(48)スカさん達は王都へ向かう。

 丁度その頃、デリラの街を遠く離れ、デリリア領すら遥か後ろに、王都へと続く街道を行く二台の獣車が有った。

 デリラの街から王都までの残り約五分の一の地点。ずんぐりとした二本の巻き角の騎獣毛角牛ロンゴルが、獣車を牽いて一定のリズムを刻んで進んでいる。

 毛角牛は、平地だろうが沼地だろうが山道だろうが荷物を牽こうが変わりなく、常に同じ歩調で進む事から、獣車には最適とされている。尤も、野獣や盗賊の類と出会っても、歩調を崩さないのは厄介な性質では有ったが、そこは護衛の腕の見せ所だ。


「旦那ぁ~、あと三日もすれば王都でやんすねぇ」

「王都か……俺は初めてだ。クアドリンジゥルの門は王都の近くなのか?」

「くく、旦那、それは無茶でやすよ。門は王都より更に北へ十日は有りまさぁ。デリリア領の領都がおかしいんでやんす」

「十日……。ま、獣車走らせるだけで済むなら、最初のあれよかましだな」


 ディジーリアの依頼を受け、大猪鹿の素材を運ぶ、スカラタ運送とその護衛達である。

 先頭の獣車の御者をするのはスカラタ運送のスカーチル。屋根に座って警戒するのはランク三の冒険者ゾーラバダム。更に屋根には後方の警戒に当たる少年と、獣車の後部スペースで木枠に凭れ掛かる大男。

 続く獣車は、御者が同じくスカラタ運送のラターチャ。後はスカラタ運送の人足数名と、ゾーラバダムの仲間の冒険者が一人。

 そんな彼等が乗る獣車は、寧ろ屋形船に車輪を設けたと言ってもいい奇妙な形をしている。

 ゾーラバダムが顔を顰める、道中の最初の難所の為である。


 デリラの街が在る丘もその南端に在る一つとして数えられる、奇妙な形の山岳地帯。デリラの街から王都へ向かう方面に立ち塞がる様に、お椀を伏せた様な形の山が点在するその場所は、旅を妨げる広大な湿地帯でもあった。

 そもそも、それらの山は、地の底から噴き上げる水が作り出したものと考えられている。誰も確かめた者は居ないが、恐らくは地の底深くに水の世界に通じる界異点が在り、そこから常に大量の水が供給されているのだと。

 デリラの街の様な、外れに単独で在る様な噴出口ならば、その湧き水も街の生活用水や、街の周りを占める耕作地帯の灌漑用にも有用な、恵みの水とも言える物だったが、周り中に噴出口が在るとなれば、手に負えなくなるのは自明の理だ。

 加えて言うなら、その形や性質から何とも言えない呼び名で呼ばれるその山岳地帯は、山陰やまかげが多い上に旅人は足止めされる事から、野盗や山賊達が良く巣くう危険地帯でも有った。

 尤も、ライクォラス将軍のお膝元だけに、定期的な見回りと討伐が行われている。しかし、この手の輩の特徴として、何処からともなく何時の間にか湧いてくるものだ。


 斯くして、危険の多い広大な湿地帯に阻まれて、デリラの街は辺境の中でも更なる果てになっているのである。


 こんな場所を通り抜けるには、ランクの高い護衛が必須である。

 獣車で行くなら、それに加えて舟獣車や、あるいは分解可能な特殊な獣車を用意するか、高い金を払って渡しの巨獣を利用するしかない。橋を架ければ横切る魔獣に壊されて、土で埋めても何だかんだと海へと続く流れが有るからには、そんな土もやがて流され無意味となる。

 そんな土地で、労力ばかりが嵩む開発は割に合わない。湿地を利用するとして、精々が湖沼地特有の作物を特産物とするくらいであり、湿地帯を貫く街道の敷設なんていうものは、疾うの昔に諦められていたのだ。


 そこを通るのに、スカラタ達が利用する事にしたのが、先にも述べた舟獣車である。舟の形をしているからと言って、必ずしも水に浮かせる事を目的とはしていないが、全周のへりが水の侵入を防止して、荷は万全に保たれる。

 他の方法を採用するには、大猪鹿の肉や素材は、少々リスクが大き過ぎた。

 不安定な巨獣を利用するには運ぶ荷が繊細であり、獣車を分解して騎獣に載せるとしても、今回の荷は流石に人目に晒せない。

 『亜空間倉庫』持ちの特級冒険者に依頼するなんてのも、氾濫が起こっているのに特級冒険者が出張ってきていない時点で現実的では無い。

 針路を保つ為には少々自らも湿地帯に入って泥を被る必要が有ろうが、湿地帯を抜けるのに数日他より日程が嵩もうが、安定して進める舟獣車がこの場合には最適だったのだ。


 その分護衛への負担も増えるが、それはゾーラバダム一人居れば充分だった。

 野盗に堕ちる人間はランクも低い。精々が徒党を組めば魔物を斃せるランク八。初級冒険者の護衛パーティを、不意打ちと数の力であしらうことが出来るのがその辺りだ。それ以下ならば、初級冒険者にも勝てず、またそんな役立たずは野盗の中でも生き残ることは出来ない。そしてそれ以上なら、野盗をするより冒険者をする方が面白可笑しく生きていける。

 時にランクの高い凶状持ち紛れている事も有るだろうが、そんなランクの高い者は、こんな辺鄙な田舎道では無く、主要街道に潜んでいるものだ。

 だから、紛れていてもランク六。安全を見てランク五と考えても、ランク三のゾーラバダムとの間には、小鬼ゴブリン大鬼オーガ程の隔たりが有る。


 だからこそ、彼等が費やしたのは、純粋に湿地帯を抜けるだけの日程だ。

 それで十日。

 うんざりするには十分な時間だった。


 それと較べれば、水に沈んでいる訳でも無い極々普通の在り来たりの街道を行く十日間は、ちょっとした小旅行気分で行けるだろう。そんな場所に在るクアドリンジゥルの門は、デリエイラの森とは違って、入って直ぐから高ランクの魔物が大挙して押し寄せてくると聞いている。ハイリスクでハイリターン。危険も多いが得られる素材の量と質は、深部まで何日も掛けなければならないデリエイラの森とは較べ物にならない。

 だからこそ、通称“門”は、高ランクの、特に行き詰まりを感じ始めた冒険者にとっては、聖地の様な場所だった。


「ま、態々行くつもりも無いがね」

「へぇ? 旦那は興味が無いんで? ガズンガルの旦那なんかはとても行きたそうにしてやしたが」

「そりゃあ、ガズンに取っちゃそうだろうな。門で鍛えた冒険者は、揃って筋肉むきむきの似たり寄ったりになるって噂だ。でもそれは俺の趣味じゃ無い」

「あー、全員が前衛の全力集中短期決戦って訳でやんすか」

「討伐系の冒険者ばかりが冒険者じゃないよな? デリエイラの森ももうちょい探索が進めば、上級や特級にも旨味が出てくると思うんだがなぁ。討伐が趣味ならガズンらの様に黒大鬼でも狩ればいいし、巨獣地帯を抜ける事が出来ればクラカド火山の周りは殆ど手付かずだ。暗黒地帯なんかはまだ何も分かっていない。戦うだけの魔の領域と違って面白いと思うんだがなぁ」

「そんな深部から持ち帰るのは、それだけで大変でやんすけどね。んん! いっそ深部までの一本道を拓くってのはどうでやんす? 真っ直ぐ固めた一本道が有りやしたら、深部からでも一日で持ち帰って見せやすぜ?」

「くくく、また無茶を言うな。だが、湿地に道を通すよりも楽そうなのが何とも……。よくもまぁ、あんな所に領都を定めたもんだ」


 しかし、何故そんな便の悪い辺鄙な場所に領都を定めたのかと言えば、全ては領主ライクォラスの想い有っての事だった。

 ――デリリア領の存在意義とは、魔の大森林デリエイラに対する防衛である。

 その命題を真摯に受け止め、嘗ての領主が失敗を重ねた理想を具現化する為に、愚直に取り組んできた結果が、魔の大森林を間近に臨む領都デリラの姿だった。

 見捨てられた砦が人々の笑いさざめく領都と成り、

 魔物達が跋扈していた草原にはその姿を見なくなり、

 逃げ惑うばかりだった村々の住人達は、穏やかな日々を過ごす様になった。

 そして、安定して討伐されるデリエイラの魔物達によって、デリリア領に富さえ齎した。

 領主ライクォラスは、絶大な支持を持って、四十年の長きにわたりデリリア領を治めてきたのである。


「デリラの街は将軍有ってのものだかんな~。――おっと!」


 そんなデリリア領の現状へと思いを馳せていたゾーラバダムが、素早く弓? を構えて矢を放つ。

 射られた矢は、街道の脇から姿を現した老爺? の額に、吸い込まれる様に突き刺さり、突き抜けた。

 小鬼ゴブリンである。

 土地によって姿の違う小鬼ゴブリンは、少し前の宿場町では岩人形の様な姿だったが、王都の近くに来て小柄な老爺へとその姿を変えていた。


「うへぇ。王都近くの小鬼ゴブリンは、爺さんにしか見えんから気が滅入るな」

「岩の小鬼ゴブリン相手でも愚痴ってたでやんすよ?」

「弱いのに岩だと矢を弾くからなぁ。たく、魔の領域を離れれば確実にランク一つ分は弱くなってやがんのに、何で態々出て来るんだか」


 言っている間にも矢は飛んで、爺さんな小鬼ゴブリンむくろが増える。


「おーい、伯父貴! 回収はしないのか!?」


 屋根の後ろに腰掛けていた少年が、前へと振り向いて問い掛けた。

 ゾーラバダムは顔を顰めて、しかしまた矢を放つ。


「……お前、俺らが今何をしてるか分かってるか?」

「分かってるよ! 護衛だろ! でも、伯父貴が全部仕留めちまうんじゃねぇか!」

「はぁ~、やれやれ。この分じゃ当分花畑からは出られんな。今勉強しないで何時するんだ?」

「伯父貴のは凄すぎて参考にならねぇんだよ」


 声を交わす度にゾーラバダムは機嫌を悪くし、最後には到頭怒鳴り付ける。

 つい先程まで機嫌良く駄弁っていたのが、目を疑う様な急落振りだった。


「それでもそこから盗み取るんだ! ……はぁ、いいぞ、その調子では何で見張りの真似をさせているかも分かってないだろ。ただ見るんじゃ無いぞ。集中して注意深く目だけでは無く全身で見るんだ。だが分かろうともせずやる気も無いなら、駆け回っている方がまだましだ」

「隠れている奴が居たって言うんだろ! そんな奴は居なかったじゃねぇか!?」

「居ーたーんーだっ! たく、何だ!? それじゃお前はドルムの奴がおかしくなったとでも言いたいのか!? 『隠蔽』持ちだと言っても『隠蔽』する気も無く踊りまくっているのぐらい気付け!」

「あれは、ドルムさんが……」

「それだけじゃねぇ! そいつはその後、うろうろしながら俺らの天幕までやって来て、お前の前でも飛び跳ねてたぞ! お前は見張りだってのに、俯いて何してやがった! 今回俺がお前を連れてきたのは勉強の為も有るがそれだけじゃ無い。危なっかし過ぎて置いておけなかったんだよ! いい加減、冒険者は死と隣り合わせなんだと頭に刻め! これでも分からないなら、お望み通り爺小鬼ゴブリンの死骸でも漁って、死をその身に感じてこい! ほら行けよ! 行け!」


 慌てて飛び降りて駆けていく甥を見送って、ゾーラバダムは身悶える。

 もう、こんな遣り取りがデリラの街を出てから何度も繰り返されていて、今や口を利く度に情け無いやら申し訳無いやら。

 それでゾーラバダムは頭を抱えてしまっているのだが、では彼の甥が特別愚かしいのかと言えば、そうとも言えないのが現状だった。


 そうで無ければ、花畑を占領する初級冒険者や、森狼にちょっかいを出す冒険者が現れる筈が無い。

 今やデリラの街では何処も彼所も冒険者達が伸し歩き、丸で冒険者というものが在り来たりの職業の一つ、寧ろ簡単に成れて景気も良い、そんな勘違いを為出かしそうな光景が溢れていたのである。

 なまじライクォラス将軍の下、統制が取れているのも有ってか、街には有り得ないくらいにお行儀のいい冒険者しか居なかった為、勘違いする子供が一定数出てくる事は、仕方無い事かも知れなかった。


 尤も、大多数の子供達はそんな勘違いはしない。しかし、勘違いしない子供達はまず堅実な職業に就こうとする為、勘違いした子供達と行動を共にすることは無い。また、勘違いではなく真面目に冒険者を目指す者――例えばグディルファサやディジーリア――も、これも独自の道を模索する為、袂を分かつ事になる。

 結果として、酷く楽観的な、集団行動の子供達が残される事になる。彼等に都合のいい妄想のみを受け入れた、そんな独り善がりな集団が。


 周りから見ておかしな集団でも、中に入ってしまえばそれが常識だ。それは脳筋集団一番星を見ても容易に納得出来るだろう。そんな彼等が変わるには、何か大きな出来事が必要になる。

 大抵は悲劇。花畑事件でのパニック振りを考えても分かる様に、集団でぬるま湯に浸かりきった彼等は、突発的なアクシデントに対応出来ない。それなりの犠牲者が出た結果として、目を覚ます者、怯えて別の道を行く者、心折られてくだを巻く一人になる者と、そこで漸く分かれていく。


 ゾーラバダムは自分でも気が付いていなかったが、何処かそんな未来を予見して、曲がりなりにも己を慕う甥っ子を、見放す事が出来なかったのである。


 しかしそれでも、ゾーラバダムを恃むその心が、向上心から来る物なら良かった。本気で冒険者として生きていく事を考えていたならば、少々手間取らされる事が有ったとしても、ゾーラバダムは喜んで甥の面倒を見ただろう。

 しかし甥の思惑は、他より抜け駆けして先へ行く事にしか向いていない。湿地帯で水の中に入ろうとしなかった事に始まって、嫌々ながらの水汲みや、気の無い見張りと、自分がやりたい事以外ではあからさまに手を抜く。しかし、各々役目を持って動いている中でのそれは、単なる怠慢では無く、時には危地に到る暴挙である。


「ぅうう……ぅぁぁあああ!! 余りにしつこいから一度湖まで連れてってやった甥が、ひよこどころか冒険者の卵ですら無かった時はどうしたらいい!?」

「荒れてるでやんすね、旦那ぁ」

「うむ、経験上は、鉄拳制裁で甘ったれの根性叩き直した上で、軍隊式教育だが? ――おお、やはり上のが落ち着くな」


 後部スペースに居た大男が、屋根の上へと上がってきてゾーラバダムの独白に答える。

 冒険者協会の制服にはち切れそうな体を収め、髪に白い物が混じるその大男は、引退したランク五の元冒険者で有り、また荷を冷やす氷魔術の使い手でも有った。

 それだけに人生経験も有るのだろうが、しかし――


「そこまでやらないと駄目か!? 一応は甥っ子で少しは信じたいんだが!?」

「ああいう輩は、悪気無く失敗は他人の所為に、他人の成功も自分の物にしようとするぞ? 早めの矯正が無難だな」

「居やすねぇ。そういうのは湖から先には行かないもんでやんすが」


 ゾーラバダムの煩悶も、この二人にとってはよく有る出来事だったらしい。

 スカーチルが言うのは分からないでも無い。スカラタ運送としてポーターをしているが、小物はそのまま湖で買取っている。その際手数料分として、街より数割安くでの買取となるが、それを理解出来ない冒険者によく絡まれていた。そんな時にはいつも陽気なスカーチルの目にも、何とも言えない冷ややかさが混じっていた。

 冒険者協会の制服を着る大男バハネイが、過激な事を言うのにゾーラバダムは驚いたが、冒険者協会の職員をしていれば、何をするでも無くくだを巻くばかりの落伍者を、多くその目で見てきたのだろう。

 思い当たる節の有ったゾーラバダムは、益々頭を抱えて嘆くばかり。


「嗚呼ぁ~~!! それだ! 彼奴あいつ引率どころかお守りされて、まだ来れるランクじゃ無いと言われているのに、仲間と阿呆面下げて湖まで来そうな感じがしやがったんだ! でもって、勝手に来ながら怪我をしたら、全部俺の所為にされそうだったんだ! 質悪たちわりい! ……済まん。済まない。俺はいらぬお守りを押し付けているな」

「いいでやんすよ。旦那を弄るネタが出来たでやんす」

「まぁ、頭数には入れられんがな」

「当然だ。見張りも出来ず、護衛も放棄する奴に分け前は要らん。てか、昨日喰わせた切り落としが滅茶苦茶惜しいぞ!? あれ喰えば普通はもう少しぴりっとするだろう!?」

「気付いてないんでやんしょねぇ。あの一口で軽く十両金以上はするとか」

「商都を素通りして王都まで行く理由にも、態々冒険者協会の職員が乗り込む理由にも気付いてないのだろうな」

「時間を掛けても平気なのは、出来の良い収集瓶や保存箱が出て来たからでやんすね。バハネイの旦那にも感謝でやんすよ」

「うむ」


 丸で気にしていない彼等の遣り取りをそこまで聞いて、漸くゾーラバダムも落ち着きを取り戻す。

 どうやら本当に、余り気にはしていないらしいという事と、寧ろ一月近いこの道中で、自分の方が大きく苛まされていた様だという事に気が付いて。

 有り難い旅の仲間の言葉に感謝しつつ、しかし甥との距離感をどうすればいいのかは、まだ分からなかった。


「……なぁ、そういうのって普通は教えてやるものなのか? 俺はそこまでするのは違う様な気がするのだが」

「違うでやんしょ?」

「うむ。乞われて教えるのならば兎も角、こちらから教えるものではな。尤も、教えて遣りたくなる相手も居るだろうが、聞く耳持たぬ輩相手ではな」

「だよなぁ……――て、こら人が嘆いている時に出てくるな!」


 矢継ぎ早の三連射が、爺小鬼ゴブリンの死骸を矢の数だけ増やす。


「よっ! 弓鞭槍ゆみむっちゃり!」


 元気付けようとするスカーチルの囃しに、ゾーラバダムは苦笑して肩を落とした。


「ゆみむっちゃりは、よせよ。――てか、彼奴あいつ遅いな……て、ああっ!? 彼奴小鬼ゴブリンの死骸で吐いてやがる!」

「おいおい……花畑にも小鬼ゴブリンは出るだろうに」

「先が思いやられやすねぇ」

「…………」

「どうしたんでやすか? 無言で小鬼ゴブリンを仕留め始めたり」

「いや、なぁ? 彼奴の周りを死骸で埋めたら、冒険者を諦めんかなぁ、ってな?」

「それ以前に、剥ぎ取りもせずに戻って来ているが?」

「あ、彼奴、自分から言い出しておきながら!」


 呆然としながら甥の姿を目で追うゾーラバダム。


「で、どうしやす? 止めやすか?」

「……毛角牛ロンゴル止める馬鹿は居ないだろ。見えている内はそのまま行ってくれ」


 歩みを止めない毛角牛ロンゴルだが、止めてしまえばその日はもうそこまでと、梃子でももう動かない。

 何事も無ければこの上なく扱い易いが、何かが起これば融通が利かない。

 扱いに、非常に癖のある騎獣だった。


 因みに、この世界では人に馴らされた獣は須く騎獣と呼ばれている。

 農耕に用いられようが、獣車を牽こうが、時にはペットの街猫だろうが、乗って乗れないことは無いなら、それらは全て騎獣だった。


 そうこうしている内に、後ろの獣車の扉が開いて、体格の良い男が一人飛び出した。


「――って、あっしのところのが出やしたね?」

「甘いなぁ。身の程叩き込むいい機会だったが」

「まぁ、置いていく訳にも行くまい。特にこの制服を着ている内は見逃せんぞ」

「わぁってるよ! ――あー、ちゃんと収容されたな。何か疲れた。彼奴どうすっかな」

「心配ないっしょ。あっしは、今頃リンゼ嬢が、べっきべきに心を折りに行っているところと思いやすがねぇ?」

「ああ、あの毒舌嬢ちゃんは怖えなぁ」


 ゾーラバダムは同乗者達の評定に首を傾げる。

 リンゼライカは、最近パーティを組んでいるゾーラバダムの仲間だったが、言われる言葉に憶えは無い。


「そうか? リンゼは楽しい奴だぞ?」


 特に、二人でわちゃわちゃやりながら、討伐を進めるのは中々楽しい。

 殺伐としている筈なのに、全力で遊び回っている爽快感が、心を晴れ晴れとさせる。

 ゾーラバダムにとってリンゼライカは、気を遣わずに付き合っていける、無二の友人だった。


「そりゃあ、リンゼ嬢は旦那に惚れてやすからねぇ?」

「ほう。そういう関係だったのか」


 不肖の甥の話題は終わったと、既に標的はゾーラバダムに定められている。

 尤も、思いも寄らない言葉にゾーラバダムは動揺を隠せない。


「…………え? ……は?」

「何でも森の奥で森犬に追い立てられていたのを助けたとか。いいでやんすね~。ワイルド系の美男美女で絵になりやんす」

「ほおう。家庭を作るには落ち着きも必要だろうが、お主はどう身を立てていくつもりなのだ?」


 確かに森で助けてからパーティを組んでいる。そう思いながらもゾーラバダムは内心首を傾げた。

 それまでのゾーラバダムは、眠れる巨人と言われる様になったドルムザックがそうであった様に、ソロでの活動が主であった。ただ違うのは、ドルムザックとは違い、意欲的に森の攻略に乗り出していたという事だ。

 だからこそ、打てる手数を増やさんと、様々な武器に手を出して、最終的には槍弓のオルドロスの逸話にヒントを得た。

 そこで自分イメージの槍弓を特注して、その頃出会ったリンゼライカと格下の狩場で練習をしていたのだ。

 リンゼライカも自分と同じく、興味を持った物に直ぐに首を突っ込むソロ気質で、似た者同士気が合った為に楽しく探索をさせて貰っているが、お互いソロだったが故に「ゾーラバダムが後進を育てている」だとか、「ゾーラバダムとリンゼライカは恋人同士」だとかいう噂が蔓延している事には気が付いていなかった。

 故に――


「い、いや、そんな関係では無いが、冒険者が身を立てるのは冒険者としてしか無いだろう? 俺はこいつで目指すは二代目槍弓よ」


 などと武器を掲げて見栄を張って、話題を変えようと試みる。

 だが、世間の風当たりはきつかった。


「槍弓の旦那は槍が先に来て槍のしなりで弓にも使える様にしたものでやすが、旦那のは弓から始まってるから槍には緩くて鞭がいいとこでやんす。弓鞭のゾーラバダムでやすね」

「きちぃなぁ!?」

「おいおい、何を言っているのかと思えば、その変な弓を槍弓と言いたいのか? それはデリラ支部員としても許容出来んぞ」

「あっしはこれでも、槍弓の旦那の戦いを見た事が有るんでさぁ。そもそも槍の撓りを弓にしたなんて言ってやすが、緑角甲殻魚のぶっとい槍は、撓めようとしても撓みやしやせん。そんな代物を弓に使う訳でやすから、膨れ上がった筋肉は鎧も弾けそうな有様で、まぁその威力も言わずもがなでやんす」

「うむ。それに較べてそれはやはり只の変な弓だな!」

「ぐへぇ。俺は傷付いた」


 言いながらも、ゾーラバダムは話題を逸らせたと笑っていた。

 只、それはスカーチルにとっては、面白くなかった様である。


「あっしが見るに、旦那は武器が合ってないでやすんすね? 旦那が手にするにはその弓鞭はふにゃふにゃ。小鬼ゴブリンの棍棒で大鬼オーガの相手をするのを見てる様でやす。あっしには、旦那はもっとでかい武器を振り回しているのが似合っている様に思いやすが、弓にするにしたって格落ちでやんすよ」

「いやぁ~、これも結構したんだぞぉ?」

「ランク六用の武器としてはでやんしょ? ランク五用としては妥当なところ。でも、ランク三用の武器は数百両金からでやしょかねぇ。あっしには、それがそこまでする代物には見えないでやんす」

「うぇえ!? 数百両金かい!?」

「……ほら、言わんこっちゃないでやす。良かったでやんす。今回の報酬を頭割りにしても、王都で装備を一新できるでやしょ。吝嗇けちのゾーラバダムの旦那に真面なランク三の武器。いやいや、直ぐにランクも上がるでやしょから、ランク二の武器を買った方がいいでやすかね?」

「う~む。儂も現役時代には鍛え抜いたと思っていたが、結局はランク五だ。その辺りの事は分からん。正直上級や特級用の武器が馬鹿高いのも良く分からんなぁ」


 ここで、ゾーラバダムも再び真面目に対応し始めた。

 真面目に心配されては、おどけている事も出来ないと。


「ああ、上になる程、気や魔力の使い方が効いてくるな」

「儂も魔術は使うが?」

「『儀式魔法』が幾ら使えてもな。闇族なんかは弱い奴でも魔力の扱いは俺らより上だ。『儀式魔法』で神々に捧げる魔力を容易く攪乱してくるから、上へ行く程『根源魔術』が使えなければ話にならん。『根源魔術』も今では学園で教えすらしない程に扱いが難しいから、大抵は“気”の技を磨く事になるかね」

「ふ~む……」

「で、上級や特級の武器ってのは、“気”や魔力が通り易くなっているか、或いは全く通さないか、だな。全く通さないのは別枠として、大抵は上の物程通りが良くなるが、通りが良過ぎても“気”や魔力を力に変換する前に抜けてってしまうから、これも良くない。つまり実際に手に取って触ってみんと分からん。で、残念なことにデリラの街にそれだけの上物じょうものが入ってくる事も少ないから、まぁ、こいつは槍弓に慣れる為に作っただけのもんで、まぁ、なんだ? あんまり苛めてくれるなや」


 そこまで言えば二人の同乗者も、感心した様に息を漏らした。


「お主がおどけて妙な事を言い出すから、誤解するところだったわ」

「それにしても、荒削りのガズンガルの旦那には細やかさ。眠れるドルムザックの旦那には向上心。吝嗇けちのゾーラバダムの旦那には真面なランク三の武器と思ってやしたけど、吝嗇けちで無くても苦労は有るんでやすねぇ。…………んん? でも、ガズンガルの旦那やドルムザックの旦那からは、武器で苦労したなんて話は聞かないでやんす?」

「重量武器を振り回す様な奴らと一緒にせんでくれ。あいつらはそれなりに何とか成るんだよ」


 言いながら、またゾーラバダムは矢を放つ。

 街道の片側にずっと森が居座るようになってから、どうにも小鬼ゴブリンの数が多い。

 デリエイラの魔の森とは様子が違うが、やはり何処かに界異点が在るのだろう。

 予想される報酬を考えれば、内職で作られる安い木の矢は、束で買っても気にもならない。

 況してやそんな積み荷の護衛を放棄して、小鬼ゴブリンなんぞの素材を集める気にはならなかった。


「お主は重量武器は使わんのか?」


 黙々と矢を放つゾーラバダムに、バハネイが声を掛ける。

 何もしていない様に見えるバハネイだが、彼は彼で時折氷魔術を掛けて、獣車の中を低温へと保つ役目を負っていた。

 大量の保存箱に身の凍える冷気。先を走る獣車の中は、積み荷の為だけの場所である。

 故に彼等は屋根の上で、警戒に当たっているのだった。


「やってはみたが、合わん。いや、使えない事は無いのだが、俺は寧ろ切れ味で勝負したい。それに、深部へ行くには出来るだけ身軽で居たいからなぁ」

「デリエイラの森は深いでやんすからねぇ」

「今まで使っていた剣は商都で手に入れたが、どうにも遣い辛くてなぁ。長物がいいが、伝手も無いと思っていたところにこの依頼だ。実に助かる」

「王都は“門”が近くに在る分、素材も職人も揃ってやすからねぇ。……で、槍弓を作るんで?」

「それも悩み処だな。使ってみたが、槍は槍、弓は弓の方が俺には使い易い。だが、背負っていくとなると持ち替えに手を取られて中々……」

「『倉庫』なら持ち替えなんて気にならないでやんすかねぇ?」


 ランク三に『亜空間倉庫』の話題を振るのは、人によっては嫌味とも取られ兼ねないが、ゾーラバダムは納得した様子で深く頷いた。


「『倉庫』……『倉庫』か。成る程。ランク零の祝福技能『亜空間倉庫』……。焚き付けるなぁ! スカさん!」

「お! 行きやすか!? 重量武器も突っ込んじまいやすかね!」

「……ま、それは実際特級が見えてきてからだな。まずは槍と弓か。後は武器屋に相談するかね? しかし、遠いなぁ! 王都は。おちおち買い物にも来られんぜ!」

「ふむ。まぁ、それも後数年でどうなるか分からんがな。王都で高速獣車の開発が進んでいるらしい」

「高速獣車でやすか?」

「うむ。トロッコの技術を元に、車輪の前後を魔術で固めながら進むことで、滑らかに進む分、速度を出せるらしい。鉄の車軸が余りの回転に火を噴いたとか、水を掛けたら錆び付いたから油を掛けようとしているとか、火を噴く物に油を掛けてどうするのかとは思うが完成すれば王都まで十日掛からないと聞くぞ?」

「そいつは凄い。だが、デリラの街なら結局湿地で足止めだな」

「ところがこいつは、車輪の前後を固める効果で、沼地の上も走るそうだ」

「へぇ~? でも、車は水の上でも、牽いてる獣は水の中でやんす?」

「くっくっくっ……違い無い」


 既に気心の知れた仲間同士、遠慮会釈の欠片も無く、無駄話を駄弁りながら獣車の旅は続いていく。

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