(23)わんわんおーわんわん。

 叫んだら、すっきりとしました。

 考えてみたら、仲間だとか相棒だとか、私には想像上の代物なのですから、嘆いてみせても意味が有りませんね。

 ただ、馬王達とは心が通じた様な気がしましたので、こくこくと頷いてから別れたのでした。


 さて、小路に戻れば小路はいつの間にか大通りとなっていて、道の遙か向こうまで、真っ直ぐに見渡す事が出来る様になっていました。

 森の中を随分と歩いて来た故にか、既に遠くに湖の煌めきが見えています。

 何度か森の中をせせらぎが流れているのを見付けて、少しばかり寄り道はしましたけれど、もう空が茜色を越えて直ぐにでも群青色に変わってしまいそうですので、急がなければいけません。

 湖に着いても、野営の準備も有るのですから。


 ですが、そうは思っても、ついつい冒険者達の姿を目で追ってしまうのです。湖から戻ってくるその姿は、幾ら見ても見飽きません。

 荷車に積まれた大量の獲物、数人掛かりで担がれた毛むくじゃらの巨獣、黒岩豚の様な騎獣に牽かせた巨大な丸太。

 普段そういった大物は、街の北門入って直ぐに在る、冒険者協会の出張所で直接取引しますから、街の住人が見掛ける事は有りません。だから、そんな物を担ぎ上げられて目の前を過ぎられると、何て言うか、迫力が違います。

 そうして出張所で獲物を預けた冒険者は、そこから丘を登って冒険者協会のデリラ支部で手続きをするのです。あんな巨大な荷物を丘の上まで運ぶなんて、考えただけで気が萎えるというものですから、上手い仕組みになっているものです。


 しかし、次々とやって来る見上げるばかりの獲物というのは、そのまま冒険の予感を強く感じさせるものですね。あっちやこっちの木の陰に隠れて覗き込みながら見送りますけど、その度に「ふおお」と感動に打ち震えてしまうのです。


 そうして堪能していましたら、思い掛けずに声を掛けられてしまいました。


「よぉ! じーさん元気そうだな!」


 ……『隠蔽』が働いていなかったのでしょうかね?

 わくわくどきどきしていると、どうにも『隠蔽』も薄くなってしまう様です。

 その瞬間に『識別』して貰う事が出来たなら、私の悩みも一つ解消するのでしょうか。


 そんな事を考えてみましたけれど、見上げてみればこの人は、いつもの失礼な冒険者ですよ! コルリスの酒場に、他の場所でも、何度も声を掛けられたので名前を覚えてしまいました。ランク六冒険者のドルムザックさんです。


「じーさん言うな!」


 取り敢えず、いつもの様に言ってはみましたけれど、何度言っても聞いてくれないのがドルムさんなのです。『いや~、じーさんはじーさんだと思うがなぁ』なんてにやにやしながら言ってくる、失礼な人なのです。今回だって――


「悪い悪い。じーさん森では気を付けろよ!」


 ほら、やっぱり聞いてくれません。

 どうしてくれようかと、胸の前に上げていた両手を今度はこぶしの形に整えて、いっそドカーンと叩き易そうなそのお腹を打ち抜いてみたらと考えていたところで、その上げた腕を掴まれてしまいました。

 もしや見抜かれてしまいましたかと思ったのですけれど、どうもそうでは無かった様です。


「おいおい、じーさん! こりゃ何だ!?」


 目を見開いた驚愕の表情で、視線は私の袖の中へと消えています。

 それに誘われる様にして、私も自分の袖口の中を覗いてみましたら、そこから見える肌の色が、青黒く斑に変色していて、どう見ても医療所行きです。

 痛みは無いので、どうやら昨夜の裁縫作業の間に纏わせていた魔力の効果で、内側は既に治っている様ですね。

 そして、こんな青痣が出来る様な出来事には、一つしか心当たりは無いのでした。


「ふっふっふ、これは名誉の負傷なのですよ! 脳筋との戦いを凌いだ証なのですよ!」

「は? 脳筋? 何の事だ?」


 思わずにまにまと口を滑らしてしまいましたが、ここで脳筋姫様との出来事を洩らす訳には行きません。姫様に通報されてしまっては、捕縛隊が派遣されて来るかも知れないのですから。

 そういう時は逃げの一手です。


「ふはははは! 今こそ脳筋の魔の手を振り切って、冒険の旅へ出る時なのです!!」

「いや! こら! そんな怪我で探索なんてすんじゃねぇよ! 大人しく休まねぇか!」

「駄目ですほとぼりが冷めるまで街へは帰れないのです! 冒険なのです冒険なのですよ!」

「おいこら待て! もう日も沈むぞ! 待て! 待ちやがれ!!」


 さっさと湖に行ってしまえばいいのですと思ったのですけれど、じーさん呼ばわりの失礼な人にも拘わらず、心配したドルムさんが追い掛けて来ます。

 仕方が無いので色んな『根源魔術』の力を使って『隠蔽』を強めに掛けていると、速度を緩めた私の横を、ドルムさんが猛然と追い抜いて行きました。


「ふはははは!! 湖へは俺が一番乗りだぜぇ!!」


 後で考えれば、それは私を炙り出す作戦だったのでしょうけれど、私はまんまとそれに引っ掛かって、『隠蔽』の事も忘れてその後を追い掛けたのです。


「ひ、卑怯ですよ! い、一番乗りは私です!!」

「ふははははははは!!」



 そして湖に辿り着いてしまいました。


「いっちば~ん~~♪」


 追い付けませんでした。

 私もかなりの速さだと思っていたのに、私の倍近い背丈はずるいのです。足の付け根が私の胸の辺りに有るのです。そんな足で飛ぶ様に走られたら、幾ら私が頑張っても追い付けないのです。


「ずるいです! ずるいです! 背の高さが違うのです! 卑怯ですよ!!」


 先程は躊躇していた私の右拳が、ドルムさんの右腿に炸裂します。

 ガツンと音がしたのは、石甲でも入っているのでしょうか。


「こらこらこらこら、怪我すんぞ!?」


 何もこたえていない事に余計に腹が立ちます。

 ですが、魔力で強化した拳は、そんなに柔じゃ有りませんよ!


「たぁー!!」


 渾身の一撃です。


「ほれ」


 ですが、軽く上げた膝であしらわれてしまいました。

 なら。右側面に回り込んで、膝の裏に抉り込む一撃です。


「うりゃー!!」

「ほいよ」


 片足で上手くバランスを取って、高く上げた靴の踵で押さえられてしまいました。

 ですが、ふふふ、体が開いてしまいましたよ?

 今こそ父様をも一撃で斃した急所に、必殺の左拳です!!


「とぉーーー!!!」

「こらこらこら!!」


 とどめの一撃は、ドルムさんが下げた右掌で止められてしまいました。

 軽くあしらわれてしまっているのです。


 じわりと涙が滲みます。

 何故だかとても悔しいのです。

 父様に街の外への依頼を止められた時も、こんな風に悔しい思いはしませんでした。

 あの時はあの時で思い出したくは無いものですけれど、でも、今は悔しいのです。


 敵わないのが悔しいのとも違います。

 別にドルムさんには敵わなくても、毛虫にも芋虫にもそしてきっと蜘蛛にだって、後れを取る事は有りません。鍛冶にだって不足を感じた事は有りません。


 そんな事より、きっと私は、自分の道を邪魔された事が悔しいのです。

 豊穣の森が描かれている地図を見たその時から、私は冒険の舞台となる湖を訪れて、初めて見るその光景に「おお!」と感動する瞬間を夢見ていたのです。

 でもその瞬間は、目の前の無粋なドルムさんに掻っ攫われて、その機会は永遠に失われてしまったのです。


「わ、私の感動を返して下さいなのですよ!!」


 ドルムさんの手を振り払い、『隠蔽』をぐっと強めました。

 考えてみたら、私が決めた私の道が、完全に閉ざされた事は今迄有りませんでした。

 父様の事にしても、今私が冒険者をしている事を考えれば、本気で道が閉ざされていた訳では無いのです。

 ですが、今回ばかりは私が決めた“最初の”湖の到着での感動というものは、もう手に入れる事は出来ません。

 冒険者に成りたいといった願いとは、重みは当然違いますけれど、それでもどうにも成らないこの気持ちはやっぱりどうにも成らないのです。

 私自身、私の道を妨げられた時に、こんなにもどうしようも無い気持ちになるなんてこれまで思ってもみませんでしたが、ここはしっかりと懲らしめないと、どうにも納得が出来ないのですよ!


 きっと脳筋姫様に向かったその時よりも、何倍も激しく本気になって、ドルムさんの死角から飛び掛かります。


「よっと」


 後頭部を狙った拳が、何故振り返りもされずに受け止められてしまうのかが分かりません!

 そのまま落ちながら、足の甲を踏みつけに行きます。


「てい!」


 踏みつける前に蹴飛ばされてしまいました。

 跳ね上がる様にして蟀谷こめかみを膝で狙いましたが、


「ははー、なかなか!」


 回す様に受けた手でそのまま軽く投げられてしまいます。

 右かと思えば左から。魔力の気配だけ上に飛ばして足下を。声だけ反対側に飛ばしてみたりと色々と試してみましたが、全て流されてしまいます。丸で攻撃が届かないのは脳筋姫様にも似ていて、それよりも何故か何気なくあしらわれてしまうのはどういう事でしょうか。

 最後にはバランスを崩した私の背中を背負い鞄ごと踏み付けられて、動けなくなってしまいました。


「ほれほれ、がきんちょじーさん、ちょっと落ち着け?」


 じーさんにがきんちょが付きました。


「ドルムさんこそがきんちょじゃないですか! 私の初めてを返して下さいよ!!」

「おいおい、人聞きの悪いことを――」


 その時、踏み付けられた私の背負い鞄の中で、パキリと音がしたのです。


「わーー!! 壊れるぅ!!」

「うぉおっ!?」


 飛び退こうとして、ドルムさんが初めてバランスを崩しました。

 かさず、ドルムさんが飛び退く方向に転がって、背中がそちらを向いたら鞄を潰さない様に跳ね上がって、低空でくるりと回転しながら爪先を軸足の臑に突き込みます。


「ぐうっ! お、お、お前なぁ!?」


 じーさんもがきんちょも消えました!

 ……そう言えば、ブーツの先端には、尖らせた鉄板を仕込んでいましたっけ?

 やりました! ふふふふふ、一矢報いてやったのですよ!



 それでも少しはもやもやとした気持ちが残りましたが、今はそれも少しずつ解消中です。

 臑を擦りながらもぐりぐりと頭を撫でくられて、焚火を適当に造り上げてから「喰って寝ろ」と渡されたのが、いい具合に炙られた何とも美味しいお肉です。

 匂いだけで溜息が出そうになるお肉なんて初めてです。


「大体、陽が沈んでから探索に来るんじゃねぇよ、ったく」


 愚痴愚痴言いながら、焚火の向う側でドルムさんがお肉の串を地面に刺していくのに合わせて、私も鞄から取り出した蜘蛛脚に塩をまぶして地面へと刺していきます。

 やっぱり幾つかの脚は割れてしまっていましたけれど、食べてしまうなら関係有りません。

 指に付いた塩と蜘蛛汁の混じったエキスを舐めてみましたけれど、ええ、これは期待が出来そうなのです。


 そう思いながらももう一口お肉をぱくり。

 程良い歯応えと、口の中一杯に広がる美味という名の芳香が堪りません。


「……お肉の為の冒険者というのも、有りかも知れないですね」


 胸の内では、リールアさんのお野菜と、このお肉とが接戦を繰り広げていますが、決着は着きそうに有りませんでした。


「妙な気を起こすんじゃねーぞ? 森には手を出しちゃいけない奴らも多いんだからな、じーさん」


 む、またじーさん呼ばわりですかね?

 でも、色々と聞いていた話と違うので、ここで確かめるのが良さそうです。


「じーさん言うな! ……森の生き物は皆獲物なのでは無いのですか? そう習いましたよ?」

「…………そういや、学園で見掛けなかったな。おい、じーさん学園はどうした?」

「じーさん言うな。っくに卒業資格を得ていますので、学園には行っていませんよ?」

「…………協会は?」

「昨日ちょろっと寄りましたけれど?」

「……………………がぁ~~っ!! 俺の苦労がっ!!」


 聞いてみると、どうやら学園で教えていた講師の冒険者が、随分と見栄を張ったことを色々と話してしまっていたらしいです。森の生き物は皆獲物なんていうのも、初級にも成り切れない冒険者の卵には、言うべきでは無い事だった様ですね。

 そんな話を聞きながら、香ばしく焦げ目を付け始めた蜘蛛脚を一本手に取ります。

 やっぱりお魚の様で、匂いも悪く有りません。小さく囓ってみると、凝縮された旨味がまぶした塩と絶妙な調和を奏でて、お肉ともお野菜とも違う初めての美味しさです。


「――と、言う訳でな、嘘じゃねーが、余程の実力者じゃ無ければ早死にに一直線だな。そうで無くても友好的な妖精シー森狼ウルマに手を出すなんてのは、頭のおかしいドルバルールの奴らくらいのもんだろ」

「ほほう。やっぱり狼は敵では無いのですね。『狼とわたし』を読んでいて良かったです、はむ」

「ま、中には悪さする奴も居るが、それは人も同じだな。豊穣の森で手を出さない方がいいのは、森狼ウルマ大森狼クォウルマ歪紫蚯蚓ラワンワーム。この辺りは森犬デリガウル歪蚯蚓ワームを相手にして勘違いした奴らが引っ掛かりやすいが、犬と狼ではランクが違うし、猛毒の歪紫蚯蚓ラワンワームは専用の装備が無けりゃ上級でも手を出さんよ。水魔スライム魔霧フォグは魔術が使えなければ難度が跳ね上がるし、見た目で騙されるのがチュルキ――……おい、何を喰ってんだ?」


 声を掛けられて、止まらず齧り付いていた蜘蛛脚を思わず隠そうとしてしまいましたけれど、考えてみれば蜘蛛脚は大量に有るのです。鞄も圧迫してしまっているので、荷物を減らすのに否やは有りません。


「お肉と交換ですよ」


 と、いい具合に焼けたのを三本差し出すと、ドルムさんは呆れた顔付きで受け取ってから、反対側の手でガシガシと頭を掻き、手が肉汁で汚れていたのを思い出したのか顔を歪めてズボンに手をなすり付けました。


「あー、塊乱蜘蛛チュルキスも危険なんだよ! ……たく、後は友好的な妖精シーとかだが、結局のところは自分で見て判断するしかねーな!」


 自棄糞やけくそ気味に言いながら渡してくれたお肉は、やっぱり美味しかったのでした。



 寝ろと言われたので水浴びをしようと思ったのですが、この湖には肉食の魚や魔物が山と居る様で、水中の対策を何も考えずの水浴びには適さないらしいです。

 仕方が無いので「流れ」で水を操って、私を覆える程のぽよぽよした水の塊を岸辺へと千切り取りました。鞄も下ろしたら、装備を身に着けたまま頭から潜り込みます。

 びたんびたんと仰け反って、叩き込む様に水を体と装備に馴染ませたら、「流れ」だとか「活力」だとかを使って、汚れを浮き上がらせていくのです。使えているかは分かりませんが、「斥力」も使えればと意識しているので、それも少しは効いているかも知れません。


「おいっ! 何をぼさっと見ている! さっさと助けないか!」

「いや、待て待て……水魔スライムじゃねえよ、魔術だとよ……」

「は!?」

「だから、魔術を使って水浴びをしてるんだと」

「…………は?」


 どうやら外が騒がしいですけど、一日振りの水浴びはとても気持ちがいいですね。汚れの膜が、ぺろりと剥がれる様な気がします。


「――ぷは!」


 水から上がる際に、「流れ」を使って水気を切って、序でに「活力」で体を温めればほかほかといい気持ちです。洗濯も一緒に済ませてしまいましたけれど、思った通り『根源魔術』は野営との相性が抜群ですね。


「はぁ~~、さっぱりしましたぁ」


 岸辺から少し離れた場所に、見張りをしてくれていたドルムさんと見知らぬ細身の髭の小父さんが居ました。

 何故だか小父さんがげんなりと肩を落として、それをドルムさんが励ます様に肩を叩いて、そして小父さんは疲れた様に手を振りながら、離れた場所で野営する仲間の下へと戻っていきました。


「寝ろ」


 と言うドルムさんの言葉に従って、背負い鞄の中から寝袋を兼ねた厚手の毛布の寝間着を取り出します。採集物を入れる場所は、他と分けた上に内側を海魔の水衣でコーティングしているので、蜘蛛脚の匂いが移ったりはしていません。

 昨日急いで作った背負い鞄ですが、構想をしっかり練っていた為に、理想的な鞄が出来たのです。

 そんな鞄に脱いだ黒革鎧を被せます。黒革帽子も鞄に括り付けた鎚の柄に被せます。一度ブーツを脱いでから、寝間着を被って再びブーツを身に着けます。帽子の様なフードをしっかり被れば寝る準備は完了です。


「…………なぁ、そりゃ何だ?」


 ドルムさんが聞いてきますが、ここは自慢しておくところでしょうか。


「ふふふ……昨日出来上がったばかりの逸品ですよ? 厚手の毛布で作った着る寝袋です! 無防備な野営中でも、直ぐ様動ける優れ物ですよ!」

「…………その頭は?」

「む、このフードですか? ふふふふふ、森犬の形をしたフードには、襲ってきた森犬を戸惑わせる効果があるのです! 一瞬でも隙を作れれば、その分有利になるのですよ!」

「…………その胸の……何だそりゃ?」

「胸の当て布は冒険者対策なのです。本物の森犬に間違われない様に、冒険者協会の認識証を大きくした形の布を貼り付けたのですよ! 人獣の冒険者と同じです。これでもう間違われることは無いのですよ!」

「……………………」


 何だか、ドルムさんは言葉を無くしています。

 駄目ですねぇ。言いたいことは口にしないと、伝わらないのですよ?

 言っていても伝わっていない事も多いというのに、口をつぐんでしまうのは失策です。

 私ももっと言いたい事を言っていたなら、家を出る事も無かったかも知れないのです。

 まぁ、今更ですし、今は今で楽しいですからいいのですけどね。

 ドルムさんがだんまりを決め込むのなら、それはそれで構いません。


「ガウッガウッガウッガウッガウッガウッガウッガウッ」


 ドルムさんの目の前で、森犬への擬態を実演します。

 ガウッと一言吠える度に、両手を引っ掻く様に動かすのです。

 「ぐふっ」と小さく息が漏れるのに気をよくして、更に畳み掛けるのです。


「ガウ! ガウ! ガウ! ガウ! ガウ! ガウ! ガウ! ガウ!」


 今度はガウ一つに付きポーズを一つずつ決めていきます。

 おや、さっきの細身の小父さんもこちらを見ていますね。五回に一回は小父さんにもポーズを決めてみるのです。


「ええい! めい! それの何処が森犬だコラ!」

「森犬を見たことが無いのですから、仕方が無いじゃ無いですか。そんなことを言うなら、見本を見せて下さいよ!」

「ん!? む……だな、森犬ってのはこんな感じで、――ワオオワオーン! ……て、何やらせんだ!?」

「こうですか? ワオオワオーン! ワオワオーン!」

「だー! めろって!」


 そう言いながらも、私がワオワオガオ! と森犬ステップを踏めば、私がドルムさんの周りを三周回る内に一回二回はワウワウオー! と返してくれます。

 あれですね。ドルムさんは只の失礼な冒険者では無かったのです。

 私の攻撃をあしらうのと同じく、私自身をも上手いことあしらうのです。

 きっと、森の動物達も、軽くあしらうに違い有りません。

 今でも怒っていますし、もやもやも残っているのですが、そういうのを抜きにしてもドルムさんには無茶をしても大丈夫な気がするのです。


 そんな人を相手に、いつまでも怒っている事も出来ません。

 ゾイさんともグディルさんとも違う冒険者仲間です。

 おお! もしかしてこれがこぶし友情ですかね? ふふふふふ……。

 そんな事を思いながらもガウガウガウ。

 いつの間にか、遠くで眺める細身の小父さんの前に、まだ若々しい冒険者が顔を強張らせて立っていました。


「ガオッガッガッガオガオワオッワワオー♪」


 いつの間にか、私の森犬ステップも最高潮です。

 ぼんやり見ていれば分身して見える位に、飛び跳ねながらポーズを決めていくのです。


「ちょ、こらじーさん、お前な……くく、ガオガオワオーン、うははははは!」


 ドルムさんも、何が壺に入ったのか、時々ワオワオと返しながらも笑い転げています。


「ガオガオガオガオガオガオガオガオワオワオワオワオワオーン♪」


 ですが、突っ立っている冒険者は、折角の森犬ステップに一瞥も投げようとしません。先から笑い転げながら森犬の真似をするドルムさんを凝視するばかりです。

 遠くで見ている細身の小父さんが、突っ立っている冒険者とドルムさんに視線を投げながら腹を抱えて地面を叩いているのに対して、反応というものが有りません。

 丸で私の事が見えていない様です……よ?


「ガオガオワオ!」


 突っ立っている冒険者の前で、三つステップを決めてみました。

 …………見ていませんね?

 もしかしたら、夜の闇も相俟って、普段の切れない『隠蔽』が強く働いたままになっていますでしょうか。

 細身の冒険者は『看破』持ち、ですかね?


「ワワンワオー!」


 ドルムさんの周りで、飛び切りのステップを決めてみます。

 嗚呼、やっぱり私の事は見ていません。

 私を見ない彼の目には、何が映っているのでしょう。


「ガオガオガオガオワワンワオー♪」


 これはしっかり決めないと!

 ――と、気合いを入れてしまったのがいけなかったのでしょう。


「おい、コラ、何を気にして――」


 視線を投げたドルムさんと、絡み合う突っ立ち冒険者の視線。


「ワオワオー?」


 バッと振り向いたドルムさんと、見詰め合う私。


「――寝ろっ!」


 と叫ぶドルムさんの声に、私は跳び上がって木に飛び付き、その上にじ上って太い枝に抱き付く様に身を横たえました。

 ドルムさんは焚火近くのその木に背中を預けて、顔を隠す様にして眼を閉じてしまったのです。


 そうですね。もうすっかり暗くなっているのですから、寝ないと明日が大変です。

 それ以上に、下手に疲れ切った状態で眠り込んでしまうのは、魔の森の中で危険なんて言葉では済まされません。

 木の上で収まりの良い所を探して、ごそごそ動きます。

 枝分かれに頭を乗せて、お腹の辺りも凹んでいるこの枝が、一番体が楽かも知れません。

 手足をぶらんと垂らせば、木の上に干されている犬皮ですね。


 でも、眠れません。

 パチパチと鳴る焚火の音に辺りを見渡せば、木の葉の隙間から何組もの冒険者達が野営しているのが見られます。

 大抵一人か二人見張りが起きている様で、話し声も聞こえてきます。

 木の下のドルムさんは――独り目を瞑って眠っている様に見えますけれど、何かが有れば横に立てた大剣が飛んで来る様に思えます。

 時折焚火に薪を放り込むのは無意識の動きに思えますが、もしかしたらそういう技能が世の中には有るのかも知れませんね。

 多分一つは『警戒』でしょう。もう一つは『夜番』とかいうのが有ってもおかしくない様な気がします。


 あ! と私は、思わず声を上げそうになってしまいました。

 私の大切な背負い鞄が、黒革鎧に瑠璃色狼といった私の装備と一緒に、地上に置きっ放しになっています。

 これはいけません。折角直ぐに動ける着る寝袋を作ったとしても、装備がったらかしでは、意義が消え失せてしまいます。


 ドルムさんは……起きているのか寝ているのか分かりませんね。でも、しっかりと『隠蔽』を効かせて、そうっとそうっと枝の上を木の幹まで後退あとずさりして、音を立てない様にゆっくりゆっくり木の幹を降りていきます。

 何と言ってもドルムさんは木を背に寝ているのですから、『根源魔術』で音を消しても、振動が伝わっては意味が有りません。

 そうして地上に降りた私は、暫くじぃっと私の荷物を見詰めていました。


 木の下、ドルムさんの脇に置かれた私の荷物。どう頑張ってみても、奪われたりする未来が思い浮かびません。

 暫くは、このままで問題無いですよね?

 そうです! 夜はこれからなのですよ!


 そうろりそろりと、私はドルムさんから離れて、湖へと向かいました。

 夜の森ですから、念の為薄く広げた魔力で、見えない敵が潜んでいないかも確かめながらの夜行です。

 魔力を広げると言っても、普通森の中は街の中より魔力を広げるのにも抵抗が有ります。これは、生きた毛虫が私の魔力に抗うのと同じで、森に満ちた魔力が私の魔力の邪魔をするからです。

 水の中なら尚更でしょうか。

 ですが、緻密というなら比べ物に成らない鉄の隙間に魔石の魔力を打ち込んだりもした私なら、そんな抵抗は妨げにも成りません。隙間を縫う様に私の魔力を広げれば、水の中も手に取る様に分かるのです。


「うわぁ~~……」


 湖の中に潜むのは、魚の大群に泳ぐ蜥蜴や謎の影。水の上からも時折鱗や眼がきらりと光るのが見えて、何故だかどきどきわくわくしてきます。


 魚たちの乱舞をしっかり楽しんだら、今度は木の上からも気になっていた草っ原の一角へと向かいます。


「おお~~……」


 小さな鈴を数十も連ねた様な花の房を持つ草は、それぞれ白いのや青白いの、薄紅色のと花を光らせ揺らめかせていました。

 ……まぁ、光っているだけです。食べてもお腹を壊しそうですし、特に素材にも成りそうに有りません。

 しかし、何が光っているのかを確かめることは出来ました。

 こくこくと頷いて、私はその場を立ち去ります。


 遠目にドルムさんを回り込みながら、今度は細身の小父さんが居た天幕に近付きます。

 ですが、小父さんは休んでいるようですね。外に居るのは、突っ立っていた若い冒険者です。今は、頭を抱えて項垂れていますが、それでは見張りは出来ませんよ?

 そんな冒険者の周りで森犬ステップを踏んでみますが、やっぱり気が付かない様です。

 と、思ったら、天幕を捲って細身の小父さんが目を覗かせました。


(ガウガウ!)


 声には出さずに飛び跳ねてみましたら、じと目でまた閉めてしまいました。

 こくこくと頷いて、私は次の場所です。


 そうしてうろうろしながら、結局元の場所へと戻ってきました。


(ガウガウ!)


 と、ドルムさんに威嚇のステップを踏んでから、私は荷物の確認に――


「寝ろっつーの!」


 みぎゃー! 後ろから太い腕が、お腹に巻き付いて来ました。

 動けません。動けませんよ!?

 何故だかぴったり巻き付かれて、首を動かす事も出来ません!

 ひやー! リズムを付けて背中を撫でないで下さい!

 私はまだ眠りませんよ! 夜はまだこれからなのです!

 眠ったりなんかはしないので――――

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