(30)ふぁあああ!! 凄い毛虫を発見ですよ!?

 回復薬の瓶を手の中で揺らしながら、昏い森の中を歩いていました。

 闇がこごった様な森の中ですから、軽く魔力を掬うだけでも、黒い魔石擬きを幾らでも創り上げる事が出来ます。ですが、そんな魔石擬きを作るのにも、もうきました。

 せせらぎの音は変わらない様に思えて、ついと覗き込んでは見ますけれど、泳いでいる魚は骨だけにも見える魚や、頭だけがやたらと大きな蜥蜴の様なもの、首が幾重にも別れた蛇か蚯蚓の様な生き物と異形です。湖にも流れ込む多様な生き物の一部では有るのでしょうけれど、ここ昏い森の生き物は食べる気には成れません。

 植物ばかりはシダリ草やマール草とまだ馴染み深い物が多いですけれど、木の蔭で苦悶の末に腕を伸ばした様な、奇妙な植物が群生しているのは何でしょう。街に近い浅い森でも見掛けた木々が、捻じくれ叫びを上げる様なのはどうしてでしょう。

 黒い魔力は音さえも歪ませるのか、ずっと耳の奥に遠い慟哭が響き続けています。気が付かない間にふらりと道を逸れてしまいそうな、頭の働きを衰えさせる、嫌な音です。

 そしてまた、毛虫が現れるのです。


 私より小さな毛むくじゃらの毛虫や見上げるばかりの大毛虫は、今となっては草原鼠の様に、珍しくも無い代物と成っています。を覗いてみれば、大抵一匹や二匹、見つかる様に成ってきました。

 ここは私の採集域なわばりでも無ければ、今も持ち帰れる程に採集する余裕が有る訳でも有りません。薬草に手を出す訳では無いならば、そこまで苛立ちを感じる訳でも無いのは当然とも思うところですが、自分から斃しに行こうという気に成れないのは、そればかりが理由では無いのでしょう。

 それでも、毛虫殺しには情けないところを見せられないと、せせらぎが聞こえる範囲は殲滅には向かうのですけどね。


 採集をするのは僅かな時間。討伐をするのは遙かに多く。それも全ては移動をしながらの話。

 吸血樹の様な物が生えているので、迂闊に駆け出す訳にも行きません。枝の間に魔力の腕を張り巡らせて、宙を行くのも少し厳しい歪の漂い具合です。

 ですから移動はてくてく歩いて。いつまで続くとも知れない道行きを、そんな暗い話題しか無く歩くのですから、気落ちがするのも仕方が無いのです。


 そんな風に思っていたからか、私の前に新たな毛虫が現れた時には、私も不自然な程に歓喜を振り絞ってみるのでした。


(ふぁあああ!! 凄い毛虫を発見ですよ!?)


 その毛虫の大きさは大毛虫の更に倍近く。『瞬動』を用いても、一度では頭まで辿り着けません。

 体表は黒光りして、筋肉がむきむきです。地上を睨め付けるのにうつむき加減では有りますけど、今迄の毛虫達とは違って背筋が伸びて、体のバランスも、憤怒した様な顔の造形も、人と変わりなく見えます。

 体毛も後頭部や腕にすねといった要所にたてがみの様な硬そうな毛を残すのみですので、最早毛虫とは言えないのかも知れませんが、取り敢えずは黒毛虫と名付ける事にするのです。


 ええ、黒大鬼くろオーガですね。ガズンさん達が時折狩ってくる獲物です。


 ガズンさん達なら、足を潰してから倒れた頭を狙うのでしょうけれど、私にとっては骨も硬そうな足を狙うよりは、頸椎の隙間を狙えそうな首の方が手が届くというものです。

 一度目の『瞬動』で腰の後ろ辺りに。空中で発動した二度目の瞬動で何とか肩の上に。

 目を見開いた黒毛虫の首に全力の一撃を。


 流石にこの大きさでは、毛虫殺しも首半ば過ぎまでしか刃が届きません。しかし、毛虫殺しの全力の一撃には黒い炎が乗るのです。黒毛虫はその首から大量の黒い血と炎を吹き上げながら、頽れる様にして地面へ倒れ、呆気なく事切れました。

 勿論私は噴き出る血からはサッと跳んで逃げています。崩れる黒毛虫の頭、肩、腰と、階段を十段飛ばしで飛び降りる様にして降りていき、地響きとほぼ同時に大地に降り立ちました。

 隣で痙攣している黒毛虫は、下手をすれば倒れた胸の厚みで私の頭の高さより高いのですから正に怪物です。斬り裂いた毛虫殺しにもそこそこの手応えが有ったのですから、他の刃物では傷も付きそうに有りません。

 まぁ本当に魔力を纏えば他者の魔力を弾けるのかは、私が得物を介して感じた手応えだけで、自分が切られる側に回って確かめたものでは有りませんから、怪しい所では有りますけど。

 とは言っても、私の手に因るナイフや刀は、私の魔力が確り浸み込んでいる筈ですから、私への特効を持っているのかもと考えると、どうにも落ち着かない気がするのです。


 倒れた黒毛虫に攀じ上り、足の裏から魔力を当てながら、満遍無く黒毛虫の上を歩き渡れば、胸と頭の他に、腰にも魔石の気配が有りました。毛虫殺しで斬り裂いて、魔力の腕で引き摺り出すのも一苦労でした。

 腰の魔石は暗緑色で、手で掴めるボール位です。色合いを含めて、大毛虫の魔石とほぼ同じです。

 胸の魔石は抱える程。昏い森の魔力の様に黒い色をしていますけれど、僅かな緑味が毛虫で有ることを主張しています。

 頭の魔石は毛虫や大毛虫とも同じ黄色ですが、大きさは握り拳くらいです。

 そのどれもが他の魔獣や動物から見付かる魔石と違って、刺々していて痛いのですけどね。こんな物を体の中に抱えていて、よく毛虫達は平気で居られるものです。

 序でにぎ取った額の角は、私の腕程の長さが有りました。


 これだけで鞄が一杯に成ってしまいます。ガズンさん達が森へ入っても、持って帰ってくるのが多くて黒大鬼五体分迄というのも頷けます。黒大鬼は魔石だけでは無くて、目玉やその他色々な素材が買取されていますので、ガズンさん達の巨大な鞄でも、五体以上は手に余るというものでしょう。ポーターもこんな所まで来る筈が有りません。

 残念ながら私は素材回収用の特殊な瓶は持って来ていませんので、魔石以外は放置です。

 黒毛虫の魔石も毛虫殺しを突き立てて吸収させればいいのかも知れませんが、やっぱり最初は叩き込んで強化したいところです。大毛虫の魔石にしても頭と胸の以外は叩き込んでいないのも有って、尚更この黒毛虫の魔石を逃す気にはなれないのでした。


 ところで、野鍛冶をするにも、何処で作業をすればいいでしょう。

 黒毛虫の死体は他の毛虫を呼び寄せてしまいそうな気もしますけれど、もしも他の毛虫が寄って来たとして、黒毛虫の死体が有れば暫くは注意を削ぐ事が出来そうです。

 私は少し河原沿いを戻った場所で見付けた平たい石を金床代わりに、毛虫殺しの強化を済ませてしまうことにしたのです。


 以前、毛虫殺しを強化した時は一日仕事でしたけれど、瑠璃色狼を打ち上げた私は既にその頃の私とは違うのです。恐らく数時間掛からない様な気がします。

 まずは厄介な角の髄から。黒い角たらしめている歪を解いて、黒いタールと解いた歪を大量に詰め込んだ黒い玉と、髄の部分に分けてしまいます。髄は練り込み打ち上げて、純度を高めて白い玉に纏めたら、満遍無く毛虫殺しに打ち込みます。不純物が増えることに成りますけれど、軟らかくは成っても脆く成った様には感じられないのは、不純物も魔力寄りの性質をしているからでしょうか。あるいは大猪鹿の魔力の様に特殊な力を宿しているのか、既にこの時から脈打つ様な何かを毛虫殺しは発し始めていました。

 軟らかくなった刃を硬くするにも、少しばかり不安定な毛虫殺しを安定させる為にも、ここは歪をたっぷり含んだ魔石を加えて打ち込んでいきます。歪の編み目を調整しながら、大きな魔石を小分けにして、頭、胸、腰の魔石をバランス良く。練って叩いて打ち込んで、そうして結局全ての魔石を呑み込んでしまうのですから、以前と比べて毛虫殺しも格が上がったという事なのでしょう。


 瑠璃色狼共々順調な事ですけれど、赤蜂の針剣ばかりが取り残されているのが困りものですね。


 そんな毛虫殺し。まだまだ余裕が有る様でしたので、道すがら手慰みに創り出していた昏い森の黒い魔石擬きも打ち込んでしまいました。毛虫特化の毛虫殺しですが、昏い森の魔力なら拒絶される事は無いと直感したのです。

 「活力」を与えて焼きを入れてみれば、刀身の黒さに、より深みが出ている様にも感じます。焼きを入れて一旦見えなくなった魔石色の筋も、落ち着けばどう現れるかが今から楽しみです。


 ここ迄終えて、漸くお昼時です。暗闇の中で鍛冶仕事を続けながら体に刻んだ時間感覚は、そう滅多な事では狂いません。

 『根源魔術』で呼び出した水で手を洗い、「活力」を与えてしんなりさせた薬草を頬張り、果実で喉を潤し、乾鳥肉をもぐもぐ咀嚼します。お腹がくちくなる程では有りませんが、そこは仕方が有りません。

 それよりも、残る作業をどうするかが悩み所でした。


 魔造の黒鞘に納められた【妖刀】毛虫殺し。昏い森に入ってから、少しずつ鞘がきつくなっていくのを感じていました。流石、妖刀。確かに血肉を啜っていた様です。

 しかしながら、これはかなりの困りものです。

 私の手によるものでは無く太られても、そこに鍛冶の業が無ければ、なまくらに戻る道でしか有りません。鞘にしても、度々新調する事など出来るものでは無いのです。


 でも、まぁ、今出来るのは鞘を調整するくらいしか出来ないのですけれどね。

 せめて、毛虫殺しと一緒に黒鞘も成長する様にと、割り剥がした毛虫殺しの欠片だとかそういう物を黒鞘に編み込むばかりです。

 駄目元で格上の黒毛虫の角タールも混ぜ込んでみましたけれど、こればかりは祈るしか有りません。

 ……何だか期待は出来そうに有りませんね?


 毛虫殺しと同じく、瑠璃色狼の鞘と鞘袋にも、黒毛虫の角タールを混ぜ込みました。余り瑠璃色狼と毛虫素材は相性が良さそうには思いませんけれど、魔力と、そして今にして思えば気も通さない魔造の黒鞘の内側では、濃縮されたそれらの力が渦巻いて、刀自体の進化を加速させているのではと期待するのです。

 まぁ、瑠璃色狼の出番は、昏い森を出るまで無さそうですけれど。

 それとも歪豚オークの群れでも出てきますでしょうかね?


 取り急ぎの鍛冶仕事を終えれば余ってしまったのが大量の角タールです。捨てて行けばいいのでしょうけれど、元から放置したなら兎も角、一度採集してしまうと捨てるに捨てれないのは職人のさがというものでしょうか。

 そう思いながらも、角タールを歪で固めて、固めるのに足りない分は昏い森を漂う歪を集めて、一本の六尺棒にしてしまいました。

 歪を利用したこの手の業は、魔の領域深くでしか出来そうに有りませんが、なかなか使い勝手は良さそうです。

 今は私の背丈を超える棒の形をしていますけれど、元はと言えばタールを歪みで固めた物。持ち運ぶ時に二つに折るのも、その場その場で形を作るのも、私にとってはお手の物です。それでいて海魔の水衣とは違い、歪を絡めれば硬くしなやかで丈夫です。

 魔力を通さない素材なだけに、造形にも成形にも歪の編み込みにもこつが必要ですけれど、自分でもどうやっているのか上手く説明が出来ませんが、魔石に絡んだ歪を散々弄り倒したお陰で、もしかしたら直接歪を操る力が芽生えているのかも知れませんね。


 森の探索では余り役には立ちませんが、これが迷宮ともなると六尺棒は必需品とも話に聞きます。魔力を伝えないという性質も含めて、いい便利道具が手に入ったという事なのでしょう。

 そんな便利道具を二つに折り曲げて、背負い鞄に括り付けたら再び先へ急ぎます。


 暗くて昏い森の中。楽しい『鍛冶』の時間が終わってみれば、出会うのは陰気な毛虫ばかりです。

 鳥も虫も鳴き声を上げず、聞こえてくるのは毛虫の騒ぐ声ばかり。

 僅かな葉擦れの音ばかりが癒しです。

 でも、異界の生き物な毛虫達よりも、顔に見える木の節の模様や、目の様な二つ並んだ虚、悲鳴に聞こえる風の音の方が怖いのは何故でしょうか。

 こんな嫌な緊張感は、独りで秘密基地に暮らし始めた時以来です。

 秘密基地を綺麗な部屋に調えたのは、只々怖かったのも有るのですよ。


(こんな時こそブラウ村のステラコ爺さん曰くの、平常心、平常心なのですよ!)


 意識して呼吸を深く調えて、出会った毛虫の首に毛虫殺しのやいばを埋めて。

 ですが黒毛虫に刃を立てる時に、ぞわぞわと打ち震える毛虫殺しの様子もまた、不安を掻き立てる要因の一つです。


 ずっと代わり映えしない道行き。

 掌にも嫌な汗を掻いていますが、握り込んだ小瓶の回復薬が順調に緑の光を取り戻していくのばかりが、変化の兆しです。

 既に貰った当初の輝きを取り戻した底溜りの回復薬に、嫌な感じを受けないことを確かめてから、恐る恐るこくりと飲み込めば、先に体感したのと同じく、お腹で弾けて全身へと力が伝わっていきました。


 確かに効果が有ると分かったならば、緊張に強張る手で回復薬の空瓶とまだ手を付けていない回復薬とを入れ替えます。

 大分と消耗して輝きを失った回復薬を「活性化」し、その力を取り戻すのを確認してから、残る実験に手を付けましょう。

 そんな事を心に決めて、また代わり映えのしない道を行くのです。


 その丸々の回復薬が力を取り戻したのは夕方頃です。

 それまでに斃した黒毛虫が更に二匹。大毛虫は二桁。不思議と只の毛虫が迷い出てきたのは一桁に収まっています。

 その全てを一撃にて鏖殺してきましたが、毛虫殺しの身の震えが嫌な予感ばかりを掻き立てます。

 特に黒毛虫を斃した時に、ぶるりと実際に震えてみせるのが、私の手に余る制御出来無さを感じさせるのです。


 ……まぁ、それもきっと、嘗て無い緊張を強いられる追跡行で、弱気に成っているからだとは思うのですけれど。

 一晩休んで疲れを癒やせば、また新しい一日を始められると思うのです。


 そう思って近場で一番高く見える木の、こずえの先まで昇り切った先で見たのは、地平線へと沈む赤い夕陽の姿でした。

 そうです。昏い森の黒い魔力は、梢の先までは届いていなかったのです。

 私の視界には、黒く煙る魔力を内に抱えながらも、しっかり空へと枝葉を伸ばす森の姿が有りました。

 投げ掛けられる暖かな斜陽は、ずっと暗闇の中を歩き続けた私にとって、心の奥底からほっと安心出来る光だったのです。


 梢の木の股に背負い鞄を引っ掛ける様にして体を休め、落ちる様に眠り、気が付けばもう朝です。再び白み初めて来た空を目にしながら、乾鳥肉と果実で朝ご飯を済ませます。剣の柄だけに見える形の水の魔道具に魔力を注ぎ、味の無い水で渇いた喉を潤します。

 この水の魔道具で出す水は、『四象魔術』の水だとは聞いていますけれど、昏い森の中で呼び出した水はやっぱり飲みたくない感じでしたので、今の内にたっぷりと補給しておくのです。


 食事を済ませて再び木の下へ降りたら、毛虫が居ない事を確認してから、穴を掘ってうんちも済ませてしまいます。

 背の高い大毛虫や黒毛虫ですから、案外地上の匂いには鈍いかも知れません。


 そしてまた続く追跡行。手の中には、再び底溜まりに分けた回復薬の小瓶が有ります。

 何時間も掛けて魔力で以て揺り動かせば、「活性化」に至ると分かっても、これでは新たに薬草から回復薬を作るには至りません。精々が失われ行く力を取り戻すくらいです。

 ですが、神様錬金では一瞬で回復薬を創り上げていました。まだまだ私の成し遂げたのは、木をこすって火種を求めるかの様な迂遠なもので、本当の「活性化」には程問いのではないかと思うのです。

 「活力」は関係しないと考えていましたけれど、「活性化」することを想いながら「活力」を与えてみればどうでしょう。

 あるいは「流れ」で魔力の渦を作っていたのを、振動するように揺り動かしてみればどうなるでしょう。


 そんなことを考えられる様に成ったのは、確かに昨日の私は弱っていて、そして今は木の上と雖も、昏くない森の上でゆっくり一晩休んだお陰に違い無いのでした。

 今はもう、本当にしんどくなれば、木の上に昇れば一息吐けると分かったのです。それは大きな安心でした。


 手の中で転がす小瓶は、様々に様相を変えていきます。

 始めに、熱を与えずに「活力」を注ぎ込もうとしましたけれど、結局の所、単に魔力を注ぎ込む事になって、私の魔力の赤色が混じる奇妙な橙色になってしまいました。

 そういう効果も分からない危険物は、今の私には無用の長物です。ですが、作り方だけ覚えておいて、目に付いたシダリ草に掛けてみれば、一瞬で葉が萎びたのはどうした事でしょう?

 逆作用させた訳でも無い、熱の無い「活力」なんて、確かに意味不明な代物です。シダリ草にしても、陸で溺れたかの様な、混乱をきたしたのかも知れません。

 次に試そうとしたより細かな渦は、小瓶が割れそうに成ったので中断してしまいました。結果も予想出来ますので、これは余り重要でも無いでしょう。

 その次、その次、と試して来て、毛虫殺しに毛虫達を啜らせながら、小分けにしていた二本目の回復薬も無くなろうというお昼前に編み出したのが、恐らくは正解の「活性化」の業でした。


 「流れ」の引くと押すを同時に掛ける。「活力」の正作用と逆作用を同時に掛ける。「引力」とその逆作用である「斥力」を同時に掛ける。ゼロでは無く、張り詰めた緊張感の中に曝し、自らの力で奮い立たせる。

 そう、「活性化」は与えるものでは無く、促すものだったのです。

 喩えるならば、昨日の私です。酷い緊張感の中では、自ら鼓舞する他は無いのですから。


 その日は昼までに斃した黒毛虫が四匹。少しずつ増えている様な気がします。

 それもその筈、お昼を摂る為に昇った木の上からは、木々を超えてこんもりと卵の黄身の様に盛り上がった、黒い魔力が見えています。

 まだまだ遠い、黒い魔力の中心ですけれど、一日一日近付いている筈なのです。

 其処はちりちりとした違和感の中心。恐らくは、毛虫達の界異点が在る場所なのですから。


 それにしても、ぼうっと視線を定めずにいると、いつの頃からか昏い森の魔力のみならず、自分の魔力の色までが見える様に成っていました。

 私の魔力の色は透き通る赤。炎の色というよりは、私の髪色の様です。

 それでいて、意識をすれば自分の魔力の色なら消してしまう事も出来る様ですから、何だかまぁよく分かりません。

 何でしょうかねとぼんやりしながら、私は木の梢で、各種野草と大猪鹿の乾肉を入れた軽銀の鍋を振るうのでした。

 今日はお祝いです。これは「活性化」を得た自分へのご褒美なのです。


「はぁ~~……美味しいです~~……」


 軟らかく戻された大猪鹿の肉に舌鼓を打ちつつも、見渡す森の中に、中心以外にも黒い膨らみが有るのに気が付きました。

 意識してみれば、そういった細かな膨らみからも、微弱な違和感を感じる様な気がします。

 考えてみれば、当然ですね。界異点は毛虫――鬼族――達の侵攻拠点なのですから。

 言うなれば、中心の界異点は本陣。その周りにそれぞれの侵攻部隊が陣を敷くのは当たり前です。


 それにしても、昏い森の中心が見える様になったにも拘わらず、ガズンさん達の痕跡は未だ花咲き乱れる草原で見付けた黒毛虫の死体しか見付けれていません。

 梢から目を凝らしても、黒い魔力が全てを覆い隠してしまっています。

 ガズンさん達が無事では無い姿は想像も出来ません。そう思いつつも、私はただ黒く煙る森を眺める事しか出来なかったのです。


 追跡の再開の前に、シダリ草とマール草を使った傷薬を作ってみました。薬丸に使われている薬より、二つはランクが上になるでしょうか。

 それを空いた回復薬の小瓶に入れて、口の所まで水の魔道具で綺麗な水を注ぎます。

 薬草の事なら、何故だか直感的に理解出来ます。そんな私が作った傷薬ですから、何が傷を治すのに効いているか、分からない筈が有りません。

 その成分に焦点を絞って、「活性化」を充分に促せば、回復薬に成るのではというのが私の考えでした。


 そんな小瓶を手の中に、暗い道行きを重ねます。

 元々癒しの魔力として顕在化していた回復薬ならば兎も角、一から「活性化」するとなると、どう「活性化」すればいいのか、力の加え方も再び手探りから始めている気分に成ります。

 それでも半日、色々手を替え品を替え、魔力で様子を確認しながら試行錯誤を繰り返せば、得意な薬草と魔力の事ですから何かと道は見えてくるのです。


 初めはどろどろと腐った様に。ですが、これも変化では有ります。

 中身を入れ替え繰り返す度に、次第にとろりと緑色に。

 私の薬草を感じる力も、傷薬としての力が大いに増しているのを伝えてくるのですけれど、まだまだ光を発する程でも無く、ましてや魔法とまでは言えません。

 きっとこの傷薬が魔法にまで昇華されれば、薬草としての力では無く、魔力を感じる感覚の方にびんびん力を感じる様になると思うのです。


 そんな試行錯誤の中でも、毛虫達は変わらず現れでて来るのです。

 まぁ、ちりちりとした違和感が先に感じられるので、そこまで警戒が必要な訳でも有りません。その違和感は、どうやら額の角の辺りから発せられている様ですけれど、別の作業に気を取られている中で直ぐに接近が分かるのは、非常に有り難く感じます。

 大きな中心の違和感が本陣で、その周りの違和感が侵攻部隊の陣だとすれば、黒大鬼は攻城兵器か何かでしょうか。そう思えば、しっくり来る様な気もしますね。


 この後に起きた出来事については、そんなこんなで毛虫達を斃しては手の中で小瓶を転がし、小瓶を転がしては毛虫達を斃してと、頭も感覚もこんがらがってしまう事をしていたのが問題だったに違い有りません。

 いいえ、或いは必然でしょうか。「活性化」がしたのは、いつか起こる事を早めただけで、いつかは起こっていた事だったのでしょうから。


 黒毛虫との遭遇も随分頻度が上がって、その時出てきたのは黒毛虫が一度に三匹という、気が付かれてしまえば絶体絶命の状況でした。

 まぁ、気が付かれる事は無いのですけれど。

 黒大鬼達の左後ろに回って、背中越しに反対側へと石を投げます。ここは躊躇わずに剛速球です。

 投げた石が細木に見事命中し、甲高い音を立てると共にめきめきと木が倒れていきます。

 そちらへと頭を向ける黒毛虫三匹。

 『瞬動』二回で一番左の黒毛虫の首後ろまで跳び上がり、毛虫殺しを振り抜いたら更に二回の瞬動で上空へ。

 数え切れない程に熟した空中戦と、何故か支えも無いのに浮く私の魔力を込めた剥ぎ取りナイフの真似をする内に、身に付いていた謎の技術で以て、跳んだ先の空中で体を保持します。


 空中に見えないフックが有って、今迄木々に絡めていた魔力の腕を、その鉤に絡める様な感じです。木々に絡めるよりは疲れますけれど、木々より高い場所では便利です。

 そして下ばかり見ている黒毛虫ですから、上空に居れば見つかる事は有りません。


 左端に居た黒毛虫が、歩いていた勢いのままに倒れると、石を投げた右側へと顔を向けていた黒毛虫達が、その視線を左へ戻します。

 それに合わせて右側の黒毛虫の肩に降り立って、やはり毛虫殺しを一閃。

 続け様に足下へしゃがみ込む動きを見せ始めている、真ん中の黒毛虫の首後ろに跳び込んで、首裏に毛虫殺しをえいっとばかりに鍔元まで突き刺しました。

 勢い込んで注いでいた魔力と“気”とが、首の中を灼き尽くした挙げ句、目口鼻の顔の穴から黒い炎を上げました。

 毛虫殺しを黒毛虫の首に残して、私は一度跳躍してから、折り重なって倒れた三体の黒毛虫の上に降り立ちました。


 流石に三匹続けては疲れましたけれど、それだけです。

 『隠蔽』が効いていて、不意打ちが成功して、振るう刃が一撃必殺ならば、おそれるものは有りません。まぁ、前提がおかしいとは自分でも思いますけれどね。

 実験中の回復薬の小瓶を、左手に握り込んだままなのが、内心の侮りを示してしまっています。

 でも、それで何も起こらないのですから、黒毛虫が問題だった訳では無いのです。


 その回復薬の小瓶。

 開いた左手の中で、緑の小瓶はうっすらと緑の光を纏い始めていました。

 「活性化」が成功し始めている証拠です。

 私が推定した通り、「活性化」により傷薬は回復薬という魔法へ、昇華し始めているのです。

 ですが、「活性化」が働いていたのは、回復薬ばかりでは無かったのでした。


 ――グワラガラガラガラガラガラガラ!!


 突如耳を打つ割れ鐘の様な音に、びくりと体を竦ませました。

 何時の間にか、足下がゴツゴツしています。筋肉で膨れ上がっていた黒毛虫達の体が、すっかり萎びてあばらが浮き上がってしまっているのです。

 その全てを引き起こした物。

 黒毛虫の首に刺さったままの、私の毛虫殺しは、今やその身から幾本にも分岐する棘を生やして、我を解き放てとばかりに鳴動するのでした。





 ですけれど、本当に気に掛けていなければならなかったのは、界異点が持つ違和感を毛虫達も持っているという事だとか、黒毛虫を攻城兵器に喩えた閃きだとか、角の髄が特殊な魔力を持っているだとか、ちりちりした違和感は角から感じられる様だとか、そう言えば一つに纏めてタールでくるんでおいた髄はどうなっているのでしょうだとか、そんな事とかだったのですけれどね。

 まぁ、それが分かったのは、私が街に戻った後、一つに纏めていた毛虫の髄を確かめた時。

 それもまぁ、大した事には成りませんでしたし、つまりはまた別のお話では有るのです。

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