(74)駆け込み少女と入学試験。

 夏の三月に入ったばかりの頃から、二十日近く続いた王都学院の入学試験も、今日で最終日になる。

 そんな最後の駆け込みにやって来るだろう人々を、新米講師のカカレンは学院の門のすぐ内側に在る受付に座って待っていた。

 最終日の案内看板も立て掛けたし、必要な資料も揃っている。

 後は受験希望者がやって来るのを待つだけだ。

 幸いな事に抜ける様な青空で、今日を最後の恃みとする人達も、天候に力を削がれる事は無いだろう。夏の盛りも峠を越えて、少し過ごし易くなっているから尚更だ。

 逆に言えば、今日力を発揮出来なければ、どう頑張っても今年学院に入る力は無い。

 つい先日まで講義を受ける側の立場だったのを思い出しながら、まだ誰も来ない学院の門へ向けて、『がんばれよー』とカカレンは、心の中で声を掛けた。


 学院は、各街に有る学園とは違い、各分野の専門技術を学ぶ場だ。その学院の入学試験で合否を判定する試験官は、学院での講義を受け持つ講師であり、それは即ちそれぞれの分野の第一人者という事でもある。

 王城から出向している騎士を除けばその多くが王都研究所にも在籍する研究者の為、時に対立する学説を掲げる者も居れば、時には己の研究を補完する観察対象として合格者を選ぶ者も居る。課される試験も千差万別だ。

 そんな不公平に成り兼ねない試験の均衡を図る為に、王都学院は入学試験の科目を増やす事で対応した。仮令たとえ偏った試験を課す試験官が混じっていても、試験科目が増えれば平均化されるという考え方だ。その数は数十にも及び、受験生達はその中から希望する学科に沿った科目を受験する事になる。

 それでも運の悪かった者や納得出来ない者の為に、都度高額な受験料は必要になるが、毎年三度迄の受験が認められている。複数回受験した場合には、それら全てを考慮して合否が判定される事を考えると、公平と言うよりも甘いとの意見も有ったりはするのだが、運悪く評価が低くなる講師にばかり当たった者への救済としては妥当な方法と支持されている。


 ただし、最終日の今日に限っては、その偏りも考える必要は無い。何故なら最終日は、一次二次三次の期間で割り振られていた各科目三人ずつの試験官達が、一堂に集まって試験を監督するからだ。

 それなら最終日に全てを懸ける者が数多く出そうなものだが――


(落とされた評価も加味されてしまうから、そうはならないのよねぇ~)


 それ故に、既に受け付けが開始されているこの時間でも、カカレンはのんびり受付に座っている事が出来ている。

 それでも、最後の機会には変わりが無い為、最終日の受験希望者の数はゼロにはならない。諦めきれない受験生の他にも、一次や二次の期間に間に合わなかった者が、この最終日にやって来る。今日も、ほら――


「わぁあ!? ちょっと待って下さい! 入学希望ですよー!!」


 門の辺りから声が聞こえて、直ぐに顔を上げた筈なのに、もう目の前には受付に齧り付く様にしている女の子の姿が有った。


「ぅうう~……もう、期日が決まっているのなら、書いておいて欲しいのですよ~……」


 へにょりと眉を曇らせながら、背中から下ろした大きな鞄の中を漁るその少女は、黒い革製のワンピースを着た、綺麗な赤髪の小さな子供だった。

 学園を出たばかりにしてもまだ小さい。

 衣装の拵えもそうだが、背負っていた鞄も町歩きには不似合いな大きさで、おそらく旅装束の儘で訪れた事が窺える。

 どうにもちぐはぐな印象に首を傾げながらカカレンが見ていると、少女は鞄から二通の封筒を取り出して、カカレンに渡してきた。


「学園から貰ってきた書類一式に、招待状ですよ」

「はい、成績表に、学園の推薦状、……招待状っていうのは何かしら? あら? 学院長からの……確かに招待状ね?」


 首を傾げながらも、他の書類が揃っている事から、カカレンはそれを推薦状の一種と理解して処理をする。受験料の五両銀も問題無く、不備は無い。

 受付を任される講師は『判別』が出来る事も条件になっているが、それに引っ掛かるものも無いのなら、受験資格に問題は無い。カカレンは予め用意されていた受験者用の書類袋から内容物を取り出して、代わりに提出された書類と招待状を収めて封をした。

 取り出した内容物からは、番号札を身に着ける様に伝えて、他は学院の地図と束になった受験チケットだ。受験したい科目の会場で、その科目のチケットを渡して、試験を受ける様にと少女へ伝えた。


「構内には、これと同じ腕章を付けた人が各所に居るから、会場の場所が分からなくなったらその人達に聞いてね。それじゃあ、頑張って!」

「はい! 有り難うございます!」


 最初の消沈具合も既に無く、元気に返事をする少女を見送って、カカレンは次の受験希望者を受付で待つ。

 学院長の招待状が文字通り招待状で、学院での講演を期待した代物だったとか、カカレンも王都を騒がせたオークションについては知っていても一般市民はディジーリアの名前までは疎かったとか、ディジーリアが用意した書類に不備が無く疑問に思う事も無かったとか、そんな諸々の事情により誰にもディジーリアの素性も何も明かされる事の無い儘に、入学試験は進められる事になったのだ。


(頑張れ~♪)


 晴れ渡る空の下、カカレンの胸の内での声援と共に。




 さて、入学試験で受けるべき、まず初めの試験は一般教養である。この試験ばかりは必須科目とされていて、これに合格出来なければ続く試験を受ける資格は無いとするものだが、要は学園で学んだ事の理解度確認だ。

 学院の門を入って受付を過ぎた直ぐ右手の試験会場。普段は屋内鍛錬場として用いられているその空間に、今は机と椅子が並べられている。

 そこで荷物を下ろしたばかりの細身の男は、ベルの魔道具がチンと一回鳴るのを聞いて、僅かに目を見開いた。


「……早いな? もう来た奴が居る……いや、間違いか?」


 男は訝しむも、直ぐに建物の入口に人影が現れたのを見て、勤勉な事だと溜息を吐いた。

 最終日の今日になっても第一試験場を訪れる受験者なんていうのは、決まり切った学園の講義内容ですら覚束無い輩だ。しんばここで一般教養の試験に通ったとしても、続く試験で落ちるのは目に見えている。

 そうは思いつつも職務ならば仕方無いと、再び溜息を吐いた時、逆光の中入口脇の係員と話をしていたその受験者が、漸く試験会場へと足を踏み入れてきた。


 その様子を見て、男は「おや?」と眉を撥ね上げる。あんなに小柄な受験生は、今年の受験生の中には居なかったと。

 案の定、近くまで寄ってきたその少女に見覚えは無い。


「受験のチケットは、これでいいですか?」


 おずおずと差し出されるその様子からは、学院での受験慣れをしていない事が窺えた。


「うむ、確かに。……学院の受験は初めてか?」

「はい。夏の余り月に入る前に、入学試験が終わってしまうなんて知りませんでしたよ」

「……まぁ、勘違いされる事も多いが、学院は秋からだ。家の事情で冬からしか出て来ない者も多いが、入試は夏の内だな。ふふ、間に合ったのだから、今、全力を出せばいい」


 小柄に過ぎるが、種族によってはそういう者も居るだろう。成人しているのかどうかも不明だが、学園さえ卒業していれば学院の受験資格に関わる事では無い。

 男は貰ったチケットを解答用紙に糊付けすると、幾分上向きになった心持ちで、少女の試験を見守るのだった。


 そして、程無くして少女は答えを埋め切って、男へと解答用紙を差し出した。


「む、もういいのか? 時間はまだ半分近く残っているぞ?」

「答えは全部埋めましたし、見直しもしましたから時間を掛けても仕方が有りません」

「……よし、なら貰おうか」


 そしてその回答を見る。手本にしたくなる様な綺麗な古字体だ。

 読み書きは言うに及ばず、一般的な法律や種族毎の約束事にも問題無し。算術でも間違いは無い。諸外国との関わりで少し覚え違いが散見されて、時折――


「……おい、この『あやふやですが……』とか『分かりません』とは何だ?」

「確証が持てないのに適当な答えを返す方が害悪なのですよ。多分薬草だと言って毒草を盛られては堪りません。怪しいものには怪しいと返した方がまだましなのです」


 そんな言葉に改めて見てみれば、妙に熟れた着熟しの服は、衣装と言うよりも装備と言った方が良い出で立ちだ。革のワンピースに差し込まれる様にして柄だけ見えているのはナイフだろうか? 机の横に置かれた大きな鞄や鞄に刺さる剣を見ても、恐らくこのなりでそれなりの冒険者なのだろう。

 当たったならば儲け物と適当に答えを埋める者とは意識も違うなと清々すがすがしく思いながら、男は採点を続けていく。

 本人が怪しいと言うのだ。ならばそれを尊重してその答えが合っていても保留とし、最終的に加点しようかと男は考えたが、採点を続ける内にどうやらその配慮も不要な様だと男は口元を歪める。

 学園で言う基礎課程での内容に幾つか減点は有れど、専門課程での加点が減点を上回って余り有る。商店での金の流れや納税の仕組み、基礎的な調薬、農作業の基本、木工や石工いしくの様な匠の技、果ては武芸にもそれなりの理解が有る。魔術に到っては、問題文に駄目出しまでされている有り様だ。

 それでいて、記述式の問題の為に用意された特別製の『判別』の魔道具で、誤りだと判定されないのだから余程よっぽどだ。


(これは……荒れるな)


 そう思いながらも、男は思わず喉の奥を鳴らしていた。

 言ってみれば、今時点でも主張の割れる魔術学界に、新たな第三勢力が殴り込みを掛ける様なものだ。これで荒れない筈が無い。

 それでいて『判別』が是と判定している以上は、否定する事も出来ないのだから、教授連の懊悩が今から予想されて愉快な事この上無い。


「幾つか間違いも有ったが、第一試験の一般教養は合格だ。次の試験からは望む会場でチケットを渡す事だな」


 言いながら、少女が胸に付けていた番号札に合格印を押して小さく点数を書き加える。


「有り難うございました!」


 元気良く礼を言って、鞄を背負って駆けていく少女を見送りながら、男は再び喉を鳴らした。

 今年は最終日になって、何とも面白そうな奴がやって来た。一般教養とは雖も余裕で合格ラインを越えて来るどころか、問題文に駄目出しをする前代未聞の破天荒さだ。

 男は学院の中でも研究所に所属していない、純粋に学院に所属する講師だ。その様な一般科目を受け持つ講師は、往々にして研究所から来る講師達に小間使いの様に使われる事も多く、遣る方無い憤懣を抱え込んでいたりもしたのだが……。


(くっ……面白い事が起きそうだ)


 天然ナチュラルに駄目出しをする少女は、きっとこの後に続く試験でも、何かを為出かしてくれるだろう。

 それを思えば最終日の退屈な時間も紛れそうだと思いながら、男は口元を歪め――

 しかし、試験場の入口に漸く現れた次の受験者を見て溜息を吐いた。

 見覚えの有る受験者だ。

 男にとって、暫くは退屈な時間が続きそうだった。




 魔術の座学を受け持つ試験監督の講師達は、目の前でペンを動かす少女を前に困惑していた。

 まだ講師が揃わない内にやって来たその少女は、初めは元気良く受け答えをして用意された席へと座っていたが、問題用紙を眺め見る内にその目が段々と座ってきた。

 そして今は苛立ちを隠そうともせずに只管ひたすらペンを動かしている。


「これだから『儀式魔法』使いは――」


 時折愚痴の様に溢れる言葉が刺々しく、試験中だというのを別にしても声を掛ける気になれない。


(……なぁ、あんなに書かなければならない問題なんて有ったか?)

(いえ、『魔弾』とか『火炎弾』の使い方といった簡単な問題しか無い筈ですが……)

(あんなに鬼気迫られては声も掛けられんな。解答用紙で確かめさせて貰おうか)


 遅れてきた同僚と合わせて、そんな内緒話を交わしていると、書き連ねる事に焦れたのか少女はキッとインク壺を睨み付けた。

 途端にインク壺から糸を引く様にインクの塊が飛び出して、宙で網の様に形を変えながら解答用紙の上に着地する。じゅわっと蒸気が上がったと見れば、表だけでは足りなかったのか裏面にも同じ様にインクの網が降りていく。


(『根源魔術』か!)

(……そりゃあ、あの問題では量れんなぁ)

(え……え……!?)


 インクの網を降ろした少女は、その解答用紙を手に講師達へと差し出してくる。


「出来ました」

「……うむ、では次の試験へ向かうがいい」


 少女が視界から去ってから、講師達は一斉に解答用紙へと群がった。


「おいおい、『魔弾』を『根源魔術』で実現するとか!?」

「採点出来ませんね……」

「『判別』に頼るしか有るまいな」

「これ、……もしもこれが『判別』で正しいと出たら、彼女に教壇に立って貰うというのは?」

「おお! それはいい」

「採用だ!」


 図らずも学院長の思惑に近い事を言いながら、その場では冗談として笑い飛ばされるのだった。




 そして魔術の実技試験。

 王都学院の後背にある演習場に現れた少女を前に、三人の試験監督の内、女性講師が面白く無さげに鼻を鳴らした。


「受験のチケットですよ! よろしくお願いします!」


 差し出されたチケットを、何故か正面に居た女性講師が受け取らなかったので、脇から男性講師がそのチケットを受け取った。

 男性講師が試験記録の用紙にチケットを貼り付けている間に、女性講師が演習場に並ぶ的を顎で示す。


「あの的を壊せばいいのですか?」


 首を傾げた少女が、的を一瞥してから目を戻す。


「――壊しましたよ?」


 「「え!?」」と二人の男性講師は驚いて的へと視線を向け、女性講師は的も見ずに呆れた表情で顔を顰めた。


「何もしていないじゃないの! いいから魔法で的を壊すのよ!」

「ええ~!? もう……――壊しましたよ?」

「何もしていないでしょお!!」


 顔を歪める女性講師の肩を、的を見ていた男性講師が叩く。


「何よ!!」

「いやな、嬢ちゃんが的を見た途端に、的の一つが崩れ落ちたんだわ。あんたも的の方を見てみないか?」

「何を馬鹿な事を言っているのよ!!」

「ほれ、嬢ちゃん、やってくれ」

「もう――これでいいですか?」


 少女が一瞥した途端、一瞬光った的が崩れて、灰の粉を吹き散らす。


「……凄ぇな。一瞬で灰か」

「『根源魔術』なんでしょうね。学院のレベルも飛び越えている様に思いますが、学院には何を学びに来たのでしょうか?」

「魔道具が面白そうなのですよ! 他にも色々と面白そうなのが有りそうなのです!」

「おお、いい事だぜ、向上心が有る奴は大歓迎だ!」

「ええ、学院で大いに学んでいって下さいね」


 男性講師達は感心を顕わにして、少女と穏やかに言葉を交わしている。

 ただ、目の前で灰と散った的を目にして放心していた女性講師が意識を取り戻して、次第に目を吊り上げていた。


「い、いんちきよ!! 魔力も無いのにあんな事が出来る筈が無いわ!! そうよ、“気”ね! “気”を使ったのでしょう!!」

「ええ~……? 魔力はちゃんと有りますし、私の筋肉で的をばらばらにするだけの『気弾』は放てませんよ?」

「お黙りぃい!! 魔法はこうやって放つのよぉおお!! 猛り狂う炎よ我が敵を撃ちなさいぃいい~――『轟火炎弾』~~!!!!」


 歯を剥き出した女性講師が魔法を放とうとするが、何も起きない。

 口を縦に開いて鼻を窄めた変な顔をしながら、女講師が目を剥きながら「『轟火炎弾』!!」と繰り返す。


「あ、つい邪魔をしてしまいました」


 小さく呟いた少女の囁きを耳にした男性講師の一人が、少女の傍に寄って問い掛けた。


「嬢ちゃんが封じているのか?」

「……だって、悠長に何をするのかと思ったら、結局は『儀式魔法』なのですから、つい」


 その頃には女性講師も『轟火炎弾』を放てる様になっていて、幾つもの火の玉が的へと向かって飛んでいっては爆炎を上げていた。


「こ、こ、こうするのよお!! 出来るものならやってみなさいぃい!!」

「直接燃やせるのですから、その方が早いですよ? 撃ち放ってしまったら、後ろの壁まで壊れてしまうというのに……もう、仕方が無いですねぇ」


 げんなりとした様子を隠そうともしなくなってきた少女が、足下から小石を拾い、軽く宙に放り投げたと思った瞬間、的の方からバキャリと大きな音が鳴る。

 見れば木の的が砕けながら宙を舞うところだった。


「巫山戯ないで!!! 魔法を使えといったでしょう!!!」

「ですから、魔術で小石を「加速」して、的に当てましたよ? 他の方法はまだ手加減とか出来ないのですよ」

「手加減なんて身の程知らずよぉおお!! 全力でやるのよぉおお!!!!」

「ええ!? ……もう、何を言っているのか分かりません」

「いや、嬢ちゃん。俺にも分からんから心配要らんぞ?」

「遠隔で的を灰に出来る人が、全力で放つ魔術なんて洒落になりませんね」

「……まぁ、上空から放てば、的の後ろまで被害は及びませんかねぇ。では、軽く『魔弾』で」


 少女が言った途端、上空から一瞬駆け抜けた光線が的を貫き大地に穴を穿つ。


「……おい、今のは何処から撃った?」

「的まで私の支配領域下に有りますからねぇ。何処からだって撃てますよ?」

「い、いんちきよーー!!!!」


 目を見開いて歯を剥き出しにした女性講師を少女は胡乱気に見遣ったが、その表情に、はっと理解の色を走らせた。

 ふむふむと肯く度に明晰さを増していくその眼差し。


「――成る程、そういう事なのですね。とんだ引っ掛け問題も有ったものですが、確かに必要な試験に違い有りません」


 その少女の言葉に続いて、きーきーと喚いていた女性講師が、とさりと意識を失って崩れ落ちる。

 それを受け止めた少女曰く。


「魔術を操る者は、強大な力を抜き身で手にしているのも同義です。理不尽な指令に対して唯々諾々と盲従するのでは無く、自らの考えで判断出来るかを試験にするとは、流石ですよ!」

「いや、嬢ちゃん分かってて言ってるだろう?」


 少女はそっと視線を逸らすのだった。




 それからも、少女は時間の許す限り、試験会場を巡り歩いた。

 受付で手に入れた地図の後ろに書かれた星取り表に従って、まずは魔道具を学ぶのに必要な、魔術と道具造りに関わる試験を。

 木工の鮮やかさに試験官を唸らせ、金工では手に持った金属を熔かして造形しては試験官を驚愕させと話題を振り撒き、そして必要な科目を受けた後は、その時の試験官の勧めに従って少女が受けられそうな科目を次々と受けていく。

 植物学や農学では、定められた名称は答えられずとも、病気の植物を一目で見分けたりと、きらりと光るところを見せる。

 武術においては、気が付けば試験官の首にナイフを添えて、試験官に手を上げさせる。

 歴史においても老熟の試験官を相手に物怖じもせず――


「では、漂記に曰く、氷克の六百二十三年、マダラス川流域で起きた事を延べよ」

「……六百二十三年……マダラス川……おお!

 時は氷克六百二十と三を数え、遥か北方オルゴロスを抜け、カインゼバルの興した地へと迫る氷魔を迎え撃たんとオルガノンに集った武人達は八千と四百人。何れも名立たる名士ながらも、氷雪吹き荒ぶ中、恐るべき氷魔に到頭マダラス川まで追い詰められた。

 後に伝わる知略のタルカサンドは寧ろこれを好機と捉え、隊を二つに分け暫し姿を晦ました。

 残る隊を纏める鉄壁のバンガニウル、氷魔相手に苦しい戦いを繰り広げながら、今か今かとその時を待つ。

 すると七日目には大河マダラスが細り行き、十日目には川底が見えた。

 成し遂げたかと勢いを盛り返すバンガニウルだが、課された役目は撤退戦。干上がったマダラスを氷魔を誘いつつ渡らんとするも、既にその川底は凍り付き始めていた。

『これは上々、泥濘に足を取られ無ければ、妨げに成る物無し!』

 渡河した後はここぞとばかりに弓矢魔術の大盤振る舞い、干上がったマダラス川の真っ直中で氷魔脚を止めし時、轟々と轟くのは溜めに溜め込まれた大河マダラスの鉄砲水。

 寧ろ轟砲とばかりに押し寄せる泥水の壁に、氷魔、川底へ爪を立てたのが運の尽き。泥水は氷魔に触れて氷と成り、厚くその身を覆い尽くす。罅が入ればその隙間を新たな氷が埋める、氷魔の命尽きし時まで終わる事なき氷の牢獄が完成したのだった」

「そこで、バンガニウル曰く?」

「『ふはははは、やりおったわタルカサンドめ! ふむ、これは氷菓子も食い放題じゃわい!』」


 老熟の試験官の合いの手に、思わず答えた少女。にこにこと見詰める試験官に目を瞬いた。


「くっくっく、オルガノ書房の氷雪記じゃな。実際バンガニウルが戦場でそんな事を言ったかは知らんが、常々同じ様な事を口にしていたからの。実際にも奴なら言いそうな事じゃ」

「……五百年近く前の事ですよ?」

「ふむ、高々五百年じゃよ。儂がタルカサンドじゃ。オルガノ書房の氷雪記には儂の監修も入っておるわい」

「おお!!」


 そんな一幕も有ったり無かったり。

 お昼の時間には食堂で、調理の試験まで受けながら、やがて日が傾く頃に丁度受けていた建築の試験の試験官に促され、最後の面接に挑む事になった。


「ふぅむ、学園を飛び級して、ここには魔道具の造り方を習いに来たと?」

「ええ、他にも興味が無い訳では無いのですけど、魔紋だとか魔法陣だとかはここに来る以外に当てが無くて」

「ふむ、魔道具の造り方を覚えた後はどうするつもりかね?」

「冒険者をしながら鍛冶もしているので、そちらに活かしていく感じですかねぇ」

「研究所へは?」

「王都の研究所には入るつもりは有りませんよ? 自分の研究所は有りますし、研究は冒険しながらでも出来ますから」

「んん? 自分の研究所とは?」

「デリラの街の第三研究所が私の研究所ですねぇ」


 この時、面接官はその言葉を少女が所属している研究所と取った。流石に少女のなりで所長だとの発想は出て来なかったのである。


「まぁ、良かろう。受験結果は明日の昼には受付横に貼り出される。合格していたならば、そのまま食堂で説明会を兼ねた昼食だ。学費は寮費は別として十両銀、合格の場合はその場で払う事になる。合否はまだ分からぬが、忘れぬ様に」

「十両銀ですか……結構な額ですけれど、寮費はどれくらいになりますか?」

「む、寮費は一月当たり一両銀も無かったとは思うが……当然上等の部屋はそれなりにするが、どちらにしても予約は明日の説明会だ。一般の部屋に空きは有った筈だし、地方の者が優先されるから、早ければ明日にも入る事が出来るだろう。まぁ、合格していればの話だがな」


 そんな話にぺこりとお辞儀を返した少女は、有り難うございましたと席を立ったのである。




 夕刻から始まった審査会では、既に点数と試験官の所見で振り分けられた合格予定者に対して、最終的な審査が行われていた。

 前日までの受験生に対しては、既に審査が済んでいる。最終日まで粘った者も、ほぼ下馬評通りで、惜しいと思われていた者の内の数名が合格ラインに掛かる様になっていた。

 それ故に、焦点は最終日一発勝負で受験した者に当てられていたが、最終日で有るが故に、総括として今年の試験で際立った者についても話題に上げられていた。


「今年は中々に癖の有るのが集まったのう」

「最年少の天才に、中央山脈の向こうからの留学生ですか。それらと較べると、他は癖が有ると言っても……」

「確かに、その二人が抜きん出ていますよね」

「留学生の方は、優秀ではあっても普通に思えましたが……」

「それはそうじゃろう。じゃが、普通に優秀な者でも、そこは山脈の向う側から来た者じゃ。前代未聞で噂にも聞こえて来ぬ土地の事、未知の技術や技術や文化が有ると考えるならば、寧ろ儂らの方が学ぶべき事も多かろうて」

「貴重な技術交流の先駆けになる事も期待出来ますなぁ」


 ほぼ、既出の振り分けを是とした話し合いは、そのまま受験生の一人である少女へと視点が移り変わっていく。


「それにしても、首席合格者が最終日から出たのは驚きですね」

「しかも、最年少ですよ。まぁ、首席を取れたのは受験した科目数も有るのでしょうが」

「くっくっく、魔道具を造りたいとは聞いたが、調理や建築にまで手を出しているとはな」

「木工、金工、鍛冶辺りまでは真っ当なんですけれどねぇ」

「魔術に到っては、こちらが教えを請いたいくらいだ」

「服飾も同じですね」

「鍛冶も然り……だが、魔術を使って鍛冶をされると真似も出来ん」

「『魔鍛冶』なんて技能が生えていたとは聞きましたが、『識別』も『看破』も通じなかったのでしょう?」

「当人もそれで苦労したらしいからな。それも今では解消したらしいが……」


 和やかに進む会合だったが、少女の話が始まってからずっと表情を強張らせた女性講師が待ったを掛けた。


「『識別』を妨げる様な事をしている輩を入学させるのは、やっぱり反対です」


 それを聞いて、集まっていた内の何人かが溜息を吐いた。


「のう、デラちゃんや。『判別』持ちが同席した場での聞き取りで、『識別』や『看破』が弾かれるのは本人の意図した物では無い事が分かっとる。凶状持ちで無い事も確かなのに、それを理由にするのはどんなもんかの?」

「試験官に手を出したと騒いでいたのは、不当に貶めようとして錯乱していたのと相殺ですからね。寧ろ正気を無くしていたところを、穏便に意識を飛ばして貰えたのは良くやったと感謝すれども、逆恨みするのは……」

「寧ろ女史は、これまで不当な評価で貶めてきた者達への対応を考えるべきと思うが」

「“ついの一番”の彼女は、一般教養問題への駄目出しで、魔術と言いながら『根源魔術』を考慮していないと指摘し、択一式の問題を全て誤りとしていますね」

「魔術の筆記試験では『儀式魔法』と『根源魔術』の違いを細かく記してから『根源魔術』としての実現方法を書いているな。ま、『儀式魔法』を神々への丸投げと結論付けて、『儀式魔法』での遣り方を論じるのは意味が無いと扱き下ろしているが」

「それでいて何よりも『判別』の魔導具が是と認めておる。デラ女史もあの魔導具の成立には深く関わっていたのでは無かったかね?」

「これだけで論文になりますね。デラ女史の言う魔術の資質とは明らかに対立していますが。“終の一番”に言わせると、デラ女史の言う資質は、自分の魔力を制御も出来ない資質無き者になりますからね」

「『儀式魔法』が制御を離れた魔力を使うというのならば、『儀式魔法』遣いにとってはある意味優れた資質なのかも知れんが……彼奴あやつが自在に『根源魔術』を繰って鍛冶をするのを見てしまうと、な」

「とは言え、これまではそれらが判明していなかったのも事実ならば、蒸し返す事も有りませんが、人の気持ちはそう簡単では有りませんからね。特に貴女は自分が下と見た相手を貶め見下すところが有る。逆恨みでは無く真っ当な恨みをぶつけられる事になるでしょうから。貴女も魔力が視えるからと、そこで留まって無ければこんな事にはならなかったのでしょうが」

「寧ろ今後は『儀式魔法』使いが魔力の制御も出来ない三流以下と見られてしまいそうだが……。学院としてはどう対応するのかね」

「ふむ……学院長が不在にしているから裁可待ちとはなるが、『儀式魔法』が重要な事は恐らく今後も変わらんよ。だが、『根源魔術』の資質持ちに対しては別だな。科目一つ落とした程度で不合格となる者には特に対応は不要だろうが……。問題は入学した上で資質無しとされた者だが――」

「『根源魔術』を指導出来る講師も居らねば、魔力を制御して資質が無く見えたのか、それとも魔力自体が足りておらんのか分からんからのう」

「いっそ、本当に“終の一番”の彼女に講師を依頼しますか?」

「ははははは、それはいい!」


 要らない一言を発したが為に、怒濤の如く進む話に女性講師が青くなって震える中、審査自体は予定通り順調に進んでいったのである。

 ここでも、番号呼びをされた為に、誰も少女の正体には気が付かないままに。



 ~※~※~※~



 暮れなずむ空を背景に、私は学院を後にしました。

 はふぅと一つ溜息です。

 試験自体は順調に解けたと思うのですけれど、思わぬ処で精神力が削られてしまったのですよ。

 全くお手軽仕様の『儀式魔法』には困ったものですよ。


 そんな事を思いながら、私が向かうのは冒険者協会です。

 合格すれば寮には入れるみたいですけれど、今日もう一日は泊めて貰えないでしょうかと期待して。

 それにしても、王都に着いてからもばたばたと慌ただしい事になってしまいましたが、考えてみれば此の所予定が空いていた事が有りませんね。学院に合格していなければ、ぽっかりと予定が空いてしまう事になりますけれど、その時はどうしましょうかね?


 冒険者協会の大きな扉に手を掛けながら、私は暢気にそんな事を考えていたのです。

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