(41)「お、お赦しくだせぇ」なのです。

 ――コツン!

 ――コココン!

 ――コツン! コツン!


 秘密基地の入り口の、黒い扉に小石が当たり、跳ね返る音が響く。


「こらぁー! ディジー! 出て来てよぉ!?」


 控えめに叫ぶという器用な真似で、エプロン姿のディネイアが声を掛ける。


 そしてまた、コツン! コツン!


 もう、ディジーリアが街に戻ってきた日から、七日目の朝になる。

 その間、誰もディジーリアの姿を見た者はおらず、心当たりはこの秘密基地だけ。

 姉のリディアが秘密基地に来る事に臆病になってしまったから、ここに来れるのはディネイアだけ。

 だから、もう二十分近くになるのに、諦めずに小石を投げ付けている。


 でも、小石を投げるにも、もう腕も首も痛くて、怖いけど壁の上から回るか、それとも梯子を持ってこようかと考え始めた頃、


 ――タンッタタタタ……


 小石が扉に当たらずに、奥の石床に抜けていく音がした。


「ディジー?」


 暫くしてから呼び掛ける声に応えて、幽鬼の様なディジーリアが姿を現し、表情の抜け落ちた顔で凹みから下を覗き込んだ。

 ディネイアは、心配で胸が張り裂けそうになったけれど、言葉が出ない。

 今迄もディジーリアが引き籠もる事は有ったけれど、窶れはしても目には元気が満ちていたのだから。


 でも、そんな生きているかも心配になるようなディジーリアが、くわっと目を大きく見開く。

 主にディネイアの足下に在るバスケットを見て。


「……ごはん、ごはん……ごはんですよ……」


 掠れた声で慌てて手探りをしてから身を翻し、次にはロープを結び付けた桶が落ちてくる。

 必死過ぎるその様子に少し引きながらも、ディネイアが桶にバスケットを納めると、驚くべき素早さで桶は引き上げられ、「……ごはんですよ……」の言葉を後に残して、またディジーリアは引っ込んでしまった。


「ちょっと! ディジー! 出て来てよぉ!」


 消化に良いものを見繕った筈だけれど、ご飯を喉に詰まらせたりしていないかと心配するディネイアを置いて、ディジーリアはその背後から姿を現す。

 驚いて飛び上がったディネイアに怒られるところ迄が、一連の流れだった。


「食べたら出るのですよ!?」

「そんなことを言っているんじゃ無いの! ――って、ディジー、匂うよ!?」

「ぅう~、恥ずかしいです。嗅がないで下さいよ!?」

「そっちじゃ無くて、水浴びくらいしなさ~い!!」


 そんな遣り取りをしていても、ディジーリアの目に光が戻らないのを見て、ディネイアは俯いたディジーリアの顔を覗き込む。


「どうしたの? ディジー」


 するとディジーリアは、顔をくしゃりと歪めて頽れた。


「わ、私は、為出しでかしてしまったのです。も、もうおしまいなのですよ!」


 ぺたりと地面に突っ伏して、泣く事も出来ずにガクガク震えるディジーリアに、ディネイアは慰める事しか出来なかった。


「何を言っているのよ? ほら、話してみれば何でも無い事だったりするわよ?」

「言えません! 言えないのですよ!!」

「それでも誰かに相談するの!」


 するとディジーリアは、はっとした様に頭を上げた。


「そうです、オルドさん……オルドさんだけには伝えておかなければなりません」


 その台詞に少し安心したディネイアだったが、立ち上がったディジーリアが、より一層悲愴な覚悟で、


「ディナ姉にはお世話になりました。これからもお元気で」


 なんて言って、真っ青な顔して頭を下げられては、とても放っておく事などは出来なかった。


 コルリスの酒場の前を通って、冒険者協会へと登る道。ふらつくディジーリアに手を貸しながら、ディネイアはその細い小路を登って行く。

 時折森へと赴く冒険者達と擦れ違うが、その誰もが目を大きく見開いて凝視していくのは何の罰ゲームなのかなと思いながら。

 きっとディジーリアがこんな様子でいたとしても、絶対に笑って済ませられる話に違いないのだから、と。



 ~※~※~※~



 冒険者協会は、竜鬼ドラグオーガの頭の御披露目から七日目となって、漸く落ち着きを取り戻し始めていた。

 実のところ、竜鬼の頭が届いた頃には、少しばかり小康状態に入っていたのだ。それは持ち込まれた鬼族の角の数が示している。思えば竜鬼の討伐が、既に効果を現していたのだろう。

 しかしながら、決め手は竜鬼の頭が持ち込まれたその日の午後だ。曲がりなりにも統制が取れていた鬼族共が、突如その足並みを乱し、数ばかりは多い烏合の衆と成り果てた。それからは、冒険者達の犠牲も少なく、狩り取るばかりとなっている。

 ライクォラスの号令が生きているからか、いまだ昏い森に入る冒険者の数は多いが、持ち込まれる鬼族の角は氾濫が起こる前よりも少ない位だ。


「後は、回収部隊の成否次第か」


 ディジーリアの冒険譚は、立ち会った協会職員によって既に伝えられ、木の梢での休息や、靴底の保護、気や魔力に長けた人員の選別といった形で既に取り入れられている。

 竜鬼ドラグオーガの死骸を調査しに行った冒険者達も、きっと無事に帰ってくるだろう。

 情報に対する報酬も用意されているのだが、肝心のディジーリアが捕まらない。

 冒険者協会支部長のオルドロスは、やれやれと首を回した。


 そこへ、控えめなノックが届く。

 別段囲われている訳でも無い間仕切りの向こうから、受付を任せているリダ――既に本名がリディアとは教えて貰っている――が、顔を覗かせる。


「支部長、ディジーが支部長にお話が有るって見えられました」


 不安そうに胸の前で手を組むその様子を暫し見遣ってから、オルドロスは立ち上がった。


「うむ、承ろう」


 思えば、この娘も随分と変わった。

 撥ねていた髪は滑らかに梳かされ、佇まいも丸で深窓の令嬢の如く楚々として清楚だ。

 明け透けで気っ風の良い以前の様子を知らばこそ、今もまだ二度見する様な戸惑いが有るが、時折花が綻ぶ様に笑う様に成った。

 それだけでも、良いことなのだろうと思う事にしている。

 それは冒険者達も同じ様で、リダの前に並ぶ冒険者達はぎこちなく体を強張らせ、列から外れた所でほっと胸を撫で下ろしながら「心臓に悪い」等とほざいている。

 中には逆に怒り出す者や侮る奴らも居るが、中身は余り変わっていないのか、あの物静かな様子で大の男達を投げ飛ばしているのは何とも小気味良い。

 夕食を一緒にする時も、その雰囲気に合わせてワインを頼めば、軽く空けた後でジョッキを持って来させる程だ。

 給仕をしていたリダの妹からは、記憶持ちの記憶頼りに何とかやって来たのだと言われ、然も有りなんと納得する。不安そうに見上げる表情も、頭を撫でて頷いてやれば途端に綻ぶその笑顔も、丸で同一人物とは思えないが、「どっちのお姉ちゃんも大好き」だと言う妹には、どちらも同じ姉なのだろう。


孤児院の奴らは誰も信じちゃくれんがな)


 様変わりする前からリダは孤児院へも足を運んでくれていたが、「父ちゃん、どこで捉まえた!?」等と言われる始末。説明したところで誰も信じようとはしない。


(まぁ、確かに言われたところで信じられんか)


 今も全幅の信頼を瞳に籠めて、見上げるリダを見て思う。

 『識別』では無く『看破』が必要だろうというその様子を見ながら頭を撫でてやると、少し俯いて恥ずかしそうに顔を染めた。


 そんなリダに見送られて、足を運んだ冒険者協会の入口前。

 困った苦笑いで立ち尽くすリダの妹ディナと、その足下に何故か積まれたぼろぬ……いや、ぼろ布では無く、ぺたりと平伏ひれふしたディジーリアの姿が在った。


 何だこれはとディナを見れば、呆れ混じりに事情を話し始める。


「何かやらかしちゃったみたいでね? 断罪されに来たみたいなのよ?」

「で、何をやらかしたんだ?」

「うん、それは教えてくれないの。支部長さんにしか言えないんだって」


 見ればディジーリアは、平伏したままガタガタと震えている。

 溜め息を一つ吐き、


「奥の部屋で聞こうか」


 と言うと、ディジーリアはのろのろと立ち上がった。

 立ち上がったディジーリアを見て、オルドロスはぎょっと目を見開く。

 其処には魔物に襲われた街の唯一の生き残りか、或いは処刑台に上る死刑囚の様な――


(……馬鹿馬鹿しい)


 今の時点で、街で事件が起きたとも聞かなければ、何か有るとすれば氾濫の切っ掛けだが、それにディジーリアが関わっているとは考えられない。

 何を気に悩んでいるのかは知らないが、思い込みというものだろう。

 そう見て取ったオルドロスは、ディジーリアを先導して歩き始める。

 引き出された死刑囚はその後を、絶望を顔に貼り付けとぼとぼと歩く。

 冒険者達のひそひそ声が耳に付いた。


(全く、何の罰ゲームだというのだ!?)


 そう胸の内でごちながら、内密の話も出来る様に設けられた部屋の一つへ案内する。

 車座になっていた椅子の一つにオルドロスが腰掛けると、ディジーリアは椅子には座らず対面の床の上に正座した。

 ぐっと蟀谷こめかみを押さえる様に顔を手で覆い、深く息を吐き出すオルドロス。


「いいから早く話せ。私も暇では無いのだぞ」


 そのつもりは無いのに、どうにも扱いがぞんざいになると思っていると、その前でディジーリアは再びぺたりと平伏して、掠れた震え声で申し開きを述べ始める。


(こんなところを見られたら、何を言われるか分からんな)


 十歳そこそこの女児にこんな真似をさせていたら、どんな言い訳をしても事案である。


「わ、私は、とんでもないことを、とんでもないことを為出かしてしまったのですよ!!」


 平伏したままのディジーリアの台詞と共に、靄の幻が立ち上がるのを見て、オルドロスは半眼となって背凭れに身を預けた。


「そ、それは私が豊穣の森へ探索に赴く前の日のことでした。最後の準備の鍛冶仕事で――」


 ディジーリアの台詞に従い、幻のディジーリアがトンテンカンテン鍛冶仕事に勤しみ始める。

 それを横目で見ながら、オルドロスは真面目に聞いてられんなと眉間を揉んだ。

 扉の前で聞き耳を立てている幾つもの気配は問題だが、今回ばかりは潔白を示すのにも有用かなどと考えてしまう。

 だが、聞き進めるに従い、只の戯れ言とは聞き流せない内容が混じり始める。


「待て……待て待て、鬼族の角は必ず残されるが為に討伐証明に使っているが、使い道が無い故に棄てられている物だぞ?」

「あ、あれはとても使いやすい素材ですよ? 歪をほぐせば、好きな様に形を整えられて便利です。……ほ、本当ですよ!? 信じて下せぇお代官でぇかん様ぁ!!」


 時折興奮したディジーリアがオルドロスを呼ぶ呼称がお代官でぇかん様になったり、「お願ぇしますだ」と言った台詞が挟まれるのに耐えながら、最後まで聞ききった時には、オルドロスもぐったりと椅子に寄り掛かっていた。


 暫しの時をそうして過ごしてから、オルドロスは口を開く。


「あー……言いたい事は色々と有るが、結論から言うなら何ら罰せられはせんな」

「でも!?」

「まぁ、まず聞け。そもそも、鬼族の角が危険物等とは誰も認識しておらぬし規制もされておらん。つまり、鬼族の角をどう扱おうと罰則は無い。寧ろ王都では今も使い道を探って研究されている筈だ。是非とも加工方法を教えて貰いたいものだな。報酬も用意されるだろう」

「で、でも、実際には街の中に、界異点が出来るところだったんですよ!?」

「まぁ、そこら辺は良心の問題だな。それに、何か勘違いをしているようだが、出来たての界異点なんていうのは美味しいばかりの獲物に過ぎん。上手く行けば守護者も居ない、魔物も少ないとあっては、先陣を切って突撃しそうな困り者が幾らでも思い当たるわ。何か有ってもこの俺もランクAだ。何とでも治めるわ」

「――!!」

「大体が何も起こさず治めたものを罰せられる筈が無い。この協会の倉庫にも危険物は山と有る。錬金術屋など言うに及ばずだ。寧ろ角の研究は王都で進められている事を考えると、王都の方が事故が起きる可能性が高ければ、被害の程も予想が付かん。それを未然に防げるとなれば、どれだけの民衆が助かるものか分からんな。感謝状が届いても良いくらいだぞ」


 そこで椅子に寄り掛かっていた体を、一旦戻してディジーリアを見る。


「それもまぁ、お主が報告書を書けばの話だが」


 ディジーリアは、がばりと頭を跳ね上げさせた。


「書く、書く、書きます! 書きますよ!!」

「ならば、受付に言って用紙を貰って書けばいい」

「か、書いてきます!!」


 慌てて部屋から飛び出していくディジーリアを見送って、オルドロスはまた一つ溜め息を吐いた。

 ずしりと重く感じる体を椅子から引き剥がし、立ち上がっては扉を出る。

 真面目というか素直というか純真というか、何とも大変な奴だった。

 全力で生きているのはいいが、多少気を抜かねば、振り回される周りも堪ったものでは無い。

 好悪が極端に別れるのも、分からんでは無いなと思っていると、扉の陰から現れたリダに袖を掴まれた。


「ディジーは?」

「何、心配要らんよ。思ったよりも大事ではあったがな」

「オルド……ありがとう。ディジーが元気になって良かった……」


 そう言って身を寄せるリダの頭を優しく撫でる。

 何となく、他人行儀なオルドよりも、ロスと呼んで欲しいものだと思いながら。




 因みに、ディジーリアが引き籠もっていた間の事は、当然の如く神界でも注目されていた。


『う~む……』

『何じゃ、“剣の”。今はお主の領分でも無かろうに』

『いやな、俺の与えた『常在戦場』は、ああいうものでは無かった筈なんだがなぁ』


 見れば少女は失神しそうになる度に、その直前で気が付いて余った乾肉や貰った果物を摂っている。

 “鍛冶の”は“剣の”の肩をポンと叩いた。


『『仮死』で回復する事を考えれば、百倍ましじゃな』


 “剣の”が抱く感想は、少女に関わる多くの神々が抱く想いだった。

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