(46)或る騎士の回想もしくはお淑やか少女の雪辱戦

 大陸中央部にあるラゼリア王国。嘗ては兎も角、今の王国に純粋な歩兵の職業軍人は居ない。

 職業軍人は基本的に全て騎士であり、見習いであっても騎乗での訓練が課せられている。

 皆、同じ騎士だ。そこに違いが有るとするならば、それはその騎獣に有るだろうか。


 最も多い中型種は、集団戦のかなめだ。黒岩豚や竜鱗馬、鎧猪といった騎獣の種類によって、それが皮か鱗かの違いは有れど、鎧の様な体表を持ちし疾駆する巨体が群れを成すならば、立ち塞がるのは自殺行為だ。視界を埋め尽くす騎獣の群が、轟音を上げつつ迫る時、抗える者など何処にも居ない。咄嗟に逃げる事が出来ればまだしも、立ち尽くせば何も出来ないままに轢かれバラバラにされるだろう。

 即ち騎乗戦とは蹂躙劇であり、そこに歩兵の介在する隙間は無い。


 次に多い小型種は、小柄な草原人族や獣人部隊、人獣部隊の騎獣となり、斥候に、或いは塹壕内の連絡に、時には洞窟への突入へと活躍する。徒歩かちよりも疾く山を行き、洞窟を行き、山岳地帯の山鹿を操る特殊部隊等が垂直の崖を跳ねる様に駆け上っていくに到っては、歩兵の取柄も地に墜ちる。


 ここに僅かと雖も大型種が混じれば、最早歩兵に居場所は無い。木々を薙ぎ倒しながら突貫していく大型種の前では、隠れていようが罠を張ろうが、何もかもが無に帰する。

 難を言うならば、そういった合戦で用いられる騎獣の多くが、持久力には課題が有るのが欠点と言えば欠点だろうが、それも伝令に用いられる只の馬などの騎獣と較べればの話であるならば、重機の役割も果たす戦場の騎獣に対して高望みのし過ぎとも言えるだろう。


 これら三種の騎獣を操る三騎獣戦術こそが、多くの戦いを経ての領域で磨かれた、軍術の最先端というものだった。


 尤も、それでも徒歩かちでの兵を必要とする事が無い訳では無い。

 例えば土地勘の無い場所での案内人。或いは純粋な後方支援の人足。

 それらが必要となった場合には、冒険者に依頼が出る事となるだろう。

 もしくは、態々冒険者にたのむならば、森林や迷宮と言った魔の領域での露払い。

 しかし、いざ戦いとなった暁には、誇り高き騎士に並ぶ筈も無い――


 ――なんて事を、思ってなどはいまいな?


 直立不動に前方の光景を目に収めていた、中隊長を任される様になったばかりの青年は、講義で聞いた領主直々の声を耳に思い出して、ぴしりと背筋を正して顎を引いた。


 戦場において、騎士こそが最強である。

 個人の技など、集団となった騎士の前では何の役にも立たない。

 魔術であろうと疾駆する騎士に追い付ける筈も無く、罠も全て踏み砕かれよう。

 即ち騎士こそが最上級の軍人であり、歩兵などは塵芥ちりあくたに過ぎぬ。


 そんな驕り高ぶった旧体制の残党騎士達は、自らが蔑んでいた当時の歩兵、即ち剣闘奴隷達に、完膚無きまで叩きのめされ、そのまま現国王ガルディアラスにより粛清された。

 剣闘奴隷の解放へと繋がるその戦いは、僅かに五十年程の昔の事である。


 旧体制下では確かに歩兵が徴集されていたが、そこに真面に運用しようという意志は無く、合戦前の賑やかし、或いは嫌がらせとして、生き残る事も手柄を立てる事も期待されず、寧ろ派手に死ぬ事を求められ戦場に投入された。

 当然それは剣闘奴隷や犯罪者の役目である。

 死に物狂いで戦って、運良く――或いは運悪く――敵将の首を獲れば、手柄を横取りしたと味方の騎士に嬲り殺される事も少なくなかったというのだから救えない。


 何時しか、剣闘奴隷達は己の全ての力を見せる事をしなくなった。奴隷剣闘の末期には、主に魔獣の相手をさせられる様になった奴隷闘技場でも、引き摺り出された戦場でも、必死に戦っている振りをしながら、その実、守りに重きを置いて、虎視眈々と牙を研ぐ。それが、隠されていた剣闘奴隷の真の姿だったのである。

 尤も、祝福は神々から与えられる奇跡だから、政治的に蔑まれる立場で有ろうともそんな事は関係なく、常に己の体を張って命を懸けて剣を振るい続ける剣闘奴隷達のランクは、じわりじわりと上がっていく。

 剣の振り方も知らなかった只の奴隷が、大型の魔物と渡り合えるランク三へと到る程に。

 当時の騎士の中にも数少ない、上級の領域へと踏み入れる程に。


 そもそも剣闘奴隷達に、死ぬまで戦うのが当然などという罪を背負った者は少なかった。にも拘わらず、当時まだそんな制度が廃止されていなかったのは、何だ彼だと理由は有れど、結局自ら剣闘奴隷となる事を選んでしまった者が多かった為である。

 僅かな借金の返済を迫られて、或いは軽い過ちの処罰を怖れて、時には憶えの無い罪を着せられて、目の前に突き付けられた断罪から逃れる為に剣闘奴隷という選択肢を選んでしまった者達。

 数回勝てば解放されるという言葉に騙されて、しかしそれを浅はかと言うのも哀れだろうか。当時は貴族や商家でも無ければ真面な教育は施されず、各街に学園が創られ通うことが義務とされる様になったのもこれらの後の出来事になる。


 そんな理由でも自ら選んだという事実が有る限り、改革を為した血の粛清の王も手を入れる事が出来なかった。他の奴隷と変わらず、剣闘奴隷も主人の持ち物だ。正当な理由も無く財産を取り上げては、改革の理念にも反するからだ。


 そうは言っても、そうやって掻き集められた剣闘奴隷達が、幸運にも勝利を収めて解放される事も殆ど無かったのだが。

 数回勝てば解放される。但し、負ければ負債は膨れ上がる。そんな話は聞いていないなんて言葉も虚しく、真面に剣を握った事も無い素人が、初戦で勝つ事など望めはしない。

 まぐれで勝てたとしても、そこでとどめを期待する場の雰囲気に流されてしまえば終わりだ。元より流された挙げ句に剣闘奴隷となって、未だ他の剣闘奴隷とも交流の無いそんな者が、殺気立った観客貴族達の要請に抗える事など望む可くも無いのだが、そこで手を下してしまえばたちまち相手の主人の財産を故意に毀したと見做され、そこからは弁済の利かない犯罪奴隷扱いとなる。他の剣闘奴隷達からも疎まれて、長生きはまず出来ない。


 そんな環境に放り込まれれば、出来る事はただ足掻くだけだ。

 殺されない為に足掻き、死なない為に足掻き、生き残る為に足掻いた。


『王には感謝している』


 領主が公演に招いたぎらつく目付きの老人は、昔を思い出しながら只そう語った。

 恩を感じている訳では無いが、感謝している、と。


 百数十年前に、数多の腐敗を正してきた血の粛清王も、奴隷剣闘は廃止出来なかった。

 彼の王が為し得た事と言えば、剣闘奴隷達に施される奴隷契約の魔法錠に、秘密裏に最優先命令者として王自身を組み込んだ事だけだ。

 国の膿を絞り出す為とは言え、粛清の嵐によって大きく国力を落としたラゼリア王国の存続を考えた王は、奴隷剣闘を数少ない不満の吐き処として残さざるを得なかった。


 或いは奴隷剣闘が健全に興行されていれば、剣闘奴隷となった犯罪者に対する更生と救済、もしくは強兵の一手となると考えたのかも知れない。

 確かにそれを思わせる様に、血の粛清王存命の頃に記された書には、強き剣闘奴隷をステータスとして主人で有る貴族達も手篤く持て成し、騎士と並び立つ戦士として扱われていたとの記載が有る。


 但し、それも血の粛清王が存命の頃迄だ。


 王国の立て直しに王が邁進しているその裏では、人知れず甘く腐った毒が王の子らを少しずつ蝕んでいたのである。


 血の粛清王の没後、身を潜めていた汚泥は、ここぞとばかりに策動を強めた。王が上流の愉しみを咎め立てると言うならば、その王を遊蕩に引き摺り込んで、どっぷり漬け込み引き返せなくしてしまえばいい。

 既に言葉巧みに言い包められていた王子王女は、父王の偉業や王の責務へ歪められた理解を示し、父王亡き後豪奢な生活をする事に疑問を抱かなかった。

 その子らになると、疲弊した民の姿すらその目に映さなくなった。

 更に次の世代になると、嘗て血の粛清王がその剣の錆と変えた者達と、何も変わらなくなってくる。

 その腐敗はまだ王侯貴族の内に留まっていたとは言え、ともすれば血の粛清王の革新以前よりも醜悪な状況に王国は陥ろうとしていた。

 そしてまた当然の如く、剣闘奴隷達もいつの間にか人間以下の存在へと貶められていた。


 そこに現れたのが、これもまた後に粛清の王と呼ばれる事になるガルディアラスだ。

 ラゼリア王国の歴史には、度々粛清の王が登場する。老人が感謝していると述べたのは、この現王ガルディアラスの事である。


 今でこそ武断の王としての側面を強く知られるガルディアラスだが、その実幼き頃から王宮の書庫に潜り込む本の虫だった。

 そうして知識を蓄えれば、周りの環境がどうであれ、いい加減気付く事も有ったのだろう。


 王宮の状況に見切りを付け、幼年より市井を含めて至る所を出歩く様になったガルディアラスは、漫遊王子の名に実態を隠しながら、密かに自らの陣営を築き上げていった。

 王宮での酒宴に混じらず、粛々と実務を重ねる官吏。国の行く末を憂い、鍛錬に打ち込む騎士。実直で市井の評判も良い商人や、当時は未だ小規模で経営に困窮していた冒険者協会の幹部達。

 それらと渡りを付け、友誼を結んでいったのだ。

 奴隷剣闘士への支援も、その一つとして行われたものである。


 切っ掛けは、血の粛清王が成し遂げた事柄に関する、本人の覚え書きを見付けた事に端を発する。その覚え書きには奴隷剣闘を廃止出来無かった事への忸怩たる想いと共に、何時か国力が盛り返したときには剣闘奴隷達を解放してくれとの願いと、その為に奴隷契約の最上位者に王を組み込んだ事、契約を引き継ぐ方法についてが書かれてあったという。

 血腥ちなまぐさきを忌んだ父王より、闘技場の権利を譲り受けた十代になったばかりのガルディアラスは、手に入れた闘技場の改革を断行する。


 剣闘奴隷同士の剣闘を禁じ、戦う相手はもっぱら捕獲された魔物となった。

 反対者は出たが、主人を憎む奴隷に命懸けの対人戦で腕を磨かせる愚を説けば、顔を青くした主人達は前言を翻してガルディアラスの知慮を褒めそやした。


 剣闘奴隷達にとってみれば、可惜あたら若い仲間の命をその手で奪う必要が無くなっただけでも僥倖だ。それこそ何が起きているのか、剣闘奴隷の閉ざされた世界の中では、喧々諤々の騒ぎになったらしい。


 何も分からぬ間にも、彼ら剣闘奴隷を取り巻く世界は変わっていく。


 宛がわれる魔獣は奴隷の強さに見合ったものに――

 生き残れば回復薬が支給され――

 そして控えの間には平穏が満ちている。


 その裏では、魔獣を闘技場に留める鎖が砕けて客席に飛び込んだ魔獣が大暴れする事件が起きていたり、正真の凶状持ちの剣闘奴隷は回復が間に合わず命を落としていたり、闘技場の敷地内で奴隷に鞭打とうとする主人が何故か事故に遭ったりとしていたのだが。

 何処までがガルディアラスの仕込みだったのかは定かでは無いが、結果を見れば多くの者がガルディアラスの掌の上で転がされていたのだろう。

 そんな中で剣闘奴隷達も未来へと希望を抱き、連帯感を築き上げていったのだ。


 敗者となっても、闘技場に備えられる様になった回復薬が命を繋ぐ。

 死なずに生き延びれば、その分腕は磨かれる。

 腕が磨かれれば、次の剣闘でも生き延びられる。


 いつしか奴隷剣闘は、嘗てのそれと同じく、奴隷を甚振いたぶり苦しみ死んで行くのを愉悦と共に眺める場では無く、純粋に闘いの迫力をたのしむ場へと戻りつつあった。


 しかし、今一歩が届かない。

 ガルディアラスが闘技場の持ち主だとしても、剣闘奴隷の主人では無い。

 故に、ガルディアラスが闘技場外での剣闘奴隷の扱いに口を出す事は出来ず、当然解放も出来はしない。

 そしてガルディアラス自身にも、剣闘奴隷達をただ解放しようなどという気持ちは持ち合わせていなかった。


 ガルディアラスが求めたのは、己の力と成り得る味方だ。ただ庇護を受けるだけの者など欲してはいない。

 故に、剣闘奴隷達が或る程度使い物になると認めた後は、剣闘奴隷の中での纏め人――剣王と呼ばれし奴隷剣闘の覇者と策謀し、彼らをして簒奪の契機に用いたのである。

 そう、国の膿たる腐敗貴族を相手取り、話の流れの中で「歩兵にも劣る」と挑発し、賭けの形で歩兵即ち剣闘奴隷達との合戦へと持ち込んだのだ。


 当事者で有りながらも、舞台にもなったそれらの事柄をその老人が何処まで知っているかは分からない。しかしそれらを知らずとも、嘗て剣闘奴隷だった老人は真摯に感謝の言葉を紡いだ。

 それまで見捨てられていた重傷者に対し、密かに差し入れられた回復薬は、今を持っても有り難い――と。

 しかし、様々な思惑が渦巻き、仕方が無かった事とは理解していても、条件も無しにただ解放するだけの事をしてはくれなかったのが、感謝以上の感情を拒むのだ。


 だが、それも逆に言えば、施しを受けた訳では無く自ら勝ち取った権利として、誇りと共に彼らの胸に刻み込まれた。

 仕立てられた合戦の場とは言え、それまで諦念で抑え付けていた恨み、怨念、そういった諸々を、その元凶へとぶつける事が出来た。

 もしもそんな機会も無くして解放されたところで、恐らくは失われた時間に呆然とするばかりで前に進む事は出来無かったに違い無い。


 あの時支給された剣は粗悪品で、直ぐに折れる様な細工も施されていたにも拘わらず、その場に於いては何の支援もされなかった。それに俺達は結局捨て駒にされるのだと失望したもんだ。――と老人は言った。

 幾ら体調が万全に調えられたと言っても、剣闘奴隷の身で騎士に抗い得る筈が無いと絶望した――と。

 そう思いながらも、却って腹が据わった剣闘奴隷達の目からは怯懦の色は消え、ぎらぎらと報復の時を待った。

 上手く行けば御の字で、勝利の暁には解放が約束されている。

 いや、そんな事は考えていない。今はこの憎い奴畜生共の頭を搗ち割る事だけに集中していればいい。

 どうやら後詰めに、あの粋狂なぼんぼんの仲間が潜んでいるらしいが、それが俺らに何の関係が有るか――と。


 そんな剣闘奴隷達を、様々な騎獣に騎乗して相対あいたいする騎士達はどう見ただろうか。

 装備も揃わぬ雑兵か?

 野蛮で学の無い下賤の者か?

 重くぬるりとした嫌な気配には気が付きながら、騎乗にて見下ろす彼等はそれを単なる嫌悪感と追い遣って、狭い了見に当て嵌めては愚かにもせせら嗤う。


 見窄らしい身形は剣闘奴隷達の主人がいた物にも拘わらず。

 剣闘奴隷達に与えられた直ぐ折れる剣や槍は、その主人が与えたものに拘わらず。

 学が無いと貶める彼らにこそ、民に教育を施す責任が有ると言うのに。

 いや、そんな責任など無いと嘯く彼等腐った貴族達だからこそ、最後まで現実を見る事が出来無かったのだろう。


 そんな彼等の終わりは、誰もが思ってもいなかった程、呆気なく訪れた。


 合戦の始まりは騎士団側の口上から。ここでも騎士達は自覚無く煽るだけ煽った。

 剣闘奴隷達には口上も許されず。怒気と士気が弥増すばかりの様子を見て、騎士達は鼻で嗤い、隊列を組み一丸となって突撃を開始した。

 この時点で、騎士達は蹂躙を信じて疑わなかった。


 奇妙なのは剣闘奴隷達。前に出た五人の他は、皆後ろに下がって控えている。後ろに下がった彼等の手には剣も無く、細工の後が見られる物も含めて剣は全て前に居る五人の周りに突き立てられていた。

 この五人こそが、剣王と彼が隠し通した上級の四人。彼等こそがかなめだった。


 騎士達は、突撃しながらその手に投げ槍を掴む。騎士同士の戦いでは、お互いに突撃しながら投げ槍や弓矢、魔術で相手の騎獣を崩し、崩したところを体当たりで撥ね飛ばすのが常道である。

 しかし相手が歩兵ならば、騎獣では無くこの手でその命を刈り取れよう。

 それが精々今で言う中級の戦い方である事に思い至らないままに、騎士達はそんな昏い悦びに目を濁らせていた。


 しかしそんな騎士達は、次の瞬間流星の如く降り注いだ粗雑な剣に体を引き裂かれ、或いはその剣に貫かれた騎獣が翻筋斗もんどり打つのに巻き込まれ、物言わぬむくろと成り果てた。

 尤もそれで倒れたのは、最前列の三割程。しかし残った七割を、容易く要の五人に受け止められ、直ぐ様投げ返された彼ら自身の投げ槍が狙い撃つ。

 最前列が崩れれば、後続は言わずもがな。見る間に隊列はゆがみ千々に乱れていく。


 騎乗した騎士は確かに強い。しかし、無条件に強い訳では無い。凡庸な騎士と優秀な真の騎士とではまた違うが、そこには言わずもがなの決まり事が有る。

 一つ挙げるならば、凡庸な騎士の強さは多くの場合騎獣の強さだ。凡庸な騎士の中でも強い騎士とは、強大な力を持つ騎獣を如何に導くかに長けた者。個人が如何に強かろうとも、騎乗戦では騎獣を操る技能が物を言う。


 しかしこの『騎乗』技能も、ただ騎獣を操るのが上手ければいいというものでは無い。そこには騎獣との信頼関係が必須である。特に他人を見下す騎士擬きは、騎獣の世話を騎獣丁任せにしがちであり、下手をすると騎獣丁の方が『騎乗』技能のレベルが高いということも間々有り得た。『騎乗』技能が磨かれた真の騎士ならば、人騎一体となって強化されるだろうが、凡庸な彼等の中でその領域に到っている者は数少ない。


 また、そこそこ鍛えられた騎士が混じっていたとしても、集団戦を基本とする騎士の中に有っては埋没する他は無い。

 つまり、そこに居たのは騎獣の強さを己が強さと勘違いをし、人騎一体となる技能の数々を繰り出す事も出来ず、そこそこ強い騎士が居たとしても集団戦の中で力を削がれ、誇りだけは高くとも凡庸な騎士の集団だったのである。


 そんな彼等が強さを誇れるのは、自らの騎獣より弱い者に対してだけだ。尤も、それを騎士の強さと言ってしまえば、自身をも鍛え上げた真の騎士には睨まれるだろうが。


 それに対する奴隷騎士達――その代表たる五人と言えば、剣王でランクが二、他の四人がランク三の、何れも上級に到った闘士であった。

 ランク三以上は、魔の領域において大型の魔物を討伐せしむ高みに在る。凡庸な騎士はランクで言うなら五かそこらであることを考えると、二つもランクに差が有るならば、とても相手になる筈が無い。

 下手な細工など物ともせずに、投擲された剣や槍は騎獣を貫き鎧を穿つ。

 使い捨ての投擲物にされるならば、粗雑で折れ易い剣や槍も弱みとはならなかった。


 己の投擲する持ち分を逸早く処理した剣王は、軛から解き放たれた獣が如く、敵陣の中へと飛び込んだ。其の手には打ち倒した騎獣の背から奪い取った上質な大剣が有る。

 剣王の咆吼が轟く度に、騎獣が転がり人が飛ぶ。断末魔の叫声が満ち、壊乱に陥るも、後から押し入る騎獣の勢いで騎首を巡らす事も叶わない。混乱した中での乱戦は、同士討ちさえ誘発し、剣王達が何もせずとも更に更に崩れていく。


 中央部が混乱に陥れば、周辺から潰走しそうなものでは有るが、それを防いでいるのは包み込む様な位置取りで退路を塞ぐ、たった四人の剣闘奴隷。一撃離脱のリスクを避けた立ち回りで、常に優位に立っていた。

 序でとばかりに回収された投げ槍が、残る騎獣を討ち斃していけば、そこへ雪崩れ込むのが控えに回っていた中堅処の剣闘奴隷達。騎士達が持っていた真面な武具を奪い取っては、容赦無く騎獣を降りた騎士達を斬り捨てつつも進撃する。

 仮令たとえそこでまだ息が有る騎士が残っていたとしても、後詰めに入った半人前の剣闘奴隷達が、とどめを刺して回っている。


 結局、二度の交差を迎える事は無く、剣闘奴隷達が駆け抜けた後に動く騎士の姿は既に無かった。剣闘奴隷側には一人の死者も出さないままに合戦は終わったのだ。


『あん時ゃあ、喜びよりも理解が出来ずに自失した。時間が経つ程に、寧ろ怒りが身を灼いた。もっと早くに動いていりゃあ、死なずに済んだ仲間も居ただろうってな。お膳立てと段取り有ってのもんだたぁ、今じゃ分かっているがなぁ』


 そう語った老人は、何処か苦い表情を浮かべていた。


『騎士に対しても、一時いっときは侮った見方をする様になってしまったが、それも後々王都で真の騎士とやらを見るまでだったな。俺が直接見たのは裁定者ジガルドの公開演習だけだが、ふん、弓矢なら兎も角、騎獣に乗った騎士を目で追えんとは思いもせんかったわ。

 俺が理解したのは、騎士であるかどうかは強さには関係ないということだ。

 例えばランク十二の若者の一人に、ランク五の剣を渡したとする。武具で底上げされるランクは一つか二つというところだが、そうは言ってもランク十二の狩場ではへっぴり腰でも無双出来よう。それだけ依頼を熟せれば、金も稼いでより良い武具に新調だって出来る。より早く安全に上へ上がれはするだろうが、その中身はどうだ? 己に見合った武具を手に、命の瀬戸際で鍛え上げてきた者の方が、技量も高ければ芽生えた技能も多いだろうよ。抜かれる時はあっと言う間だ。

 例えば冒険者ならパーティを組む。ランク十二がコネでランク五と組んだとして……後は言うまでも無いな?

 これで他人より強いと嘯く者は失笑もんで只の馬鹿だ。嘗て俺らが対した騎士擬きはそういう奴らだったという事だ。

 ここに居る者も、入団した際に相棒となる騎獣を与えられたのではないか? 黒岩豚は幼獣でもランク八か七。二年もすればランク五相当には成る。ランク十二の騎士見習いが、多少の訓練を終えてランク八程度になる頃に、ランク五の武具と相棒を手に入れた様なもんだ。騎士が強いと言っている輩は、大抵その状況を勘違いしている訳だが、ふむ、先の話を聞いて、また己のランクを顧みて、まだ同じ事を言えるものかい?

 騎士の騎獣が与えられるものでは無く、自ら捕まえ調教するものだとすれば、ランク十二の騎士が従えられる騎獣など、温厚なドーマ牛がいいところだろう。ドーマ牛を駆る騎士、丸で恐ろしくはあるまい? 予め鍛錬してランクを上げて掛かったとしても、山鹿がいいところだ。騎獣は武具と違って買い換えられる物では無い事を考えるなら、元より強い騎獣を与えるというのも分からぬでも無いが、己のランクが騎獣よりも低い事を恥と思えぬ様ならば、ろくな騎士にはなれまいよ。

 そもそも騎士は集団戦で強いと言っているのが良く分からん。集団になれば大抵の者は強い。パーティを組んだ冒険者はランクが二つ三つ上の狩場で通じる様になる。それを知らずに言っているのなら、とんだ世間知らずだ。それに集団を作るにしても、作り方が有る。俺らが対した騎士擬きの様な密集隊形は論外だ。不意の対応が利かねば、範囲攻撃のいい的だ。演習の見栄えは良いかも知れんがね。まぁ、他ではあんな陣形を取る騎士を見た事が無いから、あの騎士擬き共は兎に角特殊だったのだろうがな。

 騎士で陣形を取るなら、精々横に一列か二列。或いは充分余裕を持ってばらけるかだろう。俺が知らんだけかも知れんが、パーティを組む冒険者が前衛中衛後衛壁役攻撃手回復役とそれぞれ補い合っているのに対して、騎士の集団は結局は頭数で押し潰すのよ。一番の効果は狙いを絞らせないところに有るのだろうが、同じ集団相手にしたならば、結局のところ単騎での強さが物を言ってくるのは変わるまい。

 そういった単騎で強い騎士は、冒険者で言うなら鹿騎士ライオットマル。冒険者で有りながら騎士を志し、己が捕まえた山鹿と共にランクAに到った叩き上げだ。山鹿は弱いと思うかも知れんが、騎獣も騎士と共に成長する。ランクが上がればこの辺りの大森狼の様に変異もする。既に奴の山鹿は山鹿には見えん代物らしい。真に騎獣と共に歩む者とは、奴の様な者を言うのだろう。

 また酷い名前だがザグダム領の二股騎士ランゴラムの様に、飛竜を自ら調教した者も居る。先に言った裁定者ジガルド然り、そこに居る破城鎚ライクォラス然り、有名な騎士は単騎でも強い。集団で強いなんていうのは、単騎で弱い事の言い訳だな。そう思えば密集隊形も安心したいが為に思える。そんな騎士なら怖いとは思えん。

 兎に角己を鍛える事だ。鍛錬に力を入れていれば、人を羨んだり陥れたり、そんな下らんことをしている暇も無いだろうよ』


 その合戦を機に、解放された元剣闘奴隷達は、恩賞の金貨を手に各地へと散っていった。その多くが冒険者となって。

 託宣教会から形を変えた冒険者協会は、当時はまだ商会の雇われ探索者を取り込むばかりの小規模な人材派遣的位置付けだったが、元剣闘奴隷達がそこに加わった事で、何でも屋として影響を強めていったのだ。


 言ってみれば、冒険者とはこの国の歩兵の末裔だと、歩哨に立つ青年は思う。

 そしてここ魔の大森林デリエイラに面したデリラの街は、今では冒険者の街と言われている。

 つまりは、目を向ければ何処にでも、冒険者の姿を見ることが出来た。


 例えば、今、目の前でトロッコ道の説明を受ける、街の新たな英雄ディジーリア嬢。その戦い方は公演でも示されたが、本当のところは誰も知らない、全ては未知数でランクも不明。

 今は流行はやりの服を着て、しゅんとお澄まししているいい所のお嬢さん風味。

 しかし秘めたる力は既に上級へと到っているに違い無い。


 そして、対峙するのはふてぶてしい笑みを浮かべてトロッコ道を説明する騎士団統括ライラリア姫。特筆する物は無くとも、全てが高いレベルで磨かれた力と技は、決して敵を寄せ付けない。しかし自分の黒岩豚を可愛がり過ぎて、騎士と言うより剣士寄りなのが困りもの。

 ディジーリア嬢が来ると聞いて、説明役に割り込んだ、ほんのりむほほの脳筋風味。

 今も説明か自慢か分からぬ事を、延々喋って御陰で回想がはかどって仕方が無い。


 だが、その説明もそろそろ終わりそうだ。


「――と言う訳でだな、親父殿の作ったこのトロッコ道が迅速に騎士を運ぶことで、防衛力を引き上げているのだぞ!」


 ふふん、と後に続きそうな台詞は、もう三度は聞いた様な気がした。


「まぁ。そうですのね。素晴らしいですわぁ」


 胸の前で手を組んで、見上げる様にしながら小首を傾げるディジーリア嬢。かなりあざとい。聞いていた人物像からは懸け離れて、知らないでいればおしゃまなお嬢さんというところだが、大通りでの公演を観ているだけに不自然さが際立っていた。

 何か思惑が有るのだろうが、気持ち悪くて歩哨の青年はそっと目を逸らす。


 女性に限るならば、この二人がこの街の二強と言えるだろう。

 片や騎獣から降りた方が強い、双剣士な女騎士。

 片や歩兵の末裔、ソロで守護者を斃す冒険者の新たな英雄。

 そんな二人が並び立つ事など、嘗ての世からは考えられぬ事なのだろうが。

 初戦はディジーリア嬢の負け。引き分けとの見方もあるが、逃げた方がやはり負けだ。

 二戦目は姫様の負け。三戦目もぽぽいと姫様の負けだ。

 ここで勝てねば姫様の負け越し。勝てば挽回となるだろうが――


「そうだろ、そうだろ! 親父殿が凄いのは、何も騎乗戦に限った事では無いぞ! 親父殿が凄いのは、街造りの細かな心配りにも顕れているのだぞ!」

「はい! 是非とも、その素晴らしいトロッコ道を、拝見させて頂きたいですわぁ」

「む? うむ、そうだな! ではトロッコに乗り込もうか!」

「はい♪ ご一緒させて頂きますわぁ。本日は、どうぞ宜しくお願いいたしますわね」


 そこで、ディジーリア嬢が軽く膝を折って淑女の礼を取る。

 その瞬間、ライラリア姫は後ろにかっ飛ぶようにして素っ転んだ。


(…………姫様……それは無いでしょう…………)


 立ち居振る舞い。お淑やかさ。

 どうやら四戦目はディジーリア嬢の完全勝利となりそうだ。

 そう考えて、青年は薄く笑みを浮かべた。

 血で血を洗った騎士と歩兵が、今は無邪気にじゃれ合っている。

 実に平和な事だった。

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