(24)祝福の獣

 気が付けば、すっかり辺りは明るくなっていました。

 捕獲されたその時とは違って、今はもぞもぞと動くだけの余裕が有ります。


「……む?」


 という声が聞こえたと思った次には、


「っだぁああーー!!!」


 という掛け声と共に放り投げられてしまっています。

 山形やまなりに、ぽーんですよ、ぽーん。

 押し退けられる様な投げられ方でしたから無事でしたけれど、仕留めに来られていては大変な事になっていましたよ!?


「な、何だ!? ぅえ!?」


 何というか、ここまで混乱した様子を見せるドルムさんの姿というのは、私はとても珍しい物を見ているのでは無いでしょうか。ドルムさんはいつも飄々と憎たらしくて、取り乱したりという印象は有りません。


「ガアウウゥウウウウ~~!!」


 両手を前に伸ばしてガタガタ震えながら突進して、更なる混乱を誘います。


「何だ!? え!? 何だと!?!?」


 後退りするドルムさんをカクカクと追い掛けながら、徐々に森犬ステップを混ぜていきます。


「ガッガガガウガウ♪ ワワワワオ~♪」


 腕を構えながらも、流石に森犬ステップを踏むのを見れば、頭もはっきりしてきた様です。


「――て、手前てめえ、じーさんかっ!?」

「ウワオワオーン!!」

「だぁ~コラ! 驚かすんじゃねーよ!! じーさん!!」


 自分で捕獲したのに、酷い言い種です。

 ですが、今回ばかりは私の完全勝利ですね!

 ふはははは! 森犬寝袋の力が証明されたのですよ!!



 なんて、そんな森犬寝袋も今は元通り背負い鞄の中に仕舞い込んで、ドルムさんと一緒に森の中の探索です。


「ほれ、好きな様にやってみろ」


 と、後ろを歩くドルムさんに促されて、言われた通り好きに探索してみます。

 あっちに行けばフクロ草。向こうに有るのはマール草。湖の近くにはフクチナ草が多かったでしょうかと思いながらも、シダリ草は昏い森の方が多いですねと藪の中を掻き分けます。


 と、広げた魔力の網に反応です。やっぱり毛虫で無ければ、妙な違和感を感じないので注意が必要ですね。


 間抜けな顔をして現れたのは、寝袋では無い本物の森犬でした。


(ふむ……良い出来と言えますね)


 違っていては困りものですけれど、冒険者協会で見た森犬の姿にそっくりです。つまりは、私の寝袋の頭ともそっくりというわけですね! 中々のいい出来ですと、自画自賛なのですよ。


 ドルムさんにばかり視線を向ける茶色い森犬にそっと近づき、耳の穴から赤蜂の針剣を斜め下に突き込んでぐるりです。

 びくりと体を震わせて、森犬はその場に倒れました。


 おや? 針剣は、こんな使い方をするつもりの物では無かったのですが……。折角の針剣の毒も、これでは宝の持ち腐れです。

 まぁ、一撃で倒せるものを、態々手加減してまで試すつもりも有りません。


「おーおー、やるやるー」


 気の無いドルムさんの賞賛を聞きながら、針剣を葉っぱで拭って鞘に納め、森犬は背負い鞄の上に載せてしまいます。もう一匹までなら、運べますね。

 ですが、その次に出会ったのは大森蜘蛛デリチチュルです。

 塊乱蜘蛛チュルキスとは違って、すらりと長く細い脚。脚に較べて細身でしなやかに纏まった体躯。言ってみれば、軒下に巣を作る小さな蜘蛛を、人の大きさに倍する程に大きくしたのが大森蜘蛛デリチチュルです。

 小さな蜘蛛と同じ様に、木々の間に巣を張りますが、自身は散歩でもする様にのんびりと辺りを散策する、そんな森の動物でもあります。

 その大森蜘蛛デリチチュルのランクは、森犬より上で、塊乱蜘蛛チュルキスより下のランク七といったところでしょうか。ええ、何をしたところで斃せますね。


 今しも威嚇の為に両の前脚を振り上げた所に、滑る様にして潜り込みます。

 ……直ぐに抜き放てない瑠璃色狼は、こういう時には使えませんね。

 替わりに右手に収まったのは、同じく大森蜘蛛デリチチュルの魔石を打ち込んだ剥ぎ取りナイフです。

 合計八本の剥ぎ取りナイフは、瑠璃色狼の小さな分身が一本、私の魔力を込められるだけ込めた特製が二本、後は、毛虫に芋虫、森犬デリガウル大森蜘蛛デリチチュル歪蚯蚓ワームがそれぞれ一本ずつです。

 蜘蛛の魔石を打ち込んだ剥ぎ取りナイフは蜘蛛に効くのか、それとも蜘蛛を天敵とする生き物に効くのかは微妙なところですが、まずまず無難な選択でしょう。


 ズバリと払った剥ぎ取りナイフが、振り上げた脚の付け根を横一線に掻き斬って、鋭く白い一筋のあとを残します。そこに蜘蛛が脚を振り上げた勢いが作用して、バカリと筋が割れると、振り上げた脚と頭が一緒に蜘蛛の後ろへ割れ落ちました。


 大森蜘蛛デリチチュルの脚は、食べられないことは無いらしいですけれど、美味しい物でも無いそうです。でも、薬の材料になるそうで、そこそこ需要は有るのだとか。

 とは言っても、持ち運べないなら関係有りませんね。塊乱蜘蛛チュルキスと同じで、魔石だけ採ったら、残りは狼達のご飯です。


 さっと魔力を大森蜘蛛デリチチュルの体内に当てて、魔石の位置を探ったら、剥ぎ取りナイフで切り口を作って、『根源魔術』で押し出します。

 そのまま次の獲物へ、とその場を離れようとしたら、呆れた様なドルムさんに止められてしまいました。


「おいおい、勿体ねえなぁ。大森蜘蛛デリチチュルは魔石だけじゃあねえぜ?」

「街まで持って帰れないのですから、狼のご飯でいいですよ? 糸腺だって質が悪いですから、要りません」

「ったぁ~~、そういう時はポーターに頼めばいいんだよ!」

「……ポーター?」


 どうやら訊いてみると、湖には荷運びを専門に街とを往復している人達が居るとの事でした。


「でも……私は余り好かれてはいないですし、子供だからと真面まともに相手をしてくれないかも知れません……」


 少し気落ちして言った言葉も、


「だぁー! そんな事は頼んでから言えばいいんだよ! どうせ捨てるのなら損はねぇだろうが!?」


 そんな言葉で振り払われたのです。

 でも、確かにその通りと思えましたので、私は体液の滴る蜘蛛の切り口を「活力」でもって焼いて塞いで、魔力でもってがっつり蜘蛛を掴んだら、「たぁー!」と気合いを入れて引き摺ったのでした。

 そんな私の後ろを首を傾げて歩きながらドルムさんがぽつり。


「力を入れている様には見えねぇんだがなぁ……」

「何を言っているのです? 全力全開ですよ!?」


 まぁ、それでも殆ど限界に近いですけれど。

 重さで言えば、一番大きな水瓶の一杯分でしょうか。塊乱蜘蛛チュルキスではもう危なく、丸太の一本とか言われると運べないのは目に見えています。

 「うーむ」と唸るドルムさんを後ろにしながら、それでも色々お喋りをして湖の畔まで戻ったのでした。


 歩きながら、どうやらドルムさん、街の孤児院の出身で、後輩達がやんちゃ過ぎて困ると愚痴を言っています。孤児院という言葉に居心地の悪さを感じてしまいますが、それでも街の闇の部分という様な形では無く、聞いている限りでは或る種の託児所の様に感じるのは、話をしているドルムさんの人柄も有るのかも知れません。

 そう言えば、私が街の中の依頼を受けていた時も、孤児院の仕事というのは有りませんでした。まぁ、当然ですね。依頼を出すくらいなら、自分達で何とかするに決まっています。

 そんな感じで愚痴を言いながらも、手を貸さずには居られないのは、ゾイさんとはまた違った面倒見の良い人です。ゾイさんが自分から面倒を見に行くお人好しなら、ドルムさんは面倒臭いと言いながらも手を出さずには居られない苦労性の人ですけどね。


「ほれ、解体するならここを使えよ?」


 と、そんなドルムさんに促されて辿り着いたのは、野営をした木から本の少し離れた場所に在る木です。

 ですが、そこへ案内されて、私は少し呆れた視線をドルムさんに向けてしまうのでした。


「惨劇の現場です……」

「ええい、人聞きの悪い」


 張り出した木の枝に、幾筋も擦り切れた跡が有るのはまあいいでしょう。

 ですが、その下の土は黒く変色して、見るからに植生も違っています。

 案の定、千切ってきた蔦で森犬を吊して、「流れ」を使って血抜きをしてみたら、黒い地面の上で何百匹と居そうな細い蚯蚓達がうねる様に踊り始めました。


 この黒い地面は、何百という獲物の血を吸った、命喰らいし地面なのです。毛虫殺しの特異性と通じると考えれば、そろそろ思念を発してもおかしくは有りません。

 その影響をもろに受けるのは、今も踊る糸蚯蚓達でしょうか。

 何だか、蚯蚓も赤黒く呪われた色をしている様に見えてきましたよ?


 と、そんな事を思いつつも、解体はさくりと完了してしまいます。


「手を出す隙もねぇなぁ……」


 何処と無く退屈そうなドルムさんですが、予習はばっちり完璧なのです。


「黒岩豚を二十匹も捌けば、解体なんて怖く有りませんよ」


 あの硬い皮の黒岩豚の解体は、街の依頼の中でも美味しい仕事でした。

 経験を積める上に、黒岩豚の皮の端切れや小間肉の類も戴けて、勿論報酬も高めと至れり尽くせりでした。

 屠殺場で使っていたのは鎌の様な三日月形の刃物でしたけれど、普通に剥ぐなら私の造った剥ぎ取りナイフが一番です。森犬の剥ぎ取りナイフは、皮と肉の間を滑る様に切り開くのでした。


「黒岩豚ねぇ……」


 口では溢していますけれど、ドルムさんはさっきから別のことを考え込んでいる様でした。


 そんな森と湖の往復を何度か繰り返して、釣りをしながら犬肉が焼けるのを待つお昼時。

 「たぁー!」と怪魚を釣り上げた私を見ていたドルムさんが、はたと膝を打ちました。


「そうか! なるほどじーさん、魔法を使ってるな!」


 まぁ、確かに今の釣り上げ方は、魚が真っ直ぐ宙に上がった後にこちらに向かって飛んで来るなど、不自然極まり無かったかも知れません。


「いやー、昨日から気になってたんだわ。じーさん気の抜けた掛け声の割に力が強い――と思えば、丸で筋肉は使っている様子がねーんだからなー」

「ええっ!? こんなに気合いを入れているのに!?」

「いや、入ってねぇだろーが。ほれ、力を入れて見ろ――――ほらな? ふにゃふにゃじゃねーか。魔法で補えるからって体を鍛えないでいるのは良くねぇな。それで森の奥へ行こうなんざ、只の馬鹿だぜ? じーさんよ」


 籠手の継ぎ目を握る様にしていたドルムさんがそんなことを言います。

 確かに、腕を曲げても力瘤と言える程に硬くなっている様には思えません。

 ぎゅっと腕を曲げたり、逆に伸ばしたり、転がっていた岩を持ち上げようとしながら力瘤の様子を見ていたりしてみましたが、どうにも良く分かりません。


「ほれ。体を鍛えると、その先ではこんな事も出来る様になる――な!」


 私が色々と試しているのを面白そうに見ていたドルムさんが、湖の方を向いて拳を腰撓こしだめに構えると、最後の言葉を発すると同時にたわめた腕を突き出しました。


 その時私は見たのです。

 引き絞られた腕が解き放たれるその瞬間、その腕が一瞬魔力では無く光るのを。

 一拍と言うには短い次の瞬間、突き出された腕の延長に在る湖の表面が弾けたのを。


「魔力が魂の生み出す精神こころの力なら、“気”は肉体が生み出す生命いのちの力だな。血と同じ様に体の中を巡っていて、力を込めるその元になるのが“気”なのだとか。初めの内は、限界まで力を振り絞ろうとして、肉体の制約から込め切れずに漏れ出す分で何とか技を繰り出す事しか出来ねぇだろうが、扱いに慣れれば生命の力だけぶん回して、今みてぇに大して力を込めずに“気”だけ放出する事も出来る様になる。魔力が操る事に長けた力なら、気は爆発力と瞬発力だ。どっちも使い熟せば似た様な事は出来るらしいが、単純な力じゃあ魔力は気に敵わねぇぞ?」


 ……成る程。気合いを入れれば漏れ出る力とは、そういう事ですか。

 ぎゅっともう一度、腕に力を入れてみます。

 多分、全く力が入っていないという事は無いに違い有りません。他から腕を曲げ伸ばしされても筋肉は付くというのですから、それなら私の筋肉もそれなりには有る筈なのです。

 ですが、力瘤はと言われると、目立った膨らみも硬さも生じていない様です。

 随分と、魔力で力を補う事に、慣れ過ぎてしまっていたみたいですね。

 私は困って、ただドルムさんを見上げるのでした。


 犬肉の甘辛い味付けを教えて貰って、ご飯を食べたらまた森の中です。

 筋肉を使う事を意識しようとしても、中々上手く行きません。

 色々と試してみましたけれど、夕方になるまでに出来た事は、森犬と大森蜘蛛デリチチュル、そして薬草類の山を増やす事だけでした。

 そんな森犬と蜘蛛の山も、夕方にやって来たポーターの人の荷車に積んでしまいます。


「まだ居たんですかい、旦那ぁ~。放ったらかしは無いですぜぇ?」

「いや、すまん。俺も戻るつもりだったんだがなぁ。チビが独りでとてとて湖へ向かって行くのを見ては、放っておけんだろう?」

「……チビですかい?」

「ああ、……うーむ……、ほれ――」


 今度はチビに成りましたというか、ドルムさんと較べては皆チビですよとぼうっとしていたのがいけなかったのでしょうか。

 私はスッと脇の下に手を入れられたかと思うと、ドルムさんの胸の高さまで持ち上げられ、そこで激しく揺さぶられたのです。


「ひゃ? ひゃやややあやふひゃひゃひゃやうにゃやや――」

「どうだ? 見えたか?」

「うぉおお! 見えた! 隠れてやがったのですかい!?」

「ほれ、噂のじーさんだ。聞いた事は有るだろう?」

「じーさん言うな!」


 またじーさんに戻りました。

 ですが、じーさんと言われて分かる筈が有りません。


「じーさんでやんすか?」


 案の定、ポーターの纏めの人が首を傾げましたが、そこでドルムさんがとんでもない事を口にしたのです。


「…………あー、ほら、何て言ったかな」

「ディジーリアです!」

「そうそう、それそれ、毛虫殺しのディジーリアだな」

「ああ! あの毛虫殺し人!」


 一体、街でどんな噂が飛び交っているのでしょう。


「いや、あれだ。話を聞いた時は笑ったね。森に毛虫が居るからと潰して回っていたと言っていたかと思ったら小鬼ゴブリンだったとかな」

「受付のが余りの事に寝込んだって聞きやしたよ?」

「うはははは、ご苦労なこったな!」


 ……リダお姉さんの事ですね。

 そんな事になっているとは……益々街には戻れません。


「ほれ、どうせまだ暫く森に居るつもりだろう? こいつはスカラタ運送のラターチャだ。同じ顔のスカーチルというのと兄弟でポーターをしている。ポーターを頼むならこいつらに頼みな。俺も他を知ってる訳ではねぇが、信用出来るポーターってのは少ないからな」

「あっしらスカラタ運送に任せてくれれば安心でやんすよ」

「てな訳で、俺は明日の朝にこいつらと一緒に街へ戻るが、じーさんは“気”が使える様に成るまでは湖の傍から離れんなよ」


 そんな事を言いながら、次の日にドルムさんは街へと戻って行ったのです。



「湖ですよ!」


 ドルムさんが居なくなってから、取り敢えず今日も昨日と同じく一昨日のやり直しとばかりに、湖へと向かって叫んでみました。

 きらきらと輝く湖面が綺麗です。

 ひんやりとした朝の風も気持ちが良く、森犬寝袋から僅かに晒された顔を気持ち良く撫でていきます。

 もう一度、明日湖に叫んでみれば、初めての湖の感動を取り戻せそうです。

 ですが、まずは着替えですね!


 と、完全装備な私は今日もまた森の中です。

 ドルムさんに言われた“気”の訓練。それには今や手足の様に使っている魔力を、極限まで抑える事も必要な気がするのですけれど、『隠蔽』を切る事も出来ない私では丸で出来る様になる気がしません。

 そこはそれとして、二つの訓練が一緒に出来るという考え方も有るでしょうけれど、取っ掛かりも掴めない“気”の訓練に、それでは悠長過ぎると思うのです。

 それは、昨晩の間も気を感じ取ろうと色々試して諦めた事からも、一朝一夕で出来る事では無いのですよ。


 そこで、考え方を革めた結果が、魔力を使った強化でも追い付けないくらいに頑張ってみればいいじゃないですかという、私としてもちょっと無茶な方針でした。


 朝のご飯はがっつりと、森犬のお肉にお魚でした。これが私の筋肉に成ると考えると、もう少し良いお肉が欲しいところですので、鳥や猪も探しながらの探索行です。鳥の巣を見付けられれば、卵も手に入るかも知れませんね。

 そんな事を思いながら駆け出して、直ぐに出会ったのはやっぱりと言うべきか森犬です。瑠璃色狼な剥ぎ取りナイフが弧を描いて、くたりと倒れた森犬を担いだ私は蔦を引き千切りながら呪われた剥ぎ取りの木の下へ。蔦を使って吊したら、一息に解体して、犬皮は木の枝に、肉は蔦で括り直してぶら下げて、内臓は要りませんから湖へぼしゃり、魔石は私の鞄の中へなのです。


 解体する間を僅かな休憩時間にして、三往復もすれば息が切れてきました。効果は抜群です。

 昼になる頃には森犬の皮は二十を超え、鳥が二羽に森猪も一頭追加です。

 はひゅーはひゅーと息をして、木の幹を背にして蹲っていますが、中々呼吸が落ち着きません。魔力で操らなければ腕も上がらないという事は、それだけ筋肉が酷使されたという事なのです。

 思えば、最近はぐったりするまで動き回る事も有りませんでした。鍛冶の後は大抵ぐったりしていますが、あれは不眠不休で鍛冶仕事をしていたからなので、筋肉を使ってのぐったりとは少し違うのです。


「ふふふふふ……」


 含み笑いは、未知なる道を切りひらく、昂奮の証です。

 この先に、私の知らない技術が有るのです。

 “気”の獲得は、は瑠璃色狼を理解するのにも必要な事。いえ、瑠璃色狼をより一段と進化させるのにも役立つ事でしょう。


 朝の探索行では、“気”を理解する為にも、常に瑠璃色狼な剥ぎ取りナイフを使用していました。何度かは、瑠璃色狼そのものも使って討伐を繰り返しました。

 その結果、瑠璃色狼は毛虫殺しと大分違う事が分かったのです。


 それが毛虫殺しなら、毛虫を殺す毎に力を強めていく様な感覚を覚えたものですが、瑠璃色狼にはそれが有りません。打ち込んだ魔石の馴染みは良くなっていく様にも思えますが、瑠璃色狼自体は血で汚れるのを嫌っている様にも思えました。

 鋼を鍛え直すにも、限度というものが有ります。にも拘わらず、魔物の強さには上限が見えないとも聞きます。

 瑠璃色狼を只の鉄の刀として扱っていれば、頭打ちは目に見えています。

 だからこそ、そういう意味でも私は瑠璃色狼を知る必要が有ったのです。


 落ち着いた呼吸と、何とか動く様になった体で、最後の獲物を捌き終えれば、お昼ご飯の準備です。

 焼いた鳥と森猪にドルムさんから教わった甘辛いタレを絡めて、後はパムの木の実と、適当に摘んできた野草や木の実で、ちょっと贅沢なご馳走です。

 ご飯を食べたら暫く休んで、そしたらまた森の中へ。


 そんな生活を、三日続けました。

 その間の成果としては、僅かな期間ながら手足の力が増している様に感じる事。

 そして何より、少しだけですが、“気”という物が分かる様に成ってきた事です。


 手足の力は、まぁ、持てる物が増えれば直ぐに分かるものですよね。森の中を走っていても、体への負担が楽になっている様に感じます。


 “気”については、ずっと瑠璃色狼な剥ぎ取りナイフを使っていた事も助けになっていたのでしょう。燃える様なその燐光を感じている内に、“気”についての理解も深まりました。

 感覚を掴むことに戸惑ったのは、魔力とのその在り方の違いです。

 魔力が体の外に出た手だとするなら、“気”は光石の放つ光です。もっと硬い何かを想定していたところに、光の様な物では気が付く筈が有りませんでした。

 ただ、目を閉じていた時に、残像では無くその光を感じた様な気がしたのが、解決の糸口でした。

 どうやら、使う事は出来なくても、感じる事だけは今迄も少しは出来ていたのでしょう。気が付いてみれば鮮やかに、その新しい世界は私の前にひらけたのです。


 考えてみれば、衣擦れの音や足音だけで、ずっと騎士様達から身を隠す事は出来ないに違い有りません。あの頃から、きっと何となく“気”を察知して、他より強い“気”の持ち主――騎士様達――を避ける事が出来ていたのでしょう。

 森で芋虫と出会った時、直ぐに気が付けたのは何故でしょうか。毛虫の発する違和感ばかりに頭が行っていましたが、違和感の無い芋虫相手でも、気が付かなかった訳では無いのです。

 脳筋姫様との訓練の時、僅かに魔力がぶれるのを感じたのは確かですけれど、振られた剣筋に剣を割り込ませる事が出来たのは、やはりそこに何かを感じていたに違い有りません。


 そうしてそれを“気”と認識出来る様になって、私の訓練は一気に進みました。

 どういう時に、私が“気”を発しているのか。それを知る事が出来なければ、そもそも訓練にも成らなかったのですから。

 効果を確認出来るという事は、それだけで凄い事なのですよ。


 ドルムさんの言う通り、全力を超えた全力を出そうとした時に、僅かばかりに漏れる力。確かに“気”は、そんな力だったのです。


 まだまだ自分の体からそれが漏れているのが分かるだけで、操る事は出来ません。

 ……いえ、操ろうという考え自体が間違っているのかも知れませんね。ドルムさんも、“気”は爆発力と瞬発力だと言っていたのです。


 ですから、走りに走って“気”が漏れているのを感じる様になったら、前に突き出した脚でとどめた勢いを全て腕の振りに載せて振り抜きます。

 遠くの茂みががさりと揺れます。

 何度も繰り返すと、巧く茂みを揺らす事が出来た時は、その瞬間、力を大して込めていないのにスカッと斬撃が突き抜けた時の様な爽快感が有る事に気が付きます。


 そんな爽快感を踏み出す足に感じようと、腕の振りでの感覚を足で再現しようとしましたけれど、中々上手く行きません。

 それでも、毎一歩の全てを試行に傾ければ、極稀にスカッと力が抜ける感覚と、ぐんっと周りの景色が流れる一瞬が現れるのです。

 ……気は爆発で瞬発力というのを、身を以て知りました。知ってしまいました。

 制御出来ない超加速なんて、敵対する生き物の居る森の中でするものでは有りません。

 何度、森犬の鼻先を意図せず跳び過ぎてしまったか分かりませんが、でも、今の内に乗り越えなくてはならない試練でも有るのです。

 今は、特訓、特訓なのですよ!


 一つだけ心配なのは、私の手を離れる程の速度に成ってしまうと、森に漂うひずみを避けるのも一苦労という事でしょうか。

 恐らくは、鍛冶仕事で鍛えた感覚が有ればこそ感じ取れる、界異点からの歪ですが、まるで風に揺らめく蜘蛛の糸の様に、森の中を漂っているのです。

 森の奥へ行く程に濃く流れている様にも思えますけれど、湖の辺りではまだ時折視界を横切るくらいでしょうか。

 これが昏い森なら、もう少し濃く、朧な蜘蛛の巣の様な蟠りも有ったのですが、豊穣の森は歪という点では随分薄い漂い方でした。

 ですが、薄くても歪みは歪。魔力で押し退ける事は出来ますが、それも無しで交差してしまえば、気が付くことも無くスパッと体の中を通り過ぎていってしまいます。

 普通の人には見ることも出来ない歪、細くて感じる事も出来ない歪、何も起こっていない様に見える歪、ですが、それと関わったなら、歪まされてしまう様な気がして、やっぱり魔力で避けずには居られないのです。


 “気”の訓練の為に全力で駆け抜けながら、魔力を使って歪を避けて、過ぎる獲物達はずんばらり。


「ひょぇえ~~……今日も大量でやんすね!」


 それは狩った獲物も呆れる大猟になるというものなのです。

 今日はまたラタさんですね。ラタさんはもじゃもじゃの揉上げ、今日は来ていませんがスカさんは盛り盛りに盛り上げた髪です。ラタさんと一緒に居るスカさんの息子さんが普通すぎて、逆に違和感が有る程です。

 一度、スカさんラタさんで湖に来た時に、顔合わせは済ませていますけれど、毎回のリアクションには微妙な笑いを浮かべてしまいますね。


 積み込んだのは、森犬の皮が昨日より少し減って四十枚近く。森犬の肉も同じ程。後は蜘蛛や猪が適当に。薬草の束もそれなりに。


 大物なら運送を請け負うポーターも、小物は直接買い取りをして、その場で支払ってしまいます。その方が、どちらにとっても楽ですから。

 湖まで来ての出張買い取りですから、小物の買取価格は随分と下がってしまいますけどね。大体初日の買い取りは、冒険者協会での半額程でしたでしょうか。

 小物ですからそんな物と思っていましたけれど、その次の日になって、私もドルムさんと同じ様に森犬肉のお裾分けをしようとしてから状況が変わりました。……まぁ浮遊して迫って来る皮を剥がれた森犬の姿に湖の周りが阿鼻叫喚の騒ぎになって、大量の森犬肉が余ってしまったのですよ。

 元はと言えば冒険者達に振る舞うつもりの森犬肉も山積みとなれば、街へ戻るまでに悪くなってしまうのが目に見えてます。そこで私が気を利かせて、湖の水に「活力」を逆作用させて作り出した氷が、随分とスカラタ兄弟さん達に感謝される事になったのです。

 その甲斐有って、今は小物でも冒険者協会での七割近くで買い取って貰えています。私もスカラタ兄弟さん達もほくほくなのですよ。


 そしてまた、夜が過ぎて朝が来ます。

 私が駆け回った所為で、湖の周りは森犬の姿も減ってしまった様な気がします。

 ドルムさんには“気”が使える迄はと止められましたが、少なくとも茂みを揺らすのは確実に出来る様に成りました。

 塊乱蜘蛛チュルキス相手に何故か成功した瞬間移動の術も、あれから何度か成功しています。あれは魔力と“気”の複合の技でした。ということは、少しは“気”が使える様に成ったという事なのです。

 そんな事を言い訳に、私は少し森の奥へと入ってみる事にしたのでした。


「ふわぁ~……森の奥は、また違った感じになるのですね~……」


 森の奥は、奥へ行く程木の密度が上がってぎゅうぎゅう詰めになるのかと思っていましたけれど、そうでは無くて、薬草にも薬草の群生地が在る様に、森の中にも濃淡が有るという事を知りました。

 今登っている丘なんて、不思議と木が疎らで、そのおかげで遠くを良く見渡すことが出来ます。

 丘の頂に辿り着いてみれば、丘から森の奥へと向かう側は、丸で眺望を楽しめとばかりに開かれていて、薄曇りの天気にも拘わらずその景観に胸に震えが来る様です。


 丘から見下ろせば、丘を回り込んで流れる川の流れがまず映り、そして森の奥へと続くその川の周りには草原が、そしてその両脇には何処までも続く森が広がっています。

 遠く豆粒の様に見える熊の様な生き物は、しかしその背丈が木々の高さを超えて、今もその木をへし折ろうとしているのかゆさゆさと豪快に揺さぶっています。

 草原を横切る獣は、この距離から見ているから判別出来ますが、間近で見れば恐らくは理解出来ないとんでもない速さで動いています。

 何もかもがスケールが大きくて、込み上げてくる何かを抑えられません。

 湖で取り零したと思っていた感動は、まだ此処に在ったのです。

 いえ、この先も、冒険を続ける限り、こんな感動には出会えるのでしょう。


 そんな気持ちを言葉に込めて、私は天へと両腕を掲げ、高らかに叫び上げたのです。


「天よ轟け~~! 森よ唸れ~~! 今ここから私の冒険が始まるのですよ~~!!!!」


 そんな想いが天に通じたのか、俄に空が掻き曇り、丘を降りた直ぐそこに、目も眩む太い稲妻が轟き落ちたのです。

 薄曇りでしたが、これこそ正に青天の霹靂。


「祝福ですよ! 祝福なのですよ!!」


 私は燥ぎ、笑い転げ、更には稲妻の落ちたそこに巨大な獣のふらつくのを見て、確かな福音を感じたのです。


 嗚呼、冒険です。冒険なのです!

 今こそ私は、冒険の中にいるのです!

 この道こそが、遙かなる冒険に至る道に違い無いのですよ!!


 ――と。


 そして、それは確かに間違いでは無かったのでした。

 私の冒険は、この時に始まりを告げたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る