砦の中の様子や、ライラ姫に気が付いてからは興味深げに様子を見守る騎士達の、そんな様子を何処かぼんやりと眺めていました。


 今日の朝には、一通りの私の武具が揃いました。

 昼過ぎに立ち寄った冒険者協会では、リダお姉さんを相手にゾイさんとタッグを組んで、一仕事やりきった満足感が有りました。

 夕方はオドさんの美髯屋で掘り出し物を手に入れて――

 日が沈むと何時に無く活気の有る街の様子です。

 更に変なお姫様まで現れて、何処かお祭りの日の様な、ふわふわした気分だったのです。


 春の始まりを告げる生誕祭に、夏の実りを祈る豊緑祭、そして秋の終りを告げる収穫祭。

 王国の何処でも執り行われる三大祭も、ここ暫くは楽しむ事が出来ていません。

 街の外の依頼を制限されてからというもの、豊緑祭では周りに気を遣うばかりで楽しめず。秋の終わりの収穫祭は、既に家を出ての秘密基地暮らし。祭りの場に出ていこうという気持ちにも成れませんでした。

 今はもうすぐ生誕祭が始まってもおかしくない季節ですけど、小鬼ゴブリン歪豚オークが大発生している状況から、どうなる事か分かりません。

 そんな中での、久々のお祭り的な雰囲気に、気持ちが昂揚するのは仕方が無い事なのです。


 特に、行き成り失礼にも瑠璃色狼に手を伸ばされたり、説明も無しに拐かそうとしてきた相手だとしても、その場の勢いに直ぐ様反応して、体当たりで遊びに乗ってくれたライラ姫はとても評価が高いのです。

 何と言っても、今年のお祭りは一人で回らないといけないかとも思っていたのですから。


 折角知り合ったゾイさんやグディルさんですが、一緒にお祭りを回ってくれる様なタイプには思えません。兄様達も今年は騎士見習いとして警護に駆り出されるでしょう。母様となら一緒にお祭りを回る事も出来るかも知れませんが、私も一度は友達とお祭りを楽しむという事をしてみたかったのです。


 そこに現れた、丸で遠慮の無いライラ姫は、今世での私は違いますが、姫様繋がりという事も有って、親近感を感じずにはいられないものだったのです。

 ですから、リリンさんが中庭を照らす幾つもの光石燈に火を入れて、ライラ姫がサーベルの形をした模擬剣を手に現れる段になって、私はうきうきした気分を抑える事が出来なかったのです。


 ですけど、そんなに気持ちを許してしまったら、それが何を引き起こすかなんて、私は何も分かっていなかったのです。


「おいおい……荷物を背負ったまま戦うつもりか?」


 模擬剣を渡された私が、近くの壁に預けてきたのは、ふよふよ揺れる反物だけです。

 他は全て完全装備。瑠璃色狼も背負い袋も背中に背負って、ですが何の問題も有りません。


「私は冒険者なのですから、森の中で荷物を失うのは、死んでしまう事と同じですよ? 荷物を背負ったまま動けないと、意味が無いのです」


 そう言うと、ライラ姫は一瞬きょとんとしてから、面白そうに目を輝かせて、


「うむ! そういう事なら遠慮は無用だ! 好きに掛かって来るがいい!」


 そう言って、両手にそれぞれ模擬剣をげて、練兵場の真ん中で楽しげに仁王立ちになったのです。


 ライラ姫はランク二の騎士です。つまりは、ガズンさんよりも上なのです。遠慮なんて必要ないのです。

 その人が、稽古をしようと、そこで待っているのです。


 私は、嬉しくなって、模擬剣を両手でしっかり持ちながら、貫き通せと突き出したのです。

 『隠蔽』を全力で掛けながら。


 ――ヂリンッッッ!!!!


 衝撃は一瞬。

 いえ、長々と続かれても困るのですが、『隠蔽』を掛けて、後ろに回り込んで、たぁー! とばかりに模擬剣を突き出しながら跳び込んで、それがライラ姫に当たりそうになった瞬間、本の一瞬ライラ姫の纏う魔力がぶれたのです。

 引き攣る様な危機感に模擬剣を引き戻すのと同時に、恐ろしい衝撃がその模擬剣を打ちました。


「ンギャウーー!!」


 思わずみっともない悲鳴まで上げてしまいました。

 いつも鍛冶をするときの様に、模擬剣に魔力を通していなければ、間違いなく模擬剣ごと粉砕されて、酷い事になっていたに違い無い一撃でした。それはもう、ポーンと凄い勢いで左翼の建物に飛ばされてしまった事からも明らかなのです。


 一瞬で目まぐるしく変わる状況ですけど、そんなものは秘密基地から落ちた時に体験済みです。飛んでいる最中にも緩んだ『隠蔽』を引き締め直して、魔力を使って体勢を立て直したら、左翼の建物の壁に両足で降り立っての遣り直しです。

 音も無く壁を駆け下りたら、角度を変えて駆け寄りながら、今度は振り被っての振り下ろしですと――


 ――ヅンッッッ!!!!

「ンニャーー!!」


 また飛ばされてしまいました。

 刀が両手剣だからこそ、受けが間に合った様なものです。右手と左手の僅かな動きで刀の角度を変えられなければ、今のは腕に当たっていたところなのですよ!

 それでもさっきとは違うのは、少しだけでも受け流しが出来たという事でしょうか。受けた音も低くなっていますし、飛ばされる勢いだって違います。

 なればこそ、今度こそ隙を見せずにこっそりと――


 ――ゴッッッ!!!


 やっぱり飛ばされてしまうのですよ!?

 もう、肩もガクガクです。


「くふふふふふ、くははははは!!」


 ライラ姫が高笑いまで上げはじめてしまいました。

 何なんでしょう。何だか背筋がゾクリとするのです。


 それにしても、サーベルと刀はやっぱり使い方が違います。余り参考になりません。

 私が刀を打ち下ろす時には、左手で柄尻を支え、刃に近い柄元に置いた右手を滑らせる様にして振り下ろしていたのですけれど、それが正しい遣り方なのかを見ようとしても、サーベルは元々片手で扱っているので分からないのです。

 特に二刀流のライラ姫は、ガンガンと遠慮無く刃をぶつけてきますので、そういう意味でも刃を打ち合わせない刀の使い方とは違うのです。


 『隠蔽』を掛けていても、安心出来ないということが実地で確かめられたのは大きいですけどね。

 見えている訳では無さそうなのに、掠める事すら出来そうな気がしてきません。


 ――グッッ!!

「はははははははは!!」


 もう、何というか、どうしようもない強烈な一撃を、何とか受け流すだけの練習の様なものになってしまっています。素直にどちらかの模擬剣が跳ね上げられるだけなので何とか対応出来ていますけれど、これがフェイントを混ぜられたり、或いはもう少しライラ姫の魔力がだだ漏れていなかったりしたらと考えると――

 ………………いえ、考えたくも無いですね。笑っている場合では無いのですよ!?


「姫様ッッ!!」


 切羽詰まったリリンさんの叫びが響くのと、ライラ姫が笑いながらも手に持つ模擬剣を投げ捨てたのと、私が今一度ひとたびの突撃を試みたのが殆ど同時。

 私の最後の突撃は、突き込んだ模擬剣を素手で掴んだライラ姫に取り押さえられ、私の稽古は終わりを告げたのでした。


「くくく……危ない奴め♪ そう言えば聞いていなかったが、名を申せ」


 そう言えば名乗っていなかったと、息を整えながら顔を上げます。


「ディジーリアです。ディジーでいいですよ?」


 それにしても、本の数十秒の攻防なのに、もの凄く疲れました。

 稽古の終わりを察してほっとした表情を見せていたリリンさんを目の端に、そんな気持ちでいたのですけれど、続いた言葉に吃驚びっくりさせられる事になったのです。


「ディジーリア? …………毛虫殺し人のディジーリアか!!」


 何故ライラ姫がその名前を知っているというのでしょう!?

 見上げる内にも次第に吊り上がっていくライラ姫の口元に、私は一歩二歩と後退あとずさりをしたのです。


 それは、今まで呵呵かかとして楽しげに笑っていたその姿とは、全く異なる様相でした。

 そしてにたりと歪んでいくあの目を、私は確かに知っていたのです。


 それは、冒険者協会で、春になると――そう、丁度この頃の季節になると、よく見られる眼差しなのです。

 春になって、森冒険者デビューを果たす新人冒険者を物色する、デリラの街でも一番酷い脳筋冒険者の集団『一番星』。そのお眼鏡に適った初級冒険者を見る彼らの目が、丁度あんな感じでした。

 あれは、後輩を見る目でも、友人を見る目でも、してや冒険者仲間を見る目でもありません。あれは、同志を見る目です。

 脳筋冒険者たる同志を見る目なのですよ!


 ライラ姫のあの吊り上がった口元は、全てを知っているという事なのでしょうか。

 私が小鬼ゴブリンを毛虫と呼んで、何百匹と退治していたのに、気が付いているのかも知れません。冒険者協会でもリダお姉さんがあれだけ騒いでしまったのです。芋虫即ち歪豚オークの討伐についても、知られていてもおかしくはありません。

 ただ討伐をした事実をして、私は脳筋仲間と見られてしまったのかも知れないのです。

 私は採集生産雑用そしてこれから探索系冒険者で、討伐系の脳筋冒険者では有りませんのに!


 嗚呼……あの少し膨らませた鼻の穴は、私を同類と認めた鼻の穴です。

 『一番星』の冒険者達が、同じ様な鼻の穴をして、仲間認定していたのを何度もこの目にしたのです。

 ふんすと鼻息を噴きそうに、微妙にひくひくと広げられた鼻の穴は、同志を見付けての興奮の証なのです。黒岩豚が興奮すると鼻を硬く大きくするのと同じなのですよ!


 そしてその行く末も、私は何度もこの目にしてきたのです。

 春になって、新しい仲間を求めて冒険者協会に集う『一番星』達は、彼らの言う「見所のある新人」を見付けると、あの奇妙な何とも言えない眼差しと、親しみを無理矢理塗り込めた胡散臭い微笑ほほえみを貼り付けて、親切さを装いながらアプローチを始めるのです。

 体の鍛え方のアドバイスや、剣の手解きを通して、後輩の支援をしている様にも見えますが、騙されてはいけません。

 初めは助言だったのが、その内指導になり、やがて矯正される事になるのです。

 彼らは自分たちと同じ脳筋冒険者しか認めません。酒が飲めなければ潰れるまで飲ます事で酒に慣れさせ、筋肉の美しさこそが正義と思考すらも正されます。

 それを外れた在り方が丸で罪悪でも有るかの様に思わせる追い詰め方は、流石と言ってもいいのかも知れませんが、私からすればおぞましさしか感じません。

 幼馴染み三人組で冒険者になった内の一人が『一番星』に取り込まれたと思ったら、いつの間にか幼馴染み達とは袂を分かって、『一番星』達に囲まれ筋肉を見せ合いながら同じ表情で讃え合っているのを見た時は、幼馴染みで冒険者なんて羨ましいと思っていただけに、どうにもならない寒気に震えまで感じてしまいました。


 それと同じ眼差しと、歪んだ口元で、ライラ姫が私を見詰めています。

 そうです、ライラ姫こそこの上ない脳筋姫騎士に外ならなかったのです。


 こんなのは想定外です。こんな事になるなんて思ってもいなかったのです。

 手合わせの所為では無い呼吸の乱れに胸が苦しくなります。

 私がライラ姫に気を許してしまったから、仲間認定されてしまったのでしょうか。

 でも、私は冒険者になるにも四年以上の時間を掛けて準備をしてきた、頭脳派冒険者なのです。討伐した事が有ったとしても、それは結果であって目的では有りません。

 私は脳筋冒険者では無いのですよ!


 でも、そんな心の声は、ライラ姫まで届きません。

 見下ろす鼻の穴をヒクヒクさせて、ニヤリと私に笑いかけてくるのみなのです。


 冒険者への道を絶たれそうになった時とはまた違う、粘り着く様な焦燥に、一歩二歩と後退りします。

 掠れる声で、認識を正します。


「ち……違いますよ」


 私の言葉を意に介さない表情で、ライラ姫が首の傾きを僅かに変えます。


「違いますよ!」


 にたりと笑った顔のまま、更にライラ姫が首を傾けました。

 私はもう限界でした。

 両腕で背けた顔を庇い、必死の思いで私は叫びました。


「違いますよ!! 私は脳筋では有りません!! 姫様の仲間では無いのですよっ!!」


 掛けられるだけの『隠蔽』を掛けました。

 大きく迂回して、借りていた模擬剣をその置き場に返したら、

 掻っ攫う様に私の反物を拾い上げて、

 そのまま砦から逃げ出したのです。


 丸で後ろから姫様が追い掛けてくる様な気がして、壁を飛び越え行っては戻って、裏道の裏道を潜り抜けて、秘密基地に戻ったのは夜も遅くになってから。

 焦りにかされる様に遠征の為の装備を作り上げて、殆ど寝ない儘に朝の商店街で必要な道具を仕入れて、錬金術屋ではバーナさんから結構お得なおまけだとか色々有ったりしましたけれど、昼過ぎになってから辿り着いた森の入り口で、漸く遠いデリラの街を振り返るだけの余裕を持つ事が出来たのです。


 ここはデリラの街を遙か東に望む、中級以上の冒険者にとっての本当の森の入り口。

 今も周りには珍しげに私を眺めながら、通り過ぎて行く何組もの冒険者達がいます。


 手に入れた地図から読み取れた事。

 私がいつも入っていた、そして今毛虫や芋虫にまみれている森は、通称『くらい森』と呼ばれる、それこそ小鬼ゴブリン歪豚オークしか出ない、初級冒険者以外は殆ど訪れない森でした。

 あそこはお花畑だけが貴重な森だった様です。

 私からすれば、薬草が豊富ないい森だったのですけどね?


 砦も、鬼族の侵攻に備えた物なので、鬼族の縄張りに近い昏い森側に在るのでしょう。

 冒険者達の主な狩り場であるこちら側に来てみれば、あちらを昏い森と呼ぶのも納得な、多様な植生に満ち溢れた明るい森です。地図にも『豊穣の森』とある通り、あちらこちらに色々な生き物が隠れている気配がします。


 昏い森が冒険の練習なら、豊穣の森の先には冒険そのものが待っているのです。

 追い掛けられる様にここまで来ましたけれど、こうして街を眺められる場所から見渡して、姫様が居ない事に安心してしまえば、どうにも湧き上がる冒険への衝動が抑えられないのですよ。


 だから私は、デリラの街に向けた指を軽く振り、顎をしゃくって別れを告げます。


「あばよ」


 森に向き直れば、もう振り返りはしません。

 冒険です。冒険なのです。冒険が待っているのですよ!!


 だから見ていたあなた達! そんな所で笑い転げないで下さいよ!

 折角の冒険への門出なのに、台無しではないですか!

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