(162)記憶持ちの記憶。

 嘆き、訴え、疲れ果てて身を横たえていた魔導師長でしたが、激情が過ぎれば騎士に促されるままに、協議の席に着きました。


「それで陛下は我輩に何をさせたいのですかな」


 と、最早不貞不貞しさは有りませんが、腹を括った扱い辛さを感じさせます。

 ですけどそれは他の魔導師はまた別で、魔導師長が失脚すると見てこれ幸いと王様にアピールしている人も居ますし、何と言うか哀れです。

 魔導師長からも憐れみの視線を向けられていますしね。


「そのままお主が魔導師長を続ける事は無いな。このディジーリアが名誉魔導師長としてお主らの上に立つ事になろう。お主らはその下の一般職員扱いとなる」


 王様がまたそんな面倒な事を言い出しましたけど、魔導師長は案外真摯な眼差しで深く頭を下げたのに対して、多くの魔導師はその瞬間に顔を顰めています。

 それを王様が見逃しているはずはありませんし、そうですねぇ、此処に八人居た魔導師も、魔導師長を含めて残れるのは三人程度かも知れません。


 まぁ、名誉魔導師長というのも実権の無い御意見番の肩書きでしょうし、私の出番ももう有りませんから、先に下に戻ってしまいましょう。


 そんな私の言葉は呆気無いくらいに王様に受け入れられて、案内も無く私はささっと地下の部屋へと戻る事になりました。


 そして戻ってみたならば、其処は其処で別の愁嘆場が繰り広げられていたのです。


「ああああああ、あ、あ、あ、あ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」


 結界魔道具の部屋の奥で、既にその機能を果たしていない部屋一杯の結界魔道具を前に、膝を突いたずぼらさんが目を見開いて只管ひたすらに謝罪の言葉を口にしていました。

 首を傾げてロルスローク先生を見上げると、その説明してくれた状況は、何だか在り来たりで笑えません。


「ルビーアンは記憶持ちかも知れないとは言ったがね、どうやら本当にこの結界魔道具の関係者だったらしいね」

「確かに“前の”私の記憶とか臨場感は凄いですけど、それにしても随分と感情移入するのですねぇ。誰か引き離したりはしなかったのですか?」

「いや、記憶に呑まれた記憶持ちを、迂闊に刺激するのは拙いぞ? それに結界魔道具を知るにはルビーアンの協力が要ると思うと、どう対処すれば良いか分からなくてな」


 まぁ、学園では色々な暴走した記憶持ちの事例を教わりますし、被害が出そうに無ければ放置するのも手です。

 と言うより、そんな時はサイファスさんが対処してますよね?

 私が部屋に入って来た時に、序でにと扉の外の騎士へ色々指示していたサイファスさんが戻って来ましたが、ずぼらさんに向ける視線に警戒は有りますが緊張は有りません。


「ディジーも記憶持ちだよね? ルビーアン殿がどういう状態か分かるかい?」

「そうですねぇ。最近私も気付きましたけど、記憶持ちの記憶って、本当に記憶でしか無いのですよ」

「ん? それはどういう事かな?」

「う~ん……自分が引き継いだ記憶なら、丸で自分が体験したみたいに、匂いも感触も音も映像も思い出す事は出来ますけど、その記憶の持ち主として考える事は出来ませんね。考えるのは飽く迄その記憶を見た私です。

 例えば物凄く印象的なシーンの記憶を持っていたとします。そのシーンの事なら、物の細かい造形も、耳に届いたどんなに小さな音も、辺りに漂う微かな香りも思い出せるかも知れません。そんな風にどれだけはっきり思い出せるとしても、その直前に食べたお昼ご飯の記憶を引き継いでいなければ、それは思い出せないのが記憶持ちの記憶です。

 例えばデリリア領の領主息女ライラリア姫は、姫様と言う呼称が似合わない自由闊達な人です。私は昔、うっすらとした自分の中の記憶と照らし合わせて、姫様らしくないと苛立ちを感じた事が有りましたが、今思えばあれは完全に、記憶の観衆としての感想です。もしも私が元の記憶の持ち主として考えていたなら、愉快な新しい友人が出来そうと期待しか感じなかったでしょう。

 つまり、そこで嘆いている人は、余りに臨場感の有る記憶に晒されたからか、その記憶の持ち主に成り切って、あんな事をしちゃっているのですよ。

 正気に戻れば羞恥に悶絶しそうですが、幼い頃からその記憶に責め立てられていたというなら、戻る正気って何処に在るのでしょうね?

 でも、本当にその記憶の持ち主として行動していたなら、昔とは違う新しい技術で何か出来無いかと模索してみたりもするのでしょうから、それをしていないこの人は記憶に流されているだけで、悲劇の主役に浸っている痛い人です」


 そして悲劇に浸っているずぼらさんも、それが観客の抱く共感でしか無いのですから、横で長々と解説されていては意識を向けないでは居られません。

 いえ、話し声が聞こえるくらいで気を取られてしまうのですから、もしかしたらずぼらさん自身、悲劇の主役に成り切るのにも飽きてきていたのかも知れませんけどね。

 その何を言われているのか分からない感じの、感情が抜け切った眼差しこそが、自分の感情で嘆いていた訳では無かった証です。


「だってですねぇ、今の世の中には昔と違って数多くの『儀式魔法』が有りますし、魔道具研究室の一員の貴女なら私の書いた魔術教本だって知っている筈ですよね?

 まぁ私も状況を理解出来ている訳では有りませんが、代用品がどうのと言ってましたし、要するに今はもう手に入らなくなった過去の魔獣の魔石が欲しいのですよね?」

「う……うん」

「そうだ。それがこの管理室の責務だ」

「魔導師長が諦めた、な」

「同じ魔獣と思って調べたなら、文献に残る性質とは違った魔石だったりと、どうにもならん」


 ずぼらさんが釣られた様に頷くのと同時、この部屋に残っていた魔導師達も口々に賛同の意を示します。

 でもですねぇ、『儀式魔法』の仕組みを知ってしまうと、悩む事柄では無くなるのですよ。


「『儀式魔法』は、魔術の神マトーカ様が創られた神界の魔具がその実体です。魔具は魔石を組み合わせて作られたいにしえの魔道具です。神界で何故そんな物を創れるかと言えば、神界には此の世の有りと有らゆる魔力が有るかららしいです。

 はい、まずは『儀式』でマトーカ様に新しい『儀式魔法』――希望する種類の魔力を蓄魔器に注ぎ込むだけの魔法とも呼べない魔法の要望を出して、それが受け入れて貰えたなら解決ですね!」


 私の言葉が頭に浸み込むまでに少し時間が掛かっていますが、その前に声を上げたのはロルスローク先生でした。


「待った! 流石の魔具にもそれは出来ん! 魔具に出来るとしたら、種類を問わずに魔力を集めるか、予め設定した魔力を集めるかだ」

「……断言しますね? ですが確かに望みの魔力を集められる魔具が有りましたら、魔具が衰退する事も無かったとは思いますけど」

「それも有るが、ディジーは『魔道具知識』は見れないのか?

 いや、私もそれに気付いたのは魔術講義の後だから、見れる様になったのはつい最近かも知れないが。

 それに…………いや、まずは『魔道具知識』を確認するのが先だな」


 今度は私が、『魔道具知識』なんて技能の存在が頭に浸み込むのを待つ時間です。

 ひえっと驚いて、「通常空間倉庫」経由で魔力を捧げてみれば、確かに私にしか見えない『魔道具知識』が私の目の前に立ち上がります。

 『儀式魔法』を普段遣いする習慣が有りませんから、こんな時は指摘して貰えないと気付けません。


 ところで、『識別』や『鑑定』で見えるこの板も、人によって見え方は違うらしいですね。

 私の目には古文書の様に流麗な古字体で書かれた文字が見えています。

 中々遣る気が出て来る見栄えです♪


 ペラペラというより、パササササと音が響きそうな勢いで読み進めていきます。

 うーん……確かにロルスローク先生の言う通り、魔具で望む効果は実現出来そうに有りません。

 それ以上に、望む魔力が『儀式魔法』で手に入る様になると、色々と拙い事になりそうな技術が多々有りまして――。


「好きな魔力を『儀式魔法』で充填出来る様にするのは無しですね」

「……ああ。魔道具は発展するだろうが、な」


 まさしく魔道具は発展するでしょう。

 生活も便利になるかも知れません。

 ――でも、駄目ですね。

 手に余る大きな力を手に入れた大猪鹿は、森を喰い尽くし草原にしてしまいました。

 或いは、ちょっと脅かされると、地面の下へと落ちて行ってしまいました。

 それと同じ様な事が起こる気がしてなりません。


 そんな何でも出来そうな魔具の存在を知らなくても、爺鬼ゴブリンを操る怪しい技術を見出していたりするのです。

 そんな人達が魔具の存在を知ったなら、どんな暴走をするか想像したくも有りません。


「ふ~ん? 魔具というのはそこまで凄いのかな?」


 と疑問の声を挟んだのは、この場に居る人の中では魔道具に詳しく無いサイファスさんです。

 どう説明すればと考えて、でも特に苦労しそうに無い事に気付きます。

 まぁ、先にロルスローク先生が説明してしまいましたけどね。


「今世の中に有る魔道具の殆どは、『儀式魔法』を道具で再現した物だ。魔石や蓄魔器から魔力を供給してはいても、人が自然と漏らす程度の魔力しか消費していない為、その威力や効果も知れたものだ。

 だが、魔具は込めた魔力がそのままに威力となる」

「特級の魔術師が魔術に込めるのと同じだけの魔力が用意出来るなら、誰でも特級の魔術師が放つ魔術を再現出来るのですよ。制御なんかも組み込む必要が有りますから、自由自在にとは行かないでしょうけどね。

 この結界の魔道具も、城の地下から湧き出ているっぽい魔力が常に注ぎ込まれているみたいですから、その御蔭も有って常に発動し続けられていたのだと思います」

「つまり……私達はずっと護りのかなめと思い魔石の代用品を探し求めて来たが、兵器としての魔道具を受け継いできた国が在ったとしたら!?」

「戦争が……始まる!?」

「魔石の性質が変化し、魔道具が動かなくなったからこそ救われている命が有るかも知れないのか……」


 いえ、そんな大袈裟な話では無くて、魔具の設計図を手に入れさえすれば、悪党でも簡単に手に余る力を手にする事が出来るのは如何なものかと……。悪党に良識とか人間性を期待出来ないのは、“前の”私の記憶からも明らかですからね。

 きっと古くから続く悪党の一味なら、今は動かせない厄介な魔道具を今も確保しているかも知れません。そんな悪党達がそんな魔道具を動かせる可能性を耳にすれば、嬉々として動き出すに違い無いでしょう。


 おや? もしかしてそちらの方が、拙かったりしますかね?


 何れにしても、魔物も魔石も変化していくというその事実は、魔道具の発展を妨げている以上に、何かの歯止めになっている様な気がしますね。


 まぁ、それはそれとして――


「実際に、結界の魔道具を何とかするだけなら、『儀式』でマトーカ様に望む魔力を願って、マトーカ様がそれを認めて下されば、別に『儀式魔法』として用意出来無くてもどうにかなりますけどね。

 魔力として手に入れるだけでは無くて、魔石の様に固める必要が有りますし、魔石を形作る歪みまでは再現出来ませんから完全に同じ魔石には成らないかも知れませんけど、代用品としては十分でしょう」


 答えを示しながらも、何かが違う様な気がして首を捻ります。


「……反則だな。そんな手段に慣れてしまえば、その先に技術の発展は無い」

「それ以前に、そんな事が可能なのか?」

「可能だ。――が、それを為すには神々から注目されていなければならないそうだ。凡人には使えない手だな」

「……王国で宗教関係の発言は禁句だぞ?」

「都合良く妄想した神では無く、問い掛ければ実際に答えを返す神々に文句を言っても仕方が無い」

「……そうか。……答えが返って来るのか」


 ロルスローク先生と魔導師達のそんな会話を聞きながら、反則との言葉に納得します。

 そうですね。自分では出来ない事を、魔力を捧げて代わりにやって貰う事について、いつの間にか容認している自分が居ました。

 『祝福技能』や『儀式魔法』を過保護のお節介焼きと断じていた過去の私が見ていましたら、驚愕に目を剥いたかも知れません。


 まぁ、『儀式魔法』の役割が知れた今としては、そこまで忌避する物でも無いのですけどね。


 でも、取り敢えずそこに私が手を貸す事は無しでしょう。私にしか出来無い事を増やしても仕方が有りません。

 まぁ、彼らが頑張ると言うなら応援しますけどね!


「それに、代用品が手に入ったとしても、ディジーの言う通り完全には同じ物とならないのなら、どうしても危険が伴う。

 当時の仕様は? 此処の魔道具だけでは無く、王城内に魔力線を張り巡らせたりはしていなかったか? 結界が発動した時に、境界に在る物はどうなるのか? 結界内で体に影響は無いのか?

 結局そういう細々とした事柄を確認する為には、簡単な構成から検証を重ねる必要が有り、結界魔道具を動かせる頃にはもう一台の結界魔道具が造られている事だろう。

 それが何十年、いや、下手をすれば何百年後の事かは知らないがね」

「それに実際に結界の魔道具が役に立つかと言われると、微妙なところなんだよね。

 草原に王城が建っていて、城下町は無く、王城から見える範囲に集落が点在する。そんな時代なら集落の民を王城に匿って、飛び来る攻城兵器を結界で防いだりもしたんだろうけれど。

 今の時代に誰かがそんな攻城兵器を城下町に運び込もうとしたら、真っ先に特級の騎士が大挙して駆け付けるよ」


 ロルスローク先生の言葉に、サイファスさんも続けます。

 魔導師達の意気込みと使命感に反して、完全に閑職扱いなのが判明して憐れです。


「ま、この魔道具は必要とされた時代に、求められた役割を全うして使命を終えたのですから、貴重な文化的遺産で研究し甲斐の有る遺物ですけど、疾っくに護りの要では無くなっているという事ですね!」


 ――と、私が纏めてみましたら、魔導師達は椅子に体を預けて虚脱して、ロルスローク先生は鼻を鳴らし、サイファスさんは苦笑いして、そしてずぼらさんは腰を抜かした様に床に頽れたのです。



 ~※~※~※~



「――彼奴は残す。他には窓際の青髪と、一人略装を着ていた短髪だな。他の者は丁重に役目の終わりを言祝いでやれ」


 魔導師室を出て立ち止まったガルディアラスは、軽く頭を下げて耳を寄せるハマオーライトにそう告げた。

 当初の意気込みも其処には無く、淡々と無感動に手続きを進める様子で。


 実際には官署台が彼らの処分を取り仕切るだろうが、魔導師としての立場は非常に微妙で、名目上は官署台や財務台と同格だ。

 権限としてはより上位に位置付けられる、騎士団長の地位が必要だった。


 ハマオーライトも重々それは承知の上で、しかし面倒そうに溜め息を吐く。


「はっ! ――しかし、すんなりとは行かんでしょうなぁ」

「居残りたければそれでも構わぬが、新生する魔導師室は実務能力で評価する。真実魔導師としての職務に誇りを持ち、真面目に魔術の研鑽をしてきたならば何も危惧する必要は無かろうが、名に実が伴わねば一般職員以下だ。採用試験からやり直して、基準に満たなければ放逐だな。そうなれば年金もやれぬよ」

「それを理解している者らなら良いのですが」

「我としては全員不心得者でも構わぬが?」

「……まぁ、その方が陛下の汚点も消えましょうな」


 ガルディアラス自身が安易にサインしていた書類。

 あれが無ければ話はもっと簡単だった。


「仕方有るまい。軍略的には価値なぞ無いが、『判別』や『浄化』といった様々な『儀式魔法』の存在を無視は出来ぬ。ならば専門の部署を設け、予算を割り当て、研究させるしかない。

 今からすれば単なる発注に研究も何も無いと分かるが、そう思えるのもディジーリアが居てこその物よ。

 当然研究に成果が出る筈も無く、我も予算の枠に収まっていれば内容など気にする事も無くなった。

 研究予算を魔導師への報酬に割り当てるとのあの巫山戯た申請書は、形を変えた我への抗議文であろうな。それを我は見逃した。

 これでは我も何も言えぬ」

「致し方無し。

 どれ、マクリーガ殿と話を詰めて参りましょう」


 官署台長官と話をする為にきびすを返したハマオーライトに背を向けたまま、ガルディアラスも歩き始める。


 ハマオーライトは致し方無しとは言ったが、実際は打てる手など幾らでも有った。

 最低限の対応として研究所による監査は入れていたが、魔術界自体がおかしくなっていたとなっては、監査の意味合いも半減する。

 せめて官署台長官マクリーガなり、騎士団大隊長の誰かなりを同席させるべきだったが、そこまでの労力を掛ける意味を見出せなかった。

 つまり、全てはガルディアラスが魔術を軽んじたが故の顚末だ。


 終わってからなら改善策は幾らでも出て来るが、予め想定していなかったのは怠慢でしか無い。


「これではまた呆れられてしまうな――いや、我は良い所を見せたかったのか……」


 地下へと降りる階段の途中で、一度足を止めたガルディアラスが嘆息する。

 つまり、魔術が関わる諸々に煩わされているディジーリアに、煩わしさを生み出している一端を解消する所を見せたかったのだと。

 褒賞を与えるべき様々な実績。サイファスラムの剣。ガルディアラスのオセロンド。

 陸に報わせて貰えぬそれらの恩に、報いる方法を見付けたと思ったものだったが……。


 ディジーリアの遠慮せずに話せる権利というのは、ガルディアラスにとっても影響が大きかったらしい。

 浮かれた調子のままに確認不足で悪手を打ってしまう程に。


 それを自覚すると同時に、ガルディアラスは表情を引き締める。

 この先には、主に迷惑を被った筈のディジーリアが待っている。

 悪手に悪手を重ねる趣味は、ガルディアラスには無かった。



 そんな気持ちを抱えて結界魔道具の部屋まで戻って来たガルディアラスだったが――


「……それで、何が有って此処で優雅な茶会を開いている?」


 元より地下室特有の薄暗さとは無縁の部屋では有ったが、今は其処に森の茶会が似合いそうな優美なテーブルが設えられて、見た目も華やかに彩られた軽食や果物の数々。

 実に優雅な茶会の場が出来上がっていた。


「いえ、現状についての摺り合わせが終わって、休憩しているところですね。

 それが無くてもこんな地下室に閉じ込められていては、思考が悲観的に偏り過ぎて、現状の正しい把握も儘なりません。

 このままこの部屋の運用を続けるなら、この程度の休憩室は設えておくべきでしょう。

 尤も、本音で言えば既に役割を終えたこの場所を、宝物庫の様に護る意味は無いと思いますが」


 立ったまま軽食を摘まんでいたサイファスラムがそう告げて、続いて彼らの間で得た結論をガルディアラスへと報告する。

 結界魔道具の現状と考察。考えられる対策とその弊害。何より今の時代に於ける結界魔道具の有効性。

 どれもが理解は容易く、納得させられる。

 それだけに、サイファスラムの言う役割を終えたとの言葉も、事実として受け入れざるを得ない。


「ならば、ついに結界魔道具も止める時が来たのか……」


 話を聞けばそれが結論と思いそうな物だが、ディジーリアがそれに待ったを掛ける。


「いえ、それは早計ですね。今の状態でも、結界の様な何かが在る事は魔力に敏感なら分かります。役目の明らかな護りの結界が在るよりも、何をしているのか分からない謎の結界が在る方が、何か悪さを考えている人が居たとして躊躇するかも知れません。と言うより、私も王様に呼ばれたので無ければ、空中から王城へ入ろうなんて考えなかったでしょう」

「呼ばれたとしても普通の奴は飛んでは来ないと思うがな」

「飛んで行かなければ間に合わない様な時間を指定するからです。

 それと、今まで結界の魔道具に注がれていた魔力が、魔道具が止まれば止まるのか、それとも抑えが無くなって噴出するのかが分かりません。

 王樹の剪定をした時に、王樹が王都の魔力に惹かれて枝葉を伸ばしていたのに気付いたのですよ。王都の住人からの魔力が関係していなかったとしたら、噴き出る魔力が少なくなれば王都に枝葉を伸ばさなくなるかも知れませんし、逆に噴き出る魔力が増えれば王都に向けてより枝葉を伸ばしてくるかも知れません。

 枝葉を伸ばさない方が良いとして魔力の噴出を止めた場合も、思惑と違って王樹が枯れてしまうかも知れませんから、しっかり検討して、検証してからで無ければ実行に移さない方が良い気がします」


 その言葉を聞いて、ガルディアラスは瞑目する。

 どうやらガルディアラス自身における魔術軽視の傾向は、相当に根深いらしいと理解して。

 影響範囲の確認なんて当たり前で、思い付きで実行に移せるものでは無い。

 にも拘わらず、魔術などに時間を割く価値は無いと、染み付いてしまっているが為にこんな言葉が出て来てしまう。


「……お主を名誉魔導師長としたが、どうやらお主に全て任せた方が良さそうだ。

 我ではどうしても魔術を軽く見て判断を誤りかねん。

 指名依頼とする故に、状況が落ち着くまでは研究所とも連携して対処せよ」

「検証には力を貸せますでしょうけど、検討はここの魔導師や魔道具研究室の出番ですね。特にルビーアンさんの記憶には期待大です。書物に残されていない細々とした話や、当時の常識を知る手掛かりは他に有りませんし」


 故に、魔術絡みの政策についてディジーリアに一任したつもりだったが、ディジーリアには軽く回避されてしまう。


 それにガルディアラスが苛立ちを感じなかったと言えば嘘になる。

 だが、よくよく考えれば実権の無い御意見番としての名誉職ならと言っていたディジーリアだ。大仕事を任せても、それが自分の趣味と合わなければ、名誉と思わず面倒と感じるだろう。

 そして指名依頼ならば受けるも受けないもディジーリアの判断になる上に、既に一度遣らかして面白い依頼で無ければ受けないと言われている事を考えると、国王からの直接依頼との箔付けを喜ぶ筈も無い。


 しかしそれを国王相手に平然と返せる相手は、今となっては皆無。

 昔は気軽な遣り取りをしていた将軍達の中にすら、畏まり具申を控える者が出て来ていたりするのだ。


「ぐ……諫言する友を得たと思えば上々か」


 それこそが何よりも宝と思いつつも、ガルディアラスは早々に、失態続きの今日の仕事を諦めたのである。



 ~※~※~※~



 今日の元々の予定は、魔術教本の摺り合わせをする筈でしたが、何故か真面に始まりません。

 朝早い内から来てみれば、王様はちゃっかり別の予定を入れ込んで来ていたり、どうにもおかしな流れです。

 そんなどたばたが終わってみれば、王様はすっかり寛いだ様子で軽食に手を伸ばしているのですから、ちょっと活を入れたくなりますよ?


 そうは言っても、気心が知れている訳でも無い人前で、余りいつもの様に王様と話をする訳には行きません。

 少し面倒には感じ始めてはいても、また別の機会に集まるのも手間ですねと、そんな事を考えていました。


 まぁ、そういうのをつい零してしまいましたら、解決したのですけどね。


「結局、魔術教本はどうすれば良いのでしょうね……」

「うん? 魔術教本なら口出し出来るだけの知見は魔導師に無いと分かったと思うが?」

「いえ、他にも王城からの制約みたいなのが有ると思ってましたけど」

「…………日を改めて……いや、魔術教本の中身はお主に任せよう。どうも魔術に関して我の判断は信用ならぬ。今日一日だけでも、いや、これまで含めて悉く裏目に出ていると思えばな」


 王様にしては随分弱気な発言ですけど、実質太鼓判を貰いました。

 まぁ、それならそれで良いのですけどね。ロルスローク先生や研究室の人と相談すれば間違いは無いでしょうし。

 ですが――


「オセロンドが悪さをして、王様の思考を掻き乱したりとかしてませんよね?」


 シパリング領まで遊びに行ってから、まだ一週間十日も経っていませんが、逆に言えば今も王様の気持ちを浮き立たせていても不思議は有りません。

 それは少し“躾”の問題になりますから、鍛冶師とも無関係では無いのですよ。


「む!? いや――まさか……」

「私の場合“瑠璃”は始めから落ち着いていましたし、“黒”はやんちゃでしたけど私も鍛冶師ですし躾ける方法なんて幾らでも有りましたが、オセロンドは浮かれ騒ぐわんころみたいなものですからね、躾も大変とは思いますけど、放置しても良い事は有りません」

「ぬぅ……霊剣の躾と言われても分からんぞ?」

「まぁ、私は鍛冶師ですから打ち直したりも出来ますけど、基本は“思念”で“言い聞かせる”しか無いのでしょうね。もしかしたら“思念術”で矯正しているのかも知れませんけど。

 それもこれもオセロンドが悪さをしていたならですから、疑いが有るなら『亜空間倉庫』に入れてしまえばいいのですよ」

「お主が忌避した手段を我に勧めるか」

「“黒”も“瑠璃”もそういう悪さはしませんでしたし。でも、悪さをするならお仕置きは当然です。それに、もしかしたらオセロンドの方から使われない時は仕舞われる事を望むかも知れませんよ?」

「……後で試してみるとしよう」


 王様も今日だけの事では無いと言っていますし、実際適当にサインしたりしていたみたいですから、反省する事も有ったのかも知れませんけど、それが『儀式魔法』に対してなら気にする程でも有りません。

 ええ、私でもきっと適当にあしらっていたと思いますからね。


 でもって、王様が気の抜けた様子でいる理由も知れました。

 今日は何をしても上手く行かないと、既にお仕事は終了モードなのですよ。

 そういう日は確かに有りますから、魔術教本の話にけりが付いた以上は、雑談にも応じましょう。


 私以外のメンバーは、既にそういう歓談の場と理解していて、私がお茶会の場に仕上げた席上に並べた「料理」講義の成果をお供に、情報交換しています。

 まぁ、素材だけでも涎が滴る代物ですから、料理其の物も話題にされていたりしてますね。


 ですが、幾ら仕事の話はもう終わりと言ったところで、挨拶の様な一通りの話題が済んでしまうと、結局は鍵となる人物の話題に焦点は戻って来てしまうのです。


「結界魔道具が実用されていた頃の……記憶持ち、か」


 その話題の人物、ずぼらさんことルビーアンは、理解の覚束ない様子ながらも一時の衝動も今は治まって、肩身が狭そうに端の方でこっそり軽食をつついています。

 真面に王様の目がずぼらさんに向けられても、気が付かなかった事にしていますね。

 『拡声』の魔道具を見て憶えた感動は、どうにも彼女には捧げられそうに有りませんけど、ずぼらさんが重要人物なのには変わり有りません。


「まぁ、記憶持ちについては学園でも学んではいますけど、学園でされる只の言葉での説明が、生まれた時から見せられてきた迫真の記憶を覆せる訳が有りませんから、この人のこんな様子も仕方無いとは思いますけどね。

 或る意味使命感に突き動かされて、この場に同席するまでになったのでしょうから、彼女の“記憶”が持つ知識には高値を付けてもいいと思います」

「改めて言われる迄も無い。魔導師室の予算とは別枠を設けてでも報酬を約束しよう」

「まぁ、役に立つ記憶を引き継いでいるかは分かりませんけどね。記憶持ちの記憶は、言ってみれば書物みたいな物です。まだ読んでいない部分は思い出す事も出来るかも知れませんが、そもそも引き継いでいない記憶、書物に書かれていない行間は思い出す事も出来ません」

「……もう少し詳しく。――いや、詳しいのはお主も記憶持ち故か?」

「む、そうなのか!? それで『根源魔術』にも――」


 王様は分かって聞いて来ていますけど、ロルスローク先生が思わず割って入って来たその感想は頂けません。

 何かをすれば記憶持ちだからと言われるのは何とかなりませんかね? 流石にちょっと不愉快なのですよ。

 尤も、そういう視線を向けたらロルスローク先生も直ぐに失言と口を噤んでくれましたけど。


「やめて下さい。影響されてないとは言いませんけど、私は所謂記憶の無い記憶持ちです。何と無く憶えていたのは鍛冶の方法と、それから自由を望む願いでした。最近になって他にも色々思い出せる様にはなりましたけど、私が積み上げてきた物を記憶の御蔭と言われるのは不愉快です」

「……そうだな。済まない」

「『根源魔術』が得意になったのは、『儀式魔法』が使えなかったからです。何故『儀式魔法』が使えなかったかと言えば、私が魔力を無意識の内にも制御していたからです。それは何故かと言えば、それには確かに“前の”私も関係しているかも知れませんけど、それよりは血筋ですね。

 母様が最近冒険者に成って大暴れしてますけど、私よりも魔力が“硬い”感じで、多分母様も『儀式魔法』を使えません。

 もしかしたら、魔力から制御を抜いて何とか『儀式魔法』を使える様になった私と違って、母様は『儀式魔法』がずっと使えないのではと思うくらいですよ。

 何でもかんでも“記憶”と絡めるのはやめて下さいね」


 と、釘を刺しておきます。

 どうでもいい人になら何処で陰口を叩かれても気にはしませんが、親しい人に意図していなくてもそんな事を言われるのは心に響きます。


「それに正直、記憶持ちでは無い人って本当に居るのか、私には疑問なのですよ。

 先程も言いましたけれど、記憶の無い記憶持ちの、思い出せない筈の記憶を最近ぽろぽろと思い出せてしまっていてですね、結構それが煩わしいので神々にも問い合わせしたりと調べてみたのですよ。

 結論から言うと、記憶持ちの記憶は魂が持つ記憶で、魔力とは魂が生み出す力ですから、魔力を持っている限り思い出せないだけで何らかの記憶持ちです。

 記憶持ちを理由に特別扱いするのは無意味なのですよ」

「待て。それでは大部分が記憶の無い記憶持ちにはならないか!?」


 おっと、王様が突っ込んで来ました。

 まぁ、暴走する記憶持ちの大半が記憶の無い記憶持ちと言われている事を考えると、警戒するのも分からないでは有りません。


「ん~……それを説明するのには、もうちょっと前提から話す必要が有りますね。

 そもそも魂とは何か、ですけど、どうやら神界由来の生き物みたいです。それが下界或いは現界と神々から呼ばれる私達の世界に降りて来て、凡ゆる生き物と結び付いているのだそうです。

 なので、死んだ後にも記憶が受け継がれるなんて事が起こるのですね。

 それでこの魂ですが、似通った魂は牽かれ合うらしいです。或る流派の剣士が研鑽を積むと、その流派の嘗ての奥義を閃いたりするのも、嘗てその流派の剣士だった魂が寄って来て、その記憶を引き継ぐからだそうです。

 なので、多くの場合、人は人、獣は獣、植物は植物の魂を引き継いでいくみたいですね。

 でもそれを自然の儘に任せてしまうと、拙い事が起こってしまいます」

「――ッ!? 負の連鎖が起こり得るのか!」

「ええ。罪人の魂は罪人の子供に、不幸な死に方をした者の魂は不幸な生まれの子に、自分の意思か暴走してかの違いは有りますけど、記憶が原因で惨劇を引き起こすのは大体そういう人達だったみたいですね。

 そういうのを好ましく思わない神様が神界には居て、魂の結び付く先に干渉しています。その結び付ける先が花精フラウです。苦痛を知らず、楽しさだけで生きている生き物です。しかも植物系の魔物で、結構な長命種ですから、花精フラウを間に挟めばその前の記憶なんて然う然う思い出す事は有りません。ですけど記憶の引き継ぎを心配される程の魔力の持ち主で、人と人の記憶ですから、記憶の無い記憶持ちと言われるだけの何かの名残は残るのでしょう。

 これが記憶の無い記憶持ち。自然な感じで雑多な記憶を元の形跡が分からない感じで引き継いだのが、記憶持ちとも呼ばれない普通の人達なのでしょうね」

「え……ま、待って!? それじゃ、君の引き継いだ記憶って……」


 何だかんだと記憶持ちの話題だったからか、今度は話が始まってからは食い入る様に凝視していたずぼらさんです。


「……まぁ、最近思い出せてしまう記憶は、面白い記憶では有りませんね。

 でも、全部終わった事なのですよ。私の記憶も、あなたの記憶も」


 同じ記憶持ちで、そして恐らくはより厳しい記憶の持ち主である私が断言したからか、漸くずぼらさんの張り詰めた気が、少し弛んだ様に思えました。

 まぁ、別に深く係わろうとは思っていませんけれど、正直こんな自分の意思を別の記憶で塗り潰される様な結末は不快なので、立ち直って貰いたいものですよ。


 尤も、王様の懸念はまだ解消していないみたいです。


「その記憶にお主が呑まれる危険は無いのか?」


 厳しい表情でそんなお馬鹿な質問をする王様には、フッと鼻で嗤って返しておきました。

 ええ、特級の持つ意思の強さが、頑張ってもランク五にもならない人間の記憶に、今更呑まれる筈が有りません。

 “前の”私が小国の姫と聞いている王様にも、それくらい分かりそうなものですけどね。


 それにしても、今回の王城訪問は、何だか疲れてしまいました。

 途中までは王城や人の歴史が色々と窺えて、面白かったのですけどね。最後の最後で憂鬱なネタが出て来てしまいました。

 記憶持ちの記憶なんて、深く関わる物では有りません。それも他人のなら尚更です。

 迂闊に深入りすると、痛い目に会うのですよ。


 そう、アイタタタタ……っていう感じの痛み、と思えたらいいのですけどね。

 どうにかなりませんでしたかと思いつつ、どうにもならないもどかしさです。

 半生記の登場人物に成り切ってしまって、人生の大半を狂わせた人に、それで済めばいいのですけどね。

 そういう記憶に翻弄された人の話を聞くと、結局私自身に突き付けられている記憶に思いが至りますから、どうにも遣る瀬無いのですよ。


 特級に成る前ならいざ知らず、今の私に“前の”私の記憶がどれだけ真に迫って突き付けられようとも、その記憶に私が惑わされる事は無いでしょう。

 けれど、その記憶は実際に有った出来事なのです。

 記憶の無い記憶持ちの思い出せなかった筈の記憶に、陸な物は有りません。

 譬えそれが起きたのが実際には遠い昔の話で、今はもう何も出来無いとは分かっていても、何かをして上げれればと考えてしまいますし、何も出来ない自分に忸怩たる思いも抱くのです。


 駄目です、駄目です、こんな気持ちでは居られません!

 もっと楽しい事を考えましょう!


 そう思った私は、数日後に迫った初めての護衛依頼の事を考えて、遠く思いを馳せるのでした。



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8/14に王様が戻ってきてからの展開を変更しています。

ディジーが延々喋るだけの展開が、ちょっと納得行かなかったのさ!

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冒険者になるのです冒険者になるのです私は冒険者になって自由に生きていくのです。 みれにあむ @K_Millennium

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