(84)馴染み方にも色々と有るのですよ。

 次の日は、朝から靄が出ていました。

 本当なら、今日は北西の門の外で、集めてきた建材の整理でもしようと思っていたのですけれど、下手に湿気に曝してしまうのも悩ましいので取り止めです。

 太さが揃っている物を選り分けたりと、色々としなければならない事は多いのですが、今日は大人しく拠点の模型でも作るのが正解かも知れません。


 でも、それにしても結局まだ拠点を造る事は出来ないのですけどね。

 ドーハ先生達が建築科の講座として、実際に建てた建築物での評価を計画しているとの事ですが、どうにも難航しているらしいです。朝だとか夕方帰って来た時だとか、結構顔を合わせる事が多くて色々話を聞くのですけど、私の名前が一つも入っていなくても、あの騒動でしたから私に配慮しているのは明確で、事務局長が頑として譲らないのだとか。

 学内寮の件を持ち出されるとどうにも弱いと頭を下げられてしまいましたが、もし学院内に拠点を造れないその時は、北西の門の外に拠点を建てるのがいいかも知れませんね。

 魔物が出るかも知れない郊外では有りますが、そんな事は今更です。輝石を配置すれば留守の間の心配だって有りませんし、もしかしたら魔物除けの魔道具なんて物も王都になら有るかも知れません。

 指名依頼が来ているのですから、拠点は早急に要るのです。

 一昨日王都の空を飛んで分かった事は、商業区画にも空き地はそんなに無いという事でした。王都の中に好きに拠点を造れないなら、外に造るのも仕方が無いというものですよ。


 何れにしても、この学内寮とは僅かな間の付き合いとなるでしょう。そう思って体を起こしたベッドの上から見てみると、この学内寮の部屋はどうにも殺風景で冷たく感じてしまいます。

 私が自分の使い易い様に色々手を入れたりといった改造が出来ないという事が、尚更そんな気持ちにさせてしまうのかも知れませんけれど。

 腐っていた部屋の壁は張り替えましたし、床板だって軋まない様に直しました。しっかり磨いて削げが刺さらなくした上で、壁には壁紙を貼り直してとしていますのに、どうにも自分の部屋になった様な気がしません。

 調度品の類はしっかりとした作りです。こちらは木工の学院生の作品なのでしょうか。だとしても、これもやっぱり私の物とは思えないのですよ。


 結局のところ借り物だからかも知れませんけれど、私が安心出来る居場所になっていないというのは、これから生活していく上でも問題なのです。

 どうしたものでしょうかね、と思いながら、私は最早只の寝間着と化している森犬寝袋から着替える事にしたのでした。



「お早うコザイマス、ディジー!」


 廊下へ出ると、またもやスノワリンと出会いました。


「ええ、お早うございます。今日は手が空きましたけれど、何処か出掛けますか?」

「あ、残念。昨日、皆ト行きマシタ」


 おや? どうやら既に寮の仲間と交流を深めている様です。出遅れましたかね?


「朝ご飯、行こウ?」


 と、手を差し出してくるスノワリン。

 そう言えば、私、学内寮でのご飯についても知りませんよ?

 手を繋ぎながらそんな事を言えば、笑いながら学内寮の掲示板を教えてくれました。

 其処には寮生用の食堂への行き方だとか、お風呂の場所だとかが示されていました。

 ……迂闊でしたねぇ。掲示板の貼り紙なんていうのは、依頼を受けたい時や調べ物が有る時にだけ見るものと思って、見逃していましたよ。

 今日は模型を作ろうかとも思いましたが、結局拠点が何処になるのかも決まっていませんので、学院内を探索するのが正解かも知れませんね。


 「こっち」と言われて連れられたのは、男子寮の前も過ぎて、林も途切れたその先の、学院の建物側面に設けられた通用口です。

 ここが貴族の邸宅として用いられていた時ならば、恐らくここは御用口だったのでしょう。扉の中に小部屋が有って、待合室の様になっている造りだとか、分かり易く覗き窓が有る事だとかが、そんな推測を裏付けています。

 まぁ、今は只の休憩室みたいですけどね。

 其処の左の扉を抜けて、裏方へ入る細い通路へと入って、恐らくは入学説明会をした部屋の、厨房を挟んだ反対側。仮漆ワニスを塗っただけの簡素な長机が並ぶその部屋が、寮生用の食堂でした。


「いや、別に寮生用って訳じゃ無いぜ? 言ってみれば、調理科の見習いが作った賄いだ。腕がいい奴は表の食堂に出せるが、そういう奴らばかりじゃ無いからな。失敗作の処分要員が居る御蔭で、気兼ね無く腕を磨く事が出来るってもんよ。ま、失敗と言っても焦げや形だ。衛生には気を付けているから、そこは心配すんな」


 調理の試験でもお会いした先生に言われて見てみれば、確かに焦げは入っていますけど、寧ろ焦げは好きですよ?


「はははは! 今の時期を考えろ。学院に入れる腕が有って、それを一年磨いてきた奴が、流石に今更そんな失敗するもんかよ! が、新入生が入ってくると色々と有るんだ。それこそ、信じられない事をする奴も居るんだぜぇ~~」


 おおう、なかなかの脅しっぷりです。スノワリンが物凄く訝しげに出された料理を見てしまっています。

 ですが、食材さえ無事なら然う然うおなかを壊す様な物が出てくるとも思えませんし、冒険者の屋台と比べれば何だって赦せそうな気がしますよ?


 そうしてスノワリンと一緒に朝ご飯を食べていたら、何人かの学院生が連れ立って食堂へと入ってきました。

 男の人も、女の人も居ます。

 見た人も居れば、知らない人も居ますね。

 するとスノワリンが手を振って、向かって来ていた女の人の一人が、嬉しそうに表情を輝かせました。


「やっと会えたぁ!」


 屈託の無い笑顔でそう告げた獣耳の女の人が、てててててと長机を大回りして、私の後ろに立ちました。

 そして出し抜けに抱き締められてしまっては、幾らその動きを全部分かっていたと言っても、少し慌ててしまいます。


「え? ええ!? な、何ですか!?」


 後ろから私を抱え込んだまま、右に左にうきうきと揺らされます。こうなっては、もうどうにもなりません。

 いえ、逃れようと思えば幾らでも手は有るのでしょうけれど、その頭の上でぴこぴこ揺れるもふもふの丸耳に、私は逆らえないのです。


 デリラの街でのお遣い好敵手ライバルだった二人の名前を私は知りません。あの草原猫風の尖った耳や人犬のもふもふに揺れる尻尾。仲良くなりたいと思っていても、自ら近付く事はせず、寧ろ距離を置いていました。

 何故って、彼らは獣人と人獣なのですから。ずっと一緒に居たいと思っても、獣人は人の半分、人獣はその更に半分の寿命しか無いのです。親しく成れば成る程に、別れが辛いのは目に見えています。


 ですけど、彼らの事が嫌いな訳では無いのですから、こうしてぐいぐい来られるとどうしていいのか分かりません。お遣い好敵手ライバル達とは違って、私よりも年上の確か騎士とあってはあしらう事も逃げる事も叶いません。


「あはは、レヒカに随分と気に入られてるね♪ レヒカは今迄可愛がられる側だったから、可愛がれる相手が居るのが嬉しいんだよ。赦してあげてね」


 困っている私に笑いかけながら、向かい合わせの椅子に座った青年が、そんな事を言いました。確かこの人も騎士ですね。

 確かに上機嫌な丸獣耳まるけもみみの少女は、他の人達よりも頭一つ分背が低くて、それでいて天真爛漫なこの様子ですから随分と可愛がられて来たのでしょう。

 だからといってそんな彼女に可愛がられて、仲良くなって、いつか親友と思える様に成ったとしても、彼らの方がずっと先に死んでいってしまうのですよ!

 嗚呼……この手を濡らす彼らの血、纏わり付く鉄錆の匂……い?


 …………?


 ……………………?? …………???


 ……あれ? 行き成りイメージが飛びましたね??

 獣人や人獣達の寿命が短いからと言って、どうして私の手が彼らの血で濡れるのでしょう??


「――それで、ディジーはやっぱり記憶持ちなのかな?」


 ――えっ、と思わず言葉に詰まってしまいました。

 想いを巡らせている間にも、挨拶を交わしたりとしていたのですけれど、そこで飛び出たこの質問です。

 ええ、脈絡の無いイメージでしたけれど、“前の”私が騒いだのだとすれば納得する事は出来るのです。

 ですが……何でしょうね? どうにも嫌なこの感じ。

 どうしてお姫様のその手が、親友の血で濡れているのでしょうかね?


 ぞわりとした感覚に身を震わせながらも、それは“前の”私の事情なのだと切り分けて、今の私は問われた問いへと答えるのです。


「記憶持ちでは有りますけれど、記憶の無い記憶持ちというものですよ? 殆ど何も憶えてなんていませんし、時折妙な感覚だとか衝動だとかが沸き起こってくるのが、どうにも厄介では有りますね」

「ふ~ん……」

「ねぇねぇ、それより五日前にドレスを着ていたのって何?」

「え? あ、あれは王城に訴状を持って行ってたのですよ。地方に来る王都の研究所員は無茶苦茶をするので、苦情を申し立てに行ってたのです」


 まぁ他にも色々と有りましたけれど、主な用件と言えばそれでしょう。


「ふぅ~ん……それで、どうなったの?」


 皆さんぐいぐい来ますねぇ~。

 ご飯を取りに行って戻ってきた人から、何だか私の周りに集まって来ます。


 学内寮に入ったのは、それ程裕福では無い人達か、あるいは学院の直ぐ近くがいいと言うずぼらな人達なのでしょう。つまり、スノワリンの様な苦学生や獣人達、離れた机で食事を摂っている寝間着姿の寝癖さんの様な人達です。そういう事情も有ってか、学院の中での獣人達の割合は僅かだと思うのに、今ここに集まっているのは七割程が獣人達です。

 純真な獣人の青年に迫られると、思わず目が泳いでしまいますけれど、こんな事ではいけませんね。まさか私の人付き合いが苦手な要因の一つに、前世の記憶が絡んでいたとは思いませんでしたけれど、何時迄も前世に支配されていると思うのも業腹です。

 ここは克服していくべきところなのですよ。


「どうなったのかは分かりませんねぇ。お任せしてしまいましたし、結構憤ってくれていたので何とかして貰えるとは思うのですけれど……。入学説明会での事もぽろっと溢してしまいましたから、その内学院にも誰か来るかも知れませんねぇ」


 そんな事を思いながら、先日の事情を言いましたら、何だか騒ついてしまいました。

 いえ、確証なんて有りませんし、どうなるかも私には分かりませんよ?


 それから後は、学院内の案内板を見ながら、情報交換の時間です。


「資料室は三つ在るんだって。でも、その一つがおかしいの。昔の講師が借りっ放しにした本が一部屋埋めちゃってて、今は商業科の専用資料室みたいになってるって」

「同じ本はちゃんと資料室にも有るらしいけどな!」


 なんて話から始まって、


「お風呂はここ、蒸し風呂な! 二箇所有るけど、いつも武術科が使ってて混み混みだったぜ」

「屋内訓練場は門を入って直ぐ右の建物だけれど、武具を使わない基礎訓練しか駄目なんだって」

「お昼はここにでっかい大食堂が在るよ! 説明会の場所も食堂だけど、すっごい高いらしいよ」


 と、ここ数日の成果を教えてくれましたから、私も何か情報をと考えてみましたけれど、よくよく考えてみれば私の知る情報なんて、王都暮らしには当たり前の話かも知れません。

 それでも、教わるばかりでは悪いからと、私自身がこの数日間で見聞きした事を披露します。


「――西側の鍛冶ギルドは、クアドリンジゥルの門から産出される魔物装備の修繕品ばかりですので、鍛冶屋って感じでは無かったですね。でも、金属鎧なら西側でお手軽に手に入るみたいですよ? 自分の体格に合った鎧を探すのに、店を梯子するのがポイントみたいですね。そのままだと魔物と間違えられてしまうので、目立つ様に飾り布を着けるのを忘れない様にとの事でした」


 だとか、


「――ギルドでいい物を作っていたのは、こことか、ここですかねぇ……。ここの魔道具はがわはいいのですけど肝心の魔道具が今一で、逆にこちらは魔道具の質はいいのですけど側が今一つです。共同で作ればいいのが出来そうですけれど、それをしても敵いそうに無いのが、このギルドですね。買うならここがお薦めです。こっちは安いですけど、安くて悪いの典型で、多分直ぐに壊れますし、漏れ出た魔石の滓で病気にも成り兼ねません。やめておいた方がいいですね」


 だとか、


「――ここの通りに在る店は、各領の旗を掲げていましたから、特産品を扱う店が集まっているのかも知れません。ここは劇場で、ここは騎獣商でしたね。それからここは――」


 だとか、


「――クアドリンジゥルの門の手前には町が出来ていました。冒険者協会の出張所まで在りましたから、行くだけなら敷居は低いですけれど、見た感じ“門”に一歩入れば乱戦です。見ずとも周りの気配を掴む自信が無ければ、ソロで行くのはお奨め出来ませんよ?」


 だとか、


「――ライザの森には色々と面白い植物が闊歩してましたけれど、まぁ何処でもそうですが予め資料室で調べていくのは必須ですね。初見では見破れない罠の様な生き物が一杯居ます。珍しい薬草も多いので、『調薬』なりをするつもりで腕にも自信が有るのなら、一度遊びに行ってもいいかも知れません」


 だとか。

 案外熱心に聞いてくれましたので、聞いてみればその多くが王都の外の育ちです。確かに考えてみれば、王都暮らしの貧乏人なら、寮にも入らず実家から通うものなのでしょう。


 私は独り彼らとは行動を別にして、私の都合で私の好き勝手に動いていたにも拘わらず、その間に彼らの知り得たその成果を惜しげも無く教えて貰っています。その事に、少しは報いる事が出来たのでしょうか。

 彼らの表情に疎む様な気配が無い事に、僅かにほっと安堵の息を吐きながら、しかし駄弁っている間にも朝の時間は疾っくに過ぎ去っていました。


「おう、そろそろ閉めるぞ」

「「「「ご馳走様でした~」」」」


 追い出しを掛ける先生にご馳走様を告げて、私達は賄い用の食事処を出たのです。


 そこからは実際に学院の中を巡りました。

 歩きながらもお喋りはしていますけれど、ほぼ私の為だけの案内です。むむむ、これはどう報いれば、なんて思っていましたら、私の御蔭で寮の住み心地が良くなったのだからと笑われてしまいました。


「でモ、今日は、チョッと、変。先生が、緊張? してるかモ」

「うん、ちょっとピリピリしてるよね!」


 首を傾げるスノワリンに、獣人の青年が同意していますけれど、普段の様子を知らない私には判別が付きません。

 でも、そんな疑問も、大食堂を訪れた時に解消されたのです。


 四人掛けや六人掛けの机が幾つも並ぶ大食堂も、休みの日は混み合う程の人も居ない様です。どうやら学院は夏の三月から余り月に掛けて休みとあってか、殆どの人は帰省しているらしいですね。

 尤も、デリラの街へは普通なら片道で三十日掛かりますから、四十日やそこらでは行って帰るだけの事も出来ません。商都迄なら何とか往復出来るかも知れませんけど、何ともデリリア領は遠いですね。

 恐らくは似た様な事情で残っている人や、あるいは王都に家のある学院生達なのでしょうけれど、そういう人達がちらほらと残っている中に、鎧を着てはいませんが騎士の一団の姿が有ったのです。


「何だろう。先生達が緊張していたのは、騎士が来ていた所為なのかな」

「こんな時期に視察なの?」


 首を傾げる学内寮の仲間と一緒に騎士の集団を眺めていると、ちょこちょこ「ちびっこが」なんて囁きが漏れ聞こえてしまいます。

 失礼ですねぇ。平均して二十歳近い中に十二歳が混じれば、それはちびっこく見えるかも知れませんけれど、態々口にする事は無いでしょうに。そもそも十二歳の中では私も、私も……んんっ、多少は小さめかも知れませんけど、言われる程では無い筈です。大体私も今は小さくても、将来的にはすらりとしなやかな美人冒険者になる予定なのですからね!


 その騎士達の纏め人はこちらに背中を向けて椅子に座っていたのですけど、周りの騎士が騒がしくすれば後ろを向いていても気になってくるものなのでしょう。それで振り向いた見知った魔力の持ち主は、王城で会えなかったサイファスさんです。

 軽く目をみはったサイファスさんがちょいちょいと手招きをするので、とてとてと皆と一緒に近くへ歩みを進めます。


 ……多分、私を呼んだのだとは思うのですよ。ですけど、一塊になっている一団に手招きすれば、皆一緒に招かれてしまうのは当然ですよね。

 サイファスさんも、ちょっと戸惑った様子を見せましたけれど、何事も無いかの様に私達へと声を掛けたのです。


「……君達は新入生かな? 私達は学院の秩序が正しく機能しているか確かめに来た騎士団の者だよ。まだ学院生として生活していない身の上では分からないかも知れないが、気になる事が有れば教えてくれないかな」


 ……サイファスさんが、物凄く余所行きです。王城で会ったサイファスさんは一体何だったのでしょう?

 そんな気持ちで澄まし顔のサイファスさんを凝視していたら、学内寮の仲間達から少しずつ声が上がってきたのです。


「寮のお部屋の屋根が腐ってたんだよ! ディジーが訴えてくれたんだけど、私達には荒ら屋でいいって学院の人に酷い事を言われたんだよ!」

「お部屋自体は建築科の先生方が仲直りして、順次修繕していますけれど、事務局がどうなっているのかは分かりませんねぇ」

「学院の中にも奇妙な住み分けが有ったね。ここは高貴な者しか~なんて言われて追い出されたりもしたけれど、本当のところあれは認められている事だったのだろうか」

「風呂場もそうだな。縄張り意識が強くて、武術科の連中専用になっていた。休みでこれなら学院が始まってからだと風呂は諦めるしか無さそうだ」

「女風呂もそうだったよ! 何だか凄く居心地が悪いの。休みが終わったらとても行けそうに無いよ!」


 学内寮の事にはちょっと口を挟みましたけれど、他は知らない事ばかりです。

 確かに礼儀作法がなっていない人に使われたくないとか、運動して汗を掻いた人を優先させて欲しいとか、そういうのも有るのでしょうけれど、ちょっと気分が悪いです。


 それでサイファスさんはどうかと言うと、少し考え込んでしまっている様子です。

 辺りの騎士達からは、それは当然の事なのではなんて呟きが漏れていたりもしています。

 何だか事務局長が殊更特権意識が強いのかと思っていましたら、騎士も余り変わり有りません。そんな事を考えていたら、漸くサイファスさんが口を開きました。


「成る程……私も学院の出だ、気にした事も無かったが、騎士団の宿舎でも無い学院の風呂場の独占や、貴族のサロンでも無い交遊室の独占は、横暴と言われても仕方が無い。私の代でも気付こうとしなかっただけで、不満を抱く者も多く居たのだろう。中に入ればそれが当然と染められてしまうが、学院という場を考えれば、拠り所に欠ける勝手な言い分だったな。

 良く言ってくれた。君達が今この時に言ってくれなければ、恐らくこれからも気が付く事は無かっただろう。そもそも自分らで勝手に決めた特権で好き勝手する者共を取り締まるのが蔵守の役目だ。腑甲斐無い事だが君達に教えられたよ。有り難う」


 そう言って、ぴしりと手の甲を額に付ける敬礼で敬意を示すサイファスさん。実に格好いい所作でしたけれど、そこで雰囲気を緩めて言ったのです。


「ディジーリア殿とはこの後話がしたいから、夕方に訪ねても構わないかい?」


 恐らくは指名依頼の事ですし、もしかしたら研究所の件の進展も教えて貰えるのでしょうか。追跡用の細工という名の張り付けた輝石からは、当事者達が軒並み捕縛されたことは知れましたけれど、地方へ来て無茶苦茶をする王都の研究所員については聞かなければ分かりません。ですから、当然の如く了承するつもりでしたけれど、その前に周りに居た騎士達が囃し立てたのです。


「隊長!? 幾ら何でも守備範囲が広過ぎるぜ!?」

「奥方様にお知らせせねばな!」

「いや、その前にナミーお嬢さんだろ?」

「「「お父様、不潔ぅ~!!」」」


 おや? 騎士達の振る舞いからは、日頃のサイファスさんの振る舞いが窺えますけれど、やっぱり普段は軽い調子なのですね?

 とても偉い人だと思うのに、騎士の仲間も気安いです。


「君達ねぇ……」


 サイファスさんが眉間を揉んだりしていますけれど、便乗するのが私ですよ。


「……格好を付けていると思ったら、そんな思惑が有りましただなんて!?」


 怯え気味にそう言って、体の前を掻き抱く様にすると、騎士達は喜んで囃し立て、サイファスさんは益々深く溜息を吐きました。

 恨みがましい目付きで私を見てから、学内寮の仲間達へと顔を向けます。


「君達も、このお調子者達の言う事を信じちゃ駄目だよ? 私もほとほと手を焼いているんだから」


 なんて、聞き捨てならない事を仰います。

 それを貴方が言ってはいけませんでしょうに。


「「「「ええ!? そんな!?」」」」


 騎士達と私の声が、思いも寄らずぴたりと一致してしまい、私達は思わず顔を見合わせました。どうやらとても気が合いそうです?

 どうぞどうぞと視線と身振りで遣り取りをして、まずは一番手は騎士からです。


「丸で自分がお調子者では無いとでも言う様な今の言葉は聞き捨てなりませんな。

 二十日程前の大雨の日に、演習場に出来た水溜まりに釣り糸を垂らす隊長を私は見ましたが、あれは何だったのでしょうな。

 気になって近付く者共へ、括り付けられていた暴れ魚の玩具を釣り上げる勢いで飛ばしては喜んでいたお人は何方どなたでしたかな?」


 真面目腐って先発を買って出た騎士の先制攻撃です。


「隊長が瑠璃の廊下に飾られていた全身鎧を着込んでいるのを、俺は偶然目にした事が有るんだけど、あれは一体何だったのでしょうかね。

 その後は廊下に倒れて誰かをお待ちになっていた様ですが?」


 お鼻をひくひくさせている騎士様も、うわぁと思いたくなるねたを暴露です。

 そこで視線で促されたので、いよいよ私のねたが炸裂しますよ!


「あれは五日前に私が王城を訪れた際の出来事です。『我が輩は王の騎獣なるぞ! がおがおー!』と私が熱り立っていた所に現れたサイファスさんは、『これは良い騎獣だ。行け、ディジーリアマル!』とばかりに四つん這いになっていた私の背中に上がりまして、そこからは王城の中でメイドさんを脅かしながらの爆走ですよ!

 靴を脱いだのはもう一人と違って評価に値するとは思いますが、あれは一体何だったのでしょうかねぇ?」


 言ってやりましたと思っていましたら、ええっ、と私を凝視していた学内寮の仲間達、


「どっちに突っ込めばいいのか分からないよ!?」

「どっちもどっち!?」

「寧ろ、ディジー、王城で何してるの!?」


 騎士達の反応は、「隊長~……」と呆れてみたり、私を見てきらきらと目を輝かせたりと複雑です。


 でも、その中で一人、スノワリンがおろおろとしながら声を上げたのです。


「待っテ、待っテ……今のは分からなかタ、ディジー、何を言っタノ!?」


 おおぉ……純真で初心な感じが標的として極上です。

 顔を手で覆ってしまっていたサイファスさんも、その手を退けて、きらりんと瞳を輝かせました。

 ちらりと交わした視線だけで、全て諒承出来てしまうのは、貴方も同じゴブリンという事ですよ? ――と、地域によって全く姿の違うゴブリンですが、同じゴブリンである事には変わりないという意味の常套句が頭に浮かびます。

 そんなサイファスさんが、優しげに見えて胡散臭い笑顔でスノワリンに問い掛けます。


「何が分からなかったのかな?」


 声の調子まで、何処かうきうきして聞こえます。

 素直にその問いに答えるスノワリン。ああ、駄目ですよ!? そんなのでは直ぐに騙されてしまいます。


「ディジーが言ってタ、ディジーリアマルっテ何?」

「ディジーリアマルというのは、王国で有名な冒険者ハリタルバンの騎獣である、ライオットマルに掛けたのですよ? ハリタルバンは只の山鹿をランクAにまで育て上げて、事有る毎に『良くやったライオットマル!』などと叫ぶので、騎獣の名前の方が有名に成ってしまった冒険者なのですよ」

「おや? 鹿騎士の本名はそんな名前だったのかい?」

「……というくらいに、冒険者本人よりも有名な騎獣なんですよ~」


 と、まずは大人し目の質問からスタートです。


「じゃあ、四つ足になてタのはディジーなノ? どうしテ?」

「そりゃあ、騎獣は四つ足ですよ?」

「うん、中には四足以上の騎獣も居れば、逆に二足で走る鳥系も居るけれど、大体は四つ足だね」


 うんうんと頷きながらスノワリンを見て惚ける私達。勢いが出て来ましたかね。


「え、え、じゃ、じゃあ、もう一人っテ!?」


 さぁ! 来ましたよ!!


「それは当然、王の騎獣なのですから――」

「――陛下だよね!」「――王様ですよ!」


 ちょっと溜めてみましたら、少し言葉が違ってしまいました。

 でも、うんうんうんうんと頷きます。

 挙動不審に震えるスノワリンが、動揺も顕わに叫びます。


「ど、どういう事ナノ!?」

「どういう事って?」「聞いた通りですよ?」

「私が王城で、」

「私と、」

「王様を、背中に乗せて、」

「爆走しながら、」

「「がおーーー!!」」

「――なのですよ!」


 私とサイファスさんは、にこにこっと笑って、うんうんうんうんうんうんうんと高速首肯です。


「わ、分からないヨー!!」


 嗚呼、スノワリン、可愛いです。

 私はにまにまと、サイファスさんと顔を見合わせるのでした。


 結局の所、その辺りの詳しい話は有耶無耶に誤魔化して、夕方までには学院内の探索も終わらせた私は、学院内の一室でサイファスさんとの会合です。

 爺鬼ゴブリン盗賊団の関係者は既に捕縛済みとの事でしたから、私の施した追跡用の細工は解除する事を伝えます。

 今回の学院への監査は、やっぱり私の訴えと愚痴の結果によるところだったらしいのですけれど、どうやら研究所も同時に監査されていて、諸々の監督や処理の為にサイファスさんも暫くは学院に通いとなるとの事でした。

 それならば私としても丁度いいと、指名依頼には暫く手を付けられない事を伝えた上で、サイファスさんの魔力だけはお先に集めておく事としたのです。


「…………魔力を放出しているだけでいいのかい?」

「ええ、もっと勢い良くてもいいですよ?」

「……鍛冶場が調っていないとの事だが、学院の鍛冶場は借りれないのかな?」

「?? ……普通の剣が欲しいのなら、私に依頼する事も無いのでは?」

「いや、済まなかった。そうだね、うん、任せるよ」


 魔力で枠を作り、そこに黒布で目隠しした中へと手を突っ込んで貰って、どんどん魔力を輝石へと纏め上げます。

 半時ばかりお話ししながら輝石を創り、少し疲れた感じのサイファスさんが帰っていくのを見送るのが、この日からの日課になりました。


 朝や昼間は北西の小門から出た草原で、騎士様達とお喋りしながら、商人ギルドで仕入れた粘土で炉を造ったり、同じく仕入れた鉄塊を練り上げて金床を造ったり、序でに自分用では無い得物を打つ時用の鎚を拵えたり。

 もしかしたらサイファスさんからの働き掛けが有ったのかも知れませんけれど、数日する頃には学内寮の隣を余り月から使ってもいい許可が出ましたので、ライザの森のジーク材を模型を頼りに木造りするのが日課に加わりました。

 そして夕方にはサイファスさんの相手をして、偶には学内寮の仲間達とお出掛けをして、そうして私は少しずつ学院生活へと向けて馴染んでいったのです。



 でもですね……。


 仕事を探していたスノワリンが、夏の余り月から冒険者協会の職員としてお手伝いする事になったその初日。

 皆で様子を見に行こうと突撃したその日、冒険者協会の扉を開けて中へと入った私の前に、厳つい冒険者達が立ち塞がったのです。


 ……まぁ、お約束が一度だけとは限りませんけど、二番煎じは戴けませんよ? と、思ったのですけれど、彼らは気取った様子で私の手を取ると、そこにそれぞれ一両銀貨を押し付けていわく、


「俺にはボインボインで一つ頼む」

「俺は形を重視したおっぱいだ!」


 …………いえ、ちょっと、今日は新しい友人とも一緒ですのに、行き成り何なんでしょうね!? こんな馴染み方は望んでいませんよ!!


 ええ、銀貨は迷惑料として受け取って、お仕置きまでが一連のお約束というものなのでございます。

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